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兵士とセックス 第二次世界大戦下のフランスで米兵は何をしたのか? [USA]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

メアリー・ルイーズ・ロバーツ著の「兵士とセックス」を読破しました。

8月に出た本書は、そのものズバリのタイトルと副題からかなり興味を持っていました。
過去にはベルリンでソ連兵がドイツ人女性に何をしたのか? を検証した
1945年・ベルリン解放の真実 -戦争・強姦・子ども-」を読んでいますが、
コチラはノルマンディで、パリで、またはル・アーヴルで米兵は何をしたのか? を
恋愛、売買春、レイプの3つ視点で検証したものです。

兵士とセックス.jpg

最初は1944年、フランス人は連合軍の上陸を待ち望むものの、同時に恐れも抱きます。
それは50万㌧もの爆弾が落とされ、3万人以上の市民が命を落としているからです。
希望よりも恐怖・・。それはどこかよその場所であってほしいという願い。。
ソコでドイツ軍はビラ撒き作戦に出て、米国がフランスを乗っ取り、この国を破壊し、
欧州全土を植民地化するつもりだ・・と、連合軍への反感を煽るのです。

Nuns and some children look on at the ruins of an almost totally destroyed church.jpg

そして遂にやって来た解放者。
ル・アーヴルにカーン、サン・ローは爆撃によって壊滅的な被害を受け、
すでにドイツ軍が撤退したにもかかわらず、爆弾は教会も区別せずに降り注ぎ、
見つかったドイツ人の死体は10体足らずなのに、死亡した市民は3000人にものぼる・・と、
フランス当局は腹立たしげに報告するのでした。
ドイツ軍が来たからといって、ひどく困ることはなかった。少なくとも家だけは残してくれたから。
けれども今、アメリカは何一つ残してくれなかった」。

Saint-Lô_1944.jpg

そんな状況下で解放者として迎え入れられた米兵たち。
美しい現地女性と出会ったGIのジョーは、フランス語で「はじめまして」と言ったつもりが、
「どんなやり方が好き?」と口走ってしまい、往復ビンタの洗礼を受けます。
米軍の公式新聞「スターズ・アンド・ストライプス」は当然、プロパガンダ的な写真を掲載。
大抵は女性や子供から熱烈に歓迎される米兵の姿であり、
救った者と救われた者、救ったのは米軍(男性)であり、救われたのはフランス人(女性)
という構図を意図したとしています。
本書にはいくらかこのような写真や当時のマンガも掲載してありました。

A group of French teenage girls hugs a soldier during the liberation of Paris.jpg

もちろん首都パリを解放すれば、フランス人は感謝の気持ちを「キスの嵐」で表現。
前途の新聞ではコミュニケーションの向上を図るため、フランス語のレッスンを掲載します。
憶えるドイツ語は「禁煙!」、「武器を捨てろ!」、「整列、前に進め!」なのに対し、
フランス語といえば「あなたの瞳は魅力的です」、「私は将官です」、
「私は結婚していません」、「ご両親はご在宅ですか?」と、表現も大きく違うのでした。

soldier_kiss.jpg

ドイツの収容所から解放されたフランス人男性が3年ぶりに故郷に戻ってみると、
我が家は米兵たちで溢れ、食事をし、寝泊まりをしているという第2の占領期間・・。
バーやカフェでは夫や恋人と一緒のフランス女性にも言い寄り、「いくら?」尋ねる米兵の姿。
当然、男同士のケンカに発展するのです。

U.S. soldiers in liberated Paris at a sidewalk table at the Cafe George V.jpg

続いては闇市場と結びついていた「売春」です。
お金だけではなく、タバコやチョコレートでもセックスを購入できるシステム。
ナチズムと強制売春」にも少し触れられていたように、ドイツ占領下では、
売春宿は効率的に運営され、性病検査に売春婦の個人情報まで管理していたものの、
米兵が到着すると、その需要に圧倒され、もぐりの売春婦にも仕事が回ってくるのです。
一日に1000人から1500人の客が訪れ、1人の女性が50人以上の相手をさせられたとか。。
パリでは「将校用」の売春宿、「下士官用」、そして「黒人用」と・・。
アントニー・ビーヴァー著の「パリ解放 1944-49」にも似た話がありましたね。

兵士がフランス市民と見境のないセックスをするよりも、売春宿で管理しようというわけですが、
パットンもこのように語ったそうです。「連中はファックしなけりゃ、ファイト(戦闘)しない」。

Battle_of_the_Bulge_Speech_SF_still_624x352.jpg

軍上層部は男性の性的活動は健全なものと考え、禁欲を強制すると倒錯的な性行動・・、
すなわち、同性愛に走ることが懸念されているのです。

また米軍基地内に忍び込む売春婦も現れると、フルタイムのポン引きになる憲兵も登場。
入場料を取り、稼ぎの一部をせしめる輩もおり、1946年1月に基地を強制捜査すると、
124人もの女性が見つかって、粛々と基地外まで護送・・。

Le jour de la Libération de Dol-de-Bretagne, Ille-et-Vilaine, 7 août..jpg

本書の3つ目の視点は「レイプ」です。
1944年10月、憲兵隊長が提出した犯罪リストの筆頭に挙がっていたのはレイプ。
152人の米兵がレイプ容疑で裁判にかけられ、そのうち139人が黒人・・。
欧州に派遣された米兵には、わずか1割しか黒人兵がいないことを考えると、
この数字は愕然としてしまうものであり、米軍が強姦、性的暴行に関して厳しく処罰していることを
フランス国民に示すため、事件発生現場の近隣で「公開処刑」が執り行われます。
そしてロープで吊るされた者29名のうち、25名が黒人兵・・。

African American soldiers to practice methods to prevent being accused of rape!.jpg

ドイツ人女性がソ連兵だけでなく、500人以上が米兵にレイプされたという統計を紹介しつつ、
フランスではなぜ、ここまで黒人兵が簡単に犯人とされ、告訴から裁判まで僅か1~2週間、
被告にはまともな弁護人も付けられず、蝋燭や月明かりのなかで行われた犯罪に対し、
被害者がどうやって犯人を特定できたのか?? といったことに検証に検証を重ねます。

alg-normandy-jpg.jpg

いわゆる「面通し」を行っても、被害者や目撃者が犯人を特定することは困難で、
レイプ犯だと確信した理由は「ただそうに違いないと思ったから・・」。
裁判で被害者が「この人が犯人です」と指差したのは、「黒人の補佐弁護人」だったり。。
黒人は性欲が過剰であるとされていて、女性の告発に疑いがもたれることはありません。

そして軍当局がレイプを「アメリカの問題ではなく、黒人の問題」とする傾向があり、
シェルブールのような兵站基地地区に数多い黒人部隊は、白人の戦闘部隊よりも
フランス人と接触する機会が多く、女性と知り合う機会も多い・・と歩兵たちから恨まれ、
人種差別主義者によって、自らの犯罪を押し付けられたり・・。
まぁ、イタリアでもフランス軍のモロッコ兵に襲われる! なんて宣伝していたくらいですから、
当時、特に田舎では、どこの国でも黒人は野蛮で性欲が強いとされていたんでしょう。

french-colonial-troops-ww2-rape-italian-women-german-women-Italian women rape French Moroccan colonial soldiers ww2.jpg

436ページ本書は様々な記録や証言などを繰り返し引用して結論付けているわけですが、
まぁ、読んでいてそれほど驚くような事実が出てきたということもありませんでした。
過去のパリ解放モノでもある程度は書かれていたと思いますし、
男からすれば、「若い兵士がヤリたい」という心理は以前から理解しています。
最後のレイプにしても、冤罪の可能性をメインに検証していますが、
実際にあったであろうレイプの実例についてはほとんどスルー・・。
女性の著者、訳者さんですから、知りたいことの感覚が違うようにも思いました。

Did Allied troops rape 285,000 German women.jpg

ちなみにコレを書いてる今、「戦場の性 ―独ソ戦下のドイツ兵と女性たち
という本が近々出るのを見つけました。
本書の巻末にも「監訳者解題」として、日本の従軍慰安婦制度に触れられていますが、
この連発は現在の従軍慰安婦問題に対して、当時の各国の状況を確認しようという
出版業界の意思の現れなのかも知れませんね。
ソ連兵、米兵ときて、今度はドイツ兵・・。そして著者はやっぱり女性のようです。
でも、また読んじゃうんだろうなぁ。。





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戦場の掟 [USA]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

スティーヴ・ファイナル著の「戦場の掟」を読破しました。

今年、「戦場の狙撃手」や、「世界反米ジョーク集」でイラク戦争に触れたこともあって、
2009年に出た360ページの本書を以前からチェックしていたことを思い出しました。
ワシントン・ポスト紙イラク特派員の記者による、ピューリッツァー賞受賞作で、
原題は"BIG BOY RULES"、「強者のルール」です。
「俺たちのことは俺たちが決める。誰にも支配されない」という暗黙のルールの元で活動する、
正規軍ではない、傭兵「民間警備会社」の実態を描いたノンフィクションです。

戦場の掟.jpg

著者がイラクで同行した傭兵は23歳の好青年、ジョン・コーテ。
第2次大戦では「ハスキー作戦」、「オーバーロード作戦」、「マーケット・ガーデン作戦」で
活躍した、このBlogでもお馴染み第82空挺師団出身で、2年前に軍曹として
2000ドルの月給だった彼は、ここでは准将に匹敵する7000ドルの高給取りです。
彼等、傭兵の制服は会社のロゴ入りポロシャツにチノパン、そして防弾ベスト。
イラク戦争初期から兵力が不足していた正規軍が遂行できない任務に就き、
色も形もさまざまなピックアップトラックに装甲を施して、車両縦隊で移動するのです。

Jon Coté devant un pickup du Crescent Security Group.jpg

政府が私兵を雇い、数百の軍事会社があっと言う間に誕生し、1000億ドル産業に・・。
膨大にいるコーテのような退役軍人の他、元警官、スリルを求める輩、愛国者に破産者、
金に目が眩んだ人間が、社員として雇われるのです。
装備はM-4カービンだけでなく、反政府軍が使っているAK47も携帯し、
対戦車兵器にPK機関銃も大量に保有しています。
この隣国クウェートに本拠を構えるクレセント・セキュリティ・グループという民間警備会社では、
比較的平穏な地域へ1チームを派遣するのに5000ドル、バグダッドなら13000ドル、
間違いなく攻撃を受けるファルージャのような街での警護なら、1日、35000ドルを請求。

チーム・リーダーはコーテよりも高い8000ドルの月給をもらいますが、
コスト削減ため、同じ仕事を1/10以下の600ドルでやるイラク人もチームに加えています。
そしてそんなイラク人はアバランチ後部に据え付けられたPK機関銃の担当であり、
体を曝け出したままハイウェイを何時間も疾走し、イラク人であることがバレないよう、
眼出し帽をかぶるという、最も危険な任務に就いているのです。

Crescent Security Group.jpg

米国主導の多国籍軍ですが、兵員の多いイタリア軍も徐々に撤退しつつあります。
自軍の将兵を危険にさらしたくない彼らは、密かに民間警備会社と契約し、
イラク国外に運び出す資材を積んだトレーラーを護衛させるのです。

そんなクレセント・チームのコンボイが30人以上の武装集団に襲われ、
コーテら5人が拉致されてしまいます。
数ヵ月後、AP通信社に届けられたテープには彼らの姿が・・。
「えー、米国と英国の刑務所から捕虜がすべて釈放されないと、俺は解放されません」
と、10歳くらい老けたように見えるコーテは語りかけるのです。

baghdad.jpg

民間警備会社のなかでもディスカウント・ショップのような位置づけのクレセント。
著者はその他の民間警備会社も取材し、英国のアーマーグループでは、
フォードF-350をアルマジロのような強力な装甲を施した「ロック」を導入。
道路脇の爆弾や徹甲弾にも耐えるこの装甲車は一台当たり、2000万円です。
2006年、この会社は、コンボイを1184回護衛し、450回の攻撃を受け、
社員を30人も失っています。
この数は連合国25か国のうち、米国、英国、イタリアに次ぐものなのです。

armor_group_rock_armoured_vehicle.jpg

米軍はイラクで相当数の自国兵士を訴追し、そのうち64人が殺人に関わっています。
しかし民間警備員に対しては1件の告訴もなく、これは傭兵をイラクの法制度から
免除していることや、軍法では裁けないことが理由なのです。
その結果、民間警備会社は独自のルール「戦場の掟」で行動することになるのでした。

そんな傭兵企業の代名詞と言われているのが「ブラックウォーター」です。
飛行機やヘリまで保有し、2007年末までにイラク戦争で10億ドルも稼いだ最大企業。
米大使や外交官といったすべての要人警護も彼らの専売特許です。

blackwater-guards.jpg

このブラックウォーターが有名になったのは2004年の事件です。
輸送警備員4名が待ち伏せ攻撃を受けて、暴徒によって警備員は射殺され、
死体は焼かれ、手足は斬られ、焼け焦げた死体がユーフラテス川の橋に吊るされて・・・。

2004_black water.jpg

「いかなる犠牲を払ってでも要人を守ること」というブラックウォーターのやり方は攻撃的で、
猛スピードで走る彼らの前で、ちょっとでもおかしい動きを見せた車両は、脅威とみなされ、
傭兵たちは容赦なく発砲します。
本書では65歳のタクシー運転手と乗客、道端にいた教師らが死んだ事件など、
いくつかを紹介し、イラク人を動物だと思っている彼等の行動が忌み嫌われ、
民間警備会社などというのは国民の知らないことから、米国人が憎悪の対象となるのです。
まるでドイツ国防軍とアインザッツグルッペンのような関係ですね。

Blackwater guards have been implicated in civilian deaths.jpg

一方、拉致されたクレセントの5名の行方はわからないまま・・。
米兵が拉致された場合、公式に大掛かりな捜索が行われ、数千人の兵士が動員されるものの、
政府はこと傭兵の場合には、拉致も死亡も勘定しません。
稼ぎ頭が行方不明となってクレセントからの月給も払われなくなった家族たち。。
政府に対して声を上げるしかありません。

その間にもブラックウォーター警備員の蛮行は続きます。
泥酔した挙句、イラク首相官邸近くで副大統領の警備員を射殺した傭兵は、
翌朝、「自衛のために応射した」と米陸軍の捜査官に告白。
激怒したイラク副大統領による容疑者引き渡し要求に対して、
コッソリ国外脱出させ、もみ消しを図るブラックウォーターと米大使館・・。
沖縄でよく耳するニュースと基本的には変わらない姿勢がここにはあります。

Contractors-from-Blackwat.jpg

ブラックウォーターの装甲車両4台と射手20名が乗ったコンボイがニスール広場に到着すると、
親子の乗った白いオペルに機関銃を発砲する射手。
混乱が始まり、一斉射撃をするブラックウォーターの射手たち。
17人のイラク市民が犠牲になりますが、ブラックウォーターは民間人に攻撃されたと主張。
米軍の調査結果は、「敵の活動はまったくなく、銃撃は犯罪行為である」と断定。

遂にイラク政府はブラックウォーターの活動禁止を宣言し、
創設者である38歳の元SEAL、エリック・プリンスが公聴会に呼ばれますが、
ブラックウォーターがいないと困るのは国務省であり、
イラク政府にも民間警備会社を裁く権利はないのです。

Erik Prince, Blackwater.jpg

2008年2月、ポリ袋に入った切断された指、5本が届けられます。
腐敗が進み、指紋がわかった3本はコーテらのものと判明・・。
FBIはこの報せをどのように家族に伝えるべきか苦慮します。
9割がたは人質が殺されたことの証拠ですが、遺体もなく、不明点が多い・・。
そして「思いやり」で情報を控えたFBIを尻目に、報道機関がリークしてしまいます。

難しい話ですねぇ。何か月も、何年も拉致された身内の安否を気遣ってきた家族に、
「お子さんの指を発見しました」って言うことが正しいのかどうか・・。
日本人は北朝鮮の拉致問題を自分ことのように感じているので、なおさらです。

blackwater_fallujah.jpg

やがてバスラ航空基地前に捨てられていた黒いポリ袋から、
彼らの遺体が次々と発見されます。
ひとりは重さ27キロ・・。目や唇はなくなり、胸と肋骨は押し潰され、
喉を深々と切られ、頭部は脊髄だけで繋がっている状態・・。
そして最後には頭のないジョン・コーテも・・。
葬儀場の責任者は遺族に宣言します。「誰が何と言おうと柩は開けません」。

一口に「民間警備会社」といっても、資本の大きいもの、そうでないものもあり、
本書では大きくその2つの会社が中心となっていますが、米国以外の会社にも取材をしています。
"BIG BOY RULES"は、各民間警備会社ごとに存在しますが、
現地のイラク人からしてみれば、それは大国アメリカのルールなのです。
しかし、一方的に傍若無人な民間警備会社と国務省を告発するだけでなく、
そこに参加し、悲惨な結末を迎えた若者の運命が並行して語られているのが本書の特徴です。

USS GEORGE H.W. BUSH.jpg

本書の出た2009年に就任したオバマによって、米軍は2011年12月には撤退したようですが
欧米の「民間警備会社」は、まだイラクで活動しているのかもしれません。
最近もイラク情勢が変わってきて、空母「ジョージ・H・W・ブッシュ」をペルシャ湾に展開、
少数の米軍事顧問をイラクに派遣・・、なんて話になってきましたからね。



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ゴースト・ソルジャーズ 第二次世界大戦最大の捕虜救出作戦 [USA]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ハンプトン・サイズ著の「ゴースト・ソルジャーズ」を読破しました。

もう4年ほど本棚に眠ったままだった本書を何気なく取り出してみました。
確か、神保町の古本まつりでやっぱり何気なく買った記憶がありますが、
2003年に発刊された411ページのナニが興味を引いたのか・・? 
と訳者あとがきを読んでみると、
米軍レンジャー部隊によるフィリピン・ルソン島の捕虜救出作戦を描いた一冊で、
なるほど、特殊部隊や特殊作戦というテーマに惹かれたんだと思います。
悪魔の旅団 -米軍特殊部隊・・」とかも好きですからねぇ。
しかし本書のメイン・テーマは、有名な「バターン 死の行進」。
「南京大虐殺」に並ぶ、日本軍の残酷物語とも云われています。
米国人の著者がどのように描いているのか、突然、楽しみになってきました。

ゴースト・ソルジャーズ.jpg

プロローグは1944年12月のフィリピン・パラワン島の捕虜収容所。
P-38戦闘機にB-24爆撃機による空襲が・・。
戦況の変化と米軍の侵攻の兆しは誰もが気づいています。
塹壕に避難していた150名の米軍捕虜に対して、航空燃料が浴びせかけられ、
日本兵が火の付いた松明を投げ込みます。
逃げる者はハチの巣にされますが、一矢報いたいとばかりに
火だるまのまま日本兵に抱きつく死の抱擁を見せる者も・・。

1944. General Douglas MacArthur's liberating forces landed on the Leyte shores,.jpg

このような状況下で「アイ・シャル・リターン」と語っていたマッカーサー率いる米軍は、
3年前にバターン半島とコレヒドール島陥落の際に日本軍に捕えられた捕虜たちが
カバナツアン収容所で飢えに苦しんでいるという情報を入手。
つい数ヵ月前にはオーストラリアの収容所で日本兵捕虜234名が集団自殺を図り、
生存者は「日本兵が捕虜になるという不名誉は、とても耐えられるものではない」と語ります。
そして捕虜に関する理念の違い・・。
このまま米軍が侵攻した場合、カバナツアン収容所の捕虜が皆殺しになるのではという懸念。
そこで特殊部隊の第6レンジャー大隊指揮官ミューシー中佐を中心に、
C中隊のプリンス大尉を突撃部隊指揮官に任命し、捕虜救出作戦が始まるのでした。

LTC Henry Mucci.jpg

第1章は3年前の「バターン陥落」へ。
日本軍の猛攻の前に、荒れ果てたジャングルへ追い詰められた米軍。
食事といえば猫、なめくじ、ネズミ、昆虫、大蛇、そして猿・・。
まぁ、何びとであっても飢餓に陥るとこういう物を食べるんですね。
マッカーサーは脱出し、陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルから
「降伏は断じて許されない」と釘を刺されていたエドワード・キング将軍も降伏を決断。
それにしてもマーシャル将軍厳しいなぁ・・。

King discusses surrender.jpg

しかし勝者である本間雅晴中将は第14軍としてはコレヒドール島を手に入れられなければ
マニラ湾は用をなさず、この"オタマジャクシ"の形をした難攻不落の要塞を
半島の南のバターンから砲撃するために、投降した米兵を移動させる必要があるのです。
・・・と、本文を要約して書いてみましたが、本書には地図も未掲載なので、
いろいろと調べました。コレヒドール島・・、もろオタマジャクシなんですね。。

Corregidor.jpg

米軍の捕虜は75マイル北にあるオードネル収容所に移送する計画が立てられ、
歩くスピードも一日平均10マイル以内、食糧と救護所も用意し、
病人は数百台の車両で輸送するという「人道的」なもの。
天皇陛下が捕虜を「不運な人々」と考え、「最大限の慈悲と優しさ」をもって接するよう
指示していたのを本間将軍自身も知っており、帝国陸軍の高潔な理念に従って扱うよう命じます。
しかしこの計画には致命的な欠陥が2つ。
1つ目はせいぜい2万5千程度と見ていた米兵が、実際には10万人に近く、
2つ目に彼らの健康状態を楽観視し、捕虜の飢えと病気の度合いは想像以上・・。

Masaharu Honma.jpg

そんな敵に優しすぎる本間将軍に陸軍参謀総長の杉山元将軍は良く思わず、
無能で決断力に欠けるとして、信頼する辻政信中佐に全権を委任して送り込みます。
彼が現れるところには必ず虐殺行為が起きるといわれている人物で、
勝手に「投降者は全員射殺すべし」との命令を発するのでした。

Masanobu Tsuji.jpg

こうして始まった「死の行進」。
4ヵ月近く戦ってきた敵と面と向かい合うと、復讐心が熱病の如く路上に蔓延し、
最後にはあっさりと降伏した米兵を憎み、勝者特有の軽蔑心に燃える日本兵の姿。
この状況では自分が全能の神であることを自覚する一部の警護兵は、
喉の渇きから列を飛び出し、泉に突っ込んだ捕虜の首を水平に切り落とすことも。。

bataan-death-march.jpg

普通の兵士なら1週間の道のりが、3週間以上かかってようやく完了。
本書では平均的な数字として、750名の米兵と5000名のフィリピン人が、
極度の疲労、病気、大量放置、あるいは純粋な殺人で命を落としたとしています。
また、バターンの砲撃地点に「捕虜の壁」を配置したにもかかわらず、
コレヒドール島からの味方の砲撃で死んだ捕虜も多かったそうです。

bataan_death_march.jpg

のちにアメリカのメディアが「バターン死の行進」の名付けたこの事件ですが、
決して意図されたものではなく、混乱と人種間の憎しみ、誤解、うだるような暑さ、
規律の乱れなど、さまざまな要素が混じり合った末の出来事と表現されています。
具体的には日本軍が兵站作業を見直さなかったのは、
計画に口を挟むことは命令を下した上官の知性を侮辱するものだ・・
という儒教文化に深く染まった日本軍の参謀や、
降伏に際して使えるトラックを破壊してしまった米兵の行為、
ガソリンに恵まれ車両に大きく依存していた米兵に対して、
長距離を早く、しかも休まずに歩くことに長けた日本兵についてこられるとの誤解など・・。

March_of_Death_from_Bataan_to_the_prison_camp_-_Dead_soldiers.jpg

収容所への道は続きます。
途中、サンフェルナンドからは100名単位で列車に押し込まれますが、
数時間後に扉が開いた時には12名の捕虜が死んでいます。
ここの映写はまるでアウシュヴィッツ行きのユダヤ人並みの悲惨さですね。
そしてようやく辿り着いたオードネル収容所の正面ゲートには
米兵が「赤く燃えるケツの穴」と呼ぶ、旭日旗がはためいています。

Rising_sun_flag.jpg

衛生状態は最悪、悪臭は破滅的で、2ヵ月間で1500名以上の米兵、
15000名のフィリピン人が墓標もない墓地に埋葬されるのでした。
日本軍はこの状況に別の収容所が必要と悟ります。
そしてかつては軍事施設だったカバナツアンを収容所とし、捕虜を移動。
フィリピン最大の捕虜収容所にして、外国最大の米兵捕虜収容所が誕生。

Camp O'Donnell.jpg

端折りましたが、本書の構成はこのような1942年~1944年の米兵捕虜の話と並行して、
1945年1月の収容所解放作戦に向かう、レンジャー部隊の章が交互に出てきます。
そして1944年10月になると、マッカーサーの復帰を間近に控え、
日本軍は兵が本国に戻る際に、労働力となる捕虜を一緒に連れて帰ることにし、
収容所の人口はピーク時の8000名から、徐々に2000名と削減され、
いま、最終便として病人を残して米兵捕虜1600名が日本へと輸送されます。
立派な日本客船「鴨緑丸」の船倉に押し込められてマニラから出港するも、
米海軍戦闘機と急降下爆撃機の攻撃を受けて沈没・・。

鴨緑丸.jpg

リンガエン湾の激しい砲撃音が耳に届くようになったころ、
カバナツアンの収容所所長は、警備兵とともに去っていきます。
日本軍用の貯蔵庫を略奪し、栄養も回復しつつある残された捕虜たち。
しかし収容所の外に一歩でも踏み出せば、日本兵に殺されるのでは?
という疑念がぬぐいきれません。
やがて日本軍の中継地点となって、捕虜の数よりも日本兵の方が多くなることも・・。

そして遂にプリンス大尉率いるレンジャー部隊が闇に乗じて収容所を襲撃。
大量の銃弾を浴びて上半身が「原子分解」する日本兵。
或いは腰から真っ二つになる歩哨。
動き出そうとしている日本軍のトラックや戦車もバズーカの餌食に・・。
過剰で猛烈な一方的銃撃が繰り広げられます。

Rangers of the U.S. Sixth Ranger Battalion participated during a raid on the Cabanatuan prison camp to release American and Filipino prisoners.jpg

こうして3年ぶりに味方の若く逞しい米兵の姿を見た捕虜たち。
「我々は米兵だ。あなたたちを連れ出しにやって来たんだ」
しかし、こんな状況で一悶着が始まります。
「いいや、米兵はそんな制服は着ていない」
「気にしないでください、自分はレンジャー隊員です」
「レンジャーってのは何だ?」
「いいから出ろ。つべこべ言うな!」

1945年2月、解放された捕虜たちは陸軍病院で静養し、マッカーサーも顔を見せます。
そして旧友のダクワース大佐を見つけると、「遅くなって本当にすまない」と涙を・・。

Cabanatuan Prison Camp Survivors.jpg

本書は2003年の発刊当時、トム・クルーズ主演、スピルバーグ監督で映画化!
と謳っていたようですが、結局のところ中止になっているようですね。
その代わり2005年、この作戦を描いた「THE GREAT RAID」という映画が製作されていました。
日本未公開でDVDも出ていませんが、スカパーで放映されたそうです。
「グレート・レイド 史上最大の作戦」というショボい邦題が泣けますねぇ・・。

THE GREAT RAID 2005.jpg

ちなみに映画ということだと、「バターンを奪回せよ」という映画もあります。
戦時中の1944年に製作され、主演は世界のタカ派俳優ジョン・ウェインです。

バターンを奪回せよ 1944.jpg

最後にエピローグとして、本書に登場した人物のその後が・・。
突撃部隊を率いたロバート・プリンス大尉は、すぐにルーズヴェルト大統領と面会。
日本軍ではカバナツアンとオードネル収容所の所長が戦争犯罪裁判で「重労働刑」に、
本間将軍はバターン死の行進を指揮したとして有罪を宣告されたものの、
命令はおろか、行進に気づいていたかさえ、検察側は証明できず・・。
本間の妻がGHQ司令官マッカーサーに特赦を求めますが、介入を断り、
1946年6月、銃殺刑に処せられるのでした。

CPT Robert Prince.jpg

また、虐殺行為に最も関与したとされる辻中佐はあらゆる戦争犯罪の追及を逃れ、
タイ、ビルマ、中国へと潜伏。1950年代に日本に姿を現すも、再び失踪・・。
この人は本書を読む前に知っていましたが、一体、なんなんでしょう?
あ~、「ガダルカナル」に出てたんだっけなぁ。

米国人の著者は執筆にあたって日本にも3ヵ月滞在し、
バターンで戦った元日本軍兵士などとも対面して、日本人の考え方など、
多くを学んでいるようです。確かに、理性的な書き方をしている印象です。
ちょうど公開中のトミー・リー・ジョーンズの「終戦のエンペラー」はどうでしょうね?

Emperor.jpg

いや~、しかしいくら客観的に読もうと思っても米軍vs日本軍は難しいですね。。
例えば、旭日旗のことを「赤く燃えるケツの穴」という記述がありましたが、
そこで「ナニをっ!」とイラっとするか、「まぁ、ヤンキーらしいな・・」と苦笑いするか・・。

いままで主役が米英軍で、ドイツ軍が悪役の本は何冊か読んできましたが、
ソコはさすがに日本人ですから・・。





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誰にも書けなかった戦争の現実 [USA]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ポール・ファッセル著の「誰にも書けなかった戦争の現実」を読破しました。

4年前にほとんど無意識で買っていた1997年発刊で485ページの本書。
自分でも「なんでこんなの買ったんだろ・・?」と目次をペラペラめくってみると、
第二次大戦時の英米軍の前線兵士の実態や、チョンボ集大成といった内容で、
改めて、「コリャ、面白そうだ」となりました。
まぁ、買ったときもまったく同じことを思ったんでしょうが・・。
著者は1944年のヨーロッパ戦線に従軍し、ブロンズスターを受勲するものの、
負傷して除隊・・という経歴の持ち主です。

誰にも書けなかった戦争の現実.jpg

「はじめに」では英米兵士の心理と感情を文化的側面から考察し、
異常に高まった欲求不満を解消するための手段も述べていることが書かれ、
18章から成る「目次」も、「味方を狙う兵士たち」、
「また誰かがドジを踏む」、
「学校で習った町々をぼくらは焼いた」、
「アルコールを浴び、性に飢える」、
「弾丸は睾丸にも当たる」など、興味深い章タイトルが列挙されていますが、
今回は本書全体から、特に印象に残ったエピソードを紹介しましょう。

Army troops on board a LCT.jpg

ナチス・ドイツとの「まやかし戦争」の真っ只中であった1940年4月、
イングランド東部の町にハインケル爆撃機が墜落して、ドイツ兵4名が死亡した事故。
女性たちがすすり泣くなか、ドイツ兵の死体は英空軍の制式軍葬の手順で葬られ、
勇敢なる敵に対し、「英空軍全兵士より」、「ある母親より、衷心よりの同情をこめて」
といった言葉と共に献花が添えられます。
この時点ではまだ第1次大戦の「レッド・バロン」リヒトホーフェンを埋葬したときと、
ほとんど変わらない雰囲気ですね。

この第2次大戦時の爆撃機による爆弾投下の精度の悪さを検証しながら、
1944年のノルマンディにおける「コブラ作戦」の援護爆撃によって、
味方の米軍に死傷者150名以上を出し、その翌日には再び米軍の頭上に爆弾が降り注ぎ、
マクネア中将を含む111名が死亡し、500名の負傷者が・・という有名な話を紹介します。

General McNair (left) and Maj. Gen. George S. Patton, Jr., Studying a Map.jpg

味方を殺すのはこのような作戦や通信の不備といった問題だけではなく、
兵士個人の恐怖心が主な原因にもなっています。
1943年のシチリア侵攻時の輸送機とグライダー23機が味方の対空砲によって
撃墜された件にも触れながら、カナダ軍爆撃機パイロットの証言も掲載します。
「素人同然の地上砲手たちはいつだって脅えてすぐ撃ってくる。
こちらが北から南へ800機もの編隊で飛んでいることなんかお構いなしにだ。
どんな馬鹿でも俺たちがドイツ軍でないことはわかりそうなものを・・」。

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識別ミスということでは兵士vs兵士のパターンもあります。
ノルマンディで戦ったカナダ人は「昔、米兵を殺っちまったことがある」と語ります。
「向こうが自分をドイツ兵だと勘違いして、どうしても殺そうとしていることが分かった。
本能的にこれは殺るしかないと思って撃った。殺るか殺られるかだった。馬鹿な奴だ」。

Normandy_Canadian Boys.jpg

またドイツ軍の拠点で捨てられていた軍服を見つけ、仲間に見せびらかせようと
そのドイツ軍の軍服を着込んでトーチカから出てきた英航空兵。
「不幸にも、彼の身振りは仲間に伝わらず、すぐに撃ち殺されてしまった」。

他にもパラシュートで落下してきた兵士が集まってきた人々に向かって外国語でまくしたてると、
それがドイツ語だと思った英国人たちは棒で叩き殺してしまいます。
しかし実はこの兵士は英空軍に所属するポーランド兵だったのでした。。

このような知られざるエピソード以外にも、1944年のノルマンディ上陸作戦の演習として実施され、
偶然に紛れ込んできたドイツ海軍のEボートの前に大混乱となった「タイガー演習」も紹介します。

Exercise Tiger_damage.jpg

兵士による「噂話」の類も実に豊富です。
ドイツ軍が流したにも関わらず、海外の英国兵に広く流布し、冷笑的に楽しまれた
「自分たちの妻や彼女が侵攻準備中の米兵に慰めを見出し、
夫の棒給があまりに低いので生活に困り、米兵相手の売春宿を始めた」というものや、
グレン・ミラーが死んだのは墜落ではなく、フランスの売春宿での喧嘩によるものだ」、
婦人部隊員たちが男たちをレイプして回るのがいくつかの基地では慣行になっている」、
北アフリカでは「ドイツ軍はサッカーボールを蹴っている人間は撃たない」というのは
まだホノボノしてますが、1944年になると
V-1ロケットを発射する度に爆風で死亡するドイツ兵が6人はいる」という
慰めの噂に変化します。

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そして1945年4月、パットンの司令部に「ドイツ軍が米軍の野戦病院を襲撃し、
患者に至るまで男は全員殺され、看護婦全員が強姦された」という報告が入ります。
しかし夜が明けてみると、死亡したのは将校1名と兵士2名と判明。
パットンは「夜の報告は真に受けてはならない。必ず拡張されている」と結論するのでした。
こういう「噂」が双方の怒りの捕虜虐殺に繋がっていくのは、容易に想像できますね。

軍隊用語もいろいろなバリエーションを詳しく紹介します。
特に「クソ(shit)」と、「ケツ(ass)」が含まれるものは無限に存在します。
牛肉の細切れのホワイトソースは「砂利のクソ和え」と呼ばれ、マスタードなら「赤ん坊のクソ」。
単に「移動せよ」は、「食堂へケツを運べ」ですし、「休むな」は、「ケツを動かし続けろ」、
「退去せよ」なら、「ここからケツをどけろ」、「勝手に休むな」は、
「愛と青春の旅立ち」でルイス・ゴセット・ジュニアがリチャード・ギアをシゴく時に
叫んでいたような、「誰がここにケツを置けと言った?」になるわけです。

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兵士への酒の配給も細かく書かれていますが、アルコール欲しさのあまり、
捕獲したV-1ロケットから燃料のメチルアルコールを取り出して飲み、
死んだ米兵が何人もいた・・という話は、日本やソ連軍でも起こっていますね。
そして大陸侵攻が近づくと、セックスが顕在化してきます。
ロンドンにはあらゆる年齢の売春婦が溢れて、兵士を公園に連れ込んだり、
ピカデリーの路上の暗がりで「壁立ち」や、「中腰」に応じるのでした。

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弟が戦死したり、当番兵が砲弾に当たって死んだりすれば、
両親やその家族、妻に手紙を書かなけばなりません。
ドイツ兵なら「総統のために・・」とか、「ボルシェヴィキと戦って・・」と書くことが出来ますし、
日本兵も「天皇陛下のために名誉の戦死を遂げた。家の誉れである」と書けばよかったものの、
米兵の場合にはそのようなイデオロギー面の問題があります。
「我々はどう言えば良いのか? 自由のためとでも言うのか?」。

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士気を高めるための命名や言い換えというのは、ほとんど必然のようでもあります。
ドイツ軍が戦車に獰猛さを感じさせるパンターやティーガーと名付けたのに対し、
中世の騎士道精神や防衛を主たる任務とすることを匂わせた米軍の傑作は、
B-17爆撃機「空の要塞」であり、英軍戦車も「クルセイダー(十字軍)」と
志の高い方へ向かうことがあると推察します。
ハンブルクが爆撃の被害を受けると英国の新聞の見出しでは
「ハンブルク、ハンバーガーに!」という洒落をお披露目するまでに・・。

hamburg hamburger.jpg

連合軍が士気にこだわった理由としては、その脱走率の高さを挙げ、
イタリア戦線だけで12000名が脱走し、そのうち2000名が英国兵。
米軍で確定している脱走兵19000名のうち、1948年までに発見されたのは、わずか9000名。

そんな戦時中にも映画が作られ、1943年にはハンフリー・ボガートの
「サハラ戦車隊」などが製作されます。
もちろんコレは政府による介入もあり、軍も使用する軍艦や戦車を使わせるために
予め脚本をチェックさせなければ協力しないと言って、内容を書き直させ、
立派な、勇気ある行動と成功といった作品にすることが出来ますが、
このようなことは戦中戦後だけではなく、1969年になっても「レマゲン鉄橋」で
ある部分をカットしなければ撮影に協力しないと言い出します。それは、
「ひとりのGIがドイツ兵の死体から双眼鏡と腕時計を外す」場面です。

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待機する兵士向けに胸ポケットに入る小さいペーパーバックの本が流行します。
軍の評議会によって決定された発行品目を見ると、
もちろん士気に影響を与える恐れがある本はNGです。例えば、
「西部戦線異状なし」、ヘミングウェイの「武器よさらば」など第1次大戦の幻滅を描いたもの、
両手足を失った兵士の苦悩を描く「ジョニーは戦場へ行った」に至っては問題外です。。
まぁ、ヴィトゲンシュタインが子供の頃にTVで偶然見てしまった「ジョニーは・・」は、
いまだにトラウマになっているくらいですからねぇ・・。
でも原作は一度、チャレンジしてみますか。。

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そしてそんな手足がバラバラになった米兵の写真などというものは公式には存在しません。
しかし兵士たちは宣伝とは逆に、いざと言う時に頼りになる武器や装備が
ドイツ軍より劣っていることを知っており、性能の良いドイツ軍の軽量の機関銃、
ドイツ軍の戦車とモロに遭遇してしまったら、とても勝ち目がないこと、
この戦争の最大の武器といえば、ドイツ軍の88㎜砲であり、
世界最大の工業国を自任する米国に、これらの兵器がないことも知っています。

88pak.jpg

そのため、最前線では歩兵が腰に括り付けて運んでいた地雷に銃弾が当たり、
爆発によってその兵士の身体は頭と胸と下半身の3つに千切れ、
内臓が地面に四散するという現実が見過ごされがちなのです。
マーケット・ガーデン作戦に参加したパラシュート兵も、隣で降下している兵の腹から
腸が飛び出してブラブラ揺れている姿を目撃し、
ドイツ兵も「ディエップ奇襲」のとき、浜辺に打ち上げられたカナダ兵の
首のない胴体、腕、脚が散乱している光景を語ります。

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ある師団では1/4の兵士が「恐怖心から嘔吐、あるいは便意をもよおしたことがある」と答え、
失禁の経験者が1割ということです。
そして「男らしさ」や「ガッツ」という概念からは、吐くのは許容できても、
失禁・脱糞となると、そうは大目に見られません。
この子供ような形で「恐怖心」を人前に曝け出してしまうことへの「恐怖心」は、
階級が上に上がるほど強くなり、砲撃を受けている最中に大佐が失禁するのは、
上等兵が失禁するより、遥かに大きな失態となるわけです。

The battered body of a dead American soldier.jpg

やがて恐怖心が狂気へと変わっていく将兵も紹介されますが、
「米国人がこの戦争でしたことのなかで最も胸が悪くなるもの」として紹介される例は、
沖縄戦での若い海兵隊将校の行動です。それは、
「死んだ日本兵にまたがり、死体の口めがけて放尿したのである」。

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思っていたより遥かに面白い1冊でした。
今回は端折りましたが、米国兵と英国兵との考え方や「Fuckワード」の使い方の違い、
比較対象となるドイツ兵以外にも、日本兵と太平洋戦争なども紹介し、
幅広く前線の兵士たちの苦悩を知ることが出来ました。
そろそろ、アントニー・ビーヴァーの「ノルマンディー上陸作戦1944」でもいきますかねぇ。



















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将軍たちの戦い -連合国首脳の対立- [USA]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

デイヴィッド・アーヴィング著の「将軍たちの戦い」を読破しました。

著名な歴史家として知られますが、近年はすっかりその評判を落としているアーヴィングの1冊です。
「独破戦線」では翻訳されている2冊、「狐の足跡」、「ヒトラーの戦争」とも紹介済みですが、
残った3冊目は副題からもわかるとおり、連合軍モノとなっています。
1986年発刊でハードカバー上下2段組の421ページの表紙も
アイゼンハワーにモントゴメリーとくれば、ギスギス感満載なのが想像できますね。
「ヒトラーの戦争」はともかく、本書については悪い評判は聞いたことがありませんので、
数日間は米英仏ソの陰険な対立を、苦笑いしながら楽しむことになりそうです。。

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1944年1月、孤独だった英国本土に続々と上陸するかつての英植民地の若い兵士の軍団。
英国人は米軍の到来を喜ぶものの、この血の繋がった2つの国民の間には、
国民性の違いと18世紀の怒りがまだ残っていて、常にためらいの感情が存在します。
アイゼンハワーが到着した時にはすでに87万もの米兵が・・。
ロンドンでは米兵が群れ、英国人と違いチップをはずむ「ヤンキー」に対する苦情も聞かれます。

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マッカーサーの右腕として9年を過ごした後、好きになれなかったこの将軍から別れて
ワシントンへ呼び戻されたアイゼンハワー大佐。
米国陸軍参謀総長マーシャルに抜擢されてヨーロッパへと渡り、北アフリカで司令官に。
しかしシチリアでは見事な後退を指揮している「ナチの司令官」フーベではなく、
英軍のモントゴメリーを敵とみなしているパットンが、「アイクの英国贔屓は酷過ぎる」とぼやきます。

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1944年の5月に予定されている「オーヴァーロード作戦」。
果たして司令官は誰になるのか?
スターリンも気にするこの司令官は英参謀総長のアラン・ブルックが候補に挙がりますが、
英軍の3倍の兵員になるであろう米国からが適任とされ、米参謀総長マーシャルという案も、
ルーズヴェルト大統領でさえ畏怖し、「君をジョージと呼びたい」と言われても断るという、
鉄のような自己規律と超然さを持つこの軍人には、最高司令官という地位さえ「小さすぎる」
と見られたことから、結果的にアイゼンハワーが任命されることに・・。

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連合国遠征軍最高司令部(SHAEF)の長となったアイゼンハワー。
最も重要なスタッフのひとりは彼の参謀長でマネージャー役のベデル・スミス
そして2年前から彼につく34歳の英国人女性の運転手兼ホステスのケイ・サマーズビー
本書は彼女の日記を大量に活用して進むところがポイントですね。

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モントゴメリーだけではなく、大の英国人嫌いのパットンも意気揚々と到着しますが、
ビンタ事件」の影響もあって、侵攻作戦の指揮は取らせてもらえず・・。
戦略爆撃戦争の大物たちも次々と登場し、英空軍のアーサー・ハリス
「自分の重爆撃機部隊でヒトラー帝国を粉砕し、勝利をもたらす」と約束し、
チャーチルの支持を得る一方、米側の爆撃機部隊責任者スパーツも同様な考え方です。
しかし、最高司令官のもと、海軍司令官にはラムジー提督が、地上軍部隊の指揮は
当初、モントゴメリーが任命されたように、空軍の司令官も任命することに・・。

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英国の押す、リー=マロリーは戦闘機部隊しか指揮したことがないことから、
爆撃信奉者のハリスとスパーツは頑なに拒否。
それでも地中海の連合国空軍を指揮していたテッダー空軍大将が、陸海空の各司令官の
上位者であるアイゼンハワーの副司令官という立場のため、なんとかなるものの、
英空軍内ではテッダー派とリー=マロリー派という問題も起こります。
このあたりは初めて知りましたが、英米の摩擦ではなく、戦闘機vs爆撃機の争いで
なかなかグチャグチャしてて面白いですね。ドイツ空軍も仲悪いですが・・。

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「最高司令官、つまりチームの主将はアイゼンハワー将軍である」と宣言し、
オーヴァーロード作戦の詳細を会議で説明するモントゴメリー。
西方のB軍集団司令官となったロンメルが大西洋防壁を強化していることに触れ、
「彼は果敢な司令官であり、機甲部隊を投入するのが好きである。
しかし、機甲部隊はルントシュテットの指揮下にあるから時間がかかる可能性もある」

その後、チャーチルや「英国王のスピーチ」こと、ジョージ6世までも出席した5月の最終点検でも、
「精力的で断固としたロンメルが指揮をしてから状況はすっかり変わった。
衝動的で牽制攻撃の名手である彼は、わが方の戦車の陸揚げを阻止することに
全力を尽くして、ダンケルクの二の舞を狙うだろう」と、この恐るべき敵対者に
感嘆の言葉を惜しまないモントゴメリー・・。

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いよいよノルマンディへ・・となって登場するのは、
その国の新たな大統領の地位を目論むドゴール将軍です。
1940年の屈辱的な敗北をルーズヴェルトの支持不足のせいにし、反米的な顧問に囲まれ、
「基本的に英国は、ドイツと同じくフランス代々の敵であり、戦争に勝つソ連におもねり、
ソ連とアングロ・サクソンの衝突から得られるものだけを得るようにすべき」
と考えている抜け目のない男・・。
ルーズヴェルトもチャーチルも尊大に要求を突き付けてくるドゴールにうんざりです。
また、アイゼンハワーにとってもフランス国民に対する呼びかけやレジスタンス活動に
ドゴールの存在は無視できません。

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上陸作戦の様子は「戦記」と言っても良いくらい詳しく書かれていました。
オマハ・ビーチでの死闘も米独双方の様子が語られ、
ヒトラーの報復兵器であり、英国人が「スポーツマン的ではない」と恐れた
空飛ぶ爆弾「V1」がロンドンを襲いだすと、アイゼンハワーとSHAEFのスタッフも
一日に25回もの警報に苛立ちと疲れを隠せません。
パットンも配下の大佐を含む、200名の将兵が礼拝中にV1で殺されると、
「戦場以外で殺されるのはゴメン」と、帰国を言い出します。

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なかなか進まないモントゴメリーの攻撃。。ドイツ戦車300両を破壊したと主張するものの、
実際はティーガーとパンターにはシャーマン戦車は歯が立たず、
そのような前線からの記事はモントゴメリーによってカットされていることを
アイゼンハワーは知り、調査を命じます。

Panther der 12. SS-Panzer-Division.jpg

ドイツ軍が頑強に守るカーン市に重爆460機で爆弾の雨を降り注いでから前進・・。
艦砲射撃も加わって徹底的に叩きのめしますが、それでも陣地から這い出し、
対戦車砲を立て直しては、英軍戦車186両を撃破するドイツ軍。
この陸海空からの攻撃に信じられないような大損害を出しながらも
鬼神のように奮戦する若者たちの様子には、読んでいて思わず応援してしまいました。。

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そして「予定通り・・」、「作戦通り・・」と言い続けていたモントゴメリーのグッドウッド作戦は
中止に追い込まれ、それを聞いた米軍司令官ブラッドレー
「われわれはニヤリと笑って我慢しなければならない」。
読んでるコッチも思わずニヤリ・・。
いや~、「 ヒットラー・ユーゲント―SS第12戦車師団史」が再読したくなってきました。

der 12.SS Panzerdivision Hitlerjugend.jpg

このようにしてドイツ軍から「解放」されたノルマンディの町。
無傷の家はなく、住民がほとんど逃げ出した奇妙な「解放」・・。
アラン・ブルックは、この国の作物は良好で、肥えた馬や鶏がいることに驚き、
「彼らはいままでも満足していたのであり、我々が荒廃をもたらしたのだ」と記します。
しかしアイゼンハワーは良心の呵責を感じず、すべては敵のせいに・・。
さらにはドイツ軍の品行方正を口にするフランス人女性を強姦する米兵も出現・・。

そういえば「恐るべき敵対者」だったハズのロンメルは、モントゴメリーと連合軍相手ではなく、
上陸作戦の日にちとカブってしまった、愛する奥さんの誕生日の前に屈するわけですが、
もし奥さんが12月生まれなんかだったら、少しは歴史が変わっていたんでしょうか・・?

A British soldier in Caen after its liberation, gives a helping hand to an old lady amongst the scene of utter devastation.jpg

ブラッドレーが指揮する米軍の巨大な第12軍集団ですが、
相変わらず彼に命令するのは英軍第21軍集団を率いる地上軍司令官、モントゴメリー。
米軍将兵だけでなく、米国民にもコレが面白くありません。
そこで9月からは両軍集団ともにアイゼンハワーが最高指揮権を取ると発表。
ここからはこの地上軍の指揮と作戦を巡る、アイゼンハワーvsモントゴメリーの戦いが
中心なっていきます。
ファレーズ包囲パリ解放と続き、モントゴメリーが元帥に昇進すると
アイゼンハワー大将指揮下の将軍たちはビックリ・・。
米陸軍には「元帥」という階級は存在しないのでした。。

Paris1944.jpg

アントワープはモントゴメリーが掃討するのを怠ったためにドイツ第15軍が強力な陣地を築き、
物資の陸揚げが遅れてガソリン不足も始まります。
そしてブレストでは「最も頑強なナチ落下傘部隊司令官、ヘルマン・ラムケ」が
トート機関の技師や労働者を含む4万の兵力で何週間もの爆撃に耐えています。
このラムケは落下傘事故で歯を失ったため「鋼鉄の歯を持つ男」などと書かれていますが、
007の「ジョーズ」みたいな感じなんでしょうかねぇ?

Hermann Ramcke.jpg

慎重なモントゴメリーによる冒険的な作戦、「マーケット・ガーデン」に
これまた慎重なアイゼンハワーがめずらしく承認を与えるも、作戦はあえなく失敗。
アーネムで捕虜になったのが英軍の空挺部隊だったことに米将官は喜び、
「傲慢な英軍司令官が当然の報いを受けたのだ」

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やがて秋が訪れ、1941年にモスクワ前面でヒトラーに起こったことが
アイゼンハワーにも起こる可能性が出てきます。問題は「補給の停滞」。
そしてドイツ装甲軍による起死回生の反撃が起こり、「バルジの戦い」へ・・。
ここではモントゴメリーとの釣り合いを取るために元帥に昇進した
アイゼンハワー暗殺の任務を帯び、スコルツェニーと60人のドイツ兵がパリに向かった・・
という情報が伝わったとしています。

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ちなみに英軍での元帥は「マーシャル」ですが、
米軍では「ジェネラル・オブ・ザ・アーミー」という階級名にあえてしたことについて、
参謀総長のマーシャル大将をまず元帥にすると「マーシャル・マーシャル」になってしまう・・、
なんて話をどこかで聞いたことがあります。。。
まぁ、どこまでホントかわかりませんが・・。

George Marshall_Dwight Eisenhower.jpg

そして「バルジの戦い」で結果的にブラッドレーを救ったモントゴメリーが
調子に乗り始めて、さらに尊大な要求を出し始めると、
アイゼンハワーはモントゴメリーの解任も検討。
最終的には合同参謀本部のマーシャルが首を突っ込むわけですが、
アイゼンハワー、モントゴメリー共に、参謀総長や参謀総長会議という、
上級者と上級機関の存在も大きく、彼らの方針も両国の対立の源でもあるようです。

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1945年3月、遂にドイツ本土へと侵攻した連合軍。
モントゴメリーは自分の軍集団が主導権を握って一刻も早くベルリンを落とすことを主張しますが、
アイゼンハワーはスターリンに「ベルリンは目標ではなくなった」というメッセージを送り、
チャーチルを筆頭とした英国の戦争内閣に「V2」が落下したような衝撃を与え、
ブルックは「彼にスターリンと直接話す権限などない」と息巻きます。
モントゴメリーにしても、英連邦軍だけでは戦力が足りず、米2個軍の助けが必要・・。

Alan Brooke.jpg

彼ら英側の考えをまとめると、兵力の少ない英軍が極力、損害を被らないようにしつつ、
戦後を見据えてソ連の手に渡る前に、英軍司令官によって、首都ベルリンを奪取したい・・
というかなり我がままな戦略に思えましたが、
ベルリン戦で想定される米兵10万人の損害はアイゼンハワーには容認できず、
「戦術的価値も戦略的価値もなく、何千人ものドイツ人や連合軍捕虜などの 面倒を見ることになる」と
パットンにも語るのでした。

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最後は戦後の彼らの戦いの様子、暴露合戦というか、証拠隠滅というか・・。
面白かったのは、ユーゴスラヴィアのチトーが北イタリアを要求して
問題を起こしているということで、パットンに「そっちに行って、サーベルをガチャつかせろ」。
するとチトーはあっさりと思いとどまって・・という一件です。

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物凄いボリュームの本書でしたが、良い意味でも悪い意味でもアイゼンハワーが主役でした。
ですが、モントゴメリーにパットン、ブラッドレー、その他、大勢の将軍たちの誰かを
贔屓しているわけでもなく、容赦なく、赤裸々に綴っています。
確かにアイゼンハワーが勝利に向けて何をしたのか・・、
「オーヴァーロード作戦」にしても決まっていたわけで、決行日を決めただけ・・。
フランス市民の爆殺も仕方なし、あとはアッチだ、コッチだと戦力をチョコチョコ動かし、
冒険的な「マーケット・ガーデン作戦」を承認し、最終的にはベルリンも捨てる・・。

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後半は著者アーヴィングは米国人だったっけ?英国人だったっけ?と
思い出せないままに読み進めていましたが、
戦後のヨーロッパをソ連の手に渡したくないとする英国の考え方を理解しない米国・・
という図式は、やや英国寄りに感じましたし、
アイゼンハワーについては「やっちまった男・・」と考えている印象を持ちました。

Dwight_D_Eisenhower.jpg

ただ、本書と離れて考えてみると、ここ20年ほどでも米国は
自分たちの国から遠く離れた大陸の国に自分たちの都合で軍事介入し、
その政府をメチャクチャにしては、勝手に勝利宣言と自国兵士の損害を理由にテキトーに撤退・・。
内紛の続く当該国や、その近隣諸国については、あとは自分たちで頑張ってね・・という態度です。
そのような意味では、この当時から、その体質は変わっていないようにも思いました。

また1945年2月の「ドレスデン爆撃」については触れられず・・でした。
最高司令部とアイゼンハワーの関与も知りたかったのにちょっと残念・・。
ただ、アーヴィングはこの「ドレスデン爆撃」で作家デビューしているようなので、
そっちに詳しいのかも知れませんが、いまさら彼の翻訳本が出るとも思えないですねぇ。。

半年前に出たアントニー・ビーヴァーの上下巻の大作、「ノルマンディー上陸作戦1944」も
いよいよ読みたくなってきましたね。





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