ふたつの戦争を生きて ファシズムの戦争とパルチザンの戦争 [イタリア]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
ヌート・レヴェッリ著の「ふたつの戦争を生きて」を読破しました。
実に久しぶりとなる「イタリアもの」の紹介です。
前回はいつかというと、2010年9月の「誰がムッソリーニを処刑したか」ですから、
3年以上になりますね。
ちょうどその頃、2010年7月に出た272ページの本書は
イタリア軍将校として東部戦線に従軍し、その後、本国でパルチザンとして・・という、
タイトルどおりの経歴を持つ著者による一冊です。

「はじめに」では、一般的な歴史書や将軍たちが書いた回想録を
「高所から見た歴史」と位置づけ、兵士たちの声、「底辺から見た戦争」を重視し、
素晴らしい本として「雪の中の軍曹」を挙げています。
あ~、あれも何とも言えない良い本でした。今でもすぐに思い出せますね。
第1章は、著者の生まれた1919年に出現した初期のファシストについて。
イタリア全般というよりも、著者の出身地であるクーネオ県が舞台です。
このクーネオ県はピエモンテ州の南西部に位置し、北にはトリノ、
西はアルプス山脈をはさんでフランスに接する地域のようです。
1930年代になると教育はファシズム一色となり、
全国バリッラ事業団(後のリットリオ青年団)により、青少年は強制的に組織されます。
6歳~8歳までは「牝狼の息子たち(フィーリ・デッラ・ルーパ)」。

11歳までは木製の銃を与えられた「バリッラ少年団」、
14歳になると本物の銃を与えられて「前衛少年団(アヴァングァルディスティ)」、
最終的に18歳までの若者で構成される「青年ファシスト隊(ジョヴァニ・ファシスティ)」となります。
ヒトラー・ユーゲントと、その年少組織と同様・・というか、その手本ですね。

女の子の場合にもナチスのBDMなどと同じく年齢別に組織され、
最初は「イタリアの少女たち(ピッコリ・イタリアーネ)」、

「イタリアの娘たち(ジョヴァニ・イタリアーネ)」、

そして最後には「ファシスト婦人団(ドンネ・ファシステ)」となっていくのです。

いや~、こんな話、初めて知りました。
ちょっと調べてみましたが、日本語で書かれた書籍やWebサイトは見つかりませんでした。
やっぱりピン・バッジなんかもあったようで・・。

そして10代の著者も勉強そっちのけで、制服を着た軍隊モドキの生活、
提供されるスポーツ活動に励み、大いに満足しているのです。
学校は公然たるファシズム機関と化し、非ファシズムは危険を伴います。
エチオピア戦争、スペイン戦争と戦勝を祝う日が続き、
1938年には人種法が制定され、クラスのユダヤ人も学校に来られなくなるのです。

1940年6月にはドイツ軍の電撃戦の前に右往左往しているフランスに対し、
火事場泥棒的に攻め込みます。
10月にはアルバニアからギリシャへと侵攻。
しかし12月には前線が壊滅状態になると、バドリオが参謀本部から放逐され、
1941年4月、ドイツ軍がユーゴからギリシャに転進したことによって、
ムッソリーニもようやく喚き立てることができたのです。
「我々はギリシャを粉砕するだろう」。

そんな1939年から1941年の4月まで、著者はモデナの陸軍士官学校に在籍。
叩き込まれた第1点は、
「国王は国家のヒエラルキーの頂点に位置し、次に来るのが皇太子殿下ピエモンテ公、
最後が内閣の長であり、全軍総司令官たるムッソリーニ閣下」。
あ~、ピエモンテ公ウンベルト2世は、マリア・ジョゼーの旦那さんかぁ。。

そしてもう1点、「軍とファシズムは別物である」。
パドリオが参謀総長を解任されたその日、厳格な老士官である教官が授業で語ります。
「卑しいファシストどもの、烏合の衆どもの陰謀がわが軍のバドリオ元帥を罷免したのである。
ファシストどもはイタリア全軍を辱めた。暗黒の時代となった」。
序文で「本書は歴史書と回想録の中間に位置する」と書かれているとおり、
章ごとにまず全体的なイタリア軍の情勢が描かれ、次に著者の体験へと続くパターンです。
士官学校の制服は伝統的なようで、特に色合いが良いですね。イタリアのセンスです。

1941年6月21日、ドイツ軍による「バルバロッサ作戦」発動の前日に、
ムッソリーニは参謀本部に「軍団」の創設を要請します。
ドゥーチェの思いは唯ひとつ、「乗り遅れるな」。

しかしヒトラーは、イタリアは北アフリカと地中海の戦いを強化すべきだと釘を刺し、
6月30日にはロシア戦線についての現状を報告し、敵がまさに鋼鉄の動く要塞というべき
装甲75㎜の巨大な52㌧戦車を配備していることを告げるのです。
「ドゥーチェよ、よく考えたまえ。きみの3㌧戦車など、ここではおもちゃのようなものだよ」。
まぁ、実際にはもっと丁寧な言葉づかいの手紙を送っているんでしょうが、
以前から気になっていた「ヒトラー=ムッソリーニ秘密往復書簡」を読んでみたくなりました。

そんなことは意に介さないムッソリーニ。
7月9日、ロシア戦線イタリア派遣軍(CSIR)が結成され、
パズビオとトリノの自動車化師団に第3快速師団、戦闘機51機を含む空軍など、
将校2900名、兵58800名をジョヴァンニ・メッセ司令官と共に送り込むのです。
ルーマニアで軍輸送列車から降ろされたイタリア派遣軍。
ここから先は集結地点まで自力でやりくりせよ・・と言うドイツ軍に対して、
「君たちは誤解している。CSIRは自動車化部隊ではなく、
トラックで移動する訓練を受けた「『自動車輸送可能』部隊なのだ」。。

仕方なく自前のトラックでカルパチア山脈を越え、ドニエストル河畔を目指しますが、
トリノ師団に至っては全行程1300㌔を徒歩で進む羽目に・・。
難渋の末にフォン・クライストのもとで進軍するイタリア派遣軍。
しかし冬には全戦線が行き詰まり、ヒトラーも追加の軍団の派遣を要請することになって、
1942年7月には3個軍団から成るガリボルディ将軍の
「イタリア第8軍」として生まれ変わるのです。
将校7000名、兵22万と大増強され、「小型トラック」と呼ばれた例の3㌧戦車も55両配備。。
少尉に任官したての著者も、第2山岳師団「トリデンティーナ」に所属して出発。

前年の冬から何も学ばず、北アフリカで戦うのと同じ靴を履かされたイタリア第8軍。
片やドイツ軍はフェルトでできた「ヴァーレンキ」という冬靴を大量生産しています。
山岳軍団としてカフカス山脈に向かっていたはずが、いつの間にやら12月には
ドン河での防衛陣地に配備され、ハンガリー第2軍とルーマニア第3軍に挟まれます。
これは確か、ハンガリー軍とルーマニア軍をくっつけると戦争になる・・って話だったような。。
イタリア軍の前線は270㌔に及び、後方には予備軍のない、心もとない抵抗線。
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そして12月11日、ソ連軍の攻勢が始まります。
スターリングラードの「天王星作戦」に続く、「小土星作戦」ですね。
1月、何の予告も無く前線を放棄して西へと撤退したお隣さんのハンガリー軍。
左翼は完全な無防備の状態となり、トリデンティーナ師団も
ドン河から離れることを余儀なくされます。
脚が凍傷になって行き倒れている兵士・・。
まさに「雪の中の軍曹」を再現した世界が繰り広げられています。

ドイツ軍が遺棄したコニャックが山と積まれた倉庫を発見し、
水筒をコニャックで満たして酔っ払った部下たちの姿・・。
この寒さに空きっ腹でコニャックを流し込むことは、野垂れ死にを意味します。
年上の部下たちは憎々しげに語ります。
「俺たちにはコニャックしか残ってないんだ。
なのにあんたは、それさえも取り上げようというのか!」
またある時にはソ連軍が遺棄していったトラックによじ登り、
「蒸留酒が詰まった容器がある」と誰かが叫ぶと、山岳兵たちが殺到。
黄色のベタついた妙な甘みのあるその液体を大勢が飲みますが、
正体は「不凍液」。。
多くが中毒死する、おぞましい光景です。

ソ連軍に包囲され、カチューシャ・ロケットに戦闘機の機銃掃射を浴びる師団。
若き少尉である著者は疑問に思います。
「ローマは我々の窮状を知っているのだろうか。なぜ救援しようとしないのか・・」。
そしてファシズムと軍上層部、希望のない袋小路に追い込んだ「祖国」を呪うのでした。

ロシアから戻らなかった者85000名のうち、行方不明者が64000名。
著者はなんとか包囲網からの脱出に成功し、故郷へと帰還を果たします。
神経を冒されて引き籠りの生活を送るなか、7月25日、ファシズムが崩壊。
連合軍がシチリアに上陸し、ムッソリーニが逮捕されたということです。
9月8日にはバドリオの休戦を伝えるニュースが流れ、戦争が終わったと歓喜する人々。

3日後、装甲車の隊列をなしてクーネオにやってきたドイツ軍が広場を占拠。
ワルシャワで、ロシアで目にした厚顔で傲慢で、おぞましいドイツ軍の姿。
しかもヨッヘン・パイパーが率いるSS部隊なのです。
9月19日にはパイパーSS少佐による虐殺がボヴェス村で行われます。
お~、コレは「炎の騎士 -ヨーヘン・パイパー戦記-」にもありましたね。
著者はパルチザン部隊「戦死者たちの復讐第一中隊」を結成し、
ドイツ軍とファシストに徹底抗戦することを決意するのでした。

そんなパルチザン狩り、掃討作戦を実施するドイツ軍。
それに追従する形で現れるのが憎きファシストであり、
パルチザンの縁者を連行しては口を割らせるために打ちのめす、
残忍非道な拷問者であり、捕えた者は縛り首にするのです。
片やパルチザンはファシストを人間として尊重し、痛めつけることなく、銃殺。。

後半は小さな組織が入り乱れての複雑なパルチザン戦ですから、
著者の回想がほとんどを占め、例えばムッソリーニの最期などには触れられません。
ドイツ軍が悪役であるにしても、ある意味、イタリア人同士による内戦ですし、
客観的には「寝返った」などと、いろいろ言われているだけに
読み方によって本書の印象は変わってくるでしょう。

それでも著者の思い、「底辺から見た戦争」は充分に伝わってくる一冊で、
こんなにイタリア軍のことを知らなかったのか・・と、目から鱗が落ちた一冊でした。
また、イタリア軍だけでなく、まるでヒトラー・ユーゲントのような青少年組織や、
武装SSのようなファシスト軍(国家義勇軍、黒シャツ隊)など、
大きく3つに分けて詳しく知りたくなりました。
「イタリア軍入門 1939~1945」や、「Viva! 知られざるイタリア軍」で勉強してみようかなぁ??
と思いますが、青年団に関する書籍は皆無ですし、黒シャツ隊も同様です。
特に黒シャツ隊の一部は、武装SSの「イタリア第1」になっていったようですから、
なおさら興味が湧いてきました。
ヌート・レヴェッリ著の「ふたつの戦争を生きて」を読破しました。
実に久しぶりとなる「イタリアもの」の紹介です。
前回はいつかというと、2010年9月の「誰がムッソリーニを処刑したか」ですから、
3年以上になりますね。
ちょうどその頃、2010年7月に出た272ページの本書は
イタリア軍将校として東部戦線に従軍し、その後、本国でパルチザンとして・・という、
タイトルどおりの経歴を持つ著者による一冊です。

「はじめに」では、一般的な歴史書や将軍たちが書いた回想録を
「高所から見た歴史」と位置づけ、兵士たちの声、「底辺から見た戦争」を重視し、
素晴らしい本として「雪の中の軍曹」を挙げています。
あ~、あれも何とも言えない良い本でした。今でもすぐに思い出せますね。
第1章は、著者の生まれた1919年に出現した初期のファシストについて。
イタリア全般というよりも、著者の出身地であるクーネオ県が舞台です。
このクーネオ県はピエモンテ州の南西部に位置し、北にはトリノ、
西はアルプス山脈をはさんでフランスに接する地域のようです。
1930年代になると教育はファシズム一色となり、
全国バリッラ事業団(後のリットリオ青年団)により、青少年は強制的に組織されます。
6歳~8歳までは「牝狼の息子たち(フィーリ・デッラ・ルーパ)」。

11歳までは木製の銃を与えられた「バリッラ少年団」、
14歳になると本物の銃を与えられて「前衛少年団(アヴァングァルディスティ)」、
最終的に18歳までの若者で構成される「青年ファシスト隊(ジョヴァニ・ファシスティ)」となります。
ヒトラー・ユーゲントと、その年少組織と同様・・というか、その手本ですね。

女の子の場合にもナチスのBDMなどと同じく年齢別に組織され、
最初は「イタリアの少女たち(ピッコリ・イタリアーネ)」、

「イタリアの娘たち(ジョヴァニ・イタリアーネ)」、

そして最後には「ファシスト婦人団(ドンネ・ファシステ)」となっていくのです。

いや~、こんな話、初めて知りました。
ちょっと調べてみましたが、日本語で書かれた書籍やWebサイトは見つかりませんでした。
やっぱりピン・バッジなんかもあったようで・・。

そして10代の著者も勉強そっちのけで、制服を着た軍隊モドキの生活、
提供されるスポーツ活動に励み、大いに満足しているのです。
学校は公然たるファシズム機関と化し、非ファシズムは危険を伴います。
エチオピア戦争、スペイン戦争と戦勝を祝う日が続き、
1938年には人種法が制定され、クラスのユダヤ人も学校に来られなくなるのです。

1940年6月にはドイツ軍の電撃戦の前に右往左往しているフランスに対し、
火事場泥棒的に攻め込みます。
10月にはアルバニアからギリシャへと侵攻。
しかし12月には前線が壊滅状態になると、バドリオが参謀本部から放逐され、
1941年4月、ドイツ軍がユーゴからギリシャに転進したことによって、
ムッソリーニもようやく喚き立てることができたのです。
「我々はギリシャを粉砕するだろう」。

そんな1939年から1941年の4月まで、著者はモデナの陸軍士官学校に在籍。
叩き込まれた第1点は、
「国王は国家のヒエラルキーの頂点に位置し、次に来るのが皇太子殿下ピエモンテ公、
最後が内閣の長であり、全軍総司令官たるムッソリーニ閣下」。
あ~、ピエモンテ公ウンベルト2世は、マリア・ジョゼーの旦那さんかぁ。。

そしてもう1点、「軍とファシズムは別物である」。
パドリオが参謀総長を解任されたその日、厳格な老士官である教官が授業で語ります。
「卑しいファシストどもの、烏合の衆どもの陰謀がわが軍のバドリオ元帥を罷免したのである。
ファシストどもはイタリア全軍を辱めた。暗黒の時代となった」。
序文で「本書は歴史書と回想録の中間に位置する」と書かれているとおり、
章ごとにまず全体的なイタリア軍の情勢が描かれ、次に著者の体験へと続くパターンです。
士官学校の制服は伝統的なようで、特に色合いが良いですね。イタリアのセンスです。

1941年6月21日、ドイツ軍による「バルバロッサ作戦」発動の前日に、
ムッソリーニは参謀本部に「軍団」の創設を要請します。
ドゥーチェの思いは唯ひとつ、「乗り遅れるな」。

しかしヒトラーは、イタリアは北アフリカと地中海の戦いを強化すべきだと釘を刺し、
6月30日にはロシア戦線についての現状を報告し、敵がまさに鋼鉄の動く要塞というべき
装甲75㎜の巨大な52㌧戦車を配備していることを告げるのです。
「ドゥーチェよ、よく考えたまえ。きみの3㌧戦車など、ここではおもちゃのようなものだよ」。
まぁ、実際にはもっと丁寧な言葉づかいの手紙を送っているんでしょうが、
以前から気になっていた「ヒトラー=ムッソリーニ秘密往復書簡」を読んでみたくなりました。

そんなことは意に介さないムッソリーニ。
7月9日、ロシア戦線イタリア派遣軍(CSIR)が結成され、
パズビオとトリノの自動車化師団に第3快速師団、戦闘機51機を含む空軍など、
将校2900名、兵58800名をジョヴァンニ・メッセ司令官と共に送り込むのです。
ルーマニアで軍輸送列車から降ろされたイタリア派遣軍。
ここから先は集結地点まで自力でやりくりせよ・・と言うドイツ軍に対して、
「君たちは誤解している。CSIRは自動車化部隊ではなく、
トラックで移動する訓練を受けた「『自動車輸送可能』部隊なのだ」。。

仕方なく自前のトラックでカルパチア山脈を越え、ドニエストル河畔を目指しますが、
トリノ師団に至っては全行程1300㌔を徒歩で進む羽目に・・。
難渋の末にフォン・クライストのもとで進軍するイタリア派遣軍。
しかし冬には全戦線が行き詰まり、ヒトラーも追加の軍団の派遣を要請することになって、
1942年7月には3個軍団から成るガリボルディ将軍の
「イタリア第8軍」として生まれ変わるのです。
将校7000名、兵22万と大増強され、「小型トラック」と呼ばれた例の3㌧戦車も55両配備。。
少尉に任官したての著者も、第2山岳師団「トリデンティーナ」に所属して出発。

前年の冬から何も学ばず、北アフリカで戦うのと同じ靴を履かされたイタリア第8軍。
片やドイツ軍はフェルトでできた「ヴァーレンキ」という冬靴を大量生産しています。
山岳軍団としてカフカス山脈に向かっていたはずが、いつの間にやら12月には
ドン河での防衛陣地に配備され、ハンガリー第2軍とルーマニア第3軍に挟まれます。
これは確か、ハンガリー軍とルーマニア軍をくっつけると戦争になる・・って話だったような。。
イタリア軍の前線は270㌔に及び、後方には予備軍のない、心もとない抵抗線。
.jpg)
そして12月11日、ソ連軍の攻勢が始まります。
スターリングラードの「天王星作戦」に続く、「小土星作戦」ですね。
1月、何の予告も無く前線を放棄して西へと撤退したお隣さんのハンガリー軍。
左翼は完全な無防備の状態となり、トリデンティーナ師団も
ドン河から離れることを余儀なくされます。
脚が凍傷になって行き倒れている兵士・・。
まさに「雪の中の軍曹」を再現した世界が繰り広げられています。

ドイツ軍が遺棄したコニャックが山と積まれた倉庫を発見し、
水筒をコニャックで満たして酔っ払った部下たちの姿・・。
この寒さに空きっ腹でコニャックを流し込むことは、野垂れ死にを意味します。
年上の部下たちは憎々しげに語ります。
「俺たちにはコニャックしか残ってないんだ。
なのにあんたは、それさえも取り上げようというのか!」
またある時にはソ連軍が遺棄していったトラックによじ登り、
「蒸留酒が詰まった容器がある」と誰かが叫ぶと、山岳兵たちが殺到。
黄色のベタついた妙な甘みのあるその液体を大勢が飲みますが、
正体は「不凍液」。。
多くが中毒死する、おぞましい光景です。

ソ連軍に包囲され、カチューシャ・ロケットに戦闘機の機銃掃射を浴びる師団。
若き少尉である著者は疑問に思います。
「ローマは我々の窮状を知っているのだろうか。なぜ救援しようとしないのか・・」。
そしてファシズムと軍上層部、希望のない袋小路に追い込んだ「祖国」を呪うのでした。

ロシアから戻らなかった者85000名のうち、行方不明者が64000名。
著者はなんとか包囲網からの脱出に成功し、故郷へと帰還を果たします。
神経を冒されて引き籠りの生活を送るなか、7月25日、ファシズムが崩壊。
連合軍がシチリアに上陸し、ムッソリーニが逮捕されたということです。
9月8日にはバドリオの休戦を伝えるニュースが流れ、戦争が終わったと歓喜する人々。

3日後、装甲車の隊列をなしてクーネオにやってきたドイツ軍が広場を占拠。
ワルシャワで、ロシアで目にした厚顔で傲慢で、おぞましいドイツ軍の姿。
しかもヨッヘン・パイパーが率いるSS部隊なのです。
9月19日にはパイパーSS少佐による虐殺がボヴェス村で行われます。
お~、コレは「炎の騎士 -ヨーヘン・パイパー戦記-」にもありましたね。
著者はパルチザン部隊「戦死者たちの復讐第一中隊」を結成し、
ドイツ軍とファシストに徹底抗戦することを決意するのでした。

そんなパルチザン狩り、掃討作戦を実施するドイツ軍。
それに追従する形で現れるのが憎きファシストであり、
パルチザンの縁者を連行しては口を割らせるために打ちのめす、
残忍非道な拷問者であり、捕えた者は縛り首にするのです。
片やパルチザンはファシストを人間として尊重し、痛めつけることなく、銃殺。。

後半は小さな組織が入り乱れての複雑なパルチザン戦ですから、
著者の回想がほとんどを占め、例えばムッソリーニの最期などには触れられません。
ドイツ軍が悪役であるにしても、ある意味、イタリア人同士による内戦ですし、
客観的には「寝返った」などと、いろいろ言われているだけに
読み方によって本書の印象は変わってくるでしょう。

それでも著者の思い、「底辺から見た戦争」は充分に伝わってくる一冊で、
こんなにイタリア軍のことを知らなかったのか・・と、目から鱗が落ちた一冊でした。
また、イタリア軍だけでなく、まるでヒトラー・ユーゲントのような青少年組織や、
武装SSのようなファシスト軍(国家義勇軍、黒シャツ隊)など、
大きく3つに分けて詳しく知りたくなりました。
「イタリア軍入門 1939~1945」や、「Viva! 知られざるイタリア軍」で勉強してみようかなぁ??
と思いますが、青年団に関する書籍は皆無ですし、黒シャツ隊も同様です。
特に黒シャツ隊の一部は、武装SSの「イタリア第1」になっていったようですから、
なおさら興味が湧いてきました。
2014-02-06 07:28
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コメント(4)
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どうもです!
雪に埋まって毎日氷点下の酷寒の地からです。
何やら首都も降雪するとか・・・・・
さて、イタリア人の戦争観とは何だったのでしょうか?
旧ドイツ軍人からは酷評されていますが
そもそも、ドウチェの「乗り遅れるな!」で北アフリカ・ロシアへ
送り込まれてしまった多くの兵士。
不幸以外の何物でもなっかたと思います。
もちろん、個々の兵士の方々の奮闘は評価に値しますが・・・
前線で戦争の虚しさを見てしまった生き残りの兵士が
パルチザン化しても不思議はないと思います。
雪国人からの警告ですが
外出は控えた方がよろしいと思います。
以前・降雪時の首都を訪れた際、雪や氷の上の歩行方法が
まったく、状況を認識していないようです。
また、装備(防寒靴)が夏のまま・・・
車も夏タイア(いわゆる標準タイア)のままでは事故の元。
まるで、1941年12月・モスクワ全面のドイツ軍のようでした~♪
by あっき~ (2014-02-08 11:14)
ど~も。あっき~さん。
なんでも回想録を読むと、簡単に本人のような気になってしまう男です。
東京下町は10㎝は積もりましたねぇ。
今日一日は引き籠る準備をしていたので正解でした。
まさに本書のドン河での防衛陣地のようですね。
なにやら35mの暴風も吹くようですし、暇だからってこれからバーボンでも呑んで、フラフラと近所のスーパーへ買い出しにでも行ったら、イタリア兵のように行き倒れてしまうでしょう。。
by ヴィトゲンシュタイン (2014-02-08 14:24)
ヴィト様こんにちは。
雪で東京の皆さんは大変だったようですね。
こんな面白そうな本、どうやってみつけてこられたのですか?www
雪の中の歩兵の写真は、季節がら身に浸みて寒いですね。。。。
そういえば数年前に亡くなった、広島と長崎で2重被爆されたという方(広島で被爆し、長崎に非難したらそこでも被爆)がいましたが、なぜかタイトル名からそれを連想してしまいました。。。。
イタリア戦線だと個人的にとても気になっているのが米軍第442連隊戦闘団で、それ関連の書籍を今度狙っています。
いい週末をお過ごしください。
by IZM (2014-02-08 19:40)
ど~も。 IZMさん。
本書はもう2年くらい前からなんとなくチェックしていたんですね。
今年はいろんな本を読みたい気分なんで・・。
>広島と長崎で2重被爆されたという方
これは初耳です。。なんと言っていいのか。。
いま日本では、佐村河内守という名の、広島の被爆2世で「両耳が聞こえない日本のベートーベン」というおっさんが、実はインチキ野郎だった・・という話で盛り上がっていますよ。
それから「米軍第442連隊戦闘団」・・。
ボクもさすがにわかりました。確かに気になりますし、本もいろいろ出てますね。
でも、コレは難しいなぁ。当時の日系アメリカ人を理解できるのか・・。というより、いまは当時の一般的な(右寄りの)日本人を勉強している最中ですから、「理解したくない」という思いの方が自分の中で強い気がします。とは言っても、面白そうですね。
by ヴィトゲンシュタイン (2014-02-08 20:41)