ドイツ戦車軍団 [ドイツ陸軍]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
F.W.フォン・メレンティン著の「ドイツ戦車軍団」を読破しました。
この抽象的なタイトルから具体的な内容を推測することは大変です。
まず、フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・メレンティンという如何にも貴族然とした
名を持つ著者の経歴はというと、
大尉の階級でポーランド作戦に、続くフランス侵攻、バルカン作戦を
前線の情報参謀/作戦参謀として参加し、さらにアフリカ装甲集団の作戦参謀、
続く東部戦線では、南方軍集団隷下の第48装甲軍団参謀長、
西部戦線においてもG軍集団参謀長を勤め、最終階級は少将という人物です。
上巻「電撃進攻編」ではバルカン作戦まであっさりと語られますが、
1938年にベルリンの執務室に入って来た「ヒトラーユーゲント軍事教練指導官」の大佐・・
即ち、エルヴィン・ロンメル大佐とのはじめての出会いから、一気に盛り上がってきます。
砂漠の戦いについて独英双方の戦術などを詳細に解析しているのは当然ですが、
アフリカ装甲集団の作戦参謀としての立場から見たロンメル像が特におかしく
本来の参謀長の責務範囲内のことにもちょくちょく口をはさみ、
また、司令官が不在の時には参謀長が司令部で代理を勤めるのが当然なのに
日々の最前線の視察に必ず参謀長も随行するものと決めてかかっているという
「厄介なクセ」など、参謀経験のないロンメルならではの常識、非常識を語っています。
続く下巻「決戦死闘編」の舞台は、いきなりスターリングラードでの
第6軍敗北の様子から始まります。
その後に連続して起こったコーカサス(カフカス)方面軍の脱出、ハリコフ奪還を指導した
ドン軍集団司令官フォン・マンシュタイン元帥については、最高の戦術家であり
過去においても、この作戦に比肩しうるものがあるかと絶賛しています。
もし、その後の東部戦線の指揮が完全にマンシュタインに任されていたら、
柔軟な戦線の構築によりドイツ軍側の被害を最小限に留めつつ、反撃を繰り返すことで、
無尽蔵といわれるロシアの人的資源も最終的には費え、
違う結果になったかもしれないとしています。
1943年の夏季攻勢「ツィタデレ作戦」からドイツ軍の後退と続き、
解任されたマンシュタインに代わったモーデルという有名な元帥同士の比較も興味深く、
30頁ほどを割いた「ソ連軍の戦いぶり」の章はソ連兵の心理、戦術の変化、
補給など毎にわかりやすく解説していて、特別印象に残りました。
その後、第48装甲軍団司令官であり、非常に優れた野戦司令官として尊敬する
ヘルマン・バルク将軍とともに西部戦線のG軍集団へ転属となると
そこでは敬愛していたロンメル元帥の突然の死を知らされます。
また、ヒトラーの代理として葬儀に出席して行ったルントシュテット元帥については、
その死の真相を知っていたとは考えられないと述べています。
以前のタイトル「ドイツ戦車軍団全史―フォン・メレンティン回想録」が的を得ているように
ほぼ、全ての戦場で戦車を中心とした、その名将たちによる装甲(機甲)部隊の
軍団レベルでの戦いをまじかに見てきたプロの参謀による回想録であり、
敵側を含め、戦術的に非常にバランス良く解説した読み応えのあるものです。
F.W.フォン・メレンティン著の「ドイツ戦車軍団」を読破しました。
この抽象的なタイトルから具体的な内容を推測することは大変です。
まず、フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・メレンティンという如何にも貴族然とした
名を持つ著者の経歴はというと、
大尉の階級でポーランド作戦に、続くフランス侵攻、バルカン作戦を
前線の情報参謀/作戦参謀として参加し、さらにアフリカ装甲集団の作戦参謀、
続く東部戦線では、南方軍集団隷下の第48装甲軍団参謀長、
西部戦線においてもG軍集団参謀長を勤め、最終階級は少将という人物です。
上巻「電撃進攻編」ではバルカン作戦まであっさりと語られますが、
1938年にベルリンの執務室に入って来た「ヒトラーユーゲント軍事教練指導官」の大佐・・
即ち、エルヴィン・ロンメル大佐とのはじめての出会いから、一気に盛り上がってきます。
砂漠の戦いについて独英双方の戦術などを詳細に解析しているのは当然ですが、
アフリカ装甲集団の作戦参謀としての立場から見たロンメル像が特におかしく
本来の参謀長の責務範囲内のことにもちょくちょく口をはさみ、
また、司令官が不在の時には参謀長が司令部で代理を勤めるのが当然なのに
日々の最前線の視察に必ず参謀長も随行するものと決めてかかっているという
「厄介なクセ」など、参謀経験のないロンメルならではの常識、非常識を語っています。
続く下巻「決戦死闘編」の舞台は、いきなりスターリングラードでの
第6軍敗北の様子から始まります。
その後に連続して起こったコーカサス(カフカス)方面軍の脱出、ハリコフ奪還を指導した
ドン軍集団司令官フォン・マンシュタイン元帥については、最高の戦術家であり
過去においても、この作戦に比肩しうるものがあるかと絶賛しています。
もし、その後の東部戦線の指揮が完全にマンシュタインに任されていたら、
柔軟な戦線の構築によりドイツ軍側の被害を最小限に留めつつ、反撃を繰り返すことで、
無尽蔵といわれるロシアの人的資源も最終的には費え、
違う結果になったかもしれないとしています。
1943年の夏季攻勢「ツィタデレ作戦」からドイツ軍の後退と続き、
解任されたマンシュタインに代わったモーデルという有名な元帥同士の比較も興味深く、
30頁ほどを割いた「ソ連軍の戦いぶり」の章はソ連兵の心理、戦術の変化、
補給など毎にわかりやすく解説していて、特別印象に残りました。
その後、第48装甲軍団司令官であり、非常に優れた野戦司令官として尊敬する
ヘルマン・バルク将軍とともに西部戦線のG軍集団へ転属となると
そこでは敬愛していたロンメル元帥の突然の死を知らされます。
また、ヒトラーの代理として葬儀に出席して行ったルントシュテット元帥については、
その死の真相を知っていたとは考えられないと述べています。
以前のタイトル「ドイツ戦車軍団全史―フォン・メレンティン回想録」が的を得ているように
ほぼ、全ての戦場で戦車を中心とした、その名将たちによる装甲(機甲)部隊の
軍団レベルでの戦いをまじかに見てきたプロの参謀による回想録であり、
敵側を含め、戦術的に非常にバランス良く解説した読み応えのあるものです。
ロンメル将軍 [ドイツ陸軍]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
デズモンド・ヤング著の「ロンメル将軍」を読破しました。
子供のころから書店のハヤカワ文庫のコーナーに行くと必ず置いてあった
自分の中でもとても馴染み深い一冊ですが、実は今回、初めて読みました。
著者のヤングは第1次大戦で勲功をたて、第2次大戦が勃発すると
50歳にしてインド軍に志願し、北アフリカのガザラ地区において
第10インド旅団を率いていた際に、ドイツ・アフリカ軍団に捕えられたという人物で、
その捕虜となった際にロンメルとも遭遇しています。
序文を書くのは、あの「敵をロンメルと呼んではならん」で有名なオーキンレックで
まずはニヤリとさせられます。
原著の発刊が終戦からたった5年後の1950年ということもあって、
ロンメル伝記にはお馴染みの人物たちが新鮮な記憶から回想しているようで
特に著者をはじめ、英国側からみたロンメル像というのがとても楽しめます。
物語の中心である、砂漠の戦いでも双方の駆け引きや戦力などが書かれ、
特に英国側の状況が如何なるものであったのかは、
他のロンメル物にはない情報だと思いますし、
88㎜高射砲をどれだけ英軍が恐れていたかも証言しています。
このころ、一進一退を繰り返すロンメルが補給と戦略に悩んでいたことについては
当時の陸軍参謀総長であったフランツ・ハルダーの責任を大だとして、
彼の回想録を激しくこきおろしています(ここまで言われると読んで見たい・・)。
また、ムッソリーニを初めとするイタリア軍もこの本を盛り上げてくれます。
ロンメルに対し、空手形を乱発したカヴァレロ将軍も辛辣に語られ、
同様にケッセルリンクもほぼ断罪されてます。
興味深かったのは、処刑間際のカイテルが「アフリカ戦線は唯一勝ち目があった」と
語っていたということで、やはり最高司令部でなにが起こっていたのか、興味は付きません。
ロンメルが英連邦軍をどのように評価していたのか・・オーストラリア軍は荒っぽく、
ベストなのは屈強であるニュージーランド軍だとしていて、
特殊部隊の長距離砂漠挺身隊も高く評価していたようです。
両軍の捕虜に関する逸話も多く、特にドイツ軍から逃げてきた英兵が
「捕虜になった際にカメラを取られた!」と憤慨したものの、
「でも、ちゃんと受け取りは貰っておいた」ので、
終戦後にはその中尉を尋ねて返してもらおうとしていたなど、相変わらずのアフリカ戦線です。
後半はノルマンディの戦いからヒトラー暗殺未遂事件の嫌疑、そして自殺の強要と
その最後までをロンメル夫人や最後の参謀長であったシュパイデル将軍、
海軍としてロンメルを補佐したルーゲ提督などのインタビューをもとに検証しています。
このルーゲ提督が「ノルマンディのロンメル」を書いているというのを知りましたので、
早速、購入予定です。
昔TVで何度か観た「砂漠の鬼将軍」(演じるはジェームズ・メイソン)は、
この本が原作だったんですね。
デズモンド・ヤング著の「ロンメル将軍」を読破しました。
子供のころから書店のハヤカワ文庫のコーナーに行くと必ず置いてあった
自分の中でもとても馴染み深い一冊ですが、実は今回、初めて読みました。
著者のヤングは第1次大戦で勲功をたて、第2次大戦が勃発すると
50歳にしてインド軍に志願し、北アフリカのガザラ地区において
第10インド旅団を率いていた際に、ドイツ・アフリカ軍団に捕えられたという人物で、
その捕虜となった際にロンメルとも遭遇しています。
序文を書くのは、あの「敵をロンメルと呼んではならん」で有名なオーキンレックで
まずはニヤリとさせられます。
原著の発刊が終戦からたった5年後の1950年ということもあって、
ロンメル伝記にはお馴染みの人物たちが新鮮な記憶から回想しているようで
特に著者をはじめ、英国側からみたロンメル像というのがとても楽しめます。
物語の中心である、砂漠の戦いでも双方の駆け引きや戦力などが書かれ、
特に英国側の状況が如何なるものであったのかは、
他のロンメル物にはない情報だと思いますし、
88㎜高射砲をどれだけ英軍が恐れていたかも証言しています。
このころ、一進一退を繰り返すロンメルが補給と戦略に悩んでいたことについては
当時の陸軍参謀総長であったフランツ・ハルダーの責任を大だとして、
彼の回想録を激しくこきおろしています(ここまで言われると読んで見たい・・)。
また、ムッソリーニを初めとするイタリア軍もこの本を盛り上げてくれます。
ロンメルに対し、空手形を乱発したカヴァレロ将軍も辛辣に語られ、
同様にケッセルリンクもほぼ断罪されてます。
興味深かったのは、処刑間際のカイテルが「アフリカ戦線は唯一勝ち目があった」と
語っていたということで、やはり最高司令部でなにが起こっていたのか、興味は付きません。
ロンメルが英連邦軍をどのように評価していたのか・・オーストラリア軍は荒っぽく、
ベストなのは屈強であるニュージーランド軍だとしていて、
特殊部隊の長距離砂漠挺身隊も高く評価していたようです。
両軍の捕虜に関する逸話も多く、特にドイツ軍から逃げてきた英兵が
「捕虜になった際にカメラを取られた!」と憤慨したものの、
「でも、ちゃんと受け取りは貰っておいた」ので、
終戦後にはその中尉を尋ねて返してもらおうとしていたなど、相変わらずのアフリカ戦線です。
後半はノルマンディの戦いからヒトラー暗殺未遂事件の嫌疑、そして自殺の強要と
その最後までをロンメル夫人や最後の参謀長であったシュパイデル将軍、
海軍としてロンメルを補佐したルーゲ提督などのインタビューをもとに検証しています。
このルーゲ提督が「ノルマンディのロンメル」を書いているというのを知りましたので、
早速、購入予定です。
昔TVで何度か観た「砂漠の鬼将軍」(演じるはジェームズ・メイソン)は、
この本が原作だったんですね。
第三帝国の中枢にて -総統付き陸軍副官の日記- [ドイツ陸軍]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
ゲルハルト・エンゲル著の「第三帝国の中枢にて」を読破しました。
内容はまさしく「副題」のとおりですが、日記というよりは「覚え書き」や「メモ」に近いものを
ある程度整理したものと考えたほうが良いでしょう。
総統付き副官というものは陸海空の三軍各々から選ばれており、
陸軍からはエンゲル、海軍ではプットカマー、空軍ではフォン・ベローが主に勤め、
首席副官としてルドルフ・シュムントが存在していました。
エンゲル自身は佐官としてオーストリア併合直前の1938年から1943年まで副官を務めており
その後、歩兵師団長として柏葉騎士十字章を受章、中将まで昇進した人物です。
ハッキリ言って読みやすい本ではありません。1ページ中に何個も注釈が出てきて
それらが巻末にまとめてあるので、行ったり来たりと大変です。
かなり知識のある人なら、注釈を無視して読み進められるでしょうが・・・。
それでも、この副官職というのはなかなか面白いもので(当人にとっては堪らないものでしょうが・・)
エンゲル自身、ヒトラーとそのヒトラーから最も信用されていない陸軍司令部の
板ばさみとなって苦しみます。
身内である筈の陸軍参謀総長のハルダー将軍からも、なぜか信用されておらず、
逆に陸軍総司令官のブラウヒッチュに対しては「まったく、なさけない」を連発するという環境です。
最もよく登場するのが首席副官のシュムントですが、
ヒトラー信奉者となっていったシュムントとは度々激論を交わします。
エンゲル曰く「恐ろしいほどに騙されやすく、なんでも簡単に信じてしまう」らしく
逆に言えばヒトラーにとっては扱いやすかったのでしょう。
しかし、彼がその後のシュタウフェンベルクの仕掛けた爆弾の犠牲者となるのは何とも皮肉です。
国防軍最高司令部長官のカイテルと統帥局長のヨードルも対照的です。
カイテルに対しては他の軍人の回想録などに負けず劣らず、罵詈雑言を浴びせており、
一方、ヨードルはなんとかロシア軍とヒトラー双方と戦っている様子が伺えます。
スターリングラードでの第6軍が包囲された状況では、情報が錯綜し、
司令部も混乱を極めていたことが伝わってきます。
パウルスやマンシュタイン、そして新たな参謀総長ツァイツラーからの脱出要請が
度々出され、大きな議論となりますが、
ヒトラーの優柔不断な態度も混乱に輪をかけている印象を受けました。
フォン・ベローの「ヒトラーの副官として」やハルダーの日記など翻訳されれば
ぜひ読みたくなりました。
ゲルハルト・エンゲル著の「第三帝国の中枢にて」を読破しました。
内容はまさしく「副題」のとおりですが、日記というよりは「覚え書き」や「メモ」に近いものを
ある程度整理したものと考えたほうが良いでしょう。
総統付き副官というものは陸海空の三軍各々から選ばれており、
陸軍からはエンゲル、海軍ではプットカマー、空軍ではフォン・ベローが主に勤め、
首席副官としてルドルフ・シュムントが存在していました。
エンゲル自身は佐官としてオーストリア併合直前の1938年から1943年まで副官を務めており
その後、歩兵師団長として柏葉騎士十字章を受章、中将まで昇進した人物です。
ハッキリ言って読みやすい本ではありません。1ページ中に何個も注釈が出てきて
それらが巻末にまとめてあるので、行ったり来たりと大変です。
かなり知識のある人なら、注釈を無視して読み進められるでしょうが・・・。
それでも、この副官職というのはなかなか面白いもので(当人にとっては堪らないものでしょうが・・)
エンゲル自身、ヒトラーとそのヒトラーから最も信用されていない陸軍司令部の
板ばさみとなって苦しみます。
身内である筈の陸軍参謀総長のハルダー将軍からも、なぜか信用されておらず、
逆に陸軍総司令官のブラウヒッチュに対しては「まったく、なさけない」を連発するという環境です。
最もよく登場するのが首席副官のシュムントですが、
ヒトラー信奉者となっていったシュムントとは度々激論を交わします。
エンゲル曰く「恐ろしいほどに騙されやすく、なんでも簡単に信じてしまう」らしく
逆に言えばヒトラーにとっては扱いやすかったのでしょう。
しかし、彼がその後のシュタウフェンベルクの仕掛けた爆弾の犠牲者となるのは何とも皮肉です。
国防軍最高司令部長官のカイテルと統帥局長のヨードルも対照的です。
カイテルに対しては他の軍人の回想録などに負けず劣らず、罵詈雑言を浴びせており、
一方、ヨードルはなんとかロシア軍とヒトラー双方と戦っている様子が伺えます。
スターリングラードでの第6軍が包囲された状況では、情報が錯綜し、
司令部も混乱を極めていたことが伝わってきます。
パウルスやマンシュタイン、そして新たな参謀総長ツァイツラーからの脱出要請が
度々出され、大きな議論となりますが、
ヒトラーの優柔不断な態度も混乱に輪をかけている印象を受けました。
フォン・ベローの「ヒトラーの副官として」やハルダーの日記など翻訳されれば
ぜひ読みたくなりました。
ドキュメント ロンメル戦記 [ドイツ陸軍]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
リデル・ハートの「ロンメル戦記」を読破しました。
タイトルに「ドキュメント」とあるように、リデル・ハート「著」でなく
リデル・ハート「編」という一風変わった表現です。
これはロンメルの残した膨大な戦闘日誌と手紙をリデル・ハートが「編集」したものであり
ハート自身はあくまで、間違い等の訂正をするに留めていて、
強いて言えばロンメル「著」とも言えなくもありません。
ロンメルは第1次大戦の経験から歩兵戦術の論文を発表し
(同じく歩兵出身のヒトラーからは高く評価されてたそうな・・)、
この第2次大戦においても本を著す予定であったことから、日々、戦闘記録を残し、
また、カメラ好きで有名なところもそのためであったようです。
1940年5月のフランス侵攻における第七戦車師団長としての記録から始まりますが、
その詳細な戦闘記録からは決して楽な戦いではなかったことが良くわかります。
そして当然大部分を占めるアフリカ戦線での記録は「砂漠のキツネ」や「狐の足跡」を
読んでいたにしても新鮮で生々しく、喜びと苦悩が伝わってきます。
戦闘記録の失われている期間は当時、アフリカ軍団参謀長を務めたバイエルライン将軍が
当時の資料と記憶から補填しています。
しかし、これはこれでかなり面白く、特にロンメルが搭乗した鹵獲車両の通称「マンモス」が
英軍陣地に紛れ込んでしまい・・・という有名な逸話の続きがあり、
ロンメルがニュージーランド軍の野戦病院に入って行き、「なにか必要なものは?」と聞いた挙句
「イギリス軍の衛生材料を届けてやるから」と約束をして、なんら妨げられることなく立ち去った・・・
という信じられないような話が登場します。
他にも辛い退却戦の最中にスターリングラードで包囲されているパウルス将軍に対し
「彼のほうがよほど辛いだろう」と心配(対している敵軍の違い)する辺りはとても印象に残りました。
度々「補給問題」を理解していないロンメルは「名将」ではないという意見も聞きますが、
この本を読むと決してそのような単純なことではないことがわかりました。
イタリア側から勲章を授与される度に「こんな勲章より、師団を送ってくれよ・・」等と愚痴っています。
この「ロンメル戦記」定価800円となっています。40年近く前の発刊とはいえ、安くないですか?
まぁ今なら文字の大きさから上下巻となって、やっぱり6000円位になるかも知れませんね。。
リデル・ハートの「ロンメル戦記」を読破しました。
タイトルに「ドキュメント」とあるように、リデル・ハート「著」でなく
リデル・ハート「編」という一風変わった表現です。
これはロンメルの残した膨大な戦闘日誌と手紙をリデル・ハートが「編集」したものであり
ハート自身はあくまで、間違い等の訂正をするに留めていて、
強いて言えばロンメル「著」とも言えなくもありません。
ロンメルは第1次大戦の経験から歩兵戦術の論文を発表し
(同じく歩兵出身のヒトラーからは高く評価されてたそうな・・)、
この第2次大戦においても本を著す予定であったことから、日々、戦闘記録を残し、
また、カメラ好きで有名なところもそのためであったようです。
1940年5月のフランス侵攻における第七戦車師団長としての記録から始まりますが、
その詳細な戦闘記録からは決して楽な戦いではなかったことが良くわかります。
そして当然大部分を占めるアフリカ戦線での記録は「砂漠のキツネ」や「狐の足跡」を
読んでいたにしても新鮮で生々しく、喜びと苦悩が伝わってきます。
戦闘記録の失われている期間は当時、アフリカ軍団参謀長を務めたバイエルライン将軍が
当時の資料と記憶から補填しています。
しかし、これはこれでかなり面白く、特にロンメルが搭乗した鹵獲車両の通称「マンモス」が
英軍陣地に紛れ込んでしまい・・・という有名な逸話の続きがあり、
ロンメルがニュージーランド軍の野戦病院に入って行き、「なにか必要なものは?」と聞いた挙句
「イギリス軍の衛生材料を届けてやるから」と約束をして、なんら妨げられることなく立ち去った・・・
という信じられないような話が登場します。
他にも辛い退却戦の最中にスターリングラードで包囲されているパウルス将軍に対し
「彼のほうがよほど辛いだろう」と心配(対している敵軍の違い)する辺りはとても印象に残りました。
度々「補給問題」を理解していないロンメルは「名将」ではないという意見も聞きますが、
この本を読むと決してそのような単純なことではないことがわかりました。
イタリア側から勲章を授与される度に「こんな勲章より、師団を送ってくれよ・・」等と愚痴っています。
この「ロンメル戦記」定価800円となっています。40年近く前の発刊とはいえ、安くないですか?
まぁ今なら文字の大きさから上下巻となって、やっぱり6000円位になるかも知れませんね。。
狐の足跡 -ロンメル将軍の実像- [ドイツ陸軍]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
ディヴィッド・アーヴィング著の「狐の足跡」を読破しました。
「ヒトラーの戦争」等でも賛否両論の評価を受けるアーヴィングのロンメル伝記です。
著者のアーヴィングはロンメルの夫人へ宛てた手紙や戦闘日誌を中心に
様々な文書と戦後の関係者へのインタビューからこの本を構成しています。
上巻では生い立ちから第1次大戦での活躍によってプール・ル・メリット章を受章、
ヒトラーとの出会いとポーランド侵攻、そして北アフリカへと展開していきます。
貴族階級の出身でもなく、背が低いなど若い頃の帝国陸軍時代のコンプレックスは
元帥になっても変わらぬことのない、パワーの源であるようにさえ感じます。
北アフリカでは戦術をめぐり、部下の師団長との衝突/解任や
ソ連侵攻を知らさせていなかった等、一般的なイメージより人間としての
苦悩が良く表わされています。
そして下巻ではあまり知られていないイタリア防衛の任(北イタリア司令官)に就きますが
北アフリカでの盟友、南方軍総司令官のケッセルリンクとは仲たがい気味になっていきます。
ツィタデレ作戦の陰でロンメルが何をしていたのか・・?初めて知りました。
その後、西方におけるB軍集団司令官として、上官である西部方面総司令官ルントシュテットとも
意見の食い違いを見せながらも連合軍上陸を阻止すべく、フランスの海岸を
溢れるアイディアとエネルギーによって、改造?していきます。
しかし、本国へ帰国している僅かなスキにDディを向かえ、すべては後手後手となり、
さらにはシュタウフェンベルクによる、ヒトラー暗殺未遂事件が発生します。
この時期、ロンメルの参謀長であったシュパイデル将軍がクーデターの一味だったことで、
ロンメルの運命は決まってしまいます。
特にこの下巻においてはヒトラー暗殺計画へのロンメルの関与があったのかどうかが
大きな焦点となっています。
ロンメルに否定的と言われている本書ですが、決してそのようなことはなく、
逆に「砂漠のキツネ」と呼ばれた超人的な英雄が、実は人間味溢れる叩き上げの軍人であり、
父親または夫であるという、当然の内容であると思います。
ディヴィッド・アーヴィング著の「狐の足跡」を読破しました。
「ヒトラーの戦争」等でも賛否両論の評価を受けるアーヴィングのロンメル伝記です。
著者のアーヴィングはロンメルの夫人へ宛てた手紙や戦闘日誌を中心に
様々な文書と戦後の関係者へのインタビューからこの本を構成しています。
上巻では生い立ちから第1次大戦での活躍によってプール・ル・メリット章を受章、
ヒトラーとの出会いとポーランド侵攻、そして北アフリカへと展開していきます。
貴族階級の出身でもなく、背が低いなど若い頃の帝国陸軍時代のコンプレックスは
元帥になっても変わらぬことのない、パワーの源であるようにさえ感じます。
北アフリカでは戦術をめぐり、部下の師団長との衝突/解任や
ソ連侵攻を知らさせていなかった等、一般的なイメージより人間としての
苦悩が良く表わされています。
そして下巻ではあまり知られていないイタリア防衛の任(北イタリア司令官)に就きますが
北アフリカでの盟友、南方軍総司令官のケッセルリンクとは仲たがい気味になっていきます。
ツィタデレ作戦の陰でロンメルが何をしていたのか・・?初めて知りました。
その後、西方におけるB軍集団司令官として、上官である西部方面総司令官ルントシュテットとも
意見の食い違いを見せながらも連合軍上陸を阻止すべく、フランスの海岸を
溢れるアイディアとエネルギーによって、改造?していきます。
しかし、本国へ帰国している僅かなスキにDディを向かえ、すべては後手後手となり、
さらにはシュタウフェンベルクによる、ヒトラー暗殺未遂事件が発生します。
この時期、ロンメルの参謀長であったシュパイデル将軍がクーデターの一味だったことで、
ロンメルの運命は決まってしまいます。
特にこの下巻においてはヒトラー暗殺計画へのロンメルの関与があったのかどうかが
大きな焦点となっています。
ロンメルに否定的と言われている本書ですが、決してそのようなことはなく、
逆に「砂漠のキツネ」と呼ばれた超人的な英雄が、実は人間味溢れる叩き上げの軍人であり、
父親または夫であるという、当然の内容であると思います。