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ナチスと動物 -ペット・スケープゴート・ホロコースト- [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ボリア・サックス著の「ナチスと動物」を読破しました。

2002年に出た310ページの本書の存在に気が付いたのは、
健康帝国ナチス」を読んだ時だったでしょうか。
ただ、どこにも書評が書かれていなく、面白いのかどうなのか・・??
とりあえず、以下のamazonの情報だけを頼りに。
「生き物を偏愛し、ペット愛玩から屠殺法まで、詳細を極めたナチスの動物愛護の仕方。
その生命観が、なぜ極端な人種差別と死の強制収容所へと走らせたのか。
『血と大地』というヒトラーの純血主義の陥穽を、動物という身近な視点から大胆に解明―。 」
これだけ読んでもいまいち内容が伝わってきませんが、はたしてどんなもんでしょう。

ナチスと動物.jpg

冒頭で著者は、「動物に対するナチスの複雑かつ時には辻褄の合わない態度に焦点を当て、
ナチスが従来概念の「人間」と「動物」の区別ではなく、「主人」と「奴隷」の区別を持っていたとし、
アウシュヴィッツ所長のルドルフ・ヘースがロシア人戦争捕虜について語った言葉、
「やつらはもう人間ではない。食うことしか頭にない獣になり果てやがった」や、
トレブリンカのクルト・フランツが囚人に犬をけしかける際に怒鳴った言葉、
「おい、人間ども、犬に噛みつけ!」を紹介します。

「人間と類人猿の間の過渡的存在」とする見識まであったというユダヤ人については、
機関誌「デア・シュテュルマー」の風刺漫画を掲載して、その猿顔に描かれたユダヤ人の姿や、
編集者のナチズムの狂犬、シュトライヒャーのユダヤ人を「人殺し民族」とみなす奇怪な妄想と、
その飼い主である「菜食主義者」ヒトラーにとって、手に負えなくなっていたことにも言及します。
フランケンの大管区指導者でもあった彼は、ユダヤ商人250人に対し、
「牛として自分の歯で草を噛み取る作業」を命じたり、悪名高い好色家の本領を発揮して、
「アーリア人の処女を奪う架空のユダヤ人を妄想」して、身代わりの悦楽に耽るのです。
ついに「指導者として不適」との烙印を押されて、権力を奪われ、田舎に引っ込むことに・・。

streicher_julius.jpg

絶対に近い純潔の理想を掲げながらも、そんな退廃の汚辱にまみれていたとして、
マチアス・パドゥアの「レダと白鳥」がポルノまがいの獣姦の描写で評判になると、
ヒトラーは直ちにコレを購入したとか、蛇との抱擁に耽る女を描いたお気に入りの画家、
フォン・シュトレックの作品を眺めては悦に入った・・と書かれていますが、
古典的な裸体の絵画をヒトラーは好んでいただけで、エロい悪趣味と考えるのはどうかなぁ・・?

Matthias Padua_Franz von Stuck.jpg

第6章は「生贄の豚」です。
ヒムラーにも大きな影響を与えたヴァルター・ダレを取り上げて、
単純で誠実で大地と深く結びついた農民たちの世界を夢見た彼の「血と土」に言及。
そしてダレはドイツ人にとって豚が最良の動物と推奨します。
「豚は北方の森林のドングリなどを食べて大いに繁殖する。
生贄の豚は古代アーリア人の女神に最も好まれた動物だった」。

SS-Totenkopf-Pig.jpg

次の章は「アーリア人の狼」で、これにピンと来た方は第三帝国マニアですね。
それはヒトラーが好んで使ったニックネームが「狼」であり、「ヴォルフおじさん」とか、
独ソ戦の大本営が「ヴォルフスシャンツェ」などが有名です。
第三帝国を象徴する動物である「アドラー(鷲)」を含めて、イメージは捕食動物であり、
いくらダレが推奨したからといって、「豚」ではよろしくありません。

The-Wehrmacht-Pig.jpg

そして「犬」。
20世紀の初頭、「原始のゲルマン犬」と称する品種が交配によって再現され、
今日「ジャーマンシェパード」と呼ばれることとなります。
競走馬のサラブレットのように純血な交配は各国でも行われてきており、
ナチスも切手にするなど、力を入れていますが、
「馬やロバの品種改良に熱心な人々が、人間のそれにまったく無頓着なのは、
悲劇的としか言いようがない」と語るのは、ローゼンベルクです。
現代社会でもサラブレットがレースを制し、雑種はしばしば捨てられるか「安楽死」処分。
ナチスもこれと同様に、人種的に純粋でない人間は安楽死処分して当然と考えたとしています。

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第1次大戦の塹壕の中、迷い込んできた犬を溺愛したヒトラーは、
ブロンディと名付けたジャーマンシェパードを自殺の間際まで可愛がり、
寂しさを訴えるエヴァには2匹のテリアをプレゼントします。
ココではそんな犬好きヒトラーのエピソードもいくつか紹介。

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前線の兵士たちも常時、犬を同行しています。
勇敢さや攻撃性向などの資質は兵士の模範とされ、犬の飼育、訓練、品種改良には、
SSが当たり、強制収容所の囚人監視にも犬は駆り出されます。

Waffen-SS and his German shepherd.jpg

しかし兵士たちの戦友といえば、やはり「馬」です。
強いが野蛮でも獰猛でもない馬は、規律正しいプロの軍人のシンボルでもあり、
「物言わぬ戦友、忠実な手助け、あらゆる義務を果たす馬こそ我らの武装した戦友である」。
第2次大戦では騎兵だけでなく、輸送用として兵4人に対し、1頭が与えられます。
占領したソ連からは100万頭を奪い、ポーランドやその他の占領地からも徴用。

Horse drawn wagon of Wehrmacht Crossing the bridge.jpg

またナチスとしては馬を記念牌的な彫像の対象にも採用し、アルノ・ブレーカーの他、
ヨゼフ・トーラックの手による巨大な彫像がニュルンベルクのマース広場に姿を現します。
本書では所々で写真や新聞の挿絵が掲載されていて、
1938年に掲載されたトーラックの「世界最大のアトリエ」の絵入り新聞も載っていました。

Josef Thorak_Hitler .jpg

このような犬や馬といった軍務についた動物たち。
あの「図説 死刑全書」のシリーズに、「図説 動物兵士全書」がありました。
ソ連の「地雷犬」とか出てくるんでしょうか?? ちょっと気になります。



「健康帝国ナチス」の最後でも触れられていた「ペルンコップ解剖学」問題も紹介した後、
「動物の扱いに関するナチスの法律」へと進みます。
1933年4月には、早くも動物の屠殺に関する法律を議決し、
屠殺に先立っては動物に麻酔をかけるか、特殊なハンマーなどによる頭部への一撃で
気絶させることを定めます。
ユダヤ人の伝統的な喉を切り裂いて放血させるという「コーシャ屠殺」はこれによって禁止。

Giftpilz, herausgegeben von Julius Streicher.jpg

動物好きでライオンまで飼っていたゲーリングは、次々と法律を改定し、
動物保護法の禁止事項は詳細を極め、慣れた動物を野生に放つこと、
動物を公共の娯楽で使うことなどが禁止となっていきます。

hermann goering tiger lion cub baby child children luftwaffe 5 April 1936.jpg

1936年には「魚類」も哺乳類と同様に、殺す前に麻酔をかけるよう定められます。
やり方は目の上に強い打撃を与えるか、電流を用いること・・。
ウナギ目は皮に切れ目を入れて心臓を摘出して殺しても良いとされ、
生きている甲殻類を水から沸騰させて、その内臓を抜くことは禁止。

Fishing stories from Ostfront! Soldiers from Germania regiment have had good fishing luck.jpg

ただし、ロブスターなどの甲殻類は沸騰状態の湯銭に入れて、
絶命を瞬時にかつ確実に行うことはよいとされます。
最近、「魚に怖くて触れな~い」とか、「こっち見てる気がしてさばけな~い」なんて言う、
女の子が(日本男子も!)たまにいるようですが、まったく困ったもんですね。。

baby-lobster.jpg

著名な動物学者が実験で麻酔をかけたミミズを切ったところ、わずかに動いたミミズが一匹。
それを目撃した学生のひとりが密告し、内務省(ゲシュタポ?)から叱責される学者・・。

もちろん列車や自動車による馬、牛、豚、鶏の輸送方法もこと細かく定められ、
求められる空間の容量に、適切な清掃、充分な食料を与えることに加え、
動物虐待行為があった場合には、徹底的な責任追及が行われます。
そして、コレと真逆な輸送方法が、人間の強制収容所への輸送方法なのです。

Cracow Jews boarding a boxcar for deportation.jpg

狩猟大好きゲーリングは、「自然保護法」を定めて、帝国狩猟長官と帝国森林長官を兼任。
罠を仕掛けることや、非人道的とみなされた弾薬類は使用禁止。
17世紀初頭に絶滅したヨーロッパ野牛、オーロックを復活させることを目指し、
米国のバッファローを含む、各種ウシ属を交配して、オーロックの再現に成功したと主張するも、
一頭も生き長らえることはなかったそうな・・。

この狩猟についてはヒトラーのナチス政策というより、完全なゲーリングの趣味だと思いますね。
ヒトラーは「猟銃でウサギを殺すのは男らしくない」という考え方ですし、
ヒムラーも「罪のない動物を欲望のために殺するのは可哀そう・・」という立場です。

1937 International Hunting Exposition in Berlin.jpg

戦時体制に入った食肉産業。
ドレスデンの巨大な食肉処理場は空前の活況を呈し、前線の兵士に向けて
24時間体制での操業を続けます。
動物の大半が占領地域から運び込まれただけではなく、労働者も占領地域から強制的に・・。
あのクルスクからだけでも28万頭の牛、25万匹の豚、42万匹の羊を強奪したそうです。
屠殺は閉め切った空間のみで肉職人が行うこととされ、麻酔を使用しなくても良いケースは、
ナイフの一振りで首を切り落とすことができる「鶏」のみです。

Nazi stealing a pig from Ukrainians - 1942.jpg

この意図的に一般大衆の目から遮断された食肉処理場。
従業員の行動様式は、殺しを楽しむように動物をじっくりといたぶる者、
しかし大多数はこの仕事を心理的に切り離し、機械的に屠殺を行い、
また、儀式などの助けを得て、動物の苦痛を進んで軽減しようとする者に分かれ、
このような行動は「普通の人びと -ホロコーストと第101警察予備大隊-」に書かれていた
「ユダヤ人狩り」に進んで参加する者、これを避けようとする者とずばり一致するとしています。

アル・カポネが牛耳っていたシカゴでも食肉処理場は特に暗黒の部分であり、
殺し屋は牛と豚の屠殺から闇の人生をスタートさせる、非公式の訓練場だったいう話まで・・。
そういえば、最近観た「ゴッド・オブ・バイオレンス/シベリアの狼たち」という映画で、
吊るされた精肉相手にジョン・マルコヴィッチがナイフの使い方を教えるシーンがありました。

EDUCAZIONE SIBERIANA.jpg

この「屠殺」の章では、子供の頃に聞いた千住にあったという屠殺場のことを思い出しました。
「あそこで働いている人は○○だから、行っちゃいかん・・」みたいな怖い話だったですが、
○○が何だったのか覚えていなくて、ちょっと調べてみると、
「賤民」や「部落」などという差別問題なんですね。

本書は章ごとにナチスに触れる前に、古代ローマ時代から中世の動物にまつわる話が多く、
それはそれで勉強にはなりますが、興味がなければ、結構、読み飛ばしてしまうでしょう。

Bactrian camel and Panzer.jpg

それはともかく本書では、ナチスが定めた人道的な法律の多くについて、
「正しかったと私たちは認める必要があり、動物には優しく、人間には時に残酷という、
ナチスの心理構造は、西欧文化に広く見られる傾向であった」としています。
最終的に本書が「ガス室はナチスの言う『安楽死』を目的としていた」と言いたかったのであれば、
その動物愛護と慈悲深い屠殺方法が「ホロコーストの手順」にも影響していたと納得できます。
ただ、ハッキリとそうだと宣言しているわけではないのがスッキリしませんね。

Nazi Dog.jpg

またガス室での大量殺害方法に至った経緯は、
「静かに、素早く、大量に、確実に」を突き詰めたものであり、
①被処刑者をパニックに陥れることなく、
②処刑者が面と向かって手を下す精神的負担を減らす・・、
ということが、まず大きな理由だと、個人的には思っています。
ですから、慈悲深い措置という思いがいくらかはあったにせよ、順番としては3番目以降でしょう。

Circus elephant helps soldiers of Wehrmacht to save their car.jpg

ニューヨーク出身の著者による西洋の肉食文化が基準になっているとはいえ、
スーパーで売っている肉片しか見たことのない日本人も、
まるでタブー視されているかのような屠殺現場を知ったうえで、
改めて料理する、そして動物を食するという意味を考える必要があるとも感じた一冊でした。







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帰ってきたヒトラー (下) [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ティムール・ヴェルメシュ著の「帰ってきたヒトラー (下)」を読破しました。

上巻は出演したTV番組が「YouTube」にUPされ、大人気を博したところまででした。
本人はいたって真面目に政治演説をしているつもりが、周りはブラックジョークととり、
その双方の誤解っぷりが本書をユーモラスなものにしていますね。
例えば、会社とは「ユダヤ人をジョークのネタにしないこと」という取り決めになりますが、
ヒトラーは喜んで納得します。
なぜなら、「ユダヤ人問題は冗談ごとではない・・」と思っているからです。

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この下巻は、そんな人気の出たヒトラーを非難するタブロイド紙との戦いからです。
表紙にはヒトラーの顔写真がデカデカと載り、大げさな見出しが・・。
「狂気のユーチューブ・ヒトラー 全ドイツが混迷 -いったいあれはユーモアなのか?」
悪趣味で奇怪なコメディアンと紹介して、その芸風にも言及。
・トルコ人は文化と無縁だ。
・毎年国内で、10万件もの堕胎が行われているのは許しがたい事態だ。
 将来、東方で戦争が起きたときには、4個師団分の兵士が不足することになろう。

このタブロイド紙とは、ドイツで最も有名な「ビルト」紙です。
日本でいえば東スポみたいなもんでしょうが、実際にヒトラーのUFOネタとかやっている新聞。。

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ホテルの食堂ではラインハルトという名の可愛らしい少年がサインをもらおうとやって来ます。
「私も昔、ラインハルトという男を知っていた。
とても勇敢な男だった。たくさんの悪い奴らが君や私に悪さをしようとしても、
ラインハルトのおかげで奴らは何もすることができなかった」。
下巻でもすぐに昔を思い出すヒトラー。
ちなみにハイドなんとか・・という名前は出てこないのがミソですね。
その他、前半だけでもリッベントロップハンフシュテングルハインリヒ・ホフマンの名も・・。

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過激さの増す「ビルト」紙。秘書のクレマイヤー嬢と会社を出たところを隠し撮りされ、
翌日には、「狂気のユーチューブ・ヒトラー 寄り添う謎の女はだれだ?」
なんだかんだと上手くやっていた24歳の現代っ子女性のメアドまで紙面で晒され、
嫌がらせメールに「サイアク・・」と落ち込む彼女をヒトラーは優しく励まします。
そしてトラウデル・ユンゲの代わりを彼女が務めていることに気付くのです。

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若い社員、ザヴァツキくんはやる気満々の上に宣伝の才能もある心強い味方。
総統のホームページをちゃっちゃと作成し、過去のTV出演の映像に、
「最新情報」、「総統に質問!」といったコンテンツの他、「年譜」では、
1945年から<復活>までの空白年月が、<バルバロッサ作戦休止中>と表示されています。
まぁ、洒落っ気のある現代版ゲッベルスのようなイメージですね。

ナチスの継承者を自称する「ドイツ国家民主党(NPD)」に突撃取材を敢行するヒトラー。
ミュンヘンの最初のナチ党本部である「ブラウン・ハウス」の足元にも及ばない、
「カール=アルトゥール・ビューリンク・ハウス」と書かれたオンボロ小屋に吐き気を覚えます。

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暫くして姿を現したのは、むっくり太って苦しげに息をする無気力そうな人物。
「私はホルガー・アプフェル。NPDの党首です。あなたの番組は興味深く拝見していますよ」。
そして党の活動について鋭く質問するヒトラー。
「見たところ、親衛隊には所属していたことはないようだな。
だが、少なくとも、私の本は読んでいるのだろうな?」
不安げな目つきで答える党首。
「いや、あの本は国内での出版が認められていないので、そう簡単には・・」
「いったい何が言いたいのだ? 私の本を読んでいないことに対して謝罪したいのか?
それとも読んで理解できなかったことを謝罪したいのか?」

こんな調子で、ボコボコにされてしまうNPD党首ですが、
調べてみたら、この人、実在の人物なんですねぇ。

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「ビルト」紙との戦いはヒトラー側の完全勝利に終わったころ、
クレマイヤー嬢とザヴァツキくんのただならぬ雰囲気に気が付きます。
「彼のことをソートーは・・・男性としてどんなふうに見てるかなって・・」。
そしてやっぱり昔の若き秘書トラウデルと、従卒のハンス・ユンゲとの結婚を思い出し、
「私の執務室の隣で2つの心が惹かれあうのは、これが初めてではない」。

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ヒトラーが自殺した日、1945年4月30日を第2の誕生日としたかったものの、
年齢と合わないためにしかたなく、1954年4月30日生まれとして住民登録も完了。
会議室に急いでくるように言われても、カフェテリアにラムネ菓子を買いに行くヒトラー。
「ほんとに度胸があるんですね。あなた」
「私のような度胸がなければ、ラインラントに進むことなどできない」
「またまた大げさな。こんなところでのんびりしていて、平気なんですか?」
1941年の冬も、誰もがそう言った」。
総統との会話は、基本的にこんな感じです。。

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「ドイツ国家民主党(NPD)」突撃取材の特番が、「グリメ賞」を獲得したという知らせに
フラッシュライト社は社長以下が総出でお祭り騒ぎになります。
この「グリメ賞」というのはドイツ最高のTV番組に与えられるもののようで、
ヒトラーは急遽、全員の前で受賞の挨拶をすることに・・。

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「私はこの身が神によって使命を授けられたことを強く自覚している。
それはこのフラッシュライト社に自由と名誉を再び取り戻すことだ。
22年前、パリ近郊のコンピエーニュの森で強いられたあの敗戦の恥辱。
それを今、また同じ場所で・・・、失礼、
このベルリンの地において拭い去るのだ。
ドイツの素晴らしき将校として、あるいは兵士として・・・、いや、
ドイツの素晴らしきカメラマンとして、照明係として諸君は犠牲を捧げた。
そしてわれらは勝利した。ジーク・ハイル(勝利万歳)!」



ヒトラー人気もさらに高まって、新しい番組も始まります。
ヒトラーがホストとなり、政治家をゲストに招いた討論番組です。
独ソ戦の大本営ヴォルフスシャンツェにそっくりのセットが作られ、
ドアを開けてくれるようなアシスタントを決めることに・・。

「では、その役は党官房長官のボルマンに決まりだ」
「誰です、それは? 聞いたことがないですな」
「君はヒムラーが毎朝、私の制服にアイロンがけをしていたとでも思っているのか?」
「その名前なら、少なくとも知られていますからね」
「例えば、ゲッベルス、ゲーリング、それからヘスくらいかしら・・」
ヘスはダメですよ。同情されるキャラですから」
ゲッベルスは呼び鈴が鳴っても私のためにドアを開けたりしない」
ゲーリングを出した方が、お客は笑ってくれるんじゃないかな」

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緑の党の元党首、レナーテ・キュナスト女史をゲストに招いた本番では、
机の下になぜかブリーフ・ケースが置いてあり、カチカチと時計の音を立てるという演出付き。
「ところで、シュタウフェンベルクはどこに行ったのだ?」

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こうして復活してから2回目の冬を迎えたころ、ベルリンの裏道を歩いていたヒトラーの前に
2人の男がぬっと立ちはだかります。
「お前がドイツを侮辱するのを、俺たちが黙って見ているとでも思うのか?」
次の瞬間、キラリと光った拳が驚くほどのスピードで飛んで来るのでした・・。

と、新しい小説ですから、こんなところで終わりにしましょう。
個人的にネガティブ・エンディングというか、主人公が死ぬとか、救いのないラストが好きなので、
本書もテーマからして、そうなるのでは?? 1945年4月30日にタイムスリップするのでは??
と想像しながら後半読み進めましたが、まぁ、うまいこと外されましたね。
上下巻で500ページ超えですが、あと数ページとなると、寂しい気持ちにもなりましたし、
ひょっとしたら、続編を想定しているのかも知れません。

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「訳者あとがき」では、ナチス礼賛が禁止、「わが闘争」が発禁されているドイツで、
本書が電子書籍等を含めて、130万部を売り上げるベストセラーとなり、
38か国で翻訳、さらに映画化も決定していると解説。
ヒトラーが首相となった1933年に因み、19.33ユーロだったとか。。

もちろん批判もあり、特にヒトラーが悪者ではなく、人間的魅力のある人物に描かれていること。
著者はこれに対し、「人々は気の狂った男ではなく、魅力的に映った人物を選んだのだ」
と語っているそうです。まぁ、同意見ですね。

Haus Wachenfeld1.jpg

同意見といえば、ヒトラーはこんなことも考えています。
「なぜ電話が、カレンダーにカメラ、その他モロモロの機能を備えていなければならないのか?
なぜわざわざ、こんなに愚かでかつ危険なものをつくりあげたのか?
多くの機能が盛り込まれているおかげで、若者らは画面に見入りながら道路を歩く。
そのせいで、たくさんの事故が起こるに違いない。
劣等民族にはそれを義務化するほうが、むしろ好ましいかも知れない。
そうすれば数日のうちにベルリンの大通りには、車に轢かれたハリネズミのように、
やつらの遺体がゴロゴロと転がっているはずだ」。

そして上巻でも気が付いた登場人物や戦役などに関する(注)が一切ない件についても、
「研究書ではなく小説だから」との理由により、著者が翻訳者に課した制約なんだそうです。
端折りましたが、シュトライヒャーエミール・モーリスハインリッヒ・ミュラーDr.モレル・・
なんて名前も登場しました。

hitler_alive.jpg

う~ん。映画かぁ。。
映画化するにあたって一番心配なのは、主役の俳優さんですね。
ソックリさんというレベルでは本末転倒ですから、ブルーノ・ガンツを越える必要があるでしょう。
コメディだからフルCGという手もあるかもしれませんが・・。子供向けじゃないし。。
また本書の面白さは、ナチス時代と現代との話のかみ合わない小ネタにあるので、
それを万人にわかるように説明するには、第三帝国のエピソードを織り込む必要がありますし、
だとすると、2時間では網羅しきれない気がします。
30分の連続ドラマあたりがちょうど良いと思うんですけどね。





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帰ってきたヒトラー (上) [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ティムール・ヴェルメシュ著の「帰ってきたヒトラー (上)」を読破しました。

去年から海外でも話題になっていた本書を読むのを楽しみにしていましたが、
1月21日に発売されてからすぐではなく、無駄にちょっと我慢してから取り掛かりました。
現在、amazonでは「ア行の著者のベストセラー1位」になっていますね。
ヒトラーが現代に蘇って、コメディアンになる風刺小説・・という程度の情報しかあえて知らずに
256ページのこの上巻を楽しんでみたいと思います。
しかし区内の図書館では「14人待ち」と、これからの方も多いでしょうから、
極力、本質的なことは避けて、独破戦線らしく書いてみましょう。

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第1章は「2011年8月30日-ヒトラー復活」です。
午後のまだ早い時間帯にがらんとした空き地で目覚めたヒトラー。
昨晩の記憶といえば、総統地下壕でエヴァと談笑し、手持ちの古いピストルを見せたことだけ・・。

この小説、ヒトラーの一人称です。そうきたか。。
またこれだけで、ヒトラーが自殺した日から蘇ったということが判る人なら本書はより楽しめます。
ヒトラーの気持ちになって読み進めることができるからです。

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物音がする方を見ると、サッカーで遊んでいるヒトラー・ユーゲントの少年たち。
けばけばしい色のスポーツシャツに母親が縫い付けたと思われる少年の名を読み取ります。
「ロナウド! ヒトラー・ユーゲントのロナウド!通りにはどうすれば出られるのか?」

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大通りをおぼつかない足取りで歩いていると、ベルの音と誰かが怒鳴る声・・。
「ちょっと、おっさん! 気を付けろよ! どこに目ぇつけてんだ!」
そこには自転車とその乗り手がおり、彼が防護用にかぶっているヘルメットは、
表面にたくさんの穴が空いています。
「敵の攻撃を受けてひどく損傷したせいなのだろう。つまり、今はまだ戦時中なのだ」。

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事態を冷静に分析するために「民族の観察者(フェルキッシャー・ベオバハター)」紙か、
「突撃兵(デア・シュテュルマー)」紙、それが無理なら「パンツァーベア」紙でも手に入れようと、
キオスクを訪れます。
求める新聞はないものの、そこにある新聞の日付を見て卒倒するヒトラー。
しかし幸いにもキオスクの男がなかなか親切です。
「『ヒトラー~最期の12日間~』。主役のブルーノ・ガンツははまり役だったな。
でも、あんなの目じゃないね。おたくは全体のたたずまいが・・言っちゃなんだが、
まったく、あれの本人みたいなんだよね」。

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一文無しのヒトラーはこのキオスクで寝泊まりし、「バルバロッサ作戦」から70周年というこの年、
多くの報道が書かれた新聞を読んで、自分が事実上死んだことになっていたり、
帝国の領土が縮小し、本来存在すべきでないポーランドですら、
そもそもドイツ領土だった場所までドサクサにまぎれて持ち去ったことを理解して激昂。。
しかし彼に言わせれば、「それでは、亡くなった総統の遺体はどこだ? 見せてみろ!」。

こうして、運命が彼を過去から呼び寄せたということであれば、一見平穏であるこのドイツが、
そのじつ、かつてより深刻な状況にあるのでは・・・? と解釈した彼は、
総統として再び立ち上がることを闇夜に誓うのでした。

electing-hitler.jpg

数日後、テレビプロダクションの男2人がキオスクにやって来てヒトラーに面会。
もちろん彼らは噂に聞いた「そっくりさんの芸」を見てみようと思って来たものの、
内外の政治家や将軍連中もギャフンといわせてきた総統の話術と、その迫力に
思わずコーヒーを噴きだすほど。。

Hitler_Mannerheim.jpg

用意されたホテルでは1936年当時とは形も変わったテレビに驚き、
その内容の低俗さにも毒を吐き続けます。
しかも番組はたびたび唐突に打ち切られ、お得な保養旅行ができるだのの広告宣伝が・・。
どの店の名前も「www」という3文字で始まるのは、同じ親会社に属しており、
ロベルト・ライの「KdF(歓喜力行団)」の偽名なのかも・・と期待するのでした。

Robert Ley and Ferdinand Porsche Hitler.jpg

素晴らしい乗り心地の迎えの車。運転手曰く「メルセデスですよ。お客さん」。
「私も以前カブリオレを持っていた。運転手のケンプカは文句ひとつ言わなかった・・」と
郷愁が波のように襲います。

Hitler_in_car_Erich Kempka.jpg

本書ではこのケンプカやライのように、ヒトラーは昔の人物をたびたび思い出します。
ここまでなら、フンク、ルスト、デーニッツシュペーアゲーリングパウルスシュタイナー
基本的には彼らに対する悪口ですが、本書には(注)が一切ありません。
ヒトラーが語る最低限の説明しかない彼らを読者は知らなくても実害はないでしょうが、
第三帝国とドイツ軍に詳しい方が読めば、その面白さは倍増しますね。

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プロダクションとの契約にこぎつけると、社会保険や銀行関連の書類作成に一悶着。
「アドルフ・ヒトラー」では絶対に書類が法務部を通りません。
パスポートか銀行通帳を・・という問い合わせにも嫌気がさし、
「そんなことはボルマンに聞いてくれ」。

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大手プロダクションのフラッシュライト社に小さな仕事部屋を与えられ、
パートタイムの若い女性秘書も。
ヴェラ・クレマイヤーという名の彼女は、握手をして言います。
「やだほんと。ウソみたい。やっぱりそれって、<メソッド演技法>なんですか?
ほら、デ・ニーロとかパチーノみたいな。役に100%なりきるやつ・・」。

AH.jpg

そんな現代っ子の秘書にも臆さないヒトラー。
「まず第一に、私は総統だ。だから「わが総統(Mein Führer)」と呼んでもらいたい。
それから部屋に入るときは右手を高く上げて、ドイツ式敬礼で挨拶をしてほしい」。
顔がパッと明るくなったクレマイヤー嬢。
「知ってます、それ! ほら、あれでしょ? ちょっと今、やってみせます?
おはようございまーす!わがソートー!」

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そして机に置かれたパソコンと、マウスという装置の素晴らしさに驚愕します。
<インターネッツ>は閉館時間のない巨大な図書館であり、
「あの当時にこんなものがあったなら!」
お気に入りは、ゲルマン風の名前の付いた「ウィキペディア(Wikipedia)」です。
すこし考えればこれが「エンサイクロペディア(百科事典)」と、
古代ゲルマン人の「ヴァイキング(Wiking)」を掛け合わせた造語であるのは、一目瞭然。。

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Eメールアドレスの登録ではクレマイヤー嬢とドタバタが続きます。
自分の名前にしたいという総統に対して、「あなたの名前は禁止されていますよ。わがソートー」。
あーだこーだの末、結局、「新総統官邸(Neue Reichskanzlei)」で落ち着くのでした。

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研究熱心なヒトラーは空白であった戦後ドイツの歴史を<インターネッツ>で学びます。
「中途半端な自称「ドイツ再統一」を成し遂げたという首相は、
16年という長きにわたってこの国を統治。
16年といえば自分よりも4年も長い期間であり、ゲーリングの如くでっぷりと太ったその姿・・。
宿敵フランスは知らぬ間に、ドイツにとって最大の盟友に成り上がり、
EU連合はそのじつ、小学生が作るギャング団と同じほど幼稚な集団に過ぎない」。

Helmut Kohl  Brandenburger Tor.jpg

「一方、東欧諸国でも負けず劣らずの愚行が繰り広げられてきたものの、西側との相違点は、
揉め事が起これば、ボルシェヴィキのソ連が涎を垂らして乗り込んでくる・・。
また、米国に引き抜かれた腰抜けで怪しげな日和見主義者のSS少佐フォン・ブラウンは、
「V2ロケット」の知識を最高入札者に高い値段で売りつけた・・」と辛辣ですねぇ。

Dr. von Braun.jpg

それよりも彼にとって衝撃的なのが、ドイツ政治の現状です。
「なにしろ国の頂点に立つのが、女。
それも、陰気くさいオーラを自信満々に放っている不恰好な女だ。
東独育ちのこの女は、つまりは36年もボルシェヴィキの亡霊と共にあったというのに・・」。

Merkel  Putin.jpg

遂にTV出演のときがやって来ました。
低俗なお笑い番組で持ち時間5分、「トルコ人問題」などについての演説を冷静に・・。
しかし、100人の観客は微妙な反応です。
翌日は新聞に少しだけ記事になっていますが、
「昔も、最初は底辺の底辺、聴衆は20人足らずだった。その時のことを思えば・・」と、
振り返るヒトラー。
ドイツ再建のために切実に演説したい彼ですが、周りは全員ジョークだと思っているのです。

The earliest picture of the Führer at the begining of his power.jpg

そんなとき突然、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」が鳴り響きます。
秘書のクレマイヤー嬢が設定してくれた携帯電話の着信音なのです。
「こちらヒトラー! こちら総統大本営!」。
電話の要件は昨日のTV出演が「YouTube」にアップされ、アクセス数70万回と爆発中とのこと。
プロダクションは、この人気に大急ぎでヒトラーの突撃取材コーナーなど製作し始めます。
カメラマンを携えて、街行くご婦人方にインタビュー取材するヒトラー。
そして彼女たちの反応は・・。

hitler Mobiltelefon.jpg

いや~、コレは予想以上に面白い。
この256ページの上巻を3時間ほどで一気読みしました。
おそらく1時間42分ほどはニヤケ顔だったでしょう。
実在した、或いはする登場人物についての余計な注釈がないのでサクサクいけますし、
さすがにこんな小説を書くだけあって、著者のヒトラーと第三帝国に関する知識は、
なかなかのものだと思いました。
少なくとも、「それはないだろ・・」というヒトラーの発言はありませんし、
プロダクションの若手社員であるザヴァツキくんとの食事の席でベジタリアンを語る際、
「ライオンは2,3㌔、時間にしたら20分そこらで、もうぐったり疲れ果ててしまう・・」
なんて話は、「ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944〈上〉」からの抜粋だったりします。

これくらいボリュームなら上下巻にする必要は無いんじゃないでしょうか。
帯には「映画化決定!!」とありますが、大丈夫かな?? こういう話はすぐ立ち消えになるし・・。
本当はこんなレビューを書いているヒマがあったら、サッサと下巻を読みたいところですが、
そこはグッと堪えて、楽しみを取っておきます。





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第三帝国と音楽 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

明石 政紀 著の「第三帝国と音楽」を読破しました。

ヒトラーと退廃芸術」、「パリとヒトラーと私」といった第三帝国の美術品、
ミッキー・マウス ディズニーとドイツ」、「映画大臣」といった第三帝国の映画産業について
これまで読んできましたが、もうひとつあるジャンルが第三帝国の音楽です。
「第三帝国のオーケストラ―ベルリン・フィルとナチスの影」や、
「モーツァルトとナチス: 第三帝国による芸術の歪曲」を今までチェックしていましたが、
1995年に出た213ページの本書があることを知ったので、一発目に選んでみました。
タイトルもシンプルだし、表紙を飾る有名なポスターも惹かれた要因ですね。

第三帝国と音楽.jpg

1920年代、ワイマール共和国時代の経済不況によって、
ドイツの音楽家たちの職は脅かされています。
さらにトーキー映画の出現で、それまでサイレント映画の伴奏をしていた音楽家たちは
大量にクビになり、ベルリンの映画館では1928年に200人いた音楽家が、
2年後には50人が残されただけ・・。
レコードの生産量も激減し、消費者の財布の紐も固いのです。

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そして1933年にヒトラーが政権を奪取すると、ナチ党の組織である
「ドイツ文化闘争同盟」が反リベラリズム、反ユダヤ、反モダニズムを掲げて、
忘却の彼方に追いやられていた後期ロマン派のドイツ人作曲家のオペラを歌劇場で
上演するよう推奨したりと、新体制に相応しい「ドイツ的レパートリー」を熱心にアピール。
この「ドイツ文化闘争同盟」を牛耳っているのは、やっぱりローゼンベルクです。

またベルリン音楽大学の幾人もの教師は「我慢ならぬユダヤ人のため」、
「いけ好かない性格のため」といった理由で退陣を求められ、
やがて官僚機構と公立音楽界は人種的にも、思想的にも「きれい」になっていくのです。

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党内では融通の利かないイデオローグであるローゼンベルクから、
ベルリンの大管区指導者であり、国民啓蒙・宣伝省の大臣となったゲッベルス
文化界の指導者として実権を握り始めます。
「全国文化院」が創設され、自らその総裁となったゲッベルス。

映画大臣」で触れられていた全国映画院(帝国映画院)の他、全国著述院、全国新聞院、
全国放送院、全国美術院、全国劇場院、全国音楽院の7つの専門院から成り、
「全国音楽院」配下の組織も詳しく、例えば音楽家組織にコンサート局、
ドイツ男声合唱団連盟など、第三帝国の音楽が一元管理されているのがわかります。

そして現存ドイツ人作曲家のなかで最も高名な人物である
リヒャルト・シュトラウスを音楽院総裁に任命。

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「伝統的無関心派」のシュトラウスはナチスを見下していたものの、
指導者原理を気に入ってそれなりに順応しますが、
第三帝国に対する「放言」が見つかって、総裁職を下ろされてしまうのでした。
ふ~ん。シュトラウスについては「第三帝国のR.シュトラウス―音楽家の“喜劇的”闘争」
という本が出ているようですね。



副総裁の同じく最も高名な指揮者、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ゲッベルスと衝突を繰り返して、副総裁を下りてしまいます。
しかし2年も経つと、彼らの威光に頼らなくてもよいほどに確固たる組織になるのでした。

Magda Goebbels Wilhelm Furtwangler Joseph Goebbels Zitla Furtwangler.jpg

総裁顧問会というのもあって、ここには「ライプシュタンダルテ」の上級軍楽隊長、
ヘルマン・ミュラー=ヨーンの名前もありました。
ここら辺は、もうちょっと詳しく知りたいところですね。

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ゲッベルスはそれまで不当な扱いを受けて、賃金が支払われなかったような
自由市場の音楽家たちに、相応しい賃金レートを制定し、
景気の回復によって、音楽家の失業率も回復。
財政難に陥っていた劇場やオーケストラにも救済策が講じられます。
その反面、彼らは「自由」を奪われ、1934年には外国語、または外国語風の芸名や、
アンサンブル名を名乗ることは禁止され、名前の「国粋化」が・・。
偉大なドイツ巨匠の作品の一部をメドレーにしたり、パロったりすることは
尊厳を損ねる不遜な行為として取り締まられ、
1938年になると「非アーリア人」のレコードが公式に発売禁止になりますが、
ポーランドの国民的作曲家であるショパンのピアノ曲だけは例外です。。

The Berlin Philharmonic Orchestra and the Third Reich.jpg

「ニーベルンゲン行進曲」は党大会のときに限って演奏が許可され、
ヒトラーのお気に入りのマーチである「バーデンヴァイラー行進曲」は
ヒトラー臨席時以外は演奏しないよう通達されます。
このヒトラーのテーマでもあるかのような「バーデンヴァイラー行進曲」。
第1次大戦でバイエルン近衛歩兵連隊が勝利したことを讃えた曲だそうで、
どんな曲なのか、聞いてみました。目覚ましにモッテコイだなこりゃ。



ヒトラーが崇拝した作曲家はワーグナーだけではなく、
総統と同じ、オーストリアの田舎者である、アントン・ブルックナーも。
その交響曲はナチスの巨大趣味と合致し、舞台装置としても徴用したそうです。

Anton Bruckner_hitler.jpg

ヒトラー政権以前からドイツではたくさんの音楽祭が開かれていますが、
1938年、ナチ党は新たに「全国音楽祭」をデュッセルドルフで華々しく開催します。

Reichsmusiktage 1939.jpg

ゲッベルスの肝いりで「ドイツ音楽のオリンピック」などと大々的に宣伝された
この1週間続く音楽祭は30もの催し物に、ヒトラー・ユーゲント歓喜力行団
陸空の軍楽隊、労働奉仕団と大管区の音楽隊といったあらゆる楽団が参加。
クライマックスはベルリン・フィルによる「第九」です。

The Musikkorps of the elite General Göring Regiment.jpg

ゲッベルスが生まれ故郷に近いこのデュッセルドルフを「新ドイツの音楽の都」にしようと
奮闘したのに対して、ヒトラーは1年前の「大ドイツ芸術展」のような興味を寄せません。
総統にはワーグナーのバイロイト音楽祭さえあれば、それ以上は必要ないのです。
そして「大ドイツ芸術展」の時に「退廃芸術展」を開催したのと同様、
ここでも「退廃音楽展」を開催します。
展覧会の主導者である古参党員のツィーグラー曰く、
「魔女のどんちゃん騒ぎと精神的・芸術的文化ボルシェヴィズムのいかがわしい姿であり、
下等人間、傲慢なユダヤ的厚顔無恥、完全な精神的痴呆が晒される」。

Entartete Musik 1938 Düsseldorf.jpg

しかし、音楽を展示するのは困難で、結局は下等人間たちのポートレートや楽譜、
オペラの舞台写真などが展示されたのみであり、
ゲッベルスも乗り気ではなく、予定よりも2週間も早く打ち切りになるのでした。
この「退廃音楽展」のパンフレットが、本書の表紙になっています。
これは1926年の黒人主人公の歌劇「ジョニーは弾き始める」をカリカチュア化したもので、
襟の折り返しにはカーネーションではなく、「ダビデの星」が飾られています。

Jonny spielt auf.jpg

1931年に発足し、ブルックナーの交響曲を目前で披露した楽団に対して、
「総統のオーケストラ」を名乗ることを認可したヒトラー。
「ナチ全国交響楽団」と命名されて、副総裁のヘスが理事長に就任し、
総勢86名が総統案出の褐色のタキシードを着て、ドイツ各地で演奏します。

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このように第三帝国では保守的なクラシック音楽が重要な位置を占めていますが、
実際は他の国と同じく、民衆は軽いポピュラー音楽を望んでおり、
そのことを充分に理解していたゲッベルスは、娯楽映画と同様に
「気晴らし供給」をラジオを通じて実施します。
1939年には「国民受信機」の聴取者は1100万人にまで激増し、
大事なニュースや報道番組に耳を傾かせるために、
人気のあるポビュラー音楽を流すことで人々を引きつけるのです。

Kinder hören Radio.jpg

とはいっても、なんでもかんでも流してよいわけではありません。
特に「ジョニーは弾き始める」がそうだったように、ナチスの目に映った「ジャズ」とは、
「ニグロ起源の音楽であり、それを流布しているのはユダヤ人であり、
人種的汚辱で、非芸術的な下半身音楽であり、音楽の姿を借りた文化ペストであり、
音楽大国であるドイツの文化的音楽を汚し、あらゆる形で破壊しようと目論んでいる」のです。

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もちろんジャズに敵対していたのはナチスだけでなく、ヨーロッパ各国の保守層も同じこと。
若者たちをたぶらかす、新大陸からの侵入物に激しく反発し、
シュトラウス大先生に言わせれば「ジャズなぞ、人食人種の音楽」。
まぁ、プレスリーの下半身の動きが前髪クネ男的でテレビ番組でNGだったり、
ビートルズのマッシュルーム・カットやエレキ・ギターが不良への道だったり、
セックス・ピストルズが・・、と、古今東西変わらない若者と老人の対立ですね。

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しかし問題なのは1932年にパーペン保守政権が「黒人音楽家の就労禁止令」を出したように、
ルイ・アームストロングに代表されるような「ニグロ・ジャズ」がマズイのであって、
ジャズの担い手にも白人が現れ、管弦楽団のごとき統制のとれたビッグ・バンドが登場すると、
「一線を越えない限り」ジャズ音楽を容認するようになり、
1936年のベルリン・オリンピックでは外国人観光客のために、バンド・リーダーたちに
「米国の曲の楽譜を揃えておくよう」促すほどです。

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ただし、「ニグロ・ジャズ」だけではなく、ユダヤ系音楽家は全面的に禁止ですから、
「典型的なスウィング・ユダヤ人」との烙印を押されたベニー・グッドマンのレコードは、
1937年には発売禁止となるのです。

ベニー・グッドマンといえば、「シング・シング・シング」が有名ですが、
林家こぶ平の「二木ゴルフ」のCMでもお馴染みですね。 「ヘイ、二木!」ってやつです。
それだけじゃあアレなので、「ベニイ・グッドマン物語」からご紹介します。
見どころはジーン・クルーパのドラムですよ。



対米戦が始まる1940年まではディズニーなど、米国映画も上映されていたドイツ。
ハリウッドのミュージカル映画も高い人気を誇り、
「踊るニュウ・ヨーク」の挿入歌は空前の大ヒット。
この当時のドイツの映画館では週間ニュースで怒号するヒトラーと、
ミュージカル映画で華麗に踊るフレッド・アステアが共存する世界だったのです。

broadway-melody-of-1940 poster.jpg

そんな奇妙な関係も1942年以降は、「敵性音楽」となって、英米のレコードが発売禁止に・・。
しかし禁止になったのはドイツ国内だけであり、周辺諸国からの外貨獲得のために
英米ジャズのレコードは生産され続けます。
こっそりと米ジャズを演奏する場合にはドイツ語の偽装タイトルが使われ、
「セント・ルイス・ブルース」なら、「ザンクト・ルートヴィヒ・ゼレナーデ」といった具合。。

ジャズ好きのドイツ兵は占領国でしっかりとレコードを買い集め、
聞くことを禁止されていた英BBCラジオから流れるダンス・ミュージックに歓心を寄せるのは、
ルフトヴァッフェの誇る大エース、ガーランドマルセイユです。
ついでにグレン・ミラーのファンだったのはメルダースだそうな・・。
そういうことなら、V1飛行爆弾にも負けない「イン・ザ・ムード」を「グレン・ミラー物語」から。



ティーンエイジャーたちはヒトラー・ユーゲントや歓喜力行団が主催する
フォークダンス大会で人生を楽しみますが、
ハンブルクをはじめとして、スウィング・ジャズで熱狂的に踊る若者の姿もあります。
「スウィング・ユーゲント」と呼ばれたこの若者たちは、
服装にも金をかけることもできたブルジョワ家庭の子どもであり、
英米かぶれで、16歳にもなって強制的に半ズボンを履かされることに抵抗し、
英国紳士を範にとって、仕立の良いジャケットに、ネクタイ、コート、
そして中折れ帽で街を闊歩し、ヒトラー・ユーゲントとの喧嘩に発展することも・・。

Swing-Jugend.jpg

このような不良少年の羽目を外した行動に怒りを表すのは、ヒムラーです。
「スウィング・ユーゲントをまず殴打し、最も厳しい形で教練し、労働させる」と
ハイドリヒに書き送り、ふしだらな音楽で踊り狂って秩序を乱す若者たちは
国防教練キャンプに送り込まれて根性を叩き直され、
徴兵年齢に達していた場合には戦線送り。
最悪の場合にはラーヴェンスブリュック強制収容所が待っています。
このスウィング・ユーゲントはなにかの本で読んで記憶がありますが、
1993年に「スウィング・キッズ」という映画になっていたようです。ただ評判はイマイチ。。
「スウィングガールズ」っていう邦画もありましたっけ。

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最後は、その強制収容所の音楽です。
SS隊員たちは囚人楽団のバラックに足しげく通って、好みの曲を演奏させ、
「アウシュヴィッツ少女楽団」の演奏するシューマンの「トロイメライ」に、
「ベルゼンの野獣」と呼ばれたヨーゼフ・クラーマーは涙を流します。

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音楽家だったユダヤ人たちはほとんどが収容所送りとなっていますから、
どこの収容所でも楽団があったんですね。

Mauthausen Camp, 1943, prisoners being led to their execution accompanied by the camp orchestra.jpg

通過収容所の役目を果たしていたテレージエンシュタットでは
外部へのプロパガンダのためにオペラの公演も行われて、
ヒトラーの好きなモーツァルトの「フィガロの結婚」や、「魔笛」も演奏されます。
さらにはジャズ・バンドまで。
その名も「ゲットー・スウィンガーズ」です。

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その他、日本人著者ということもあって、ハンス・フランクが統治するポーランドの
総督管区立劇場シンフォニーの客演指揮者として、近衛秀麿が招かれ、
フランクが昼食会でもてなした・・なんていう話出てきました。

第三帝国と音楽というと、どうしてもワーグナーやベルリン・フィルなど、
クラシック音楽を連想しますし、実際、出版されている本もそのようなテーマが中心です。
しかし本書は213ページというボリュームにもかかわらず、クラシックだけでなく、
ジャズにポビュラー音楽、強制収容所での演奏と、幅広く触れられていて、
このテーマを知るための入門書としては最適だったどころか、
改めてよく考えてみると、このテーマに興味のある方なら必読の、素晴らしい一冊です。

















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卍とハーケンクロイツ -卍に隠された十字架と聖徳の光- [ナチ/ヒトラー]

ど~も。おととい初めて「ナウシカ」を観たヴィトゲンシュタインです。

中垣 顕實 著の「卍とハーケンクロイツ」を読破しました。

先日、神保町の三省堂で「スターリンの将軍 ジューコフ」でも軽く立ち読みしてみようか・・と
フラフラしてたところ、おすすめ本コーナーのような場所で本書を見つけました。
今年の6月に出た230ページの一冊ですが、ズバリなタイトルと表紙に惹かれました。
以前から気になっていたテーマでもありますし、いつになく楽しみです。

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初めて「卍」を意識したのは、小さい頃にTVで見ていた「仮面の忍者 赤影」の「卍党」です。
いわゆる悪の組織でショッカーみたいなモンですが、とても印象的でした。
小学校低学年でナチスも知らない時ですから、この「卍」に特別なインパクトがあったんでしょう。
しかし、「卍党」って書くと、「ナチ党」の略語みたいですね。

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「序章」では本書がニューヨーク神学校での伝道学博士論文がベースであり、
2012年、著者の住むブルックリンのアジア系宝石店で「卍」のイヤリングを売っていたことが
新聞沙汰となり、店主は「卍」はチベットの幸運のシンボルだと説明したものの、
「一般人には、卐(スワスティカ)は憎悪のシンボルである」と政治家までもが介入。
英語では「卍」も、「卐」(逆まんじ)もスワスティカと呼びますが、
西欧社会ではとにかく「邪悪なシンボル」であることを解説します。

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そして第1章は「日本・仏教における(卍)」です。
地図にはお寺のマークに「卍」が使われ、浅草寺には屋根や焼香台、
灯篭などにも「卍」が見られ、海外からの観光客も違和感を覚えています。
本文には白黒写真も掲載されていますが、巻頭には7ページほどのカラー写真があり、
本文とリンクしていてわかりやすいですね。
神社は「鳥居」のマークで表されますが、近所の根津神社は「卍」が多く使われているそうなので、
カメラを持って行ってきました。

Nezu Shrine.jpg

ははぁ、気が付かなかったなぁ。「卍」だらけです。

Nezu Shrine2.jpg

その他、お土産グッズやら、家紋やらと「卍」は生活の中に浸透し、
アントニオ猪木の「卍固め」も紹介。あ~、そうか、それもありましたか。
プロレス好きでしたから良く友達と掛けたり、掛けられたりしたもんです。
ミル・マスカラスの大ファンだったので基本、全日を見たり、観に行ったりしてましたが、
後楽園ホールで開催された新日のファン感謝祭にも行きましたね。。
藤波 辰巳がまだ、ジュニアヘビー級チャンピオンだった頃のことです。

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1999年には日本のみで発売されていたポケモン・カードに「卍」があり、
それが海外へ流出したことで大きな論争に発展。
任天堂は謝罪しますが、相手はアジアでも「卍」を使うなという論調・・。
世界はユダヤ人のためにあるわけでないと、著者は語っていますし、
任天堂、謝んなよ!と、思わず心の中で叫ぶほどムカつく話ですね。
ヒトラーもハーケンクロイツもまだ出てこないのに、コリャなかなか楽しい。

pokemon-swastika.jpg

そもそも本来の「卍」の意味はというと、
大吉、幸運といっためでたい兆しである「吉祥」と、
いろいろな功徳があるという意味の「万徳」。
「卍」は幸せのエキスが詰まったシンボルであるのです。
そしてサンスクリット語の吉祥・万徳を意味するスワスティカという言葉に由来し、
インド・ヒンズー教のヴィシュヌ神と関係が深く、仏教伝来とともに日本に伝わります。
仏の胸には「卍」があり、平安時代に作られた阿弥陀如来像にも「卐」が・・。

阿弥陀如来 卍.jpg

また、仏教のスワスティカは経典によると右回転「卐」とあるそうですが、
現在では左回転「卍」がスタンダード。
その理由は、影響力のあった中国仏教が639年に左回転「卍」を正式な漢字とし、
それ以降、すべての仏教に定着したとしています。

swastika.jpg

第2章では「世界中にあるスワスティカ」としてその起源にも触れます。
スワスティカはもともと太陽を現すシンボルと考えられ、
「卐」はインダス文明の頃にまで遡り、3000年もの聖なる歴史があるということですが、
面白かったのは西洋文化、特にユダヤ教の古代シナゴーグ遺跡からも発見されており、
ダビデの星」がユダヤ教の聖なるシンボルならば、
その横にあった「スワスティカ」も同様と考えるべき・・という話ですね。皮肉だなぁ。。

Swastika on Ein Gedi synagogue mosaic floor. Discovered 1965.jpg

アメリカ・インディアンもスワスティカを使用していました。
その意味は部族によって異なるようですが、治療・癒しの聖なるシンボルなど・・。
やがて白人開拓者にも広がって、カウボーイのピストル革ケースや、
乗馬の鞍などに、四葉のクローバーとともに幸運のデザインとして使われます。

Indian swastika.jpg

こうして1930年までは米国大衆文化にも浸透したスワスティカ。
1925年にはコカコーラのデザインにもなります。

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絵葉書も星条旗とスワスティカの組み合わせ。
まるでルーズヴェルトとヒトラーが手を結んだプロパガンダ絵葉書みたい・・。

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第3章は「ホロコースト」です。
著者はヨーロッパのユダヤ人とホロコーストを知るために、
トレブリンカアウシュヴィッツザクセンハウゼンの3つ強制収容所を巡り、
博物館となっているアンネ・フランクの家、同じくオスカー・シンドラーの工場も訪問。
ワルシャワでは長老ラビとも会談します。

こうして第4章は「ハーケンクロイツとスワスティカ」の関係へ・・。
ヒトラーの「わが闘争」のドイツ語版、英語版、日本語版から重要な部分を抜粋します。
ドイツ語版で「ハーケンクロイツ」と書いていたものが、「スワスティカ」に英訳され、
日本語版では「鉤十字」と翻訳されていることに注意を払い、
ヒトラーがインド起源のスワスティカという言葉を知っていながら、
あえて「先端の曲がった十字架」という意味で知られていたハーケンクロイツを使ったとします。

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すなわちキリスト教における十字架の一種が「ハーケンクロイツ」であり、
ヒトラーが制定したドイツ十字章(Deutsches Kreuz)のデザインも
ハーケンクロイツだということは「卐」が十字架である証拠としています。

それは複数の英語版を比較して、より詳しくなります。
1933年の初期の英語版ではスワスティカではなく、「Hooked Cross」が使われていて、
1939年以降の版からスワスティカに切り替わります。
著者はこれをドイツ軍が十字架を持って戦っていることを意図的に
英米が国民から隠そうとしたと推測します。
ナチス国旗は東洋の怪しいシンボルであるスワスティカであり、
英米は真の十字軍である・・といった図式ですね。
こうして「卐」スワスティカは、ホロコーストの代名詞となっていくのでした。

Leibstandarte SS Adolf Hitler.jpg

第5章「ヒトラーの隠された十字架」では、「卐」のデザインが採用された経緯を検証。
歯科医フリードリヒ・クローンが提出したデザインをヒトラーが手直ししたのが
「ハーケンクロイツ」だというのはわりと知られた話ですが、
本書ではこのクローンがトゥーレ協会の会員であったことから
同協会のシンボルの丸みを帯びた「鉤の十字架」であっただろうと推察。

Thulela.jpg

ヒトラーユーゲントが人文字で描いているのは丸みを帯びたデザインですね。
これは「sonnenrad」という名前で、回転する太陽を現すようで、
第5SS装甲師団「ヴィーキング」もコレだったなぁ。

Hitler youth honor an unknown soldier by forming a swastika symbol on Aug. 27, 1933.jpg

ナチ党婦人部のピンバッジでは、前に紹介したのとはちょっと違う
こんなデザインも見つけました。

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ヒトラーによって今の形となり、赤を基調にした配色も完成。

Hitler_Hakenkreuz.jpg

オフィシャル・デザインの人文字も作ります。

Die Hakenkreuz und der Krieg und Frieden zeigen.jpg

基本的には「卐」に45度の角度をつけたものが正式なナチ党のシンボルですが、
本書でも触れられているとおり、角度の付いていないものも存在します。
特に連隊旗はそうですね。
党大会の会場であるツェッペリンフェルトにも角度なしが据えつけられていますが、
角度ありと無しの区別は不明です。
ただ、角度のある方が革命運動が回転しているように感じるのも確かです。

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でも、もともとのトゥーレ協会の鉤の十字架が角度がついていますし、
十字架は必ずしも「十」形ではなく、
スコットランドのセント・アンドリュース・クロスのように「X」形も存在します。
X十字による磔刑」というヤツですね。

さらに1873年、ドイツ人のシュリーマンが古代トロイ遺跡を発掘し、
そこで多くのスワスティカのモチーフを発見したことで、
インド・ヨーロッパのシンボルとして国際的な注目を浴び、
20世紀初頭に欧米で幸運のシンボルとして大衆化したということです。
本書に掲載されているものでありませんが、
1920年のヒトラー・スケッチと呼ばれているものもあったりして・・。

skizze_hitler_hakenkreuz 1920.jpg

第6章では「アーリア人卓越民族思想」について詳しく書かれ、
第7章ではキリスト教の歴史における「反ユダヤ主義」、
そして新たに「ハーケンクロイツ(鉤の十字架)」を掲げたヒトラーの聖戦へと進みます。
主にマルティン・ルターの書いた「ユダヤ人と彼らの嘘について」から抜粋し、
「ユダヤ人は毒蛇の子、サタンの子どもである」という強烈な反ユダヤ主義を紹介。
ヒトラーが受けた影響にも言及します。

martin luther_hitler.jpg

また、十字架そのものがユダヤ人にとっては否定的な、反ユダヤ主義のシンボルであり、
それはキリストを十字架にかけた責任がユダヤ人の罪である・・という歴史にも触れ、
改めてハーケンクロイツは、新たなドイツ人キリスト教のシンボルだとしています。

巻頭ではフィンランド空軍のスワスティカ・マークの他にも、
ハーケンクロイツが図柄のクリスマス切手がカラーで掲載されていましたが、
「DNSAP」っ誤字ってんじゃないの?? と調べてみたら、デンマークのナチ党でした。
ドイツ語の「NSDAP:Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei」じゃなく、
「Danmarks Nationalsocialistiske Arbejderparti」。略して「DNSAP」です。

Danish Nazi Party_dnaps-1938_swastika above candle.jpg

このように「卍(まんじ)」、「卐」も、神聖なシンボルとして3000年も敬われ、
ヒトラー政権が起こした、たった12年間の行動には責任がなく、
スワスティカも被害者なのだと締め括ります。
そして大量殺戮とは正反対の平和のシンボルのはずなのに、
いまだにそれを認めない西欧の世界。
一方的な西欧中心の世界観と価値観を、他国に押し付けることに苦言を呈します。

manji 1983.jpg

ニューヨーク仏教連盟前会長、浄土真宗の僧侶の研究書・・と書くと、
仏教徒である日本人でも難しそうな内容に感じますが、そんなことはありませんでした。
個人的には宗教は全般的に疎い人間ですが、仏教の起源やその伝来、
ユダヤ教とキリスト教についても勉強になりましたし、
卍(まんじ)と、卐(ハーケンクロイツ)、そしてスワスティカが頭の中で整理できました。

もちろんハーケンクロイツが、「新たなドイツ人キリスト教のシンボル」というのは
仮説なわけですが、ヒトラーが1920年代から教会とは巧くやっていたことを思い出しても
悪くない仮説だと思います。
ヘインリッヒ・ヒンムレルなんて誰だかわからない人も出てきますが、
これくらいは許容範囲でしょう。(Heinrich Himmler)とも書かれてますしね。
宗教を中心としてワールドワイドな観点から見た著者ならではの、
他に類を見ない優れた一冊ではないでしょうか。







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