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英語を禁止せよ -知られざる戦時下の日本とアメリカ- [日本]

ど~も。ドイツ完勝で気分の良いヴィトゲンシュタインです。

大石 五雄 著の「英語を禁止せよ」を読破しました。

戦時中の「英語禁止」といえば、巨人のロシア人投手スタルヒン
「須田博」に改名させられたり、大阪タイガースが「阪神軍」になったり、
ストライクが「よし!」になったり・・と、野球関係では2冊ほど読んできました。
2007年に出た255ページの本書は、そんな戦時下の国民生活において敵性語として
「英語禁止」となっていった過程と背景について書かれたものです。

英語を禁止せよ.jpg

第1章は「英語を禁止した日本」で、その背景として、
昭和に入ってから軍部主導国家となり、日中戦争から、英国、米国が敵国へと・・。
そして1940(昭和15)年は「皇紀2600年」の記念の年でもあり、
反英米気運とともに、この年から英語禁止の具体的措置が取られることになります。

その昭和15年、まずは3月に「芸能人の英語芸名が禁止」に・・。
内務省による芸名統制令では、「外人崇拝の悪風を助長するおそれがある」とされ、
ディック・ミネが「三根耕一」に改名させられます。
その他、ミス・コロンビアが「松原操」、リーガル千太・万吉が「柳家千太・万吉」。。

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この年の秋にはスタルヒンも・・。あの本から抜粋して2ページほど書かれていました。
ただ、内務省令ではなく、巨人のフロントによる改名措置ですね。

昭和17年2月になると、芸能界でもそのような自主規制が始まります。
英語だけでなく、「カタカナを用いた芸名、コーラス名の禁止」です。
ヤジローとか、キグハチ(キタハチ?)といった単なるカタカナの芸名もダメになって、
ビクター合唱団は「勝鬨」と改名し、コロンビア合唱団は「日畜合唱団」、
シンフォニック・コーラスは「交響合唱団」、モアナ・グリークラブは「灰田兄弟と岡の楽団」。。
今ならキンタロー。とかタモリ、サザン・オールスターズは許されないでしょう。
逆にゴールデンボンバーを「金爆」と呼ぶのは、まことに正しいのです。



文部省も昭和15年から「英語禁止」に乗り出します。
手始めに明治初頭からの歴史あるミッション・スクールが対象に・・。
ウヰルミナ女学院が「大阪女学院高等女学校」、フェリス和英女学校が「横浜山手女学院」。

続いては来ました、「英語スポーツ名・用語の禁止」です。
東京の六大学が加盟していた連盟、「米式蹴球」が、「鎧球」へと改称します。
コレ、なんの競技かおわかりでしょうか?
蹴球がサッカー(フットボール)なのをご存知なら簡単、「アメリカン・フットボール」です。
マズイのは「米式」なんですね。

american football.jpg

プロ野球も英語のチーム名を禁止し、大日本体育会も各種競技の日本語化を実施。
ラグビーは「闘球」、ホッケーは「杖球」、ゴルフは「打球」、スキーは「雪滑」へ・・。
またゴルフは用語も日本語化されて、パーは「基準数」、ホールインワンは「鳳」、
キャディなら「球童」・・。いや~、もっとあると思うけどなぁ・・。

東京では警視庁保安課によって「卓球」の英語が禁止。
試合前には「礼」を行い、「ファイブ・テン」とか、「シックスティーン・オール」などと
点数を言ってはいけなくなるのでした。

昭和18年3月には日本野球連盟によって英語が禁止。
審判用語ではワンストライクが「よし一本」、スリーボールは「三つ」、
ファウルは「だめ」、タイムは「停止」など・・。
野球規則用語だと、ストライクは「正球」、ボールは「悪球」、セーフは「安全」などと、
また違うのがややこしいですね。
実際、急な変更に審判も、「ストライク・・もとへ、よし一本」と言ってしまったそうな。。
昭和19年の秋にはプロ野球自体も中止になってしまいますから、
この英語禁止野球も1年半の命だったんですね。

Nippon baseball_1943.jpg

ちなみに、「昭和十七年の夏 幻の甲子園 戦時下の球児たち」という本も読みました。
公式には1941(昭和16)年から中止となった甲子園大会ですが、面白かったですねぇ。
主宰を朝日新聞社から文部省に移し、「大日本学徒体育復興大会」の一競技として開催。
当時は外地である、「台湾」、「朝鮮」、「満州」でも地区予選が行われていたり、
この昭和17年の「幻の大会」には台湾の台北工業が参加。選手は台湾生まれの日本人です。
選手といえば、この大会では文部省の決定により選手と言わず、「選士」・・。
突撃精神に反する行為はダメ・・ということで、「打者は投手の投球を避けてはいけない」や、
死力を尽くして戦うことが前提なので、「ベンチの控え選手との交代禁止」
といった特別ルールが・・。多少の怪我やピッチャーが打たれたくらいでは交代できません。
もちろん、名門の平安中でさえ、伝統の胸の「HEIAN」は漢字に変更。

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試合開始前の両チームの挨拶のときには、まず東方を向いて「宮城遥拝」。
イニングの合間には、「○○市の△△さん、公務急用のため、至急ご自宅にお戻りください。
武運長久を祈ります」と、招集令状が届いたことを観客に知らせる場内アナウンスが・・。
活躍した選手たち一人ひとりについても詳しく書かれ、卒業後にプロ入りした者もいれば、
戦死した者、大会後に明治神宮競技場で行われた「国民錬成大会」
手榴弾投擲競技に大人に混ざって優勝したのは水戸商のエース君だったり・・。
そして徳島県勢初の優勝を果たした徳島商。
昭和20年7月の徳島大空襲によって、校舎は焼け落ち、
優勝者の証である「表彰状」と「小さな旗」も焼失してしまうのでした。
遊びでも野球経験があり、このBlogをご覧になる方なら、読んで損はありません。



ちょっと脱線しましたので、本書に戻りましょう。
銀座界隈には1400軒余りのカフェや飲食店があり、そのうち半数が欧米風の名前です。
そうなると銀座を管轄する警察署は「欧米依存」だとし、
「ナイトクラブ」や、「チャイナタウン」といった店名が断罪され、
ミミーやメリーといった店員の呼び名とともに追放されるのです。
有名なワシントン靴店も「東條靴店」に・・。

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こうなってくると自発的に名称変更しようとする会社も多く出てきて、
欧文社は、欧州の翻訳出版社と誤解されるとの理由から「旺文社」へ、
後楽園スタヂアムも「後楽園運動場」、石橋さんのブリッヂストンは「日本タイヤ」へ、
リプトン紅茶は「大東亜」、ブルドック食品が「三澤工業」へと変更。
トンボ鉛筆は広告でもアツかったですから、「HB」や「B」といった濃さも「1軟」などに変更。

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明治30年創刊の英字新聞ジャパンタイムズまでが社名と新聞名を変更しますが、
新たな名称は「ニッポンタイムズ」です。
単に英語の「ジャパン」を日本語の「ニッポン」に変更することにどんな意味が・・??
いやいや、当時は大いなる意味があったんでしょう。。

Nippon Times (The Japan Times) from August 15, 1945..jpg

大蔵省専売局が「たばこ」の英語名を禁止。
ゴールデンバットは「金鵄」へ、チェリーは「桜」です。

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雑誌類からも英語は一掃されます。
オール読物は「文藝読物」へ、キングは「富士」、サンデー毎日は「週刊毎日」。
当時からあった「バスクリン」に至っては、製造中止です。

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鉄道省は駅の"ENTRANCE"(入口)、"WC"(トイレ)といった英語併記を取り除き、
プラットフォーム、ロータリーは禁止。それぞれ「乗車廊」、「円交路」となり、
日本アルプスなんていう山岳名ですら、「中部山岳」へと変更・・。
ふ~ん。この調子だと甲子園のアルプススタンドも、「中部山岳観覧席」だなぁ。。

外務省は外国人記者向けの記者会見で英語を使うことを止め、日本語一本へ。
記者のなかにドイツ人やイタリア人が多くなってきた・・というのが理由の一つ。。
そして政府は「極東」という表現を使用禁止に・・。
これは英語の「ファーイースト」の訳語であり、大英帝国から見た「極めて東」だからです。

内務省と内閣情報局が英語のレコードと演奏を禁止。まさにナチス・ドイツと同様です。
対象はやっぱりジャズ・・。「セント・ルイス・ブルース」などの他、米英、ハワイの民謡もNG。

St.Louis Blues.jpg

こうして残されたのは三国同盟の友、ドイツとイタリアの民謡やワルツなのです。
当時、中学三年生だったある少年は、米国民謡「ミネトンカの湖畔」を学校の休憩時間に
口ずさんだところを級友に密告され、恐怖の配属将校に呼び出された挙句、
「敵性歌曲を歌う売国奴」と罵声を浴びせられて、竹刀でメッタ打ちの刑に。。

Tripartite Pact.jpg

まだまだ、NHKも放送内容の米英的色彩の払拭を図ります。
まず昭和17年には「アナウンサー」の使用を禁止して、「放送員」へ。
翌年になると「ニュース」も禁止して、「報道」と言うことに決定。
そもそもNHKという名称も「日放協」にしなきゃいけませんね。

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バス会社では「オーライ」、「ストップ」が禁止されて、「発車」、「停止」なりますが、
日常的に使っていた合図を変更するってのは事故りそうで怖いですねぇ。

昭和18年2月の毎日新聞にはこんな見出しが・・。
「青い目をした人形 憎い敵だ許さんぞ 童心にきくその処分」。
これは昭和初期に日米親善として全国の小学校、幼稚園に寄贈されたお人形さんです。
全部で12000体にも及んだ「青い目をした眠り人形」は、"恐ろしい仮面の親善使"とされ、
文部省の課長曰く、「速やかに壊すなり、焼くなり、海に捨てるなりすることに賛成である」。

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最初は笑いながら読んでいましたが、ここまで来るとさすがに眉間にしわが寄ってきますね。。

そんな文部省、中学校の英語の教科書に掲載されていた英国国歌に着目します。
ゴッド・セイブ・ザ・キング」の歌詞は、"神よ、英国国王に勝利を与えたまえ"であり、
しかも、「みんなで歌いましょう」というイケナイ文章まであるのです。
「第一線の兵士が斃れている今、銃後の国民が英国国歌を学ぶとはいかなるわけか」と
衆議院の委員会で弾劾された結果、当然削除です。



93ページからは第2章、「英語禁止・追放の言論」です。
第1章に挙げた英語禁止措置を促した軍部と政府、それをマスメディアが支えたと分析。
昭和17年、陸軍参謀本部の防諜の権威とされる中佐は読売新聞に論評を発表します。
「街を歩いていても英語の看板のなんと多いことよ。
汽車に乗ると、"緩むな防諜"のポスターの後ろに『禁煙』とあり、
その下にいまだに"NO SMOKING"と英語で書かれている。
こうしたものは日常、目や耳から不断に入ることによって、日本人の思想感情が、
いつの間にか米英的になり、日本的なものとのケジメがつかなくなってしまうのだ。
そして米英的な思想謀略に蝕まれながら、"俺は日本人だ"と
思い上がっている点が一番危ないのだ」。

英国製の映画を観ているうちに知らず知らず英国崇拝の観念に捉われる・・とした後、
この参謀中佐はこう続けます。
「僕は若い女性に反省を求めたい。
自分の父や兄や夫を戦場に送り出しておきながら、
心の襞に米英崇拝の虫は巣くっていないか、
日本の女として、やがて母として恥ずべき点はないだろうか。
よく反省して、まずこれを改めることが防諜の根本だと思う」。

大日本婦人会の竹槍訓練.jpg

密かに期待していた「敵国アメリカ映画謀略展」のような展開はありませんでした。
そもそも敵性映画の危険性については、上の一文だけでしたね。残念・・。

第3章の「日本語を重視したアメリカ」以降は、
まぁ、おまけといった感じですが、実は著者にとってはこちらがメインのような気もします。
陸軍情報学校が開校し、日系2世の情報部員の活躍が詳しく紹介。
日本軍の電文や暗号文を解読したり、捕虜の尋問などがメインで、
それを以って前半の日本と比較し、米国は日本と違って敵国語を重視した・・というのも
ちょっと苦しい展開です。
よってこの章は独立した「米軍における2世情報員の活動」として楽しむべきでしょう。
確かに本書の副題が「戦時下の日本とアメリカ」ですから、間違いではありません。

そんなわけで本書は前半こそ、予想通りの「英語禁止」を楽しく学ぶことができましたが、
中盤以降の米国については、個人的には・・う~ん。。

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とにもかくにも1940年以降、5年間の日本における英語対策が書かれた本書。
細かい、しょーもない・・と思わせるほど徹底している一方、
各軍学校では英語を学び続け、それは中学校でも科目として、教科書として残るのです。
そこから思うことは、軍部・政府によるキッチリとした計画があったわけではなく、
戦局の推移によって、各省庁が自らの管轄で出来ることはやってみよう・・という、
曖昧な措置の連続がこのような統一性のなさになっているんではと思いました。
1940(昭和15)年の東京オリンピックに向けて、
バスの車掌さんも英語を猛練習中していたりしていたんですしねぇ。

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もう15年以上前になりますか、年に一度の特番で、
「たけし、タモリ、さんまのBIG3ゴルフ」というのがあって、
そのなかの「英語禁止ホール」にいつも大笑いしていたことを思い出しました。
ドライバーとか、6番アイアン、バンカーにナイスショット、と言ったら「1ペナ」ですから、
「木の棒」やら、「鉄の6番」、「砂場」、「良い玉」なんて言っていたように思います。
休日の1日だけでも、家族で「英語禁止」なんてやったら楽しいんじゃないでしょうか?
テレビ、スマホ、パソコンも言っちゃダメですから、辛い生活になるでしょうね。





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ブルクハイト

ど~もヴィト様。ブルクハイトでございます。

しっかし何故こうも極端で訳のわからぬ決まりができるのでしょうね。
所謂「空気」とか「雰囲気」とかいうやつのなせる技でしょうか

それにしてもバスクリンのポスターは素晴らしい!
by ブルクハイト (2014-06-18 15:06) 

ヴィトゲンシュタイン

ど~も。 ブルクハイトさん。
やっぱり、団体、企業、役所でもなんでも、10人でも人間がいれば、「英語禁止!」とか極端なことを言い出す輩がいるんでしょう。反論すれば「売国奴か!」って・・。

わかりやすいのはスタルヒンの場合ですね。
選手が徴兵されていくなか、米国伝来のスポーツを続けたい巨人中心のプロ野球。そんな苦しい状況で「外人がプレーしているとは何事か!」と目を付けられないように「須田博」に改名させ、最終的には無国籍ロシア人なのに野球界から「追放」するわけです。

その他、イタリア語由来の言葉なのに「禁止」になったなんて話も・・。
もう英語、英米的かどうか、という問題ではなく、目についた「欧米的」なモノは、お上から文句を言われる前に、とりあえず隠しておこう・・という心理じゃないでしょうか。
法的に英語が禁止されて、使ったら逮捕/懲役という明確な罰則がないのも逆にめんどくさい。本書では様々な例、省庁の担当者から「改名しないか?」という相談、それを受けた方からしてみれは「圧力」もあったと書かれていました。トップも本音では英語の必要性は理解しているわけで、国民には建前上、使っちゃだめよと言ってただけなんでしょうね。

バスクリンのポスター・・。そうでしょう!

by ヴィトゲンシュタイン (2014-06-18 18:26) 

さくら

スタルヒンの須田博って違和感てんこ盛りですね。
日本名にしたって見た目が違うじゃん。
関係ないですが、今、サッカーを見ないと、フジテレビが非国民扱いするそうです(笑)。
私は見てません……。
日韓合同ワールドカップのころは、ドイツのオリバー・カーン目当てでテレビにかじりつきましたが。
by さくら (2014-06-18 21:38) 

ヴィトゲンシュタイン

ど~も。さくらさん。

>日本名にしたって見た目が違うじゃん。
そうなんですよ。2mもあって、鷲鼻ですからねぇ。
でも当時はTVが無いから、野球のスター選手でも球場で見ない限り、名前と顔は一致しなかったんじゃ。スタルヒンも定食屋のおばちゃんにスパイと間違われて通報されたり・・。

ボクは20~30年のサッカー好きですから、大丈夫です。ここまでなんとか全試合観ています。久しぶりだなぁ、1998年以来かな?
オリバー・カーン目当てとは、男を見るセンスが実によろしい・・。
そういえば、カーリングのドイツ代表にカーンの姉ちゃんと呼ばれた強烈なおばちゃんを思い出しました。
コレ ↓ です。

http://www.t-online.de/sport/wintersport/id_66623960/deutsche-curler-em-als-haertetest-fuer-olympia-quali.html 


by ヴィトゲンシュタイン (2014-06-18 22:13) 

さくら

カーンの姉ちゃん……。
ああっ!本当だ……!!
男女ともにこの迫力がドイツのお家芸なのでしょうか?
ドイツで一番有名なヒトラーもああだし……。
男を見るセンスをお褒めいただき光栄です。
この姉ちゃんも好きです。

サッカー全試合見てますか!!
で、読書もしてますか!
ヴィトゲンシュタインさん、異次元の方ですね。
一日、72時間くらいお持ちなのですね。
by さくら (2014-06-19 01:36) 

ヴィトゲンシュタイン

カーン姉ちゃんの迫力、スゴイでしょう?
この写真だけ見たら、とてもカーリングとは思えません。スポーツでは相手を威圧するのも大切ですね。
ちなみに日本代表の「カー娘」が流行っていた当時、スポーツ新聞でもこの姉ちゃんが「カーン娘」って紹介されました。コレ、ほんとの話。

いまもオランダ戦観てますよ。ちょうどハーフタイム。
2番目に好きなのがオランダ。ドイツは3番目です。西ドイツ時代から強いから応援のし甲斐がないというかなんというか・・・。
なので、さすがに読書は・・。この3日間で20ページも読んだかどうか。。


by ヴィトゲンシュタイン (2014-06-19 01:59) 

HIRO

以前コメントいただいた
欧州世界大戦戦跡巡りのブログを書いておりますHIROです。
先日ドイツ行ってきました。
ブログを更新中なので、よければ読んでいただけたら幸いです。

英語禁止の本面白ろそうですね!
早速アマゾンで購入します。
by HIRO (2014-06-21 03:21) 

ヴィトゲンシュタイン

ど~も 、HIROさん。
暫く更新がないと思っていたら、実に濃い旅行記になっていますね。
早速、コメントもしてみました。ちょっとマジレスしちゃってすいません。。

この本もなかなか面白かったです。
そしてフェイスブックやツイッターで取り上げられたようで、このBlogでの過去最高のアクセス数を記録しました。
ボクはどっちもやってないので、何を書かれているのかわかりませんが・・。
ただ、日本モノの記事が盛り上がるというのは、個人的に微妙なんですけどね。。
by ヴィトゲンシュタイン (2014-06-21 05:00) 

トイフェル

こんにちは、プリンツ!
配属将校は威張ってヒステリックなのが多かったらしいですが、例外もあったとか。
父から聞いた話です。
英語廃止盛んなりし頃、中学の教練かなにかの時、誰かお調子者が「英語廃止!」と叫んだら、配属将校がニヤニヤ笑いながら「貴様ら何血迷うとる、米英の捕虜に日本語で尋問する気か」とのたもうて、「罰として校庭20周、駆歩!」
変わったひとも居たものです。
by トイフェル (2014-07-12 14:04) 

ヴィトゲンシュタイン

ど~も、 トイフェルさん。
変わり者の配属将校の話、面白いですね。
本書でも軍学校では英語に力を入れ続けたと書かれていたように、軍部のエリート層は英語の必要性を認識していたようですから、その一般大衆に対する本音と建前が良く表れたお話だと感じました。


by ヴィトゲンシュタイン (2014-07-12 19:47) 

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