ドイツ夜間戦闘機 [ドイツ空軍]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
渡辺 洋二著の「ドイツ夜間戦闘機」を読破しました。
星明りを頼りに偶然のような夜間戦闘を行った開戦当初から
英国とのしのぎを削るレーダー開発争い、そしてジェット夜間戦闘機登場までを
バランス良くまとめた夜戦興亡史です。
最初の夜間戦闘機、メッサーシュミットの双発機Bf110、
やがてはユンカースのJu-88が主力となっていきますが、
その他にもドルニエのDo-17やら、フォッケウルフも案の定、夜戦の生産をしています。
技術向上のために複数の社が開発するのはわかりますが、
それにしても、この一貫性のなさというか、どうなんでしょうか?
大型化する連合軍爆撃機に対する迎撃強化、すなわち新型夜間戦闘機開発ということが
爆撃には爆撃をもって対抗すべしというヒトラーの戦術感と合わず、
さすがに夜戦の必要性を認識しだしたゲーリングもこれには困ったようですが、
結果的には後手後手にまわってしまった印象です。
他にもサーチライトによる爆撃機補足と連動して誘導された夜戦の攻撃など
レーダー開発競争だけでなく、その戦闘方法の変化もかなり詳細です。
エース・パイロットたちも随所に登場します。
夜戦の第1位のエース、シュナウファー少佐は撃墜記録121機、
2位のヘルムート・レントは102機ですが、夜戦パイロットとしてはなぜかもっとも有名です。
まったく戦果を挙げることができず、昼間戦闘機へ戻して欲しいと泣き言を言っていた
レントが突如、開眼し、大エースとなっていったというあたりが人気の秘密でしょうか?
3位は言わずと知れた?ヴィトゲンシュタイン少佐の83機です。
ちなみに夜戦の1機撃墜は東部戦線の昼間での戦果3機に相当するようです。
これらの記録は「抜きつ抜かれつ」のもので
終戦まで戦い抜いたシュナウファーが結果1位の戦果を挙げたという印象です。
レントを抜いて一時はトップの座に君臨した、王子ヴィトゲンシュタインも
1944年1月に撃墜され、レントも10月に着陸時の事故で死亡します。
著者はヨーネン少尉の「ドイツ夜間防空戦」も翻訳もしており
このようなエースたちの戦いっぷりも少ないながら収められています。
数百機の4発重爆を船団に例えれば、それに果敢に挑んでゆく夜戦は
相変わらず、空のUボートといった印象を持っています。
なお、「夜間戦闘機―ドイツの暗闇のハンティング」は再刊だと思います。
渡辺 洋二著の「ドイツ夜間戦闘機」を読破しました。
星明りを頼りに偶然のような夜間戦闘を行った開戦当初から
英国とのしのぎを削るレーダー開発争い、そしてジェット夜間戦闘機登場までを
バランス良くまとめた夜戦興亡史です。
最初の夜間戦闘機、メッサーシュミットの双発機Bf110、
やがてはユンカースのJu-88が主力となっていきますが、
その他にもドルニエのDo-17やら、フォッケウルフも案の定、夜戦の生産をしています。
技術向上のために複数の社が開発するのはわかりますが、
それにしても、この一貫性のなさというか、どうなんでしょうか?
大型化する連合軍爆撃機に対する迎撃強化、すなわち新型夜間戦闘機開発ということが
爆撃には爆撃をもって対抗すべしというヒトラーの戦術感と合わず、
さすがに夜戦の必要性を認識しだしたゲーリングもこれには困ったようですが、
結果的には後手後手にまわってしまった印象です。
他にもサーチライトによる爆撃機補足と連動して誘導された夜戦の攻撃など
レーダー開発競争だけでなく、その戦闘方法の変化もかなり詳細です。
エース・パイロットたちも随所に登場します。
夜戦の第1位のエース、シュナウファー少佐は撃墜記録121機、
2位のヘルムート・レントは102機ですが、夜戦パイロットとしてはなぜかもっとも有名です。
まったく戦果を挙げることができず、昼間戦闘機へ戻して欲しいと泣き言を言っていた
レントが突如、開眼し、大エースとなっていったというあたりが人気の秘密でしょうか?
3位は言わずと知れた?ヴィトゲンシュタイン少佐の83機です。
ちなみに夜戦の1機撃墜は東部戦線の昼間での戦果3機に相当するようです。
これらの記録は「抜きつ抜かれつ」のもので
終戦まで戦い抜いたシュナウファーが結果1位の戦果を挙げたという印象です。
レントを抜いて一時はトップの座に君臨した、王子ヴィトゲンシュタインも
1944年1月に撃墜され、レントも10月に着陸時の事故で死亡します。
著者はヨーネン少尉の「ドイツ夜間防空戦」も翻訳もしており
このようなエースたちの戦いっぷりも少ないながら収められています。
数百機の4発重爆を船団に例えれば、それに果敢に挑んでゆく夜戦は
相変わらず、空のUボートといった印象を持っています。
なお、「夜間戦闘機―ドイツの暗闇のハンティング」は再刊だと思います。
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