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無敵! T34戦車 -ソ連軍大反攻に転ず- [第二次世界大戦ブックス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ダグラス・オージル著の「無敵! T34戦車」を読破しました。

「第二次世界大戦ブックス」では珍しい、ソ連軍寄りの一冊を紹介します。
このシリーズは「ガソリンある限り前進せよ」とか、副題の見事さが印象的ですが、
本書はズバリ、邦題のタイトルが良いですね。。「ヨーロッパで最も危険な男」に匹敵します。
そもそもこの「無敵!」っていうのが無かったら買ってません・・。
しかしT-34戦車っていうのは、映画でも「鬼戦車T-34」という強烈なのがあるくらい、
タイトルに恵まれた?戦車ですね。
序文を書くのは、前回の「ドイツ機甲師団」や「ドイツ装甲師団とグデーリアン」でお馴染みの
ケネス・マクセイ。訳者さんはこれまた加登川 幸太郎氏です。

無敵! T34戦車.jpg

「非常に優れた戦車だ。これに比べられる戦車は我が軍にはない・・」
と驚きを隠せない、第48装甲軍団参謀長メレンティン少将の語るT-34。
その起源は皮肉なことに、戦車に関する明確な理念を教え込んだドイツ軍だった・・として、
ヴェルサイユ条約によって戦車の製造を禁じられていた、ゼークトの10万人ドイツ軍が
ソ連軍との負け組協定によってロシアの奥深くで、戦車戦闘の共同訓練を行う話から始まります。

そしてソ連は外国から、多数の戦車を輸入・・。
英国のビッカース6㌧戦車からT-26戦車が生まれ、T-28に、5砲塔の45㌧戦車、T-35と続き、
米国のクリスティー10㌧快速戦車からは、有名なBT快速戦車シリーズが誕生します。
やがて1939年、「偉大な戦車設計家コーシキン」によって、T-32が作られると、
遂にT-34の試作車2台が、1940年初めに当局の厳しいテストを受けることになるのでした。

T-34.jpg

4人の乗員の役割を詳しく解説していますが、コレがなかなか面白かったですね。
砲塔には2人、西側の"吊り籠"方式とは違い、イスが砲塔の環部に取り付けられているため、
イスから身をよじらせながら、回転する砲塔についていかなければならなかった・・。
また、戦車長は「砲手」も兼ねているため、眼鏡照尺を覗き込んで「発射」すると、
反動で35㎝後退する砲にぶつかるのを避けるため、やっぱり身をよじらなけばなりません・・。

以前読んだ小説「クルスク大戦車戦」では、T-34内部での映写が細かく、
車長の息子が操縦手の親父の肩に足を乗せ、右肩を踏んだら右に曲がる・・
なんてシーンを思い出しました。

russian-tanks-T34.jpg

世界の戦車専門家に「装甲戦の女王」とみなされていたドイツ軍の誇る「Ⅲ号戦車」。
しかし37㎜砲や50㎜短砲身のⅢ号戦車の栄光も、1941年の「バルバロッサ作戦」までであり、
76㎜砲を備え、傾斜装甲や戦車史上最高の馬力を誇る、この"劣等民族"が密かに開発した
革新的な新型戦車の前には「オモチャよりマシ」な戦車でしかありません・・。

Panzer_III_mit_Panzersoldaten.jpg

そうはいっても戦車の性能だけで、戦争の勝敗が決まるわけではありません。
「機械化赤軍」を目指していたトハチェフスキー元帥らが「大粛清」によって排除され、
生き残ったのはブジョンヌイヴォロシーロフ、ジューコフら保守的な騎兵出身者のみ・・。
1939年のフィンランド戦で、惨めな戦いを繰り広げた末、
再び、戦車旅団を拡大することを決定しますが、
ドイツの攻勢をまともに喰らった第14機械化軍団は、本来あるべきはずのT-34、420両、
KV-1重戦車126両の代わりに、時代遅れのBT戦車が500両あっただけ・・。その結果は
敵を防ぎきれずにスターリンの怒りを買った、西軍管区司令官パヴロフ大将の銃殺です・・。

Dmitry Pavlov.jpg

夏から秋にかけて、ドイツ軍を驚かせるようになったT-34。
モスクワ前面を防衛し、12月には寒さに震えるドイツ軍に対して反撃に出ます。
ウラル地方に疎開した戦車工場では大量のT-34が生産され、
搭乗員の訓練が追いつかないほど・・。
本書では「もしヒトラーが2000両のⅢ号戦車ではなくて、2000両のT-34が使えていたなら
世界の歴史は変わっていただろう」と断言していますが、
ドイツ軍の鹵獲T-34戦車は終戦まで、いったい何両あったんでしょうかねぇ?

Panzerkampfwagen T-34-76.jpg

フランス電撃戦当時の「短気な第一線部隊長ではなくなっていた」グデーリアンは、
鹵獲したT-34を直ちに調査することを要求します。
Ⅳ号戦車は75㎜砲が装備されるようになるものの、「同等」では十分ではありません。
88㎜砲を備えたⅥ号戦車ティーガーの実験が、翌年の総統誕生日である4月20日に
間に合わせるために急がれていますが、そのような重くて遅い戦車ではなく、
「T-34を正確に真似て作った戦車が欲しい」というのが前線指揮官たちの要望です。

提案そのものは「ドイツ人の誇りが許さない」こともあって拒否されたものの、
こうして完成したのが傾斜装甲で75㎜砲を搭載したⅤ号戦車「パンター」です。

panther Ⅴ.jpg

一方のソ連軍も黙って満足していたわけではありません。
装甲も厚くし、苦情の多かった砲塔も改良。
そしてより強力な85㎜砲に載せ替えて、T-34/85が完成。

自信を取り戻したスターリンが、1942年の4月に先手を打って攻勢に出ますが、
ドイツ軍の予備兵力を「張子の虎」と見くびっていたティモシェンコの作戦は、大失敗。。
クライストの第1装甲軍の反撃の前に、せっかく整えた貴重な戦車旅団14個が
撃破されてしまうのでした。
本書は単なる戦車の解説だけではなく、カフカス戦スターリングラード戦なども、
独ソ平等に織り交ぜて進んでいくので、想像していたよりかなり面白いですね。

Russland,_T-34.jpg

やがて広大な土地の機動戦では戦車だけではなく、自走砲にも注目が集まります。
ドイツ軍は優秀なチェコ製の38(t)戦車の車体に、鹵獲したT-34の76㎜砲を載せた
マーダーⅢ」自走砲を生産します。
さらにⅢ号戦車やⅣ号戦車の車体から「突撃砲」も量産。

Marder III_a.jpg

負けじとソ連軍も「SU-76」から、T-34/85の自走砲版ともいえる「SU-85」。
最終的にはJS重戦車の車体を利用し、152㎜榴弾砲を搭載した「SU-152」までにエスカレート・・。

両軍とも準備万端で始まるのは、1943年のクルスク戦です。
北から攻勢に出るモーデルの第9軍に配備され、正面から受ける放火の雨をものともせず、
「のっしのっし」と前進する重駆逐戦車「フェルディナンド(エレファント)」は、
狙撃兵の決死の突撃によって次々と撃破されてしまいます。
この機銃を持たないポルシェ博士の生み出した怪物には装甲兵総監グデーリアンも
「大砲でウズラを撃つようなもの・・」と自嘲気味に語ります。
そろそろ「続・クルスクの戦い」買おうかなぁ。。

Ferdinand and Soviet infantry, Kursk, July 1943.jpg

南からのマンシュタインの攻勢は、ホトの第4装甲軍が「プロホロフカ」へと進撃すると
まるで昔の騎兵突撃のように、T-34が至近距離で斜めに通過突進。
1500両以上の戦車がこの草原で入り乱れて撃ち合う、史上最大の大戦車戦が展開されます。

battle_kursk_83.jpg

これ以降、副題のとおり「ソ連軍大反攻に転ず」となってくると、
主役になるのは「悪魔のように無慈悲な男」ジューコフです。
スターリングラードでもクルスクでも、まず「防御」して、戦車による「攻勢」に出るという戦術を実施し、
騎兵的過失である「手を伸ばしすぎない」ことも学んだジューコフ。
ドイツ軍と互角に戦うには「血を流すしかない」ということも知っています。
また、そのライバルであり、酒も飲まず、トルストイを読み、スターリンを尊敬するコーネフも・・。

KONEV _ZHUKOV.jpg

チェルカッシィ包囲ではマンシュタインの指揮する脱出作戦をソ連軍が待ち受け、
4時間にも及ぶ大殺戮・・押し寄せるT-34によって数百人が踏み潰され、
戦車の及ばない場所には、騎兵がドイツ兵を追いまわして、軍刀で切り刻みます・・。

Korsun-Cherkassy pocket.jpg

そして、ジューコフとコーネフにとって最も経験のある恐るべき敵、ホトとマンシュタインが
ヒトラーによって罷免されたことで、心理的にも大きな勝利を収めて、いざベルリンへ・・
しかしいまやジューコフは万全な準備を整えるまでは攻勢には出ません。
それはまるで、英軍のモントゴメリー化しているようです。。。

Montgomery Zhukov.jpg

最後は操作性の悪いT-34で戦い続けた搭乗員たち・・。
彼らはドイツのⅢ号戦車や、米国のシャーマン戦車、英国のクルセイダー戦車の
搭乗員たちと、同じ種類の若者たちではなかったとしています。
それは戦前のソ連では彼らが自動車を運転するチャンスなどなく、
村から引っ張り出された百姓が、T-34の操縦と射撃を叩きこまれ、
比べられるものもなく、欠点も気づかず、ありのままを受け入れたのだ・・。

eef1_1945.jpg

開戦当初までの部分は「バルバロッサのプレリュード」を思い起こさせる展開でした。
しかし、あの独ソ戦車戦シリーズほどソ連寄りではありませんので、
ドイツ軍目線で読んでも楽しめます。
T-34戦車に特化したものではなく、ソ連戦車を主役とした「独ソ戦記」といえば
わかりやすいでしょうか。

戦車入門編としても成り立つような、とても読みやすい一冊ですし、
なんとなく、「鬼戦車T-34 」のDVDも買おうか・・という気にもなってきました。
先日、このDVDのおすすめメールがamazonから来た!っていうのもありますが。。

「日夜虐待を受けるソ連兵捕虜がドイツ軍の新型対戦車砲の標的としてT-34に乗り込まされ、
隙をついて戦車ごと脱走を計るという、シュールであると同時に哀調のある、
1942年に実際にあった話を映画化したソ連軍版『大脱走』」。
タイトルに勝るとも劣らない内容のようです。。。

ЖАВОРНОК 1964.jpg

著者のオージルの経歴は載っていませんが、第2次大戦で戦車戦の経験があるようで、
未読ですが、「ドイツ戦車隊―キャタピラー軍団,欧州を制圧」も書いています。
まぁ、これも「キャタピラー軍団・・」という口に出すのも恥ずかしい副題が素敵なので、
今度、読んでみます。









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グライフ

こんにちは!
ドイツ軍で使用された T-34 ですが、高橋慶史氏によると
43年5月31日時点で50両(可動17)うちダスライヒ師団に29両
44年12月末に39両うち29両が第1スキー猟兵師団
警察部隊では44年3月第5警察戦車中隊に10両
となってますね。
ダスライヒについては43年7月1日25両、4日18 9日7 18日17とほぼ戦力を保ってます。9月パンター大隊が到着すると編成から無くなります。
鹵獲はしたものの整備に手が回らないのが実情でしょうか、砲塔はずした牽引車としては重宝したようです。
GDや第7装甲師団での使用話もあります少数と思われます。
by グライフ (2012-04-26 13:08) 

ヴィトゲンシュタイン

グライフさん。いつも情報ありがとうございます!
う~む。思っていたより全然少ないんですねぇ。
高橋慶史氏はシュピールベルガーの「捕獲戦車」の翻訳をされてますから(欲しいんですが高い・・)、かなり正確なように思います。
ダスライヒは確か、T-34の鹵獲戦車中隊がありましたか・・。しかし、第1スキー猟兵師団っていうのが笑えますね。
鹵獲はしたものの整備に手が回らないというのもなるほど。。
そういえば高橋氏の「ラスト・オブ・カンプフグルッペⅢ」が近々、出るぞ出るぞと噂だけは聞いていますが、いったい、いつ頃なんでしょうね?



by ヴィトゲンシュタイン (2012-04-26 19:35) 

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