電撃戦 -グデーリアン回想録- (上) [回想録]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
ハインツ・グデーリアン著の「電撃戦(上)」を読破しました。
戦後間もない1950年に西ドイツで発刊された、とてつもなく有名な回想録です。
日本でも2回、発刊されていますが、これがなかなか売っていません。
特に1999年再刊の本著も既に絶版で、売っていたにしてもとんでもない値段が付いています。
今回、なんとかほぼ定価(上下セットで1万円)で購入できました。
早速、回想録に付きものの第一章「家族と生い立ち」からじっくりとグデーリアンの前半生を
確認しようと思いきや、第1次大戦も含め、わずか3ページでこの章は終了。
しかし、これでこの回想録の位置づけとグデーリアンという人物がわかったような気がします。
韋駄天ハインツと呼ばれたように、あまり核心と関係ないことはさっと流して、
本題に突入!といった気合が感じられます。
そして10万人軍隊のなかで新設の自動車化部隊の運用研究を任ぜられ
他の兵科の妨害や嘲笑、保守的な考えの上司などとの格闘の末、
戦車装甲部隊創設までの苦難の過程を振り返ります。
その結果は時同じくして台頭してきたヒトラーに認められ
オーストリア進軍、ズデーテンラント進駐と第3帝国軍の花形としての地位を
確立して行きます。
いよいよフランスへの電撃戦。旧友フォン・マンシュタインから有名なプランを聞かされ
装甲部隊の機動は可能であることを請け負ったグデーリアンでしたが、
いざ作戦準備の段階になると、この膨大な装甲集団を一体誰が率いるのか
ということが大問題となりますが、「結局、装甲部隊に好意的ではない
フォン・クライストにお鉢が回ってしまった」と述べています。
そして怒涛の進撃をするクライスト装甲集団の第19軍団を率いるグデーリアンと
第41軍団のラインハルトですが、突然の停止命令に反抗したため、
上官のクライストから暴言の嵐を受け、自ら罷免を願い出ます。
しかしなんとかA軍集団司令官のルントシュテットとリスト上級大将の取り成しによって、
クライストと和解したそうです。
続く、バルバロッサ作戦ではヒトラーと総司令部の優柔不断な戦略により
氷点下35℃という寒さのなか、モスクワを目前にして
第2装甲軍のグデーリアンも停止してしまいます。
最前線の状況を説明し、退却すべきというヒトラーへの直訴も却下され、
新たな中央軍集団司令官のフォン・クルーゲ元帥とも激論を繰り返した末、
ここでも辞任を申し出ますが、先手を打ってヒトラーに報告したクルーゲにより
罷免されてしまいます。
とにかくクルーゲとは最初から完全にウマが合わないといった印象で、
この事件はグデーリアンが軍法会議へ提訴したりと、恨みにも似た感すらあります。
このようにして1941年は終わりを告げ、
1942年の攻勢からスターリングラードの戦いに至るまでを
ベルリンでブラブラしながら過ごすことになるのでした。
ハインツ・グデーリアン著の「電撃戦(上)」を読破しました。
戦後間もない1950年に西ドイツで発刊された、とてつもなく有名な回想録です。
日本でも2回、発刊されていますが、これがなかなか売っていません。
特に1999年再刊の本著も既に絶版で、売っていたにしてもとんでもない値段が付いています。
今回、なんとかほぼ定価(上下セットで1万円)で購入できました。
早速、回想録に付きものの第一章「家族と生い立ち」からじっくりとグデーリアンの前半生を
確認しようと思いきや、第1次大戦も含め、わずか3ページでこの章は終了。
しかし、これでこの回想録の位置づけとグデーリアンという人物がわかったような気がします。
韋駄天ハインツと呼ばれたように、あまり核心と関係ないことはさっと流して、
本題に突入!といった気合が感じられます。
そして10万人軍隊のなかで新設の自動車化部隊の運用研究を任ぜられ
他の兵科の妨害や嘲笑、保守的な考えの上司などとの格闘の末、
戦車装甲部隊創設までの苦難の過程を振り返ります。
その結果は時同じくして台頭してきたヒトラーに認められ
オーストリア進軍、ズデーテンラント進駐と第3帝国軍の花形としての地位を
確立して行きます。
いよいよフランスへの電撃戦。旧友フォン・マンシュタインから有名なプランを聞かされ
装甲部隊の機動は可能であることを請け負ったグデーリアンでしたが、
いざ作戦準備の段階になると、この膨大な装甲集団を一体誰が率いるのか
ということが大問題となりますが、「結局、装甲部隊に好意的ではない
フォン・クライストにお鉢が回ってしまった」と述べています。
そして怒涛の進撃をするクライスト装甲集団の第19軍団を率いるグデーリアンと
第41軍団のラインハルトですが、突然の停止命令に反抗したため、
上官のクライストから暴言の嵐を受け、自ら罷免を願い出ます。
しかしなんとかA軍集団司令官のルントシュテットとリスト上級大将の取り成しによって、
クライストと和解したそうです。
続く、バルバロッサ作戦ではヒトラーと総司令部の優柔不断な戦略により
氷点下35℃という寒さのなか、モスクワを目前にして
第2装甲軍のグデーリアンも停止してしまいます。
最前線の状況を説明し、退却すべきというヒトラーへの直訴も却下され、
新たな中央軍集団司令官のフォン・クルーゲ元帥とも激論を繰り返した末、
ここでも辞任を申し出ますが、先手を打ってヒトラーに報告したクルーゲにより
罷免されてしまいます。
とにかくクルーゲとは最初から完全にウマが合わないといった印象で、
この事件はグデーリアンが軍法会議へ提訴したりと、恨みにも似た感すらあります。
このようにして1941年は終わりを告げ、
1942年の攻勢からスターリングラードの戦いに至るまでを
ベルリンでブラブラしながら過ごすことになるのでした。
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