第653重戦車駆逐大隊戦闘記録集 [パンツァー]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
カールハインツ・ミュンヒ著の「第653重戦車駆逐大隊戦闘記録集」を読破しました。
2年半前に3800円で購入していた、495ページの大判写真集を遂にやっつけました。
大日本絵画の大判戦車写真集のなかでも、この厚さは一番だと思いますが、とにかく重い!!
この特定の戦車大隊史というマニアックそうなテーマに尻込みしていたのも確かですが、
なんといっても、コレをやっつけるには2日間外出せずに読み倒す・・くらいの気合がないと
独破できそうもないと思い続けていた、厚くて、重くて、素晴らしい写真集です。

ドイツ語の"シュヴェーレ・パンツァーイェーガー・アップタイルング"を
本書のタイトルと部隊名である「重戦車駆逐大隊」訳している本書ですが、
パンツァーイェーガーは「戦車猟兵」とも訳されていることにも触れたうえで、
「"重"火器の装備で敵"戦車を駆逐"する"大隊"」といった意味を解説しています。
そしてこの第653重戦車駆逐大隊の母体である「第197突撃砲大隊」の創設と
戦歴が1940年から詳しく解説。もちろん、Ⅲ号突撃砲の写真も満載です。
バルバロッサ作戦と、翌年の「青作戦」でも南方軍集団に属し、2回に渡る
セヴァストポリ要塞攻略戦に参加、最終的には「モロトフ堡塁」や「GPU堡塁」の攻略に
貢献した経緯なども、当時の軍曹の日記などを抜粋しながら紹介しています。
この「第197突撃砲大隊」は「突撃砲兵」にも結構出てきた独立突撃砲大隊ですね。

1943年4月、第197突撃砲大隊は突撃砲から
最新の駆逐戦車フェルディナンドを45両を揃えた「第653重戦車駆逐大隊」と改称され、
夏のクルスクでの「ツィタデレ作戦」に挑むことになります。
姉妹大隊である「第654重戦車駆逐大隊」と、Ⅳ号突撃戦車ブルムベア42両を揃えた
「第216突撃戦車大隊」と共に「第656重戦車駆逐連隊」としてクルーゲ元帥の中央軍集団の
主力として期待されますが、待ち受けていたソ連の地雷原の前に苦労したようです。
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特に興味深かったのは「ヒトラーの戦い〈5〉」に出てきた装薬運搬車「ボルクヴァルトIV」を
72両も揃えた無線誘導戦車中隊もこの連隊に配属されていて、
これらが地雷原で決死の大爆発を行い、フェルディナンドが突破を図る・・という戦術や、
単独でも激突したT-34を爆裂して破壊。対戦車砲陣地にも突撃して爆発し、
モロトフ・カクテルによる迎撃を食らっても、その炸裂は敵陣地に絶大な打撃を与えたそうです。
いや~、こういうのは地味ながら頑張ってて好きですねぇ。
もちろん、巨大なフェルディナンドの横を隊列で進む、小さなボルクヴァルトIV・・という
見事な写真も出てきます。

さらに連隊の第3大隊であるブルムベアも攻撃第二波として、フェルディナンドの背後から
砲撃を行ったとして、写真もしっかり登場。なかには「エリー」という愛称が書かれたブルムベアも・・。
また、故障により走行不能となった65㌧の大物、フェルディナンドの回収の様子も写真が掲載され、
5両の18㌧ハーフトラックが連結して引っ張るという回収班の離れ業も印象的です。
中盤には専用の回収車「ベルゲ・エレファント」も何枚か出てきますが、これは初めて見ました。

クルスク戦後も生き残った数少ないフェルディナンドは東部戦線で戦い続け、
この3両でT-34、70両を撃退したり、まさに重戦車駆逐大隊の名前に恥じぬ戦いぶり。
突然の敵砲撃にひとり残らず雪の中に退避したものの、たまたま訪問して演説中だった
シェルナー大将だけは、直立の姿勢を崩さなかったことに誰もが非常な感銘を覚えた・・
という報告も出てきました。

1944年になるとイタリアに上陸した連合軍に対して、第1中隊が出動します。
中隊本部は元イタリア外相チアーノの別荘に居を構え、
ヘルマン・ゲーリング戦車師団とともに任務に就きます。
一方、残りの中隊は東部戦線で武装SS装甲師団ホーエンシュタウフェンとフルンツベルクと共に
戦うものの、5月には総統命令によってフェルディナンドから「エレファント」と呼称が変更となったりと、
相変わらずこの窮地でも、良くわからない総統命令出すあの人は相変わらずです。。

装甲の厚いエレファントと言えども、直撃弾を浴びた場合にはやっぱり死傷者も出ます。
ペリスコープを覗いていた車長は頭部と目に重傷を負い、右手の指は吹き飛ばされ・・。
他にもキューポラを貫通した対戦車砲弾によって、車長の身体が真っ二つになった・・という
いくつかの例も紹介されます。

一番驚いたのは大隊の要請によりポルシェ・ティーガー(VK4501(P))が指揮戦車として到着し、
その姿も10枚ほどきっちりと写されているところですね。
フェルディナンド/エレファントの写真がこれだけ出てくるだけでもとんでもないのに、
ホント、スゲ~・・と感心しました。
1944年4月20日のヒトラー誕生日に完成品が披露された「ヤークトティーガー」。
非常に感銘を受けたヒトラーは直ちに生産開始を命じ、アルデンヌ攻勢に参加させるべく
訓練も開始しますが、エレファントよりさらに重い80㌧の怪物には故障が絶えません。
この怪物が中心となった第653重戦車駆逐大隊でも変速器の問題点が発覚したことで、
同じくヤークトティーガーで編成を開始していた第512重戦車駆逐大隊にも影響が・・。
この大隊はオットー・カリウスくんの大隊ですね。

さすがに大戦末期のこの時期、特に連合軍による空からの攻撃に備え、
木や枝などで徹底的にカモフラージュを施しているために、
行動中の鮮明なヤークトティーガーの写真はそれほど出てきません。
それでも工場の生産ラインの様子や、操縦手席の写真などは珍しいものです。

本書は見事な写真・・特にほとんどがフェルディナンドという凄まじい写真集であるのと同時に
以前に紹介した「重戦車大隊記録集〈2〉SS編」ように「記録集」でもあります。
ひとつの装甲部隊についてのモノとしては、間違いなく最高でしょう。
この内容からすると、2年半前ではなく、いま独破したことが、理解度も含め、
結果的に良かったなぁ・・と大満足しています。

また、本書の姉妹大隊である「第654重戦車駆逐大隊」も去年の11月に出ましたので
購入予定リストの筆頭にUPしました。
ヤークトティーガーではなく、ヤークトパンターで戦った、こちらの大隊の本は、
その名も「ヤークトパンター戦車隊戦闘記録集―第654重戦車駆逐大隊」で、
この495ページを遥かに上回る、627ページ!、8925円という凶暴な1冊です。
今年は無理かな・・、まずは筋トレしないと・・。
カールハインツ・ミュンヒ著の「第653重戦車駆逐大隊戦闘記録集」を読破しました。
2年半前に3800円で購入していた、495ページの大判写真集を遂にやっつけました。
大日本絵画の大判戦車写真集のなかでも、この厚さは一番だと思いますが、とにかく重い!!
この特定の戦車大隊史というマニアックそうなテーマに尻込みしていたのも確かですが、
なんといっても、コレをやっつけるには2日間外出せずに読み倒す・・くらいの気合がないと
独破できそうもないと思い続けていた、厚くて、重くて、素晴らしい写真集です。

ドイツ語の"シュヴェーレ・パンツァーイェーガー・アップタイルング"を
本書のタイトルと部隊名である「重戦車駆逐大隊」訳している本書ですが、
パンツァーイェーガーは「戦車猟兵」とも訳されていることにも触れたうえで、
「"重"火器の装備で敵"戦車を駆逐"する"大隊"」といった意味を解説しています。
そしてこの第653重戦車駆逐大隊の母体である「第197突撃砲大隊」の創設と
戦歴が1940年から詳しく解説。もちろん、Ⅲ号突撃砲の写真も満載です。
バルバロッサ作戦と、翌年の「青作戦」でも南方軍集団に属し、2回に渡る
セヴァストポリ要塞攻略戦に参加、最終的には「モロトフ堡塁」や「GPU堡塁」の攻略に
貢献した経緯なども、当時の軍曹の日記などを抜粋しながら紹介しています。
この「第197突撃砲大隊」は「突撃砲兵」にも結構出てきた独立突撃砲大隊ですね。

1943年4月、第197突撃砲大隊は突撃砲から
最新の駆逐戦車フェルディナンドを45両を揃えた「第653重戦車駆逐大隊」と改称され、
夏のクルスクでの「ツィタデレ作戦」に挑むことになります。
姉妹大隊である「第654重戦車駆逐大隊」と、Ⅳ号突撃戦車ブルムベア42両を揃えた
「第216突撃戦車大隊」と共に「第656重戦車駆逐連隊」としてクルーゲ元帥の中央軍集団の
主力として期待されますが、待ち受けていたソ連の地雷原の前に苦労したようです。
.jpg)
特に興味深かったのは「ヒトラーの戦い〈5〉」に出てきた装薬運搬車「ボルクヴァルトIV」を
72両も揃えた無線誘導戦車中隊もこの連隊に配属されていて、
これらが地雷原で決死の大爆発を行い、フェルディナンドが突破を図る・・という戦術や、
単独でも激突したT-34を爆裂して破壊。対戦車砲陣地にも突撃して爆発し、
モロトフ・カクテルによる迎撃を食らっても、その炸裂は敵陣地に絶大な打撃を与えたそうです。
いや~、こういうのは地味ながら頑張ってて好きですねぇ。
もちろん、巨大なフェルディナンドの横を隊列で進む、小さなボルクヴァルトIV・・という
見事な写真も出てきます。

さらに連隊の第3大隊であるブルムベアも攻撃第二波として、フェルディナンドの背後から
砲撃を行ったとして、写真もしっかり登場。なかには「エリー」という愛称が書かれたブルムベアも・・。
また、故障により走行不能となった65㌧の大物、フェルディナンドの回収の様子も写真が掲載され、
5両の18㌧ハーフトラックが連結して引っ張るという回収班の離れ業も印象的です。
中盤には専用の回収車「ベルゲ・エレファント」も何枚か出てきますが、これは初めて見ました。

クルスク戦後も生き残った数少ないフェルディナンドは東部戦線で戦い続け、
この3両でT-34、70両を撃退したり、まさに重戦車駆逐大隊の名前に恥じぬ戦いぶり。
突然の敵砲撃にひとり残らず雪の中に退避したものの、たまたま訪問して演説中だった
シェルナー大将だけは、直立の姿勢を崩さなかったことに誰もが非常な感銘を覚えた・・
という報告も出てきました。

1944年になるとイタリアに上陸した連合軍に対して、第1中隊が出動します。
中隊本部は元イタリア外相チアーノの別荘に居を構え、
ヘルマン・ゲーリング戦車師団とともに任務に就きます。
一方、残りの中隊は東部戦線で武装SS装甲師団ホーエンシュタウフェンとフルンツベルクと共に
戦うものの、5月には総統命令によってフェルディナンドから「エレファント」と呼称が変更となったりと、
相変わらずこの窮地でも、良くわからない総統命令出すあの人は相変わらずです。。

装甲の厚いエレファントと言えども、直撃弾を浴びた場合にはやっぱり死傷者も出ます。
ペリスコープを覗いていた車長は頭部と目に重傷を負い、右手の指は吹き飛ばされ・・。
他にもキューポラを貫通した対戦車砲弾によって、車長の身体が真っ二つになった・・という
いくつかの例も紹介されます。

一番驚いたのは大隊の要請によりポルシェ・ティーガー(VK4501(P))が指揮戦車として到着し、
その姿も10枚ほどきっちりと写されているところですね。
フェルディナンド/エレファントの写真がこれだけ出てくるだけでもとんでもないのに、
ホント、スゲ~・・と感心しました。
1944年4月20日のヒトラー誕生日に完成品が披露された「ヤークトティーガー」。
非常に感銘を受けたヒトラーは直ちに生産開始を命じ、アルデンヌ攻勢に参加させるべく
訓練も開始しますが、エレファントよりさらに重い80㌧の怪物には故障が絶えません。
この怪物が中心となった第653重戦車駆逐大隊でも変速器の問題点が発覚したことで、
同じくヤークトティーガーで編成を開始していた第512重戦車駆逐大隊にも影響が・・。
この大隊はオットー・カリウスくんの大隊ですね。

さすがに大戦末期のこの時期、特に連合軍による空からの攻撃に備え、
木や枝などで徹底的にカモフラージュを施しているために、
行動中の鮮明なヤークトティーガーの写真はそれほど出てきません。
それでも工場の生産ラインの様子や、操縦手席の写真などは珍しいものです。

本書は見事な写真・・特にほとんどがフェルディナンドという凄まじい写真集であるのと同時に
以前に紹介した「重戦車大隊記録集〈2〉SS編」ように「記録集」でもあります。
ひとつの装甲部隊についてのモノとしては、間違いなく最高でしょう。
この内容からすると、2年半前ではなく、いま独破したことが、理解度も含め、
結果的に良かったなぁ・・と大満足しています。

また、本書の姉妹大隊である「第654重戦車駆逐大隊」も去年の11月に出ましたので
購入予定リストの筆頭にUPしました。
ヤークトティーガーではなく、ヤークトパンターで戦った、こちらの大隊の本は、
その名も「ヤークトパンター戦車隊戦闘記録集―第654重戦車駆逐大隊」で、
この495ページを遥かに上回る、627ページ!、8925円という凶暴な1冊です。
今年は無理かな・・、まずは筋トレしないと・・。
こんにちは。
突然ですが、下から二番目の写真に写っているJTは、この写真集に載っているものなのでしょうか?
ご存知のとおり、これは有名な331号車ですが、このアングルからのカラー写真を見たのは初めてなので関心あります。
by 訳者より (2011-07-09 13:16)
ど~も。こんにちわ。
早速、回答ですが、この331号車は本書には2枚ほど写真が載っていますが、いずれも別アングルです。それと本書は白黒写真ですので、カラーでもありません。
さすがお詳しい・・。
by ヴィトゲンシュタイン (2011-07-09 17:02)
ご回答、ありがとうございました。
としますと、この写真の出典は何でしょうか。
そちらの方が興味あります(笑)。
by 某訳者 (2011-07-12 23:21)
いや~、この写真は以前にPCのマイピクチャに保存していたものなので、今となっては出典を明にすることが出来ません。
まぁ、写真は我がショボイBlogの見栄えを良くするために使っているだけですから、あんまりコダワリが無くてすいません。。
by ヴィトゲンシュタイン (2011-07-13 12:07)
こんばんは、ヴィトゲンシュタイン様。
遅ればせながら、本書を購入しました。また「第654重戦車駆逐大隊戦闘記録集」も買ってしまいました。
90両しかないフェルディナントで45両編成の大隊を2つ作ってツィタデレ戦に投入する。補充も長期戦も考えてない、これって一種の特別攻撃隊ではないのかと思ってしまいました。しかも654大隊に至ってはツィタデレ戦後、多数のフェルディナントを失った結果、生き残り車両を653大隊に譲るよう命令された隊員は「一種の懲罰と受け取った」そうです。
クルーたちがフェルディントと誇らしげに写っている姿を見ると、やはり大した兵器だったんだろうなと想像してしまいます。僕的には偏執狂的にぶ厚い正面装甲と大口径長砲身主砲という組み合わせのイッちゃってる感がたまりません。
重駆逐戦車の恥じない重量級の一冊・・・。価格もおっしゃるとおり凶暴ですが読みごたえがありました。
by レオノスケ (2013-07-16 23:19)
レオノスケさん。こんばんわ。
凶暴な2冊ですか!
ひょっとして秋ナスならぬ、夏のナスが炸裂されたんでしょうか??
>これって一種の特別攻撃隊ではないのかと
なはは、面白いですねぇ。
でもあの人はこの"秘密兵器"があれば負けることはない・・と思ったんじゃないでしょうか・・。地雷や歩兵肉薄攻撃なんて考えてなかったんでしょう。
クルスク戦を大海原での大海戦と想像すれば、装甲、射程ともフェルディントはビスマルク級戦艦90隻などというイメージだったのかも・・。
みなさんに「第654重戦車駆逐大隊戦闘記録集」、先を越されてますね。まだ筋トレの成果が出てないもので、変な汗が出てきました。
by ヴィトゲンシュタイン (2013-07-16 23:54)