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ベリヤ -スターリンに仕えた死刑執行人 ある出世主義者の末路- [ロシア]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヴラジーミル・F. ネクラーソフ編の「ベリヤ」を読破しました。

9月の「スターリン―赤い皇帝と廷臣たち」で、スターリンに負けず劣らずのベリヤの強烈さを知り、
ベリヤ本を物色していたところ、神保町の古書店で本書を1800円で発見。
1997年発刊で、ソフトカバーながら上下2段組、365ページ、定価3000円の大作です。
amazonでは、なんと9500円という値段が付いていますが、レア本なんですかねぇ。

ロシア語の原著は1991年、本書は翌年のドイツ語の翻訳で、
ネクラーソフ編となっているように、編者はモスクワ大学の歴史学教授で、
本書には様々な人物の書いたベリヤに関する回想、論文、記録が収められています。

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第1部は「出世の道程-ベリヤの横顔・素描」と題して、ベリヤの生い立ちから死までを
エジョフ時代に父を粛清され、その後任、ベリヤによって1943年に逮捕された経験を持つ、
オフセーエンコという人物が紹介します。

スターリンと同じグルジアの出身であるベリヤがスフーミ市内の学校で起きた盗み、
密告の類で係わらなかったものは1件もなく、子供の頃から
「下劣さと卑劣さが彼の身上であった」と書かれているほどです。
例えば、生徒の成績簿が入った鞄を盗み、、担当教師を解雇に追い込む・・。
もちろん、代理人を通して、成績簿を売りつけようと、ちゃっかり図ったり・・。

第1次大戦中の1917年に軍に招集されますが、半年後には健康上の理由という
公の認定をもらってうまく除隊。1919年、20歳のときにボルシェヴィキ党に入党しますが、
後に彼はこの記録を1917年に繰り上げます。
特に何年生まれという記述はありませんでしたが、1899年生まれなんですね。
よく比較されるヒムラーの1つ年上です。
ともあれバクーにあった党のカフカス支部の書記という地位から、彼の出世街道がスタートします。
翌年には秘密警察チェーカーの副議長となり、1923年にはグルジア・チェーカーの
秘密工作部隊を指揮する立場に・・。
そしてアゼルバイジャンとアルメニアを含めた南カフカス・チェーカーの最高位に就き、
モスクワへの飛躍の踏み台のために必要な、この地方の党委員会第1書記の地位も狙うのでした。

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1936年アルメニアの中央委員会書記のハンジャンを自分の執務室で射殺し、自殺したと発表。
大粛清」が始まると、人望の高かったアブハジア自治共和国人民委員部議長のラコバが
ベリヤ宅で食事をした後に急死。。ラコバ未亡人は拷問の末、死亡。。
このスターリンの地元での活躍により、スターリンの憶えもめでたく、
スターリンが各地の別荘で休暇を過ごす際には同伴者、または警護者として過ごすことに・・。

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湖を目指す高速艇が湖畔に辿り着けば、一発の銃声が鳴り響きます。
さっと立ち上がり、スターリンの身をかばったベリヤ。
しかしこのようないくつかの暗殺未遂事件は、ベリヤの演出によるものですが、
もちろん大いに点数を稼ぎ、スターリンの信頼は不動のものになるのです。

Stalin_Beria.jpg

1938年、スターリンの執務室でベリヤはNKVD長官の粛清マシーンであるエジョフと会談。
エジョフは「君が裏切り者であることを暴露する証拠を所持している。
だから職務に従って、君を告発しなければならない」を宣言しますが、
調停役の仮面をつけたスターリンは、「いろいろあるが、同志ベリヤを信用している。
内務人民委員の第1代理に推薦したい」と語り、
ジェルジンスキー、ヤーゴダ、エジョフなどは結局のところみなアマチュアであり、
内務人民委員部にはプロが必要であると考えているのです。

Lavrenty Beria, Nikolai Yezhov and Anastas Mikoyan.JPG

ハサン湖事件(張鼓峰事件)で日本軍と戦ったばかりのブリュヘル元帥を日本のスパイとし、
シベリア東部を日本に併合すると画策しているとして、逮捕。
ベリヤ直々の監督を受けた4人の取調官によって16日間に渡り、拷問が繰り返され、
自白を強要されます。
その姿は「何度もトラクターに轢かれたような感じ」であり、
ブリュヘルは「なんでこんなことまでするんだ」と眼球のなくなった目を指さします。

Vasily Konstantinovich Blucher.jpg

1940年、ヒトラーの対ソ攻撃準備が始まりますが、参謀本部の偵察総局長のゴリコフは、
「英国の謀略」であるとスターリンに報告します。
しかし、この事態を憂慮した情報部長のノヴォブラネツは客観的な情勢報告を作成し、
赤軍幹部全員に送付。
ヒトラーの友好的な確約があるときに戦争の危機を吹聴するとは何事か・・と、
メレツコフ参謀総長が解任され、「ベリヤの保養地」と呼ばれる特殊拘置所送りに・・。

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「誤った情報を流す有害な諜報員どもは、ドイツとの仲違いを企む、国際的挑発者の共犯者として、
強制収容所に入れて、無害化しなければならない・・」と、1941年6月21日に書き込むベリヤ。
スターリンに届けられた情報はルビヤンカを経由していたことから本書では、
「ヒトラーの意図を見抜けないまま、誤った情報解釈に耽った最大の責任者は、
スターリンの寵児、ベリヤだったのである」としています。
そしてスターリンに承知させて、英雄的行為を行ったゾルゲが日本で処刑されるのを
救おうとはせず、ゾルゲの近親者も弾圧します。

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ドイツ軍の攻撃を喰らったパヴロフ将軍とクリモフスキフ将軍は銃殺。
航空偵察長ズブイトフがモスクワへ敵が接近していると説明すると、
ベリヤは彼を「挑発者」と呼んで、他の偵察将校らと一緒くたに逮捕。
戦々恐々となったソ連の将軍たちがこんな悪条件の中で、どのようにして
戦闘を遂行できたかは永遠の謎として残るだろう・・として、
著者は、「大量の自国民を粛清した後、スターリンとその手下たち・・
モロトフ、ベリヤ、マレンコフ、ジダーノフなど・・は、
全軍団を確実な死に追いやった」としています。

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本書の例でも何人もが発狂する刑務所の「独房」の様子に、強制収容所にも触れています。
ひとつ紹介すると、プロの泥棒が一家の財産すっかり盗んでも、最高1年の禁固刑だったこの時期、
国家財産の窃盗は、ささいな窃盗でも5年です。空腹の子供のために
コルホーズからトウモロコシを数本盗んだ母親が5年の収容所行きになるわけですね。

Kolkhoz 1934.jpg

やがて戦争も終わり、スターリンも死を迎え、後継者を自負するベリヤ。
しかし過小評価していたフルシチョフに出し抜かれて逮捕され、
特別法廷によって死刑判決を受けるのです。
そこではベリヤに凌辱された女性たち長いリストが・・。
そしてここに載っている2/3の女性は、いまの政府官僚の妻たちなのでした。

Лаврентий Павлович с женой Ниной Теймуразовной.JPG

と、ここまで130ページがラヴレンチー・ベリヤ伝です。
写真も一切なしで上下2段組みですから、なかなかのボリュームで
これだけで1冊の本として成り立ちますね。
次は第2部「スターリンの犯罪を執行した男」として、数ページ毎に、
さまざまな証言者によって語られます。

そのうちの一人はベリヤによって暗殺されたラコバの孫です。
部下のベリヤに食事に招かれ、その後、「あの陰険なベリヤのヘビ野郎に一服盛られた・・」と
何度も語り、心臓発作により享年43歳で死亡と発表されますが、胃や肝臓、脳髄など
すべての内臓はベリヤの医師によってすべて摘出され、喉仏さえ切り取られていたそうです。

Stalin Beria Lakoba.jpg

それから、メキシコでトロツキーを暗殺したモルナールの弟、ルイ・メルカデールのインタビュー。
そして「カティンの森」でのベリヤの関与。
また、スターリンの死後、ベリヤと共に「悪党2人組」と呼ばれていたマレンコフを
閣僚会議議長に推薦し、自分はマレンコフによって
第1副議長に任命される・・という戦略なども詳しく解説してくれます。

1953 Beria,  Malenkov & Voroshilov.jpg

第3部「犠牲者と同時代人の回想」では、サッカー好きのベリヤの話が出てきました。
スパルタク・モスクワの名選手が語るところでは、1939年のソ連邦杯、準決勝で
ディナモ・トビリシを撃破し、決勝でもザーリャ・レニングラードを破って優勝したものの、
その1ヵ月後、党中央委員会からディナモ・トビリシとの準決勝をやり直すことを命ぜられます。
「決勝の後で準決勝をやり直すだなんて、一体、どこの世界にそんなこがあるのです」と抗議するも、
「ディナモ」は内務省のチームであり、「トビリシ」はグルジアの首都ですから、
この世界ではあり得るのです。
そしてその結果はまたしてもスパルタクの勝利に終わり、憤懣やる方なく椅子を放り投げて
競技場を去っていくベリアに、この名選手は逮捕されるのでした。

ちなみにこのグルジアはトビリシ出身の有名なスポーツ選手と言えば、
この人・・200kgの巨体で空中戦を挑む、「臥牙丸」でこざいます。

臥牙丸-日馬富士.jpg

第4部は「逮捕」です。
この件についてまず書くのはフルシチョフ。
ベリヤを危惧して、そのベリヤと仲の良いマレンコフに、ブルガーニン、
モロトフにヴォロシーロフ、カガノーヴィチに、個別に計画を打ち明けるフルシチョフの策謀と、
逮捕の瞬間、そしてベリヤが「自分は誠実な人間です」と慈悲を乞う手紙を紹介します。

続いての証言者はベリヤを逮捕したジューコフ元帥です。
興奮気味の国防相のブルガーニンにいきなり呼びつけられ、「これからクレムリンに来てもらう」
というシーンから始まり、隣室で刻一刻とその時を待つ緊張感・・。
これは1990年に改訂された彼の回想録からの抜粋のようですね。

Khrushchev Bulganin  Zhukov.jpg

最後の第5部は「法廷」です。
1953年12月18日から23日まで非公開で行われた裁判の記録と、
調書からもベリヤとのやり取りを紹介します。
裁判長はコーネフ元帥で、ベリヤの長年の部下である、
メルクーロフ、コブロフ、ゴグリーゼ、そしてあのデカノゾフも裁かれます。
もちろん彼らは自らの罪をボスであるベリヤに着せようと、その発言は辛辣です。
そして全員に死刑の判決が下されるわけですが、その罪状の中には
1941年秋、スターリンの命を受けたベリヤが、ヒトラーに戦争終結の条件を打診しようと試みたとか、
ドイツ軍の南カフカス侵攻を可能にするため、カフカス山脈の防衛体制を弱めさせた・・
というものまであるそうです。

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逮捕を実行したモスクワ地区空軍防衛司令官のモスカレンコ将軍の回想では
クレムリン内の警備員に合図を送ろうと何度もトイレに行かせてくれとせがむベリヤが実に厄介で、
日が暮れてから、数台の自動車で軍刑務所へ連行することが出来たという、
ナチス・ドイツでいえば、SS警備兵がいる中で国防軍がヒムラーを逮捕したようなものだと
その危険極まる状況も理解できました。

非常に面白い構成の本でした。
ベリヤの生涯は第1部で理解でき、それ以降は時系列でエピソードを紹介するといった感じですが、
部分的に重複箇所はあるものの、ベリヤの全てを網羅している気がしました。

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結局のところ、このベリヤという人間は、権力に憑かれた人間であり、
のし上がるためには、自分を引き立ててくれた義理のある人物だろうが、
謀略を働いてあの世送りですし、共産主義者としてのプライドもなく、
あくまでスターリンの庇護を受けたNo.2の座を求めた人間で、
ヒムラーと比較するとすれば、彼が個人ではなく、SSという自分の率いる組織の地位を
上げようとしたのに対し、人々の虐殺についても、ベリヤが自らの手を下し、
好みの女性は少女から拉致して強姦、拒めば殺害・・という
ヒムラーが聞いたら卒倒しかねない人物です。
あえて言うならヒムラーよりも、ゲーリング、ゲッベルス、ボルマンにハイドリヒ、
さらにシュトライヒャーの変なところを足したような恐るべき人間ですね。

もう1冊のベリヤ本である「ベリヤ―革命の粛清者」も読むつもりでしたが、
結構お腹いっぱいになってしまいました。





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