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アドルフ・ヒトラー[1] -1889-1928 ある精神の形成- [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジョン・トーランド著の「アドルフ・ヒトラー[1]」を読破しました。

7月に読破したチャーチル著の「第二次世界大戦」に続き、文庫4巻シリーズの登場です。
ヒトラーものシリーズでは児島襄 著「ヒトラーの戦い」全10回シリーズもやりましたが、
同じヒトラーが主役でも、あちらが第2次大戦のヒトラー戦記中心だったのに対し、
こちらは副題でもお分かりのとおり、ヒトラーの人生そのものを追ったもののようです。
実はヒトラーの伝記というのは今まで読んだことがなく、
これは自分はヒトラーという絶対権力を持った大魔神が君臨した第三帝国・・
ということを前提として、それらの周りの人間や市民がどのように生きていたのかに
興味があるからなんですね。
原著は1975年、翻訳版は1979年に上下巻で発刊され、本書は1990年の文庫版で
2年前に4巻セットを1400円で購入していました。
1巻、500ページで、合計2000ページの大作・・・ですが、
「ヒトラーの戦い」での経験もあるので、自信マンマンで挑戦です。

アドルフ・ヒトラー①.jpg

著者のトーランドは過去に「最後の100日」と「バルジ大作戦」を紹介していますが、
米国人の彼は日本人女性と結婚し、太平洋戦争モノも結構書いています。
特に「大日本帝国の興亡」では、一般ノンフィクション部門のピューリッツァー賞を受賞・・。
ちょっと調べてみましたが、これを受賞した本、1冊も読んでませんでした。。
「グラーグ -ソ連集中収容所の歴史-」だけは持ってるんですけどね。

序文でトーランドは「ヒトラーによって生涯を変えられた人間として、可能な限り個人的感情を抑え、
100年前に生きた人物を書くように努め、多くの人びとに会い、話を聞いた」として、
その名前を列挙します。
秘書のユンゲ嬢とクリスティアン嬢、専属運転手ケンプカ、専属パイロットのバウア
将軍連ではマンシュタインミルヒデーニッツマントイフェルヴァーリモント
他にもスコルツェニールーデルといったヒトラーの寵愛を受けた軍人、
女性ではレニ・リーフェンシュタールにトロースト夫人、
プットカマーフォン・ベローエンゲルギュンシェといったヒトラーの副官たち・・、
ここにはヴュンシェという名もありますが、あのマックス・ヴュンシェかも知れません。
もちろん「ヒトラーの建築家」シュペーアの名もあります。

Hitler as a school boy, 10 years old in 1899.jpg

第1章ではヒトラーの生い立ち・・の前に両親の生い立ち、もっと言えば「ヒトラー」姓についても触れ、
オーストリア人には珍しい姓なことなどから、元は「ヒドラール」、または「ヒドラルチェク」と
考えて間違いないとしています。そして後に「ヒドラー」などに変化しているそうです。
厳格な父アロイスと、優しい母クララ、というのはワリと知られた話ですが、
腹違いの兄や姉、そして妹も誕生して、ヒトラーの子供時代が進みます。

Alois-Schickelgruber-u-Klara-Poelzl-Hitlers-eltern.jpg

11歳の頃には学校でも画家の才能を示し出し、仲間のリーダー格に・・。
1903年には父アロイスが死去。それでも父は学校の校長よりも高い年金を貰っていたため
生活はなんとか成り立ちます。
しかし最愛の母、クララも乳癌によってこの世を去ってしまいます。
音楽家を目指すアウグスト・クビチェクという親友もでき、家を飛び出してのウィーンでの生活。
クビチェクは音楽アカデミーへ見事、合格するも、ヒトラーの美術アカデミーへの挑戦は尽く失敗・・。
常に腹を空かせ、何日間もミルクとバターとパンだけで生きることにヒトラーも叫びます。
「この生活はあまりに惨め過ぎる!」
このクビチェクは戦後、「アドルフ・ヒトラーの青春―親友​クビツェクの回想と証言」を書いており、
本書もこれを参考にしているようですね。

A painting by aspiring artist Adolf Hitler.jpg

親友クビチェクと別れたヒトラーは、浮浪者同然の生活へと落ちていきます。
貧民宿泊所から独身男子寮へと移り住み、絵を描いては生活費を稼ぐ生活。
しかしそんな生活に終止符を打つ出来事が・・。
オーストリア皇太子の暗殺です。セルヴィアに宣戦布告するオーストリア。
それに対するロシアの総動員令、そしてドイツ皇帝も対ロシアの総動員令に署名。
このロシアとの開戦のニュースは大群衆に熱狂的に迎えられ、
ヒトラーも当然のようにバイエルン歩兵連隊に志願します。
その熱狂はヒトラーの写った写真からも伝わりますね。

Hitler celebrating WWI.jpg

いきなりの激しい戦闘。連隊長は戦死し、代理の中佐も重傷を負うなか
連隊伝令となった彼は、砲火をくぐり抜け続け、やがて2級鉄十字章を得ることに。
ヒトラーは手紙に書き記します。「私の生涯でいちばん幸せな日でした」
伍長に昇進した彼は、戦友と上官の尊敬を勝ち取り、
敵軍からやってきた犬にもドイツ語を教え込み、フクスルと名付けて溺愛します。

Corporal Adolf Hitler (right) during World War I. He suffered a groin injury during the Battle of the Somme.jpg

長期間の勇敢な勤務ぶりにもかかわらず、ヒトラーが伍長のままだった理由を
彼が指導力を欠いていた、とか、態度の悪さ、また逆にこれ以上昇進した場合、「優秀な伝令」という
お気に入りの任務を放棄せねばならず、また連隊も「優秀な伝令」を失うことになった、としています。
その後も4人のフランス兵を捕虜にした戦功などよって1級鉄十字章も受章。
ですが、遂に毒ガス攻撃を受けて失明・・。そしてドイツの敗戦・・。

回復したヒトラーはミュンヘンで、新しい10万人軍隊によるスパイとして労働者組織を監視する任務を
マイル大尉から与えられ、ドイツ労働者党という小さな組織に潜入。
政治と演説に目覚めたヒトラーは積極的に集会を開き、理性に訴える知識人とは違って、
原始的な力強さと臆することを知らない感情で聴衆を圧倒し、党員と寄付を獲得していきます。
そしてそのなかには20歳の法律学生、ハンス・フランクなどの姿もあります。

Adolf Hitler 1921.jpg

ホモセクシャルの元中隊長、エルンスト・レーム大尉はマイル大尉の後任であり、
ヒトラーの上官という立場で登場します。ふ~ん。。これは知らなかったなぁ。
しかし、軍の任務は本書でも曖昧のまま、いつの間にか2人ともやめてしまった感じで、
党名も「ドイツ国家社会主義労働者党」に変更し、「ナチ党」党首としての活躍が始まります。

rohm.jpg

ベルリンでの「カップ一揆」を観察するという冒険旅行では、このヒトラーが初めて乗った飛行機の
パイロットがリッター・フォン・グライムだったという運命的な話や、
安く売りに出た「フェルキッシャー・ベオバハター」紙を買い取ってローゼンベルクに任せたり、
シュトラッサー兄弟にルーデンドルフ将軍も登場してきます。
党の集会を守る、用心棒グループは「体育・スポーツ部」と命名しますが、
2ヶ月後には「突撃隊(SA)」に変更。
これを軍事組織として鍛えるのは、新たな入党者ゲーリングです。

Hitler _ SA.jpeg

自己主張をしない控えめな「ゲシゲジ眉毛」ルドルフ・ヘス
彼らより、またヒトラーを凌ぐ「反ユダヤ主義者」で、禿頭と怪奇な風貌を持つ野蛮な男、
シュトライヒャーも紹介され、いよいよこの第1巻のハイライト、
1923年の「ミュンヘン一揆」、またの名を「ビアホール一揆」へと雪崩込みます。

The Beer Hall Putsch.jpg

この話はいろいろな本に書かれていますので割愛しますが、
州警察の発砲の前にヒトラーが路上に伏せる一方で、ルーデンドルフ将軍が
胸を張って堂々と銃火のほうへ向かって行くシーンでは、注意書きで
「これはルーデンドルフの勇敢さと逆に、ヒトラーを臆病者にしようとするもの」として
肩を脱臼したヒトラーが下に引っ張られたことは明らかだし、ルーデンドルフも
とっさに伏せて、負傷者か死体を盾に取ったという目撃証言もある・・ということです。

ludendorff_hitler.jpg

このようにして、美術アカデミーの入試失敗と母の死、失明とドイツ降伏、
そしてこのミュンヘン一揆失敗のショック・・・、
その後、収監されたランツベルク刑務所で失敗を反省し、再度、立ち直るヒトラーの様子も
かなり詳しく書かれています。
例えば午前6時に独房のドアが開き、1時間後に集会室で朝食、
8時に中庭でレスリングやボクシングで運動。
しかしヒトラーは腕の怪我のために「レフェリー役で満足しなければならなかった」

hess_hitler_1924.jpg

一揆のときには無視されたかのように、その場に放置されていたルドルフ・ヘスも自首し、
ヒトラーの秘書となって、彼が口述する「わが闘争」をタイプする毎日。
模範囚として、看守をも国家社会主義者に仕立て上げる日々も1年余りで終わりを告げ、
迎えにきた写真家ホフマンに「写真撮影」を要求。

Adolf Hitler, age 35, on his release from Landesberg Prison, 1924.jpg

出所後は分裂しかかった党をまとめるために精を出しますが、
「演説禁止令」のために大きな会場では喋ることが出来ず、、秘密集会を渡り歩いて、
男性には握手、女性の手にはキス、という「草の根テクニック」によって、
党の組織的支配に再び成功します。

Adolf Hitler hät eine Rede. Das Foto entstand um 1925.jpg

ドイツ北部の話は、あの「ゲッベルスの日記」を抜粋して紹介していました。
その抜粋部分が「独破戦線」と同じで、やっぱりソコだよな~と思ったり・・。
また、ベルヒテスガーデンでは、「粗野で、挑戦的で、向こう気の強い女」とホフマンの娘
ヘンリエッテが評する、姪のゲリ・ラウバルも登場。。というところでこの第1巻は終了です。
彼女が書いた本では、ゲリをそんな風に評してなかったんですけどね・・。

geli.jpg

10代で両親を亡くし、しかも母は乳癌・・。妹とそして仲の悪い兄貴というのは、
ヴィトゲンシュタインの育ちと同じなので、ちょっとビックリしました。。
なんとなく気がつかないうちに感情移入しちゃいましたねぇ。。
序文でトーランドが書いているように、感情的でもなく肩入れもせず、
とても公平に書かれていて、小説のような雰囲気もありながらも、多くの登場人物と
彼らが語ったり、書き残したものを明確にしつつ、複数の伝説がある場合には
当該ページの注意書きで解説するなど、この濃い内容でもとても読みやすく
読み手も人間ヒトラーを冷静に知ることが出来る・・と思いました。







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