世界の戦車 1915~1945 [パンツァー]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
P.チェンバレン/C.エリス共著の「世界の戦車 1915~1945 」を読破しました。
1996年発刊で375ページ、定価3990の本書を古書で1600円で購入したのがちょうど4年前・・。
買ってはみたものの、これは敷居が高そうだな・・と、そのまま本棚に眠り続けていましたが、
ここまでヴィトゲンシュタインの培ってきた戦車に対する知識を確認する意味でも
今回、挑戦してみました。著者は「ジャーマンタンクス」と同じ方ですね。
アレはなかなか勉強になりました。
まず、最初の20ページほどは「小林源文イラストエッセイ」と題して、
第一次大戦における戦車の登場から、フラーやグデーリアン、
ドイツが農業用トラクターの名目で開発した戦車の操縦訓練に対戦車障害物、
戦車の装甲などが解説されます。これはなかなかタメになりますねぇ。
小林源文氏のまんが、ちょっと物色中です・・。
本文の紹介順はアルファベットの生産国順で、最初はオーストラリア、カナダと続き、
かつ試作戦車を含む、開発の古い順です。
この順番は系統だてて理解ができるので良いですね。
「チェコスロヴァキア」では、ドイツ軍が大いに使用した35(t)戦車と38(t)戦車が
登場してきましたが、38(t)戦車ってシュコダ(スコダ)社製じゃないんですね・・。
てっきり、35(t)戦車の直系の後継車だと思っていました。
各国の戦車の紹介の前には、その国での開発の歴史が数ページ書かれていますが、
「フランス」くらいになると、それは6ページにもなってきます。
第一次大戦中に実戦に投入されたシュナイダー突撃戦車とサン・シャモン突撃戦車。
そしてこのような大型の突撃戦車とは別の2人乗り歩兵支援用戦車、ルノーFT17軽戦車。
これが世界初の360度旋回式砲塔を搭載した戦車だったんですね。。
う~ん。自分の知識の無さに驚きつつ、勉強になりました。
「ドイツ」では、第一次大戦末期に開発された18人乗りの「A7V」から始まり、
Ⅰ号戦車からⅣ号戦車まで、それぞれF型やらナニ型まで、写真つきで細かく紹介。
Ⅴ号パンター、Ⅵ号ティーガーにマウスまで続きますが、
本書は「世界の戦車」というように、突撃砲や駆逐戦車は対象外となっています。
最後にはドイツ軍戦車として活躍した、各国の鹵獲戦車が写真で登場。
オチキスやアフリカ戦線と思しきマチルダ、雪をかぶったM4戦車も珍しい・・。
面白いのは、「監修者注」というのが結構多く、場合によっては
著者による本文が4行なのに対して、それを否定しながら10行くらいガッチリ書いてたり、
本文の記述を「意味不明」と片付けていたり・・。
最初は「訳者注」かと思ってましたが、どうも原著における「監修者注」のようで、
原著の内容そのまんまで、翻訳をしているんでしょうか?
これはちょっと読みにくいというか、いったん読んだことをすぐ否定されたりすると
理解するのもシンドイですし、著者と監修者は仲悪いのか・・?
などと余計なことまで考えてしまいました。
「イギリス」は戦車の種類が多いんですね。
第一次大戦の有名な菱形戦車に始まり、英国初の全周旋回可能な砲塔を持ったビッカース、
クルセイダーにクロムウェル、ヴァレンタイン、チャーチルと、その地雷処理車も出てきます。
ページ数もブッチギリの第1位。
ちなみにドイツの40ページに対して、74ページとなっています。
そのくせアフリカ軍団を苦しめたエース格のグラントや
ヴィットマンを屠ったとされるファイアフライは、もともとアメリカ製・・。
軽戦車王国「イタリア」ではムッソリーニの要望によって開発された「重戦車」、
カルロ・アルマートP26/40というのが興味深いですね。
重戦車といっても75㎜砲は備えているものの、重量は26トンで、
しかも生産が開始されたのは1943年からであり、9月の休戦までには21両が完成しただけ・・。
さらに工場のある北イタリアはドイツ占領下となり、200両分の資材はそのままドイツの手に落ちて、
100両単位のこの戦車がドイツ軍によって使用されたといわれているそうです。
なんとも不思議な運命を持った戦車ですね。
「日本」の戦車はまったくと言っていいほど知らなかったんですが、
「チハ」とか、「九五式」なんかの意味もはじめて知りました。
軽戦車の「ケ」、中戦車の「チ」と、まるでモジモジくんのような付け方で、
次のコードがイロハ順・・。「チハ」だと、中戦車3型ということです。
「九五式」は、「皇紀」という初代天皇、神武天皇が即位したとされる年を元年とする暦で、
「西暦」よりも660年古いため、1935年の戦車は、660年を足した2595年となり、
その下2桁を使用したものだそうです。
1940年代(2600年代)になると、下一桁で「四式」などになるようですが
むぅ~。日本人なのに、余計にわかりにくい・・。暗号のようですね。
砲塔の「せ」とかも、意味不明・・。
「ポーランド」、「スウェーデン」と小国も紹介され、続いて「アメリカ」、「ソ連」と大国が。
しかし「フランス」のルノー FT-17 軽戦車は本書の後半まで各国が輸入しており、
また出てきた・・という感じがしましたが、
それだけ、この旋回砲塔を搭載した最初の戦車というのは革新的だったのでしょうか。
それとビッカース6㌧戦車も同様ですね。
ヴィトゲンシュタインとしては、本書も勉強になりました。
ドイツ戦車は「ジャーマンタンクス」などを読んでいたのでアレですが、
特にフランス、イギリス、アメリカの戦車開発とその歴史、またはネーミングなど、
今まであまり知らなかったこともある程度、理解できました。
各国の装甲部隊についても書かれた名著「ドイツ装甲師団」も再読したくなりましたが、
やっぱり4年前に読んでいたら、途中で寝てたでしょうね。
今のタイミングで正解でしたが、知識のなさを暴露したお恥ずかしいレビューになりました。。
P.チェンバレン/C.エリス共著の「世界の戦車 1915~1945 」を読破しました。
1996年発刊で375ページ、定価3990の本書を古書で1600円で購入したのがちょうど4年前・・。
買ってはみたものの、これは敷居が高そうだな・・と、そのまま本棚に眠り続けていましたが、
ここまでヴィトゲンシュタインの培ってきた戦車に対する知識を確認する意味でも
今回、挑戦してみました。著者は「ジャーマンタンクス」と同じ方ですね。
アレはなかなか勉強になりました。
まず、最初の20ページほどは「小林源文イラストエッセイ」と題して、
第一次大戦における戦車の登場から、フラーやグデーリアン、
ドイツが農業用トラクターの名目で開発した戦車の操縦訓練に対戦車障害物、
戦車の装甲などが解説されます。これはなかなかタメになりますねぇ。
小林源文氏のまんが、ちょっと物色中です・・。
本文の紹介順はアルファベットの生産国順で、最初はオーストラリア、カナダと続き、
かつ試作戦車を含む、開発の古い順です。
この順番は系統だてて理解ができるので良いですね。
「チェコスロヴァキア」では、ドイツ軍が大いに使用した35(t)戦車と38(t)戦車が
登場してきましたが、38(t)戦車ってシュコダ(スコダ)社製じゃないんですね・・。
てっきり、35(t)戦車の直系の後継車だと思っていました。
各国の戦車の紹介の前には、その国での開発の歴史が数ページ書かれていますが、
「フランス」くらいになると、それは6ページにもなってきます。
第一次大戦中に実戦に投入されたシュナイダー突撃戦車とサン・シャモン突撃戦車。
そしてこのような大型の突撃戦車とは別の2人乗り歩兵支援用戦車、ルノーFT17軽戦車。
これが世界初の360度旋回式砲塔を搭載した戦車だったんですね。。
う~ん。自分の知識の無さに驚きつつ、勉強になりました。
「ドイツ」では、第一次大戦末期に開発された18人乗りの「A7V」から始まり、
Ⅰ号戦車からⅣ号戦車まで、それぞれF型やらナニ型まで、写真つきで細かく紹介。
Ⅴ号パンター、Ⅵ号ティーガーにマウスまで続きますが、
本書は「世界の戦車」というように、突撃砲や駆逐戦車は対象外となっています。
最後にはドイツ軍戦車として活躍した、各国の鹵獲戦車が写真で登場。
オチキスやアフリカ戦線と思しきマチルダ、雪をかぶったM4戦車も珍しい・・。
面白いのは、「監修者注」というのが結構多く、場合によっては
著者による本文が4行なのに対して、それを否定しながら10行くらいガッチリ書いてたり、
本文の記述を「意味不明」と片付けていたり・・。
最初は「訳者注」かと思ってましたが、どうも原著における「監修者注」のようで、
原著の内容そのまんまで、翻訳をしているんでしょうか?
これはちょっと読みにくいというか、いったん読んだことをすぐ否定されたりすると
理解するのもシンドイですし、著者と監修者は仲悪いのか・・?
などと余計なことまで考えてしまいました。
「イギリス」は戦車の種類が多いんですね。
第一次大戦の有名な菱形戦車に始まり、英国初の全周旋回可能な砲塔を持ったビッカース、
クルセイダーにクロムウェル、ヴァレンタイン、チャーチルと、その地雷処理車も出てきます。
ページ数もブッチギリの第1位。
ちなみにドイツの40ページに対して、74ページとなっています。
そのくせアフリカ軍団を苦しめたエース格のグラントや
ヴィットマンを屠ったとされるファイアフライは、もともとアメリカ製・・。
軽戦車王国「イタリア」ではムッソリーニの要望によって開発された「重戦車」、
カルロ・アルマートP26/40というのが興味深いですね。
重戦車といっても75㎜砲は備えているものの、重量は26トンで、
しかも生産が開始されたのは1943年からであり、9月の休戦までには21両が完成しただけ・・。
さらに工場のある北イタリアはドイツ占領下となり、200両分の資材はそのままドイツの手に落ちて、
100両単位のこの戦車がドイツ軍によって使用されたといわれているそうです。
なんとも不思議な運命を持った戦車ですね。
「日本」の戦車はまったくと言っていいほど知らなかったんですが、
「チハ」とか、「九五式」なんかの意味もはじめて知りました。
軽戦車の「ケ」、中戦車の「チ」と、まるでモジモジくんのような付け方で、
次のコードがイロハ順・・。「チハ」だと、中戦車3型ということです。
「九五式」は、「皇紀」という初代天皇、神武天皇が即位したとされる年を元年とする暦で、
「西暦」よりも660年古いため、1935年の戦車は、660年を足した2595年となり、
その下2桁を使用したものだそうです。
1940年代(2600年代)になると、下一桁で「四式」などになるようですが
むぅ~。日本人なのに、余計にわかりにくい・・。暗号のようですね。
砲塔の「せ」とかも、意味不明・・。
「ポーランド」、「スウェーデン」と小国も紹介され、続いて「アメリカ」、「ソ連」と大国が。
しかし「フランス」のルノー FT-17 軽戦車は本書の後半まで各国が輸入しており、
また出てきた・・という感じがしましたが、
それだけ、この旋回砲塔を搭載した最初の戦車というのは革新的だったのでしょうか。
それとビッカース6㌧戦車も同様ですね。
ヴィトゲンシュタインとしては、本書も勉強になりました。
ドイツ戦車は「ジャーマンタンクス」などを読んでいたのでアレですが、
特にフランス、イギリス、アメリカの戦車開発とその歴史、またはネーミングなど、
今まであまり知らなかったこともある程度、理解できました。
各国の装甲部隊についても書かれた名著「ドイツ装甲師団」も再読したくなりましたが、
やっぱり4年前に読んでいたら、途中で寝てたでしょうね。
今のタイミングで正解でしたが、知識のなさを暴露したお恥ずかしいレビューになりました。。
第653重戦車駆逐大隊戦闘記録集 [パンツァー]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
カールハインツ・ミュンヒ著の「第653重戦車駆逐大隊戦闘記録集」を読破しました。
2年半前に3800円で購入していた、495ページの大判写真集を遂にやっつけました。
大日本絵画の大判戦車写真集のなかでも、この厚さは一番だと思いますが、とにかく重い!!
この特定の戦車大隊史というマニアックそうなテーマに尻込みしていたのも確かですが、
なんといっても、コレをやっつけるには2日間外出せずに読み倒す・・くらいの気合がないと
独破できそうもないと思い続けていた、厚くて、重くて、素晴らしい写真集です。
ドイツ語の"シュヴェーレ・パンツァーイェーガー・アップタイルング"を
本書のタイトルと部隊名である「重戦車駆逐大隊」訳している本書ですが、
パンツァーイェーガーは「戦車猟兵」とも訳されていることにも触れたうえで、
「"重"火器の装備で敵"戦車を駆逐"する"大隊"」といった意味を解説しています。
そしてこの第653重戦車駆逐大隊の母体である「第197突撃砲大隊」の創設と
戦歴が1940年から詳しく解説。もちろん、Ⅲ号突撃砲の写真も満載です。
バルバロッサ作戦と、翌年の「青作戦」でも南方軍集団に属し、2回に渡る
セヴァストポリ要塞攻略戦に参加、最終的には「モロトフ堡塁」や「GPU堡塁」の攻略に
貢献した経緯なども、当時の軍曹の日記などを抜粋しながら紹介しています。
この「第197突撃砲大隊」は「突撃砲兵」にも結構出てきた独立突撃砲大隊ですね。
1943年4月、第197突撃砲大隊は突撃砲から
最新の駆逐戦車フェルディナンドを45両を揃えた「第653重戦車駆逐大隊」と改称され、
夏のクルスクでの「ツィタデレ作戦」に挑むことになります。
姉妹大隊である「第654重戦車駆逐大隊」と、Ⅳ号突撃戦車ブルムベア42両を揃えた
「第216突撃戦車大隊」と共に「第656重戦車駆逐連隊」としてクルーゲ元帥の中央軍集団の
主力として期待されますが、待ち受けていたソ連の地雷原の前に苦労したようです。
特に興味深かったのは「ヒトラーの戦い〈5〉」に出てきた装薬運搬車「ボルクヴァルトIV」を
72両も揃えた無線誘導戦車中隊もこの連隊に配属されていて、
これらが地雷原で決死の大爆発を行い、フェルディナンドが突破を図る・・という戦術や、
単独でも激突したT-34を爆裂して破壊。対戦車砲陣地にも突撃して爆発し、
モロトフ・カクテルによる迎撃を食らっても、その炸裂は敵陣地に絶大な打撃を与えたそうです。
いや~、こういうのは地味ながら頑張ってて好きですねぇ。
もちろん、巨大なフェルディナンドの横を隊列で進む、小さなボルクヴァルトIV・・という
見事な写真も出てきます。
さらに連隊の第3大隊であるブルムベアも攻撃第二波として、フェルディナンドの背後から
砲撃を行ったとして、写真もしっかり登場。なかには「エリー」という愛称が書かれたブルムベアも・・。
また、故障により走行不能となった65㌧の大物、フェルディナンドの回収の様子も写真が掲載され、
5両の18㌧ハーフトラックが連結して引っ張るという回収班の離れ業も印象的です。
中盤には専用の回収車「ベルゲ・エレファント」も何枚か出てきますが、これは初めて見ました。
クルスク戦後も生き残った数少ないフェルディナンドは東部戦線で戦い続け、
この3両でT-34、70両を撃退したり、まさに重戦車駆逐大隊の名前に恥じぬ戦いぶり。
突然の敵砲撃にひとり残らず雪の中に退避したものの、たまたま訪問して演説中だった
シェルナー大将だけは、直立の姿勢を崩さなかったことに誰もが非常な感銘を覚えた・・
という報告も出てきました。
1944年になるとイタリアに上陸した連合軍に対して、第1中隊が出動します。
中隊本部は元イタリア外相チアーノの別荘に居を構え、
ヘルマン・ゲーリング戦車師団とともに任務に就きます。
一方、残りの中隊は東部戦線で武装SS装甲師団ホーエンシュタウフェンとフルンツベルクと共に
戦うものの、5月には総統命令によってフェルディナンドから「エレファント」と呼称が変更となったりと、
相変わらずこの窮地でも、良くわからない総統命令出すあの人は相変わらずです。。
装甲の厚いエレファントと言えども、直撃弾を浴びた場合にはやっぱり死傷者も出ます。
ペリスコープを覗いていた車長は頭部と目に重傷を負い、右手の指は吹き飛ばされ・・。
他にもキューポラを貫通した対戦車砲弾によって、車長の身体が真っ二つになった・・という
いくつかの例も紹介されます。
一番驚いたのは大隊の要請によりポルシェ・ティーガー(VK4501(P))が指揮戦車として到着し、
その姿も10枚ほどきっちりと写されているところですね。
フェルディナンド/エレファントの写真がこれだけ出てくるだけでもとんでもないのに、
ホント、スゲ~・・と感心しました。
1944年4月20日のヒトラー誕生日に完成品が披露された「ヤークトティーガー」。
非常に感銘を受けたヒトラーは直ちに生産開始を命じ、アルデンヌ攻勢に参加させるべく
訓練も開始しますが、エレファントよりさらに重い80㌧の怪物には故障が絶えません。
この怪物が中心となった第653重戦車駆逐大隊でも変速器の問題点が発覚したことで、
同じくヤークトティーガーで編成を開始していた第512重戦車駆逐大隊にも影響が・・。
この大隊はオットー・カリウスくんの大隊ですね。
さすがに大戦末期のこの時期、特に連合軍による空からの攻撃に備え、
木や枝などで徹底的にカモフラージュを施しているために、
行動中の鮮明なヤークトティーガーの写真はそれほど出てきません。
それでも工場の生産ラインの様子や、操縦手席の写真などは珍しいものです。
本書は見事な写真・・特にほとんどがフェルディナンドという凄まじい写真集であるのと同時に
以前に紹介した「重戦車大隊記録集〈2〉SS編」ように「記録集」でもあります。
ひとつの装甲部隊についてのモノとしては、間違いなく最高でしょう。
この内容からすると、2年半前ではなく、いま独破したことが、理解度も含め、
結果的に良かったなぁ・・と大満足しています。
また、本書の姉妹大隊である「第654重戦車駆逐大隊」も去年の11月に出ましたので
購入予定リストの筆頭にUPしました。
ヤークトティーガーではなく、ヤークトパンターで戦った、こちらの大隊の本は、
その名も「ヤークトパンター戦車隊戦闘記録集―第654重戦車駆逐大隊」で、
この495ページを遥かに上回る、627ページ!、8925円という凶暴な1冊です。
今年は無理かな・・、まずは筋トレしないと・・。
カールハインツ・ミュンヒ著の「第653重戦車駆逐大隊戦闘記録集」を読破しました。
2年半前に3800円で購入していた、495ページの大判写真集を遂にやっつけました。
大日本絵画の大判戦車写真集のなかでも、この厚さは一番だと思いますが、とにかく重い!!
この特定の戦車大隊史というマニアックそうなテーマに尻込みしていたのも確かですが、
なんといっても、コレをやっつけるには2日間外出せずに読み倒す・・くらいの気合がないと
独破できそうもないと思い続けていた、厚くて、重くて、素晴らしい写真集です。
ドイツ語の"シュヴェーレ・パンツァーイェーガー・アップタイルング"を
本書のタイトルと部隊名である「重戦車駆逐大隊」訳している本書ですが、
パンツァーイェーガーは「戦車猟兵」とも訳されていることにも触れたうえで、
「"重"火器の装備で敵"戦車を駆逐"する"大隊"」といった意味を解説しています。
そしてこの第653重戦車駆逐大隊の母体である「第197突撃砲大隊」の創設と
戦歴が1940年から詳しく解説。もちろん、Ⅲ号突撃砲の写真も満載です。
バルバロッサ作戦と、翌年の「青作戦」でも南方軍集団に属し、2回に渡る
セヴァストポリ要塞攻略戦に参加、最終的には「モロトフ堡塁」や「GPU堡塁」の攻略に
貢献した経緯なども、当時の軍曹の日記などを抜粋しながら紹介しています。
この「第197突撃砲大隊」は「突撃砲兵」にも結構出てきた独立突撃砲大隊ですね。
1943年4月、第197突撃砲大隊は突撃砲から
最新の駆逐戦車フェルディナンドを45両を揃えた「第653重戦車駆逐大隊」と改称され、
夏のクルスクでの「ツィタデレ作戦」に挑むことになります。
姉妹大隊である「第654重戦車駆逐大隊」と、Ⅳ号突撃戦車ブルムベア42両を揃えた
「第216突撃戦車大隊」と共に「第656重戦車駆逐連隊」としてクルーゲ元帥の中央軍集団の
主力として期待されますが、待ち受けていたソ連の地雷原の前に苦労したようです。
特に興味深かったのは「ヒトラーの戦い〈5〉」に出てきた装薬運搬車「ボルクヴァルトIV」を
72両も揃えた無線誘導戦車中隊もこの連隊に配属されていて、
これらが地雷原で決死の大爆発を行い、フェルディナンドが突破を図る・・という戦術や、
単独でも激突したT-34を爆裂して破壊。対戦車砲陣地にも突撃して爆発し、
モロトフ・カクテルによる迎撃を食らっても、その炸裂は敵陣地に絶大な打撃を与えたそうです。
いや~、こういうのは地味ながら頑張ってて好きですねぇ。
もちろん、巨大なフェルディナンドの横を隊列で進む、小さなボルクヴァルトIV・・という
見事な写真も出てきます。
さらに連隊の第3大隊であるブルムベアも攻撃第二波として、フェルディナンドの背後から
砲撃を行ったとして、写真もしっかり登場。なかには「エリー」という愛称が書かれたブルムベアも・・。
また、故障により走行不能となった65㌧の大物、フェルディナンドの回収の様子も写真が掲載され、
5両の18㌧ハーフトラックが連結して引っ張るという回収班の離れ業も印象的です。
中盤には専用の回収車「ベルゲ・エレファント」も何枚か出てきますが、これは初めて見ました。
クルスク戦後も生き残った数少ないフェルディナンドは東部戦線で戦い続け、
この3両でT-34、70両を撃退したり、まさに重戦車駆逐大隊の名前に恥じぬ戦いぶり。
突然の敵砲撃にひとり残らず雪の中に退避したものの、たまたま訪問して演説中だった
シェルナー大将だけは、直立の姿勢を崩さなかったことに誰もが非常な感銘を覚えた・・
という報告も出てきました。
1944年になるとイタリアに上陸した連合軍に対して、第1中隊が出動します。
中隊本部は元イタリア外相チアーノの別荘に居を構え、
ヘルマン・ゲーリング戦車師団とともに任務に就きます。
一方、残りの中隊は東部戦線で武装SS装甲師団ホーエンシュタウフェンとフルンツベルクと共に
戦うものの、5月には総統命令によってフェルディナンドから「エレファント」と呼称が変更となったりと、
相変わらずこの窮地でも、良くわからない総統命令出すあの人は相変わらずです。。
装甲の厚いエレファントと言えども、直撃弾を浴びた場合にはやっぱり死傷者も出ます。
ペリスコープを覗いていた車長は頭部と目に重傷を負い、右手の指は吹き飛ばされ・・。
他にもキューポラを貫通した対戦車砲弾によって、車長の身体が真っ二つになった・・という
いくつかの例も紹介されます。
一番驚いたのは大隊の要請によりポルシェ・ティーガー(VK4501(P))が指揮戦車として到着し、
その姿も10枚ほどきっちりと写されているところですね。
フェルディナンド/エレファントの写真がこれだけ出てくるだけでもとんでもないのに、
ホント、スゲ~・・と感心しました。
1944年4月20日のヒトラー誕生日に完成品が披露された「ヤークトティーガー」。
非常に感銘を受けたヒトラーは直ちに生産開始を命じ、アルデンヌ攻勢に参加させるべく
訓練も開始しますが、エレファントよりさらに重い80㌧の怪物には故障が絶えません。
この怪物が中心となった第653重戦車駆逐大隊でも変速器の問題点が発覚したことで、
同じくヤークトティーガーで編成を開始していた第512重戦車駆逐大隊にも影響が・・。
この大隊はオットー・カリウスくんの大隊ですね。
さすがに大戦末期のこの時期、特に連合軍による空からの攻撃に備え、
木や枝などで徹底的にカモフラージュを施しているために、
行動中の鮮明なヤークトティーガーの写真はそれほど出てきません。
それでも工場の生産ラインの様子や、操縦手席の写真などは珍しいものです。
本書は見事な写真・・特にほとんどがフェルディナンドという凄まじい写真集であるのと同時に
以前に紹介した「重戦車大隊記録集〈2〉SS編」ように「記録集」でもあります。
ひとつの装甲部隊についてのモノとしては、間違いなく最高でしょう。
この内容からすると、2年半前ではなく、いま独破したことが、理解度も含め、
結果的に良かったなぁ・・と大満足しています。
また、本書の姉妹大隊である「第654重戦車駆逐大隊」も去年の11月に出ましたので
購入予定リストの筆頭にUPしました。
ヤークトティーガーではなく、ヤークトパンターで戦った、こちらの大隊の本は、
その名も「ヤークトパンター戦車隊戦闘記録集―第654重戦車駆逐大隊」で、
この495ページを遥かに上回る、627ページ!、8925円という凶暴な1冊です。
今年は無理かな・・、まずは筋トレしないと・・。
「ハリコフの戦い」戦場写真集 1942~1943年冬 [パンツァー]
ジャン・ルスタン著の「ハリコフの戦い」戦場写真集を読破しました。
ジャン・ルスタンのこの大判の写真集は「クルスクの戦い」に続いて2冊目ですが、
発刊されたのはこちらが最初になります。
このシリーズは高くてなかなか手が出せませんが、去年の10月に古書を
1800円で購入していました。そこそこ良い買い物と自画自賛しています。
タイトルの「ハリコフの戦い」に「1942~1943年冬」と書いてあるように
「ハリコフの戦い」または「ハリコフ攻防戦」と呼ばれるものは、1次~4次までの戦いがあり、
このウクライナの大きな工業都市を巡って、独ソが取って取られてを繰り返した戦いです。
なかでも本書の第3次ハリコフ戦はドイツ側から見て、一番有名な戦役であり、
スターリングラードの第6軍を壊滅させたソ連軍がその勢いで爆走する「土星作戦」によって
窮地に陥ったドン軍集団司令官マンシュタインが「東部戦史上燦然と輝く作戦戦略」を駆使し、
見事、ハリコフを再奪取する・・・というものです。
本書の冒頭には、このようなハリコフ戦の経緯が書かれていて、
一時的な戦略的撤退を進言するマンシュタインvsヒトラーの話も紹介され、
ヒトラーよりも軍集団司令官の命令に従った武装SS装甲軍団長のパウル・ハウサー。
そしてスターリングラード戦に一切参加せず、新型戦車ティーガーも受領していた
強烈な武装SS装甲軍団を中心とした劇的勝利までを地図も掲載して解説します。
25ページからは650点に及ぶ写真が次々と登場していきます。
Ⅲ号戦車にⅣ号戦車、Ⅲ号突撃砲もバンバン出てきますが、
装甲兵員輸送車であるSd Kfz 250やSd Kfz 251も様々なバリエーションで登場し、
また、BMW 750のサイドカー(R75) も結構クリアな写真で出てきて、楽しめます。
このドイツ軍のサイドカーといえばやっぱり「大脱走」を思い出しますねぇ。
「鹵獲兵器のチェコ製38(t)戦車にロシア製76.2㎜野砲を組み合わせた急造のリサイクル兵器」
と紹介されるのは自走砲であるマーダーⅢです。
他にも88㎜高射砲部隊や補給のコンテナがパラシュートで投下される写真なども・・。
そんな中でSS第1装甲師団「ライプシュタンダルテ」の戦車小隊長リッベントロップに
「SS第12戦車師団史」のフーベルト・マイヤー、ホルヒに乗って先頭を行く"パンツァー"マイヤー、
戦車部隊を率いるマックス・ヴュンシェにヨッヘン・パイパーらの大隊長、
さらにはフリッツ・ヴィットとテオドール・ヴィッシュといった重鎮の連隊長も続々と登場してきます。
戦車や有名人だけではなく、一般の擲弾兵も数多く写っている本書ですが、
このような兵士が手にしている拳銃も「ヴァルターP38」と書かれていて
久しぶりに、子供の頃を思い出しました。
「ヴァルターP38」というは、日本ではいわゆる「ワルサーP38」として知られているものですが
なんといっても「ルパン3世」のご愛用の銃で、そのエンディング・テーマでも
「ワルサーピーさんじゅうはち~・・この手のなかにぃぃ~」と歌われていることでも有名です。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
これが起因したのかどうかは覚えていませんが、小学生の時に初めて買ったモデルガンも
黄金に輝く「ワルサーP38」でした。。。
2代目は「ルガーP08」で、今から思うと、自然にドイツ軍のを選んでいたんですねぇ。
本書では他にも「MG42機関銃」などが随所に出てくるので、ちょっとこの手の本が欲しくなりました。
いまサラッと探してみましたがあんまりないんですねぇ。
とりあえず、ムックの「 図説ドイツ軍用銃パーフェクトバイブル」でも買って勉強してみます。
表紙はSS第3装甲師団「トーテンコープ」の戦車がハリコフ市内深くへ入っていく場面ですが
師団長のテオドール・アイケがこの戦いで戦死・・。その墓を写したものも2枚出てきました。
またティーガーはSS装甲軍団だけではなく、グロースドイッチュランド師団のティーガーも登場。
そしてこの部隊を率いるのは、あの戦車伯爵シュトラハヴィッツです。
また、本書はこの戦役の写真を時系列で掲載しているので、写真のキャプションしかなくても
戦闘の推移が良く伝わってきます。
郊外の吹き曝しの村々からハリコフ市内へ。。そして極寒の冬から春の日差しへと
彼らのメチャクチャな軍服も微妙に変化していきます。
ハリコフ市内をほぼ制圧・・という場面では、マックス・ハンゼンSS少佐が出てきました。
いや~、この人以前から気になっているんですが、さすがに怖いな~。。
特に最前線の緊張感ある顔で、これぞ武装SSの少佐という雰囲気です。
そして師団長のゼップ・ディートリッヒが"パンツァー"マイヤーに「お疲れさん」という連続写真。
これで終わりかな・・と思っていたらまだまだベルゴロド攻略に向けて
SS第2装甲師団「ダス・ライヒ」が前進を続けます。
こうして「一部の隙もない戦車搭乗服姿のテュークゼンSS少佐」の写真が・・。
いまのところ一番のお気に入りのSS隊員が最後の最後で大トリを務めてました。
このキャプションでも「タイクゼン」と書かれているものもあると解説されているように
発音が難しい人(Tychsen)ですね。タイヒゼンというのもありました。。
冬の戦いの写真集・・という意味で、雪まみれの不鮮明な写真が多かったらと
実は若干、心配でしたが、予想以上に楽しめる一冊でした。
逆にこの寒さの中での戦いの大変さがよくわかりましたし、
戦車や兵器、有名人と写真のバランスも良く、初めて軍用銃にも興味を持ったりも・・。
次は「続・クルスクの戦い」かなぁ。。
ジャン・ルスタンのこの大判の写真集は「クルスクの戦い」に続いて2冊目ですが、
発刊されたのはこちらが最初になります。
このシリーズは高くてなかなか手が出せませんが、去年の10月に古書を
1800円で購入していました。そこそこ良い買い物と自画自賛しています。
タイトルの「ハリコフの戦い」に「1942~1943年冬」と書いてあるように
「ハリコフの戦い」または「ハリコフ攻防戦」と呼ばれるものは、1次~4次までの戦いがあり、
このウクライナの大きな工業都市を巡って、独ソが取って取られてを繰り返した戦いです。
なかでも本書の第3次ハリコフ戦はドイツ側から見て、一番有名な戦役であり、
スターリングラードの第6軍を壊滅させたソ連軍がその勢いで爆走する「土星作戦」によって
窮地に陥ったドン軍集団司令官マンシュタインが「東部戦史上燦然と輝く作戦戦略」を駆使し、
見事、ハリコフを再奪取する・・・というものです。
本書の冒頭には、このようなハリコフ戦の経緯が書かれていて、
一時的な戦略的撤退を進言するマンシュタインvsヒトラーの話も紹介され、
ヒトラーよりも軍集団司令官の命令に従った武装SS装甲軍団長のパウル・ハウサー。
そしてスターリングラード戦に一切参加せず、新型戦車ティーガーも受領していた
強烈な武装SS装甲軍団を中心とした劇的勝利までを地図も掲載して解説します。
25ページからは650点に及ぶ写真が次々と登場していきます。
Ⅲ号戦車にⅣ号戦車、Ⅲ号突撃砲もバンバン出てきますが、
装甲兵員輸送車であるSd Kfz 250やSd Kfz 251も様々なバリエーションで登場し、
また、BMW 750のサイドカー(R75) も結構クリアな写真で出てきて、楽しめます。
このドイツ軍のサイドカーといえばやっぱり「大脱走」を思い出しますねぇ。
「鹵獲兵器のチェコ製38(t)戦車にロシア製76.2㎜野砲を組み合わせた急造のリサイクル兵器」
と紹介されるのは自走砲であるマーダーⅢです。
他にも88㎜高射砲部隊や補給のコンテナがパラシュートで投下される写真なども・・。
そんな中でSS第1装甲師団「ライプシュタンダルテ」の戦車小隊長リッベントロップに
「SS第12戦車師団史」のフーベルト・マイヤー、ホルヒに乗って先頭を行く"パンツァー"マイヤー、
戦車部隊を率いるマックス・ヴュンシェにヨッヘン・パイパーらの大隊長、
さらにはフリッツ・ヴィットとテオドール・ヴィッシュといった重鎮の連隊長も続々と登場してきます。
戦車や有名人だけではなく、一般の擲弾兵も数多く写っている本書ですが、
このような兵士が手にしている拳銃も「ヴァルターP38」と書かれていて
久しぶりに、子供の頃を思い出しました。
「ヴァルターP38」というは、日本ではいわゆる「ワルサーP38」として知られているものですが
なんといっても「ルパン3世」のご愛用の銃で、そのエンディング・テーマでも
「ワルサーピーさんじゅうはち~・・この手のなかにぃぃ~」と歌われていることでも有名です。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
これが起因したのかどうかは覚えていませんが、小学生の時に初めて買ったモデルガンも
黄金に輝く「ワルサーP38」でした。。。
2代目は「ルガーP08」で、今から思うと、自然にドイツ軍のを選んでいたんですねぇ。
本書では他にも「MG42機関銃」などが随所に出てくるので、ちょっとこの手の本が欲しくなりました。
いまサラッと探してみましたがあんまりないんですねぇ。
とりあえず、ムックの「 図説ドイツ軍用銃パーフェクトバイブル」でも買って勉強してみます。
表紙はSS第3装甲師団「トーテンコープ」の戦車がハリコフ市内深くへ入っていく場面ですが
師団長のテオドール・アイケがこの戦いで戦死・・。その墓を写したものも2枚出てきました。
またティーガーはSS装甲軍団だけではなく、グロースドイッチュランド師団のティーガーも登場。
そしてこの部隊を率いるのは、あの戦車伯爵シュトラハヴィッツです。
また、本書はこの戦役の写真を時系列で掲載しているので、写真のキャプションしかなくても
戦闘の推移が良く伝わってきます。
郊外の吹き曝しの村々からハリコフ市内へ。。そして極寒の冬から春の日差しへと
彼らのメチャクチャな軍服も微妙に変化していきます。
ハリコフ市内をほぼ制圧・・という場面では、マックス・ハンゼンSS少佐が出てきました。
いや~、この人以前から気になっているんですが、さすがに怖いな~。。
特に最前線の緊張感ある顔で、これぞ武装SSの少佐という雰囲気です。
そして師団長のゼップ・ディートリッヒが"パンツァー"マイヤーに「お疲れさん」という連続写真。
これで終わりかな・・と思っていたらまだまだベルゴロド攻略に向けて
SS第2装甲師団「ダス・ライヒ」が前進を続けます。
こうして「一部の隙もない戦車搭乗服姿のテュークゼンSS少佐」の写真が・・。
いまのところ一番のお気に入りのSS隊員が最後の最後で大トリを務めてました。
このキャプションでも「タイクゼン」と書かれているものもあると解説されているように
発音が難しい人(Tychsen)ですね。タイヒゼンというのもありました。。
冬の戦いの写真集・・という意味で、雪まみれの不鮮明な写真が多かったらと
実は若干、心配でしたが、予想以上に楽しめる一冊でした。
逆にこの寒さの中での戦いの大変さがよくわかりましたし、
戦車や兵器、有名人と写真のバランスも良く、初めて軍用銃にも興味を持ったりも・・。
次は「続・クルスクの戦い」かなぁ。。
バルバロッサのプレリュード -ドイツ軍奇襲成功の裏面・もうひとつの史実- [パンツァー]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
マクシム・コロミーエツ著の「バルバロッサのプレリュード」を読破しました。
この「独ソ戦車戦シリーズ」の紹介は3冊目になりますが、以前に4冊ほど
まとめ買いしていたので、順番もメチャクチャですいません。。
本書は「クルスクのパンター」に続く、第2巻になりますが、このタイトルは微妙ですねぇ。
大体、日本男児に「プレリュード」と言われても、HONDAのクルマしか思い浮かびません。。
恥ずかしながら、一応、確認がてら調べると「前奏曲」という意味だそうで、
序文でも「1941年6月当時の独ソ両陸軍の兵力比較をテーマ」と書かれているように
バルバロッサ作戦が発動される直前の兵器と編成を多数の写真で解説したものです。
第1章は「ドイツ国防軍」ですが、序文でも「興味深いポイントのみ・・」と書かれているように
130ページの本書の前半30ページのみとなっています。
それでも40枚ほど掲載されている写真にはフランスの鹵獲戦車シャールが
火炎放射戦車に改良され、これを24両揃えた1個大隊が参加したという
なかなか興味深い写真とキャプションもありました。
第2章からは開戦前夜のソ連軍が最後まで続きます。
トップである国防人民委員にはヴォロシーロフに代わったティモシェンコが、
そして参謀総長にはジューコフが・・、さらに各軍管区なども一覧表が掲載されて
なかなかわかりやすいですね。
赤軍大粛清によって革命戦の経験者がわずか6%になってしまった士官。
しかし名誉回復によって1万3千名が復帰しています。
確か、ロコソフスキーもその一人だったかと・・。
また、この粛清がもたらした影響・・、指揮官が決定を下すことに対して
恐怖心を覚えてしまったことにも触れています。
そして装備。1939年までに生産された大量の45㎜徹甲弾の熱処理加工が
いい加減だったことが判明し、1941年5月に各部隊から回収が始まってしまいます。
結果、1ヶ月後の開戦時には、砲兵や戦車部隊に1発の徹甲弾もないという事態に・・。
76㎜についても1440門の砲に対して、2万発のみ・・、1門当たり、たったの2.6発です。
1941年初頭から始まった大機械化軍団構想は、先日紹介した「ドイツ装甲師団」を
彷彿とさせる内容です。
ジューコフが何を考えて、機械化軍団の追加編成にサインしたのか釈然としないと
書かれているように、人員も兵器もない新たな機械化軍団12個。
そのバルバロッサ当日の陣容も編成表によって細かく書かれていて、
例えば、先の本で嘆いていたロコソフスキーの第9機械化軍団を見ると、
人員こそ3万人と90%の充足率ではあるものの、戦車に至っては286両と充足率26%です。
もちろん本来配備されているべきT-34は1両もありません。。
さらにこれらの機械化軍団に大量に招集された新兵たちの訓練は完了予定が
1941年の年末であり、24の民族籍のうち、15以上の民族は
ロシア語がまったく話すことが出来ない・・というありさまです。
新型戦車であるT-34とKV重戦車の生産は増えてきたものの、多くは車庫に眠ったままで
乗員の訓練は古いBT快速戦車やT-26軽戦車で行われていたことから、
開戦直前にこれらの新型戦車が配備された戦車師団では、
誰も見たり、知っていたりする者はなく、開戦の火蓋が着られるや否や、
滅茶苦茶な操作をしてその大半が故障などにより失われてしまった・・としています。
最後の「要塞地帯」では旧国境の防衛線「スターリン線」の状況が詳しく書かれています。
1939年にNKVDのベリヤがヴォロシーロフに送った要塞地帯の報告メモも引用され、
20㎝以上も浸水し、水道は機能せず、電気も換気も食料庫もない・・というのは前置きで、
「第3号永久トーチカは窪地の傾斜面に造営され、常に地滑りを起こし、
砲は周囲の地面より低く設置されているため役に立たない」。
ちょっと抜粋ですが、こりゃスゴいですね。。。
1940年からは新国境に「モロトフ線」の建設が始まったそうですが、
これも結局は開戦に間に合わず・・。
配備から外され、この要塞地帯で不動トーチカの役目が与えられたT-18戦車の写真もあり、
これがレーニン戦車(M-17)に続く、事実上のソ連最初の国産戦車であるというのは
勉強になりました。
監修者の斎木氏のあとがきでは、「バルバロッサ」本といえども、本書は
かつてのソ連時代には間違いなく封印されていたであろう、お寒い状況について扱った
類稀なる著作である・・と書かれていますが、
まったく同感で、いつもあとがきを先に読むヴィトゲンシュタインは
今回たまたま読み飛ばしていたということもあって、この書きっぷりには爆笑してしまいました。
あくまで前奏曲の本書ですから、撃破戦車の写真は一枚もありません。
特にソ連側はキエフでの訓練やパレードの写真が中心ですが、
逆にあまり知らなかった装甲車両の写真も多くて、なかなか新鮮に楽しめました。
次は本棚で待っている「カフカスの防衛」も読んでみますか。
マクシム・コロミーエツ著の「バルバロッサのプレリュード」を読破しました。
この「独ソ戦車戦シリーズ」の紹介は3冊目になりますが、以前に4冊ほど
まとめ買いしていたので、順番もメチャクチャですいません。。
本書は「クルスクのパンター」に続く、第2巻になりますが、このタイトルは微妙ですねぇ。
大体、日本男児に「プレリュード」と言われても、HONDAのクルマしか思い浮かびません。。
恥ずかしながら、一応、確認がてら調べると「前奏曲」という意味だそうで、
序文でも「1941年6月当時の独ソ両陸軍の兵力比較をテーマ」と書かれているように
バルバロッサ作戦が発動される直前の兵器と編成を多数の写真で解説したものです。
第1章は「ドイツ国防軍」ですが、序文でも「興味深いポイントのみ・・」と書かれているように
130ページの本書の前半30ページのみとなっています。
それでも40枚ほど掲載されている写真にはフランスの鹵獲戦車シャールが
火炎放射戦車に改良され、これを24両揃えた1個大隊が参加したという
なかなか興味深い写真とキャプションもありました。
第2章からは開戦前夜のソ連軍が最後まで続きます。
トップである国防人民委員にはヴォロシーロフに代わったティモシェンコが、
そして参謀総長にはジューコフが・・、さらに各軍管区なども一覧表が掲載されて
なかなかわかりやすいですね。
赤軍大粛清によって革命戦の経験者がわずか6%になってしまった士官。
しかし名誉回復によって1万3千名が復帰しています。
確か、ロコソフスキーもその一人だったかと・・。
また、この粛清がもたらした影響・・、指揮官が決定を下すことに対して
恐怖心を覚えてしまったことにも触れています。
そして装備。1939年までに生産された大量の45㎜徹甲弾の熱処理加工が
いい加減だったことが判明し、1941年5月に各部隊から回収が始まってしまいます。
結果、1ヶ月後の開戦時には、砲兵や戦車部隊に1発の徹甲弾もないという事態に・・。
76㎜についても1440門の砲に対して、2万発のみ・・、1門当たり、たったの2.6発です。
1941年初頭から始まった大機械化軍団構想は、先日紹介した「ドイツ装甲師団」を
彷彿とさせる内容です。
ジューコフが何を考えて、機械化軍団の追加編成にサインしたのか釈然としないと
書かれているように、人員も兵器もない新たな機械化軍団12個。
そのバルバロッサ当日の陣容も編成表によって細かく書かれていて、
例えば、先の本で嘆いていたロコソフスキーの第9機械化軍団を見ると、
人員こそ3万人と90%の充足率ではあるものの、戦車に至っては286両と充足率26%です。
もちろん本来配備されているべきT-34は1両もありません。。
さらにこれらの機械化軍団に大量に招集された新兵たちの訓練は完了予定が
1941年の年末であり、24の民族籍のうち、15以上の民族は
ロシア語がまったく話すことが出来ない・・というありさまです。
新型戦車であるT-34とKV重戦車の生産は増えてきたものの、多くは車庫に眠ったままで
乗員の訓練は古いBT快速戦車やT-26軽戦車で行われていたことから、
開戦直前にこれらの新型戦車が配備された戦車師団では、
誰も見たり、知っていたりする者はなく、開戦の火蓋が着られるや否や、
滅茶苦茶な操作をしてその大半が故障などにより失われてしまった・・としています。
最後の「要塞地帯」では旧国境の防衛線「スターリン線」の状況が詳しく書かれています。
1939年にNKVDのベリヤがヴォロシーロフに送った要塞地帯の報告メモも引用され、
20㎝以上も浸水し、水道は機能せず、電気も換気も食料庫もない・・というのは前置きで、
「第3号永久トーチカは窪地の傾斜面に造営され、常に地滑りを起こし、
砲は周囲の地面より低く設置されているため役に立たない」。
ちょっと抜粋ですが、こりゃスゴいですね。。。
1940年からは新国境に「モロトフ線」の建設が始まったそうですが、
これも結局は開戦に間に合わず・・。
配備から外され、この要塞地帯で不動トーチカの役目が与えられたT-18戦車の写真もあり、
これがレーニン戦車(M-17)に続く、事実上のソ連最初の国産戦車であるというのは
勉強になりました。
監修者の斎木氏のあとがきでは、「バルバロッサ」本といえども、本書は
かつてのソ連時代には間違いなく封印されていたであろう、お寒い状況について扱った
類稀なる著作である・・と書かれていますが、
まったく同感で、いつもあとがきを先に読むヴィトゲンシュタインは
今回たまたま読み飛ばしていたということもあって、この書きっぷりには爆笑してしまいました。
あくまで前奏曲の本書ですから、撃破戦車の写真は一枚もありません。
特にソ連側はキエフでの訓練やパレードの写真が中心ですが、
逆にあまり知らなかった装甲車両の写真も多くて、なかなか新鮮に楽しめました。
次は本棚で待っている「カフカスの防衛」も読んでみますか。
ドイツ装甲師団 [パンツァー]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
加登川 幸太郎 著の「ドイツ装甲師団」を読破しました。
1990年発刊の有名な「朝日ソノラマ」ですが、なぜか今まで持っていませんでした。
まぁ、これは日本人より、外国の著者に目が行ってしまう・・という体質によるものですが、
以前に紹介した名作「ドイツ装甲師団とグデーリアン」と第二次世界大戦ブックスの
「スターリングラード」を訳された加登川 幸太郎氏の書かれたものということで
今回、購入し、早速読んでみました。
このタイトルと帯を読む限り、各ドイツ装甲師団の連戦連勝の痛快な1冊をイメージしましたが、
「はじめに」では、本書がドイツ装甲師団の盛衰の様相と、独ソ両国を対比しつつ
その両装甲部隊の興亡の足取りをたどる・・といったものです。
まずはドイツ装甲師団が生まれるキッカケでもある、第1次大戦に登場した戦車から・・。
塹壕戦を打開すべく、英軍が開発した「菱形の怪物」MKI型戦車の登場に、
ドイツ軍が「戦車パニック」を起こすものの、落ち着いてみると
大きな図体で時速6㌔でノソノソやってくるこの戦車は砲兵の良い目標になったという話や、
フランス軍の二人乗り軽戦車ルノーFT17、そしてドイツ軍も大急ぎで作った
18人乗りの怪物、A7V戦車などが写真と共に紹介されます。
そして「ドイツ装甲部隊の父」、明治21年生まれのハインツ・グデーリアンの経歴が
簡単に書かれ、彼の交通兵監部時代の上司、オズヴァルト・ルッツに触れ、
グデーリアンが有名すぎて知られていないが、このルッツこそが
「初代のドイツ装甲部隊の育ての親」と評価しています。
ここから暫くは、グデーリアンの回想録を度々引用して、この創成期の苦労・・、
花形兵科である歩兵と騎兵や陸軍参謀本部の抵抗・・が語られ、
ヴェルサイユ条約によって1台の戦車を持つことも許されない状況の中で、
自動車にキャンバスを張った模造戦車での野外演習を繰り返すのでした。
一方、トハチェフスキー元帥がソ連の「戦車部隊の父」として紹介されると、
独ソの違い・・ドイツのグデーリアンがせいぜい佐官であるのに対してソ連では、
先見の明があるトップの将軍によって軍の機械化が推進されていった・・ということです。
戦車開発の元祖である英国の状況も解説されます。
ビッカース軽戦車に始まり「クルセイダー」や「マチルダ」など
ドイツ・アフリカ軍団と戦った戦車たちも写真つきで登場。
しかし全般的には、英国は最後までロクな戦車を作ることが出来なった・・という論調です。
続くフランス戦車界も1930年代にルノーFT17に代わってR35やソミュアなど
防御重視で装甲は厚いものの、火力と機動性がなく、そのまま1940年を迎えてしまうのでした。
その結果はご存じのとおりですね。
このようにして各国が機械化していくなか、スペイン内戦が勃発し、
特に独ソは新兵器の実験の場として、戦車部隊も派遣します。
しかし、その結果はドイツのⅠ号、Ⅱ号戦車、ソ連のT-26やBT戦車が「役に立たず」という
結論に達してしまいます。
このような低い評価を頂戴してしまったグデーリアンですが、その心配をよそに
ドイツにはヒトラーが台頭しており、オーストリアからチェコに至るまでを
機械化部隊を見せつけながら占領・・・。オマケにチェコでは38(t)戦車まで手に入れて、
軽戦車中心の装甲部隊としては、この優秀なチェコ製戦車は頼りになるものです。
ポーランド戦が終わっても、まだ全軍的には「補助的な兵種」とされてしまったドイツ装甲部隊。
このドイツの快進撃に慌ててポーランドに侵攻したソ連では、
「ポーランド侵攻」という言葉はなく、「西ウクライナと西白ロシア解放」と都合よく呼ぶそうで、
その後の「フィンランド侵攻」が惨めな結果に終わると、
「無敵赤軍」という思い上がった看板を書き直し、突如、2年間で機械化軍団29個を
編成することを決定・・。その中心となる戦車はT-34とKV重戦車です。
このあたり、著者の書きっぷりが独特で、思わずニヤニヤしながら読んでしまいました。
例えば「赤軍大粛清」によって、機械化部隊構想が消滅した結果、
「幕下」フィンランドのスキー兵の餌食になっしまった「横綱」ソ連軍・・。
そのうえ、ドイツ装甲部隊がフランスを一蹴するに至って、「シュン」としてしまった・・
といった感じです。
ともかく機械化軍団29個を編成するという大計画のためには、
1940年に工場を出始めた新兵器であるT-34を1万3千両作る必要があり、
また「全軍団同時編成完了」という恐ろしい建前によって、
1941年にドイツ軍侵攻された際には、前線の機械化軍団はひとつとして
編成を完了していなかったということで、
ロコソフスキーの回想録から彼の名ばかりの機械化軍団の現状を紹介します。
古ぼけたT-26などの戦車だけではなく、「機械化」のために馬もない・・。
そして紙の上にしか存在しない自動車もなく、迫撃砲などの重火器も担いでテクテク歩くのです。
イタリアの装甲部隊についても触れられていますが、著者はこのイタリアとムッソリーニに
なにか恨みでもあるのか・・と想像させるほど辛辣です。
まぁ、第2次大戦に従軍された「中佐」ですから、枢軸の裏切り者・・という心境かもしれません・・。
どんな具合かというと、1940年9月、エジプトのシディ・バラーニに侵攻したイタリア軍が
そこに腰を下ろし、敵国領土内でのんびりと12月まで過ごした・・として、
「いったい、どんな量見であったものか、不思議である」。
続く「ムッソリーニが大いに意気込んだギリシャ侵攻」でも、「その軍隊がまことに不甲斐ない」として
「撃退された挙句、アルバニアに逃げ帰り、さらにこの国の半分ほどを占領されてしまった・・」。
もちろんイタリア戦車も紹介して、イタリア軍最良の戦車と書かれた本もあるという「M-13-40」では
とある戦いで、英国戦車82両が4両の損害だったのに対し、
イタリア軍は新鋭戦車「M-13-40」を含む101両が撃破されたとして、
「こんな戦闘をしていては戦争には勝てない」と一刀両断です。。。
それとは対照的なのが「敬服に値する」ロンメルとドイツ・アフリカ軍団の戦いざまです。
特に具体的な戦記が書かれているわけではありませんが、
砂漠という思いもよらぬところで戦わなくてはならなくなった彼らの適応能力を賞賛しています。
中盤以降は東部戦線の独ソ双方の装甲部隊戦記となっていきます。
バルバロッサ作戦からキエフの大包囲、モスクワへの「タイフーン作戦」とその終焉・・。
スターリングラード包囲と救出作戦。そしてクルスクの戦車戦と一気に続いていきます。
ここでも疎開したソ連の軍需工場の恐るべき生産能力を検証し、特に「ノルマ競争」では、
「ノルマ300%完遂労働者」や「500%完遂」に、「1000%完遂労働者」も出現したということで、
こうした男女の労働者には「ソ連邦労働英雄」や「レーニン勲章」が授与されたそうです。
この「ソ連邦労働英雄」というのは良く知らなかったので、ちょっと調べてみましたが、
位置付け的には、有名な「ソ連邦英雄」の金星記章と同じようです。
軍人と労働者の違いのようで、デザインもほぼ同じ、そして「ソ連邦労働英雄」は中央に
鎌と槌が描かれ、正式には「鎌と槌記章」と言うそうですが、こんなのを3つも4つも付けた、
ジューコフ元帥の如き、スーパー1000%完遂労働者もいたのでしょうか?
最後は参戦してきた米軍戦車・・シャーマン戦車や、
それに17ポンド砲(76.2mm)に載せ替えた英軍の「ファイアフライ」なども紹介。
グデーリアンが装甲兵総監として復帰してからはお馴染み、ティーガーやパンターも登場。
そして、その後の独ソによる怪物戦車競走として、JS重戦車にSU-122やSU-152自走砲、
ケーニッヒスティーガーにヤークトパンター、
「大戦中随一の怪物」ヤークトティーガーの駆逐戦車と続きます。
いや~、読み物として純粋に面白かったです。
特に本書の書きっぷり・・良いものは良い、悪いものは悪い・・といったことをハッキリと書く、
江戸っ子気質のような雰囲気が、自分にはピッタリ合いましたし、
確かに有名な会戦部分はダイジェスト的ですが、
それらが次々と出てくるので、「やめられない止まらない」という
まさに「かっぱえびせん」状態に陥ってしまいました。
この390ページの本書は4年~5年前にに出会っていても、凄く身になってただろうな~と思います。
もちろん今読んでも、疎かった英米仏伊といった各国の戦車紹介はかなり勉強になりました。
加登川 幸太郎 著の「ドイツ装甲師団」を読破しました。
1990年発刊の有名な「朝日ソノラマ」ですが、なぜか今まで持っていませんでした。
まぁ、これは日本人より、外国の著者に目が行ってしまう・・という体質によるものですが、
以前に紹介した名作「ドイツ装甲師団とグデーリアン」と第二次世界大戦ブックスの
「スターリングラード」を訳された加登川 幸太郎氏の書かれたものということで
今回、購入し、早速読んでみました。
このタイトルと帯を読む限り、各ドイツ装甲師団の連戦連勝の痛快な1冊をイメージしましたが、
「はじめに」では、本書がドイツ装甲師団の盛衰の様相と、独ソ両国を対比しつつ
その両装甲部隊の興亡の足取りをたどる・・といったものです。
まずはドイツ装甲師団が生まれるキッカケでもある、第1次大戦に登場した戦車から・・。
塹壕戦を打開すべく、英軍が開発した「菱形の怪物」MKI型戦車の登場に、
ドイツ軍が「戦車パニック」を起こすものの、落ち着いてみると
大きな図体で時速6㌔でノソノソやってくるこの戦車は砲兵の良い目標になったという話や、
フランス軍の二人乗り軽戦車ルノーFT17、そしてドイツ軍も大急ぎで作った
18人乗りの怪物、A7V戦車などが写真と共に紹介されます。
そして「ドイツ装甲部隊の父」、明治21年生まれのハインツ・グデーリアンの経歴が
簡単に書かれ、彼の交通兵監部時代の上司、オズヴァルト・ルッツに触れ、
グデーリアンが有名すぎて知られていないが、このルッツこそが
「初代のドイツ装甲部隊の育ての親」と評価しています。
ここから暫くは、グデーリアンの回想録を度々引用して、この創成期の苦労・・、
花形兵科である歩兵と騎兵や陸軍参謀本部の抵抗・・が語られ、
ヴェルサイユ条約によって1台の戦車を持つことも許されない状況の中で、
自動車にキャンバスを張った模造戦車での野外演習を繰り返すのでした。
一方、トハチェフスキー元帥がソ連の「戦車部隊の父」として紹介されると、
独ソの違い・・ドイツのグデーリアンがせいぜい佐官であるのに対してソ連では、
先見の明があるトップの将軍によって軍の機械化が推進されていった・・ということです。
戦車開発の元祖である英国の状況も解説されます。
ビッカース軽戦車に始まり「クルセイダー」や「マチルダ」など
ドイツ・アフリカ軍団と戦った戦車たちも写真つきで登場。
しかし全般的には、英国は最後までロクな戦車を作ることが出来なった・・という論調です。
続くフランス戦車界も1930年代にルノーFT17に代わってR35やソミュアなど
防御重視で装甲は厚いものの、火力と機動性がなく、そのまま1940年を迎えてしまうのでした。
その結果はご存じのとおりですね。
このようにして各国が機械化していくなか、スペイン内戦が勃発し、
特に独ソは新兵器の実験の場として、戦車部隊も派遣します。
しかし、その結果はドイツのⅠ号、Ⅱ号戦車、ソ連のT-26やBT戦車が「役に立たず」という
結論に達してしまいます。
このような低い評価を頂戴してしまったグデーリアンですが、その心配をよそに
ドイツにはヒトラーが台頭しており、オーストリアからチェコに至るまでを
機械化部隊を見せつけながら占領・・・。オマケにチェコでは38(t)戦車まで手に入れて、
軽戦車中心の装甲部隊としては、この優秀なチェコ製戦車は頼りになるものです。
ポーランド戦が終わっても、まだ全軍的には「補助的な兵種」とされてしまったドイツ装甲部隊。
このドイツの快進撃に慌ててポーランドに侵攻したソ連では、
「ポーランド侵攻」という言葉はなく、「西ウクライナと西白ロシア解放」と都合よく呼ぶそうで、
その後の「フィンランド侵攻」が惨めな結果に終わると、
「無敵赤軍」という思い上がった看板を書き直し、突如、2年間で機械化軍団29個を
編成することを決定・・。その中心となる戦車はT-34とKV重戦車です。
このあたり、著者の書きっぷりが独特で、思わずニヤニヤしながら読んでしまいました。
例えば「赤軍大粛清」によって、機械化部隊構想が消滅した結果、
「幕下」フィンランドのスキー兵の餌食になっしまった「横綱」ソ連軍・・。
そのうえ、ドイツ装甲部隊がフランスを一蹴するに至って、「シュン」としてしまった・・
といった感じです。
ともかく機械化軍団29個を編成するという大計画のためには、
1940年に工場を出始めた新兵器であるT-34を1万3千両作る必要があり、
また「全軍団同時編成完了」という恐ろしい建前によって、
1941年にドイツ軍侵攻された際には、前線の機械化軍団はひとつとして
編成を完了していなかったということで、
ロコソフスキーの回想録から彼の名ばかりの機械化軍団の現状を紹介します。
古ぼけたT-26などの戦車だけではなく、「機械化」のために馬もない・・。
そして紙の上にしか存在しない自動車もなく、迫撃砲などの重火器も担いでテクテク歩くのです。
イタリアの装甲部隊についても触れられていますが、著者はこのイタリアとムッソリーニに
なにか恨みでもあるのか・・と想像させるほど辛辣です。
まぁ、第2次大戦に従軍された「中佐」ですから、枢軸の裏切り者・・という心境かもしれません・・。
どんな具合かというと、1940年9月、エジプトのシディ・バラーニに侵攻したイタリア軍が
そこに腰を下ろし、敵国領土内でのんびりと12月まで過ごした・・として、
「いったい、どんな量見であったものか、不思議である」。
続く「ムッソリーニが大いに意気込んだギリシャ侵攻」でも、「その軍隊がまことに不甲斐ない」として
「撃退された挙句、アルバニアに逃げ帰り、さらにこの国の半分ほどを占領されてしまった・・」。
もちろんイタリア戦車も紹介して、イタリア軍最良の戦車と書かれた本もあるという「M-13-40」では
とある戦いで、英国戦車82両が4両の損害だったのに対し、
イタリア軍は新鋭戦車「M-13-40」を含む101両が撃破されたとして、
「こんな戦闘をしていては戦争には勝てない」と一刀両断です。。。
それとは対照的なのが「敬服に値する」ロンメルとドイツ・アフリカ軍団の戦いざまです。
特に具体的な戦記が書かれているわけではありませんが、
砂漠という思いもよらぬところで戦わなくてはならなくなった彼らの適応能力を賞賛しています。
中盤以降は東部戦線の独ソ双方の装甲部隊戦記となっていきます。
バルバロッサ作戦からキエフの大包囲、モスクワへの「タイフーン作戦」とその終焉・・。
スターリングラード包囲と救出作戦。そしてクルスクの戦車戦と一気に続いていきます。
ここでも疎開したソ連の軍需工場の恐るべき生産能力を検証し、特に「ノルマ競争」では、
「ノルマ300%完遂労働者」や「500%完遂」に、「1000%完遂労働者」も出現したということで、
こうした男女の労働者には「ソ連邦労働英雄」や「レーニン勲章」が授与されたそうです。
この「ソ連邦労働英雄」というのは良く知らなかったので、ちょっと調べてみましたが、
位置付け的には、有名な「ソ連邦英雄」の金星記章と同じようです。
軍人と労働者の違いのようで、デザインもほぼ同じ、そして「ソ連邦労働英雄」は中央に
鎌と槌が描かれ、正式には「鎌と槌記章」と言うそうですが、こんなのを3つも4つも付けた、
ジューコフ元帥の如き、スーパー1000%完遂労働者もいたのでしょうか?
最後は参戦してきた米軍戦車・・シャーマン戦車や、
それに17ポンド砲(76.2mm)に載せ替えた英軍の「ファイアフライ」なども紹介。
グデーリアンが装甲兵総監として復帰してからはお馴染み、ティーガーやパンターも登場。
そして、その後の独ソによる怪物戦車競走として、JS重戦車にSU-122やSU-152自走砲、
ケーニッヒスティーガーにヤークトパンター、
「大戦中随一の怪物」ヤークトティーガーの駆逐戦車と続きます。
いや~、読み物として純粋に面白かったです。
特に本書の書きっぷり・・良いものは良い、悪いものは悪い・・といったことをハッキリと書く、
江戸っ子気質のような雰囲気が、自分にはピッタリ合いましたし、
確かに有名な会戦部分はダイジェスト的ですが、
それらが次々と出てくるので、「やめられない止まらない」という
まさに「かっぱえびせん」状態に陥ってしまいました。
この390ページの本書は4年~5年前にに出会っていても、凄く身になってただろうな~と思います。
もちろん今読んでも、疎かった英米仏伊といった各国の戦車紹介はかなり勉強になりました。