ニュルンベルク・インタビュー (下) [ヒトラーの側近たち]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
レオン ・ゴールデンソーン著の「ニュルンベルク・インタビュー(下)」を読破しました。
独房での話し相手のいない生活、
準備した裁判の弁論を著者であるゴールデンソーンに話して反応を伺おうとすることなど
このような被告たちの心理は理解できます。
特に正式な検察/裁判での発言では、語りたいことも語れず
言い訳や自己弁護が許されなかったようで、「なんでも好きなように話してください」
と言うゴールデンソーンのこのインタビューを受けることを
被告たちは基本的に楽しみにしていたようです。
ヒトラーの顧問弁護士からポーランド総督を勤めたハンス・フランクは、
ゲーリングについて「彼が美術品の収集よりも、飛行機の収集にもっと
時間をかけていれば、今頃、こんなところにいなかったのに・・」と語り、
ポーランド総督であった自身の立場については、
「1942年に強制収容所とSSに反対した講演をしたことで、党のすべての役職を解かれたが、
ヨーロッパで最もひどい場所であるポーランドに留め置かれた。
権力はなく、SSは狂気の集団のごとく振舞った」としながらも
既に死刑となることを覚悟している様子です。
内務大臣だったヴィルヘルム・フリックは、ダリューゲ副総督の後、
ベーメン・メーレン保護領の総督も兼任しますが、
ここではカール・ヘルマン・フランクとリディツェ村についてコメントしています。
「彼にはいいところもある。ハイドリヒ暗殺後、
ヒトラーは報復に5万人のチェコ人を殺すように命じたが、
チェコ人にも家族がいると言って、規模を縮小するように遠回しに提言したのだ」。
証人として出廷したロシアの対パルチザンの責任者バッハ=ツェレウスキは、
1944年のワルシャワ蜂起における鎮圧部隊の責任者だったときのことを
「すべての女性と子どもを射殺しろと言うヒムラーの命令に反攻し、
この命令を実行しようとした旅団長を射殺させたのだ」証言しています。
この旅団長というはカミンスキーのことかも知れませんね。
「狡猾でヒトラー以上の悪人だったが、弱腰で臆病な人間だった」というヒムラー評も印象的で
1万人のユダヤ人を救った自分には責任が無く、彼らやフランク、ローゼンベルクといった
東方問題の責任者の血が汚れているとしています。
ヒトラー暗殺未遂事件に関連したとして強制収容所に収容されていたハルダーは
その収容所生活について語り、同じく収容され、処刑された国防軍防諜部のカナリス提督と
ハンス・オスター将軍にも触れています。
SS経済・管理本部長官オスヴァルト・ポールのインタビューは
この本の全般を通してもっとも面白く読めました。
強制収容所を管理下に置く部門のトップだったポールは、
「自分は虐殺についてなにも知らされておらず、
部下のリヒャルト・グリュックスの局で実施していたことだ」
とする責任逃れをゴールデンソーンにさんざん突っ込まれ、四苦八苦します。
ヒムラーからの指示は、カルテンブルンナー、ゲシュタポのミュラーを経て、
D局のグリュックスから収容所所長へ伝達されたと説明しています。
グリュックスが行方知れずとなっていることから、責任を部下に転嫁している気もしますね。
証人としてフォン・マンシュタインも登場します。
スターリングラードの第6軍に対するヒトラーの死守命令について聞かれ、
「それは正しかった」と語ります。
「もし、第6軍が早々に降伏していたら、戦線が崩壊していた」。
ただし、初期のうちに独自の判断で撤退するチャンスがあり、
それを出来なかったパウルスを「彼は強い人間ではなかった」と評しています。
その他、この下巻ではフォン・パーペン、ハンス・フリッチェ、ヴァルター・フンク、
ルドルフ・ヘス、ヨードル、リッベントロップ、ローゼンベルクといった
被告のインタビュー。
証人としては、アウシュヴィッツ所長だったルドルフ・ヘース、ルドルフ・ミルドナー、
エアハルト・ミルヒが登場します。
「原爆というものが出来てしまった以上、もう今までのような戦争は起こらないだろう」とか、
「ソ連に対抗すべくヨーロッパ合衆国にようなものを創設すべきだ」ということを
語る被告や証人も何人かおり、やはり大したものだなと唸らせる場面も多々あります。
この本の真髄は訳者あとがきに集約されていると思います。
「歴史的事実を詳細に知らなくても、彼らの葛藤、苦悩、自己正当化などは、
充分に読み応えがあり、また、彼らの弱さを通して、自分自身の弱さを見つめることも
出来るのではないだろうか」
レオン ・ゴールデンソーン著の「ニュルンベルク・インタビュー(下)」を読破しました。
独房での話し相手のいない生活、
準備した裁判の弁論を著者であるゴールデンソーンに話して反応を伺おうとすることなど
このような被告たちの心理は理解できます。
特に正式な検察/裁判での発言では、語りたいことも語れず
言い訳や自己弁護が許されなかったようで、「なんでも好きなように話してください」
と言うゴールデンソーンのこのインタビューを受けることを
被告たちは基本的に楽しみにしていたようです。
ヒトラーの顧問弁護士からポーランド総督を勤めたハンス・フランクは、
ゲーリングについて「彼が美術品の収集よりも、飛行機の収集にもっと
時間をかけていれば、今頃、こんなところにいなかったのに・・」と語り、
ポーランド総督であった自身の立場については、
「1942年に強制収容所とSSに反対した講演をしたことで、党のすべての役職を解かれたが、
ヨーロッパで最もひどい場所であるポーランドに留め置かれた。
権力はなく、SSは狂気の集団のごとく振舞った」としながらも
既に死刑となることを覚悟している様子です。
内務大臣だったヴィルヘルム・フリックは、ダリューゲ副総督の後、
ベーメン・メーレン保護領の総督も兼任しますが、
ここではカール・ヘルマン・フランクとリディツェ村についてコメントしています。
「彼にはいいところもある。ハイドリヒ暗殺後、
ヒトラーは報復に5万人のチェコ人を殺すように命じたが、
チェコ人にも家族がいると言って、規模を縮小するように遠回しに提言したのだ」。
証人として出廷したロシアの対パルチザンの責任者バッハ=ツェレウスキは、
1944年のワルシャワ蜂起における鎮圧部隊の責任者だったときのことを
「すべての女性と子どもを射殺しろと言うヒムラーの命令に反攻し、
この命令を実行しようとした旅団長を射殺させたのだ」証言しています。
この旅団長というはカミンスキーのことかも知れませんね。
「狡猾でヒトラー以上の悪人だったが、弱腰で臆病な人間だった」というヒムラー評も印象的で
1万人のユダヤ人を救った自分には責任が無く、彼らやフランク、ローゼンベルクといった
東方問題の責任者の血が汚れているとしています。
ヒトラー暗殺未遂事件に関連したとして強制収容所に収容されていたハルダーは
その収容所生活について語り、同じく収容され、処刑された国防軍防諜部のカナリス提督と
ハンス・オスター将軍にも触れています。
SS経済・管理本部長官オスヴァルト・ポールのインタビューは
この本の全般を通してもっとも面白く読めました。
強制収容所を管理下に置く部門のトップだったポールは、
「自分は虐殺についてなにも知らされておらず、
部下のリヒャルト・グリュックスの局で実施していたことだ」
とする責任逃れをゴールデンソーンにさんざん突っ込まれ、四苦八苦します。
ヒムラーからの指示は、カルテンブルンナー、ゲシュタポのミュラーを経て、
D局のグリュックスから収容所所長へ伝達されたと説明しています。
グリュックスが行方知れずとなっていることから、責任を部下に転嫁している気もしますね。
証人としてフォン・マンシュタインも登場します。
スターリングラードの第6軍に対するヒトラーの死守命令について聞かれ、
「それは正しかった」と語ります。
「もし、第6軍が早々に降伏していたら、戦線が崩壊していた」。
ただし、初期のうちに独自の判断で撤退するチャンスがあり、
それを出来なかったパウルスを「彼は強い人間ではなかった」と評しています。
その他、この下巻ではフォン・パーペン、ハンス・フリッチェ、ヴァルター・フンク、
ルドルフ・ヘス、ヨードル、リッベントロップ、ローゼンベルクといった
被告のインタビュー。
証人としては、アウシュヴィッツ所長だったルドルフ・ヘース、ルドルフ・ミルドナー、
エアハルト・ミルヒが登場します。
「原爆というものが出来てしまった以上、もう今までのような戦争は起こらないだろう」とか、
「ソ連に対抗すべくヨーロッパ合衆国にようなものを創設すべきだ」ということを
語る被告や証人も何人かおり、やはり大したものだなと唸らせる場面も多々あります。
この本の真髄は訳者あとがきに集約されていると思います。
「歴史的事実を詳細に知らなくても、彼らの葛藤、苦悩、自己正当化などは、
充分に読み応えがあり、また、彼らの弱さを通して、自分自身の弱さを見つめることも
出来るのではないだろうか」
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