SSブログ

アドルフ・ヒトラー[3] -1938-1941 第二次世界大戦- [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジョン・トーランド著の「アドルフ・ヒトラー[3]」を読破しました。

前巻でオーストリア併合を無血で果たしたヒトラー。
この第3巻での最初のターゲットはチェコスロヴァキアです。
英国チェンバレン首相は、この戦争勃発の危機にドイツ訪問を決意し、
SS儀仗兵の演奏による「ゴッド・セイブ・ザ・キング」で盛大に迎えられます。

アドルフ・ヒトラー③.jpg

ドイツを数回訪れて、チェンバレン自身やフランスのダラディエ、そしてホストのヒトラーらが
母国語しか話せないのに対し、たどたどしい英語とイタリア訛りのフランス語、
ドイツ語も怪しげながらとにもかくにも4ヵ国語を話すムッソリーニを主役としながらも
ミュンヘン会談でなんとか和平を獲得し、帰国後も猛烈な喝采を受けるチェンバレン。
しかし冷静さを失わない下院議員のひとり、チャーチルは呟きます。
「で、チェコスロヴァキアはどうなるのだ?」

Chamberlain at the Oberwiesenfeld Airport in Munich Germany during the 1938 conference.jpg

そのチャーチルの懸念通りの結果となったチェコスロヴァキア・・。
1939年4月20日のヒトラー50歳を祝うドイツ国防軍3軍に新設のSS部隊を含んだ
盛大な軍事パレードではヒトラーの隣りに座るハーハ大統領の姿が・・。
外国の外交官たちは、この意味を見逃さず、一方、ドイツ国民の大半は
この軍事力に誇りを持ち、ヒトラー崇拝は神の領域にまで高まるのでした。

Hitler's 50th birthday.jpg

ダンツィヒをはじめとするドイツとの懸案を抱えるポーランド、
そしてヒトラーに恥をかかされた英国は二股外交を駆使してソ連にも接触しますが、
ドイツよりもソ連を警戒するポーランドと
お互い心の底ではまったく信用していない英国とソ連・・。
スターリンはユダヤ人外相リトヴィノフをクビにし、非ユダヤ人のモロトフを後釜に据えます。
共通する激しいユダヤ人憎悪とスターリンの赤軍大粛清などの容赦のないやり方を
渋々ながら認めていたヒトラーは、このニュースに驚き、ソ連との抱擁の道を模索し始めます。

Vyacheslav Mikhailovich Molotov.jpg

第一次大戦の非人間的な長くてツライ塹壕戦を忘れられないヒトラーは
ポーランドに軍事的に進行するにしても、短期の電撃戦を構想・・。
片や外相リッベントロップがモスクワで「独ソ不可侵条約」にこぎつげ、
その報告を聞いたヒトラーは夕食のテーブルから飛び上がって叫びます。
「われわれは勝った!」

von Ribbentrop, Ciano,hitler.jpg

ソ連が味方に付けば、英国もフランスも口先の威嚇以上のことは出来ないだろう・・。
これで何の気兼ねもなくポーランドに襲い掛かることが出来る・・と判断したヒトラー。
彼にとってはこれは戦争ではなく、本来、ドイツに属するものを取り返すだけの
局地的戦闘行為でしかありません。
そうは言っても、党の茶色の制服からグレーの軍服に衣替えをし、
「今日からは一般のドイツ人が食べる物しか口にしない。それが私の義務なのだ」と語ります。

hitler_02.jpg

本書でも2ページとアっと言う間に片付いたポーランド侵攻・・。
ここからカナリス提督の腹心、ハンス・オスター大佐らの反ヒトラー抵抗グループと
いくつか計画されたヒトラー暗殺計画が紹介され、西方戦を目論むヒトラーと
軍の対立の様子を紹介します。
「私は攻撃しないために軍隊を組織したのではない」と軍部へ宣言するヒトラーの
「妨害する者は容赦なく排除する」との脅しの前に、
陸軍最高司令官ブラウヒッチュと参謀総長ハルダーは震えあがり、
必死になって抵抗グループと手を切ろうとするのでした。

Pz38(t)'s in Poland.jpg

ソ連が調子に乗ってフィンランドにも進行する中、ドイツは英仏との「まやかし戦争」へと突入。
宣伝相ゲッベルスは、フランス軍の様子をその目で確かめるためにマジノ線を訪れ、
フランス兵が清潔で暖かいベッドと女、そして心の平和を求めていることを悟った彼は、
宣伝キャンペーンを展開します。

昼には前線で寒さに震えているフランス兵と、ベッドで英国兵に抱かれている
彼らの妻を描いたビラが頭上からばら撒かれ、
夜になるとセンチメンタルなフランスの歌をマジノ線に向けて放送。
「おやすみ、親愛なる敵兵士諸君。我々もこの戦争を望んでいない」と語りかけ、子守唄で終了。。
フランス国民に対してもユダヤ人と政府の腐敗などを告発する放送が行われますが、
最も効果があったのは、ドイツによるフランス征服という「ノストラダムスの予言」の
ドイツ的解釈を印刷したパンフレットだった・・。

Sitzkrieg.jpg

本書のメインとなる「西方戦役」ですが、軍事的な記述はほとんどありません。
国防軍最高司令部(OKW)の「3羽ガラス」カイテルヨードルヴァーリモントが所々に、
他にはノルウェーでのディートル将軍、フランスでも軍集団司令官のフォン・ボック
フォン・ルントシュテットの名が出てくる程度で、
「電撃戦」の立役者、グデーリアンすら一切、出てこないくらいです。

von_Rundstedt.jpg

その分、勝利に喜ぶヒトラーと側近たちの様子は充実しています。
前大戦の屈辱を晴らすべく、同じコンピエーニュの森、同じ鉄道車両での
休戦協定に望むヒトラー・・。彼には珍しく、嬉しさをこらえ切れません。
最終的にフランス代表団のアンチジェ将軍とカイテルが感動を抑えながら握手を交わすシーンや、
パリ観光とナポレオンの墓を訪れるシーンなどなど・・。

Adolf Hitler and Staff Celebrate France's Surrender at Compiegne, June 21, 1940.jpg

占領者ではなく、解放者としてフランス市民から迎えられるよう兵士に対しても
略奪を禁止し、買い物にはお金を払いパリへ帰還する避難民にも手助けを惜しみません。
しかし一向に対話を求めてこない英国にイライラの募るヒトラーは、バトル・オブ・ブリテン
英国本土上陸の「あしか作戦」の策定を進めますが、
ロンドン爆撃も彼らを挫けさせるだけの効果は無く、逆にドイツ空軍の損害が
日増しに高まるありさま。。。
そこでヒトラーは政治外交で英国を屈服させるため、
スペインのフランコ将軍、ヴィシー政府のペタン元帥に協力を求めます。

paris occupation.jpg

この会談の様子も非常に詳細に書かれていて、これはヒトラーとリッベントロップの通訳官だった
パウル・シュミットの回想をかなり引用しているようですね。
彼の回想録、「外交舞台の脇役-ドイツ外務省首席通訳官​の欧州政治家達との体験」
をホント読んでみたくなりましたが、amazonでも9000円、図書館にも置いてません・・。

Pétain hitler.jpg

特にフランコ将軍の煮え切らない態度にはヒトラーも総統に・・じゃなくて相当にご立腹で、
「フランコはつまらん少佐だ!」と海軍副官プットカマーに言ったかと思うと、
侍従長リンゲには「あの男はドイツでは絶対に軍曹以上にはなれっこない!」と階級を下げ、
最終的には自分の以前の階級である「伍長」にまで引きずり下ろしたとか・・。

Franco hitler.jpg

1941年、遂にソ連への侵攻が迫るなか、副総裁ヘスが勝手に英国へ飛び立ってしまいます。
上司が起こしたこの大事件にボルマンは、ヘスの運転手から秘書や弟まで逮捕し、
妻イルゼに対しても辱めるために全力をあげ、
ヘス夫妻の名前を頂戴した、ルドルフとイルゼの自身の2人の子供も改名・・。
容赦せず家まで没収しようとするものの、さすがのヒトラーもこれは見るに忍びなく、
立ち退き通告への署名は拒みます。。。

Bormann, Keitel,von Below hitler.jpg

始まった「バルバロッサ作戦」。
ヒムラーハイドリヒのユダヤ人虐殺命令を遂行するアインザッツグルッペンも、
国防軍の戦線と同じ程度に書かれています。
極寒のモスクワ前面で攻撃を停止した中央軍集団に、南方軍集団も司令官ルントシュテットの
ヒトラーに対する命令撤回要求と「ほかの人間をみつけられたし」との解任要求も紹介。
もう一つの大国である、米国の動向に気を配りつつも、実に苦しい状況に・・。
しかし「真珠湾攻撃」の電報を読んだヒトラーは「我々は負けるはずがない!」と叫びます。
「我々には3000年間、1度も負けたことのない味方ができたのだ!」





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