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ラスト・オブ・カンプフグルッペIV [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

高橋 慶史 著の「ラスト・オブ・カンプフグルッペIV」を読破しました。

前作の「ラスト・オブ・カンプフグルッペⅢ」が出版されたのが2012年。
ということは、小学生でもわかるように3年ぶりの新作です。
ちなみに第1弾は2001年ですから、実に14年続いているシリーズですか。
購入後、すぐに独破してしまうのはもったいないので、3週間ほど熟成させて、
かつ、2週間ほどかけて、全9章をゆっくり楽しみ、さらにもう一度読み直しました。

ラスト・オブ・カンプフグルッペIV.jpg

第1章からいきなり列車砲・・。「アンツィオ・アニー」です。
1943年9月、イタリアに連合軍が上陸すると、ケッセルリンクは強力な砲兵部隊の派遣を要請。
そこでフランスのパド・カレーで平和に暮らしていた列車砲中隊がアルプスを越えて、
イタリア戦線に派遣され、1944年2月、連合軍が陣取るアンツォ湾施設に
15発の巨弾を送り込むことに。

Leopold.jpg

2門の列車砲「28㎝ K-5 (E)」は、それぞれ「ロベルト」、「レオポルト」と呼ばれ、
突如として降り注いでくる死の恐怖にGIたちは「アンツィオ・アニー」という綽名をつけるのでした。

このような列車砲の運用も詳しく、キッチンやベッドなど隊員が寝起きしたり、
弾薬を保管するために10℃に保つ空調設備のある特殊貨車が随伴。
1回の砲撃は6発~8発に制限され、敵機の来襲前にササッとトンネルへ退避するのです。
しかし6月には巨弾も尽き、終焉の時を迎え、放置された「アンツィオ・アニー」は、
研究のために米国本土へと運ばれ、アバディーンの兵器博物館から、現在は、
ヴァージニア州フォートリーの軍事施設野外展示場で見ることができるそうな・・。

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第2章は「ディエップで朝食を」と題して、カナダ軍中心のディエップ奇襲の顛末を・・。
まぁ、コレについては「グリーン・ビーチ」を読んでいましたので、だいたいのことはアレですが、
さすがに戦況図に編成図、装備表と写真が掲載してあってわかりやすいですね。

第3章は1945年の2月~3月にかけてのポンメルン防衛戦。
主役となるのは、わずか2ヵ月間だけ存在した戦車師団「ホルシュタイン」です。
いや~、いよいよ「ラスト・オブ・カンプフグルッペ」らしくなってきました。
東部戦線での壊滅的な事態に対し、第233予備戦車師団を母体にして、
機甲擲弾兵補充旅団「グロースドイッチュラント」、戦車射撃学校「プトロス」、
戦車学校「ベルゲン」、その他、教育突撃砲旅団が集まって、
戦車師団「ホルシュタイン」を編成。。

その戦力はⅣ号戦車が46両、マーダー自走砲が9両とⅢ号突撃砲Ⅳ号駆逐戦車ラングです。
参謀総長グデーリアンによって「冬至(ゾンネンベンデ)作戦」が計画されるも、
肝心のヴァイクセル軍集団司令官がヒムラーでは、戦線の大崩壊は必至の状況で、
次長のヴェンクがヒムラーの代理として派遣されます。
あ~、グデーリアンを出向かえた、ヒムラーの参謀長ラマーディングSS少将も思わず、
「あの司令官をなんとかしていただけませんでしょうか・・?」
て言ってしまったエピソードを思い出しました。


Himmler_awarding_Waffen_SS_soldiers_1945.jpg

出来たてほやほやの「ホルシュタイン」を視察しに来たヴェンクは擲弾兵連隊長が輸送途中、
空襲により戦死したことを知ると、同行していた柏葉章拝領者のOKH機甲擲弾兵監察官、
エルンスト・ヴェルマン大佐を当座の指揮官任命。師団長も未着任のため、
そのまま彼が師団長代理として指揮を執ることになるのでした。
ん~。。こういう仕事の出来る人たちの臨機応変さっていうのは、実に気持ちがイイ。

Oberst Ernst Wellmann.jpg

しかし帰路の途中、三日三晩、不眠不休だったヴェンクは運転を誤り、鉄橋の橋脚に激突。
頭蓋骨と肋骨5本を骨折して静養するハメに・・。

Heinz Guderian Walther Wenck operation map discussing strategy.jpg

ソ連の2個軍12万名と対峙するポンメルン防衛線。
兵力不足のドイツ第3戦車軍といえば、SS「シャルルマーニュ」とSS「レットラント第1」という、
フランス人、ラトヴィア人部隊が中心で、ホルシュタインは予備部隊。
案の定、ソ連軍に粉砕されて、その後、フォン・テッタウ中将指揮の「テッタウ作戦軍団」として、
ホルシュタインはSS義勇兵の残余と共に再編され、退却戦へと進むのです。
途中、ヴォルフガング・パウルの名著「最終戦」から引用するなど、
この戦役部分だけ引っ張り出して、再読したくなりました。

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次の章も興味深い「SS第14/15コサック騎兵軍団」です。
まずは最初に投降したコサック部隊として1941年のバルバロッサにギブアップをし、
スターリン体制と戦うことを宣言するイヴァン・コノノフ率いるソ連の軽歩兵連隊を取り上げます。
投降した赤軍兵士から成る義勇兵部隊の編制がヒトラーに許可されて、
第600コサック大隊と命名され、コノノフ自身も晴れてドイツ陸軍中佐に昇進するのでした。

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このようなコサック部隊があちこちに誕生すると、それらを大規模な部隊として運用しようと、
元SA指導者で騎士十字章を持つ、ヘルムート・フォン・パンヴィッツに白羽の矢が立つことに。
参謀本部のシュタウフェンベルク少佐の働きかけがあったと書かれていますが、
あの「幻影 -ヒトラーの側で戦った赤軍兵たちの物語-」にあったエピソードですね。

そして1943年4月、ついに「第1コサック師団」が誕生しますが、旅団長や連隊長といった
ドイツ人将校は馬術技能に秀でていないと、部下のコサックたちに舐められてしまいますから、
フォン・なにがし・・といった名前を持つ、騎兵部隊の親分肌のベテランが集められるのです。

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1944年になると2個師団から成る「コサック軍団」を編成しようとするパンヴィッツ。
しかしこの時期、すでに陸軍にはコサック部隊なんぞに物資を提供する力はなく、
ヒムラーのとの会談の結果、「SSコサック軍団」となり、パンヴィッツ自身もSS中将に・・。

かと言っても武装SSの制服は着用せず、終始コサック風だったそうですが、
最終的にはウラソフのロシア解放軍も登場し、「遠すぎた家路」にも書かれていたような
悲惨な運命が彼らを待っているのでした。

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第5章はあの最弱と呼ばれる「空軍地上師団ついに逃げ勝つ」と題して、
1944年、ギリシャに駐留していた第11空軍地上師団がルーマニアの寝返りや
ブルガリアの枢軸からの離脱といったバルカン方面の危機に直面し、
プリンツ・オイゲンハントシャールといったSS義勇兵部隊と協力しつつ、
一大パルチザン帝国であるユーゴスラヴィアを突破し、
オーストリアを目指してひたすら撤退する・・という切ないお話。。

ラスカン①」では、マーケット・ガーデン作戦に対する寄せ集め戦闘団の戦いを、
ラスカン③」では、ワルシャワ蜂起に対する寄せ集め戦闘団の戦いを、
そして本書では3つめの寄せ集め戦闘団の戦い、「スロヴァキア蜂起」の登場です。

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1944年8月はワルシャワ蜂起パリ陥落、ルーマニアの脱落・・という状況で、
ソ連軍はスロヴァキア国境の手前カルパチャ山脈にまで進出中・・。
国境をソ連と接しておらず、フィンランドやルーマニアのように歴史的領土問題もないこの国では、
すでに厭戦気分が広がっており、東部、中部、西部に配置されたスロヴァキア軍が蜂起し、
同じスラヴ民族であるソ連軍を手引きしようということに・・。

しかし機甲連隊を有する最強の東部軍は、カルパチャ山脈持久戦を展開していた
ハイリーチ軍集団による「ジャガイモ刈り作戦」であっさりと武装解除。。
8月31日、ドイツ軍はSS本部長ゴットロープ・ベルガーをスロヴァキア防衛軍の責任者に任命し、
近郊のSS工兵学校や武装SS後方治安部隊、陸軍補充部隊を必死にかき集めます。

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兵力2200名のSS戦闘団「シル」や、中古Ⅳ号戦車15両だけの戦車師団「タトラ」、
SS第18義勇機甲擲弾兵師団 ホルスト・ヴェッセルの分遣隊であるSS戦闘団「シェーファー」
再編中の第14SS武装擲弾兵師団 ガリツィーエン中心の戦闘団といった、
数々の寄せ集め戦闘団が誕生。。いや~、こりゃ、かなりヤヤコシイ。。

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Ⅳ号戦車2両で攻撃を開始した戦車師団「タトラ」ですが、蜂起軍側のマーダーⅢによって撃破。
同胞だったスロヴァキア軍はシュコダ製戦車だけでなく、ドイツ軍から提供されていた
ドイツ軍兵器で善戦するのでした。

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9月22日、蜂起軍鎮圧作戦がスローペースなのに業を煮やしたヒムラーによって
ベルガーは解任されてしまい、ヘルマン・ヘーフレSS大将が後任になると、
SS部隊の増援による総攻撃を決意し、ホルスト・ヴェッセルとガリツィーエンの全部隊に加え、
あのワルシャワ蜂起鎮圧で疲れて編制中の、SS特別連隊「ディルレヴァンガー」も投入。
しかし北方線区で第1スターリン・パルチザン旅団の逆襲に遭遇してしまったディルレヴァンガー。
捕虜136名を出す大損害を蒙って撃退され、コレがスロヴァキア蜂起における
ドイツ軍最大の敗北という汚名を着ることに・・。

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そうはいっても兵力に勝るドイツ軍。2週間頑張ればソ連軍が来ると信じて戦った蜂起軍は、
実に2ヵ月に渡って死闘を繰り広げるも、ハインリーチの巧みな防御の前に大損害を出した
ソ連軍は、遂にやって来ることはなかったのでした。。

11月8日にはティソ大統領も出席した祝勝パレードも行われ、本書ではこの時のみならず、
写真、戦況図、編成図などを掲載しているものの、正直言って、難しいなぁ。。
2回読み返したのに、まだモヤモヤしているほどです。寄せ集め戦闘団、恐るべし・・。

Jozef Tiso 31. októbra 1944 vyznamenáva v Banskej Bystrici nemeckých vojakov, ktorí potlačili povstanie.jpg

次の章も「蜂起」。なかなか読めない「プラハ蜂起」です。
1945年3月、ソ連軍がチェコ領内に侵攻するも主力部隊はベルリン攻撃作戦に転用され、
5月1日を迎えた頃、西部のベーメンでも米軍が進撃中という状況。
ポーランドの「国内軍(AK)」と同様に、チェコにも地下抵抗組織「国民防衛(ON)」が存在し、
首都プラハではこのタイミングでドイツ軍を駆逐しようと武装蜂起します。

駐留するドイツ軍部隊は2万名程度で、ヘッツァーを有する部隊があるものの、雑多な小部隊。
ベーメン・メーレン保護領担当相カール・ヘルマン・フランクは、
この僅かな兵力でプラハの防衛と治安維持を行うのは不可能であるとして、
5月3日にヒトラーに後継者に指名されたデーニッツ大統領と会談し、
プラハを病院都市として攻撃対象から外すよう連合軍と折衝することが承認されますが、
米第3軍司令官であるパットンとの接触工作は失敗に終わるのです。
ふ~む。。初めて知ったエピソードだなぁ・・。

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この状況だけでもすでに四つ巴ですが、ここに問題を複雑にする軍団が登場。
ウラソフのロシア解放軍(РОА)です。
中央軍集団シェルナー元帥の命令を無視して戦線から離脱していたロシア解放軍は、
チェコの「国民防衛」から武装蜂起部隊への支援を要請されて、「プラハへ行軍!」
簡単に言うと一度寝返った人たちが、ここに来て、また寝返った・・ということですね。。

German MP (Feldgendarme) and a soldier of the Russian Liberation Army.jpg

ドイツ人市民を救出したいフランクは、保護領武装SS司令官ピュックラー=ブルクハウスに
緊急出動を依頼し、武装SSの各兵科学校や補充教育部隊の教官、生徒が動員され、
ココにSS緊急動員部隊「ヴァレンシュタイン」が誕生するのでした。

部隊名は、この地の三十年戦争期の英雄「アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン」から
頂戴したようで、武装SSにはよくあるパターンですね。

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そしてもう一つ、ウィーンで大損害を負った「ダス・ライヒ」の残余、デア・フューラー連隊の
戦闘団を率いるのは剣章拝領者のオットー・ヴァイディンガーSS中佐で、
ベルリン方面への移動命令はフューラーの死によって無効となり、
ピュックラー=ブルクハウスの緊急出動命令を受領して、プラハを目指すのです。
おぉ~、ヴァイディンガーか・・。お久しぶりです。。

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「ヴァレンシュタイン」はいくつかの「戦闘団」となって戦うわけですが、
途中、ジェット戦闘機Me-262が地上掃射したり、SA連隊「フェルトヘルンハレ」と合流するなど、
かなりカオスな展開が繰り広げられた挙句、
ウラソフの部隊はチェコのパルチザンに捕えられてソ連軍に引き渡され、
ヴァイディンガーは1000名を失うも、残った車両にドイツ難民を乗せ、米軍のいる西へ撤退。

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ピュックラー=ブルクハウスは6000名の将兵と共に降伏し、文書に署名した後に自決・・。
この人は第1次大戦で1級鉄十字章を授与された大尉で、戦後はSA少将、
1938年には陸軍大尉となって歩兵師団の作戦参謀を務め、
ヒムラーからの懇願を受けて武装SSに転入し、バッハ=ツェレウスキにも従えて、
SS第15「レットラント第1」師団長を拝命する・・という非常にカオスな人生を送っています。

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ラス前の第8章は「第三帝国最後の戦車師団出撃す!」
1945年4月の西部戦線・・。モーデルのB軍集団32万名が「ルール・ポケット」で包囲
そこでOKWは弱体な第11軍をハルツ山地に集結させて、強力な米3個軍の東進を防ぎつつ、
編制中であるヴェンクの第12軍と連絡して反撃させ、B軍集団の解囲を図る・・という、
まさに夢のような壮大な作戦を立案するのです。

主役となるのは第12軍に配属される予定で編成が進んでいた3個師団です。
再編された第84歩兵師団の他、歩兵師団「アルベルト・レオ・シュラゲーター」は
第1RAD(国家労働奉仕団)歩兵師団であり、7500名のRAD隊員と
壊滅した第299国民擲弾兵師団の残余・・という、これだけで泣けそうです。
シュラゲーターといえば、第26戦闘航空団(JG26)の愛称として知られていますが、
RADだけに、まさかメインとなる武器はシャベルってことはないだろうな・・。

⑦RAD.jpg

そしてもう一つの師団が戦車師団「クラウゼヴィッツ」であり、
第3章で壊滅した戦車師団「ホルシュタイン」、
戦車旅団「フェルトヘルンハレ」などが再編された師団です。
一応、ティーガー、パンター、ヤークトパンター、Ⅲ号突撃砲を装備しているものの、
悠長に完全編成の師団として出撃するわけではなく、逐次「戦闘団」として
先に孤立してしまった第11軍の救出に投入されるのです。

この3個師団は「第39戦車軍団」となりますが、軍団長はあのカール・デッカー大将
いや~、これまたお久しぶりです。この人はシュトラハヴィッツとやり合う気の強さがあって、
以前から気になっていた戦車将軍なんですね。

Karl Decker.jpg

4月14日、ヴァレ少佐率いる突撃砲20両による英軍への夜間攻撃。
そして明け方、チャーチル歩兵戦車の2個戦車中隊が近づいて来たのを確認すると、
歴戦の叩き上げフリードリヒ・アンディング少尉とシュティッツレ伍長の3人は、
パンツァーファウストによる攻撃に打って出るのです。
ヴァレ少佐は7両、アンディング少尉は6両と、次々に仕留めるまさに戦車猟兵の鑑・・。
本書の帯にも「歩兵3人vs戦車30両!!」と書かれているだけのクライマックスです。

Friedrich Anding 1.jpg

また、このアンディング少尉はその眼つきと右袖の「戦車撃破章」の数から気になっていた人物。
肉薄攻撃による敵戦車1両撃破で「銀章」、5両で「金章」、彼は3個ずつ付けているわけですね。

⑨Tank Destruction Badge in Gold and Silver2.jpg

4月20日、「クラウゼヴィッツ」師団長ウンライン中将らとトランプを楽しんだデッカー軍団長。
「明日は死か捕虜か2つの選択肢しかない。しかし米軍は私を捕虜にすることはできない」。
翌日、パンター2両を先頭に、デッカーの乗ったSd Kfz 234/2「プーマ」が続き、
敵歩兵中隊を50㎜砲と機関銃で掃射しながら突っ走ります。
う~ん。。プーマの戦記って初めて読んだ気がしますね。しかもデッカー軍団長が乗車中。。
その軍団長は拳銃自殺を遂げるのですが、まったく男らしい・・。

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結局、クラウゼヴィッツと「第39戦車軍団」のハルツ山地までの無謀な奮戦。
すでに第11軍は存在せず、救うはずのB軍集団も降伏したあと・・。
「戦争論」で有名なクラウゼヴィッツの名を冠し、たった25日で生涯を終えた戦車師団・・
というのも、まったく歴史の皮肉に感じますね。。

最後は「ドイツ海軍 高射砲艦」です。
この高射砲艦やら、防空巡洋艦・・などという名称自体、完全に初耳ですが、
船団護衛艦の防空力を高める必要性を感じた英海軍によって旧式の軽巡洋艦が改装され、
それを見た金満米海軍は防空巡洋艦11隻を建造・・という歴史を解説します。
魚雷発射装置と15㎝カノン砲を撤去して、高射砲、機関砲を設置する・・ということで、
わかりやすく言えば、IV号戦車の車体を用いた対空戦車ヴィルベルヴィントのようなモンですね。

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そしてドイツ海軍には「船団護衛」というテーマは無いにしろ、湾港施設に停泊している艦船を
敵の空襲から守る必要があり、そのためどれだけ低速でも、極端に言えば、
動力機関すらない、曳航式でもOK・・。
こうして鹵獲されていたノルウェー、デンマーク、オランダ等の外国製旧式艦艇7隻が
栄えある「高射砲艦」として生まれ変わるのでした。

このような外国人義勇兵的高射砲艦以外にも、純血アーリア人的高射砲艦も2隻存在します。
それは第1次大戦で活躍したガツィレ級小型巡洋艦、「アルコナ」と、「メデューサ」で、
1940年、動力機関が撤去された曳航式の高射砲艦としてデビュー。
乗員数は将校2名に下士官25名、兵員220名で、105㎜高射砲4門に
40㎜高射砲2門、20㎜機関砲6門を搭載して、ヴィルヘルムスハーフェンの湾港沖で
防空任務に就くのです。
しかし終戦間際に敵爆撃機の攻撃により中破・・、乗員22名が戦死するのでした。

Flakkreuzer Medusa.jpg

と、まぁ、今回も興味深い戦いが数多くありました。
特に「スロヴァキア蜂起」、「プラハ蜂起」、「クラウゼヴィッツ」の3連チャンはかなり濃く、
例えば「プラハ蜂起」で、「ヴィルヘルム・フリック総督が・・」という記述に驚き、
よくよく調べてみると、確かにノイラートの後任のベーメン・メーレン保護領総督でした。
ヤヤコシイですが、ノイラートの穏健な統治がヒトラーから嫌われて事実上のクビになり、
ハイドリヒが副総督としてやって来るも、暗殺されてダリューゲがその後任に・・。
そのダリューゲも心筋梗塞で重体になると、内相の座をヒムラーに奪われて、
暇だったフリックが正式に総督として腰かけでやって来た・・という流れでした。

Obergruppenführer K. H. Frank, Protector of Bohemia and Moravia Wilhelm Frick and army commander of Bohemia and Moravia Ferdinand Schaal.jpg

他にも、最弱の空軍地上師団なんて、脚本次第で戦争コメディ映画にもなりそうな気が・・。

このシリーズを読み終わっていつも困ることは、早く次を読みたいと思ってしまうことです。
果たして第5巻がいつ出るのかはわかりませんが、
それまで、過去の「ラスカン」3冊に、「カンプフ・オブ・ヴァッフェンSS」、
ドイツ武装SS師団写真史」をちびちび再読して誤魔化そうかと・・。









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