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203の勝利 -リッペルト大尉空戦記- [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヘルムート・リッペルト著の「203の勝利」を読破しました。

ルフトヴァッフェ「15番目の男」・・。あのクルピンスキーをも凌ぐ203機撃墜、
柏葉騎士十字章のエースパイロットの戦いの記録です。
と、言いつつ、実は良く知らなかったリッペルト大尉は、
他ではリップフェルト「Lipfert」と書かれていたりと、まぁ、あまり有名ではないようです。
本書の原題は「リッペルト大尉の日記」。訳者と編集部により、この邦題となったそうで、
フジ出版らしい、なかなか格好良いタイトルですね。

203の勝利.JPG

序文を書く「原書編集責任者」は、ヴェルナー・ジルビッヒで、これには聞き覚えが・・。
と、本棚を見るとやはり「ドイツ空軍の終焉」の著者でした。
最近ルフトヴァッフェに力を入れているのは、あの本を読んだからですが、
「ここにも出てきたか・・」と勉強のほどを見張られている気がします。
このジルビッヒによると、ソ連のパイロットは決して2流ではなく、
なかでもトップのイワン・コシェダフ少将は62機のドイツ機を落としているということです。

1942年11月、パイロットの卵たちに所属先が発表されるシーンから始まります。
最年長26歳のリッペルト少尉の配属先は、かの東部戦線で活躍する第52戦闘航空団。
エース・パイロットがひしめくその名の知れた航空団/JG52です。
新鋭戦闘機Me109-G2に搭乗し、向かうは危機に瀕するスターリングラード西南80㌔の基地。
早速、哨戒飛行に出るものの、火災のトラブルに遭い、なんとか不時着。
それも束の間、褐色の軍服に聞きなれない言葉を発する兵士たちが向かってきます。
しかし、彼らは盟友ルーマニア兵であり、連れて行かれた基地の指令シュタインホフ大尉からは
「君はまったく武運が強い」とお言葉を頂戴します。

helmut_lipfert.jpg

翌年1月に初の撃墜を経験し、9機撃墜して一級鉄十字章をまず目指します。
ソ連の「ラグ」や「ヤク」といった戦闘機を相手に戦果を重ねますが、
その描写は非常に真に迫っていて、背後に食い付いても、「ここぞ」という
タイミングで急旋回で逃げられ、急降下と旋回を繰り返しながら
やっと仕留める・・といった具合です。
昔、プレステで良くやった「エースコンバット2」を思い出し、読んでいて力も入ります。。。

このような空戦で印象的だったのが「Il-2」(イリューシン)地上攻撃機との対戦です。
この「Il-2」は頑丈な機体で、後部射手も乗るというかなり手強い相手で
他の戦闘機のように後ろに張り付いて、機銃で撃墜できるといった代物ではありません。

ilyushin_Il-2.jpg

クリミア半島では気象観測として頻繁に出動。通常、「ロッテ」という2機編隊で飛行し、
列機は編隊長の後ろ斜め上にポジションを置きます。
そしてソ連にも同じ手合いがおり、この気象観測ロッテ同士が顔を合わせたとき
編隊長同士による腕試しの格闘戦が始まります。
この格闘戦に邪魔が入らぬよう、お互いの列機は威嚇し合いながら、
上空で編隊長同士のバトルを観戦しますが大概は決着は付かず、
燃料制限の45分間を戦い終え、汗びっしょりとなって基地に帰るのでした。

The War Diary of Hauptmann Helmut Lipfert.jpg

直属の上官である、連隊長のバルクホルン少佐から特別任務も与えられます。
ソ連の高官がクリミア橋頭堡を視察に訪れるという情報を元に
「ケルチ上空でコレを確実に撃墜せよ」というものです。
すでに70機を超えるスコアをマークしているリッペルトは、敵護衛戦闘機を突破し、
見事、ソ連の高官を乗せたボストン双発機の撃墜にも成功します。
しつこいようですが、「エースコンバット」のミッションのようですねぇ。

Gerhard Barkhorn.jpg

またしてもロッテ同士で鉢合わせた84機目の相手はヤク戦闘機を操る非凡なパイロットで、
10分以上の格闘戦の末になんとか撃墜。
そして基地ではそれが有名なソ連パイロットで、傍受した交信の様子を聞かされます。
「またやられた!おい、早くこの殺人鬼のメッサー機の野郎を射ってくれ!
俺を助けるんだ!おい、早く助けろ!助けて!助けてくれ!」

Messerschmitt_Me_109.jpg

リッペルトの挙げる戦果にもかかわらず、西への撤退につぐ撤退を余儀なくされ、
レンベルクの基地では第3連隊きってのエースで「プンスキー伯爵」と呼ばれる
クルピンスキー中尉とも知り合いになります。
とても気さくで彼といると全然退屈しなかったという感想を残しています。

krupinski.jpg

He-111Ju-87などの爆撃機護衛の任務も多くあったようですが、
これらは戦闘機乗りにとって、とてもやっかいな仕事のようです。
それでもルーデル大佐率いるシュトゥーカ部隊の護衛についた際には
9機もの敵機を撃墜しています。

Messerschmitt_Me_109_und_Junkers_Ju_87.jpg

ルーマニアではプロイェシュティ油田に対する、米軍の四発重爆機編隊が・・。
リッペルトもB-24リベリーター1機を撃墜し、合わせて9機を葬ったものの、
中隊の損害は甚大であり、圧倒的な敵の優勢の前にパイロットたちは
今後、どうしてよいのか途方に暮れてしまいます・・。
そのルーマニアもいつの間にか彼らの敵となり、
ルーマニア軍基地へ攻撃を仕掛け、鹵獲されたJu-87を掃射しなければならない状況です。

撃墜数も143機となり、騎士十字章を授章して大尉となったリッペルト。
ハンガリーで駐屯している連隊は他の連隊によって補強され、再び、精強さを取り戻します。
その補強の筆頭は、当時308機撃墜の公認記録を持つ世界最高のエース、ハルトマン大尉
連隊長のバルクホルンも第2位の大エースです。

Helmut Lipfert _ Erich Hartmann.jpg

最後のハイライトとも言えそうなヤク戦闘機との空戦・・。お互いの「秘術を尽くし」合い、
地上40mでの旋回に、ブルブルと機体も震えます。
撃墜現場では陸軍の兵士たちが、これほど凄まじい空戦は見たことがないと言い合い、
士官にも引き止められたリッペルトは、墜落死したソ連パイロットが
洗練された身なりで沢山の勲章を付け、その中には「ソ連邦英雄」までが・・。

Hero of the Soviet Union.jpg

途中、機銃を命中させた敵機に接近すると、パイロットが血に染まり
仰け反った姿で死んでいるのを目撃し、恐ろしさにぞっとしたことで
その後、敵機を撃墜できなくなったという話や、
撃墜され、連行されてきたソ連パイロットに酒を注ぎながら語り合った話もあり、
この仮借なき東部戦線でも戦闘機パイロットたちはお互い騎士道精神を持っており、
相手を殺すことではなく、あくまで「撃墜することを目的」としていたように感じます。

そうでなければ、後半、パラシュートで脱出した際に、
米軍戦闘機から射たれたことに憤慨するという話は出てこないんじゃないでしょうか。

Helmut Lipfert.jpg

基地の近くには第1戦車師団が出動中・・。出向いた彼は大歓迎を受けます。
そしてこの師団がリッペルトがかつて所属していた部隊であり、
これが彼が年寄りパイロットである理由だったことが最後でわかります。
邦題どおり、次から次へとリッペルトの戦果が語られ、
それ以外のプライベートな話は一切出てこない本書ですが、
ひとつひとつの空戦に個性があるので、飽きることなく楽しめました。



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ヒットラーと鉄十字の鷲 -WW2ドイツ空軍戦記- [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

サミュエル・W. ミッチャム著の「ヒットラーと鉄十字の鷲」を読破しました。

「ドイツ空軍、全機発進せよ!」に続いて、近頃、勉強中のルフトヴァッフェ第2弾?です。
本書は以前、朝日ソノラマから出ていた「ドイツ空軍戦記」と
「続ドイツ空軍戦記」の合本で、600ページの大作です。
1988発刊の原題「ルフトヴァッフェの男たち」というタイトルどおり、
著者の前書きでも「飛行機の背後にいた人物たちを論じる」といったものです。

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ヒトラーが首相に就任した1933年1月30日、この日をドイツ空軍誕生の日とする本書は
まず当然のように航空担当全権委員であるヘルマン・ゲーリングから紹介されます。
当時、様々な役職を兼ねるゲーリングですが、ドイツ空軍を建設するという
地味な仕事をこなす能力と性格を持っていないことから、
民間航空会社ルフトハンザの重役、エアハルト・ミルヒを航空次官として登用します。

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しかし、ナチスの反ユダヤ政策のなかで、父親がユダヤ人というミルヒを庇う為に
ゲーリングは、彼が不倫の末に生まれた子であるというストーリーをでっち上げます。

一方、航空省指令局長という実質的な初代空軍参謀総長には
「信じがたいほどの洞察力と天賦の才能を持った」ヴェーファーが就任しますが、
1936年に事故死、その後任にはケッセルリンクが選ばれるものの、
進められていた四発重爆開発を原材料が掛かり過ぎるとして中止してしまいます。

Hermann Göring, Adolf Hitler, Walther Wever.jpeg

そのケッセルリンクも空軍内の争いに嫌気がさし、1年で辞任。
人事局長シュトゥンプが後を継ぎますが、これまた1年で終わります。
この1937年、ケッセルリンクの後の候補者には最初ハルダーヨードルが挙がったそうですが、
2人はミルヒとの仕事を嫌い、辞退したということです。いや~、初めて知りました。

結局は若く、ゲーリングも扱いやすいハンス・イェショネクがこの職についたことで、
参謀総長の座は落ち着きますが、技術局にウーデットが就任したことで、
ミルヒ、イェショネク、ウーデット、そして彼らの権力を分散し、
No.1の座を安定させたいゲーリングという図式が生まれます。

「最初の戦い」として丁寧に書かれている、スペイン内戦の章では
コンドル軍団を率いるシュペルレから、ガーランドメルダースといった名パイロットも登場。
「ゲルニカ」で気になっていたフォン・モローの活躍も紹介されますが、
ここからヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェンが本書の中盤までの主役となります。

Generalfeldmarschall Wolfram Freiherr von Richthofen, chief officer of Legion Condor on its return from Spain, 6 June 1939.jpg

コンドル軍団で急降下爆撃を多用した、地上部隊への近接航空支援戦術を編み出した
リヒトホーフェンはポーランド、フランス、そしてバルバロッサ作戦でも
この戦術で大成功を収め、大佐から、一気に元帥まで駆け上がっていきます。

クレタ島攻略戦では、地中海英国艦隊との空海戦が詳細で楽しめました。
リヒトホーフェンの爆撃機により、軽巡洋艦「グロスター」と「フィジー」を撃沈し、
駆逐艦も6隻沈没、戦艦と航空母艦にも打撃を与え、そのうち一隻は、
後にノルマンディ沖に現れる、あの「ウォースパイト」です。

しかし、そのリヒトホーフェンの道のりは決して順風満帆ではありません。
ワルシャワ空爆では爆撃精度の低さから、味方陣地を誤爆してしまい
(焼夷弾をジャガイモよろしく、スコップですくって、輸送機のドアからばら撒いたり・・)、
ブラスコヴィッツ上級大将から「責任を取れ!」と迫られ、
ダンケルクに追い詰めた英仏軍壊滅という大仕事がゲーリングの暴言によって
いきなり空軍にまわって来た際にも、
「航空兵力だけで出来るわけがない。すぐに命令を撤回させろ!」
慌ててイェショネクを怒鳴りつけてます。

Blaskowitz Frank.jpg

「奇跡」とも云われるスウェーデンの中立・・。デンマーク、ノルウェーと同様、
この北欧の国スウェーデンに対し、何度も侵攻を計画したヒトラーですが、
その都度、ゲーリングから激しい、真剣な反対に遭います。
「奇跡の中立」の理由を本書では、そこがゲーリングの最初の亡き妻、カリンの故郷であり
1920年のある晩に一人の怪しげなドイツ人飛行士が、ある美しいスウェーデン女性と
恋に落ちたというだけのことだったとしています。

Carin _ Hermann  1922.jpg

ウーデットが自殺に追い込まれていく過程では次世代の双発高速爆撃機、
Ju-88を急降下させるという無茶な注文により、ドイツ空軍の最も優秀なパイロットのひとり、
フォン・モローが、その急降下テスト飛行で殉職してしまいます。
同様に開発しては失敗となっていく新型機たち・・エンジン火災が頻発したHe-177は
「ドイツ空軍のライター」と仇名され、墜落事故が続発したMe-210は「殺人機」呼ばれます。

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クリミア半島攻略を目指すドイツ第11軍司令官、フォン・マンシュタイン上級大将は
1942年、巨大な列車砲を含む、ありとあらゆる火砲を集め、セヴァストポリ要塞に挑みます。
そこに爆撃機11個、急降下爆撃機3個、戦闘機7個、合計21個飛行隊という
大航空部隊を率いてリヒトホーフェンが支援に当たります。
攻撃初日に723機が作戦に参加したと・・いうこの章を読むと、
またパウル・カレルを読みたくなりましたね。

Севастополь 1942.jpg

その後、スターリングラードでも包囲された第6軍を救うために、
地上からは装甲集団を率いるマンシュタインが、空中補給をリヒトホーフェンが・・
という、戦術家として尊敬し合う2人の最強タッグが復活します。
共に「こんな馬鹿な考えはやめさせろ!」イェショネクに対して進言しますが、
結果はご存知の通りです。

1943年、東部戦線でドイツの敗走が始まると、マンシュタインですら罷免されたように
ルフトヴァッフェにおいても苦難のときが訪れます。

近接航空支援戦術を提唱するリヒトホーフェンも、広がった前線の火消し役としては
とても対処し切れず、東部戦線からも引き上げてしまいます。
疎開しているウラル山脈を超えた軍需工場や石油施設への戦略爆撃を展開しなかったとして
リヒトホーフェンに責任があるような書き方にも感じますが、それはどうでしょうか?
そして終戦間際には脳腫瘍を患い、重態のなかで終戦を向かえます。

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策略を張り巡らし、ゲーリングさえ追い落とそうとしたミルヒも、1943年にお目見えした
ジェット戦闘機Me-262をヒトラーが爆撃機に転換しろという要求を無視したかどで
不興を買い、一気に権力を無くして辞任してしまいます。

ヒトラーを信奉あまり、短期決戦を信じ、優秀な教官パイロットたちも前線勤務に召喚して
将来に対する恐るべき犠牲を出してしまったイェショネクは、戦争が長期化するなかで
取り返しの付かない負債を抱えてしまったことに気づきます。
そして連合軍の無差別爆撃がドイツ本土を襲うと、皮肉屋の仮面をかぶった、
この繊細な若い参謀総長もピストル自殺を選びます。

Hans Jeschonnek.jpg

後任には同世代のギュンター・コルテンが選ばれますが、
彼は総統司令部での会議中、机の地図を指差してヒトラーに説明している際、
1.5m離れた場所でシュタウフェンベルク大佐の仕掛けた爆弾が炸裂し、
5日間、生死の境をさまよった末、1944年7月25日に死亡してしまいます。

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シュタインホフリュッツォウら大エース戦闘機パイロットたちによる
ゲーリングに対する反乱・・・、この話は以前にも紹介しましたが、
本書ではさらに、バルカン北部空軍司令官、ベルンハルト・ヴァバー大将が
闇取引と略奪で資産を得たかどで、ゲーリングの命令により銃殺刑に処せられます。
しかし、この事件でゲーリング自身が占領地で大量の美術品を押収し、
貯蔵していることを知っている空軍全体が怒りをあらわにし、士気も一気に落ちていくのでした。

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最後には「ヒトラー 最期の12日間」で知られる、フォン・グライムがゲーリングの後任として
ヒトラーに指名され、ハンナ・ライチュとともに、ヒトラー後継者、デーニッツの元を訪れます。
シュタインホフとリュッツォウからも信頼されていた”パパ”グライムは
デーニッツが「素晴らしい軍人であり、深く感動した」と語るように、捕虜となったあと、
自殺を遂げ、ここにドイツ空軍の歴史に幕が下ります。

Robert Ritter von Greim, Generalfeldmarschall.jpg

数十人登場する重要人物は、都度、生い立ちからが紹介され、例えば
ゴードン・ゴロップがスコットランドの家系でもともとは「マックゴロップ」という名で・・、
などと面白い話も出てきます。

また、イェショネクが遺書で「葬式に呼んでくれるな」と書いた、2人のうちの1人
ゲーリングの副官が、あの陸軍総司令官ブラウヒッチュ元帥の息子、
ベルント・フォン・ブラウヒッチュ大佐だったというのも興味が沸いた話のひとつです。

ドイツ空軍興亡史としては「ドイツ空軍、全機発進せよ!」とは、また違い、
リヒトホーフェンとイェショネクが軸となっている雰囲気の一冊でなかなか楽しめました。







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ゲルニカ -ドキュメント・ヒトラーに魅入られた町- [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ゴードン・トマス / マックス・モーガン・ウィッツ著の「ゲルニカ」を読破しました。

ゲルニカといえばドイツ空軍に興味がなくても、ピカソの名作としてご存知の方も多いでしょう。
先日の「ドイツ空軍、全機発進せよ!」のゲルニカ爆撃の話から、今回、この本に辿り着きました。
本書は1937年4月26日の「ゲルニカ空爆」を2日間のドキュメントとして
ゲルニカ市民とコンドル軍団、双方の模様を交互に追ったものです。

ゲルニカ.JPG

プロローグでは前年に勃発した「スペイン内戦」の様子・・、
政府側である共和国派の人民戦線軍はソ連が支援し、英仏米が傍観しているなか
フランコ将軍のクーデター派をドイツとイタリアが支援するという構図を解説してくれます。

もともとバスク独立を目指すこの地方は、フランコのスペイン統一政策を嫌い、
共和国側を支持します。
このバスクにあるゲルニカの町。。パン屋から修道院まで、突然の空襲前の人々の生活の様子や
西へ敗走する軍隊が、都市であるビルバオを守るため、その手前に位置する山に囲まれた
ゲルニカを防御地点に・・・という状況が細かく語られます。

Generalfeldmarschall Wolfram Freiherr von Richthofen inspects Legion Condor in Spain, May 1939.jpg

ドイツの義勇兵として、また新型兵器の実験を目的として派遣された「コンドル軍団」は
陸海空3軍から成るものですが、主体となるのはフーゴ・シュペルレ司令官の空軍であり、
その司令官と「レッドバロン」リヒトホーフェンの従弟、参謀長を務める
男爵ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェン中佐との不仲から紹介されます。
シュペルレは「気まぐれな男爵閣下」のあからさまな野心や無情な性格を嫌い、
一方のリヒトホーフェンも日々の作戦に関せずにフランコ将軍のもとで時を過ごす、
「司令官殿の下品な洒落やテーブルマナーの悪さ」を苦々しく思っているという関係です。

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偵察機による航空写真の分析の結果、西のビルバオに退却する共和国軍の
退却路になるであろう、ゲルニカの町の手前に架かるレンテリア橋と
そこに通じる道路を爆撃することをリヒトホーフェンは決定しますが、
その小さな橋を爆撃するための戦力は、
先導役として高速の新型爆撃機ハインケルHe-111が4機、
コンドル軍団の主力ユンカースJu-52の3個飛行中隊、計23機。
さらに最新鋭戦闘機のメッサーシュミットBf-109、4機も護衛に付き、
旧式の戦闘機He-51の16機はスピード不足のため、
もっぱら超低空爆撃と機銃掃射に使われます。

また積載する爆弾も高性能爆弾、榴散弾、焼夷弾あわせて10万ポンドという
とても田舎町の石造りの小さな橋ひとつを破壊するだけとは思えない陣容です。

open bommenluiken van een He 111 KG 53.jpg

本書では特に、リヒトホーフェンが絶大な信頼を寄せる名爆撃パイロットで
He-111以外にもユンカースJu-86、ドルニエDo-17を擁する、実験爆撃機中隊長
フォン・モレアウ(ルドルフ・フライヘア・フォン・モロー)中尉が格別に印象に残ります。

Rudolf Freiherr von Moreau.jpg

しかし先陣を切った彼のHe-111から落とされた爆弾は、目標のレンテリア橋を大きく外れ
ゲルニカの町の中心部の駅前広場に落ちて行ってしまいます。
その後、第2陣、第3陣として編隊を組んで現れる爆撃機も、舞い上がった砂埃で
目標が見えないまま、次々と爆弾を投下していくことに・・。

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この結果、ゲルニカの町は多くの建物が崩壊し、爆撃中隊からも使用に異論のあった
焼夷弾による火災は16時間も燃え続けます。
救出作業に従事した人の証言では「死体の数は300人を超えた」としていますが、
やって来たジャーナリストによって、やがてこの数字は何倍にも水増しされたようです。

Gernika 1937.jpg

結局、2000mの高度から投下された爆弾は橋には一発も命中せず、
300m離れたゲルニカの町が破壊されてしまいます。
本書では本当にレンテリア橋の破壊を目的とするなら、
シュトゥーカ急降下爆撃機Ju-87の1機の放つ1000ポンド爆弾一発で
木っ端みじんに出来たのでは・・と解説していますが、
数年後にはシュトゥーカ信奉者となるリヒトホーフェンも、この時点では
急降下爆撃機に懐疑的だったそうです。

gernika-despues-del-bombardeo.jpg

結論としてはこのゲルニカという町を潰滅させる爆撃が誰の指示で行われたものかは不明です。
リヒトホーフェンも上官のシュペルレには事前承認を得ていないようですし、
リヒトホーフェンから作戦の伝達を行った、作戦主任のゴートリッツ大尉、
そして航空隊指令のフックス少佐による各中隊長へと伝達されるなかで
当初の目標が変化していった可能性があるようにも感じます。

Baron von Richtoffen Legión Cóndor.jpg

副題「ヒトラーに魅入られた町」とあるような、ヒトラーの命令ということもないでしょう。
もちろん、個人的にはヒトラーやシュペルレを含めた上層部が
このような実験的な爆撃をどこかで実施するよう指示していたことは考えられると思います。

Legion Condor He-111.jpg

フランコのナショナリスト側はゲルニカへの関与を否定し、バスク軍自身の手によって
ダイナマイトで爆破され、焼き払われたのだ・・とし、長い独裁政権が続くことにより
そのような伝説も残ったようです。まるで「カティンの森」のような感じですね。。
また、ナショナリスト側の兵士が「破壊されなかったレンテリア橋を渡ってゲルニカへ入った」
というのも、実に皮肉です。

gernika1.jpg

エピローグは1939年6月のベルリンで凱旋パレードを行うコンドル軍団、1万5000の兵士たち・・。
先導はもちろん、リヒトホーフェンであり、彼と、その他の登場人物らの
その後にも言及されています。

Legion Condor in Berlin.jpg

戦後間も無く、リヒトホーフェンが死亡したことで、彼の日記や妻、息子の協力を得て
また、コンドル軍団の作戦本部将校らの証言など多くの関係者からインタビューをして、
本書は仕上げられています。
しかし原著が1975年に発刊された直後、フランコも没したことで、隠されていた事実が
尽く判明し、本書の内容にも部分的にクレームが付いたそうです。

ちなみに、コンドル軍団で有名なガーランドやメルダースは一切出てきません。
ダイヤモンド付きスペイン十字章拝領者のガーランドは
当時はBf-109の部隊ではなかったようですが、He-51でもこれには参加していないようです
(彼の回想録「始まりと終り」の翻訳版ではこのコンドル軍団の部分が削られているそうで・・)。
メルダースが配属になるのも、ゲルニカ以降のようですしね。

Spanish Cross, Gold with Swords and Diamonds.jpg

このゲルニカの町があるスペインとフランスの国境、ピレネー山脈一帯のバスク地方というものは
あまり日本人に馴染みはありませんが、スポーツ好きのヴィトゲンシュタインは、
このバスクのサッカークラブ、「アスレティック・ビルバオ」が
バスク人の純血を守っていることに感銘を受けていたり、
ツール・ド・フランスなどでお馴染みの自転車チーム、「エウスカルテル」も
バスク人のチームで、ピレネー山脈の数日間のステージにおける、
山道を埋め尽くすバスク人大応援団の熱狂ぶりに見ているほうも、毎年TVで興奮してしまう・・
ということで、個人的には以前から興味のあった場所ということもあって、
バスクの人々の生活とスペイン内戦の概要も知ることができ、得した気分になりました。

Julen Guerrero_Iban Mayo.JPG



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ドイツ空軍、全機発進せよ! [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジョン・キレン著の「ドイツ空軍、全機発進せよ!」を読破しました。

英国人の著者によるこの有名な本書は、タイトルや表紙の雰囲気から
勝手に「バトル・オブ・ブリテン」を中心に描いたものと思っていましたが、
序文を書く、英空軍スレッサー大将の
「NATO空軍所属の士官各位に、必読の書としておすすめする」を読み、
原題もそのものズバリ「ザ・ルフトヴァッフェ」であることで
まったく想像していたものと違うことがわかりました。。

ドイツ空軍、全機発進せよ!.JPG

まずは第一次世界大戦における空の戦いの様子から・・。
大エース、リヒトホーフェンの空戦から、ツェッペリン飛行船によるロンドン空襲、
そして「リヒトホーフェン戦隊」を引き継いだヘルマン・ゲーリング中尉の活躍。

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敗戦後の苛烈なヴェルサイユ条約を甘んじつつ、禁止された空軍の再建のため、
ゼークトを長官とする国防軍は、民間航空会社ルフトハンザを利用します。
パイロットであった腹心エアハルト・ミルヒが筆頭常務になったことで
乗員育成訓練計画も軍隊色となり、新ドイツ空軍発足の際には
大量の民間パイロットが移籍し、ルフトヴァッフェの中核になっていきました。

本書ではこのように一般的に「ルフトヴァッフェ生みの親、ゲーリング」と云われることには反対で
ゲーリングが表舞台に出てくる10年以上も前に、思慮深いゼークトによって
国防軍の中にその充分な基礎が出来ていたのだとしています。

Hans von Seeckt.jpg

続いてはスペイン内戦。ガーランドメルダースも戦闘機乗りとしてデビュー。
「政治性もなければ、世論に対する考慮も皆無な軍人根性まるだしな猪首」という紹介の
フーゴ・シュペルレ率いるこの「コンドル軍団」は、開発した戦闘機や爆撃機の
試験の場として利用します。
そして、それはピカソの「ゲルニカ」で世界中に知られることとなった
バスク地方の田舎町「ゲルニカ空爆」を引き起こします。

Hugo Sperrle2.jpg

ヴァルター・ヴェーファー初代参謀総長は四発重爆の推進者で、Do-19などの
開発を推し進めますが1936年に事故死。。。
それによりゲーリングによって技術開発部局長の座に半ば無理やり就かされた
元大エースのエルンスト・ウーデットが急降下爆撃機に傾倒したことから
四発重爆を用いた長距離戦略爆撃という理念はルフトヴァッフェからは失われていきます。

Udet and Molders.jpg

そしてそのJu-87 シュトゥーカ急降下爆撃機がポーランド、フランスで
地上部隊の支援機としても大活躍をし、ウーデットの名も高まります。
しかし、バトル・オブ・ブリテン・・。英国本土爆撃ではその足の遅さから
スピットファイアの格好の餌食となり、護衛についたメッサーシュミットBf-109にも
大きな負担がかかるばかり・・。

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バルバロッサ作戦が発動されても一向に進まない新型機開発と
ミルヒの策謀とゲーリングの知らん顔に病み、追い詰められたウーデットは自殺・・。

旗艦シャルンホルストを擁するブレスト艦隊のドーヴァー海峡突破の「ツェルベルス作戦」。
新型戦闘機フォッケウルフ FW-190とBf-109の252機を護衛とした空海共同作戦も
詳しく書かれていますが、このドイツの大艦隊にたった6機の旧式ソードフィッシュで
生還の見込みのない攻撃に挑んだ若きアイルランド人、
ユージン・エズモンド海軍少佐のドラマは特別に印象に残りました。

Eugene Esmonde is second from left.jpg

ドイツ海軍の日誌でも「博物館から引き出してきたような古色蒼然の少数機による古風な攻撃」
と書かれ「しかし、その乗員の勇敢さたるや・・」と海軍らしい感想で締めくくっています。

Swordfish Channel Dash.jpg

1942年にはスターリングラードで包囲された第6軍に対する空からの補給任務が・・。
ゲーリングの安請け合いに困った参謀総長のイェショネクですが、
「総統閣下に、誓ってやりとうせますと言うんだ!」とゲーリングに叱責され苦境に立たされます。
ミルヒとリヒトホーフェンがありとあらゆる輸送機を必死にかき集めますが、
極寒の地では思うようにことは運びません。

Milch&Richthofen_ Hitler declared Milch Aryan_ He was awarded the Ritterkreuz for his performance during the campaign in Norway in 1940.jpg

同じことは続くチュニジアへの輸送機問題でも明らかになります。
北アフリカで追い詰められたアフリカ軍団を救うために
"ギガント"ことMe-323が投入されますが、戦闘機の護衛も受けられない
この空の巨人20機中、18機が撃墜されたという話は
ヘルマン・ゲーリング戦車師団史」にもありましたね。

me 323.jpg

スターリングラードの補給の失敗の責任をゲーリングから着せられたイェショネクも
ドイツ本土の各都市への大空襲が続き、「V兵器」の開発拠点である
ベーネミュンデまで爆撃されると、戦争の行く末に絶望し、遂に自殺・・。

Hermann Goring, Hans Jeschonnek.jpg

終戦も近づいてくると、いつものようにジェット戦闘機Me-262などが登場しますが、
本書ではその他の「秘密兵器」も紹介しています。
特におんぶ式親子飛行機「ミステル」はその使用方法も詳しく書かれ、
爆撃機隊の元締めであるペルツなども大いに興味を持ち、
実際、連合軍の上陸船団に対する攻撃に用いられて、
フランスの旧式戦艦クールベを見事、撃沈したそうです。

Mistel.jpg

また、小型有人ロケット機、Ba 349「ナッター(まむし)」も出てきます。
これは連合軍の爆撃機編隊に向かって垂直に飛び掛り、
その編隊の中央に必殺のロケット弾を叩きこもうとするもので、
これらの実験の様子から、いざ、実戦配備・・となかなか楽しめました。

Ba349-Natter.jpg

有名なエース・パイロットたちが次々と紹介されるものではなく
ロンメルの北アフリカでマルセイユが消耗しきって戦死するのが出てくるくらいで、
空軍以外の人物もあまり紹介されません。
たまに出てきても、古い本なので、例えばフェリックス・シュタイナーSS大将などは
「ナチ突撃隊の首領、シュタイナー」といった前時代的なスゴイ紹介です。

どちらかと言えば、エース・パイロットの活躍より上層部の軋轢、
その結果、開発される戦闘機や爆撃機、輸送機が如何なるものだったのか・・
ということに焦点を当てている印象です。

また、本書を読んでいて特に感じたことのひとつに、「戦略爆撃」というのが
隠れたテーマになっている気がしました。
第一次大戦の英国本土空爆からゲルニカ、ワルシャワ、ロッテルダム、
そして再び、ロンドン空襲と続いたドイツ軍による空爆が「種を蒔き」
それが後に連合軍による、ケルン、ハンブルク、ドレスデンといった都市を壊滅させる
「戦略爆撃」として刈り取られた・・としています。

Bomber Harris_Sir Arthur Harris.jpg

そしてアーサー・ハリス英空軍爆撃機軍団司令官を取り上げ、
彼が、「無差別爆撃こそ、戦争の決め手となる」ことを提唱し続けた人物と紹介しています。
やはり日本人として、特に東京の下町で生まれ育った人間としても
「東京大空襲」という過去を身近に感じでいるだけに、
このようなテーマには特別なものを感じました。



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ドイツ空軍の終焉 -西部戦線ドイツ戦闘機隊、最後の死闘- [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヴェルナー ジルビッヒ著の「ドイツ空軍の終焉」を読破しました。

ドイツ戦闘機隊に致命的な一撃を与えた「ボーデンプラッテ作戦」を中心に
タイトルどおりの終焉までを克明に検証した一冊です。
原題は「暁の出撃」。なかなか格好良いタイトルですね。

ドイツ空軍の終焉.JPG

1944年11月から始まる本書は、昼夜を問わず猛爆を繰り返す連合軍の
爆撃機編隊に挑む、西部のドイツ空軍戦闘機隊の非情なまでの戦いざまから
紹介されます。
千機を超えるB-17フライング・フォーレス四発重爆の編隊と、それを護衛する
数百機の新顔P-51マスタング戦闘機に対し、訓練もままならない新人パイロットたちの
Bf-109とFW-190がひたすら迎撃に向かい、その結果・・・、双方の損害を分析して
毎日、数十人のドイツ戦闘機パイロットを喪失するダメージ大きさを解説しています。

B17 Flying Fortress.jpg

当時の空軍参謀長エックハルト・クリスティアン少将らとヒトラーの会談の様子を
議事録の如く掲載し、そのヒトラーの本土防衛に対する考え方も紹介しています。
そんななか、新型戦闘機である、Me-163コメートMe-262も登場しますが、
大エース、ノヴォトニーが墜落死する様子も語られています。

Walter Nowotny.jpg

そして本書のメインとなるのは1945年1月1日に発動された、
「ボーデンプラッテ(地盤)作戦」です。
本来この作戦は地上部隊の西部での最後の反攻作戦である「ラインの守り作戦」、
いわゆるバルジの戦いと平行して実施することを想定していたものですが、
ご存知のように「ラインの守り作戦」は連合軍の空からの攻撃を防ぐため
あえて天候の悪い時期を選んで実施したということは、
ドイツ空軍も天候が悪くては出撃できないという、初めから矛盾をはらんだ陸空協同作戦で、
結果的に、天候が回復したこともあって「ラインの守り作戦」が行き詰まり、
その後、この「ボーデンプラッテ作戦」が発動されるということになります。

この「ボーデンプラッテ作戦」は、連合軍が既に侵攻したフランス、オランダ、ベルギーの
各飛行場を急襲し、連合軍戦闘機に大打撃を与えて制空権を再び取り戻し、
爆撃機編隊に対する迎撃を容易にしようというもので、
西部戦線の拠点を置く、ほぼ全ての戦力である12個航空団の40個飛行隊が作戦に参加。
しかし戦闘機隊総監としてすっかり干されたガーランドに代わり、
爆撃機隊総監のペルツに責任を与えたことで
ガーランドを慕う戦闘機パイロットたちは複雑な心境だったようです。

Flakkampfabzeichen der Luftwaffe.jpg

こちらも「ラインの守り作戦」同様、詳細については秘匿命令が出され、
飛行隊指令ですら直前まで任務を知らされないという状況や
対地作戦という特殊性やパイロットたちの技量など万全の体制とは言い難く、
特に自軍の高射砲部隊への連絡にも問題があったことから、
今まで自軍のソレを見たことの無い、高射砲部隊員たちは多数の戦闘機編隊を
スッカリ敵と思い込み、撃墜してしまいます。
このような同士討ちは秘匿作戦というのには良くありがちですね。

Operation Bodenplatte.jpg

著者はこの時期の空戦について充実した調査を行っていて、
名前の登場するパイロットの数はハンパではありません。
なかでも、英空軍スピットファイアに乗り込んだポーランド人パイロットと
「ラトヴィア陸軍戦闘航空隊」からルフトヴァッフェに配属された
ラトヴィア人義勇兵パイロットによる空戦というのは印象的でした。
強制収容所ではなく、独英両空軍の戦うなかでのポーランド人対ラトヴィア人・・。
まさに世界大戦ですね。

有名どころでは、第4襲撃航空団指令で剣章を持つアルフレッド・ドルシェル大佐も
参加しており、アーヘン近郊で被弾して、そのまま行方不明に・・。
他にもベーア大佐率いる第3戦闘航空団"ウーデット"のアイントホーフェンへの襲撃成功や
わずか2機で「史上最大の作戦」に果敢な攻撃を仕掛けたプリラー中佐の
第26戦闘航空団"シュラゲーター"ではクルピンスキー大尉の名も・・。

Josef Priller.jpg

また、過去にミュンヘベルクやシュタインホフら超一流が指令を務め、ベーアやゴロップ、
ヴィーゼといった指折りのパイロットを輩出したことでも知られる
第77戦闘航空団"ロートヘルツ"も紹介され、この有名な航空団が
1944年秋のマーケット・ガーデン作戦に対して投入され、戦果は挙げたものの、
ドイツ空挺部隊の父クルト・シュトゥーデントの息子である
ハンス・デューター・シュトゥーデント少尉の戦死という重い代償を払わされた・・
といった話もありました。

結局のところ1945年1月1日のたった4時間程度の作戦で、
参加した戦闘機の30パーセントにも上る、ドイツ戦闘機300機が失われ、
このまったく無意味な作戦でドイツ空軍の背骨が折られたということのようです。

aVfdShS.jpg

その後、西方のドイツ空軍の戦いではJu-88からMe-262に機種変更した
第54爆撃航空団の珍しい戦記が出てきたり、
英空軍の爆撃機編隊450機にドイツ夜間戦闘機が襲い掛かり、62機を撃墜し、
なかでも夜間戦闘機のトップ・エース、シュナウファー少佐が7機撃墜したという
話も紹介され、その最後にはハヨ・ヘルマン大佐の発案による「特攻隊」、
エルベ特別攻撃隊まで書かれ、ドイツ空軍は終焉を向かえます。

schnaufer11.jpg

前半の戦い、現れては消え、を繰り返す若いパイロットたちの消耗品のような
戦闘の展開は若干読むのに苦労しました。
「ボーデンプラッテ作戦」からは知っている名前も多くなり、いくらか楽しめましたが、
まぁ、ある程度はルフトヴァッフェに精通していないと本書は難しい(楽しめない)でしょう。

自分も有名なワリにまだ手を出していない「ドイツ空軍、全機発進せよ!」や、
読みやすそうな「朝日ソノラマ」の「ドイツ空軍戦記」や「西部戦線の独空軍」、
「最後のドイツ空軍」などを購入して、もうちょっと基礎を学ぼう・・と考えています。
と、書きながら調べていると「ドイツ空軍戦記」は、学研M文庫から
「ヒットラーと鉄十字の鷲」というタイトルで再刊されているようですね・・。ふ~、難しい・・。


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