ニュルンベルク・インタビュー (下) [ヒトラーの側近たち]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
レオン ・ゴールデンソーン著の「ニュルンベルク・インタビュー(下)」を読破しました。
独房での話し相手のいない生活、
準備した裁判の弁論を著者であるゴールデンソーンに話して反応を伺おうとすることなど
このような被告たちの心理は理解できます。
特に正式な検察/裁判での発言では、語りたいことも語れず
言い訳や自己弁護が許されなかったようで、「なんでも好きなように話してください」
と言うゴールデンソーンのこのインタビューを受けることを
被告たちは基本的に楽しみにしていたようです。
ヒトラーの顧問弁護士からポーランド総督を勤めたハンス・フランクは、
ゲーリングについて「彼が美術品の収集よりも、飛行機の収集にもっと
時間をかけていれば、今頃、こんなところにいなかったのに・・」と語り、
ポーランド総督であった自身の立場については、
「1942年に強制収容所とSSに反対した講演をしたことで、党のすべての役職を解かれたが、
ヨーロッパで最もひどい場所であるポーランドに留め置かれた。
権力はなく、SSは狂気の集団のごとく振舞った」としながらも
既に死刑となることを覚悟している様子です。
内務大臣だったヴィルヘルム・フリックは、ダリューゲ副総督の後、
ベーメン・メーレン保護領の総督も兼任しますが、
ここではカール・ヘルマン・フランクとリディツェ村についてコメントしています。
「彼にはいいところもある。ハイドリヒ暗殺後、
ヒトラーは報復に5万人のチェコ人を殺すように命じたが、
チェコ人にも家族がいると言って、規模を縮小するように遠回しに提言したのだ」。
証人として出廷したロシアの対パルチザンの責任者バッハ=ツェレウスキは、
1944年のワルシャワ蜂起における鎮圧部隊の責任者だったときのことを
「すべての女性と子どもを射殺しろと言うヒムラーの命令に反攻し、
この命令を実行しようとした旅団長を射殺させたのだ」証言しています。
この旅団長というはカミンスキーのことかも知れませんね。
「狡猾でヒトラー以上の悪人だったが、弱腰で臆病な人間だった」というヒムラー評も印象的で
1万人のユダヤ人を救った自分には責任が無く、彼らやフランク、ローゼンベルクといった
東方問題の責任者の血が汚れているとしています。
ヒトラー暗殺未遂事件に関連したとして強制収容所に収容されていたハルダーは
その収容所生活について語り、同じく収容され、処刑された国防軍防諜部のカナリス提督と
ハンス・オスター将軍にも触れています。
SS経済・管理本部長官オスヴァルト・ポールのインタビューは
この本の全般を通してもっとも面白く読めました。
強制収容所を管理下に置く部門のトップだったポールは、
「自分は虐殺についてなにも知らされておらず、
部下のリヒャルト・グリュックスの局で実施していたことだ」
とする責任逃れをゴールデンソーンにさんざん突っ込まれ、四苦八苦します。
ヒムラーからの指示は、カルテンブルンナー、ゲシュタポのミュラーを経て、
D局のグリュックスから収容所所長へ伝達されたと説明しています。
グリュックスが行方知れずとなっていることから、責任を部下に転嫁している気もしますね。
証人としてフォン・マンシュタインも登場します。
スターリングラードの第6軍に対するヒトラーの死守命令について聞かれ、
「それは正しかった」と語ります。
「もし、第6軍が早々に降伏していたら、戦線が崩壊していた」。
ただし、初期のうちに独自の判断で撤退するチャンスがあり、
それを出来なかったパウルスを「彼は強い人間ではなかった」と評しています。
その他、この下巻ではフォン・パーペン、ハンス・フリッチェ、ヴァルター・フンク、
ルドルフ・ヘス、ヨードル、リッベントロップ、ローゼンベルクといった
被告のインタビュー。
証人としては、アウシュヴィッツ所長だったルドルフ・ヘース、ルドルフ・ミルドナー、
エアハルト・ミルヒが登場します。
「原爆というものが出来てしまった以上、もう今までのような戦争は起こらないだろう」とか、
「ソ連に対抗すべくヨーロッパ合衆国にようなものを創設すべきだ」ということを
語る被告や証人も何人かおり、やはり大したものだなと唸らせる場面も多々あります。
この本の真髄は訳者あとがきに集約されていると思います。
「歴史的事実を詳細に知らなくても、彼らの葛藤、苦悩、自己正当化などは、
充分に読み応えがあり、また、彼らの弱さを通して、自分自身の弱さを見つめることも
出来るのではないだろうか」
レオン ・ゴールデンソーン著の「ニュルンベルク・インタビュー(下)」を読破しました。
独房での話し相手のいない生活、
準備した裁判の弁論を著者であるゴールデンソーンに話して反応を伺おうとすることなど
このような被告たちの心理は理解できます。
特に正式な検察/裁判での発言では、語りたいことも語れず
言い訳や自己弁護が許されなかったようで、「なんでも好きなように話してください」
と言うゴールデンソーンのこのインタビューを受けることを
被告たちは基本的に楽しみにしていたようです。
ヒトラーの顧問弁護士からポーランド総督を勤めたハンス・フランクは、
ゲーリングについて「彼が美術品の収集よりも、飛行機の収集にもっと
時間をかけていれば、今頃、こんなところにいなかったのに・・」と語り、
ポーランド総督であった自身の立場については、
「1942年に強制収容所とSSに反対した講演をしたことで、党のすべての役職を解かれたが、
ヨーロッパで最もひどい場所であるポーランドに留め置かれた。
権力はなく、SSは狂気の集団のごとく振舞った」としながらも
既に死刑となることを覚悟している様子です。
内務大臣だったヴィルヘルム・フリックは、ダリューゲ副総督の後、
ベーメン・メーレン保護領の総督も兼任しますが、
ここではカール・ヘルマン・フランクとリディツェ村についてコメントしています。
「彼にはいいところもある。ハイドリヒ暗殺後、
ヒトラーは報復に5万人のチェコ人を殺すように命じたが、
チェコ人にも家族がいると言って、規模を縮小するように遠回しに提言したのだ」。
証人として出廷したロシアの対パルチザンの責任者バッハ=ツェレウスキは、
1944年のワルシャワ蜂起における鎮圧部隊の責任者だったときのことを
「すべての女性と子どもを射殺しろと言うヒムラーの命令に反攻し、
この命令を実行しようとした旅団長を射殺させたのだ」証言しています。
この旅団長というはカミンスキーのことかも知れませんね。
「狡猾でヒトラー以上の悪人だったが、弱腰で臆病な人間だった」というヒムラー評も印象的で
1万人のユダヤ人を救った自分には責任が無く、彼らやフランク、ローゼンベルクといった
東方問題の責任者の血が汚れているとしています。
ヒトラー暗殺未遂事件に関連したとして強制収容所に収容されていたハルダーは
その収容所生活について語り、同じく収容され、処刑された国防軍防諜部のカナリス提督と
ハンス・オスター将軍にも触れています。
SS経済・管理本部長官オスヴァルト・ポールのインタビューは
この本の全般を通してもっとも面白く読めました。
強制収容所を管理下に置く部門のトップだったポールは、
「自分は虐殺についてなにも知らされておらず、
部下のリヒャルト・グリュックスの局で実施していたことだ」
とする責任逃れをゴールデンソーンにさんざん突っ込まれ、四苦八苦します。
ヒムラーからの指示は、カルテンブルンナー、ゲシュタポのミュラーを経て、
D局のグリュックスから収容所所長へ伝達されたと説明しています。
グリュックスが行方知れずとなっていることから、責任を部下に転嫁している気もしますね。
証人としてフォン・マンシュタインも登場します。
スターリングラードの第6軍に対するヒトラーの死守命令について聞かれ、
「それは正しかった」と語ります。
「もし、第6軍が早々に降伏していたら、戦線が崩壊していた」。
ただし、初期のうちに独自の判断で撤退するチャンスがあり、
それを出来なかったパウルスを「彼は強い人間ではなかった」と評しています。
その他、この下巻ではフォン・パーペン、ハンス・フリッチェ、ヴァルター・フンク、
ルドルフ・ヘス、ヨードル、リッベントロップ、ローゼンベルクといった
被告のインタビュー。
証人としては、アウシュヴィッツ所長だったルドルフ・ヘース、ルドルフ・ミルドナー、
エアハルト・ミルヒが登場します。
「原爆というものが出来てしまった以上、もう今までのような戦争は起こらないだろう」とか、
「ソ連に対抗すべくヨーロッパ合衆国にようなものを創設すべきだ」ということを
語る被告や証人も何人かおり、やはり大したものだなと唸らせる場面も多々あります。
この本の真髄は訳者あとがきに集約されていると思います。
「歴史的事実を詳細に知らなくても、彼らの葛藤、苦悩、自己正当化などは、
充分に読み応えがあり、また、彼らの弱さを通して、自分自身の弱さを見つめることも
出来るのではないだろうか」
ニュルンベルク・インタビュー (上) [ヒトラーの側近たち]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
レオン ・ゴールデンソーン著の「ニュルンベルク・インタビュー(上)」を読破しました。
1946年の有名なニュルンベルク裁判の公判期間中にアメリカ人の精神科医であった著者が、
拘留されていたほとんどの被告(21人中19人)との面談でのやり取りを
ノートに残しておいたものを編集/出版したものが本書です。
被告とのインタビューもさることながら、個人的には主に検察側の証人として
ニュルンベルクにやってきた十数人の「証人」たちのインタビューが
特別、興味をそそられました。
まずはどんな本でも散々にこき下ろされているヴィルヘルム・カイテルです。
ヒトラーを評して「彼は天才だった。また、悪魔のような人物であった」とし、
自らについては「自分は元帥などではない。軍隊を率いたことも無いし、
戦術家でもない」。さらに「5回に渡って辞任を申し出たが、厳しい言葉で
拒否され、後ろめたさから仮病も使えなかった」とイメージどおりの人間性のようです。
ルントシュテット元帥だけは、わざわざ玄関まで出迎えるほど
ヒトラーが尊敬していたという話は楽しめました。
「私は第2のヒムラーだと思われている。誰も殺していないのに・・」と語る
カルテンブルンナーは国家保安本部(RSHA)の構造についてレクチャーを始めます。
RSHAの長官自らが率先して講義するという貴重な内容で、
特に「ケチな男」と評するヒムラーとボルマンのライバル争いと、
その両者を行ったり来たりしつつ、権力を強大にしていったハイドリヒの
「権力マニア」の裏話のくだりはワクワクします。
また、ハイドリヒ暗殺へのヒムラーの関与は、
「なかったが、彼にとって吉報だったことは確かだ」としています。
インタビュー中にヒステリーを起こしたゲーリングは
「ヒトラーが後継者にデーニッツを指名したから、私が嫉妬しているなんてとんでもない。
私はドイツのシンボルであり、ヒトラーにとってあまりにも
重要な存在なので指名できなかったのだ。デーニッツがなんだというのだ。
たかが提督で和平交渉ができただけではないか!」。
美術品のコレクションについて訊ねられると「ヘルマン・ゲーリング師団から
公式のルートで収集した」と話しています。モンテ・カッシーノの品々も
一部ゲーリングに届いたという話もありますね。
証人といってもその後、死刑判決を受けるような強烈な面々が登場します。
アインザッツグルッペンの隊長として1年間に9万人を殺害したオットー・オーレンドルフは
悪いのはハイドリヒで、自分はなにもしていないという態度を崩しません。
防諜部長官のヴァルター・シェレンベルクは1943年にヒムラーから
ヒトラーの殺害を相談されたという話や、終戦直前、
「自分がこれまで他の人々にやってきた卑劣な行為を悔やんでいる。そのことを謝る」
とヒムラーが語ったという話はとても印象的です。
警察長官とベーメン・メーレン保護領でハイドリヒの後任を務めたクルト・ダリューゲ。
ライバルであったヒムラーとは反目しあっていたと語るダリューゲには著者もお手上げで
「武力や暴力を行使し、他人の生命を安易に奪ってきただけに、彼が生命全般、
とりわけ自分自身の生命も尊重しているかどうかも疑わしい」と分析しています。
国防軍の証人ではフォン・クライストが自らを「フランスで誰よりも活躍した司令官」と語ります。
これをグデーリアンが聞いたらなんと言うでしょうか?
ヒトラーの対しては、「怒鳴られたら、倍の声で怒鳴り返したし、
最高指揮権の返上を求めたことで罷免された」いきさつを述べています。
しかし、「やましい事はなにもない」と自信満々の彼も、
1954年に引き渡されたソ連の収容所で最後を迎えていたというのは、
かわいそうな気がしますね。
ケッセルリンクのロンメル評もとても参考になりました。
曰く「彼は優れた軍団司令官だったが、気まぐれ過ぎて、熱中したかと思うと
次の瞬間にはやる気を失い、エル・アラメインでは神経衰弱で、もはや
かつてのロンメルではなく、それ以降、任務に耐えられなくなった」。
その他、この上巻ではフリッツ・ザウケル、ヒャルマー・シャハト、ユリウス・シュトライヒャー、
アルベルト・シュペーア、フォン・シーラッハ、カール・デーニッツ、フォン・ノイラート
といった被告のインタビュー。
証人としては、ヒトラーの通訳だったパウル・シュミットと
ゼップ・ディートリッヒが登場します。
レオン ・ゴールデンソーン著の「ニュルンベルク・インタビュー(上)」を読破しました。
1946年の有名なニュルンベルク裁判の公判期間中にアメリカ人の精神科医であった著者が、
拘留されていたほとんどの被告(21人中19人)との面談でのやり取りを
ノートに残しておいたものを編集/出版したものが本書です。
被告とのインタビューもさることながら、個人的には主に検察側の証人として
ニュルンベルクにやってきた十数人の「証人」たちのインタビューが
特別、興味をそそられました。
まずはどんな本でも散々にこき下ろされているヴィルヘルム・カイテルです。
ヒトラーを評して「彼は天才だった。また、悪魔のような人物であった」とし、
自らについては「自分は元帥などではない。軍隊を率いたことも無いし、
戦術家でもない」。さらに「5回に渡って辞任を申し出たが、厳しい言葉で
拒否され、後ろめたさから仮病も使えなかった」とイメージどおりの人間性のようです。
ルントシュテット元帥だけは、わざわざ玄関まで出迎えるほど
ヒトラーが尊敬していたという話は楽しめました。
「私は第2のヒムラーだと思われている。誰も殺していないのに・・」と語る
カルテンブルンナーは国家保安本部(RSHA)の構造についてレクチャーを始めます。
RSHAの長官自らが率先して講義するという貴重な内容で、
特に「ケチな男」と評するヒムラーとボルマンのライバル争いと、
その両者を行ったり来たりしつつ、権力を強大にしていったハイドリヒの
「権力マニア」の裏話のくだりはワクワクします。
また、ハイドリヒ暗殺へのヒムラーの関与は、
「なかったが、彼にとって吉報だったことは確かだ」としています。
インタビュー中にヒステリーを起こしたゲーリングは
「ヒトラーが後継者にデーニッツを指名したから、私が嫉妬しているなんてとんでもない。
私はドイツのシンボルであり、ヒトラーにとってあまりにも
重要な存在なので指名できなかったのだ。デーニッツがなんだというのだ。
たかが提督で和平交渉ができただけではないか!」。
美術品のコレクションについて訊ねられると「ヘルマン・ゲーリング師団から
公式のルートで収集した」と話しています。モンテ・カッシーノの品々も
一部ゲーリングに届いたという話もありますね。
証人といってもその後、死刑判決を受けるような強烈な面々が登場します。
アインザッツグルッペンの隊長として1年間に9万人を殺害したオットー・オーレンドルフは
悪いのはハイドリヒで、自分はなにもしていないという態度を崩しません。
防諜部長官のヴァルター・シェレンベルクは1943年にヒムラーから
ヒトラーの殺害を相談されたという話や、終戦直前、
「自分がこれまで他の人々にやってきた卑劣な行為を悔やんでいる。そのことを謝る」
とヒムラーが語ったという話はとても印象的です。
警察長官とベーメン・メーレン保護領でハイドリヒの後任を務めたクルト・ダリューゲ。
ライバルであったヒムラーとは反目しあっていたと語るダリューゲには著者もお手上げで
「武力や暴力を行使し、他人の生命を安易に奪ってきただけに、彼が生命全般、
とりわけ自分自身の生命も尊重しているかどうかも疑わしい」と分析しています。
国防軍の証人ではフォン・クライストが自らを「フランスで誰よりも活躍した司令官」と語ります。
これをグデーリアンが聞いたらなんと言うでしょうか?
ヒトラーの対しては、「怒鳴られたら、倍の声で怒鳴り返したし、
最高指揮権の返上を求めたことで罷免された」いきさつを述べています。
しかし、「やましい事はなにもない」と自信満々の彼も、
1954年に引き渡されたソ連の収容所で最後を迎えていたというのは、
かわいそうな気がしますね。
ケッセルリンクのロンメル評もとても参考になりました。
曰く「彼は優れた軍団司令官だったが、気まぐれ過ぎて、熱中したかと思うと
次の瞬間にはやる気を失い、エル・アラメインでは神経衰弱で、もはや
かつてのロンメルではなく、それ以降、任務に耐えられなくなった」。
その他、この上巻ではフリッツ・ザウケル、ヒャルマー・シャハト、ユリウス・シュトライヒャー、
アルベルト・シュペーア、フォン・シーラッハ、カール・デーニッツ、フォン・ノイラート
といった被告のインタビュー。
証人としては、ヒトラーの通訳だったパウル・シュミットと
ゼップ・ディートリッヒが登場します。
大崩壊 -ゲッベルス最後の日記- [ヒトラーの側近たち]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
ヨーゼフ・ゲッベルスの「大崩壊」を読破しました。
インパクト充分のすごい表紙です。
一見、ホラー小説かと思ってしまいます。
この日記はゲッベルスが早口で口述したものを負けじと速記者が書き取り、
更にタイプされた後、マイクロフィルムとして保管されていたものだということですが
オリジナルは発見されていない(出版時点で)ようです。
なお、ドイツ敗戦間際の1945年2月27日から4月7日までの日記で構成されています。
この本の前書きにおいてはゲッベルスという人間を以下のように説明してます。
「いずれ劣らぬ凡庸なナチ高官の中で、彼はシュペーアとともに、ヒトラーが自分の
最側近に我慢した唯一の知識人だった。ものごとの把握に迅速で、
情勢の利用に機敏であるという意味で知的であり、多彩な才能の持ち主だが、
とくに国民の指導者および誘惑者として優れ、弁舌が立ち、スタイルを心得、
情緒的でかつコンプレックスが強く、病的に虚栄心が強く、限りなく自己中心的で、
権力欲が強く、冷笑的で、その魅力は計算されたもので、その批判は刺すようなものである彼は、
ヒトラー以外のほとんどすべてのものから最も好まれなかった、不気味な独善主義者であった。」
さて、このような人物の日記の内容はというと、まずは前日の軍事情勢からはじまります。
そして、連合軍各国および東欧諸国、或いは同盟国である日本の政治情勢までを
自らの見解や今後の展望として語ります。
ゲーリングについてはよっぽど嫌いなのか、ヒトラーに対し何度も更迭を迫ります。
その挙句、海軍司令官であるデーニッツを空軍司令官にしてルフトヴァッフェを建て直すという
意見まで出しますが、さすがにヒトラーにはあっさり却下されてしまいます。
最終的になぜデーニッツがヒトラーの後継者に指名されたのか、今だにはっきりしていませんが、
ゲッベルス、ヒトラーともにデーニッツの能力を高く評価していたことがここでは伺えます。
ルフトヴァッフェについていえば連合軍爆撃機に対する「特攻作戦」、ジェット戦闘機問題にも触れ、
東部戦線ではグデーリアン解任、ゼップ・ディートリッヒへの袖章剥奪命令の様子、
その一方「最も冷酷な・・」として知られるシェルナーを
「最も優れた軍司令官」だとして、元帥にすべしとしています。
「東京大空襲があった」という部分は非常に興味深く、
連日ベルリンで空爆に悩まれているゲッベルスも他人事ではなかったのでしょう。
また、謎の多い「人狼」作戦もその進行状況が日々語られます。
他にも、連合軍の各首脳、ヒムラー、ボルマン、リッベントロップ、シュペーア等の党の高官。
優れた司令官を誰一人として輩出できなったとする武装SSがゲッベルスの餌食になっています。
一読の価値ありと思いますが、とんでもないプレミア価格になっています(定価の10倍!)。
ヴィトゲンシュタインはなんとか、ほぼ定価で購入できました。
ヨーゼフ・ゲッベルスの「大崩壊」を読破しました。
インパクト充分のすごい表紙です。
一見、ホラー小説かと思ってしまいます。
この日記はゲッベルスが早口で口述したものを負けじと速記者が書き取り、
更にタイプされた後、マイクロフィルムとして保管されていたものだということですが
オリジナルは発見されていない(出版時点で)ようです。
なお、ドイツ敗戦間際の1945年2月27日から4月7日までの日記で構成されています。
この本の前書きにおいてはゲッベルスという人間を以下のように説明してます。
「いずれ劣らぬ凡庸なナチ高官の中で、彼はシュペーアとともに、ヒトラーが自分の
最側近に我慢した唯一の知識人だった。ものごとの把握に迅速で、
情勢の利用に機敏であるという意味で知的であり、多彩な才能の持ち主だが、
とくに国民の指導者および誘惑者として優れ、弁舌が立ち、スタイルを心得、
情緒的でかつコンプレックスが強く、病的に虚栄心が強く、限りなく自己中心的で、
権力欲が強く、冷笑的で、その魅力は計算されたもので、その批判は刺すようなものである彼は、
ヒトラー以外のほとんどすべてのものから最も好まれなかった、不気味な独善主義者であった。」
さて、このような人物の日記の内容はというと、まずは前日の軍事情勢からはじまります。
そして、連合軍各国および東欧諸国、或いは同盟国である日本の政治情勢までを
自らの見解や今後の展望として語ります。
ゲーリングについてはよっぽど嫌いなのか、ヒトラーに対し何度も更迭を迫ります。
その挙句、海軍司令官であるデーニッツを空軍司令官にしてルフトヴァッフェを建て直すという
意見まで出しますが、さすがにヒトラーにはあっさり却下されてしまいます。
最終的になぜデーニッツがヒトラーの後継者に指名されたのか、今だにはっきりしていませんが、
ゲッベルス、ヒトラーともにデーニッツの能力を高く評価していたことがここでは伺えます。
ルフトヴァッフェについていえば連合軍爆撃機に対する「特攻作戦」、ジェット戦闘機問題にも触れ、
東部戦線ではグデーリアン解任、ゼップ・ディートリッヒへの袖章剥奪命令の様子、
その一方「最も冷酷な・・」として知られるシェルナーを
「最も優れた軍司令官」だとして、元帥にすべしとしています。
「東京大空襲があった」という部分は非常に興味深く、
連日ベルリンで空爆に悩まれているゲッベルスも他人事ではなかったのでしょう。
また、謎の多い「人狼」作戦もその進行状況が日々語られます。
他にも、連合軍の各首脳、ヒムラー、ボルマン、リッベントロップ、シュペーア等の党の高官。
優れた司令官を誰一人として輩出できなったとする武装SSがゲッベルスの餌食になっています。
一読の価値ありと思いますが、とんでもないプレミア価格になっています(定価の10倍!)。
ヴィトゲンシュタインはなんとか、ほぼ定価で購入できました。
ヒトラーの共犯者(下) -12人の側近たち- [ヒトラーの側近たち]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
グイド・クノップ著の「ヒトラーの共犯者(下)」を読破しました。
アイヒマン、シーラッハ、ボルマン、リッベントロップ、フライスラー、メンゲレという
上巻に比べるとややマイナー?なメンバー構成ですが、この本以外では
なかなか主役としてはお目にかかれないメンバーでもあり、大変勉強になりました。
アイヒマンとメンゲレはホロコースト、特にアウシュヴィッツ関連に良く登場しますし、
シーラッハもヒトラー・ユーゲント関連、ボルマンも「ヒトラー最後の・・」系には欠かさず、
リッベントロップも「ヒトラーの外交官」という本が出ています。
ということで、個人的には裁判所長官のフライスラーがとても興味深く読めました。
映画「白バラの祈り」でも特別に印象的な、サディスティック極まりない裁判官として登場しましたが
(あの役者「アンドレ・ヘンニック」さんは「ヒトラー最後の12日間」ではモーンケSS少将を演じてます。
さらにTVドラマの「GSG-9」でもレギュラーの隊長役です。異常にアクが強い方です)、
この本の写真を見ると、負けず劣らず悪そうな顔をしています。
特に眼つきは尋常じゃありません。
もともとナチ党専属の弁護士としてヒトラーに従い、政権獲得後に長官に登りつめたという人物です。
しかし、ヒトラー側近を含むナチ党員や軍人、国民の誰からも嫌われていたということや
ヒトラー本人からもほとんど相手にされないなかで、良くソコまで出世したものです。
そこら辺の出世欲と策士っぷりもしっかりと書かれてはいますが・・。
結果的には「戦死」してしまいますが、もし、終戦まで生き延び「ニュルンベルク裁判」に立たされたら、
いったい何をどのように喋ったのでしょうか?
自己保身に走ったのか、それとも古参ナチ党員としてプライドを見せたのでしょうか?
いずれにしても「死刑」は免れなかったでしょうが。。。
グイド・クノップ著の「ヒトラーの共犯者(下)」を読破しました。
アイヒマン、シーラッハ、ボルマン、リッベントロップ、フライスラー、メンゲレという
上巻に比べるとややマイナー?なメンバー構成ですが、この本以外では
なかなか主役としてはお目にかかれないメンバーでもあり、大変勉強になりました。
アイヒマンとメンゲレはホロコースト、特にアウシュヴィッツ関連に良く登場しますし、
シーラッハもヒトラー・ユーゲント関連、ボルマンも「ヒトラー最後の・・」系には欠かさず、
リッベントロップも「ヒトラーの外交官」という本が出ています。
ということで、個人的には裁判所長官のフライスラーがとても興味深く読めました。
映画「白バラの祈り」でも特別に印象的な、サディスティック極まりない裁判官として登場しましたが
(あの役者「アンドレ・ヘンニック」さんは「ヒトラー最後の12日間」ではモーンケSS少将を演じてます。
さらにTVドラマの「GSG-9」でもレギュラーの隊長役です。異常にアクが強い方です)、
この本の写真を見ると、負けず劣らず悪そうな顔をしています。
特に眼つきは尋常じゃありません。
もともとナチ党専属の弁護士としてヒトラーに従い、政権獲得後に長官に登りつめたという人物です。
しかし、ヒトラー側近を含むナチ党員や軍人、国民の誰からも嫌われていたということや
ヒトラー本人からもほとんど相手にされないなかで、良くソコまで出世したものです。
そこら辺の出世欲と策士っぷりもしっかりと書かれてはいますが・・。
結果的には「戦死」してしまいますが、もし、終戦まで生き延び「ニュルンベルク裁判」に立たされたら、
いったい何をどのように喋ったのでしょうか?
自己保身に走ったのか、それとも古参ナチ党員としてプライドを見せたのでしょうか?
いずれにしても「死刑」は免れなかったでしょうが。。。
ヒトラーの共犯者(上) -12人の側近たち- [ヒトラーの側近たち]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
グイド・クノップ著の「ヒトラーの共犯者(上)」を読破しました。
著者のクノップはドイツでドキュメンタリー番組制作を行っており
日本でもNHKでの放送、DVDなどが発売されていることでも知られています。
この上巻ではゲッベルス、ゲーリング、ヒムラー、ヘス、シュペーア、デーニッツという
ヒトラーの大物側近たちについて当時の彼らの立場から責任を追及しています。
当然、最初の4人はヒトラーが政権を取る以前からの側近であることから、ナチ党の
変化していく姿も理解することができます。
ゲッベルスは自殺したとはいえ、「ゲッベルスの日記」が残されていることから、
彼が最初から最後まで何を考え、誰を味方/敵としていたのかが良くわかります。
ゲーリングもニュルンベルク裁判でのやりとり、連合国による精神分析や発言、
または、空軍総司令官にして、国家元帥として表立っていたこともあり、
多くの証言が残されています。
しかし、SS全国指導者ヒムラーはあまりに不可解な人物であり、
ゲッベルスのような日記もなければ、ゲーリングにように表舞台に出たことも、
裁判も受けていないことで、限られた関係者の証言等から分析するしかありません。
この本では44年7月20日のヒトラー暗殺未遂の情報をヒムラーは掴んでいながら
連合軍との和平交渉を視野に入れた上で、あえて無視した(実行させた)としています。
副総裁ヘスも謎めいています。ナチ党創世記からのヒトラーの秘書的立場から、
その後のヒトラー及び党からも徐々に信用を失っていき、
やがて独断で英国との和平交渉に文字通り飛んで行く・・。
果たしてヒトラーは知っていた(命令した)のか?
その後のニュルンベルク裁判における狂人の振る舞い。
そして英国で収監されたまま、90歳を過ぎた1987年に死亡するまで真実を語らず、
また、その自殺といわれる死に関しても疑惑があるとしています。
シュペーア、デーニッツの2人は戦犯として服役したものの、釈放され、
それぞれ「10年と20日間」、「ナチス 狂気の内幕」という有名な自伝を残しています。
その中で彼らは自身のホロコーストへの関与は否定していますが、
クノップは大ボラだと断罪しています。
クノップは基本的に取り上げた人物について批判的な姿勢であるので
このあたり、どちらが真実なのかという解釈は読者の判断となるでしょう。
グイド・クノップ著の「ヒトラーの共犯者(上)」を読破しました。
著者のクノップはドイツでドキュメンタリー番組制作を行っており
日本でもNHKでの放送、DVDなどが発売されていることでも知られています。
この上巻ではゲッベルス、ゲーリング、ヒムラー、ヘス、シュペーア、デーニッツという
ヒトラーの大物側近たちについて当時の彼らの立場から責任を追及しています。
当然、最初の4人はヒトラーが政権を取る以前からの側近であることから、ナチ党の
変化していく姿も理解することができます。
ゲッベルスは自殺したとはいえ、「ゲッベルスの日記」が残されていることから、
彼が最初から最後まで何を考え、誰を味方/敵としていたのかが良くわかります。
ゲーリングもニュルンベルク裁判でのやりとり、連合国による精神分析や発言、
または、空軍総司令官にして、国家元帥として表立っていたこともあり、
多くの証言が残されています。
しかし、SS全国指導者ヒムラーはあまりに不可解な人物であり、
ゲッベルスのような日記もなければ、ゲーリングにように表舞台に出たことも、
裁判も受けていないことで、限られた関係者の証言等から分析するしかありません。
この本では44年7月20日のヒトラー暗殺未遂の情報をヒムラーは掴んでいながら
連合軍との和平交渉を視野に入れた上で、あえて無視した(実行させた)としています。
副総裁ヘスも謎めいています。ナチ党創世記からのヒトラーの秘書的立場から、
その後のヒトラー及び党からも徐々に信用を失っていき、
やがて独断で英国との和平交渉に文字通り飛んで行く・・。
果たしてヒトラーは知っていた(命令した)のか?
その後のニュルンベルク裁判における狂人の振る舞い。
そして英国で収監されたまま、90歳を過ぎた1987年に死亡するまで真実を語らず、
また、その自殺といわれる死に関しても疑惑があるとしています。
シュペーア、デーニッツの2人は戦犯として服役したものの、釈放され、
それぞれ「10年と20日間」、「ナチス 狂気の内幕」という有名な自伝を残しています。
その中で彼らは自身のホロコーストへの関与は否定していますが、
クノップは大ボラだと断罪しています。
クノップは基本的に取り上げた人物について批判的な姿勢であるので
このあたり、どちらが真実なのかという解釈は読者の判断となるでしょう。