戦場の掟 [USA]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
スティーヴ・ファイナル著の「戦場の掟」を読破しました。
今年、「戦場の狙撃手」や、「世界反米ジョーク集」でイラク戦争に触れたこともあって、
2009年に出た360ページの本書を以前からチェックしていたことを思い出しました。
ワシントン・ポスト紙イラク特派員の記者による、ピューリッツァー賞受賞作で、
原題は"BIG BOY RULES"、「強者のルール」です。
「俺たちのことは俺たちが決める。誰にも支配されない」という暗黙のルールの元で活動する、
正規軍ではない、傭兵「民間警備会社」の実態を描いたノンフィクションです。

著者がイラクで同行した傭兵は23歳の好青年、ジョン・コーテ。
第2次大戦では「ハスキー作戦」、「オーバーロード作戦」、「マーケット・ガーデン作戦」で
活躍した、このBlogでもお馴染み第82空挺師団出身で、2年前に軍曹として
2000ドルの月給だった彼は、ここでは准将に匹敵する7000ドルの高給取りです。
彼等、傭兵の制服は会社のロゴ入りポロシャツにチノパン、そして防弾ベスト。
イラク戦争初期から兵力が不足していた正規軍が遂行できない任務に就き、
色も形もさまざまなピックアップトラックに装甲を施して、車両縦隊で移動するのです。

政府が私兵を雇い、数百の軍事会社があっと言う間に誕生し、1000億ドル産業に・・。
膨大にいるコーテのような退役軍人の他、元警官、スリルを求める輩、愛国者に破産者、
金に目が眩んだ人間が、社員として雇われるのです。
装備はM-4カービンだけでなく、反政府軍が使っているAK47も携帯し、
対戦車兵器にPK機関銃も大量に保有しています。
この隣国クウェートに本拠を構えるクレセント・セキュリティ・グループという民間警備会社では、
比較的平穏な地域へ1チームを派遣するのに5000ドル、バグダッドなら13000ドル、
間違いなく攻撃を受けるファルージャのような街での警護なら、1日、35000ドルを請求。
チーム・リーダーはコーテよりも高い8000ドルの月給をもらいますが、
コスト削減ため、同じ仕事を1/10以下の600ドルでやるイラク人もチームに加えています。
そしてそんなイラク人はアバランチ後部に据え付けられたPK機関銃の担当であり、
体を曝け出したままハイウェイを何時間も疾走し、イラク人であることがバレないよう、
眼出し帽をかぶるという、最も危険な任務に就いているのです。

米国主導の多国籍軍ですが、兵員の多いイタリア軍も徐々に撤退しつつあります。
自軍の将兵を危険にさらしたくない彼らは、密かに民間警備会社と契約し、
イラク国外に運び出す資材を積んだトレーラーを護衛させるのです。
そんなクレセント・チームのコンボイが30人以上の武装集団に襲われ、
コーテら5人が拉致されてしまいます。
数ヵ月後、AP通信社に届けられたテープには彼らの姿が・・。
「えー、米国と英国の刑務所から捕虜がすべて釈放されないと、俺は解放されません」
と、10歳くらい老けたように見えるコーテは語りかけるのです。

民間警備会社のなかでもディスカウント・ショップのような位置づけのクレセント。
著者はその他の民間警備会社も取材し、英国のアーマーグループでは、
フォードF-350をアルマジロのような強力な装甲を施した「ロック」を導入。
道路脇の爆弾や徹甲弾にも耐えるこの装甲車は一台当たり、2000万円です。
2006年、この会社は、コンボイを1184回護衛し、450回の攻撃を受け、
社員を30人も失っています。
この数は連合国25か国のうち、米国、英国、イタリアに次ぐものなのです。

米軍はイラクで相当数の自国兵士を訴追し、そのうち64人が殺人に関わっています。
しかし民間警備員に対しては1件の告訴もなく、これは傭兵をイラクの法制度から
免除していることや、軍法では裁けないことが理由なのです。
その結果、民間警備会社は独自のルール「戦場の掟」で行動することになるのでした。
そんな傭兵企業の代名詞と言われているのが「ブラックウォーター」です。
飛行機やヘリまで保有し、2007年末までにイラク戦争で10億ドルも稼いだ最大企業。
米大使や外交官といったすべての要人警護も彼らの専売特許です。

このブラックウォーターが有名になったのは2004年の事件です。
輸送警備員4名が待ち伏せ攻撃を受けて、暴徒によって警備員は射殺され、
死体は焼かれ、手足は斬られ、焼け焦げた死体がユーフラテス川の橋に吊るされて・・・。

「いかなる犠牲を払ってでも要人を守ること」というブラックウォーターのやり方は攻撃的で、
猛スピードで走る彼らの前で、ちょっとでもおかしい動きを見せた車両は、脅威とみなされ、
傭兵たちは容赦なく発砲します。
本書では65歳のタクシー運転手と乗客、道端にいた教師らが死んだ事件など、
いくつかを紹介し、イラク人を動物だと思っている彼等の行動が忌み嫌われ、
民間警備会社などというのは国民の知らないことから、米国人が憎悪の対象となるのです。
まるでドイツ国防軍とアインザッツグルッペンのような関係ですね。

一方、拉致されたクレセントの5名の行方はわからないまま・・。
米兵が拉致された場合、公式に大掛かりな捜索が行われ、数千人の兵士が動員されるものの、
政府はこと傭兵の場合には、拉致も死亡も勘定しません。
稼ぎ頭が行方不明となってクレセントからの月給も払われなくなった家族たち。。
政府に対して声を上げるしかありません。
その間にもブラックウォーター警備員の蛮行は続きます。
泥酔した挙句、イラク首相官邸近くで副大統領の警備員を射殺した傭兵は、
翌朝、「自衛のために応射した」と米陸軍の捜査官に告白。
激怒したイラク副大統領による容疑者引き渡し要求に対して、
コッソリ国外脱出させ、もみ消しを図るブラックウォーターと米大使館・・。
沖縄でよく耳するニュースと基本的には変わらない姿勢がここにはあります。

ブラックウォーターの装甲車両4台と射手20名が乗ったコンボイがニスール広場に到着すると、
親子の乗った白いオペルに機関銃を発砲する射手。
混乱が始まり、一斉射撃をするブラックウォーターの射手たち。
17人のイラク市民が犠牲になりますが、ブラックウォーターは民間人に攻撃されたと主張。
米軍の調査結果は、「敵の活動はまったくなく、銃撃は犯罪行為である」と断定。
遂にイラク政府はブラックウォーターの活動禁止を宣言し、
創設者である38歳の元SEAL、エリック・プリンスが公聴会に呼ばれますが、
ブラックウォーターがいないと困るのは国務省であり、
イラク政府にも民間警備会社を裁く権利はないのです。

2008年2月、ポリ袋に入った切断された指、5本が届けられます。
腐敗が進み、指紋がわかった3本はコーテらのものと判明・・。
FBIはこの報せをどのように家族に伝えるべきか苦慮します。
9割がたは人質が殺されたことの証拠ですが、遺体もなく、不明点が多い・・。
そして「思いやり」で情報を控えたFBIを尻目に、報道機関がリークしてしまいます。
難しい話ですねぇ。何か月も、何年も拉致された身内の安否を気遣ってきた家族に、
「お子さんの指を発見しました」って言うことが正しいのかどうか・・。
日本人は北朝鮮の拉致問題を自分ことのように感じているので、なおさらです。

やがてバスラ航空基地前に捨てられていた黒いポリ袋から、
彼らの遺体が次々と発見されます。
ひとりは重さ27キロ・・。目や唇はなくなり、胸と肋骨は押し潰され、
喉を深々と切られ、頭部は脊髄だけで繋がっている状態・・。
そして最後には頭のないジョン・コーテも・・。
葬儀場の責任者は遺族に宣言します。「誰が何と言おうと柩は開けません」。
一口に「民間警備会社」といっても、資本の大きいもの、そうでないものもあり、
本書では大きくその2つの会社が中心となっていますが、米国以外の会社にも取材をしています。
"BIG BOY RULES"は、各民間警備会社ごとに存在しますが、
現地のイラク人からしてみれば、それは大国アメリカのルールなのです。
しかし、一方的に傍若無人な民間警備会社と国務省を告発するだけでなく、
そこに参加し、悲惨な結末を迎えた若者の運命が並行して語られているのが本書の特徴です。

本書の出た2009年に就任したオバマによって、米軍は2011年12月には撤退したようですが
欧米の「民間警備会社」は、まだイラクで活動しているのかもしれません。
最近もイラク情勢が変わってきて、空母「ジョージ・H・W・ブッシュ」をペルシャ湾に展開、
少数の米軍事顧問をイラクに派遣・・、なんて話になってきましたからね。
スティーヴ・ファイナル著の「戦場の掟」を読破しました。
今年、「戦場の狙撃手」や、「世界反米ジョーク集」でイラク戦争に触れたこともあって、
2009年に出た360ページの本書を以前からチェックしていたことを思い出しました。
ワシントン・ポスト紙イラク特派員の記者による、ピューリッツァー賞受賞作で、
原題は"BIG BOY RULES"、「強者のルール」です。
「俺たちのことは俺たちが決める。誰にも支配されない」という暗黙のルールの元で活動する、
正規軍ではない、傭兵「民間警備会社」の実態を描いたノンフィクションです。

著者がイラクで同行した傭兵は23歳の好青年、ジョン・コーテ。
第2次大戦では「ハスキー作戦」、「オーバーロード作戦」、「マーケット・ガーデン作戦」で
活躍した、このBlogでもお馴染み第82空挺師団出身で、2年前に軍曹として
2000ドルの月給だった彼は、ここでは准将に匹敵する7000ドルの高給取りです。
彼等、傭兵の制服は会社のロゴ入りポロシャツにチノパン、そして防弾ベスト。
イラク戦争初期から兵力が不足していた正規軍が遂行できない任務に就き、
色も形もさまざまなピックアップトラックに装甲を施して、車両縦隊で移動するのです。

政府が私兵を雇い、数百の軍事会社があっと言う間に誕生し、1000億ドル産業に・・。
膨大にいるコーテのような退役軍人の他、元警官、スリルを求める輩、愛国者に破産者、
金に目が眩んだ人間が、社員として雇われるのです。
装備はM-4カービンだけでなく、反政府軍が使っているAK47も携帯し、
対戦車兵器にPK機関銃も大量に保有しています。
この隣国クウェートに本拠を構えるクレセント・セキュリティ・グループという民間警備会社では、
比較的平穏な地域へ1チームを派遣するのに5000ドル、バグダッドなら13000ドル、
間違いなく攻撃を受けるファルージャのような街での警護なら、1日、35000ドルを請求。
チーム・リーダーはコーテよりも高い8000ドルの月給をもらいますが、
コスト削減ため、同じ仕事を1/10以下の600ドルでやるイラク人もチームに加えています。
そしてそんなイラク人はアバランチ後部に据え付けられたPK機関銃の担当であり、
体を曝け出したままハイウェイを何時間も疾走し、イラク人であることがバレないよう、
眼出し帽をかぶるという、最も危険な任務に就いているのです。

米国主導の多国籍軍ですが、兵員の多いイタリア軍も徐々に撤退しつつあります。
自軍の将兵を危険にさらしたくない彼らは、密かに民間警備会社と契約し、
イラク国外に運び出す資材を積んだトレーラーを護衛させるのです。
そんなクレセント・チームのコンボイが30人以上の武装集団に襲われ、
コーテら5人が拉致されてしまいます。
数ヵ月後、AP通信社に届けられたテープには彼らの姿が・・。
「えー、米国と英国の刑務所から捕虜がすべて釈放されないと、俺は解放されません」
と、10歳くらい老けたように見えるコーテは語りかけるのです。

民間警備会社のなかでもディスカウント・ショップのような位置づけのクレセント。
著者はその他の民間警備会社も取材し、英国のアーマーグループでは、
フォードF-350をアルマジロのような強力な装甲を施した「ロック」を導入。
道路脇の爆弾や徹甲弾にも耐えるこの装甲車は一台当たり、2000万円です。
2006年、この会社は、コンボイを1184回護衛し、450回の攻撃を受け、
社員を30人も失っています。
この数は連合国25か国のうち、米国、英国、イタリアに次ぐものなのです。

米軍はイラクで相当数の自国兵士を訴追し、そのうち64人が殺人に関わっています。
しかし民間警備員に対しては1件の告訴もなく、これは傭兵をイラクの法制度から
免除していることや、軍法では裁けないことが理由なのです。
その結果、民間警備会社は独自のルール「戦場の掟」で行動することになるのでした。
そんな傭兵企業の代名詞と言われているのが「ブラックウォーター」です。
飛行機やヘリまで保有し、2007年末までにイラク戦争で10億ドルも稼いだ最大企業。
米大使や外交官といったすべての要人警護も彼らの専売特許です。

このブラックウォーターが有名になったのは2004年の事件です。
輸送警備員4名が待ち伏せ攻撃を受けて、暴徒によって警備員は射殺され、
死体は焼かれ、手足は斬られ、焼け焦げた死体がユーフラテス川の橋に吊るされて・・・。

「いかなる犠牲を払ってでも要人を守ること」というブラックウォーターのやり方は攻撃的で、
猛スピードで走る彼らの前で、ちょっとでもおかしい動きを見せた車両は、脅威とみなされ、
傭兵たちは容赦なく発砲します。
本書では65歳のタクシー運転手と乗客、道端にいた教師らが死んだ事件など、
いくつかを紹介し、イラク人を動物だと思っている彼等の行動が忌み嫌われ、
民間警備会社などというのは国民の知らないことから、米国人が憎悪の対象となるのです。
まるでドイツ国防軍とアインザッツグルッペンのような関係ですね。

一方、拉致されたクレセントの5名の行方はわからないまま・・。
米兵が拉致された場合、公式に大掛かりな捜索が行われ、数千人の兵士が動員されるものの、
政府はこと傭兵の場合には、拉致も死亡も勘定しません。
稼ぎ頭が行方不明となってクレセントからの月給も払われなくなった家族たち。。
政府に対して声を上げるしかありません。
その間にもブラックウォーター警備員の蛮行は続きます。
泥酔した挙句、イラク首相官邸近くで副大統領の警備員を射殺した傭兵は、
翌朝、「自衛のために応射した」と米陸軍の捜査官に告白。
激怒したイラク副大統領による容疑者引き渡し要求に対して、
コッソリ国外脱出させ、もみ消しを図るブラックウォーターと米大使館・・。
沖縄でよく耳するニュースと基本的には変わらない姿勢がここにはあります。

ブラックウォーターの装甲車両4台と射手20名が乗ったコンボイがニスール広場に到着すると、
親子の乗った白いオペルに機関銃を発砲する射手。
混乱が始まり、一斉射撃をするブラックウォーターの射手たち。
17人のイラク市民が犠牲になりますが、ブラックウォーターは民間人に攻撃されたと主張。
米軍の調査結果は、「敵の活動はまったくなく、銃撃は犯罪行為である」と断定。
遂にイラク政府はブラックウォーターの活動禁止を宣言し、
創設者である38歳の元SEAL、エリック・プリンスが公聴会に呼ばれますが、
ブラックウォーターがいないと困るのは国務省であり、
イラク政府にも民間警備会社を裁く権利はないのです。

2008年2月、ポリ袋に入った切断された指、5本が届けられます。
腐敗が進み、指紋がわかった3本はコーテらのものと判明・・。
FBIはこの報せをどのように家族に伝えるべきか苦慮します。
9割がたは人質が殺されたことの証拠ですが、遺体もなく、不明点が多い・・。
そして「思いやり」で情報を控えたFBIを尻目に、報道機関がリークしてしまいます。
難しい話ですねぇ。何か月も、何年も拉致された身内の安否を気遣ってきた家族に、
「お子さんの指を発見しました」って言うことが正しいのかどうか・・。
日本人は北朝鮮の拉致問題を自分ことのように感じているので、なおさらです。

やがてバスラ航空基地前に捨てられていた黒いポリ袋から、
彼らの遺体が次々と発見されます。
ひとりは重さ27キロ・・。目や唇はなくなり、胸と肋骨は押し潰され、
喉を深々と切られ、頭部は脊髄だけで繋がっている状態・・。
そして最後には頭のないジョン・コーテも・・。
葬儀場の責任者は遺族に宣言します。「誰が何と言おうと柩は開けません」。
一口に「民間警備会社」といっても、資本の大きいもの、そうでないものもあり、
本書では大きくその2つの会社が中心となっていますが、米国以外の会社にも取材をしています。
"BIG BOY RULES"は、各民間警備会社ごとに存在しますが、
現地のイラク人からしてみれば、それは大国アメリカのルールなのです。
しかし、一方的に傍若無人な民間警備会社と国務省を告発するだけでなく、
そこに参加し、悲惨な結末を迎えた若者の運命が並行して語られているのが本書の特徴です。

本書の出た2009年に就任したオバマによって、米軍は2011年12月には撤退したようですが
欧米の「民間警備会社」は、まだイラクで活動しているのかもしれません。
最近もイラク情勢が変わってきて、空母「ジョージ・H・W・ブッシュ」をペルシャ湾に展開、
少数の米軍事顧問をイラクに派遣・・、なんて話になってきましたからね。
タグ:カラシニコフ
ヴィトゲンシュタイン様こんばんは!
日曜の夜、明日仕事に行きたくないモードのほろ酔いおやぢです。
民間警備会社、存在は知っていましたがこんなにディープな世界とは・・・
この本も読みたくなりました!
by NO NAME (2014-06-22 22:22)
↑ いつもすみません、犯人は酔っ払いです。
by ハッポの父 (2014-06-22 22:24)
ど~も、こんばんわ。
ボクもぼちぼち一杯始めようかと・・。
本書の著者は、結局も殺されてしまったジョン・コーテの家族にも並行してがっちり取材していますから、傭兵の戦い方だけでなく、身内の悲しみなども感じ取れる本でした。さすがピューリッツァー賞受賞作というところでしょうか。
そういえば今日、6月22日は「バルバロッサ」ですね!
いつもながら、こういうタイミングで独ソ戦が紹介できません。。
by ヴィトゲンシュタイン (2014-06-22 23:01)
いつも酒気帯び書き込みでご迷惑をかけてすみません・・・
反省の気持ちを込めてこの本、注文しました。
ところで、今日は「6月22日」だったんですね!すっかり忘れてました。これは、とっておきの焼酎を飲まねば!!
by ハッポの父 (2014-06-22 23:22)
いえいえ、"by NO NAME" でも、アルコール検知器に反応して、いつもわかっていますので・・。
とっておきの焼酎・・ですか・・。良いなぁ。
ボクもこんなBlogをやってるくせに気が利かない男なので、
次回は自戒の念を込めて、マンなんとか元帥を・・。
楽しんで頂ければ嬉しいです。
by ヴィトゲンシュタイン (2014-06-23 00:19)
この前初の飲酒をしたブルクハイトです。
それにしても6月22日はバルバロッサにバグラチオン、6月23日はナポレオンのロシア遠征という凄まじいラインナップですね。ロシア呪われてんのかな?まあ冬の前ですからねぇ
あと6月はミッドウェイにマリアナ、ノルマンディー、沖縄となかなか地獄ですな。
by ブルクハイト (2014-06-23 15:25)
ど~も、 ブルクハイトさん。初の飲酒って・・??
1944年のバグラチオンは、わざとバルバロッサに合わせたものだったかと思いますが、1942年のブラウ作戦も6月、1943のツィタデレ作戦はヒトラーがモヤモヤしていたせいで7月4日にずれ込んだ・・って感じでしたね。
やっぱり春の泥濘期が終わって、雪が降る前に終わらせるという限られた期間がロシア戦線ですね。
ノルマンディなどの欧州西部戦線も、秋から冬にかけては天候が悪くて戦闘機が活動できないといった理由も大きかったんでしょうね。
by ヴィトゲンシュタイン (2014-06-23 18:11)