ゲルニカ -ドキュメント・ヒトラーに魅入られた町- [ドイツ空軍]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
ゴードン・トマス / マックス・モーガン・ウィッツ著の「ゲルニカ」を読破しました。
ゲルニカといえばドイツ空軍に興味がなくても、ピカソの名作としてご存知の方も多いでしょう。
先日の「ドイツ空軍、全機発進せよ!」のゲルニカ爆撃の話から、今回、この本に辿り着きました。
本書は1937年4月26日の「ゲルニカ空爆」を2日間のドキュメントとして
ゲルニカ市民とコンドル軍団、双方の模様を交互に追ったものです。

プロローグでは前年に勃発した「スペイン内戦」の様子・・、
政府側である共和国派の人民戦線軍はソ連が支援し、英仏米が傍観しているなか
フランコ将軍のクーデター派をドイツとイタリアが支援するという構図を解説してくれます。
もともとバスク独立を目指すこの地方は、フランコのスペイン統一政策を嫌い、
共和国側を支持します。
このバスクにあるゲルニカの町。。パン屋から修道院まで、突然の空襲前の人々の生活の様子や
西へ敗走する軍隊が、都市であるビルバオを守るため、その手前に位置する山に囲まれた
ゲルニカを防御地点に・・・という状況が細かく語られます。

ドイツの義勇兵として、また新型兵器の実験を目的として派遣された「コンドル軍団」は
陸海空3軍から成るものですが、主体となるのはフーゴ・シュペルレ司令官の空軍であり、
その司令官と「レッドバロン」リヒトホーフェンの従弟、参謀長を務める
男爵ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェン中佐との不仲から紹介されます。
シュペルレは「気まぐれな男爵閣下」のあからさまな野心や無情な性格を嫌い、
一方のリヒトホーフェンも日々の作戦に関せずにフランコ将軍のもとで時を過ごす、
「司令官殿の下品な洒落やテーブルマナーの悪さ」を苦々しく思っているという関係です。

偵察機による航空写真の分析の結果、西のビルバオに退却する共和国軍の
退却路になるであろう、ゲルニカの町の手前に架かるレンテリア橋と
そこに通じる道路を爆撃することをリヒトホーフェンは決定しますが、
その小さな橋を爆撃するための戦力は、
先導役として高速の新型爆撃機ハインケルHe-111が4機、
コンドル軍団の主力ユンカースJu-52の3個飛行中隊、計23機。
さらに最新鋭戦闘機のメッサーシュミットBf-109、4機も護衛に付き、
旧式の戦闘機He-51の16機はスピード不足のため、
もっぱら超低空爆撃と機銃掃射に使われます。
また積載する爆弾も高性能爆弾、榴散弾、焼夷弾あわせて10万ポンドという
とても田舎町の石造りの小さな橋ひとつを破壊するだけとは思えない陣容です。

本書では特に、リヒトホーフェンが絶大な信頼を寄せる名爆撃パイロットで
He-111以外にもユンカースJu-86、ドルニエDo-17を擁する、実験爆撃機中隊長
フォン・モレアウ(ルドルフ・フライヘア・フォン・モロー)中尉が格別に印象に残ります。

しかし先陣を切った彼のHe-111から落とされた爆弾は、目標のレンテリア橋を大きく外れ
ゲルニカの町の中心部の駅前広場に落ちて行ってしまいます。
その後、第2陣、第3陣として編隊を組んで現れる爆撃機も、舞い上がった砂埃で
目標が見えないまま、次々と爆弾を投下していくことに・・。

この結果、ゲルニカの町は多くの建物が崩壊し、爆撃中隊からも使用に異論のあった
焼夷弾による火災は16時間も燃え続けます。
救出作業に従事した人の証言では「死体の数は300人を超えた」としていますが、
やって来たジャーナリストによって、やがてこの数字は何倍にも水増しされたようです。

結局、2000mの高度から投下された爆弾は橋には一発も命中せず、
300m離れたゲルニカの町が破壊されてしまいます。
本書では本当にレンテリア橋の破壊を目的とするなら、
シュトゥーカ急降下爆撃機Ju-87の1機の放つ1000ポンド爆弾一発で
木っ端みじんに出来たのでは・・と解説していますが、
数年後にはシュトゥーカ信奉者となるリヒトホーフェンも、この時点では
急降下爆撃機に懐疑的だったそうです。

結論としてはこのゲルニカという町を潰滅させる爆撃が誰の指示で行われたものかは不明です。
リヒトホーフェンも上官のシュペルレには事前承認を得ていないようですし、
リヒトホーフェンから作戦の伝達を行った、作戦主任のゴートリッツ大尉、
そして航空隊指令のフックス少佐による各中隊長へと伝達されるなかで
当初の目標が変化していった可能性があるようにも感じます。

副題「ヒトラーに魅入られた町」とあるような、ヒトラーの命令ということもないでしょう。
もちろん、個人的にはヒトラーやシュペルレを含めた上層部が
このような実験的な爆撃をどこかで実施するよう指示していたことは考えられると思います。

フランコのナショナリスト側はゲルニカへの関与を否定し、バスク軍自身の手によって
ダイナマイトで爆破され、焼き払われたのだ・・とし、長い独裁政権が続くことにより
そのような伝説も残ったようです。まるで「カティンの森」のような感じですね。。
また、ナショナリスト側の兵士が「破壊されなかったレンテリア橋を渡ってゲルニカへ入った」
というのも、実に皮肉です。

エピローグは1939年6月のベルリンで凱旋パレードを行うコンドル軍団、1万5000の兵士たち・・。
先導はもちろん、リヒトホーフェンであり、彼と、その他の登場人物らの
その後にも言及されています。

戦後間も無く、リヒトホーフェンが死亡したことで、彼の日記や妻、息子の協力を得て
また、コンドル軍団の作戦本部将校らの証言など多くの関係者からインタビューをして、
本書は仕上げられています。
しかし原著が1975年に発刊された直後、フランコも没したことで、隠されていた事実が
尽く判明し、本書の内容にも部分的にクレームが付いたそうです。
ちなみに、コンドル軍団で有名なガーランドやメルダースは一切出てきません。
ダイヤモンド付きスペイン十字章拝領者のガーランドは
当時はBf-109の部隊ではなかったようですが、He-51でもこれには参加していないようです
(彼の回想録「始まりと終り」の翻訳版ではこのコンドル軍団の部分が削られているそうで・・)。
メルダースが配属になるのも、ゲルニカ以降のようですしね。

このゲルニカの町があるスペインとフランスの国境、ピレネー山脈一帯のバスク地方というものは
あまり日本人に馴染みはありませんが、スポーツ好きのヴィトゲンシュタインは、
このバスクのサッカークラブ、「アスレティック・ビルバオ」が
バスク人の純血を守っていることに感銘を受けていたり、
ツール・ド・フランスなどでお馴染みの自転車チーム、「エウスカルテル」も
バスク人のチームで、ピレネー山脈の数日間のステージにおける、
山道を埋め尽くすバスク人大応援団の熱狂ぶりに見ているほうも、毎年TVで興奮してしまう・・
ということで、個人的には以前から興味のあった場所ということもあって、
バスクの人々の生活とスペイン内戦の概要も知ることができ、得した気分になりました。

ゴードン・トマス / マックス・モーガン・ウィッツ著の「ゲルニカ」を読破しました。
ゲルニカといえばドイツ空軍に興味がなくても、ピカソの名作としてご存知の方も多いでしょう。
先日の「ドイツ空軍、全機発進せよ!」のゲルニカ爆撃の話から、今回、この本に辿り着きました。
本書は1937年4月26日の「ゲルニカ空爆」を2日間のドキュメントとして
ゲルニカ市民とコンドル軍団、双方の模様を交互に追ったものです。
プロローグでは前年に勃発した「スペイン内戦」の様子・・、
政府側である共和国派の人民戦線軍はソ連が支援し、英仏米が傍観しているなか
フランコ将軍のクーデター派をドイツとイタリアが支援するという構図を解説してくれます。
もともとバスク独立を目指すこの地方は、フランコのスペイン統一政策を嫌い、
共和国側を支持します。
このバスクにあるゲルニカの町。。パン屋から修道院まで、突然の空襲前の人々の生活の様子や
西へ敗走する軍隊が、都市であるビルバオを守るため、その手前に位置する山に囲まれた
ゲルニカを防御地点に・・・という状況が細かく語られます。

ドイツの義勇兵として、また新型兵器の実験を目的として派遣された「コンドル軍団」は
陸海空3軍から成るものですが、主体となるのはフーゴ・シュペルレ司令官の空軍であり、
その司令官と「レッドバロン」リヒトホーフェンの従弟、参謀長を務める
男爵ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェン中佐との不仲から紹介されます。
シュペルレは「気まぐれな男爵閣下」のあからさまな野心や無情な性格を嫌い、
一方のリヒトホーフェンも日々の作戦に関せずにフランコ将軍のもとで時を過ごす、
「司令官殿の下品な洒落やテーブルマナーの悪さ」を苦々しく思っているという関係です。

偵察機による航空写真の分析の結果、西のビルバオに退却する共和国軍の
退却路になるであろう、ゲルニカの町の手前に架かるレンテリア橋と
そこに通じる道路を爆撃することをリヒトホーフェンは決定しますが、
その小さな橋を爆撃するための戦力は、
先導役として高速の新型爆撃機ハインケルHe-111が4機、
コンドル軍団の主力ユンカースJu-52の3個飛行中隊、計23機。
さらに最新鋭戦闘機のメッサーシュミットBf-109、4機も護衛に付き、
旧式の戦闘機He-51の16機はスピード不足のため、
もっぱら超低空爆撃と機銃掃射に使われます。
また積載する爆弾も高性能爆弾、榴散弾、焼夷弾あわせて10万ポンドという
とても田舎町の石造りの小さな橋ひとつを破壊するだけとは思えない陣容です。

本書では特に、リヒトホーフェンが絶大な信頼を寄せる名爆撃パイロットで
He-111以外にもユンカースJu-86、ドルニエDo-17を擁する、実験爆撃機中隊長
フォン・モレアウ(ルドルフ・フライヘア・フォン・モロー)中尉が格別に印象に残ります。

しかし先陣を切った彼のHe-111から落とされた爆弾は、目標のレンテリア橋を大きく外れ
ゲルニカの町の中心部の駅前広場に落ちて行ってしまいます。
その後、第2陣、第3陣として編隊を組んで現れる爆撃機も、舞い上がった砂埃で
目標が見えないまま、次々と爆弾を投下していくことに・・。

この結果、ゲルニカの町は多くの建物が崩壊し、爆撃中隊からも使用に異論のあった
焼夷弾による火災は16時間も燃え続けます。
救出作業に従事した人の証言では「死体の数は300人を超えた」としていますが、
やって来たジャーナリストによって、やがてこの数字は何倍にも水増しされたようです。

結局、2000mの高度から投下された爆弾は橋には一発も命中せず、
300m離れたゲルニカの町が破壊されてしまいます。
本書では本当にレンテリア橋の破壊を目的とするなら、
シュトゥーカ急降下爆撃機Ju-87の1機の放つ1000ポンド爆弾一発で
木っ端みじんに出来たのでは・・と解説していますが、
数年後にはシュトゥーカ信奉者となるリヒトホーフェンも、この時点では
急降下爆撃機に懐疑的だったそうです。

結論としてはこのゲルニカという町を潰滅させる爆撃が誰の指示で行われたものかは不明です。
リヒトホーフェンも上官のシュペルレには事前承認を得ていないようですし、
リヒトホーフェンから作戦の伝達を行った、作戦主任のゴートリッツ大尉、
そして航空隊指令のフックス少佐による各中隊長へと伝達されるなかで
当初の目標が変化していった可能性があるようにも感じます。

副題「ヒトラーに魅入られた町」とあるような、ヒトラーの命令ということもないでしょう。
もちろん、個人的にはヒトラーやシュペルレを含めた上層部が
このような実験的な爆撃をどこかで実施するよう指示していたことは考えられると思います。

フランコのナショナリスト側はゲルニカへの関与を否定し、バスク軍自身の手によって
ダイナマイトで爆破され、焼き払われたのだ・・とし、長い独裁政権が続くことにより
そのような伝説も残ったようです。まるで「カティンの森」のような感じですね。。
また、ナショナリスト側の兵士が「破壊されなかったレンテリア橋を渡ってゲルニカへ入った」
というのも、実に皮肉です。

エピローグは1939年6月のベルリンで凱旋パレードを行うコンドル軍団、1万5000の兵士たち・・。
先導はもちろん、リヒトホーフェンであり、彼と、その他の登場人物らの
その後にも言及されています。

戦後間も無く、リヒトホーフェンが死亡したことで、彼の日記や妻、息子の協力を得て
また、コンドル軍団の作戦本部将校らの証言など多くの関係者からインタビューをして、
本書は仕上げられています。
しかし原著が1975年に発刊された直後、フランコも没したことで、隠されていた事実が
尽く判明し、本書の内容にも部分的にクレームが付いたそうです。
ちなみに、コンドル軍団で有名なガーランドやメルダースは一切出てきません。
ダイヤモンド付きスペイン十字章拝領者のガーランドは
当時はBf-109の部隊ではなかったようですが、He-51でもこれには参加していないようです
(彼の回想録「始まりと終り」の翻訳版ではこのコンドル軍団の部分が削られているそうで・・)。
メルダースが配属になるのも、ゲルニカ以降のようですしね。

このゲルニカの町があるスペインとフランスの国境、ピレネー山脈一帯のバスク地方というものは
あまり日本人に馴染みはありませんが、スポーツ好きのヴィトゲンシュタインは、
このバスクのサッカークラブ、「アスレティック・ビルバオ」が
バスク人の純血を守っていることに感銘を受けていたり、
ツール・ド・フランスなどでお馴染みの自転車チーム、「エウスカルテル」も
バスク人のチームで、ピレネー山脈の数日間のステージにおける、
山道を埋め尽くすバスク人大応援団の熱狂ぶりに見ているほうも、毎年TVで興奮してしまう・・
ということで、個人的には以前から興味のあった場所ということもあって、
バスクの人々の生活とスペイン内戦の概要も知ることができ、得した気分になりました。
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