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ドイツ戦車隊 -キャタピラー軍団,欧州を制圧- [第二次世界大戦ブックス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ダグラス・オージル著の「ドイツ戦車隊」を読破しました。

「重戦車大隊記録集〈1〉陸軍編」に挑戦する前に、ちょっとウォーミングアップを・・、
ということで、今年の春に「無敵! T34戦車」を読んで以来、気になっていた
「第二次世界大戦ブックス」の一冊を選んでみました。
ドイツ戦車部隊を扱ったものでは、以前に「ドイツ機甲師団 -電撃戦の立役者-」も読みましたし、
未読ですが、「ドイツ装甲軍団―グデーリアン将軍の戦車電撃戦」というのもあったり、
「無敵! T34戦車」と同じ著者による本書は、上記2冊といったいナニが違うのか・・?
原題は「ジャーマン・アーマー」で、「ドイツ軍の装甲車」って訳して良いんですかね?
そしてこの翻訳版はやっぱり副題が恥ずかしいほど素晴らしい。
表紙も「キャタピラー軍団が欧州を制圧」している図ですね。。

ドイツ戦車隊.jpg

第1章「ドイツ戦車隊の誕生」では、1916年、ゴロゴロとやって来た英国の菱形の怪物戦車
「ドイツ陸軍暗黒の日」として、決して忘れられないものとなると、
翌年、ドイツ軍も32㌧の「A7V」戦車を開発。
そして重量148㌧、77㎜砲4門に、機関銃7丁、戦車兵22人が搭乗する桁外れの怪物戦車「K型」
を紹介します。コレは日本では「Kワーゲン」と呼ばれているやつですね。
しかしベルリンの工場でほぼ完成していた2台の「K型」戦車は、充分なテストを行う前に
1918年11月、連合国管理委員会の手によって破壊されてしまいます。

K_Wagen.JPG

続いて、新生ドイツ陸軍のためにソ連との秘密協定を締結する10万人軍隊のゼークト将軍
新進気鋭の戦車信奉者であるグデーリアンも登場し、彼の回想録を引用しながら、
保守派の騎兵などとの戦い、逆に馬嫌いの新首相ヒトラーの支持を得る様子などが紹介されます。

1933年、クルップ社によって「訓練用戦車」であり、「農業用トラクター」という略称を与えられた
二人乗りの「Ⅰ号戦車」が誕生します。
1937年までフォン・トーマによって「スペイン内戦」で盛んに使われたⅠ号戦車ですが、
敵対戦車砲に完敗・・。トーマは出来る限りの敵のソ連戦車を鹵獲して部隊に編入。。
本書では、鹵獲したT-26戦車と並んだⅠ号戦車の写真も出てきますが、
一見しただけで、その力の違いが分かります。
なんてったってⅠ号戦車は砲塔にあるのは「機関銃」ですからね。。

Panzer I.jpg

Ⅱ号戦車はMAN社製。搭乗員も1人増えて、3人乗り。そして武装は、
「恐るべきとは書きにくいが、とても良くなっていた20㎜砲」が搭載。
装甲の厚さや、速度、エンジンなど、Ⅰ号戦車と比較しながら、なかなか専門的な解説です。

そして1935年には3個装甲師団が創設され、戦車以外にも機械化を進める必要が・・。
軽装甲兵員輸送車は「夢のような万能車両」と紹介され、
「Sd Kfz250」や、大型の「Sd Kfz251」も写真付き。

sdkfz251_1942.jpg

より大型な中戦のⅢ号戦車の開発が始まると、機械化部隊総監は50㎜の
大型口径砲を推奨しますが、陸軍兵器局はすでに歩兵部隊が装備している
37㎜対戦車砲を標準装備することを望みます。
その結果、ポーランド戦フランス戦で誤りであったことが判明し、50㎜砲への変更が始まりますが、
ヒトラーの工学的慧眼は短砲身ではなく、高初速の長砲身にするよう言明。
しかし陸軍兵器局は途方もない不服従行為で、ヒトラーの命令を無視した短砲身砲を搭載。
この行為が、独ソ戦初期の決定的な時期にドイツ軍が苦杯をなめる結果になったとしています。

Panzerkampfwagen III Ausf. L.jpg

手間をかけてゆっくりと生産されたⅣ号戦車。ポーランド戦には初期型が211両出動します。
その後、改良に改良を加えられ、長砲身の75㎜砲を装備して、ドイツ戦車部隊のエースとなります。
また、チェコ製の35(t)戦車38(t)にも触れ、これらのドイツ軍戦車と、
当時のフランス軍主力戦車、ソミュアシャールB1戦車、英軍のマチルダとの比較も行います。

SS-Division_Hitlerjugend_Panzer_IV.jpg

中盤は「西方電撃戦」の戦車部隊の活躍を、やっぱりグデーリアンを中心に紹介し、
続く北アフリカ戦線もロンメル中心で・・。
こうして「バルバロッサ作戦」へと進むと、ドイツの将軍たちについての著者の見解。
「ドイツ軍司令官たちは変化する戦争の性質を的確に理解した預言者のような集団ではなく、
誰一人として、一度に10個以上の戦車師団を使った作戦計画の起草や、
実戦を経験した者はいなかった。グデーリアンでさえ、例外でなかったのである」。

Promotion_ceremony_19_July_1940_Hitler_Kroll_Opera_house_award.jpg

対するソ連軍については「ソ連軍機械化部隊の創設者トハチェフスキーが銃殺され、
スターリンのえこひいきによって、かつての第1騎兵軍の大ベテラン、
ブジョンヌイティモシェンコヴォロシーロフのような者を返り咲かせた。
ただ、このなかにジューコフが含まれていた。運命の女神が彼を
戦争史の中で輝ける金字塔として残しておいたのだ」。

Zhukov_at_the_Tiger_tank.jpg

「当時、戦車軍団を指揮していた聡明なマンシュタイン・・」、
他にも第4軍参謀長ブルーメントリットの話なども登場しながら、独ソの攻防が語られますが、
そこはやっぱり「第二次世界大戦ブックス」。写真が良いですねぇ。
この部分では初見のマンシュタインの写真もありました。
そして強敵T-34とKV戦車の前にドイツ戦車工業界はパニックに陥ります。
T-34がいかなる戦車か・・というところは、さすが「無敵! T34戦車」って感じですね。

T34_german.jpg

1942年4月の総統誕生日に向けて、Ⅵ号戦車「ティーガー」の試作車が大急ぎで用意。
88㎜砲を備え、絶大な火力と装甲を持って就役した最強戦車ですが、
この戦車は快速で運動性の良いT-34に対抗するモノではなく、
むしろ、防衛戦になれば効果的な役割を果たすだろうと期待されたモノです。

tiger_tank.jpg

一方、その厄介なT-34を圧倒するために開発されたのがⅤ号戦車「パンター」です。
さらに回転砲塔を持たない分、量産が可能な自走砲類も、種類ごとにⅢ号突撃砲を筆頭に、
駆逐戦車「エレファント」、突撃戦車「ブルムベア」なども写真つきで登場。
東部戦線の戦いもスターリングラードハリコフクルスクの戦いと続きます。
また、このパンターがT-34/85をも凌いでいたと、著者が考える理由は
「ソ連戦車兵はソ連戦車より、鹵獲したパンターに乗りたがっていた」ということです。

PzKpfw V.jpg

1943年には西側連合軍の上陸が迫る西部戦線も重要になってきます。
防衛を任されたロンメルの「自筆の空挺作戦防止策のスケッチ」が出てきたり・・。
コレは凄いですねぇ。初めて「ロンメルのアスパラガス」のスケッチを観ました。

そしてどことなくパンターに似ている「新型ティーガー」、ティーガーⅡ、
またの名をケーニッヒスティーガーと呼ぶ怪物戦車が登場します。
さらに自走砲も大型化され、128㎜砲を備え、最強とされる「ヤークトティーガー」、
同様に駆逐戦車に改良されたパンターである「ヤークトパンター」も。
生産台数はそれぞれ48両、380両としています。

Jagpanther.jpg

まだまだ「マーダー」に、「ナースホルン」、「ヘッツァー」といった自走砲、
37㎜高射砲を積んだ「オストヴィント(東風)」と
20㎜高射砲4門を積んだ「ヴィルベルヴィント(旋風)」といった対空戦車などにも触れ、
連合軍のシャーマン、クロムウェル、チャーチル、ファイヤフライとも比較。

Hitler_inspiziert_Jagdpanzer_38-t__Hetzer.jpg

ノルマンディの戦いでは、たった1両のティーガーが「戦史上偉大な単独戦車戦を展開した」として、
ライプシュタンダルテの若いSS将校が英機甲連隊の戦車とハーフトラック25台を撃破した・・と
紹介します。ヴィットマンという名前が出てこないのが、逆に新鮮ですね。

バルジの戦いを経て、最後には「超重戦車マウス」について語られます。
「はつかねずみ」と名付けられた188㌧の怪獣の生産にダメ出しをしていますが、
ココでは「クルップ社の試験場で「マウス」を視察するヒトラー」の写真にビックリしました。
本書の写真は良いものがほとんどですが、コレだけは胡散臭いですよ。。
お持ちの方はぜひ確認してみてください。

Panzer VIII Maus.jpg

「無敵! T34戦車」では、「ソ連戦車を主役とした「独ソ戦記」といえばわかりやすいでしょうか。」
という感想を書いていましたが、本書もさすが同じ著者だけあって、
ドイツ戦車の開発と運用を中心とした、ドイツ装甲部隊の興亡といった趣で、
この2冊は独ソ両軍戦車を扱った「姉妹編」と言えるかも知れません。



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コマンド -奇襲!殴り込み作戦- [第二次世界大戦ブックス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ピーター・ヤング著の「コマンド」を読破しました。

今回紹介する「第二次世界大戦ブックス」からの一冊は、
昨年、「狼群作戦の黄昏」を独破した際に印象的だった「チャリオット作戦」について
書かれている・・というコメントを戴いて購入していたものです。
「コマンド」と聞くと、昔、ロードショーで観た映画、「コマンドー」のようなシュワルツェネッガーの
筋骨隆々の姿をイメージしてしまいますが、
本書ではナチス・ドイツに嫌がらせをするために英国で生まれた「特殊部隊」、
コマンドの「奇襲」と「殴り込み」の全貌が明かされます。

コマンド.jpg

まずはコマンド誕生の歴史から・・。
といっても1940年、フランスを蹂躙するドイツ軍の前に、英国の大陸派遣軍が
ダンケルクから屈辱的な撤退を余儀なくされたなか、
参謀総長副官のクラーク中佐によって考え出されたものだそうです。
そしてこの案はジョン・ディル参謀総長からチャーチル首相に提出され、6月8日には承認。
英国本土へのドイツ軍の上陸が懸念される中、逆にドーヴァー海峡を渡って、
ドイツ軍に奇襲を仕掛けるゲリラ部隊・・・というのが、このコマンドです。

Weekend at Dunkirk_1964.jpg

向う見ずな暴挙とも思える任務に就くのには、既存の部隊の指揮官では40代と
歳を取り過ぎていることから、自動車の運転ができ、
船酔いもしない若い最良の兵士たちの志願によって編成。
早速、6月23日にはフランス北部のブーローニュへの奇襲作戦が実行されます。
そして翌年の2月にはノルウェーのロフォーテン諸島に奇襲をかけ、
魚油工場を破壊し、ドイツ軍の艦船を撃沈して英国内で結成されたノルウェー義勇隊への
参加者を募って、ノルウェーのナチ、クヴィスリングの支持者を捕えるという作戦を決行。

vidkun-quisling.jpg

見事、工場を爆破し、11隻の船艇を撃沈し、60人の売国奴を捕虜にするという
コマンドの完勝に終わったこの作戦は初めて知りましたが、この奇襲作戦の写真が
多いことに驚きます。そしてその中には、第3コマンド隊のピーター・ヤング少佐の姿も・・。
早い話、著者はコマンド創立当初からの将校なんですねぇ。

Peter Young.jpg

英国王ジョージ6世の従兄弟である、41歳のマウントバッテン卿が特殊部隊の総指揮を執る
共同(連合)作戦部長に就任。
著者はエネルギーと頭脳、そして決断力を持ったマウントバッテンを
「コマンド部隊の同世代のリーダー」と賞賛しています。

Louis Mountbatten and General Montgomery.jpg

中東に派遣された3個コマンド隊からなる部隊の指揮官は、タフで火のような闘志を秘めた
レイコック中佐です。写真付きですが、まるで俳優のようなカッコ良さですね。
ドイツ軍が侵攻し、英軍守備隊との激戦が繰り広げられているクレタ島へ上陸し、
英軍の撤退を援護せよという任務に就くと、夜間に嫌がらせのような襲撃を繰り返し、
部下の旅団副官と共に、戦車に飛び乗ってドイツ兵に突進するなど、
レイコックという名はドイツ軍にとって「極悪人」の代名詞となったそうです。

Major_General_Robert_Laycock.jpg

そしてこの「極悪人」指揮による次の任務とは、「砂漠の狐」ロンメルを殺して、
戦局に転機をもたらそう・・というものです。
以前に「砂漠の狐を狩れ」というフィクション小説も紹介しましたが、
英第8軍の指揮下でロンメル司令部を直接襲撃する任務には
キーズ中佐が志願し、11月17日に作戦決行。
ロンメル司令部と思われた場所は、実はロンメルが一度も住んだことのない
補給部隊の司令部でしかなかったものの、
銃弾を浴びて戦死した、勇猛なキーズ中佐に対して、ドイツ軍は騎士道精神で扱い、
ピンボケですが、ドイツ・イタリア軍の兵士と従軍牧師が葬儀を執り行う写真まで登場。。

Geoffrey Keyes.jpg

一方、マウントバッテン卿が手掛ける最初の大型奇襲作戦は、再び、ノルウェーに向けられます。
ボクセイ島という島への奇襲作成も詳しく書かれており、
このように執拗なノルウェーへの攻撃から、ヒトラーは連合軍の大規模な上陸を危惧し、
ノルウェー司令官フォン・ファルケンホルスト将軍も4個師団の増強を要請し防御態勢を強化・・。
1944年に連合軍がノルマンディに上陸するまで続けられていたノルウェー強化による
ドイツ軍駐屯部隊の総兵力は37万人にまで膨れ上がり、
コマンド側から見れば、まさに「してやったり・・」。

Nikolaus von Falkenhorst.jpg

後半は「サン・ナゼール奇襲」の登場です。
「チャリオット作戦」として知られるこの作戦は、ドイツ海軍の誇る戦艦
ティルピッツ」を収容することが出来る
フランス大西洋岸の大ドックを破壊してしまおう・・という決死の大作戦で、
英駆逐艦キャンベルタウンが水門に突っ込み、なんとか任務は完了しますが、
コマンド隊員たちにも多くの死傷者が出ることに・・。

St. Nazaire, britische_Kriegsgefangene.jpg

本書では倒れたコマンドの横を通り過ぎるドイツ兵の写真や、
捕虜となったコマンド隊員たちの写真ばかりではなく、
捧げ銃をしたドイツ兵とユニオン・ジャックの掛けられた棺に、
敬意を表して通過する生き残りコマンド・・。
また敬礼するドイツ海軍士官たち・・、という写真も掲載されています。
ドイツ軍が敵兵の葬儀をやる写真ていうのはほとんど見たことないんですが、
現場ではちゃんとやってるんですねぇ。
ヒトラーが発した「コマンド死刑命令」という、テロリスト扱いにもなっていましたから
あまり出回らないようにされていたのかも知れません。

St. Nazaire, britische Kriegsgefangene.jpg

最後の作戦は、1942年8月の「ディエップ奇襲」こと、「ジュビリー作戦」です。
この作戦が詳しく書かれた「グリーン・ビーチ」という本を読んでいますが、
この「グリーン・ビーチ」とは、主役のカナダ軍が上陸するビーチの通称で、
ちょっと調べてみましたが、第4コマンドの上陸するビーチは「オレンジ・ビーチ」、
著者ヤングが所属する第3コマンドは「イエロー・ビーチ」と呼ばれていたようです。

Operation Jubilee.jpg

本書ではこの作戦全般についても書かれていますが、さすが当時、
第3コマンド隊副指揮官であった著者の体験談も印象的です。
そして一般的に「失敗」とされているこの作戦自体に「大きな意義があったとは言えない」として、
被った損害・・、ドイツ軍の戦死者591名に対して、英海軍550名、英陸軍は3670名と
数字も挙げています。

Dieppe,_Landungsversuch,_tote_alliierte_Soldaten.jpg

「ディエップ奇襲」で終わってしまう本書ですが、コマンドが解隊されたわけではありません。
この後、連合軍による北アフリカ侵攻と、イタリア、ノルマンディと大規模な攻勢が始まると、
コマンド部隊が中心となった小規模な奇襲作戦の必要がなくなり、
彼らは再編成されて、各々の上陸作戦に参加して転戦、そして多くが戦死するのです。

今回は特に写真というものの影響を感じました。
ほとんどがコマンド作戦中の生々しい写真ですが、初見のものが多く、
特にドイツ軍による葬儀の写真は、どれだけ文章で前線の兵士たちの騎士道精神を書こうが、
ピンボケの写真一枚でも、その事実が伝わるということですね。
改めて写真掲載の有無によって理解度が違ったり、興味を持ったり、本が面白かったり、
新たな発見があったりする・・という写真の重要性を考えさせられました。



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大砲撃戦 -野戦の主役、列強の火砲- [第二次世界大戦ブックス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

イアン・V.フォッグ著の「大砲撃戦」を再度、読破しました。

実は「第二次世界大戦ブックス」を買い集める前、本書を読んだことがあります。
1985年発刊の「第二次世界大戦文庫」で、この「大砲撃戦」を読んだんですが、
あまり印象に残っていませんでした。
「~文庫」とは「~ブックス」を文庫化したものですが、
「~ブックス」の面白さを理解しているヴィトゲンシュタインとしては、ちょっと疑問・・。
そんなことで改めて1972年発刊の「~ブックス」を購入し、読み比べすること決意しました。

大砲撃戦.jpg

まずは、第1次大戦の塹壕戦の主役として活躍した各国の火砲と砲兵の歴史を紹介。
英米が陸軍主導で設計・開発が行われたのに対して、ドイツは火砲メーカーに頼り、
射距離と弾丸、火砲そのものの重量についてを要求するだけで、
メーカーが思うように研究開発を行っていた・・と、その違いにも触れ、
ヴェルサイユ条約によって、クルップ社は口径17cm以上の火砲の製造を禁止され、
ラインメタル社に至ってはソレ以下の火砲さえ禁止されたということです。

第2章ではカノン砲(加農砲)や榴弾砲、臼砲、迫撃砲といった火砲の種類と用途などを
詳しく解説。う~ん。知ってたようで、結構知らないことが多いですねぇ。
まるで新米砲兵になって授業を受けているような感じで、とっても勉強になります。

10,5-cm Kanone 18 Field Gun.jpg

第3章からいわゆる「野戦砲」の運用についての解説が始まりますが、この野戦砲という名称は
各国がそれぞれの見解に従って分類しているに過ぎず、「意味のないもの」だそうで、
それでも野戦砲としては口径150㎜までの機動力のある「歩兵砲」、「野砲」、「中砲」に
分類できるそうです。

基本的には種類ごとに英米、続いてドイツ、最後にソ連、日本という流れで紹介。
ここではヴァレンタイン戦車の車体に25ポンド砲を載せた「英軍初の自走砲」の写真がありましたが、
この英軍の「ビショップ自走砲」って初めて見ました・・。確かにあってもおかしくないですが・・。
「~文庫」の記憶を失っているのも恐ろしいですね。
ソ連、日本はほとんどオマケ・・というか、特筆に価する砲はそれほどありません。

bishop.jpg

第4章「戦車をやっつけろ!」では、各国の対戦車砲を紹介します。
いつも「第二次世界大戦ブックス」の紹介では、タイトルや副題をイジりますが、
本書はこの章タイトルが笑っちゃいます。。

火砲の開発に後れを取っていた感のあるドイツですが、
ラインメタル社が37㎜PaK35/36を開発し、スペイン内戦で試用されて、
第一線兵器として各国をリードします。

Operation Barbarossa 37㎜PaK.jpg

ドイツ軍の誇る「ハチ・ハチ」。
88㎜高射砲はこの「独破戦線」でも何度も登場し、対戦車兵器としても活躍していますが、
この章では高射砲としての「ハチ・ハチ」(FraK)ではなく
対戦車砲(PaK)として開発された「ハチ・ハチ」が紹介されます。

アフリカ軍団の砂漠という遮るもののない特殊な場所での戦いに
対戦車砲として使われた88㎜高射砲。
しかし精密な高射砲が対戦車砲として使われることを空軍の高射砲部隊は快く思っていません。
そして75㎜対戦車砲がすでにソ連軍戦車の装甲に対応できなくなったことから
対戦車砲PaK43/41が開発されたということです。

88pak43.jpg

この対戦車砲である「8.8cm PaK」の話では、ドイツ軍が自走砲にも乗せたとして
「ホーネット」という名前で登場。
正確には「ホルニッセ」、どちらを訳してもスズメバチですが、
名称変更した「ナースホルン」も、「リノセロ」とサイを英語読みしています。
よくケーニッヒスティーガーを英語読みしたキングタイガーやロイヤルタイガーというのは聞きますが、
連合軍はホーネットなんて呼んでたのでしょうかねぇ。英語の翻訳ですからわからなくもないですが、
いまでは米戦闘機としてのほうが有名なので、なんともいえない違和感があります。。

Nashorn.jpg

しかし、対戦車砲に疎いヴィトゲンシュタインとしては8.8cm PaKも含め、
大変勉強になりました。
徹甲弾や徹甲榴弾の2種類から始まる、対戦車用弾薬の開発の歴史についても同様です。

The crew is feeding the Nashorn's PaK 43 gun with an 88 mm (3.46 in) projectile.jpg

第5章は「飛行機をやっつけろ!」。。
言わずもがなの高射砲ですが、やっぱりそうきましたか・・。
88㎜高射砲が表紙と同様、この章の主役ですが、米軍の120㎜高射砲の写真も出てきますし、
ドイツ軍も「ハチ・ハチ」を凌ぐ128㎜二連装高射砲というのを作っていました。
いや~、コレはまったく知りませんでした。

12.8 cm FlaK 40 Zwilling.jpg

それにしても88mmも8.8cmという表現もあったり、
英国ではインチのポンドと、統一されていないのが「砲」を比べるときの難点ですが、
本書ではこれらについても「37㎜砲に相当するのは2ポンド砲である」とか
「75㎜(3インチ)の寸法・・」とある程度書かれているので助かります。

21-cm-Kanone 12 (E).jpg

次の章はお待ちかね「巨人砲」です。
運用の面から言うと、ここまでは歩兵、砲兵、高射砲部隊といった師団に属する砲でしたが、
「重砲」や「超重砲」は、軍団ないしは軍に属する独立大隊が運用します。
英軍の重砲は主に第1次大戦での遺物に、せいぜい改良を加える程度・・。
一方、再軍備で新たに開発を始めたドイツは150㎜砲に210㎜カノン砲と続き、
124㌧の怪物「カール自走臼砲」も登場。

A Dud shell fired by Karl Gerat during the Warsaw uprising Very lucky for everyone inside the building..jpg

「海岸砲」の章には列車砲も含まれます。
1940年、ドイツ軍の本土上陸を危惧する英軍は、海岸線への列車砲配置のため、
将校を派遣します。鉄道幹線に近い理想的な谷に行くと地図にも載っていない古い線路が
森へと延びており、その奥の風雨にさらされた小屋には9.2インチ列車砲が・・。
そこへ1918年からこの火砲を手入れし続けていた「砲の番人」である老人が姿を現し・・、
という寓話のようなエピソードが楽しいですね。

BL9.2inchRailwayGunFiringSomme.jpg

ドイツは第1次大戦での有名な「パリ砲」を海軍が運用したことから、その影を薄くすべく、
陸軍が長距離砲の開発に勤しみ、「テオドール・ブルーノ」を筆頭とした列車砲を開発します。
最終的には800㎜砲の怪物、「グスタフ/ドーラ」がセヴァストポリ要塞ワルシャワ反乱に投入。

The 24 cm Theodor Kanone (E).jpg

フランス海岸に設置された海岸砲シャルンホルストやグナイゼナウの主砲として開発された
38㎝の「ジークフリート艦砲」に、リンデマン砲台に3門据えられた
40.6㎝の「アドルフ艦砲」がドイツ軍最大の海岸砲だったということです。
海岸砲について書かれたものは初めて読んだ気がしますね。

atlantic-wall.jpg

著者は砲兵の専門家で、原著の発刊当時、英陸軍内に16人しかいない「一級砲術家」の
称号を持つプロだそうですが、、英米寄りでもなく、ドイツ軍の砲も充分に評価し、
「ドアノッカー」と揶揄されたドイツ軍の37㎜PaKが「たいしたものではないというのは酷いよ」と
当初は充分に役に立ったのだとしていたり、
ドーヴァー海峡をブレスト艦隊が突破したことでも、「追撃中の英艦艇に危険を与えるため、
射撃禁止されていた」として海岸砲兵の彼らに責任はないと擁護しています。

大砲撃戦文庫.jpg

無反動砲や変り種のムカデ砲、「ホッホドルックプンペ」が紹介された後は、
訳者さんが書く、「日本陸軍の火砲」です。
本文ではあまり日本の火砲に触れられていないのがよほど悔しかったのか、
良いのもあるんだよ的な感じで書かれていますが、
この訳者さんは只者ではなく、第2次大戦中は砲兵将校として戦闘に参加し、
無反動砲やロケット砲の研究開発に参与した経歴の持ち主です。

そして大戦末期に驚異的な15㎝高射砲が高度1万mで飛来するB-29に対して開発され、
東京の久我山に2門据えられてたものの、すぐに終戦・・。
米軍の専門家がコレを観て驚嘆し、1門が米国に送られたという運命を語ります。
気になってちょっと調べてみましたが、制式には「五式十五糎高射砲」というもののようです。
同人誌も出ているみたいですね。

五式十五糎高射砲.jpg

読み終えて「第二次世界大戦文庫」と見比べてみましたが、
まぁ、写真も同じように掲載されていますが、大きさが違うので
インパクトは「~ブックス」のほうがありますね。
それから最後の訳者さんの書かれた日本の章はまるまるカットし、訳者さんも変更。。
章のタイトルも「戦車をやっつけろ!」や「「飛行機ををやっつけろ!」が
それぞれ「対戦車砲」と「高射砲」に変更されていました。
あくまで趣味の問題ですが、「~ブックス」のセンスが好きだなぁ~。





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無敵! T34戦車 -ソ連軍大反攻に転ず- [第二次世界大戦ブックス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ダグラス・オージル著の「無敵! T34戦車」を読破しました。

「第二次世界大戦ブックス」では珍しい、ソ連軍寄りの一冊を紹介します。
このシリーズは「ガソリンある限り前進せよ」とか、副題の見事さが印象的ですが、
本書はズバリ、邦題のタイトルが良いですね。。「ヨーロッパで最も危険な男」に匹敵します。
そもそもこの「無敵!」っていうのが無かったら買ってません・・。
しかしT-34戦車っていうのは、映画でも「鬼戦車T-34」という強烈なのがあるくらい、
タイトルに恵まれた?戦車ですね。
序文を書くのは、前回の「ドイツ機甲師団」や「ドイツ装甲師団とグデーリアン」でお馴染みの
ケネス・マクセイ。訳者さんはこれまた加登川 幸太郎氏です。

無敵! T34戦車.jpg

「非常に優れた戦車だ。これに比べられる戦車は我が軍にはない・・」
と驚きを隠せない、第48装甲軍団参謀長メレンティン少将の語るT-34。
その起源は皮肉なことに、戦車に関する明確な理念を教え込んだドイツ軍だった・・として、
ヴェルサイユ条約によって戦車の製造を禁じられていた、ゼークトの10万人ドイツ軍が
ソ連軍との負け組協定によってロシアの奥深くで、戦車戦闘の共同訓練を行う話から始まります。

そしてソ連は外国から、多数の戦車を輸入・・。
英国のビッカース6㌧戦車からT-26戦車が生まれ、T-28に、5砲塔の45㌧戦車、T-35と続き、
米国のクリスティー10㌧快速戦車からは、有名なBT快速戦車シリーズが誕生します。
やがて1939年、「偉大な戦車設計家コーシキン」によって、T-32が作られると、
遂にT-34の試作車2台が、1940年初めに当局の厳しいテストを受けることになるのでした。

T-34.jpg

4人の乗員の役割を詳しく解説していますが、コレがなかなか面白かったですね。
砲塔には2人、西側の"吊り籠"方式とは違い、イスが砲塔の環部に取り付けられているため、
イスから身をよじらせながら、回転する砲塔についていかなければならなかった・・。
また、戦車長は「砲手」も兼ねているため、眼鏡照尺を覗き込んで「発射」すると、
反動で35㎝後退する砲にぶつかるのを避けるため、やっぱり身をよじらなけばなりません・・。

以前読んだ小説「クルスク大戦車戦」では、T-34内部での映写が細かく、
車長の息子が操縦手の親父の肩に足を乗せ、右肩を踏んだら右に曲がる・・
なんてシーンを思い出しました。

russian-tanks-T34.jpg

世界の戦車専門家に「装甲戦の女王」とみなされていたドイツ軍の誇る「Ⅲ号戦車」。
しかし37㎜砲や50㎜短砲身のⅢ号戦車の栄光も、1941年の「バルバロッサ作戦」までであり、
76㎜砲を備え、傾斜装甲や戦車史上最高の馬力を誇る、この"劣等民族"が密かに開発した
革新的な新型戦車の前には「オモチャよりマシ」な戦車でしかありません・・。

Panzer_III_mit_Panzersoldaten.jpg

そうはいっても戦車の性能だけで、戦争の勝敗が決まるわけではありません。
「機械化赤軍」を目指していたトハチェフスキー元帥らが「大粛清」によって排除され、
生き残ったのはブジョンヌイヴォロシーロフ、ジューコフら保守的な騎兵出身者のみ・・。
1939年のフィンランド戦で、惨めな戦いを繰り広げた末、
再び、戦車旅団を拡大することを決定しますが、
ドイツの攻勢をまともに喰らった第14機械化軍団は、本来あるべきはずのT-34、420両、
KV-1重戦車126両の代わりに、時代遅れのBT戦車が500両あっただけ・・。その結果は
敵を防ぎきれずにスターリンの怒りを買った、西軍管区司令官パヴロフ大将の銃殺です・・。

Dmitry Pavlov.jpg

夏から秋にかけて、ドイツ軍を驚かせるようになったT-34。
モスクワ前面を防衛し、12月には寒さに震えるドイツ軍に対して反撃に出ます。
ウラル地方に疎開した戦車工場では大量のT-34が生産され、
搭乗員の訓練が追いつかないほど・・。
本書では「もしヒトラーが2000両のⅢ号戦車ではなくて、2000両のT-34が使えていたなら
世界の歴史は変わっていただろう」と断言していますが、
ドイツ軍の鹵獲T-34戦車は終戦まで、いったい何両あったんでしょうかねぇ?

Panzerkampfwagen T-34-76.jpg

フランス電撃戦当時の「短気な第一線部隊長ではなくなっていた」グデーリアンは、
鹵獲したT-34を直ちに調査することを要求します。
Ⅳ号戦車は75㎜砲が装備されるようになるものの、「同等」では十分ではありません。
88㎜砲を備えたⅥ号戦車ティーガーの実験が、翌年の総統誕生日である4月20日に
間に合わせるために急がれていますが、そのような重くて遅い戦車ではなく、
「T-34を正確に真似て作った戦車が欲しい」というのが前線指揮官たちの要望です。

提案そのものは「ドイツ人の誇りが許さない」こともあって拒否されたものの、
こうして完成したのが傾斜装甲で75㎜砲を搭載したⅤ号戦車「パンター」です。

panther Ⅴ.jpg

一方のソ連軍も黙って満足していたわけではありません。
装甲も厚くし、苦情の多かった砲塔も改良。
そしてより強力な85㎜砲に載せ替えて、T-34/85が完成。

自信を取り戻したスターリンが、1942年の4月に先手を打って攻勢に出ますが、
ドイツ軍の予備兵力を「張子の虎」と見くびっていたティモシェンコの作戦は、大失敗。。
クライストの第1装甲軍の反撃の前に、せっかく整えた貴重な戦車旅団14個が
撃破されてしまうのでした。
本書は単なる戦車の解説だけではなく、カフカス戦スターリングラード戦なども、
独ソ平等に織り交ぜて進んでいくので、想像していたよりかなり面白いですね。

Russland,_T-34.jpg

やがて広大な土地の機動戦では戦車だけではなく、自走砲にも注目が集まります。
ドイツ軍は優秀なチェコ製の38(t)戦車の車体に、鹵獲したT-34の76㎜砲を載せた
マーダーⅢ」自走砲を生産します。
さらにⅢ号戦車やⅣ号戦車の車体から「突撃砲」も量産。

Marder III_a.jpg

負けじとソ連軍も「SU-76」から、T-34/85の自走砲版ともいえる「SU-85」。
最終的にはJS重戦車の車体を利用し、152㎜榴弾砲を搭載した「SU-152」までにエスカレート・・。

両軍とも準備万端で始まるのは、1943年のクルスク戦です。
北から攻勢に出るモーデルの第9軍に配備され、正面から受ける放火の雨をものともせず、
「のっしのっし」と前進する重駆逐戦車「フェルディナンド(エレファント)」は、
狙撃兵の決死の突撃によって次々と撃破されてしまいます。
この機銃を持たないポルシェ博士の生み出した怪物には装甲兵総監グデーリアンも
「大砲でウズラを撃つようなもの・・」と自嘲気味に語ります。
そろそろ「続・クルスクの戦い」買おうかなぁ。。

Ferdinand and Soviet infantry, Kursk, July 1943.jpg

南からのマンシュタインの攻勢は、ホトの第4装甲軍が「プロホロフカ」へと進撃すると
まるで昔の騎兵突撃のように、T-34が至近距離で斜めに通過突進。
1500両以上の戦車がこの草原で入り乱れて撃ち合う、史上最大の大戦車戦が展開されます。

battle_kursk_83.jpg

これ以降、副題のとおり「ソ連軍大反攻に転ず」となってくると、
主役になるのは「悪魔のように無慈悲な男」ジューコフです。
スターリングラードでもクルスクでも、まず「防御」して、戦車による「攻勢」に出るという戦術を実施し、
騎兵的過失である「手を伸ばしすぎない」ことも学んだジューコフ。
ドイツ軍と互角に戦うには「血を流すしかない」ということも知っています。
また、そのライバルであり、酒も飲まず、トルストイを読み、スターリンを尊敬するコーネフも・・。

KONEV _ZHUKOV.jpg

チェルカッシィ包囲ではマンシュタインの指揮する脱出作戦をソ連軍が待ち受け、
4時間にも及ぶ大殺戮・・押し寄せるT-34によって数百人が踏み潰され、
戦車の及ばない場所には、騎兵がドイツ兵を追いまわして、軍刀で切り刻みます・・。

Korsun-Cherkassy pocket.jpg

そして、ジューコフとコーネフにとって最も経験のある恐るべき敵、ホトとマンシュタインが
ヒトラーによって罷免されたことで、心理的にも大きな勝利を収めて、いざベルリンへ・・
しかしいまやジューコフは万全な準備を整えるまでは攻勢には出ません。
それはまるで、英軍のモントゴメリー化しているようです。。。

Montgomery Zhukov.jpg

最後は操作性の悪いT-34で戦い続けた搭乗員たち・・。
彼らはドイツのⅢ号戦車や、米国のシャーマン戦車、英国のクルセイダー戦車の
搭乗員たちと、同じ種類の若者たちではなかったとしています。
それは戦前のソ連では彼らが自動車を運転するチャンスなどなく、
村から引っ張り出された百姓が、T-34の操縦と射撃を叩きこまれ、
比べられるものもなく、欠点も気づかず、ありのままを受け入れたのだ・・。

eef1_1945.jpg

開戦当初までの部分は「バルバロッサのプレリュード」を思い起こさせる展開でした。
しかし、あの独ソ戦車戦シリーズほどソ連寄りではありませんので、
ドイツ軍目線で読んでも楽しめます。
T-34戦車に特化したものではなく、ソ連戦車を主役とした「独ソ戦記」といえば
わかりやすいでしょうか。

戦車入門編としても成り立つような、とても読みやすい一冊ですし、
なんとなく、「鬼戦車T-34 」のDVDも買おうか・・という気にもなってきました。
先日、このDVDのおすすめメールがamazonから来た!っていうのもありますが。。

「日夜虐待を受けるソ連兵捕虜がドイツ軍の新型対戦車砲の標的としてT-34に乗り込まされ、
隙をついて戦車ごと脱走を計るという、シュールであると同時に哀調のある、
1942年に実際にあった話を映画化したソ連軍版『大脱走』」。
タイトルに勝るとも劣らない内容のようです。。。

ЖАВОРНОК 1964.jpg

著者のオージルの経歴は載っていませんが、第2次大戦で戦車戦の経験があるようで、
未読ですが、「ドイツ戦車隊―キャタピラー軍団,欧州を制圧」も書いています。
まぁ、これも「キャタピラー軍団・・」という口に出すのも恥ずかしい副題が素敵なので、
今度、読んでみます。









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ドイツ機甲師団 -電撃戦の立役者- [第二次世界大戦ブックス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ケネス・マクセイ著の「ドイツ機甲師団」を読破しました。

第二次世界大戦ブックスのなかでも、副題の「電撃戦の立役者」といい、かなり有名な1冊ですが、
なぜか読んだ気になって、スッカリほったらかしていたものです。
表紙の写真も良く見かけるもので、
これは「第10戦車師団戦場写真集」の表紙とほぼ同じですね。
1971年発刊の本書の原題は「Panzer Division」。
著者はあの名著「ドイツ装甲師団とグデーリアン」のケネス・マクセイで、
訳者さんも個人的に好きな加登川 幸太郎氏とのコンビですから、
もう、読む前から面白いのは保証されているようなものです。。

ドイツ機甲師団.jpg

最初の章ではヒトラーの一声によって、生みの親であるルッツ将軍
グデーリアンフォン・トーマの革命的な大仕事の結果生まれたドイツ装甲部隊の歴史。
Ⅱ号、Ⅲ号、Ⅳ号戦車が誕生するも、これらは当初、30㎜以上の装甲は持っておらず、
大部分の外国軍が採用し始めていた37㎜対戦車砲で貫通されるものですが、
時速40㎞で絶えず動き回ることそのものが防御の役を果たすと考えていたということです。

そして、戦後の軍事評論家たちが注意を払わなかったと著者の言う、エリート戦車兵たち。
保守的な国防軍内部から抵抗の強かったこの新兵種。
騎兵は馬の鞍から戦車のシートに座り替えさせられるのは、屈辱だったろう・・と
書かれているように、民間から直接、戦車学校入った多くの隊員たちは、
グデーリアンにトーマの熱烈な指導者の理想と決意をしっかりと叩き込まれ、猛訓練を受けて
空軍と並ぶ、ドイツ軍のエリートとして、黒い戦車服に黒ベレーを身にまとうのです。

Guderian in discussion with a young armored troop Leutnant, summer 1941.jpg

こうして1939年、ドイツ装甲部隊の初陣となるポーランド戦が・・。
グデーリアンらの装甲師団を中心とした簡単な戦記のあと、この戦役で学んだ教訓では、
2個装甲師団の良き相棒として、1個自動車化歩兵師団が1個装甲軍団に結合されて、
コレが良く活躍したとする一方、軽機械化師団は失敗であった・・と評価します。

Pz1 Poland 1939.jpg

翌年の西方戦は、マンシュタイン・プランから、ヘプナーにホト、ラインハルトの装甲軍団の内訳、
話の中心となるのは、もちろんグデーリアンの装甲軍団です。
戦車兵力も細かく分析し、英仏の装甲の厚い優秀な戦車も紹介して、
数の上では連合軍が優勢。しかし質の点では互角。。
始まった電撃戦もクライストによる停止命令に憤慨するグデーリアンといった定番に
第7装甲師団を率いるロンメルが独走し、戦車連隊が歩兵連隊と切り離された結果、
アラスの戦いで英軍と激突し、20両以上の戦車を失ったことが、
ヒトラーと軍首脳部にショックを与え、その後、装甲軍団の突進を鈍らせた・・としています。

Advancing through Holland and Belgium 1940.jpg

見事、フランスを席巻し、気を良くしたヒトラーから「2倍にせよ」と命令された、今や花形の装甲部隊。
しかし生産量が突然上がるわけもなく、砲塔の無い簡単な突撃砲の生産を拡大し、
Ⅲ号、Ⅳ号戦車の装甲を厚くして、また長砲身砲を搭載して充実を図ります。
1937年から計画されていた新型重戦車の開発もお預けにして、
歩兵師団の自動車化のために装甲ハーフトラックも優先的に生産されます。

East front 250ez1.jpg

ロンメルが北アフリカで見事な戦車戦を繰り広げるなか、
ギリシャ戦では、ペルシア戦争のテルモピュライの戦いの起こった場所で英独が戦った・・
という話がありましたが、この場所は映画「300 〈スリーハンドレッド〉」のことですね。
スパルタが英軍で、ペルシア遠征軍がドイツ軍ということになるようですが、
むぅぅ。。こんなところで戦いの歴史が繰り返されていたとは・・。

German soldiers, Battle of Thermopylae, 1941.jpg

始まった対ソ戦ではグデーリアン以外にも、第56装甲軍団を率いるマンシュタイン爆走の様子も・・。
あ~、なにかコレは久しぶりに読みましたねぇ。
まぁ、でもドイツ装甲部隊の快進撃がモスクワを前にして停止すると、グデーリアンも解任され、
ドイツ・アフリカ軍団英第8軍の前に敗れ、「スターリングラード争奪戦」の章となると
ここまでの楽しさもどこへやら、若干、暗い気持ちになってきます・・。

Barbarossa-juin1941.jpg

1942年の夏季攻勢。B軍集団の先鋒を努めるヘルマン・ホトの第4装甲軍。
それまでの「装甲集団」という曖昧な表現から、「装甲軍」となった装甲部隊は、
もはや「軍」に従属するものではなくなり、事実、第6軍も完全なる脇役であり、
第4装甲軍が突破した後、占領するだけであった・・と著者は語ります。
当初の順調な作戦もヒトラーによる命令変更によって、第4装甲軍がA軍集団に派遣され、
クライストの第1装甲軍のそばで補給路の渋滞を引き起こすだけ。。
これによってスターリングラード攻略には第6軍が向かうことに・・。

battle-of-stalingrad.jpg

長引く戦いにパウルスは装甲部隊の戦法の原則を破り、戦車と装甲車両を
市街戦に投入するという最後の手段に出ますが、
コレに抗議した装甲軍団長ヴィッテルスハイムとシュベドラー将軍は逆にクビ・・。
このスターリングラード戦ではパウルスの戦術にダメ出ししている感じですが、
全体的に、タイトルどおり、ドイツ機甲師団=「正義」、それをうまく運用できないヤツ=「悪」、
という図式が徹底しています。

german-forces-move-towards-stalingrad.jpg

1943年のクルスク戦に向けては、新型の中戦車と重戦車開発の様子から。
特にポルシェ博士については面白い評価でした。
「ヒトラーの歓心を買おうとして、風変わりな設計を考え、もっと緊急かつ重要な諸計画に必要な
資源と生産施設を横取りしてしまったのである」

また相変わらず写真は豊富で、戦車の転輪はゴム製なのでココで寝た・・という写真は
笑っちゃいましたねぇ。戦車の下に潜り込んで寝た・・というのは良く聞きますが・・。
まぁ、ちょっとヤラセ臭くもあります。。

sleep-tracks.jpg

そしてドイツ装甲部隊にとって、最も重要な出来事が・・。
装甲兵総監としてのグデーリアンのカムバックです。
ティーガーパンターエレファントが開発されますが、1942年の大損害の穴は埋められず、
歩兵の支援兵器として砲兵科に属する「突撃砲」を装備せざるを得ません。

stug-iii-ausf-g-01.jpeg

クルスク戦が終わると、勢い乗ったソ連軍の攻撃の前に退却が始まったドイツ軍。
装甲師団の戦車戦力は発足以来、激減し、陸軍装甲師団ではわずか103両を
保有しているに過ぎません。
しかし武装SSのエリート師団ゲーリングの装甲師団は優先的に最新の戦車が配備され、
その数も充足していますが、陸軍にも唯一、ケタ外れの装甲師団である
グロースドイッチュランド」が存在します。
このページにはマントイフェルのシブい写真が掲載されていて、そのキャプションは
「ドイツ機甲軍の指導者:"大ドイツ"機甲師団長マントイフェル将軍」。う~ん。シブ過ぎるぜ・・。

Manteuffel.jpg

ノルマンディ上陸作戦を迎え撃つ、ルントシュテットのドイツ西方軍。
第21装甲師団に戦車教導師団、そして第12SS装甲師団 ヒトラー・ユーゲントの奮戦。
B軍集団ロンメルも出てきますが、装甲軍司令官のシュヴァッペンブルクについては
「幕僚たちと金ピカ服で連合軍の爆撃機を見るためにぶらつきまわり、
遂に彼ら自身が目標にされて、司令部はほとんど粉砕されてしまった」

Panzer der 12.SS Panzerdivision Hitlerjugend beim Stellungswechsel.jpg

バルジの戦いでは主役であるゼップ・ディートリッヒ第6SS装甲軍の攻撃が
地形の入り組んだ、連合軍の最も堅い地域に向けられたことで攻撃が頓挫してしまい、
脇役であるマントイフェルの第5装甲軍が連合軍の抵抗をはね飛ばして前進を続けます。
ヒトラーは「花を持たせたい」SS装甲軍の戦力を割いて、
陸軍の装甲軍に増援させるということをしぶしぶ認めますが、時すでに遅く・・。

king-tiger-heavy-tank.jpg

最後はベルリンに迫るソ連軍に対するキュストリンの戦いです。
ティーガーとパンター数10両を揃えた、ドイツ軍、最後にして最強の装甲部隊が
ソ連軍の進撃路に立ち塞がります。
60両の戦車を撃破されたソ連軍はあえなく退却・・。
このドイツ軍の勝利を本書では、「ドイツ装甲師団の物語のラストシーンを飾るにふさわしい」
としていますが、残念ながら部隊名がわかりません。。
おそらく「ミュンヘベルク装甲師団」なんかだと思いますが・・。

Jagdpanther, Germany 1945.jpg

まさに「ドイツ機甲師団」の歴史に特化した一冊でしたが、このように彼らの戦いそのものが
第2次大戦のドイツ軍の戦いであったことが良くわかります。
本書にも度々登場した「第10戦車師団戦場写真集」も、そろそろ行ってみようか・・とも
思いました。

ケネス・マクセイの著作では、同じ第二次世界大戦ブックスの「ロンメル戦車軍団」も有名ですが、
これも読んだ気になっていただけで、持ってもいませんでした。
朝日ソノラマの「ノルマンディの激闘」は持ってるんですけどねぇ。。









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