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電撃戦という幻〈下〉 [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

カール=ハインツ・フリーザー著の「電撃戦という幻〈下〉 」を読破しました。

上下巻を図書館で借りた本書・・。上巻を読み終えて、その内容の濃さからも
今後も資料として度々読み返すことになるのは間違いない・・
ということで、この下巻を読む前、仕事帰りに神○町の「軍○堂」に立ち寄って、
ちょうど良いタイミングで売っていた本書のセットを6000円で購入してしまいました。。

電撃戦という幻〈下〉.jpg

この下巻は、まずセダンを突破したグデーリアンの装甲軍団に対する、
フランス軍側の反攻作戦計画と、その顛末を解説します。
5月14日、フランス軍総司令官ガムランは「セダンの決壊は局地的な小事件」と片づけ、
第2軍司令官のアンチジェも余裕しゃくしゃくでドイツ軍の攻撃を待ち受けます。
特に第3機甲師団はドイツ軍の最新鋭であるⅣ号戦車より装甲の厚い、
オチキスとシャール戦車を139両を揃え、火力の点でもドイツ軍を大きく上回っています。

gamelin.jpg

すぐさま出撃命令を受けた第3機甲師団ですが、フランス軍戦車の弱点・・
燃料補給と攻撃開始地点までの移動に多大な時間を要し、
挙句、撤退するパニック兵を目撃したことで、命令は撤回。。。
その後も反攻作戦命令は、もたついては行動延期・・というお決まりのパターンが繰り返され、
マンシュタインとグデーリアンが最も恐れていた、セダン突破直後のフランス軍の大逆襲は
「幻」となるのでした。

French soldier surrenders to Germans, Battle of France, 1940.jpg

それでも高地ストンヌを巡る攻防戦は局地的ながらも両者がっぷり四つに組んだもので、
占領したグロースドイッチュランド第1大隊の前に、怪物戦車シャールBが現れ、全滅の危機・・。
この5月15日の1日だけで、ドイツ軍が奪取すること4回。2日後に勝負がついたときには
なんと9回目の奪取という、取って取られてを繰り返す戦いです。

1st panzer division and is on its way to the Meuse river.jpg

一睡もせずに進撃を続ける第1狙撃兵連隊長のヘルマン・バルク中佐は
疲れ切った部下を尻目に「諸君がやらないのなら、私一人でやる」と
ひとり敵に向かって行く格好良さ・・。
ラインハルト装甲軍団配下のケンプフ率いる第6装甲師団も、歩兵師団と交代させられると知り、
ここでやらねば千年の恥辱とばかりに奮い立ち、総攻撃を開始します。
このようにグデーリアンとラインハルトの2個装甲軍団から成る、クライスト装甲集団は
クライストを含め、各司令官と指揮官たちによる命令無視を度々繰り返しながら、
ひたすら前進を続けます。

VonKleist.jpg

また、この西方電撃戦において大変重要な装甲軍団がここで登場。
フォン・クルーゲの第4軍配下にあってクライスト装甲集団の右翼を守る、ホト装甲軍団です。
そしてこの軍団を構成する、後に「幽霊師団」と恐れられた第7装甲師団を指揮するのは、
ロンメル少将です。
ここからはいろいろな本でも書かれている、ロンメルの中隊長のような怒涛の大活躍と
傍若無人ぶりが詳しく書かれていて、例えば、一網打尽にされたフランス兵は驚愕あまり、
抵抗もせず、ドイツ戦車兵に尋ねます。「ひょっとして英国軍かね?」
まぁ、相変わらず楽しいですね。

Pz38-Erwin Rommel.jpg

「闘牛士の赤いマント」で連合軍を挑発させ、罠に誘い込む役の北のB軍集団でも、
ヘプナー装甲軍団がフランス軍と大規模な戦車戦を繰り広げています。
しかし大半はⅠ号、Ⅱ号戦車で占められたこの装甲軍団はフランス軍の誇る
新鋭ソミュア戦車の前に歯が立ちません。
あるⅠ号戦車の指揮官は、オチキス戦車にハンマーを持って馬乗りになるという
西方作戦のヘプナー装甲軍団というより、
西部警察の大門軍団のような勇敢な戦いを見せますが、
彼はあえなく振り落とされ、オチキスの下敷きとなって戦死・・。
それでも彼の死は無駄ではなく、ヘプナー装甲軍団は脇役の地位から解放され、
A軍集団の指揮下に編入されて、装甲突進の一翼を担うことになるのでした。

PzⅠ.jpg

順調に進撃を続けるグデーリアンですが、司令官たちが恐怖する「開けっ放しの左側面」が
ここに至って大問題に・・。遂にクライストによる停止命令。
そしてこれに反発し、解任を申し出るグデーリアン・・。
第12軍司令官リストとルントシュテットの取り成しによって、「威力偵察」なら認める妥協案・・
といった有名な展開も詳しく検証。。
あまりの順調さに、逆に不安が募り「反撃の亡霊」に取りつかれた、ヒトラーによる停止命令です。

Guderian in his command halftrack, France 1940.jpg

さらには海峡沿岸部への突進、ダンケルクを目前とした「アラスの停止命令」が・・。
ここからはこの「誰の目から見てもグロテスク極まりない失敗」について徹底的に検証します。
賛成したのはヒトラーとゲーリングに、A軍集団司令官のルントシュテット
反対するのはグデーリアンらの軍団長と、かつて握りつぶしたマンシュタイン・プランを
いまや嬉々として「イケイケ」で進める参謀本部のハルダーブラウヒッチュ

Gerd von Rundstedt.jpg

この停止命令のさまざまに云われている理由・・、「地面が軟弱で戦車に向かない」や
「空軍力だけで攻め切れると思った」、そして「英国を本気で打倒する気がなかった」を
それらの「説」ごとに分析。アーヴィングの「ヒトラーの戦争」も引用しながら、
「ダンケルクの謎」に迫ります。本書の結論は、非常に興味深いものでした。

Wounded Brit POW's aboard Pz1, Calais 1940.jpg

最後には「勝利と敗北:その要因」として、前大戦からの両国と西方戦役全般を振り返ります。
下士官から兵に至るまで指揮官としての自主性が培われていたという「委任戦術」、
また、「速攻と奇襲」や2正面を恐れるドイツの「短期決戦」伝統などの要素のほか、
無線、戦車、航空機という3つの要素が融合して化学変化を起こし、
極めて発火性の強い爆発物が形成され、その破壊力にはグデーリアンでさえ驚いた・・。

結局のところ本書は「電撃戦の幻」という邦題、「電撃戦伝説」という原題からイメージする
肯定的、否定的な観点で書かれたものではなく、「西方戦役は電撃戦だった」という前提のもと、
それがどのようにして生まれたのか・・を研究しているものでした。

Paris,_Parade_deutscher_Panzer.jpg

電撃戦モノだけではなく、西方戦役モノとしても、自分が読んだ中で間違いなく最高のモノです。
レビューが長くなりすぎるので、これでも大分端折りましたが、登場人物には
アプヴェーアのカナリス提督からA軍集団の参謀を務めるトレスコウ、フランスならドゴール
もちろんドイツ空軍の活躍と、登場人物とエピソードも実に多彩で、まったく飽きさせません。
高いと思われる方もいるとは思いますが、上下で6000円ならコレは間違いなくお釣りがきます。



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電撃戦という幻〈上〉 [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

カール=ハインツ・フリーザー著の「電撃戦という幻〈上〉 」を遂に読破しました。

以前にオススメのコメントを戴いていたものの、下巻が廃刊でプレミア価格にもなっていること、
そしてタイトルの「幻」というのが、いかにも「電撃戦などなかったのだ・・」といった
ネガティブな雰囲気を醸しだしていることから、ずるずると手を出さずに過ごしていましたが、
やっぱり気になるものは読まないと、身体にも良くないし・・ということで、
2003年発刊の本書をとりあえず、上下巻まとめて図書館で借りてみました。
まず下巻の訳者あとがきに目を通すと、このタイトルの説明が・・。
原著のタイトルは「Blitzkrieg Legende = 電撃戦伝説」というもので、
これだと電撃戦を肯定的にしていると思われることから、翻訳版では
若干、否定的なニュアンスである「幻」にしたそうです。
個人的には・・「電撃戦伝説」だったら、もうとっくに買っていたかも知れません。。。
いや~、タイトルっていうのはホント重要ですね。

電撃戦という幻〈上〉.jpg

著者フリーザー氏はドイツ連邦国防軍の大佐であり、軍の戦史研究機関の
「第2次世界大戦担当」の部長という肩書です。
その彼の研究として書かれた本書は、その立場だからこそ可能な、第1級の資料と
人脈によって、電撃戦と呼ばれた西方戦役を徹底的に分析していくわけですが、
「電撃戦」という本で最初に問題になるのは、その「電撃戦の定義」です。
以前に紹介したレン・デイトンの「電撃戦」でも、コレを「定義」していましたし・・。
それは本書でも同様で、そもそも「電撃戦」とは一体なんなのか?
誰が、いつ、「電撃戦」と言い出したのか?
または、西方作戦は初めから「電撃戦」として計画されていたのか?
具体的にどのような戦い方が戦略的、作戦的、戦術的に「電撃戦」と言われるのか?

まずは西方戦役の前史として、本来、英仏との戦争を考えていなかったヒトラーが
ポーランド侵攻によって宣戦布告を受けてしまい、陸軍参謀次長シュテルプナーゲル
「これが無責任な政治ゲームの請求書であり、このプレイヤーはとうとう間違ったカードを・・」
と、ここ数年、ツキまくっていたギャンブラーに対して憤激するところからです。
ポーランド戦用の作戦は出来ていたものの、西側諸大国との戦いは全く考慮しておらず、
ヒトラーも参謀本部も総合的な戦争計画は何の準備もしていません。

Hitler during maneuvers at St. Poelten in Austria.jpg

しかし、あっという間にノックアウトしたポーランド戦が終わると、
すぐさま西方作戦を口にして将軍たちを驚かせるヒトラー。
陸軍総司令官ブラウヒッチュは「正気の沙汰ではない」、C軍集団司令官のフォン・レープ
「常軌を逸した構想」と憤慨し、ナチ派のライヒェナウでさえ「犯罪的」と断定します。
さらにはOKW長官のイエスマン、カイテルまでも職務を解いてくれるよう願い出る有様。。
が、結局は兵器や、特に弾薬が底をついているなど、物資面の問題からも
攻撃開始日は何度も変更されて、やっと1940年5月10日に落ち着きます。

本書では当時の装備計画は古色蒼然たる「塹壕戦構想」から出発しているとして、
ヒトラーの気持ちが、まるでヴェルダンの復讐戦をやるかのように重砲に向けられ、
竣工したばかりの巡洋戦艦シャルンホルストとグナイゼナウの主砲を外して、
マジノ線を制圧することを思いつく始末だったと・・。

Walther Von Brauchitsch;Adolf Hitler.jpg

こうした状況で国防軍内に参謀総長のハルダーを中心としたクーデター派が登場してきます。
手提げカバンにピストルを忍ばせたハルダーですが、結局は挫折・・。そして戦後の彼の告白も・・。
「クーデターをやればよかったというのか? 参謀本部の長である私が暗殺者に?」
そして、ヒトラー暗殺を諦めたハルダーは「どうせやるなら勝つしかない」とばかりに
本来の職務である西方作戦計画に没頭していくのでした。

ですが、彼の作ったものはヒトラーからもダメ出しされる程度の二流の計画に終始・・。
著者は、これが西方進撃をヒトラーに諦めさせるための抗議行動と解釈するのが
妥当ではないか・・としています。

hitler_halder.jpg

そんななか、全く別の場所でも作戦計画を立てている人物が・・。
ご存じ、A軍集団参謀長のフォン・マンシュタインです。
「攻撃の重点を北方から中央に移し、精鋭装甲部隊による突破攻撃を敢行せよ」
本書では「"鎌"計画」と呼ばれる、有名なマンシュタイン・プランの誕生です。
この斬新な計画を参謀本部へシツコク提示するも、ハルダーに握りつぶされ・・という展開も
良く知られていますが、ココでは前参謀総長ベック時代に第1補佐官兼代理として
将来の参謀総長の座が約束されていたマンシュタインが、「ブロムベルク=フリッチュ危機」に伴い、
左遷され、次長にハルダーが就任。そしてヒトラー反対派のベックが辞任するとその後釜に・・という
過去の2人の確執の原因と、バイエルン人ハルダーとプロイセン人マンシュタインの気質と
頭の構造の違いにまで言及しています。

Erich v Manstein_Franz Halder.jpg

結局、マンシュタイン・プランがヒトラーの目に留まることと引き換えのように彼は再び、左遷。
最終的にこの作戦計画を仕上げたハルダーですが、「続ドイツ装甲師団」に書かれていた
フォン・ボックの罵倒の他にも、「装甲兵種の墓堀人」と雑言を浴びせられることに・・。
1940年3月の段階でも、ヒトラーの元に参集した保守派の軍人たちは懐疑的。。。
戦車の鬼グデーリアンに対する「ムーズ川を渡った後、どうするのか?」というヒトラーの質問に
第16軍司令官のブッシュが口を挟み「いや、君に渡れるとは思わない」
これにグデーリアンは返答します。「あなたがやるわけではない」

Heinz Guderian und Ernst Busch.jpg

このような作戦段階を総括して本書では、「まやかし戦争」は英仏にとって有利なものであり、
一方、ドイツは経済封鎖がもたらす戦略的「兵糧攻め」を打ち破るには、
思い切った作戦を講じて、戦線の外(西方)へ打って出るしかなったとしています。

いよいよ西方作戦開始。本書はタイトルが電撃戦の・・となっているように、
この巨大な3個軍集団全体の戦いを検証せず、フォン・ルントシュテット率いる中央のA軍集団、
もっと言えば、フォン・クライスト率いるクライスト装甲集団の戦いに限定しています。
リデル・ハートの言う「「闘牛士の赤いマント」である右翼のB軍集団が敵軍を挑発して誘い込み、
A軍集団が「剣」となって敵軍の開いた脇腹に突き刺さる」というこの作戦。
13万人の人員、4万台の車両を揃えたクライスト装甲集団は、まさしくその「剣先」であり、
この型破りな大装甲部隊を指揮する中心人物は、もちろんグデーリアンです。

Gelb_manstein.jpg

後の陸軍参謀総長に大抜擢されるツァイツラー大佐が参謀長を務めるこの装甲集団ですが、
正規軍で構成された軍集団のなかにあって、このような新しい兵科の部隊は、
まるで外人部隊のような存在であり、各軍も彼らを自軍の配下に治めようと画策します。
歩兵軍に手綱を握られては彼らの「露払い」に甘んじることなりかねないクライストは、
装甲集団が歩兵軍の遥か前方で作戦していれば良し。しかし攻撃が停滞し、
その間隔がなくなれば・・というルントシュテットの妥協案を受け入れ、
これが結果的に「うしろから魔王どもに追われている」かのごとき
死にもの狂いの突進を行うことになった・・と表現しています。

W.Front May 1940.jpg

そして予定通りとはならなかった出だしの車両の大渋滞。。。
ラインハルト率いる装甲軍団はグデーリアン軍団の後塵を進むこととなりますが、
奇跡的にもフランス軍総司令部は偵察機からの報告を「幻である」と決めつけます。
さらに、その後もドイツ軍の侵攻スピードは前大戦を基準としたことから、
ムーズ川での渡河準備まで2週間はかかると判断・・。

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グデーリアン軍団では精鋭中の精鋭である「第1装甲師団」が先鋒を努めますが、
この師団の編成表を見ると、師団長キルヒナー以下、作戦参謀にはヴァルター・ヴェンク
第1伝令将校にフォン・ローリングホーフェン、狙撃兵連隊長はヘルマン・バルク
砲兵大隊長にはフォン・ヒューナースドルフ、戦車大隊長にはあのシュトラハヴィッツ伯爵
強烈な、錚々たる面子が揃ってますね。

Friedrich Kirchner.jpg

こうして遂にセダンを突破。ムーズ川渡河では、精鋭グロースドイッチュランド歩兵連隊と
突撃工兵大隊が大活躍をしています。
また、これも良く言われる「幻の戦車」報告によって狂乱が起き、
フランス軍が我先にと撤退していく様子。。
前大戦では4年を費やしても打開できなかった戦局を、僅か5日間で空けた巨大な突破口。
装甲部隊は橋頭堡から一気に西進を目論みますが、
後続の歩兵部隊が追いつくまで待機・・との命令が。。
決断を迫られるグデーリアン・・。その結論は、当然「命令無視」です。
戦法の常道をも打ち破り、英仏海峡を目指し、怒涛の進撃を開始するのでした。

L'un de mes Panzer III a également réussi à prendre pied sur la rive française.jpg

上巻はコレにて終了です。
この上巻を読んだ感想を恥ずかしいほど簡単に書くと「ムチャクチャ面白い!」
当初は専門的で難しそうだな・・とも思っていましたが、いやいやなんのなんの・・。
著者フリーザー氏が読みやすいように文章を整理した校閲者の女史に礼を述べているように
専門用語の応酬という堅苦しいものではなく、部分的にはパウル・カレルを彷彿とさせるような
戦闘シーンの記述もあったり、また、訳者さんの力に負うところも大きいのかも知れません。



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ドイツを焼いた戦略爆撃 1940-1945 [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

イェルク・フリードリヒ著の「ドイツを焼いた戦略爆撃 1940-1945」を読破しました。

ハンブルクやケルン、ドレスデンにベルリンといった大空襲や爆撃について
もっと勉強したいと常々思っていたヴィトゲンシュタインですが、
今年の2月に発売されたばかりの本書を見つけたとたん「うぉ~!!」と声が出ました。
そして520ページで定価6930円・・・「う~ん・・?」。
みすず書房はしっかりした良い本を出してて有名ですが、それにしても高くないかぁ・・?
古書で3000円くらいになるのは1年以上先になりそうだなぁ・・
ということで、例の図書館システムで検索してみると・・、ありました!
凄いぞ!図書館システム!!

ドイツを焼いた戦略爆撃 1940-1945.jpg

第1章は「兵器」です。
1942年の終わりから英空軍省で熱心に研究された焼夷弾による攻撃方法。
それまでベルリンなどの空爆で使用された通常爆弾が敵にさほど損害を与えていないことから、
消防の防火技師も加わって、いかに燃やし尽くすか・・が検討され、
重量のあるブロックバスター弾で建物の屋根や窓を吹き飛ばし、
建物が暖炉のような姿になったところに、焼夷弾を雨のように降り注ぐ・・という戦術です。
このように第2次大戦の爆撃の歴史から始まるものではなく、この焼夷弾から始まるところに
本書のポイントがあり、表紙の写真と同様、原題はズバリ、「火災」です。

Lancaster  Dropping_Blockbuster_ Duisburg_1944.jpg

続いて、英爆撃機軍団とそれに対抗するドイツ本土の空の防衛線である
「カムフーバー・ライン」、そしてそのレーダー網をあざ笑うかのような
「アルミ箔片」による大混乱も紹介されます。
しかし英爆撃機軍団も1943年の時点で3500機が帰還せず、2万名が戦死。
その戦いの様子・・ドイツの迎撃戦闘機に取り付けられた70度の角度の2センチ砲によって
爆撃機の死角である下部後方からの攻撃や、88㎜高射砲から放たれる
1500個もの尖った破片を高速でばら撒く榴散弾の恐怖・・。

Me_109_G-6_.jpg

「戦略」の章ではドイツ本土の無差別爆撃を推奨する英首相チャーチル
爆撃機軍団司令官となったアーサー・ハリスが登場し、繰り返される都市爆撃以外にも、
ダム爆撃による洪水作戦と、1944年3月にチャーチルが米国に注文した
「炭疽爆弾」50万個で、その地を居住不能にしようとしたという話も出てきました。
結局は連合軍がドイツ本土に侵攻することで、この病原菌ばら撒き作戦は中止となり、
より衛生的な「火炎攻撃」を選択します。

Arthur Harris.jpg

このようにして、遂に完成の域に達した、この火災を目的とした爆撃により、
1945年2月には有名なドレスデン大空襲に加え、
人口6万5千人の街プフォルツハイムも3人にひとり、2万人以上が死亡します。
犠牲となった人々の死に方も様々です。
500ポンド爆弾の爆風によって一瞬うちに死んだ人々もいれば、
炎で出来た「キノコ」という猛烈な強風のファイヤーストームに吸い込まれ焼死したり、
燃える突風の中で酸素不足となって、呼吸もできずに息絶えます。
それを避けるために冬のエンツ川に飛び込み、溺死した人々・・。
地下室でも発生したガスで、多くの人々が死んでいきます。

Eine Mutter über dem Kinderwagen ihrer Zwillinge im Tode erstarrt.JPG

連合軍の爆撃戦略によって死亡したのはドイツ市民だけではありません。
ノルマンディ上陸を果たしたアイゼンハワーは当初からドイツ軍の重要拠点を爆撃することを計画し、
それによって、フランスやベルギー市民も数万人単位で死亡することをやむなしとしていたそうです。
そして戦争開始から5年経っても軍人と民間人の区別がつかない「爆弾」は、
ランカスターの絨毯爆撃によって1500名のル・アーヴル市民を殺し、カーンでも3000名、
ブローニュやカレーの湾岸要塞への爆撃で6000名という「フランス大虐殺」が行われます。

d-day-aftermath.jpg

一方のヒトラーは報復兵器「V1」と「V2」でロンドンを廃墟にしようとしますが、
結局は、その精度と破壊力の弱さから英国人9000人程度を殺すに留まり、
この報復兵器は最初から報復能力を欠いていた・・と、本書では言われてしまってます。

Germany's Blitz of London kills.jpg

「国土」の章では、連合軍の空爆を受けた数限りない都市と街が
その歴史から爆撃の被害まで紹介されますが、この次から次へと出てくる地名を
すべて知っているのは、ドイツ人だけではないでしょうか?
ヴィトゲンシュタインは幸いにも、昔からドイツ・サッカーが好きだったこともあり、
ドルトムントやカイザースラウテルン、フライブルク、カールスルーエ、ビーレフェルト、
メンヘングラードバッハなどが紹介されると、昔の名選手やそのシュタディオンの名前と
雰囲気を思い出したりして、別の意味でも楽しめました。

Excellent of large anti-aircraft flak tower in the Tiergarten section.jpg

「防衛」では夜間戦闘機や高射砲といった、迎撃的な話には触れられず、
市民の身の守り方・・が詳しく書かれています。
国家と各々の都市で制定されている防空法によって、地下室が強化され、
また、ベルリンの総統地下壕のような分厚いコンクリートの天井を持つ、
大きなブンカーも各地に作られます。
このブンカーも大きく2種類に分けられ、地下よりも建設費の安い塔状の高射砲ブンカーも
紹介されますが、地下室より安全なブンカーには定員の3倍~4倍の人々が殺到し、
「折り畳み椅子部隊」と呼ばれる人々は、真っ先にブンカーへ突入できるよう
入り口で待ち続けます。
他にも、ヒトラー直々の灯火管制制度に違反をすると、8日間の停電という罰を食らった話も・・。

The enemy sees your light. Darken! 1940.jpg

瓦礫の中での生存者の捜索と救助の様子も印象的です。
特に、最近このような被害を連日TVでも見ていただけに生々しく感じました。
地下4mに潜り込んだ不発弾の処理には防空警備隊や消防士たちが命がけで信管除去に挑み、
それでも人手が足りず「ダッハウ」などの強制収容所の収容者がボランティアとして召集・・。
報酬を期待する彼らは募集12人に対して、100名もが名乗り出ます。
しかし恐るべきは、投下後、36時間~144時間で爆発するようにセットされた時限式爆弾です。。。

Luebeck, Germany, after RAF bombs, March 1942.jpg

更に囚人以外にも、外国人労働者や強制労働従事者には遺体収容作業も待っています。
地下室では出産中の女性の死体や、コークスが燃えて湯に煮られてドロドロになった人々、
炭化して縮んでしまった人々、まるで幽霊のように椅子に座ったままの人々・・。
彼らはアルコールの力を借りて、泣き崩れながらも、これらの遺体の回収を繰り返します。

Dresden, Tote nach Bombenangriff.jpg

撃墜されパラシュートによって助かった連合軍の戦闘機や爆撃機パイロットらは
ジュネーブ条約によって捕虜となるわけですが、
子供を殺したその不時着したパイロットを殴り殺してしまう親も当然存在します。
B-24リベレーターの乗員8名が連行されるとの情報を聞きつけた人々は、
女子供も杖に、棒、スコップで武装して集まり、襲い掛かります。
生き残ったのは2人だけ・・。

in Holland against terror America, 1944.jpg

最後の「日本の読者に向けた後書き」と「訳者後書き」では、2002年に出版された原著は
ベストセラーになったものの、英国のみならず、ドイツ国内からも批判に晒されたということです。
これは、いまだナチス・ドイツの犯罪行為を償う歴史教育が最優先されており、
自国が受けた被害を語ることに多くのドイツ人が引け目を感じているからだそうですが、
本書では多くの市民が死亡した地下室を「火葬場」と呼んだり、
爆撃による死亡者を「抹殺された人々」と書いたり、
爆撃機軍団の最精鋭である第5爆撃航空軍を「特別行動隊」と表現したり
(原著ではアインザッツグルッペです・・)、というのがホロコーストを連想させるようです。

dresden 1945_2.jpg

空からの「火葬」のほうがSS方式の大量殺人よりも法的正当性があるのか・・?
また、爆撃した側は「戦争犯罪人」なのか・・という問題でも、英米の裁判官の誰も
7万人のドイツの子供の死を法的に審査する義務を感じないなら、
爆撃戦争は公的に許容されるのだとしています。

Bombing of World War II.jpg

自分はそれほど違和感は感じませんでしたが、確かに度々登場するチャーチルとハリス司令官は
一般的な戦争モノにおけるヒトラーとヒムラーを連想させるものでした。
上下二段組でビッチリと書かれた本書は写真も数えるほどしかなく、
このボリュームと徹底した内容は、読みながら何度もため息が出ました・・。
本書がドイツ本土爆撃における「決定版」であるのは間違いないでしょう。



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神々の黄昏 -ヨーロッパ戦線の死闘- [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アラン・ムーアヘッド著の「神々の黄昏」を読破しました。

「神々の黄昏」なんていうタイトルだと、どうしても10年くらい前に読んだ
グラハム・ハンコックの「神々の指紋」をイメージしてしまいましたが、
アレは「古代文明の遺跡」モノでしたね。
本書のもともとのタイトルは「崩壊 -ヨーロッパ戦線1943-1945-」で、
こちらだと1943-1945にかけてヨーロッパ戦線で「崩壊」していくドイツ軍・・というのが
タイトルだけで充分に伝わってきます。。。

神々の黄昏.jpg

1943年8月、シチリアに上陸したモントゴメリー率いる英第8軍と共にメッシーナを目指す
3人の戦場特派員のひとり、ロンドンのデイリー・エクスプレス紙の記者、ムーアヘッド・・。
すでに北アフリカ戦線での勝利までも追いかけてきた、ベテラン戦場記者です。

第8軍兵士とともにメッシーナ海峡を渡って、いよいよイタリア本土に上陸を果たします。
そこではムッソリーニを追放し、その後任となったバドリオ元帥が「あの男が、どれだけ
このイタリアに恐怖をもたらしたことか!」と語る姿に、異を唱えます。

Benito Mussolini, 1943.jpg

ムッソリーニとファシズムに賭け、勲章と金を貰ってきた連中が、ここに至って
「我々の哀れな祖国は、あのとんでもない男のおかげで、酷い罪を犯してしまった」
などという、そんな虫のいい話は通らない・・。
そして市民全体を見ても、イタリア人が反省もせず、すべてをファシストのせいにしていると・・。

同じイタリアでもナポリだけは特殊な状態です。
飢えが支配し、大人から子供までが闇市やインチキな商売に手を染め、
誇りや尊厳もない、動物的な生存競争・・、食料のために人間の道徳が崩壊した姿です。

Napoli 1943 liberazione.jpg

このあたり特に興味深かったのがユーゴの混沌とした政情と、それに伴う連合軍の戦略です。
1941年に英国へ亡命した若き国王ペータル2世を支持する連合軍は、
祖国で一大パルチザン部隊を築き上げているチトーを認めつつあるものの、
その協力を始めた時には、すでに手遅れだった・・というものです。
このユーゴスラヴィア史は大変興味がありますし、ギリシャ王女の奥さん、アレキサンドラも
とても美しいので、なにか良い本がないか探してみます。

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モンテ・カッシーノで繰り返される猛爆撃・・、しかし、「ドイツ軍は狂信的な反撃を続け、
地下で暮らし、ときに死ぬために地上へ出てきた」。
こうしたイタリア作戦をムーアヘッドは振り返り、
「初めから明確で妥当な軍事上の目的を欠いた作戦」として
「いまだに無駄な作戦であったと思う」と感想を残します。

Monte Cassino.jpeg

アフリカで輝かしい記録を樹立した攻撃的な将軍、ロンメルこそフランスを防衛し、
旧敵モントゴメリーに最後のとどめを刺すべき男・・。そして、万一に備え、
偉大なプロであるルントシュテットは西部戦線全体を統括する最高司令官の位置に残された。
これがムーアヘッドの見るドイツ西方軍です。

Blaskowitz__Sperrle_von Rundstedt_Rommel_Krancke.jpg

上陸したノルマンディでの攻守入り乱れる激闘の記録・・。
ヴィレル・ボカージュやカーンが瓦礫の街と化すもののフランス人は廃墟の真ん中で開放を祝い、
国旗を掲揚し、ラ・マルセイエーズを歌います。
そしてそれは開放された首都、パリでも同様です。
熱烈な歓迎・・、50人から100もの女性が手を差し伸べ、キスの嵐が。。
兵士たちは自衛のために少しでも綺麗な女を選び出そうと懸命です。

La Libération.JPG

ちなみに昔からサッカーのW杯などを観て、国歌には結構うるさいヴィトゲンシュタインですが、
一番気合が入るのが、このラ・マルセイエーズです。フランス革命の唄ですから歌詞も凄い。。



いざ祖国の子らよ、栄光の日は来た!
我らに向かって、暴君の血塗られた軍旗は掲げられた!
聞こえるか、戦場であの獰猛な兵士どもが唸るのを?
奴らは我々の腕の中まで
我らの息子や仲間を殺しにやって来る!

武器を取れ、市民諸君!
隊伍を整えよ!
進もう!進もう!
不浄な血が我々の畝溝に吸われんことを!

liberation-de-Paris-1944.jpg

ドゴール将軍が凱旋門に到着しても、抵抗するドイツ軍狙撃兵に混じって、
フランス人の保安隊(ミリス)も屋根の上からパリ市民を狙い続けます。
この保安隊(ミリス)というのは良く知りませんでしたが、戦争に押し流され、
人間のまともな繋がりを見失ってしまった若者の集団だそうです。
怒りや憎しみではなく、ただ殺したいがために祖国の反逆者となった彼らは
捕まれば、群衆の手で惨殺される運命を知りながら、弾が尽きるまで自由を謳歌します・・。

Liberation de Paris.JPG

パリに続く首都はベルギーのブリュッセル奪還です。
ドイツ軍に対する激しすぎる憎悪と、解放された激しすぎる歓びで、
10日間に渡って狂乱状態が続きます。
アントワープの動物園ではドイツ兵だけではなく、対独協力者の裏切り者ベルギー人、
女性も娼婦以外に彼らの妻や娘も檻に入れられ、市民の見世物に・・。
そしてドイツ兵は英軍に引き渡されますが、対独協力者は即席裁判の末、銃殺刑です・・。

libération de Bruxelles.jpg

ムーアヘッドは「マーケット・ガーデン作戦」にも同行しています。凄いですねぇ。
最初に奪取したアイントホーフェンの街はオレンジ一色でお祭り気分に浸っていたというのも
遠すぎた橋」を彷彿とさせますね。さらには「バルジ大作戦」も結構詳しく書いています。

Liberation_of_Eindhoven.jpg

遂に辿り着いたドイツ本土・・。そこは「大聖堂」以外がすべて瓦礫となった街、ケルン・・。
途中、ヘミングウェイに出会ったりというシーンもありましたが、
ヘミングウェイって第一次大戦やスペイン内戦に参加したのは有名ですが、
第2次大戦にも・・というのは知らなかったなぁ。。

Ernest_Hemingway_and_Buck_Lanham,_1944.jpg

ヴェーザー川近くの小村の倉庫にはドイツ人と外国人労働者が群がっています。
そこにはフランスから略奪してきたと思われる、ムーアヘッドすら見たことのないほどの
逸品揃いのボルドー・ワインが隠されていました。
良い出来のシャトー・ディケムを1ケース抱えた子供がよろめきながら通り過ぎると、
大人の連中はもっと凄いもの・・1929年もののマルゴーとオー・ブリオンを狙っています。
サイズが大きく、はしゃいだ子供が落として壊しがちなのは、世にも美しい大瓶に入った
1891年のラフィット・ロートシルトです・・。こりゃ凄い状況ですね。。
ワイン呑みの自分がその場にいたら、彼らと同じだったでしょう。これは「お宝」ですから。。

Haut-Brion 1929.jpg

解放されたベルゲン・ベルゼン強制収容所の様子と
「私はSSの士官ですから、命令は絶対なんですよ」と言い訳を並べ、石を投げつける
被収容者だけではなく、看守たちからも背を向けられる所長のヨーゼフ・クラーマーSS大尉も登場。

Irma Grese and Josef Kramer at Celle Prison.jpg

そしてドイツは降伏。デーニッツの意を受けたドイツ代表団に対するモントゴメリー。
昼食の席で責任の重大さに圧倒され、5分間も男泣きに泣くフリーデブルク提督の姿に
「目をそむけずにはいられない光景だった」。

このようにしてデンマーとノルウェーの解放と続いて、本書は幕を閉じます。

Kolner Dom.jpg

1945年の10月という、終戦後、わずか5ヶ月後に発刊された本書は
最前線の従軍記者が書いたものということもあって、
著者ムーアヘッドがソコで見聞きし、体験した事柄を生々しく、
また、時には分析しながら、迫力あるタッチで読ませてくれる斬新なものでした。
しかし逆に言えば、本書こそがヨーロッパ戦線の戦記の元祖的な位置づけ
であるのかも知れません。

また、ヒトラーを中心としたドイツ軍側についての記述も所々に出てはきますが、
さすがに終戦後すぐ・・という状況から、「ん?」と言う箇所も結構あります。
例えば、ロンメルやクルーゲの死に関する部分や、
「ラインの守り」作戦を中心となって発案、実行に移すのがヒトラーではなく
ルントシュテットだったり・・。
しかし、コレはコレで、当時のドイツ軍に関する情報や、連合軍から見た印象が
どのようなものだったのかが理解できるという点で、勉強になりました。
「ラインの守り」作戦がなぜ、「ルントシュテット攻勢」と呼ばれたのか・・とかですね。

Time_1944_08_21_Gerd_von_Rundstedt.jpeg

そして本書は各国の解放された市民感情がいかなるものだったのか・・
が大きなテーマとして、あるように感じました。
イタリアに始まり、ノルマンディ、パリといったフランス、ベルギーにオランダ、
デンマークとノルウェー、そしてドイツ国民まで・・。

Alan Moorehead.jpg

それは「ナチス・ドイツからの開放」という単純なものではなく、
開放された喜び方一つ取っても、国民性による違いもありますし、
またイタリアならムッソリーニとファシスト党の崩壊によって「戦うことから開放された」喜び。
フランス、ベルギーはSSとゲシュタポによる恐怖の統治からの開放。
さらに、占領されていた期間の不自由度合い、飢餓の有る無しなどでも
その欲求不満の度合いが違って、ムーアヘッドはこれらの市民の様子から
その国でなにが起こっていたのかを究明しようと試みているかのように感じました。


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ポーランド電撃戦 [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

山崎 雅弘 著の「ポーランド電撃戦」を読破しました。

ドイツ軍名将列伝」の著者によるポーランド戦争を描いた本書は
450ページというなかなかなボリュームと「電撃戦」の文句に惹かれて購入しました。
この「電撃戦」というものは、やはり以前にレン・デイトンのを紹介しましたが、
そこでは「フランス戦役のみが電撃戦であった」と結論付けていたこともあり、
ポーランド侵攻作戦が果たして「電撃戦」だったのか・・、本書の見解は如何に・・。

ポーランド電撃戦.JPG

前半は、10世紀頃のポーランド原形となるポラーニ国の歴史から始まり、中世~18世紀、
東西の大国、ロシアとプロイセンに領土をむしり取られていく宿命、
そして第一次大戦とその後の独立までが予想以上に丁寧に書かれています。

自由都市ダンツィヒの帰属を求めるヒトラーと実質的に管理下に置くポーランド。
多くのドイツ人も住むこのダンツィヒにSA参謀長のルッツェが訪れて大歓迎されたり、
すでにドイツに吸収されたオーストリアやチェコスロヴァキアの運命を目にしている
ポーランド国民が、過去の領土割譲された記憶から、この問題に反対していたことなどが
解説され、英仏に助けを求める外交政策と、そのポーランドを守る必要のある英仏の政策。
それはドイツにとって東の側面が安定すれば、間違いなく自分たちの西へ攻めて来るだろう・・
というのが理由です。

Picture card Danzig is German 1939.jpg

ドイツでもゲーリングなどが独自に戦争回避の道を探りますが、
1939年8月「独ソ不可侵条約」が締結。
通称「ルントシュテット作業班」・・・マンシュタインブルーメントリットゲーレン
作戦参謀チームが作成したポーランド侵攻がいよいよ始まります。

しかしその前に、まず、両国の戦力比を表をもって詳しく解説します。
もう本書の半分を過ぎているのに、なかなか「電撃戦」は始まりません・・。

ポーランドは将校団が保守的であることから伝統的な騎兵が主役です。
しかし戦車もそれなりの数を揃えていたようですが、最も多い国産の偵察戦車
「TK3」と「TKS」という2人乗りで装甲も薄い、別名「豆戦車」というもの。

TKS tankette.jpg

280ページから「ダンツィヒの戦い」がやっと始まります。
ここでは陸上からの攻撃以外にシュトゥーカ急降下爆撃機も早速活躍しますが、
ダンツィヒ湾に面した運河から「シュレスヴィヒ=ホルシュタイン」という
ドイツ海軍の練習艦がポーランド軍の兵営に対して艦砲射撃を行ったという
話がとても興味深く、ポーランド戦に海軍が参加していた話って何かに書かれてたっけ??

German drill ship Schleswig-Holstein opens fire on the polish bunkers at the Westerplatte, a woody peninsula near Danzig.jpg

全てが自動車化、または装甲部隊ではないドイツ陸軍。
ポーランド領内に侵攻する歩兵部隊に精鋭のポーラント「槍騎兵」部隊が襲い掛かります。
このサーベルを抜刀しての騎馬突撃の前にドイツ軍は蹴散らかされるものの、
増援の装甲部隊が到着すると形勢は一気に逆転。
鋼鉄の鎧にはまったく歯が立たない騎兵は連隊長も戦死し、
大損害を受けながら東へ退却して行きます。

The Polish cavalry rides out to meet the armies of the Third Reich in 1939.JPG

このようなドイツ装甲師団は通常「第○装甲師団」といった番号が付与されますが、
「ケンプフ装甲師団」という特別編成の師団が登場してきます。
第7戦車連隊とSSドイチュラント歩兵連隊、SS砲兵連隊といった
陸軍と武装SSの混在編成という非常に珍しい部隊です。
また、師団長のケンプフ少将は、なぜかこのような正規の編成ではない部隊を率いていますねぇ。
後のロシア戦線などでも「ケンプフ軍支隊」を率いていましたし、
実は昔、カレル本で覚えた最初の将軍の名は、このケンプフとホリトだったりします・・。

Werner Kempf.jpg

ポーランド軍は計10本の装甲列車を持っており、本書では以前に紹介した
「シミャウィ(勇者)」号ラインハルト中将の第4装甲師団にも立ち塞がります。
最終的にはソ連に鹵獲されたようですが、その後はドイツ軍の装甲列車として
1944年も戦ったんですね。まさに運命に翻弄される「装甲列車」です。

Śmiały.jpg

表紙も飾るグデーリアンの第19軍団の戦いも紹介されながら、遂にワルシャワを包囲。
南の友好国、ルーマニアへの脱出をも図るポーランド政府と残存部隊・・。
そこへ西からソ連軍がドイツ軍を上回る規模で侵攻してきます。
これを英仏の要請を受け、ポーランドを助けるための来援と思い込んだ
ポーランドの上層部の人間もいたそうです。

German Army invades Poland, September 1, 1939.jpg

この新たな敵に対しても数日間、頑強に防衛したポーランド軍ですが、
結局は、各地で独ソの部隊が手を繋ぎます。
ドイツ軍の占領していたブレスト要塞もグデーリアン出席の元、ソ連に引き渡され、
ワルシャワも陥落・・。ヒトラーも出席しての戦勝パレードが盛大に執り行われます。

Guderian and Krivoshein, joint parade, Brest '39.jpg

ドイツとポーランドの緊張状態。英国、フランス、ソ連の3カ国の政治的傍観姿勢。
そしてポーランドがドイツ軍によって侵攻され、これによって第二次大戦が始まっていく過程を
著者は知識の無い人でも理解しやすく、かつ興味をもってもらうことを目的としているということで、
「電撃戦」についてもあとがきで「ポーランド戦争は後の電撃戦の試験的なもの」であった
としながらも「あえて『ポーランド電撃戦』というタイトルとした」と述べられています。

A father and daughter share a stretcher at a Warsaw first aid station 1939.jpg

これは純粋な読み手と買い手としての意見を言えば、はっきり言って「タイトルに偽りあり」です。
副題もなく「ポーランド電撃戦」であれば、1939年8月から10月くらいまでを濃密に
描いたものであり、「電撃戦」であったと結論付けている・・と想像してもおかしくないでしょう。

実際、ポーランド戦についてあまり詳しくない自分にとって、
後半の「戦記」部分は非常に楽しめましたし、
前半から中盤にかけてのポーランドの歴史や各国の思惑なども勉強になりました。
ですが、さすがに半分ぐらい読み進むと、知っている話も出てくることで「まだかまだか」とイライラ・・。
内容自体は良いものですが、やはり、この内容なら別のタイトルにして欲しかったですねぇ。

Hitler views the victory parade in Warsaw 1939.jpg

そういえば、学研のポーランド電撃戦 (欧州戦史シリーズ )というのも何年か前に読みました。
このシリーズはほとんど持っていますが、確かに文章の書き方など、似た感じもします。
今度、ちょっと読み返してみますか・・。

2010年の「独破戦線」はこれにて終了です。
相変わらず、納得できるレビューが書けませんが、来年も精進いたします。
それでは皆さん、良いお年を・・。





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