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ヒトラーを操った男 -マルチン・ボルマン- [ヒトラーの側近たち]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジェームス・マクガバン著の「ヒトラーを操った男」を読破しました。

先月の「ヒトラーの遺言」で、過去に読んだ本からの自分なりのイメージで
ヒトラーの秘書、ボルマンについて言いたい放題書いてしまいましたが、
よくよく考えてみると、ボルマン主役の本・・って読んだこと無かったなぁ・・と。
せいぜいクノップの「ヒトラーの共犯者〈下〉」でボルマンの章が数十ページあった程度で、
他には様々な戦記や回想録でカイテル元帥のように、
誰からも嫌われるダメ人間として登場していただけでした。
そんなボルマンが気になって調べてみると、こんな本があったんですねぇ。
1974年と古い本ですが(原著は1968年)、古書価格もソコソコ。
そしてなんと言っても表紙がスゴい!
最初見たときは、「これ、ひょっとしてマンガ??」と思いました。。

ヒトラーを操った男.jpg

1946年のニュルンベルク裁判・・。宣伝省の幹部、ハンス・フリッチェは
「ゲッベルス博士はまぎれもなくボルマンを恐れてました」と証言し、
蔵相フォン・クロージクは「ボルマンはヒトラーの『悪魔』であり、『褐色の枢機卿』である」、
グデーリアンは「ヒトラーの側近ではヒムラーの次に悪いのがボルマンだった」、
死刑判決を受けたハンス・フランクは「極悪人」と呼び、
ボルマンが死んだかどうかを訊ねられたゲーリング
「あいつは地獄の油でフライになっていると思うが、確かなことはわからない」
このように、ヒトラーの周りの人間からも嫌われ、恐れられていたボルマン。
直前に自殺したゲーリングを除き、唯一、死刑執行から逃れている人物でもあります。

martin_bormann.jpg

1900年生まれのマルティン・ボルマンは1918年に砲兵連隊へ配属されますが、
実際の戦闘も見ることなく、第1次大戦は終了。戦後は農場の管理人となります。
ちょっと気が付きましたがヒムラーと同い歳なんですね。ここまでの経歴も似た感じです。
その後、フライコーアに入り、会計を任された彼は、金を返さなかった小学校教師を殺害する
という事件の黒幕らしき人物として逮捕され、1年間の禁固刑を受けますが、
首謀者として最も重い量刑を受けたのはルドルフ・ヘース・・、
後のアウシュヴィッツ絶滅収容所所長です。

Rudolf Höss (left) and other SS officers gather for drinks in a hunting lodge.jpg

身長170㎝足らずですが、ガッシリした体格で首が太いことから「雄牛」とあだ名されたボルマンは、
1927年にナチ党に入党。古参党員というわけではない彼ですが、
党援助基金部長となり、ヒトラーの政権獲得後には総統代理ルドルフ・ヘスの秘書に任命されます。
このような出世には党の規律を担当する有力者、ヴァルター・ブーフの娘で
9歳年上のゲルダとの結婚が大きかったようで、結婚式にはヒトラーも立会人として参列し、
花婿を個人的に知るようになったということです。

Postkarte Martin Bormann.jpg

1937年にはボルマンを高く評価するSS全国指導者ヒムラーが引き抜きにかかります。
この誘いは断わった彼ですが、名誉SS少将へ任命されたそうで、
これはボルマンがベルリン総統ブンカーから脱出する際、SS将校の制服を着ていた・・
という話に繋がる感じがします。
とにもかくにもヒムラーやゲーリングなどのように、勲章や名声、称号には興味のない彼の野心は
総統にとって自分がなくてはならない存在になることだけなのでした。

Joseph Goebbels, Robert Ley, Heinrich Himmler, Victor Lutze, Rudolf Hess, Adolf Hitler and Julius Streicher. (June 9, 1938).jpg

上司のヘスは総統の犬のように忠実なものの、昔ほどは役に立たなくなり、
飛行機の操縦に熱中し、スポーツカーを乗り回し、家族でスキーに出かけたりしているスキに
ボルマンはヒトラーにすり寄りはじめます。
ヒトラーのお気に入り、ベルヒテスガーデンの山荘の周りの土地をせっせと買い集め、
「あの古ぼけた農家が景観をぶち壊しにしてるな・・」とヒトラーが呟くと、
一夜で総統の視界を妨げる農家を取り壊すほどの気の使いよう・・。

Baldur von Schirach (right) listens to Hitler as Bormann and Göring.jpg

芸術や本に対しても、それまでまったく縁のなかったボルマンは
ヒトラーの読書傾向を睨みながら建築、ニーチェ、哲学、ギリシャ・ローマ史、
北欧神話、軍事史などの新刊書の内容を部下に手分けして
1枚のレポートにまとめるよう指示し、これを頭に叩き込んでおいて、
とある会話の場でそれとなく総統に勧め、ヒトラーを驚かせようとしていたそうです。
う~ん。ヴィトゲンシュタインもボルマンの手下で働けたかな~。。

bormann1.jpg

バルバロッサ作戦の直前の1941年の5月、爆弾のようなニュースが飛び込み、
それはボルマンの運命を決定づけます。
総統代理ヘスが英国へ飛び立った!
外相リッベントロップは「あれは狂っておりました」とムッソリーニに釈明・・。
世界に向けても「気違い」として片づけられた、このヘス事件ですが、
ヒトラーやリッベントロップの通訳を務めたシュミットは自宅の庭職人から尋ねられます。
「気違いが政治をやっているのをあなたはご存じだったんですか?」
彼の著書「外交舞台の脇役」も読んでみたいんですが、高いなぁ。

Bormann, Matsuoka, Schmidt, Hitler, Göring and Meißner.jpg

かりにも自分の代理を精神異常者とし、ナチ体制の威信に影響を及ぼしたことで、
超人的だったヒトラーの判断力をあやぶむ声も出てきます。
SS防諜部シェレンベルクの「ドイツ国民は馬鹿ではない」との非難にヒムラーは答えます。
「あれはボルマンの影響だ・・」

himmler_bormann.jpg

国防軍の快進撃によって順調に東方を占領し、ヒムラーのアインザッツグルッペン
ユダヤ人を殺害するなか、この新秩序を支配するのは自分の率いるナチ党であって
軍部とSSにその権力を握らせないようにとヒトラーに働きかけて、
新設された東方相にローゼンベルクの指名を勝ち取ります。
これは無力なローゼンベルクなら訳なく手玉に取れる・・という考えからですが、
その結果は、まさに「幻影」の出だしで書かれていた通りですね。
本書ではさらに、ボルマンの命令で動いたウクライナ総督、エーリッヒ・コッホが、
フライコーア時代からの付き合いであったことが書かれています。

Ribbentrop_Erich Koch.jpg

1942年の攻勢でカフカスを攻略できなかったことがヒトラーの逆鱗に触れ、
解任されたリスト元帥についても、ボルマンの策謀と考えるカイテルの話や、
「最終的解決」を推し進め、チェコでも手腕を発揮するハイドリヒがボルマンに妬まれ、
その後、暗殺された話なども紹介。
あ~、いま気がつきましたが、仲の悪かったことで有名な2つ年下の弟、アルベルト・ボルマンは
本書には一切、登場しませんでしたね。

Hitler_Heydrich_Morel_Himmler_Bormann.jpg

ナチ党官房長として、また総統秘書兼個人副官としてヒトラーから片時も離れず、
ヒトラーとの面会もボルマンの許可が、そして報告もボルマンを経由して・・といった状況に
古参の重鎮ゲッベルスやヒムラーも不安に駆られます。
戦局の悪化した1944年にもなると大管区指導者ですら、ヒトラーに会えない事態に・・。
困った大管区指導者らはそれまでの不信感はどこへやら、陸軍参謀総長グデーリアンに
面会を取り計らってくれるよう頼み込むといった奇妙な展開です。

Mussolini, Bormann, Donitz, Hitler, Goring, Fegelein,Loerzer.jpg

そして2月4日から4月2日までの、あの「ヒトラーの遺言」の話。
本書では「この総統の最後の談話記録も後世向けにボルマンが編集し、注釈を加えてある」
ということです。まぁ、やっぱり普通、そうですよねぇ。。

最期のときが迫る総統ブンカー。ボルマンの部屋には出入り口が3つあり、
ひとつは会議室に通じ、ひとつはゲッベルスの部屋へ・・。
そして宣伝相を見張るだけでなく、もうひとつは電話交換台のある部屋に通じていて、
この地下壕へ来る情報はすべてボルマンがチェック出来るようになっています。
このようにして、ゲーリングやヒムラーが裏切り者への道を突き進んでしまうわけですね。

Der Untergang_Himmler-Goebbels-Göring-Bormann.jpg

また、この最後の数日はゲルハルト・ボルトの「ヒトラー最後の十日間」や
ヒトラーの専属運転手ケンプカの証言などから語られます。
総統が自殺を遂げても、忠実だったボルマンはゲッベルスのように後を追うようなことはせず、
SS中将の制服を着込み、彼の秘書クルーガー嬢に
「脱出してみるつもりだ。まず成功はすまいが・・」と語ります。

borman_martin.jpg

脱出後の様子もケンプカの見た、戦車の後方にいたボルマンが砲撃で吹き飛んだ・・という説や、
ヒトラー・ユーゲント指導者アクスマンの言う、ボルマンはそこでは怪我もせず、
別の場所で死んでいるのを見た・・などを紹介。
生死の不明なニュルンベルク裁判中にも、「ボルマンを見た」との情報や
ゴットロープ・ベルガーSS中将が語る、「ボルマンはソ連のスパイであり、ロシア側へ戻った」、
そして南米で暮らしているなどの「ボルマン生存説」が後を絶ちません。

Martin-Bormann.jpg

280ページ程度の本書ですが、とても楽しく読破しました。
まぁ、特別な新発見的なものはありませんでしたが、なんと言っても主役はボルマン。
知ってるエピソードでも、初めて知った小話でも、そこらの小物とは違う悪人ぶり・・。
また、一介のヤクザものが、タイトルの「ヒトラーを操った男」のように
ヒトラーに影響を与えるほどの権力者にのし上がっていく過程は、ある意味、
第三帝国におけるサクセス・ストーリーでもあって、その彼の最期に対する徹底した調査と、
著者の見解も、現在の一般的な解釈と変わりありません。

これは著者の経歴・・大戦中は米軍で暗号解読に従事し、戦後はCIAに入って
ベルリンCIA本部の調査員として、ボルマン捜査を担当・・・が大きくモノを言っていると思いますが、
翻訳を含めて、実に読みやすく、半分読んだ日の晩にはボルマンの夢を見てしまったほど、
どっぷり彼と向かい合ってしまいました。





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ニュルンベルク軍事裁判〈下〉 [ヒトラーの側近たち]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジョゼフ・E. パーシコ著の「ニュルンベルク軍事裁判〈下〉」を読破しました。

下巻は生きる目的を失い、自殺する可能性が最も高い被告、カイテル元帥の様子からです。
総統から毎日与えられる屈辱から逃れるため、1個師団でも良いから指揮させて欲しいと
要望したことなど、ヒトラーの側近として積極的ではなかったことを
ゲーリングが証言してくれれば・・。
しかし軍事面については「総統が先生で、私が生徒でした」。

ニュルンベルク軍事裁判 下.jpg

被告たちに大きな影響を与え続けている大嫌いなゲーリングを孤立させるべく、シュペーア
収容所付きの米国の精神科医ケリーにゲーリングが一人で食事することになるよう仕向けます。
このケリーと通訳は頻繁に登場するコンビで、帰国後にこの体験についての本を
出版しようと目論見ますが、早々と帰国したケリーが独り占めにしようとする展開です。
なお、このケリーの後任でやってきた精神科医が「ニュルンベルク・インタビュー」の
ゴールデンソーン少佐なわけですが、本書では不思議なことに、彼について一切触れられません。

Funk Speer.jpg

そしてデーニッツ。。彼は総統後継者という責任ではなく、あの「ラコニア号」事件に伴い
命令を出した、「撃沈した船の船員を救助すべからず」が問題となっています。
しかしそれを「殺害命令」と取られ、また、その経緯はこの「独破戦線」でも紹介しているものです。
弁護人に任命されたドイツ海軍のクランツヴューラーもデーニッツのために証人集めに奔走・・。

Goering, Doenitz, Funk, von Schirach and Rosenberg have lunch at the Nuremberg trials.jpg

収容所所長のアンドラス大佐の驚くような一面も紹介されています。
逮捕直後に自殺したヒムラーの妻を重要証人として、収容所に監禁したものの、
このSS全国指導者の娘はどうするか・・。戦後の混乱のなか、通える学校を探し出し、
彼女を入学させて、水彩絵の具セットも贈ります。
そして度々、「親愛なるアンドロス大佐さま」と書かれた絵や、綿で作った雪だるまも送られ、
彼のデスクを飾っていたということです。非常に印象的な話ですね。

himmler gudrun.jpg

また、ヒムラーだけではなく、ゲーリングやカイテル、経済相を務めたシャハトに
ヒトラー・ユーゲント指導者でウィーンの総督だったフォン・シーラッハの妻らも
逮捕されているわけですが、この事実にゲーリングは
「連合軍の民主的なフリに騙されちゃいかん。やつらはゲシュタポのように凶悪なのだ。
いったい女子供が戦争犯罪に関係あるのかね」。
う~ん。ゲシュタポを作った人間の言葉だけに説得力があるのか無いのか・・。

HG-Nuremberg.jpg

裁判も3か月を過ぎた1946年の2月、ソ連側は、ドイツによるソ連侵攻自体を犯罪とするため、
スターリングラードで捕虜となったパウルス元帥を電撃的に出廷させます。
この件に積極的に関わった人物を「カイテル、ヨードル、ゲーリング」と答えるパウルスに
「自分が裏切り者であることを知っているか!ソ連の市民権を取ったんだろう!」と
激高するゲーリングです。

Friedrich Paulus in the witness stand.jpg

これを聞いていたカイテルはリッベントロップに語ります。
「実はパウルスはヨードルの後任に決まってたんだ。
そうなっていたらパウルスは、こっちの席にいただろうな」。
この人事については、いろいろな本でも書かれていましたが、それはパウルスが
スターリングラードを陥落させることが前提ですが、もし、そうなっていたら、
こんな裁判があったかどうかも、怪しくなってきますね。
ひょっとしたら「ファーザーランド」になったかも。。。

Nuremberg Trials Keitel.jpg

そしてソ連側はもう一つ、爆弾を破裂させます。
カティンの森」でポーランド将校1万名がドイツ軍によって虐殺された・・というものです。
これを聞いた被告人たちはヘッドホンを外して嘲笑し、
この誰が見ても、ソ連が行った戦争犯罪をナチスに押し付けようとする姿勢に
ジャクソン首席検事をはじめ、英米の法律家たちですら困惑してしまいます。

いよいよ、この裁判におけるメインイベント。
ジャクソン首席検事と"ナチズムの暗黒星"ゲーリングの直接対決です。
堂々たる態度でほとんどすべての事柄についての責任を引き受けるゲーリング。
しかしソ連侵攻など重要な問題では、巧みに答弁し続け、
この大一番はゲーリングに軍配が上がります。

goering-at-nuremberg.jpg

続く英国側の反対尋問は、トンネルを掘って脱走した
英国パイロットの戦争捕虜76名を射殺した件についてです。
これはお馴染み、映画「大脱走」についてゲーリングの責任を問うというものですね。

同じ尋問はヒトラーからの「処刑命令」を伝えたカイテルにも繰り返されますが、
すでに「ドイツ国防軍全般の罪の責任を自分が負う」と発言していた彼は、「反対したものの
なんとかすでに収容所に戻されている脱走者の処刑はやめるよう説得した」と証言します。
う~ん。一歩間違えば、「調達屋のヘンドリー」なんかも銃殺されていたかも知れませんね。

Nuremberg_Trials Keitel.jpg

デーニッツの弁護人、クランツヴューラーは「殺害命令」が無かったことを
収監中の67人のUボート艦長たちから「声明書」で受け取り、
撃沈したギリシャ船の乗組員に対して「殺害命令」を実行したとされるエック艦長からも
その処刑の直前に、自らの決断であったことを認めさせます。

大方の予想を裏切って、殺害されることになるユダヤ人6万人をウィーンから追放したことを
認めるという気骨のあるところを見せたシーラッハ。。。
一方で自己抑制ができず、感情的になって金切り声をあげるザウケル

BaldurVonSchirach.jpg

弁護人の秘書として傍聴席にいる新妻に視線を送る国防軍統帥局長ヨードル・・・。
オランダ行政長官として国内のユダヤ人56%を死亡させたことを淡々と認める
ザイス=インクヴァルトと、各人の証言が続き、
最後にシュペーアが個人的にヒトラーの暗殺を計画していたことを証言します。

Alfred-jodl.jpg

こうして、4か国の判事団による各被告の判決が審議されます。
最終採決では4人の首席判事の投票により、3/4での票で有罪が確定、
この過程も非常に詳しく書かれて、結果は知っているのにドキドキしました。

Judges of the International War Crimes Tribunal,M. Donnedieu de Vabres of France, Frances J. Biddle, United States; Lord Justice Lawrence, Great Britain; and Major General I. J. Nikitchenk, USSR.jpg

遂に判決・・。
ハンス・フリッチェとシャハト、元首相でオーストリア大使だったフォン・パーペンの3人が無罪。
有罪の量刑が言い渡されるのは、昼食後です。

「絞首刑」を言い渡されたゲーリングは無表情に、ヨードルは怒ったような足取りで退出、
リッベントロップはどさりと崩れ落ちます。
強制労働者に対しての責任に問われていたザウケルにも同様の判決が出ますが、
同じか、それ以上に責任のあるシュペーアには「懲役20年」の判決が・・。

Joachim von Ribbentrop.jpg

最後には347人を葬ってきた「死刑執行人」ウッズ曹長が体育館に3台の執行台を組み立て、
その腕前を披露する時を待ちますが、その時、ゲーリングは青酸カリのカプセルを飲んで自殺。
それでも予定通りに処刑は執行され、「いま私は、息子たちの後を追います」と言い残して
落ちて行ったカイテルが死亡するまで28分もかかったということです。。

Sergeant john woods Hanging Rope Nuremberg.jpg

一般的に「謎」とされているゲーリングの自殺の様子が、非常に克明に書かれていることで、
ちょっと疑問に思いましたが、「補遺」としてこの件についての著者の解釈も書かれています。

なかなかドラマチックで楽しめました。
今まで読んだことないヨードルやゲーリングなどの奥さん連中の
「戦犯の妻」という置かれている立場や、その心境も良く伝わってきましたし、
シーラッハの奥さん、ヘンリエッテも旦那が死刑を免れて、大喜びしたりしてて、
彼女の書いた「 ヒトラーをめぐる女性たち」も読んでみる気になりました。
その分、シュペーアが若干嫌らしい悪役でもあったりして、
被告たちも同じ穴のムジナではなく、個性的なバランスも取っている感じです。

TIME_nuremberg.JPE

いま、wikiで「ニュルンベルク軍事裁判」を検索すると、本書を基にした2000年製作の
TVドラマが引っ掛かりました。
アレック・ボールドウィン、クリストファー・プラマー、マックス・フォン・シドー、
マイケル・アイアンサイドにシャルロット・ゲンズブールまで出てる、凄いキャストのドラマですね。
「ゲーリングを英雄視しすぎたと一部から批判を受けた」という話で、これは
エミー賞の助演男優賞を受賞したブライアン・コックスの名演技も要因のようです。
しかし、このTVドラマだけではなく、本書もかなりゲーリングが格好良く描かれてます。
ちなみに、wikiでは「同名の"小説"を原作にした」と書いてありますが、
本書は一応、"小説"ではなく、"小説風"ですね。

nuremberg 2000.jpg

数年前にNHKで放送したドラマは観たんですが、スペンサー・トレイシー、
バート・ランカスターにマレーネ・ディートリッヒなどの豪華スター共演で有名な
「ニュールンベルグ裁判」も観たことがないので、この2つはDVDが欲しくなりました。
コメコンさん、ありがとうございました。











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ニュルンベルク軍事裁判〈上〉 [ヒトラーの側近たち]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジョゼフ・E. パーシコ著の「ニュルンベルク軍事裁判〈上〉」を読破しました。

原著は1994年とワリと新しい、タイトルそのまんまの内容である本書は、
死刑執行人との対話」のコメントで教えていただいたものです。
ヴィトゲンシュタインが購入したのは2003年の再刊本で、
著者のパーシコは歴史家、伝記作家で、あのコリン・パウエルの自伝の共著者でもあるそうです。
まえがきでは「若い読者に関心を持ってもらうことを願って、"物語風"に書くことにした」と
述べているように、被告の生の声を列挙したスタイルの「ニュルンベルク・インタビュー」とは
大きく異なった、この裁判の始まりから終わりまでを、裁く者、裁かれる者、
そして各国の多彩な登場人物たちの様々な思惑が入り乱れる過程が
時系列で、非常に読みやすく書かれているものです。

ニュルンベルク軍事裁判 上.jpg

ヒトラーがベルリンの地下壕で自ら命を絶った2日後、早くも米国の戦犯担当首席検事に
任命された本書の裁く側の主役、ロバート・ジャクソンが紹介され、
一方、同じころ、裁かれる側の主役であるヘルマン・ゲーリング国家元帥も米軍に投降・・。
このように過去に例のない「軍事裁判」に向けて動き出した連合軍の様子と、
ポーランド総督だったハンス・フランクデーニッツ大統領、RSHA長官カルテンブルンナーといった
被告たちの戦時中の行いと現状を短い章で交互に紹介していく展開です。

hermann-goering_1945.jpg

英米仏ソの代表団は各国でも違いのある裁判制度や、何をもって「戦犯」とするのか・・を
協議します。例えば「上官の命令に従っただけ・・」を認めると、有罪に出来るのはただ一人、
アドルフ・ヒトラーだけになってしまいますし、「お互い様じゃないか・・」と抗弁された場合も
連合軍の行った違法な行為を無視して、ドイツにだけ適用できるのか・・。
「侵略戦争」として裁くにしてもドイツと共にポーランドへ、さらに翌年フィンランドへ侵攻した
ソ連が裁く側にいる・・という状況です。

裁判所の裏にある刑務所の独房に収容された被告たち・・。
朝食後に米軍看守からモップとバケツを渡され、独房を掃除するよう命令されたゲーリングは
激怒したのち、呼吸がおかしくなってベッドに倒れこむ始末。。。
厳格な収容所所長のアンドラス大佐ですが、、ゲーリングだけは特例を認めざるを得なくなり、
ここからこの2人の対決が続いていきます。

Burton_C__Andrus_in_Nurnberg.jpg

45歳にして「夢精」してしまったハンス・フランクは、コレを聖書を再読することで
カトリックだった少年時代が蘇ったかのような激情のなせる業・・として、
この一件をキッカケに自らの罪を認め、信仰を取り戻すことに・・。

Hans Frank8.jpg

全裸でムキになって手足をバタバタさせる健康体操をしたうえ、便器に頭を突っ込んで顔を洗う、
低俗極まりない反ユダヤ新聞「シュテュルマー」の発行者シュトライヒャー・・。
精神鑑定の際にも、なぜか全裸になった彼は背を向けたロシア人の女性通訳に
「どうしたんだい。いいものを見たくないかい?」。
まったく期待を裏切らない、絵に描いたような下品人間ですね。

Nuremberg Trials Streicher.jpg

ドイツ労働戦線指導者のロベルト・ライが水道管に括り付けたタオルを首に巻き、
窒息するまで体を倒して、自殺・・。その3週間前にもいずれ裁判を受けるべく拘束されていた
安楽死注射専門のコンティ医師が首吊り自殺しており、
収容されている被告たちの安全に責任のあるアンドラス大佐も窮地に・・。

Martin Bormann, Rudolf Hess, and Robert Ley at a meeting in 1935.jpg

そんな収容所に収容されていない被告もいます。軍需産業界の重鎮グスタフ・クルップです。
しかし、その老人性痴呆症で体の一部がマヒしているこの老人の代わりに
息子のアルフレートを起訴しようとするジャクソン検事。
判事団は「フットボールの試合じゃないんだ。選手が病気になったからといって、
控え選手を出すのとはわけが違う」と却下です。

Robert Jackson Nuremberg.jpg

でもこのような意味では、SSの代表者カルテンブルンナーもヒムラーの控え選手ですし、
宣伝省の幹部でソ連側が無理やり出してきたようなハンス・フリッチェに至っては、
ゲッベルス宣伝相のかなり下の控え選手です。。。

Ernst Kaltenbrunner.jpg

頭脳明晰で連合軍からも一目置かれる存在の"ヒトラーの建築家"シュペーアは、
自らの行いについては男らしく責任を取り、それ以外の残虐行為は心から懺悔して、
死刑は避けようとする法廷戦略です。
しかし最も大きな問題は、労働力配置総監で捕虜やユダヤ人などを大量に強制連行した
フリッツ・ザウケルの存在です。
軍需相として戦争末期に、これらの人々を酷使したことによって成果を上げたシュペーアですが、
もしザウケルが「シュペーアの命令に従っただけ・・」と弁明したら・・。

Fritz Sauckel in his prison cell.jpg

いよいよ、2日後に開廷・・という時期になって、ソ連側は突如、首席検事のルデンコ将軍が
ベルリンでマラリアに感染したことを理由に、裁判を延期するよう要請してきます。
これに対して、裁判を遅らせた責任をソ連が取るなら・・という条件が出されると、
「実は医学の進歩のおかげで、ルデンコ将軍は驚くべき回復を見せています」。
このような意味不明なソ連の法廷戦術に、直前でも、開廷後も悩まされる西側・・。

そして裁判が始まり、アウシュヴィッツの様子や、ワルシャワ・ゲットー蜂起の
シュトロープの報告書が提出され、ベルゲン・ベルゼン強制収容所の司令官以下、
11人にすでに死刑判決が言い渡されていることを被告の彼らは耳にします。
このような下級ナチ党員の扱いに、自分達の運命は決まったも同然ですが、
裁判所の食堂では、ゲーリングがみんなを鼓舞し続けるのでした。

nuremberg-trial.jpg

しかしマウトハウゼン絶滅収容所の、凄惨な・・法廷内の女性が気を失うほどのフィルムが
2時間に渡って流されると、フランク、デーニッツ、シュペーア、カイテル元帥
うなだれ、唾を飲み込み、額の汗を拭います。
そんななか、両肘をついたまま「あくび」をするのは、ゲーリング・・。

ヒトラーの代理として英国に飛び立って以来、「ヒステリー性健忘症」となって、
いまやゲーリングでさえ、誰であったかすら思い出せないルドルフ・ヘス
その彼が突然裁判長に発言を求めます。
「私の記憶は外部に対して再び、反応します。記憶喪失を装っていたのは
戦術上の理由からです」。

Hess_Trial.jpg

そして再び、フィルム上映。
フライスラー裁判長が金切り声をあげる、ヒトラー暗殺未遂に関する裁判のフィルムの他に
レニ・リーフェンシュタール監督のニュルンベルク党大会の映画、「意志の勝利」の抜粋版、
ナレーションの声の主は、被告席に座っている"ナチの思想家"ローゼンベルクです。
やがてフィルムの中のヒトラーの演説が最高潮を迎えると、被告たちは思わず身を乗り出し、
外相リッベントロップは人目もはばからず涙を・・。ゲーリングはヘスに語りかけます。
「ジャクソン検事もナチ党に入りたいと言うかもしれんぞ」。

Adolf Hitler at the 1934 Nuremberg Party Rally.jpg

ゲーリングの詫びる風でもなく、自分の行為を認める率直な態度、
辛辣なユーモアを賞賛する英米人も少なくなく、検察側も彼が驚いた顔を見せたり、
頷いたり、首を横に振る仕草で陳述の事実の正否も判断できるほどです。

しかし、その仲の悪いゲーリングと別戦略を繰り広げることで、諍いを始めるシュペーア。
そして彼ら2人の影響力と、どちらの味方に付くか・・を悩むその他の被告、という図式が
この後も続き、彼らの運命を決めることにもなるのです。











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ナチス狂気の内幕 -シュペールの回想録- [ヒトラーの側近たち]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アルバート・シュペール著の「ナチス狂気の内幕」を読破しました。

「ヒトラーの建築家」、または「ナチの軍需大臣」として有名な
アルベルト・シュペーアの回想録です。
非常に濃密な回想録で、ヒトラーを含む、第三帝国の内部の様子が
これほど長期間に渡り、生々しく書かれている回想録は他にはないでしょう。

狂気の内幕.JPG

まずは大学で建築を助手として学んでいた1930年、ヒトラーの演説に
強烈な印象を受け、ナチ党に入党したいきさつから語られます。
その後、党の建築家としてゲッベルス、そしてヒトラーに認められ、
28歳にして、ほとんどヒトラー専属のお抱え建築家という地位に就き、
新総統官邸からニュルンベルク党大会会場、やがて首都ベルリンの壮大な
「ゲルマニア計画」も委ねられる事になります。

albertspeersarquitectohitlergermania-imperioromano.jpg

それからの1939年の開戦までの期間はオーバーザルツブルクの別荘における
ナチ政府内の要人やヒトラーにまつわる様々なエピソードが紹介されています。
特に本書の日本版に向けて加筆したものと思わせるような、日本ネタも・・。

ヒトラーが人種的観点から日本と手を握ったことを残念がり、
遠い将来に日本との対決を覚悟していたという話が出たかと思えば、
ゲルマン原種族信仰など滑稽な道を歩むヒムラー
日本人からサムライの刀を贈られたとき、日本人とゲルマン人の祭式の共通性を発見し、
どうしたらこの共通性を種族的に解決できるかを学者の協力を得てまで腐心した・・。

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第2次大戦の開戦後、特に1942年に入り、対ソ戦が長期化の様相を見せてくると
党内でのライバル争いが激化してきます。
特にシュペーアの尊敬する軍需大臣のフリッツ・トートが飛行機事故で死亡すると
後釜を狙っていた「4ヵ年計画」の責任者ゲーリングがヒトラーに直訴しに来ますが
それを想定していたヒトラーにより、一歩早く、シュペーアが後任に指名されます。
これを引き金に、ゲーリングとは最後まで航空機を含む、軍事や地位、
ヒトラーの寵愛といったことに悩まされることになります。

Fritz Todt.JPG

労働力配置総監のフリッツ・ザウケルとも終始、争いが絶えません。
第1次大戦当時のドイツや英米の雑誌を見ても、軍需生産の婦女子の就業率が
高いことから、ザウケルに提案を行ったところ、結局はゲーリングも巻き込み
女子の工場労働は「風紀上の問題あり」ということでヒトラーにも却下され、
その挙句、ドイツの主婦の負担軽減という理由で、ウクライナなどから
50万人もの女子を奉仕人として逆に連れて来ることになったそうです。

Fritz Sauckel.jpg

バルバロッサ作戦」に登場した山岳部隊によるエルブルス山登頂事件も出てきました。
もともと戦前からヒトラーは山登りやスキーを無意味なスポーツであるとして
禁止しようとしていたようですが、
「このような連中が山岳兵になるんだからしょうがない」と諦めていました。
そのようなヒトラーがカフカス戦線におけるエルブルス山登頂の報告を受けた時ほど
激怒したのを見たことがなかったとシュペーアは語っています。
その後数日もあらゆる人に「あの馬鹿な登山家たちは軍法会議ものだ!」
と怒り狂っていたそうです。

1943年暮れ、西方での連合軍上陸に向けた調査を行っていたロンメルがヒトラーのもとを訪れ、
水際で撃破すべきだとの報告を行い、それに対し、ヒトラーは全面的に賛成します。
しかしそれでも空からの脅威を懸念するロンメルに、
待っていましたとばかりに新型の高射砲を披露して
「これさえあれば大丈夫だ」と自慢するヒトラーにロンメルは
冷ややかな笑みで答えたそうです。

Erwin_Rommel,_Adolf_Hitler.jpg

翌年のヒトラー暗殺未遂も、事件の一報を受けたゲッベルスから呼び出され、
あの映画でも知られるレーマー少佐にヒトラーの声を電話で伝える場面にも
シュペーアは立ち会っており、フロムやオルブリヒトといった当事者の将軍に
電話を掛け、状況を探っていました。
このようなことを起こすのは短気なグデーリアンぐらいなものだと当初考えたそうです。

goebbels Hitler.jpg

雲隠れしたヒムラーには連絡がつかず、シュタウフェンベルク大佐の
クーデター派が立てこもる国内予備軍司令部へ向かうと、
そこではカルテンブルンナースコルツェニーというSSの強面が立ち塞がって
この問題は国防軍のものであり、SSは関与しないということを表明したとのことです。
その後はご存知のようにヒムラーとSSは、国防軍の粛清に当たることになります。

また、シュペーア自身も嫌疑に掛けられていたというギリギリの話や
知っていたらクーデターに参加していたであろうとの話、
そして1945年には毒ガス「タブン」を密かに入手して、ヒトラーを地下壕で暗殺しようと
企んだ話まで告白しています。

Hitler (L, in brown) inspecting West Wall, w. (2L-R) engineer Fritz Todt, Martin Bormann & Heinrich Himmler.jpg

後半、「遠すぎた橋」の後日談も突然出てきました。
ひどく立腹した武装SSのビットリッヒ将軍にシュペーアは出会いますが、
連合軍の要請で休戦協定を結び、後方に野戦病院を作ることを許可したものの
党役員によって連合軍の空挺部隊員が殺害されたということです。
この話はまったく知りませんでした・・。

このナチ党/政府内で、終戦までの12年間を生き抜いたシュペーアの最大の天敵は
マルティン・ボルマンです。
最初の出会いからウマが合わなかったと語っており、
このボルマンの策略は2章に1回程度の頻度で出てきますが、
最終的には生き延びたいボルマンからヒトラーをベルリンから脱出するように
説得することを懇願されたことで、宿敵に対して勝利したという思いまで述べています。

Hitler & Bormann.jpg

総統の地下壕でヒトラーに最後の別れを告げた後、
次期後継者を自認するヒムラーと対談した際、突如カイテルが現れて
ヒトラーに誓ったのと同様に、ヒムラーに対しても厳かに服従を誓う姿を目撃したり、
デーニッツ新政権下にエーリッヒ・コッホが訪れ、南アメリカに向かうUボートを要求したりと
その最後の最後まで、人間の見苦しさに思わず苦笑いしてしまいます。
しかしこんな話から「ヒトラーがUボートでドイツから脱出した」というような
伝説が始まったのかもしれませんね。

Göring, Keitel, Dönitz.jpg

ニュルンベルク裁判でもシュペーアの責任として有罪とされた
外国人やユダヤ人の強制労働者の問題については、
死刑となったザウケルや強制収容所が管轄のヒムラーに対し
再三、改善を求めたと語っており、アウシュヴィッツの存在についても
「うすうすは気づいていたが、目をつむっていた」と反省しています。
このあたりのシュペーアが果たしてどこまで真実を語っているのかというのは
いまだに意見が分かれているようです。
ヒムラーも自殺していますので、死人に口無し的だと言われる所以ですかね。

Albert Speer.jpg

いずれにしても、回想録としては第一級だと思います。
人間が自らの半生を振り返る回想録に「言いたくない」、「思い出したくない」ことも含め
100%客観的に真実が書かれているなどということはあり得ないでしょう。

Albert Speer - Architect 1970.jpg

ということで、個人的に回想録を読破するときの取り組み方は
著者本人の犯罪的な責任に関することは、事実は半々くらいの
軽い気持ちで読んでいます。
そうでないと、この本は欺瞞に満ちているとか嘘八百で読む価値なし
ということになってしまいます。

なお「第三帝国の神殿にて」は本書の文庫版です。
ホントはこっちを買いたかったんですが、だいぶ高いんで諦めました。
「ヒトラーの建築家 アルベルト・シュペーア」のDVD-BOXも買おうか検討中です。








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ヒトラーの外交官 -リッベントロップは、なぜ悪魔に仕えたか- [ヒトラーの側近たち]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジョン・ワイツ著の「ヒトラーの外交官」を読破しました。

言わずと知れた第三帝国の外相であったリッベントロップ伝です。
1年半前に購入したものの、なかなか読むキッカケがなく
クルスクの戦い」で息子の活躍を読んだ勢いでやっとページを開いてみました。
ニュルンベルク裁判の拘留中に本人の書いた回願録をベースに、
ヒトラーの通訳も務めたシュミットの発言などで裏付けしているというのが基本構成です。

ヒトラーの外交官.JPG

まずは彼の生い立ちからです。
「フォン」という貴族の称号をおばさんの養子になることで買ったということや
それよりも有名なシャンパン業者という経歴の紹介に続き、
台頭してきたヒトラーの上流社会や外国人に疎いところを指南するチャンスを得るものの、
逆にヒトラーの影響をモロに受けてしまうことに・・。
それなりにヒトラーには重宝されますが、入党も遅く、古参のナチ党員から疎んじられることからか
親衛隊に入隊して頑張っている所も大いにアピールしようとします。
嫁さんがなかなかのもので、常に尻に引かれていると周りからも思われていたようで、
ゲッベルスゲーリングは笑いのネタにもしている感じです。

Joachim_von_Ribbentrop.jpg

ナチス政権発足当初から外相を務めていたノイラートとライバル関係となりますが、
なかなかその座は得られず、「大使」として英国などとの交渉に挑みます。
本人は定年の近いノイラートの後任は間違いなく自分であると言い触らして
ヒトラーから叱責を受け、すっかり落ち込んでしまい、
ゲーリングやゲッベルス、ローゼンベルクが次期外相候補に挙げられたそうです。
最終的には空軍や宣伝といった本職に専念すべしとのヒトラーの考えから
めでたく外相に就任するのでした。

von Neurath.jpg

防諜部長官のヴァルター・シェレンベルクがパリの愛人、ココ・シャネルのもとから
呼び戻され・・・という話も出てきます。
この本の記述だけでは本当かどうかはわかりませんが、割と知られた話である
ココ・シャネルの愛人のナチ高官というがシェレンベルクだったというのは初めて知りました。
下世話な話ですが、30歳そこそこのシェレンベルクに対してココ・シャネルは50台後半ですね。

coco-chanel-1.jpg

シェレンベルクが呼び戻された理由はウィンザー公に関する有名な策謀によるものですが、
ちょっと調べてみると、この話は「鷲は舞い降りた」のジャック・ヒギンズが別名で
「ウィンザー公掠奪」というシェレンベルクが主人公の小説を書いてるんですね。
「鷲は飛び立った」にも登場しているそうですが、これはまったく記憶にありません。。
シェレンベルク本人も「秘密機関長の手記」という、まるで密輸船ものみたいな
邦題のついた本を出していました。
これはちょっと古い本で、さすがに売っていません。
主役であるはずのリッベントロップが悲しいほどに面白味のない人物なので、
ついつい、このような個性的な脇役に興味がいってしまいました。

Walther  Schellenberg2.jpg

「親衛隊大将(分隊長)」とか、当時大尉の階級のスコルツェニーが「大佐」だったり
ロンメルが「戦車兵出身」などという意味不明な記述も散見されます。
著者はこの手の部分は得意じゃないのかも知れませんが、
ひょっとするとただの誤訳なのかも・・。

また、ヒトラー発祥国であるオーストリアがドイツとの人口比率からして、
SS隊員が多かったと分析しており、特に「特別行動隊=アインザッツグルッペン」や
「髑髏部隊」、即ち収容所の看守が多かったということや
悪名高いアイヒマンやカルテンブルンナーなどがオーストリア人であることを挙げて、
暗にドイツ人より、残虐な国民であるかのように解説しています。。
これは同じSS隊員でも前線部隊の兵士はある程度マトモで、
強制収容所の看守は極悪非道な人間という安直な発想であると思いますね。

kartenbrunner_Eichmann.JPG

リッベントロップのハイライトとも言える「独ソ不可侵条約」締結から、
それを破棄してしまった1941年の「バルバロッサ作戦」以降の彼の活躍は
まったくと言っていいほどなくなってしまいます。
その後の終戦まで、なぜ彼が外相の地位を維持し続けることが出来たのかに
興味があったんですが、特にそれには触れられず、
ここからはあっという間にこの本も終わってしまいます。

HitlerRibbentrop.jpg

結局、大戦中は外相としてするべきこともなく、ヒトラーもイエスマンである彼を
解任する必要も無かったということなのでしょう。

この本を読むまで、ニュルンベルクで絞首刑となった彼の犯罪性とはなにか?
良くわからずにいましたが、読み終えても結局良くわからないままです。。。
成功して認められたいと思う、若干気の弱いどこにでもいるような人間が
その地位を失うことを怖れて、最後までヒトラーに追随してしまった・・
ということだけなのでしょうか。



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