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ポーランド電撃戦 [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

山崎 雅弘 著の「ポーランド電撃戦」を読破しました。

ドイツ軍名将列伝」の著者によるポーランド戦争を描いた本書は
450ページというなかなかなボリュームと「電撃戦」の文句に惹かれて購入しました。
この「電撃戦」というものは、やはり以前にレン・デイトンのを紹介しましたが、
そこでは「フランス戦役のみが電撃戦であった」と結論付けていたこともあり、
ポーランド侵攻作戦が果たして「電撃戦」だったのか・・、本書の見解は如何に・・。

ポーランド電撃戦.JPG

前半は、10世紀頃のポーランド原形となるポラーニ国の歴史から始まり、中世~18世紀、
東西の大国、ロシアとプロイセンに領土をむしり取られていく宿命、
そして第一次大戦とその後の独立までが予想以上に丁寧に書かれています。

自由都市ダンツィヒの帰属を求めるヒトラーと実質的に管理下に置くポーランド。
多くのドイツ人も住むこのダンツィヒにSA参謀長のルッツェが訪れて大歓迎されたり、
すでにドイツに吸収されたオーストリアやチェコスロヴァキアの運命を目にしている
ポーランド国民が、過去の領土割譲された記憶から、この問題に反対していたことなどが
解説され、英仏に助けを求める外交政策と、そのポーランドを守る必要のある英仏の政策。
それはドイツにとって東の側面が安定すれば、間違いなく自分たちの西へ攻めて来るだろう・・
というのが理由です。

Picture card Danzig is German 1939.jpg

ドイツでもゲーリングなどが独自に戦争回避の道を探りますが、
1939年8月「独ソ不可侵条約」が締結。
通称「ルントシュテット作業班」・・・マンシュタインブルーメントリットゲーレン
作戦参謀チームが作成したポーランド侵攻がいよいよ始まります。

しかしその前に、まず、両国の戦力比を表をもって詳しく解説します。
もう本書の半分を過ぎているのに、なかなか「電撃戦」は始まりません・・。

ポーランドは将校団が保守的であることから伝統的な騎兵が主役です。
しかし戦車もそれなりの数を揃えていたようですが、最も多い国産の偵察戦車
「TK3」と「TKS」という2人乗りで装甲も薄い、別名「豆戦車」というもの。

TKS tankette.jpg

280ページから「ダンツィヒの戦い」がやっと始まります。
ここでは陸上からの攻撃以外にシュトゥーカ急降下爆撃機も早速活躍しますが、
ダンツィヒ湾に面した運河から「シュレスヴィヒ=ホルシュタイン」という
ドイツ海軍の練習艦がポーランド軍の兵営に対して艦砲射撃を行ったという
話がとても興味深く、ポーランド戦に海軍が参加していた話って何かに書かれてたっけ??

German drill ship Schleswig-Holstein opens fire on the polish bunkers at the Westerplatte, a woody peninsula near Danzig.jpg

全てが自動車化、または装甲部隊ではないドイツ陸軍。
ポーランド領内に侵攻する歩兵部隊に精鋭のポーラント「槍騎兵」部隊が襲い掛かります。
このサーベルを抜刀しての騎馬突撃の前にドイツ軍は蹴散らかされるものの、
増援の装甲部隊が到着すると形勢は一気に逆転。
鋼鉄の鎧にはまったく歯が立たない騎兵は連隊長も戦死し、
大損害を受けながら東へ退却して行きます。

The Polish cavalry rides out to meet the armies of the Third Reich in 1939.JPG

このようなドイツ装甲師団は通常「第○装甲師団」といった番号が付与されますが、
「ケンプフ装甲師団」という特別編成の師団が登場してきます。
第7戦車連隊とSSドイチュラント歩兵連隊、SS砲兵連隊といった
陸軍と武装SSの混在編成という非常に珍しい部隊です。
また、師団長のケンプフ少将は、なぜかこのような正規の編成ではない部隊を率いていますねぇ。
後のロシア戦線などでも「ケンプフ軍支隊」を率いていましたし、
実は昔、カレル本で覚えた最初の将軍の名は、このケンプフとホリトだったりします・・。

Werner Kempf.jpg

ポーランド軍は計10本の装甲列車を持っており、本書では以前に紹介した
「シミャウィ(勇者)」号ラインハルト中将の第4装甲師団にも立ち塞がります。
最終的にはソ連に鹵獲されたようですが、その後はドイツ軍の装甲列車として
1944年も戦ったんですね。まさに運命に翻弄される「装甲列車」です。

Śmiały.jpg

表紙も飾るグデーリアンの第19軍団の戦いも紹介されながら、遂にワルシャワを包囲。
南の友好国、ルーマニアへの脱出をも図るポーランド政府と残存部隊・・。
そこへ西からソ連軍がドイツ軍を上回る規模で侵攻してきます。
これを英仏の要請を受け、ポーランドを助けるための来援と思い込んだ
ポーランドの上層部の人間もいたそうです。

German Army invades Poland, September 1, 1939.jpg

この新たな敵に対しても数日間、頑強に防衛したポーランド軍ですが、
結局は、各地で独ソの部隊が手を繋ぎます。
ドイツ軍の占領していたブレスト要塞もグデーリアン出席の元、ソ連に引き渡され、
ワルシャワも陥落・・。ヒトラーも出席しての戦勝パレードが盛大に執り行われます。

Guderian and Krivoshein, joint parade, Brest '39.jpg

ドイツとポーランドの緊張状態。英国、フランス、ソ連の3カ国の政治的傍観姿勢。
そしてポーランドがドイツ軍によって侵攻され、これによって第二次大戦が始まっていく過程を
著者は知識の無い人でも理解しやすく、かつ興味をもってもらうことを目的としているということで、
「電撃戦」についてもあとがきで「ポーランド戦争は後の電撃戦の試験的なもの」であった
としながらも「あえて『ポーランド電撃戦』というタイトルとした」と述べられています。

A father and daughter share a stretcher at a Warsaw first aid station 1939.jpg

これは純粋な読み手と買い手としての意見を言えば、はっきり言って「タイトルに偽りあり」です。
副題もなく「ポーランド電撃戦」であれば、1939年8月から10月くらいまでを濃密に
描いたものであり、「電撃戦」であったと結論付けている・・と想像してもおかしくないでしょう。

実際、ポーランド戦についてあまり詳しくない自分にとって、
後半の「戦記」部分は非常に楽しめましたし、
前半から中盤にかけてのポーランドの歴史や各国の思惑なども勉強になりました。
ですが、さすがに半分ぐらい読み進むと、知っている話も出てくることで「まだかまだか」とイライラ・・。
内容自体は良いものですが、やはり、この内容なら別のタイトルにして欲しかったですねぇ。

Hitler views the victory parade in Warsaw 1939.jpg

そういえば、学研のポーランド電撃戦 (欧州戦史シリーズ )というのも何年か前に読みました。
このシリーズはほとんど持っていますが、確かに文章の書き方など、似た感じもします。
今度、ちょっと読み返してみますか・・。

2010年の「独破戦線」はこれにて終了です。
相変わらず、納得できるレビューが書けませんが、来年も精進いたします。
それでは皆さん、良いお年を・・。





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コメント 3

ぴっちゃん

はじめまして。

「電撃」戦は語感が格好良いので商業的意味合いからタイトルにするのが「合理的」と考え正当化したのでしょう。こまったものです。ポーランド騎兵についての記述も読者に誤解を与えかねないものとなっています。

また、内容について些細なことですが、ポーランド軍は平地にあり防衛の難しいワルシャワが陥落したらソ連が進行するまではルーマニアでなく「ルーマニア橋頭堡」と呼ばれるポーランド領内南東部カルパチア山脈の山岳地帯に司令部を移動して、英仏が参戦してくるまで持ちこたえることにしていました。ところが突然ソ連が条約を破って東から侵攻してきたためさすがにこれはだめだということで軍の中央機能はルーマニア橋頭堡からルーマニアを経由してフランスへと移すことになりました。これについてはWikipediaの「ポーランド侵攻」のほうがより正確に記述されているようです。その部分はどうも英語版の該当部分を和訳したもののようです。
by ぴっちゃん (2011-01-02 12:35) 

ヴィトゲンシュタイン

ど~も、ぴっちゃんさん。はじめまして。

詳しい方のコメントは大変参考になります。
自分もレビューを書く際には、一般的な解釈などに多少Wikiも参考にしていますが、何が真実なのか・・は、実に難しいところですね。

本のタイトルについては、個人的な「こだわり」があるので、いろいろと書いてしまいましたが、本書の著者のものは「ロンメル・・」と「西部戦線・・」も持っていますので、そのうち独破する予定です。これは間違いないでしょう。
by ヴィトゲンシュタイン (2011-01-02 20:31) 

ぴっちゃん

ルーマニア橋頭堡の件、ソースは元ブリストル大学政治学教授のジョージ・サンフォード博士の研究「Katyn and the Soviet massacre of 1940: truth, justice and memory」のようです。英語での原書はGoogleブックスにもあります。目次をみると20ページあたりからの記述じゃないかなと思うのですが、私のブラウザでは閲覧制限分を超えており本文が表示されません。読むには現物か電子書籍で直接買うしかないようです。
by ぴっちゃん (2011-01-03 21:06) 

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