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将軍たちの戦い -連合国首脳の対立- [USA]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

デイヴィッド・アーヴィング著の「将軍たちの戦い」を読破しました。

著名な歴史家として知られますが、近年はすっかりその評判を落としているアーヴィングの1冊です。
「独破戦線」では翻訳されている2冊、「狐の足跡」、「ヒトラーの戦争」とも紹介済みですが、
残った3冊目は副題からもわかるとおり、連合軍モノとなっています。
1986年発刊でハードカバー上下2段組の421ページの表紙も
アイゼンハワーにモントゴメリーとくれば、ギスギス感満載なのが想像できますね。
「ヒトラーの戦争」はともかく、本書については悪い評判は聞いたことがありませんので、
数日間は米英仏ソの陰険な対立を、苦笑いしながら楽しむことになりそうです。。

将軍たちの戦い.jpg

1944年1月、孤独だった英国本土に続々と上陸するかつての英植民地の若い兵士の軍団。
英国人は米軍の到来を喜ぶものの、この血の繋がった2つの国民の間には、
国民性の違いと18世紀の怒りがまだ残っていて、常にためらいの感情が存在します。
アイゼンハワーが到着した時にはすでに87万もの米兵が・・。
ロンドンでは米兵が群れ、英国人と違いチップをはずむ「ヤンキー」に対する苦情も聞かれます。

Churchill inspecting American troops in England.jpg

マッカーサーの右腕として9年を過ごした後、好きになれなかったこの将軍から別れて
ワシントンへ呼び戻されたアイゼンハワー大佐。
米国陸軍参謀総長マーシャルに抜擢されてヨーロッパへと渡り、北アフリカで司令官に。
しかしシチリアでは見事な後退を指揮している「ナチの司令官」フーベではなく、
英軍のモントゴメリーを敵とみなしているパットンが、「アイクの英国贔屓は酷過ぎる」とぼやきます。

patton-montgomery.jpg

1944年の5月に予定されている「オーヴァーロード作戦」。
果たして司令官は誰になるのか?
スターリンも気にするこの司令官は英参謀総長のアラン・ブルックが候補に挙がりますが、
英軍の3倍の兵員になるであろう米国からが適任とされ、米参謀総長マーシャルという案も、
ルーズヴェルト大統領でさえ畏怖し、「君をジョージと呼びたい」と言われても断るという、
鉄のような自己規律と超然さを持つこの軍人には、最高司令官という地位さえ「小さすぎる」
と見られたことから、結果的にアイゼンハワーが任命されることに・・。

eisenhower_marshall.jpg

連合国遠征軍最高司令部(SHAEF)の長となったアイゼンハワー。
最も重要なスタッフのひとりは彼の参謀長でマネージャー役のベデル・スミス
そして2年前から彼につく34歳の英国人女性の運転手兼ホステスのケイ・サマーズビー
本書は彼女の日記を大量に活用して進むところがポイントですね。

eisenhower-summersby-Bradley.jpg

モントゴメリーだけではなく、大の英国人嫌いのパットンも意気揚々と到着しますが、
ビンタ事件」の影響もあって、侵攻作戦の指揮は取らせてもらえず・・。
戦略爆撃戦争の大物たちも次々と登場し、英空軍のアーサー・ハリス
「自分の重爆撃機部隊でヒトラー帝国を粉砕し、勝利をもたらす」と約束し、
チャーチルの支持を得る一方、米側の爆撃機部隊責任者スパーツも同様な考え方です。
しかし、最高司令官のもと、海軍司令官にはラムジー提督が、地上軍部隊の指揮は
当初、モントゴメリーが任命されたように、空軍の司令官も任命することに・・。

time_harris_arthur.jpg

英国の押す、リー=マロリーは戦闘機部隊しか指揮したことがないことから、
爆撃信奉者のハリスとスパーツは頑なに拒否。
それでも地中海の連合国空軍を指揮していたテッダー空軍大将が、陸海空の各司令官の
上位者であるアイゼンハワーの副司令官という立場のため、なんとかなるものの、
英空軍内ではテッダー派とリー=マロリー派という問題も起こります。
このあたりは初めて知りましたが、英米の摩擦ではなく、戦闘機vs爆撃機の争いで
なかなかグチャグチャしてて面白いですね。ドイツ空軍も仲悪いですが・・。

Bradley,Ramsay,Leigh-Mallory, Bedell Smith,Tedder,Eisenhower,Montgomery,.jpg

「最高司令官、つまりチームの主将はアイゼンハワー将軍である」と宣言し、
オーヴァーロード作戦の詳細を会議で説明するモントゴメリー。
西方のB軍集団司令官となったロンメルが大西洋防壁を強化していることに触れ、
「彼は果敢な司令官であり、機甲部隊を投入するのが好きである。
しかし、機甲部隊はルントシュテットの指揮下にあるから時間がかかる可能性もある」

その後、チャーチルや「英国王のスピーチ」こと、ジョージ6世までも出席した5月の最終点検でも、
「精力的で断固としたロンメルが指揮をしてから状況はすっかり変わった。
衝動的で牽制攻撃の名手である彼は、わが方の戦車の陸揚げを阻止することに
全力を尽くして、ダンケルクの二の舞を狙うだろう」と、この恐るべき敵対者に
感嘆の言葉を惜しまないモントゴメリー・・。

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いよいよノルマンディへ・・となって登場するのは、
その国の新たな大統領の地位を目論むドゴール将軍です。
1940年の屈辱的な敗北をルーズヴェルトの支持不足のせいにし、反米的な顧問に囲まれ、
「基本的に英国は、ドイツと同じくフランス代々の敵であり、戦争に勝つソ連におもねり、
ソ連とアングロ・サクソンの衝突から得られるものだけを得るようにすべき」
と考えている抜け目のない男・・。
ルーズヴェルトもチャーチルも尊大に要求を突き付けてくるドゴールにうんざりです。
また、アイゼンハワーにとってもフランス国民に対する呼びかけやレジスタンス活動に
ドゴールの存在は無視できません。

Churchill-de-Gaulle.jpg

上陸作戦の様子は「戦記」と言っても良いくらい詳しく書かれていました。
オマハ・ビーチでの死闘も米独双方の様子が語られ、
ヒトラーの報復兵器であり、英国人が「スポーツマン的ではない」と恐れた
空飛ぶ爆弾「V1」がロンドンを襲いだすと、アイゼンハワーとSHAEFのスタッフも
一日に25回もの警報に苛立ちと疲れを隠せません。
パットンも配下の大佐を含む、200名の将兵が礼拝中にV1で殺されると、
「戦場以外で殺されるのはゴメン」と、帰国を言い出します。

V1 London WWII.jpg

なかなか進まないモントゴメリーの攻撃。。ドイツ戦車300両を破壊したと主張するものの、
実際はティーガーとパンターにはシャーマン戦車は歯が立たず、
そのような前線からの記事はモントゴメリーによってカットされていることを
アイゼンハワーは知り、調査を命じます。

Panther der 12. SS-Panzer-Division.jpg

ドイツ軍が頑強に守るカーン市に重爆460機で爆弾の雨を降り注いでから前進・・。
艦砲射撃も加わって徹底的に叩きのめしますが、それでも陣地から這い出し、
対戦車砲を立て直しては、英軍戦車186両を撃破するドイツ軍。
この陸海空からの攻撃に信じられないような大損害を出しながらも
鬼神のように奮戦する若者たちの様子には、読んでいて思わず応援してしまいました。。

hitlerjugend 1944.jpg

そして「予定通り・・」、「作戦通り・・」と言い続けていたモントゴメリーのグッドウッド作戦は
中止に追い込まれ、それを聞いた米軍司令官ブラッドレー
「われわれはニヤリと笑って我慢しなければならない」。
読んでるコッチも思わずニヤリ・・。
いや~、「 ヒットラー・ユーゲント―SS第12戦車師団史」が再読したくなってきました。

der 12.SS Panzerdivision Hitlerjugend.jpg

このようにしてドイツ軍から「解放」されたノルマンディの町。
無傷の家はなく、住民がほとんど逃げ出した奇妙な「解放」・・。
アラン・ブルックは、この国の作物は良好で、肥えた馬や鶏がいることに驚き、
「彼らはいままでも満足していたのであり、我々が荒廃をもたらしたのだ」と記します。
しかしアイゼンハワーは良心の呵責を感じず、すべては敵のせいに・・。
さらにはドイツ軍の品行方正を口にするフランス人女性を強姦する米兵も出現・・。

そういえば「恐るべき敵対者」だったハズのロンメルは、モントゴメリーと連合軍相手ではなく、
上陸作戦の日にちとカブってしまった、愛する奥さんの誕生日の前に屈するわけですが、
もし奥さんが12月生まれなんかだったら、少しは歴史が変わっていたんでしょうか・・?

A British soldier in Caen after its liberation, gives a helping hand to an old lady amongst the scene of utter devastation.jpg

ブラッドレーが指揮する米軍の巨大な第12軍集団ですが、
相変わらず彼に命令するのは英軍第21軍集団を率いる地上軍司令官、モントゴメリー。
米軍将兵だけでなく、米国民にもコレが面白くありません。
そこで9月からは両軍集団ともにアイゼンハワーが最高指揮権を取ると発表。
ここからはこの地上軍の指揮と作戦を巡る、アイゼンハワーvsモントゴメリーの戦いが
中心なっていきます。
ファレーズ包囲パリ解放と続き、モントゴメリーが元帥に昇進すると
アイゼンハワー大将指揮下の将軍たちはビックリ・・。
米陸軍には「元帥」という階級は存在しないのでした。。

Paris1944.jpg

アントワープはモントゴメリーが掃討するのを怠ったためにドイツ第15軍が強力な陣地を築き、
物資の陸揚げが遅れてガソリン不足も始まります。
そしてブレストでは「最も頑強なナチ落下傘部隊司令官、ヘルマン・ラムケ」が
トート機関の技師や労働者を含む4万の兵力で何週間もの爆撃に耐えています。
このラムケは落下傘事故で歯を失ったため「鋼鉄の歯を持つ男」などと書かれていますが、
007の「ジョーズ」みたいな感じなんでしょうかねぇ?

Hermann Ramcke.jpg

慎重なモントゴメリーによる冒険的な作戦、「マーケット・ガーデン」に
これまた慎重なアイゼンハワーがめずらしく承認を与えるも、作戦はあえなく失敗。
アーネムで捕虜になったのが英軍の空挺部隊だったことに米将官は喜び、
「傲慢な英軍司令官が当然の報いを受けたのだ」

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やがて秋が訪れ、1941年にモスクワ前面でヒトラーに起こったことが
アイゼンハワーにも起こる可能性が出てきます。問題は「補給の停滞」。
そしてドイツ装甲軍による起死回生の反撃が起こり、「バルジの戦い」へ・・。
ここではモントゴメリーとの釣り合いを取るために元帥に昇進した
アイゼンハワー暗殺の任務を帯び、スコルツェニーと60人のドイツ兵がパリに向かった・・
という情報が伝わったとしています。

battle-of-the-bulge-1966.jpg

ちなみに英軍での元帥は「マーシャル」ですが、
米軍では「ジェネラル・オブ・ザ・アーミー」という階級名にあえてしたことについて、
参謀総長のマーシャル大将をまず元帥にすると「マーシャル・マーシャル」になってしまう・・、
なんて話をどこかで聞いたことがあります。。。
まぁ、どこまでホントかわかりませんが・・。

George Marshall_Dwight Eisenhower.jpg

そして「バルジの戦い」で結果的にブラッドレーを救ったモントゴメリーが
調子に乗り始めて、さらに尊大な要求を出し始めると、
アイゼンハワーはモントゴメリーの解任も検討。
最終的には合同参謀本部のマーシャルが首を突っ込むわけですが、
アイゼンハワー、モントゴメリー共に、参謀総長や参謀総長会議という、
上級者と上級機関の存在も大きく、彼らの方針も両国の対立の源でもあるようです。

bernard-montgomery-.jpg

1945年3月、遂にドイツ本土へと侵攻した連合軍。
モントゴメリーは自分の軍集団が主導権を握って一刻も早くベルリンを落とすことを主張しますが、
アイゼンハワーはスターリンに「ベルリンは目標ではなくなった」というメッセージを送り、
チャーチルを筆頭とした英国の戦争内閣に「V2」が落下したような衝撃を与え、
ブルックは「彼にスターリンと直接話す権限などない」と息巻きます。
モントゴメリーにしても、英連邦軍だけでは戦力が足りず、米2個軍の助けが必要・・。

Alan Brooke.jpg

彼ら英側の考えをまとめると、兵力の少ない英軍が極力、損害を被らないようにしつつ、
戦後を見据えてソ連の手に渡る前に、英軍司令官によって、首都ベルリンを奪取したい・・
というかなり我がままな戦略に思えましたが、
ベルリン戦で想定される米兵10万人の損害はアイゼンハワーには容認できず、
「戦術的価値も戦略的価値もなく、何千人ものドイツ人や連合軍捕虜などの 面倒を見ることになる」と
パットンにも語るのでした。

Churchill, Eisenhower, and Montgomery.jpg

最後は戦後の彼らの戦いの様子、暴露合戦というか、証拠隠滅というか・・。
面白かったのは、ユーゴスラヴィアのチトーが北イタリアを要求して
問題を起こしているということで、パットンに「そっちに行って、サーベルをガチャつかせろ」。
するとチトーはあっさりと思いとどまって・・という一件です。

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物凄いボリュームの本書でしたが、良い意味でも悪い意味でもアイゼンハワーが主役でした。
ですが、モントゴメリーにパットン、ブラッドレー、その他、大勢の将軍たちの誰かを
贔屓しているわけでもなく、容赦なく、赤裸々に綴っています。
確かにアイゼンハワーが勝利に向けて何をしたのか・・、
「オーヴァーロード作戦」にしても決まっていたわけで、決行日を決めただけ・・。
フランス市民の爆殺も仕方なし、あとはアッチだ、コッチだと戦力をチョコチョコ動かし、
冒険的な「マーケット・ガーデン作戦」を承認し、最終的にはベルリンも捨てる・・。

French children watch as U.S. jeeps transition through the devastation in Saint-Lô following liberation, 1944.jpg

後半は著者アーヴィングは米国人だったっけ?英国人だったっけ?と
思い出せないままに読み進めていましたが、
戦後のヨーロッパをソ連の手に渡したくないとする英国の考え方を理解しない米国・・
という図式は、やや英国寄りに感じましたし、
アイゼンハワーについては「やっちまった男・・」と考えている印象を持ちました。

Dwight_D_Eisenhower.jpg

ただ、本書と離れて考えてみると、ここ20年ほどでも米国は
自分たちの国から遠く離れた大陸の国に自分たちの都合で軍事介入し、
その政府をメチャクチャにしては、勝手に勝利宣言と自国兵士の損害を理由にテキトーに撤退・・。
内紛の続く当該国や、その近隣諸国については、あとは自分たちで頑張ってね・・という態度です。
そのような意味では、この当時から、その体質は変わっていないようにも思いました。

また1945年2月の「ドレスデン爆撃」については触れられず・・でした。
最高司令部とアイゼンハワーの関与も知りたかったのにちょっと残念・・。
ただ、アーヴィングはこの「ドレスデン爆撃」で作家デビューしているようなので、
そっちに詳しいのかも知れませんが、いまさら彼の翻訳本が出るとも思えないですねぇ。。

半年前に出たアントニー・ビーヴァーの上下巻の大作、「ノルマンディー上陸作戦1944」も
いよいよ読みたくなってきましたね。





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コメント 1

&5

今晩は、&5です。
アイゼハワーはリーマロリーを酷く嫌っていたそう
です。英国本土決戦(バトル・オブ・ブリテン)で勇将ヒューダウティング
将軍とキース・バーグ将軍を失脚に追い込み、後釜に悠々と居座りに
無能な指揮が原因で貴重なパイロットと戦闘機を失う失態を演じた無能で有名なのは耳にしましたし、
現に
「チャーチル首相と英国空軍首脳の目は節穴か
マロリーのような無能を押すんだ」と部下に漏らしていたのは有名ですし、後の英国空軍元帥兼空軍参謀総長になるテッダー将軍は重要はしたが、マロリーは重要はしなかったそうです。
マロリーを慕う部下でもあり、忠実な腰巾着と揶揄されているボッダー英国空軍大佐は「アイセンハワー将軍はマロリー将軍の根も葉もない誹謗中傷を鵜呑みしただけだ」といって反論をして擁護してました。
アイゼンハワーは戦後「ノルマンディー上陸はテッダー将軍の素晴らしい冷静鎮雀な指揮のおかげであった」とテッダーを称え、マロリーを決して称えなかったそうです。
ちなみにマロリーの謀略で失脚したダウディングとバーグはバトル・オブ・ブリテンの勝利の功労者して称えられダウディングとバーグ二人は銅像が立てられそうで、マロリーはアイゼンハワーの圧力で航空軍司令官職を追われ、ビルマ(現ミャンマー)航空軍司令官として赴任する途中でネパールで乗っていた輸送機の墜落で妻と部下共に死んだそうです。
その結果、マロリーは戦後「無能の役立たずの陰湿の野心家」という名誉に輝く事になったそうです。

by &5 (2016-10-13 01:20) 

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