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ドイツ戦闘機開発者の戦い -メッサーシュミットとハインケル、タンクの航跡- [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

飯山 幸伸 著の「ドイツ戦闘機開発者の戦い」を読破しました。

著者は「英独航空戦」や「ソビエト航空戦」など興味深い本を書かれている専門家の方ですが、
ヴィトゲンシュタインは今回が初めてです。
2004年の発刊で444ページの本書をなぜ購入したのか・というと、
もう2年半ほど前なので、良く覚えていません・・。
おそらく兵器よりも人間に興味がある体質ですから、
タイトルに釣られて買ってしまったんでしょう。。

ドイツ戦闘機開発者の戦い.jpg

第1次大戦後に小さな製造工場を興したエルンスト・ハインケル。
水上機の開発では日本海軍の求めに応じて、来日し、HD25が14機製作されます。
やがてルフトハンザ航空向けの高速郵便旅客機となったHe-70の高性能ぶりが注目され、
注文依頼が拡大するものの、すでに注文主はルフトハンザではなく、
ナチス政権下の新生ドイツ空軍であり、社屋にもナチ党の党旗を掲揚するよう圧力をかけてきます。
しかしこれに恭順を示さなかったハインケルは嫌がらせを受け始めますが、
制式採用された複葉の戦闘機、He-51は1936年のスペイン内戦のコンドル軍団向けに
135機が派遣され、あの「ゲルニカ爆撃」でも活躍します。

He 51 of the Kondor Legion.jpg

また、爆撃機開発ではHe-70をベースとして、He-111が完成し、
スペインでも試験されて上々の結果を得ます。
そしてHe-51の後継主力戦闘機としての最有力候補に挙げられていたHe-112ですが、
メッサーシュミットのBf-109の前に敗北・・。
当然、採用されるもの・・と思っていたハインケルのプライドを大いに傷つけるのでした。

He112.jpg

初代空軍参謀総長ヴェーファーの主張する戦略爆撃思考に答えて開発した
四発爆撃機He-177グライフは、ヴェーファーの事故死と
技術局長ウーデットの異常なまでの急降下爆撃思考に翻弄され、開発が難航・・。
それを知ったヒトラーですら、さすがに激怒して四発爆撃機を急降下させるという
無理難題の要求を取り下げさせたということです。

He.177a-1 Greif.jpg

1939年に第2次大戦が勃発すると、ジェット・エンジン開発に力を入れるハインケル。
He-178、He-280と初のジェット機を作り上げますが、
ジェット機を信用しない空軍上層部に、ハインケル側も空軍のテストパイロットの搭乗を
拒否し続けるなどして、両者の関係は悪化・・。
これには空軍No.2の次官である、あのエアハルト・ミルヒの存在も大きいようで、本書でも
「意に沿わない会社の仕事を防げるためならば、国の滅亡も辞さず・・というところまで
その権勢欲はエスカレートしていた」
また、「先に作り上げた方が最良の航空機とは言えない」という理由からも、
このジェット機でもメッサーシュミットのMe-262にその座を奪われてしまいます。

Udet, Milch, Heinkel.jpg

さらに双発戦闘機開発ではあの「ル・グラン・デューク」の主役機、He-219ウーフーを製作。
夜戦エースのヴェルナー・シュトライプ少佐が実用試験型のウーフーで
ランカスター爆撃機5機を撃墜するも、またしてもミルヒの妨害・・、
アルミ資材の供給妨害を行って、生産機数の少なさから不採用。。
その悪代官ミルヒも味方を失って1944年に遂に失脚すると、軍需相シュペーアによって
軍用機生産は単発戦闘機とジェット、ロケット戦闘機に限定。
こうして、最後の最後になって「国民戦闘機」こと、単発ジェット戦闘機He-162が・・。

A line up of Heinkel He 162 A-2s at Leck May 1945.jpg

1923年に「メッサーシュミット航空機製造」を設立した"ヴィリー"・メッサーシュミット
モーター・グライダー中心の会社ですが、4年後にはバイエルン州政府が設立した
バイエルン航空機製造(BFW)に吸収合併されてしまいます。
そして設計部門はメッサーシュミットの技術陣が占める新会社の10人乗り旅客機M20が
相次いで墜落死亡事故を起こしてしまうと、その後の態度がルフトハンザの専務であった
後の悪代官ミルヒに、拭いようのない悪印象を与えてしまいます。

m20b.jpg

天才的な幕僚であるものの、敵視した相手を巧妙に失脚させる才能にも恵まれて、
権力をこよなく愛し、ゲーリング譲りの贅を尽くした日常を望んだというミルヒ。。
ある意味、本書の主役の一人です。

次期主力戦闘機の開発はハインケル、アラド、フォッケウルフ各社に要求されますが、
BFWの単発スポーツ機Bf-108タイフンを認めたウーデットの要請によって
ミルヒも渋々メッサーシュミットと開発計画を結びます。
そして誕生したのが名機Bf-109。続く双発のBf-110はバトル・オブ・ブリテンでは
苦労をしますが、それでも夜間戦闘機として活躍し続けます。

Messerschmitt Milch udet.jpg

その後も大型戦略輸送機Me-323ギガント、ロケット戦闘機Me-163コメートと続き、
ジェット戦闘機Me-262へと進みます。
爆撃機の失敗機の話も出てきますが、メッサーシュミットはミルヒとの確執があっても
ゲーリングには信用されていたために、採用され続けたように感じました。

Me163.jpg

バイエルン航空機製造(BFW)という名前で思い出しましたが、
発動機製造の会社が、あの「BMW」ですね。
本書ではエンジンについても詳しく書かれているため、ダイムラー・ベンツなども
頻繁に出てきます。

また、1938年にメッサーシュミットが独立会社となったことで、会社記号がそれまでの
バイエルン航空機製造(BFW)の「Bf」から「Me」に変更になったことも書かれていて
メッサーシュミットの戦闘機がBf-109だったり、Me-262だったりしていることも理解できます。
戦闘機に興味を持ち始めた頃は、コレが良くわからなかったんですよねぇ。
基本的にMe-109とするのは、まぁ、OKですが、Bf-262というのはNGです。。
ちなみに"-"ハイフンを付けるのかというと、正式にはブランクが正しいのかも知れません。

Bf109.jpg

メッサーシュミットがワイン商の息子だったというのは知りませんでした。
25年来のワイン呑みですので、ちょっと調べてみましたが、
現在では特に生産、販売をしているわけではないものの、
バイエルンのバンベルクでメッサーシュミット家がホテル経営をしているようです。
その名は「ロマンティック-ホテル ワインハウス メッサーシュミット」 。
死ぬまでにバイエルンに行けたら、泊まってみたいですね。。

Romantik-HotelWeinhausMesserschmitt.jpg

1930年、BFW社に移ってきたクルト・タンク技師。
彼は航空機設計だけではなく、テスト・パイロットとしての技量を高めることも希望しています。
1年後にはメッサーシュミットと袂を別ち、新興のフォッケウルフ社へ・・。
次期主力戦闘機開発要求に応えるため、Fw-159を開発しますが、
性能不足により、あえなく落選・・。
双発戦闘機でもFw-57やFw-187が不採用・・と苦難の時が続きます。

fw159.jpg

しかし1936年、ルフトハンザから依頼された四発長距離旅客機Fw-200コンドルがヒット。
世界各地でデモ・フライトを行い、ベルリン=ニューヨーク間を無着陸で翔破。
東京まで飛行すると、大日本航空から5機の注文が・・。
さらに日本海軍から長距離洋上偵察機転用が打診されると、
ドイツ空軍にとっても「眼から鱗」となり、その後はUボート好きにはお馴染みの展開に・・。

Fw 200 C Condor.jpg

単発戦闘機の制式機はBf-109ではあっても、制式機に致命的な欠陥が見つかった場合、
改善されるまで全機が使用不能という事態に陥りかねないというリスクを解消するため、
英空軍でもスピットファイアとハリケーンが用意されていたように
ドイツ空軍でもBf-109と併用できる単発戦闘機の開発が指示されます。

Josef Priller Kurt Tank JG 26.jpg

He-112の不採用に納得のいかないハインケルが、画期的なHe-100で勝負してきますが、
今度はクルト・タンク作、Fw-190の前に再び、敗北。。
Fw-190は、Bf-109にも決して劣ることのない名機として、配備されるのでした。
さらに新技術を加えた高性能戦闘機が要望されると、
高高度戦闘機として知られるTa-152が誕生します。この「Ta」は、会社記号から、
貢献度が評価されたタンクの個人名に変更されたという「説」が多いようですね。

fw190-flight.jpg

3人の生い立ちは、第1章で1898年生まれの"ヴィリー"・メッサーシュミットと
クルト・タンク、彼らより10歳年長のエルンスト・ハインケルが
如何にして飛行機に夢を持ち、グライダー設計や第1次大戦の複葉機開発に携わったかが
30ページほど簡単に書かれていますし、戦後についても各章で語られています。

しかし開発者3人の生涯を扱ったというほどでもなく、どちらかというと各機の開発過程がメインで
「開発者の戦い」というほど人物の苦悩などに焦点を当てているものではありませんでしたが、
なかなか読みやすく、専門的な部分も初心者向けに気が利いていて勉強になりました。
また、本書では競争相手として、ユンカースにドルニエといった老舗メーカーが度々登場してきます。
こうなってくると、短い章でも良いからゴータやヘンシェルも含めて書いて欲しかったですね。

個人的にはハインケルが最も開発者として戦っていたのが印象的でした。
彼の回想録「嵐の生涯―飛行機設計家ハインケル」が
フジ出版から松谷 健二氏訳で出ているので、手を出してみようと思っています。





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東部戦線の独空軍 [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

リチャード・ムラー著の「東部戦線の独空軍」を読破しました。

以前に「西部戦線の独空軍」という精鋭航空団「JG26」の戦いを描いた興亡史を紹介しましたが、
その姉妹編のようなタイトルの1995年発刊の本書は、
古書価格が1400円程度となかなかの値段なので見送っていました。
しかし粘った甲斐があって、先日、190円で購入できましたので早速読んでみました。
読み始めてすぐに気づきましたが、コレが全然、姉妹編などではなく、
東部戦線におけるドイツ空軍の、「独立軍としての戦略思想」と
「陸軍の戦略をサポートする空軍」という実態について研究しているものでした。

東部戦線の独空軍.jpg

著者は第2次大戦の航空戦専門の軍事史研究家で米空軍指揮・幕僚大学の
比較軍事史助教授という肩書で、本書もオハイオ州立大学時代の博士論文から
始まったものだそうです。
「プロローグ」でも本書の目的・・、勝ったり負けたりの戦闘記録ではなく、
ドイツ空軍指導部が限られた手持ち兵力を運用して、何を遂行していると信じていたか・・
に関心を持って検討していると書かれていますが、
この時点で、今までにないルフトヴァッフェ物の雰囲気がプンプンしてきます。。

第1章の「対ソ戦の準備」では、1935年、新設されたドイツ空軍の基本理念が
初代参謀総長ともいえるヴェーファーの頭脳から生まれ、
Ju-86やDo-17、He-111といった中型爆撃機部隊は編成されたものの、
四発重爆機の開発は失敗に終わった話などを解説します。

Do-17 Z bombers.jpg

そしてスペイン内戦へのコンドル軍団の参加がもたらした最も重要な結果は、
卓越した陸軍支援航空作戦論者であるヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェン
現れたことかも知れないとして、続くポーランド戦において彼の指揮する
「特別任務航空兵団」を紹介。
これはのちに第Ⅷ航空兵団(第8航空軍団)として、陸軍支援のエキスパート部隊と
なっていくわけですが、その運用面についてはかなり細かく書かれています。

Wolfram von Richthofen.jpg

第2章「ソヴィエト侵攻作戦」では、ヒトラーとOKWが策定した「バルバロッサ作戦」は
前年の西方作戦同様の短期の「電撃戦」を想定していて、
ソ連軍の抵抗が激しければ侵攻作戦は1942年まで続く予定ではあったものの、
陸軍同様、空軍も2年目の作戦は、極めて基礎的な計画を立てていたに過ぎなかったとします。

Whermacht advancing.jpg

また、「総統命令第21号」から空軍の任務を抜粋し、
①ソ連空軍の戦闘力を可能な限り撲滅する。
②同時に陸軍の主要作戦の支援。
③ソ連の鉄道と橋梁の破壊。
という3つの大きなミッションに集中することで、
兵器工業に対する攻撃は主要作戦の間は実施せず、機動戦終了後に
ウラル地方の目標を集中的に攻撃する・・となっています。

german-army-barbarossa-russia-invasion-june-1941.jpg

フォン・ボックが率いる巨大な中央軍集団を支援する、ケッセルリンクの強力な
第2航空軍(第2航空艦隊) に配属されたリヒトホーフェンの第8航空軍団。
陸軍がソ連新型戦車、T-34に出会ってビックリしたように、ドイツ空軍情報部も
新型地上攻撃戦闘機、Il-2の能力を過小評価したまま・・。

Il-2.jpg

しかし、ドイツ空軍は7月には戦略的航空攻撃の実施を検討しはじめ、
モスクワに対する爆撃作戦実行しますが、その結果にはケッセルリンクが
「目標のサイズに対して、我が方は十分な兵力を持たず、期待するレベルに達しなかった」と
語っています。

kesselring-in-seinem-fw189-ueber-den-weiten-russlands.jpg

一方、本書の主役のような第8航空軍団はレニングラードを支援し、
10月にはモスクワへの「タイフーン作戦」にも参加。陸軍支援のプロとして
バルバロッサ作戦期間中だけでも18回も移動するという、まさに大繁盛・・。
そんなタイミングで第2航空艦隊の大部分が、北アフリカのロンメルを支援するために
地中海へと移動してしまいます。

Aparently a Luftwaffe airbase in the desert. North Africa 1941.jpg

さらにはソ連の逆襲によって包囲されたホルムデミヤンスクを補給任務を任され、
補充されたJu-52輸送機だけでは足りず、He-111爆撃機も駆り出しますが、
デミヤンスク・ポケットだけでも第8航空軍団は265機を失ってしまいます。

翌年はセヴァストポリの支援からです。
「我々二人は、極めて仲良く協力し合った」と、第11軍司令官マンシュタインの回想録も引用し、
スターリングラード支援と続いていきます。

Manstein consulting with Colonel General Wolfram Baron von Richthofen, Commanding General VIII Fliegerkorps, May 1942.jpg

この第4航空艦隊司令官に昇進していたリヒトホーフェンは8末には、
パウルスの第6軍の勢いが鈍り始めていると、「陸軍の精神力とリーダーシップの弱さ」を
ゲーリングと空軍参謀総長のイェショネクに報告し、
大戦の全期間を通じて彼は密告屋のような態度で、陸軍の戦いぶりについて
無作法な報告をヒトラーやゲーリングの手元に送り付け、陸軍参謀総長のハルダー
困惑させていた・・ということですが、著者は「状況を確実にとらえてる」としています。

そしていよいよ包囲された第6軍に対する空中補給大作戦の開始。。
もちろんここでもJu-52装備の輸送飛行隊だけではとても間に合わず、
He-111爆撃機装備の14個飛行隊も参加します。
その他、FW-200(コンドル)や最新型のHe-177といった長距離爆撃機に試作原型機まで投入。。
8㌧の搭載量のある四発輸送機Ju-290の原型1号機などは、輸送任務の途中で墜落し、
多数の人命が失われたそうです。

stalingrad-Eine FC 200 Condor.jpg

ままならない補給に陸軍と空軍は不仲となっていき、ポケットから脱出命令を受けたフーベ
空軍の態度に対し「極めて重大な汚怠だ」と述べ、
パウルスは不機嫌な口調で、航空管制将校に脱出命令を出します。
「彼は空軍の将官なることが約束されているからな」
そして「空軍はなぜ空輸補給を遂行できるなどと言ったのだ。
この可能性を言い出した責任者は誰なのだ。
もし、誰かが可能でないと言っていたのであれば、包囲線を突破して脱出していたはずだ」

General Friedrich Paulus.jpg

西側連合軍によるドイツ本土爆撃・・、
秘密基地であるペーネミュンデまでもが爆撃されると、参謀総長イェショネクが自殺。。
ドイツ空軍が退勢に傾いたことの責任の多くは、この参謀総長にあるとしている本書ですが、
ことはそれほど単純ではありません。

Jeschonnek.jpg

こうして「陸軍御用達の消防隊」から、ソ連の戦線背後への長距離爆撃作戦への転換。。
しかし1943年はクルスクへの攻勢に兵力を割かれ、
「ソ連のデトロイト」と呼ばれるゴーリキーの装甲車両製造工場への爆撃もたいした成果は上がらず、
その後の後退一辺倒の展開では、せっかく温存していた爆撃機も
攻撃目標の範囲外へと遠ざかっていくだけです。

こうなってくると爆撃機の任務はソ連軍兵士に向けた「ビラ撒き」です・・。
「きみは包囲された!だが、まだ脱出する途はある」と書かれた裏には
ドイツ軍戦線に入る「安全通行証」が刷り込んであったり、
タバコとアコーディオンを楽しむソ連軍捕虜や、ニッコリ笑った軍医の手当てを受ける捕虜の絵・・、
ですが、もちろん現実は・・。

Flugblatt Russland.jpg

イェショネクの後任コルテン新参謀総長は戦略爆撃を主張しますが、
本土防衛の兵力拡大にも追われた挙句、シュタウフェンベルクの爆弾の餌食となって死亡・・。
陸軍の参謀総長は全員ヒトラーの解任なのに、空軍はヴェーファーの事故死から始まって、
呪われたかのように死んでしまいますね。。

Guenter-Korten.jpg

敗走するドイツ陸軍の航空支援に対する信頼は一般の兵士まで広がった・・という部分では
名著「忘れられた兵士」から抜粋していますが、あのシーンは感動的でした。

面白かったのは、ガーランドなどが務めた戦闘機隊総監とペルツが務めた爆撃機隊総監を
解説している部分で、陸軍支援部隊のJu-87シュトゥーカは爆撃機隊総監の担当、
Bf-110Hs-129の地上攻撃機は戦闘機隊総監の担当という、いかにもナチス・ドイツらしい
非効率な機構を一掃するために、コルテンが「地上攻撃隊総監」を新設したということです。
こんな「総監」は初めて知りましたが、初代のキュッパー大佐が事故死して、後任は
ヒッシュホルト中佐という人物が務めたそうです。

Ju 87G con el antitanque Flak de 37 mm en Pilsen.jpg

結局、ドイツ空軍はもともと「戦略爆撃思想」は持っていたものの、
対ソ戦において制空権を含め、陸軍を間接的、直接的に支援する立場に甘んじ、
長引く戦争に長距離爆撃の必要性を認識したにも関わらず、時すでに遅く、
最終的にヒトラーの介入によって明確な戦略的目標のない英国に対する報復爆撃命令に
従わざるを得なかったことで、東部戦線におけるドイツ空軍は弱体した・・というところです。

さすが論文・・と思わせるほど、専門的でちょっと難しい一冊でした。
386ページですが、心してかからないと手強いものだと思います。
基本的には地上支援部隊と爆撃機戦略の2本立てで、ルーデル大佐の名は出てくるものの、
ハルトマンバルクホルンなどの戦闘機エースは完全に無視・・。
これはいくら一部のエースが300機撃墜しようが、制空権は失われていったのであり、
本書のテーマからは外れているようです。

ですが、それより空軍参謀総長を筆頭に空軍幕僚たちの考え方を
研究するにあたっては、西部戦線の状況を含め、ヒトラーの戦略全般も
同時に理解しておかなくては、読んでいて片手落ちだなと思いました。
「朝日ソノラマ」の航空戦記だということで、戦闘機エースたちの活躍を期待して読まれると、
100ページももたずに撃墜されてしまうことでしょう。。



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ドイツ空軍エース列伝 [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

野原 茂 著の「ドイツ空軍エース列伝」を読破しました。

2~3年前から買おうとチェックしていたにもかかわらず、なぜか見送り続けていた本書ですが、
先日、ヤフオクで500円で出たのを見逃さずにゲットしました。
本書は1992年に発刊された「ドイツ空軍エース列伝 (図解 世界の軍用機史)」の改訂版として
2003年に新装されたもののようです。
「○○列伝」モノということでは「Uボート戦士列伝」、「ドイツ軍名将列伝」に続く、
列伝シリーズの3回目になりますね。

ドイツ空軍エース列伝.jpg

第1章は「昼間戦闘機」のエース・パイロットですが、実はこの第1章が283ページの本書中、
ほとんどの260ページを占めています。
その筆頭として登場するのは、世界最高の撃墜数352機を誇る"不屈の鉄十字エース"ハルトマン
その後は撃墜数順にバルクホルンやギュンター・ラル、ノヴォトニーなど、300~200機台を撃墜した
超スーパー・エースが続々と登場。

Gunther Rall.jpg

221機撃墜のハインツ・ベーアも、その内訳は英米機125機というマルセイユに次ぐ2位、さらに
Me-262での戦果16機は、ジェット戦闘機No.1ということも詳しく書かれています。

スコア203機で登場するのは勿論「203の勝利」リッペルト
クルピンスキーシュタインホフや個人的に大好きなリュッツォウエーザウプリラー
「アフリカの星」マルセイユと100機台でも有名人のオンパレードですね。
"スーパー童顔"のオスターマンもしっかり登場してきます。

Streib.  Barkhorn .  Walther .  Bühlingen .  Jabs . Jope .  Seiler .  Bätcher .  Ademeit . s Wiese .  Petersen .  Otte .  Krupinski.jpg

登場人物は白黒ですが全て写真付き、その写真がない場合は、似顔絵で代行します。
また、彼らの愛機のイラストと方向舵に描かれたスコア・マーキングも丁寧に解説。
西部戦線の独空軍」で途中からJG26からいなくなってしまったミュンヘベルクも後の活躍、
JG51、JG77でのスピットファイア・キラーぶりと、その最期も紹介されていました。

muencheberg.jpg

この本書の紹介順、撃墜数(スコア)順ですが、面白いのは必ずしもスコアが多ければ多いほど
有名パイロットという訳ではない・・ということですね。
200機以上のエースは東部戦線でソ連空軍相手に荒稼ぎしたパイロットですが、
開戦当初から活躍し、西部戦線や北アフリカ戦線で実力伯仲の英空軍相手に戦った場合には、
撃墜数は100機そこそこです。
また、このような後者の大エースは100機撃墜を目処に、前線から外され、
デスクワークに就かされるので、そのスコアも必然的に止まってしまいます。

Bf109 in the best desert camo.jpg

それが逆に本書では良い結果を生んでいて、例えば、115機のメルダース
103機のガーランドといった戦闘機隊総監を勤めるなど、
後世にも名を残した偉大なパイロットの登場するのが中盤過ぎ・・
ということで、読者を決して飽きさせない内容となっています。

また、撃墜した敵についても戦闘機だけではなく、B-17などの四発重爆キラーもきちんと紹介され、
トータルのスコアとしては102機と目立たないものの、44機の四発重爆を撃墜した
ロールヴァーゲも偉大なNo.1重爆キラーとして高く評価されています。

JG53-Herbert-Rollwage.jpg

この「独破戦線」で紹介したエース・パイロットはほとんど登場しますが
唯一、途中で気がついたのは、バルカンで惨殺されたキルシュナーが出てないなぁ・・と。
そこで「はじめに」に書かれている本書の紹介基準を確認すると、
それなりの写真や乗機のマーキングなどがわかっているエースが対象だということでした。

登場しない・・という意味では、全軍で唯一の勲章「黄金宝剣柏葉騎士十字章」を持つ大エース、
シュトゥーカ大佐こと、ルーデルは登場しません。特にタイトルにも書かれていませんが、
本書は戦闘機パイロットに限定しているんですね。

そして100機を切っても、フライヘア・フォン・マルツァーンやトラウトロフトなど、
人格者として尊敬を集めたことで知られるエースの姿も・・。

Von Maltzahn.jpg

本文のプロフィールは生年月日から始まり、各々のその死までキチンと書かれ、
彼らのスコアが止まった理由も明確です。
終戦まで戦い、戦後は一般市民として生きた者もいれば、ハルトマンのように理不尽にも
ロシアで何年も拘留されたパイロットたち。
敵機に撃墜されて戦死した者もいれば、マルセイユのように事故死だったり・・。

Hans-Joachim Marseille bandaged up and on a stretcher, his injuries were extensive and ultimately fatal..jpg

最も印象に残ったのは、被弾により右目を失いながらも復帰し、その後、
B-17を2機撃墜するも、同時に残る左目も失ったというリッチェンス曹長。
そしてバトル・オブ・ブリテンで撃墜され、捕虜となってカナダの収容所へと送られたものの
脱走に成功し、米国、メキシコ、南アメリカと大陸を縦断して、ドイツに辿り着くと
再び、英空軍との戦いに身を投じ、その帰還から半年後に戦死してしまった
フォン・ヴェラ大尉でしょう。

Von Werra.jpg

この話すごいなぁ~と思ったら、若きハーディ・クリューガーが主演を務めた
「脱走四万キロ」の元ネタだったんですねぇ。

最後の20ページは第2章、「夜間戦闘機」のエース・パイロットです。
夜戦パイロットとして100機を越えるスコアを持つ、シュナウファーレントという2人に続き、
第三位のヴィトゲンシュタインもしっかり登場し、その最期も思わずジ~ンとするような
書きっぷりです。
「燃料の続く限り敵機を追い求め、夜戦エースのトップに立つことだけを夢見ていた
熱血漢の貴公子は、こうして線香花火のような最後の輝きとともに散った・・」。

Sayn-Wittgenstein01.jpg

途中、編隊の組み方や空軍の襟章、肩章のイラスト解説などのコラムもあり、
写真とイラストの充実した、中だるみのさせない見事な編集の1冊でした。
この100名を超えるエース達のうち、自分が名前だけでも知っているのは半分程度でしたので、
今の知識で読んだことで楽しく、また勉強になる、絶妙なタイミングだったと思います。







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西部戦線の独空軍 [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ドナルド・L. コールドウェル著の「西部戦線の独空軍」を読破しました。

相変わらず「副題」もないアバウトなタイトルの「朝日ソノラマ」から掘り出し物の1冊を紹介します。
原題は「JG26」。ドイツ空軍に詳しい方ならおわかりの通り、これは「第26戦闘航空団」、
通称「シュラゲーター」の誕生から終焉までを綴ったもので、原著はトム・クルーズの映画が
大ヒットした当時の発刊。副題にも「Top Guns of the Luftwaffe」と書かれているように、
その基地の場所から英空軍にも「アブヴィル・キッズ」と恐れられた精鋭航空団の
570ページにも及ぶ興亡史です。

西部戦線の独空軍.jpg

「序文」を書くのはアドルフ・ガーランドで、彼が開戦当時に所属していた航空団こそ「JG26」であり、
以降もプリラーやクルピンスキーといったエース・パイロットも名を連ねています。
ちなみに航空団という単位は陸軍でいうところの「連隊」にあたると思いますので、
例えば第△△戦車連隊戦史とか、SSデア・フューラー連隊戦史のような位置づけでしょうか。。

1938年、ラインラントのデュッセルドルフの基地に新設された「第234戦闘航空団」。
その後「JG132」、そして「JG26」と改称するわけですが、この地域のヒーローの名を
名誉称号にしようということで、正式に「シュラゲーター」と命名されます。
隊員は誇らしく「シュラゲーター航空団」と書かれたカフタイトルを袖に付け、
機首を黄色く塗った新型戦闘機メッサーシュミット Bf-109E-1に乗って大戦に挑むことになります。

Schlageter Cufftitle.jpg

翌年のポーランド戦では西部の見張り部隊として参加はしなかったものの、
英仏との「まやかし戦争」中、唯一の戦果として、英空軍のブレニム双発軽爆撃機を撃墜、
この戦果は後のエース・パイロット、ヨアヒム・ミュンヘベルク少尉によるものです。

いよいよ始まった西方作戦ではルフトヴァッフェの中核として一路西へ飛び立ちます。
ダンケルクでも英国本土への大撤退作戦を空から援護する、ハリケーンやスピットファイアとの空戦、
その間にシュトゥーカ急降下爆撃機が英国の輸送船に攻撃を仕掛けます。
そしてここでも1日の戦果としては先例のない4機撃墜を果たすのはミュンヘベルク・・。

Major Joachim Müncheberg.jpg

6月にはJG27からシュラゲーター第Ⅲ飛行隊長に着任したガーランド大尉が登場し、
JG51のメルダース少佐とともに撃墜記録を更新し、早くも騎士十字章を受けることに・・。
見事、電撃戦に勝利を収めると26歳のガーランドが、この「JG26」の司令に任命されるのでした。

Adolf Galland JG26.jpg

当然、「シュラゲーター」とは何者?ということもキッチリ書かれていて
19歳で第1次大戦に従軍し、戦後はフライコーアを経て、ヴェルサイユ条約に基づき
ラインラントを占領していたフランス軍に対する、鉄道爆破というレジスタンス的な行為により、
1923年に銃殺されたアルベルト・レオ・シュラゲーターというナショナリスト・ヒーローだそうです。
う~ん。勉強になりました。なんとなく白いアリゲーターみたいなのを想像してましたから。。

white Alligator.jpg

「西部戦線の独空軍」という意味では代名詞と言えるバトル・オブ・ブリテンの火蓋が切って
落とされますが、足の遅い爆撃機の護衛として駆り出されるJG26の戦闘機パイロットたちは
苦戦を続け、自らのことを「鎖に繋がれた犬」と自嘲的に呼びます・・。

1940GermanPilotsGuns.jpg

1941年になるとエジプトへ侵攻したイタリア軍のために、英領のマルタ島を無力化するべく、
JG26にも1個飛行中隊に出撃命令が下ります。
そして選ばれたのは若干22歳の騎士十字章拝領者、ミュンヘベルク中尉率いる
第7飛行中隊、通称ロットヘルツ(赤いハート)です。
航空団はそのインシグニアの他に中隊ごとにもマークを持っていて、
このロットヘルツは特に有名ですね。
それにしても、多分いままで出てきたのを一度も読んだことにないミュンヘベルクが
この前半の助演男優並みに登場するとは嬉しい驚きです。

jg26 Insignia.jpg

一方、ドーヴァー海峡ではJG51から飛行隊長としてやってきたヨーゼフ・プリラー
40機撃墜の柏葉騎士十字章を獲得した際の戦闘報告を紹介し、
その後も本書の主役の一人として随所に登場してきます。
司令のガーランドも戦闘機隊総監としてベルリンへ転出しますが、シャルンホルストとグナイゼナウ、
プリンツ・オイゲンのブレスト艦隊のドーヴァー海峡突破作戦のために帰還し、
JG26を含む航空団から成る一大護衛作戦を見事成功に終わらせます。
さらには連合軍によるデュエップ奇襲作戦の護衛機スピットファイアとの戦闘・・。
シュラゲーターだけで27機を撃墜します。

JG26.jpg

1943年からはフランスやベルギーのドイツ軍拠点を狙った米国昼間爆撃に対する迎撃任務
忙殺される、新司令ヨーゼフ・プリラーと、Bf-109に代わり新たに配備され始めた
フォッケウルフ FW-190の戦いです。
ガーランドの弟"ヴーツ"ガーランドも飛行隊長として編隊の先頭に立って活躍し、
B-17B-24といった四発重爆と護衛のスピットファイアとの激しい空中戦を繰り返します。

Wilhelm-Ferdinand Galland.jpg

本書はドイツ側の戦果だけではなく、連合軍側の資料も詳しく分析して、誰が誰を撃墜したのか・・
もさまざまな記録や証言から検証しています。
例えば、激しい攻撃を受けエンジンの止まったB-17の米国パイロットの証言では、
「全員に脱出を命じ、機外に飛び出したが、ドイツ戦闘機2機が真っ直ぐ私に向かって飛んで来た!
そして50メートルまで接近した2機のパイロットは、パラシュートの私に向かって敬礼し、
機首を反らして飛び去って行った!」

Galland JG 26.jpg

しかし航続距離の短いスピットファイアから、P-47サンダーボルトやP-51マスタングといった
強靭で重武装の護衛戦闘機が次々と登場してくると、堂々たる大編隊でドイツ本土まで
爆弾の雨を降らす四発重爆を迎撃する、シュラゲーターの損害も大きく増えていきます。
そして遂に"ヴーツ"ガーランドもサンダーボルトの餌食に・・。

A group of early P-47 of the 56th group. 1942.jpg

プリラーが列機と共に「史上最大の作戦」で活躍したエピソードや
その後もJG26以外の戦闘航空団も果敢に戦った西部戦線が紹介され、やがては
B-24リベレーターを撃墜し、西部戦線で100機撃墜した稀にみるパイロットとして
「剣章」受章者となったシュラゲーター司令のプリラー・・。
ですが、173機撃墜記録を持つ、百戦錬磨の第Ⅱ飛行隊長、エミール・ラング大尉は戦死。

Emil Lang.jpg

出撃回数452回という物凄い数字を持った第Ⅲ飛行隊長クラウス・ミートゥーシュも
あの「マーケット・ガーデン作戦」に対する迎撃で撃墜されてしまいます。
そしてそのミートゥーシュの後任としてやってきたのは、23歳ながらも東部戦線で
177機を撃墜した柏葉章を持つ、ヴァルター・クルピンスキーです。

Major Klaus Mietusch JG 26.jpg

そんな彼ですら、もはや戦局は絶望的であり、続く「バルジの戦い」、
そして1945年元旦の「ボーデンプラッテ作戦」による戦闘機隊の壊滅的な大損害によって、
大した戦果も挙げることは出来ません。
特に「ボーデンプラッテ作戦」は味方の対空砲による損害は、自分の予想を超えており、
クルピンスキーも被弾するなど、プリラー大佐も怒り立って
この狂っているとしか言えない作戦の責任者、爆撃機隊のペルツ少将宛てに報告を書きます。

Oberstleutnant Joseph Priller arrivant avec sa BMW 327.jpg

やがてプリラーはJG26に別れを告げ、西部方面の昼間戦闘機隊総監に任命され、
クルピンスキーもガーランドのジェット戦闘機隊「第44戦闘団」へと移って行きます。
それでもシュラゲーターは戦い続け、4月にはベルリンへの護衛飛行に駆り出されます。
12機のFW-190Dがそれと知らされずに護衛したのはヒトラーの地下壕へと向かう、
フォン・グライム上級大将と女性パイロットハンナ・ライチュです。。

Adolf Galland and Walter Krupinski.jpg

やっぱりドイツ軍の興亡史というものは、「爽快」から始まって「絶望」で終わる・・
というのは避けられません。
本書もこのようにガーランドを筆頭に、多くのエース・パイロットが登場しますが、
全体的には決して、爽快な空戦記と呼ぶには程遠いものでした。
特に後半は以前に紹介した「ドイツ空軍の終焉」と同様のやるせない展開。。

まともに訓練も消化していない配属されたばかりの新米パイロットが語るシーンでは、
「中隊の将校たちは指導することを自分たちの責務だとは考えず、この負け戦の
数ヵ月を生き延びることしか頭になった・・」というのが印象に残っているくらいです。

Copy of Adolf Galland's Messerschmitt that he flew out of Abbeville.jpg

それでも本書のような特定の航空団のボリュームたっぷりの興亡史というのは大変珍しく、
ちょっと他には思い当りません。
なんか「メッサーシュミットBf109E-4 ドイツ空軍不屈のエース 」というDVDも欲しくなりましたが、
次は「東部戦線の独空軍」を・・。でも、なぜかコッチはプレミア価格になってるんですよね。。






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攻撃高度4000 -ドイツ空軍戦闘記録- [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

カーユス・ベッカー著の「攻撃高度4000」を読破しました。

ここのところ読み倒している「ルフトヴァッフェ興亡史」の元祖にして本命とも言えそうな
有名な1冊のやっとの紹介です。
まぁ、有名なのでいつでも古書が買えるという気でいましたが、軍事モノの取り扱いでは
これまた有名な古書店「軍学堂」が11月に神保町に引っ越してきましたので、
早速繰り出して、割と綺麗な本書を2000円で購入しました。
著者のカーユス・ベッカーは海軍興亡史「呪われた海」を以前に紹介していますが、
副題は「ドイツ海軍戦闘記録」なんですね。本書は「ドイツ空軍戦闘記録」ですから、
海空の姉妹本なのかも知れません。

攻撃高度4000.jpg

1939年8月25日、ポーランド侵攻直前から始まる本書は
ライヒェナウの第10軍司令部に同行しているリヒトホーフェン少将が
翌朝からの侵攻作戦の中止命令を受ける場面からです。
「我々は停止命令をもらっていないので空軍なしでも進撃しますぞ」と話すライヒェナウに
空軍の無線でベルリンに問い合わせ、深夜になってようやく陸軍にも停止命令が入るという
間一髪の状況です。

German Stuka Dive Bombers over Poland, 1939.jpg

そして9月1日、遂にドイツ軍は侵攻開始。He-111爆撃機の護衛に就く、Me-110には
後に夜間戦闘機乗りの大エースになるヘルムート・レント少尉の姿も・・。
Ju-87シュトゥーカ急降下爆撃機もポーランド軍港を襲い、駆逐艦2隻を撃沈。
このシュトゥーカを中心とした陸軍の進撃を援護する攻撃方法は良く出てくるものですが、
本書では高射砲大隊の陸軍砲兵の如き活躍も取り上げており、イルザの戦いでは
20ミリ中隊が歩兵たちのうっぷんを晴らし、88ミリ中隊もポーランド陣地に襲い掛かります。
しかし、夜間になるとポーランド軍もこの高射砲をなきものにしようと忍び寄り、
激しい白兵戦も繰り広げます。

Deutsche Flak 8,8 cm in Nowegen.jpg

続くノルウェー、デンマーク侵攻の「ヴェーザー演習」作戦では、
オスロの飛行場奪取を目指す降下猟兵を乗せたJu-52輸送機が悪天候のため引き返します。
しかしそんなことを知らずに予定通り援護に向かうレントらのMe-110・・。
待てど暮らせど現れない降下猟兵、そして燃料も尽き、この駆逐中隊での占領を試みます。
強行着陸、そして後方機銃を外して飛行場を制圧。
オスロで戦闘中の連絡を受けたJu-52も引き返してきます。

bf110-3_german-wwii.jpg

西方作戦では、あのエーベン・エメール要塞を攻略したグライダーと降下猟兵の活躍、
そしてアルベール運河の西40キロに降下し、ベルギー軍を混乱させた200体の「わら人形」部隊・・。
ロッテルダムではHe-111爆撃機百機が目標に向かいます。
しかしオランダの降伏に伴う、爆撃中止命令が間に合わず、57機が爆弾を投下・・。
さらに快進撃してきたSS部隊「ライプシュタンダルテ」が降伏していたオランダ兵とぶつかり、
戦闘開始・・。やめさせようと司令部の窓へ走り寄ったシュトゥーデント将軍は
頭部に弾丸を受けて重傷を負ってしまいます。
う~ん。パンツァー・マイヤー戦記にはどう描いてありましたかねぇ。

フランスで電撃戦を見せるグデーリアン。マース川ではレルツァー将軍との共同作戦です。
シュトゥーカが急降下し、Do-17の綺麗に並んだ爆弾が敵陣に吸い込まれます。
また、戦闘機もガーランドメルダースがスピットファイアとハリケーンを屠っていきます。

Messerschmitt vs. Spitfire.jpg

そして迎えたダンケルク・・。ゲーリングが「総統、我が空軍にお任せください!」。
これにヨードルは苦々しげに「またあいつ、大口を叩きおって」。
目前にして停止命令を受けたクライスト装甲集団とクルーゲの第4軍。
クルーゲはリヒトホーフェンに「もうダンケルクを空から取られたかな?」。
本書は空軍だけでなく、陸軍の将軍もちょくちょく出てくるので、これがまた楽しめます。

Besprechung_deutscher_Offiziere_Generalfeldmarschall Hans-Günther von Kluge.jpg

ドーヴァー海峡での船団攻撃。護衛で飛び立つ戦闘機パイロットはトラウトロフト
ヴァルター・エーザウといったエースたちです。ブラウヒッチュ元帥の息子、
フォン・ブラウヒッチュ大尉もシュトゥーカで貨物船2隻に命中させています。

Walter Oesau.jpg

そして始まった「バトル・オブ・ブリテン」。
この戦いを回想するのは、エース・パイロットとしてはエーリッヒ"ベイブ"ハルトマンより、
ベイビーフェイスだと思っている第54戦闘航空団のヘルムート・オスターマン少尉です。
特にMe-109でロンドン爆撃の護衛を繰り返し、燃料切れの赤ランプが灯るなか、
ドーヴァー海峡上を陸地を求めて飛び続ける緊張・・。

Max-Hellmuth Ostermann.jpg

クレタ島の戦い」も降下猟兵たちの甚大な損害を紹介しながら詳細に描かれ、
本土防衛のカムフーバー・ラインで知られる「夜戦総監」のカムフーバー将軍の登場・・
と続き、「バルバロッサ作戦」からウーデットの失脚と自殺・・。

Paratroopers Crete '41.JPG

1942年に南方方面軍司令官となったケッセルリンクが北アフリカで戦うロンメルのために
地中海の要衝「マルタ島攻略」に挑みます。
この天然の岩の要塞に1000㎏の徹甲爆弾を叩きこみ、陥落寸前に追い込むものの、
海空による占領作戦にイタリアが難色を示したことから、再び、攻勢に出ようとする
ロンメルも窮地に立たされます。
それでもイタリア軍を中心にクレタ島の5倍の戦力で自信マンマンで準備を進めるシュトゥーデントに
ヒトラーは「占領後、英艦隊が出動したら、イタリア軍がどんなざま見せるかわかるだろう。
最初の無線が入るや、シチリアの港に引っ込んで、貴官の降下猟兵は島で孤立するのだ」。

Generaloberst Kurt Student Fallschirmjäger.jpg

北アフリカに上陸したのは自称「空軍最古参の少尉候補生」、21歳のヨッヘン・マルセイユです。
とっくに少尉になれていたはずが、訓練期間中の素行の悪さから彼の評定表には
「パイロットとしての不品行」というヘンテコな書き込みがされていたそうです。
そしてこの地での彼のロンメルをも凌ごうかという大活躍と
世界一ともいえるエース・・「アフリカの星」が消えるまで・・が紹介されています。

Marseille_9.jpg

デーニッツのUボートを支援する空軍の戦いも1章が割かれています。
特にソ連へ物資を運ぶ第2次大戦で最も有名な船団「PQ17」にJu-88とHe-111が襲い掛かり、
Uボートと共に24隻という大戦果を挙げたこの戦いを読むと
いや~、久しぶりにUボートものを読みたくなりました。

A_formation_of_Heinkel_He_111.jpg

舞台は再びロシア・・。デミヤンスクホルムの包囲陣に空からの空輸に成功。
そしてスターリングラードで包囲された第6軍参謀長シュミット将軍
「補給は空輸に頼らねば」と第8航空軍団司令のフィービヒ中将に伝えます。
第6軍の高射砲師団を率いるピッケルトは参謀長シュミットと古くからの友人で
彼の日記を紹介し、パウルス司令官と共に脱出か否かを語った話はとても興味深いものです。

stalingrad Luftwaffe JU-52s made many resupply runs into the pocket.jpg

一方、本書の主役であり、不可能とも思える空輸を任された空軍と言えば、
飛行場へ迫るソ連軍を撃退するために、高射砲隊、修理班、補給部隊、
迷子グループをかき集めて、警戒部隊を編成。
リヒトホーフェンが探す第8航空軍団参謀長のハイネマン中佐も「第一線で機銃を撃っております」。

ルーデルやドルシェルといった爆撃パイロットも奮戦・・。しかしそんな努力も虚しく、
パウルスは最後にこう語ります。「想像できますかな、兵が古い馬の死体に殺到し、
その頭を割り、脳みそを生ですすっている姿を?」。

Sad End To German Soldiers In Stalingrad.jpg

ツィタデレ作戦」では37ミリカノン砲を装着し、急降下爆撃機から戦車襲撃機へと転身した
ルーデル・・・2年半の間にソ連戦車519両を屠った男が紹介され、
ドイツ本土に米軍も昼間爆撃を始めると、この最後の章では250㎏の爆弾を抱えたドイツ戦闘機が
迎撃に向かい、B-17B-24といった四発重爆を撃墜します。
そしてこの中隊長はハインツ・クノーケ中尉・・。「空対空爆撃戦隊」ですね。

B-17.jpg

最後のページでは「高名な夜戦パイロットも戦死した」として
プリンツ・ツー・ザイン・ヴィトゲンシュタイン少佐とヘルムート・レント大佐の最期・・。
特にヴィトゲンシュタインは巻頭の写真に登場し「夜戦パイロットの中の暴れん坊」と
紹介されていたので、どこで出てくるかとドキドキしていましたが・・・ぜんぜんでした。。。

lent.jpg

副題の通り、本書はこのような特定の「戦闘記録」が多いので、
過去に紹介した「ルフトヴァッフェ興亡史」に比べ、まったく違った味わいがあり、
さまざまなパイロットたちや前線任務の厳しさをドラマチックに理解できるものでした。
また、陸軍を支援する空軍という意味でも、有名な会戦と陸の将軍たちも
多く出てくることで、こちらの専門の方でも楽しめるんじゃないでしょうか。
さすが以前にオススメのコメントを頂いただけのことはある、とても充実した1冊です!



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