西部戦線の独空軍 [ドイツ空軍]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
ドナルド・L. コールドウェル著の「西部戦線の独空軍」を読破しました。
相変わらず「副題」もないアバウトなタイトルの「朝日ソノラマ」から掘り出し物の1冊を紹介します。
原題は「JG26」。ドイツ空軍に詳しい方ならおわかりの通り、これは「第26戦闘航空団」、
通称「シュラゲーター」の誕生から終焉までを綴ったもので、原著はトム・クルーズの映画が
大ヒットした当時の発刊。副題にも「Top Guns of the Luftwaffe」と書かれているように、
その基地の場所から英空軍にも「アブヴィル・キッズ」と恐れられた精鋭航空団の
570ページにも及ぶ興亡史です。

「序文」を書くのはアドルフ・ガーランドで、彼が開戦当時に所属していた航空団こそ「JG26」であり、
以降もプリラーやクルピンスキーといったエース・パイロットも名を連ねています。
ちなみに航空団という単位は陸軍でいうところの「連隊」にあたると思いますので、
例えば第△△戦車連隊戦史とか、SSデア・フューラー連隊戦史のような位置づけでしょうか。。
1938年、ラインラントのデュッセルドルフの基地に新設された「第234戦闘航空団」。
その後「JG132」、そして「JG26」と改称するわけですが、この地域のヒーローの名を
名誉称号にしようということで、正式に「シュラゲーター」と命名されます。
隊員は誇らしく「シュラゲーター航空団」と書かれたカフタイトルを袖に付け、
機首を黄色く塗った新型戦闘機メッサーシュミット Bf-109E-1に乗って大戦に挑むことになります。

翌年のポーランド戦では西部の見張り部隊として参加はしなかったものの、
英仏との「まやかし戦争」中、唯一の戦果として、英空軍のブレニム双発軽爆撃機を撃墜、
この戦果は後のエース・パイロット、ヨアヒム・ミュンヘベルク少尉によるものです。
いよいよ始まった西方作戦ではルフトヴァッフェの中核として一路西へ飛び立ちます。
ダンケルクでも英国本土への大撤退作戦を空から援護する、ハリケーンやスピットファイアとの空戦、
その間にシュトゥーカ急降下爆撃機が英国の輸送船に攻撃を仕掛けます。
そしてここでも1日の戦果としては先例のない4機撃墜を果たすのはミュンヘベルク・・。

6月にはJG27からシュラゲーター第Ⅲ飛行隊長に着任したガーランド大尉が登場し、
JG51のメルダース少佐とともに撃墜記録を更新し、早くも騎士十字章を受けることに・・。
見事、電撃戦に勝利を収めると26歳のガーランドが、この「JG26」の司令に任命されるのでした。

当然、「シュラゲーター」とは何者?ということもキッチリ書かれていて
19歳で第1次大戦に従軍し、戦後はフライコーアを経て、ヴェルサイユ条約に基づき
ラインラントを占領していたフランス軍に対する、鉄道爆破というレジスタンス的な行為により、
1923年に銃殺されたアルベルト・レオ・シュラゲーターというナショナリスト・ヒーローだそうです。
う~ん。勉強になりました。なんとなく白いアリゲーターみたいなのを想像してましたから。。

「西部戦線の独空軍」という意味では代名詞と言えるバトル・オブ・ブリテンの火蓋が切って
落とされますが、足の遅い爆撃機の護衛として駆り出されるJG26の戦闘機パイロットたちは
苦戦を続け、自らのことを「鎖に繋がれた犬」と自嘲的に呼びます・・。

1941年になるとエジプトへ侵攻したイタリア軍のために、英領のマルタ島を無力化するべく、
JG26にも1個飛行中隊に出撃命令が下ります。
そして選ばれたのは若干22歳の騎士十字章拝領者、ミュンヘベルク中尉率いる
第7飛行中隊、通称ロットヘルツ(赤いハート)です。
航空団はそのインシグニアの他に中隊ごとにもマークを持っていて、
このロットヘルツは特に有名ですね。
それにしても、多分いままで出てきたのを一度も読んだことにないミュンヘベルクが
この前半の助演男優並みに登場するとは嬉しい驚きです。

一方、ドーヴァー海峡ではJG51から飛行隊長としてやってきたヨーゼフ・プリラーが
40機撃墜の柏葉騎士十字章を獲得した際の戦闘報告を紹介し、
その後も本書の主役の一人として随所に登場してきます。
司令のガーランドも戦闘機隊総監としてベルリンへ転出しますが、シャルンホルストとグナイゼナウ、
プリンツ・オイゲンのブレスト艦隊のドーヴァー海峡突破作戦のために帰還し、
JG26を含む航空団から成る一大護衛作戦を見事成功に終わらせます。
さらには連合軍によるデュエップ奇襲作戦の護衛機スピットファイアとの戦闘・・。
シュラゲーターだけで27機を撃墜します。

1943年からはフランスやベルギーのドイツ軍拠点を狙った米国昼間爆撃に対する迎撃任務に
忙殺される、新司令ヨーゼフ・プリラーと、Bf-109に代わり新たに配備され始めた
フォッケウルフ FW-190の戦いです。
ガーランドの弟"ヴーツ"ガーランドも飛行隊長として編隊の先頭に立って活躍し、
B-17、B-24といった四発重爆と護衛のスピットファイアとの激しい空中戦を繰り返します。

本書はドイツ側の戦果だけではなく、連合軍側の資料も詳しく分析して、誰が誰を撃墜したのか・・
もさまざまな記録や証言から検証しています。
例えば、激しい攻撃を受けエンジンの止まったB-17の米国パイロットの証言では、
「全員に脱出を命じ、機外に飛び出したが、ドイツ戦闘機2機が真っ直ぐ私に向かって飛んで来た!
そして50メートルまで接近した2機のパイロットは、パラシュートの私に向かって敬礼し、
機首を反らして飛び去って行った!」

しかし航続距離の短いスピットファイアから、P-47サンダーボルトやP-51マスタングといった
強靭で重武装の護衛戦闘機が次々と登場してくると、堂々たる大編隊でドイツ本土まで
爆弾の雨を降らす四発重爆を迎撃する、シュラゲーターの損害も大きく増えていきます。
そして遂に"ヴーツ"ガーランドもサンダーボルトの餌食に・・。

プリラーが列機と共に「史上最大の作戦」で活躍したエピソードや
その後もJG26以外の戦闘航空団も果敢に戦った西部戦線が紹介され、やがては
B-24リベレーターを撃墜し、西部戦線で100機撃墜した稀にみるパイロットとして
「剣章」受章者となったシュラゲーター司令のプリラー・・。
ですが、173機撃墜記録を持つ、百戦錬磨の第Ⅱ飛行隊長、エミール・ラング大尉は戦死。

出撃回数452回という物凄い数字を持った第Ⅲ飛行隊長クラウス・ミートゥーシュも
あの「マーケット・ガーデン作戦」に対する迎撃で撃墜されてしまいます。
そしてそのミートゥーシュの後任としてやってきたのは、23歳ながらも東部戦線で
177機を撃墜した柏葉章を持つ、ヴァルター・クルピンスキーです。

そんな彼ですら、もはや戦局は絶望的であり、続く「バルジの戦い」、
そして1945年元旦の「ボーデンプラッテ作戦」による戦闘機隊の壊滅的な大損害によって、
大した戦果も挙げることは出来ません。
特に「ボーデンプラッテ作戦」は味方の対空砲による損害は、自分の予想を超えており、
クルピンスキーも被弾するなど、プリラー大佐も怒り立って
この狂っているとしか言えない作戦の責任者、爆撃機隊のペルツ少将宛てに報告を書きます。

やがてプリラーはJG26に別れを告げ、西部方面の昼間戦闘機隊総監に任命され、
クルピンスキーもガーランドのジェット戦闘機隊「第44戦闘団」へと移って行きます。
それでもシュラゲーターは戦い続け、4月にはベルリンへの護衛飛行に駆り出されます。
12機のFW-190Dがそれと知らされずに護衛したのはヒトラーの地下壕へと向かう、
フォン・グライム上級大将と女性パイロットハンナ・ライチュです。。

やっぱりドイツ軍の興亡史というものは、「爽快」から始まって「絶望」で終わる・・
というのは避けられません。
本書もこのようにガーランドを筆頭に、多くのエース・パイロットが登場しますが、
全体的には決して、爽快な空戦記と呼ぶには程遠いものでした。
特に後半は以前に紹介した「ドイツ空軍の終焉」と同様のやるせない展開。。
まともに訓練も消化していない配属されたばかりの新米パイロットが語るシーンでは、
「中隊の将校たちは指導することを自分たちの責務だとは考えず、この負け戦の
数ヵ月を生き延びることしか頭になった・・」というのが印象に残っているくらいです。

それでも本書のような特定の航空団のボリュームたっぷりの興亡史というのは大変珍しく、
ちょっと他には思い当りません。
なんか「メッサーシュミットBf109E-4 ドイツ空軍不屈のエース 」というDVDも欲しくなりましたが、
次は「東部戦線の独空軍」を・・。でも、なぜかコッチはプレミア価格になってるんですよね。。
ドナルド・L. コールドウェル著の「西部戦線の独空軍」を読破しました。
相変わらず「副題」もないアバウトなタイトルの「朝日ソノラマ」から掘り出し物の1冊を紹介します。
原題は「JG26」。ドイツ空軍に詳しい方ならおわかりの通り、これは「第26戦闘航空団」、
通称「シュラゲーター」の誕生から終焉までを綴ったもので、原著はトム・クルーズの映画が
大ヒットした当時の発刊。副題にも「Top Guns of the Luftwaffe」と書かれているように、
その基地の場所から英空軍にも「アブヴィル・キッズ」と恐れられた精鋭航空団の
570ページにも及ぶ興亡史です。

「序文」を書くのはアドルフ・ガーランドで、彼が開戦当時に所属していた航空団こそ「JG26」であり、
以降もプリラーやクルピンスキーといったエース・パイロットも名を連ねています。
ちなみに航空団という単位は陸軍でいうところの「連隊」にあたると思いますので、
例えば第△△戦車連隊戦史とか、SSデア・フューラー連隊戦史のような位置づけでしょうか。。
1938年、ラインラントのデュッセルドルフの基地に新設された「第234戦闘航空団」。
その後「JG132」、そして「JG26」と改称するわけですが、この地域のヒーローの名を
名誉称号にしようということで、正式に「シュラゲーター」と命名されます。
隊員は誇らしく「シュラゲーター航空団」と書かれたカフタイトルを袖に付け、
機首を黄色く塗った新型戦闘機メッサーシュミット Bf-109E-1に乗って大戦に挑むことになります。

翌年のポーランド戦では西部の見張り部隊として参加はしなかったものの、
英仏との「まやかし戦争」中、唯一の戦果として、英空軍のブレニム双発軽爆撃機を撃墜、
この戦果は後のエース・パイロット、ヨアヒム・ミュンヘベルク少尉によるものです。
いよいよ始まった西方作戦ではルフトヴァッフェの中核として一路西へ飛び立ちます。
ダンケルクでも英国本土への大撤退作戦を空から援護する、ハリケーンやスピットファイアとの空戦、
その間にシュトゥーカ急降下爆撃機が英国の輸送船に攻撃を仕掛けます。
そしてここでも1日の戦果としては先例のない4機撃墜を果たすのはミュンヘベルク・・。

6月にはJG27からシュラゲーター第Ⅲ飛行隊長に着任したガーランド大尉が登場し、
JG51のメルダース少佐とともに撃墜記録を更新し、早くも騎士十字章を受けることに・・。
見事、電撃戦に勝利を収めると26歳のガーランドが、この「JG26」の司令に任命されるのでした。

当然、「シュラゲーター」とは何者?ということもキッチリ書かれていて
19歳で第1次大戦に従軍し、戦後はフライコーアを経て、ヴェルサイユ条約に基づき
ラインラントを占領していたフランス軍に対する、鉄道爆破というレジスタンス的な行為により、
1923年に銃殺されたアルベルト・レオ・シュラゲーターというナショナリスト・ヒーローだそうです。
う~ん。勉強になりました。なんとなく白いアリゲーターみたいなのを想像してましたから。。

「西部戦線の独空軍」という意味では代名詞と言えるバトル・オブ・ブリテンの火蓋が切って
落とされますが、足の遅い爆撃機の護衛として駆り出されるJG26の戦闘機パイロットたちは
苦戦を続け、自らのことを「鎖に繋がれた犬」と自嘲的に呼びます・・。

1941年になるとエジプトへ侵攻したイタリア軍のために、英領のマルタ島を無力化するべく、
JG26にも1個飛行中隊に出撃命令が下ります。
そして選ばれたのは若干22歳の騎士十字章拝領者、ミュンヘベルク中尉率いる
第7飛行中隊、通称ロットヘルツ(赤いハート)です。
航空団はそのインシグニアの他に中隊ごとにもマークを持っていて、
このロットヘルツは特に有名ですね。
それにしても、多分いままで出てきたのを一度も読んだことにないミュンヘベルクが
この前半の助演男優並みに登場するとは嬉しい驚きです。

一方、ドーヴァー海峡ではJG51から飛行隊長としてやってきたヨーゼフ・プリラーが
40機撃墜の柏葉騎士十字章を獲得した際の戦闘報告を紹介し、
その後も本書の主役の一人として随所に登場してきます。
司令のガーランドも戦闘機隊総監としてベルリンへ転出しますが、シャルンホルストとグナイゼナウ、
プリンツ・オイゲンのブレスト艦隊のドーヴァー海峡突破作戦のために帰還し、
JG26を含む航空団から成る一大護衛作戦を見事成功に終わらせます。
さらには連合軍によるデュエップ奇襲作戦の護衛機スピットファイアとの戦闘・・。
シュラゲーターだけで27機を撃墜します。

1943年からはフランスやベルギーのドイツ軍拠点を狙った米国昼間爆撃に対する迎撃任務に
忙殺される、新司令ヨーゼフ・プリラーと、Bf-109に代わり新たに配備され始めた
フォッケウルフ FW-190の戦いです。
ガーランドの弟"ヴーツ"ガーランドも飛行隊長として編隊の先頭に立って活躍し、
B-17、B-24といった四発重爆と護衛のスピットファイアとの激しい空中戦を繰り返します。

本書はドイツ側の戦果だけではなく、連合軍側の資料も詳しく分析して、誰が誰を撃墜したのか・・
もさまざまな記録や証言から検証しています。
例えば、激しい攻撃を受けエンジンの止まったB-17の米国パイロットの証言では、
「全員に脱出を命じ、機外に飛び出したが、ドイツ戦闘機2機が真っ直ぐ私に向かって飛んで来た!
そして50メートルまで接近した2機のパイロットは、パラシュートの私に向かって敬礼し、
機首を反らして飛び去って行った!」

しかし航続距離の短いスピットファイアから、P-47サンダーボルトやP-51マスタングといった
強靭で重武装の護衛戦闘機が次々と登場してくると、堂々たる大編隊でドイツ本土まで
爆弾の雨を降らす四発重爆を迎撃する、シュラゲーターの損害も大きく増えていきます。
そして遂に"ヴーツ"ガーランドもサンダーボルトの餌食に・・。

プリラーが列機と共に「史上最大の作戦」で活躍したエピソードや
その後もJG26以外の戦闘航空団も果敢に戦った西部戦線が紹介され、やがては
B-24リベレーターを撃墜し、西部戦線で100機撃墜した稀にみるパイロットとして
「剣章」受章者となったシュラゲーター司令のプリラー・・。
ですが、173機撃墜記録を持つ、百戦錬磨の第Ⅱ飛行隊長、エミール・ラング大尉は戦死。

出撃回数452回という物凄い数字を持った第Ⅲ飛行隊長クラウス・ミートゥーシュも
あの「マーケット・ガーデン作戦」に対する迎撃で撃墜されてしまいます。
そしてそのミートゥーシュの後任としてやってきたのは、23歳ながらも東部戦線で
177機を撃墜した柏葉章を持つ、ヴァルター・クルピンスキーです。

そんな彼ですら、もはや戦局は絶望的であり、続く「バルジの戦い」、
そして1945年元旦の「ボーデンプラッテ作戦」による戦闘機隊の壊滅的な大損害によって、
大した戦果も挙げることは出来ません。
特に「ボーデンプラッテ作戦」は味方の対空砲による損害は、自分の予想を超えており、
クルピンスキーも被弾するなど、プリラー大佐も怒り立って
この狂っているとしか言えない作戦の責任者、爆撃機隊のペルツ少将宛てに報告を書きます。

やがてプリラーはJG26に別れを告げ、西部方面の昼間戦闘機隊総監に任命され、
クルピンスキーもガーランドのジェット戦闘機隊「第44戦闘団」へと移って行きます。
それでもシュラゲーターは戦い続け、4月にはベルリンへの護衛飛行に駆り出されます。
12機のFW-190Dがそれと知らされずに護衛したのはヒトラーの地下壕へと向かう、
フォン・グライム上級大将と女性パイロットハンナ・ライチュです。。

やっぱりドイツ軍の興亡史というものは、「爽快」から始まって「絶望」で終わる・・
というのは避けられません。
本書もこのようにガーランドを筆頭に、多くのエース・パイロットが登場しますが、
全体的には決して、爽快な空戦記と呼ぶには程遠いものでした。
特に後半は以前に紹介した「ドイツ空軍の終焉」と同様のやるせない展開。。
まともに訓練も消化していない配属されたばかりの新米パイロットが語るシーンでは、
「中隊の将校たちは指導することを自分たちの責務だとは考えず、この負け戦の
数ヵ月を生き延びることしか頭になった・・」というのが印象に残っているくらいです。

それでも本書のような特定の航空団のボリュームたっぷりの興亡史というのは大変珍しく、
ちょっと他には思い当りません。
なんか「メッサーシュミットBf109E-4 ドイツ空軍不屈のエース 」というDVDも欲しくなりましたが、
次は「東部戦線の独空軍」を・・。でも、なぜかコッチはプレミア価格になってるんですよね。。
朝日ソノラマでは「鉄十字のエースたち」の復刊を期待しているワタクシでございますが。。。 今回のは全然わかる用語が出てこなかったので、まだワタシにはきっと難易度の高い本なんだと思われます。
去年日本で買ったのは読み尽くしちゃったので、どうしようかと思っていましたが、本棚にまだ未読のブーヘンルトヴァルトの収容所モノ?の小説があったのを見つけたので、それをいってみようかと思っています。
白いワニ、思わず江口寿史の昔の漫画を思い出しました。
by IZM (2011-06-28 05:04)
>未読のブーヘンルトヴァルトの収容所モノ?の小説があったのを見つけたので
おぉ・・それは「ブーヘンヴァルトの“ドーナル楢”」のことでは??
自分もチェックはしているんですが・・ぜひ独破後にレビューを・・。
>白いワニ、思わず江口寿史の昔の漫画を思い出しました。
そうかぁ、「白いワニが来た~」ってありましたねぇ。
by ヴィトゲンシュタイン (2011-06-28 07:06)
>それは「ブーヘンヴァルトの“ドーナル楢”」のことでは??
それです!さすが、よくご存知ですねえ!実はこの作家さんとは知り合いで、他の著作はすでによんでいたんですが、収容所ものはやはり敷居が高いというか、本能的に避けていたというべきか。。。 今回は頑張って独破したいです。
by IZM (2011-06-28 15:26)
ほ~、この作家さんとお知り合いですか。
しかし確かに「収容所もの」はなかなか読むのに勇気が要りますし、読破中も気が滅入ったり・・。
このような小説では最近、「慈しみの女神たち」というのが出て、しかもコレが上下巻のハードカバー、計1000ページでお値段9000円という代物です。。。高いぜ~!
by ヴィトゲンシュタイン (2011-06-29 17:29)