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パンツァー・オペラツィオーネン 第三装甲集団司令官「バルバロッサ」作戦回顧録 [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヘルマン・ホート著の「パンツァー・オペラツィオーネン」を読破しました。

ゴールデンウィークというのはナニかしたくなるものですね。
4月初旬に引っ越しをして、本の整理&再読をしていたら、この2年間なんとか堪えていた
新しいナチス・ドイツ軍モノを読みたい症候群を発病してしまいました。
そういえば、この「独破戦線」を始めたのも9年前のGWでしたっけ。。
そんな2年振りの復活か、一時的な暇つぶしかは不明ながら、2018年の最初に選んだのは
去年の9月に出た、第三帝国における3大ヘルマンのひとり、「ホト爺」の回顧録です。

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第1章「序説」、第2章「前史」は、主に戦略、作戦、戦術とは? ということをテーマに
それぞれの概念の明確化を試みます。
また、政治と戦争指導の線引き・・といった、いかにもヒトラーを意識した問題、
そして対ソ戦においての「戦争目標」と「作戦目標」は、モスクワという一点となるはずだ
と語ります。

いよいよ75ページから、第3章「国境地帯のおける敵の撃破 6月22日~7月1日」です。
しかし、いきなり細かい!
「第57装甲軍団の進撃は・・」とか、「第12装甲師団の戦車は・・」とか、
「第39装甲軍団は、持てる戦車連隊2個に第20自動車化師団の一部を・・」と、
師団長や軍団長の名も挙げずに記述しているので、早速、睡魔との戦いが始まります。
そんな時には本書の真ん中にまとめられている「戦況図」を眺めて気を紛らわし、
「そもそも第3装甲集団の編制はどうだったっけ?」とググってみたり。。

まぁ、独ソ戦記を読むのが久しぶりというのもありますが、
本書を読むにあたっては、「バルバロッサ作戦」についてある程度の知識がないと
100ページで戦死してしまうでしょう。
そんなわけで、まず、1941年時点でのドイツ軍装甲集団を再確認してみました。

まずルントシュテットの南方軍集団にはクライストの「第1装甲集団」が、
レープの北方軍集団にはヘプナーの「第4装甲集団」が、
そしてボック率いる最強の中央軍集団には、グデーリアンの「第2装甲集団」と
本書の著者であるホトの「第3装甲集団」が先陣を切って暴れ回るというわけです。

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興味深かった戦闘は、北端で頑強に戦う「リトアニア人の軍団」です。
ここには多数のロシア人将校と政治将校が混入されていたそうですが、
やがて森林へと退却していた残兵はロシア人政治将校を片付けて、
続々と投降してくるのでした。。

リトアニアは北方軍集団の管轄なので不思議に思いましたが、
第3装甲集団は中央軍集団のなかでの左翼(北方)に位置し、
よって北方軍集団とも連携してるんですね。
なので、突然「第56装甲軍団が・・」などと出てくると、
「お~、マンシュタインじゃね~か!」とカッと目覚めたりもするのです。

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また、「第2装甲集団司令官が、今後の作戦について協議するため、
第3装甲集団司令部を訪ねてきたのは、極めて望ましいことだった」という部分には
カッコ書きでハインツ・グデーリアン上級大将と書かれており、
マンシュタインなどの有名な将軍についても同様です。
これは「序言」で、「(将来の装甲部隊指揮官の)教育上の目的を最重視しているので、
部隊の勲功を強調したり、傑出した指揮官たちの名前を挙げることは避けた」
と述べられてるとおりであって、ホト自身も「わたし」ではなく、
「第3装甲集団司令官」という名前で登場するのです。
それにしても最初のページ目に掲載されている有名な写真を彷彿とさせますね。

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8月、ここまでに得られた疑う余地のない大勝利を如何に活用するか、
陸軍総司令部も決められず、政治的理由から「レニングラード包囲」を確定しようと、
中央軍集団司令部で「モスクワは、レニングラード、ハリコフに次ぐ第三の目標となる」
と明言したヒトラー。参謀総長ハルダーも不信感を募らせます。
そしてモスクワを目指す第3装甲集団から1個装甲軍団を北方軍集団に割愛すべしとの命令が・・

8月12日には「冬の到来前にモスクワを征服すべし」と命じていたにも関わらず、
続いての総統命令は「クリミア並びにドニェツ工業・炭鉱地帯の奪取、
コーカサス地域よりロシアへの石油を遮断すること」が最重要目標に。。
東部戦線の重心が中央から南方へと移り、グデーリアンの第2装甲集団は
9月いっぱい「キエフ大包囲戦」へ。
そしてモスクワへの準備が整った10月7日、東部戦線全体に最初の雪が降るのでした。

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464ページの本書、195ページで「第三装甲集団司令官「バルバロッサ」作戦回顧録」の
本文は終わり、付録として命令書や覚書、陸軍総司令官ブラウヒッチュへの意見具申・・
などが紹介されています。例えば、
「元帥閣下! 小官の柏葉章受勲授与にお祝いの言葉をいただいたことに
謹んで感謝申し上げます。元帥閣下の眼の前で受勲したことは、
小官にとって格別の栄誉であります。
遺憾ながら、最近数日の膠着状態も・・」

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それから戦況図が30ページ、写真が6ページと続いた後、
1958年にドイツの軍事専門誌「国防知識」にホトが寄稿した論文が始まります。
最初は「ヤーコプセン博士『黄号作戦』への書評と題した論文が2つ。
解説が無いのでそのまま読み進めると、ど~もこの博士は新進気鋭の軍事研究者で、
1940年の西方電撃戦の著作において、マンシュタインが発案した作戦は、ヒトラーも
同様の考えを有しており、OKHとハルダーによって見事なものとして完成した・・と
解釈しているようです。

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ソレに対してホトが噛みついているというもので、簡単に要約すると、

1940年の冬には「シュリーフェン・プラン」の焼き直ししか出来ない参謀本部に苛立って
A軍集団参謀長の天才マンシュタインが完璧に仕上げたんじゃ!
そして何度意見具申してもハルダーは握りつぶした挙句、1軍団長に左遷、
マンシュタイン・プランを聞いたヒトラーが、さも自分のアイデアのように
策定指示を出すと、慌ててゴミ箱から拾い上げ、「コレでいかがでしょう。総統閣下」と
そのままやっただけじゃ。
一大作戦計画の策定という高尚な問題に若造のトーシロが首を突っ込むんじゃない!
我らがマンシュタインを舐めとんのか? ボケっ!

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ちょっと要約し過ぎた感はありますが、具体的なホトのマンシュタイン評は、
「マンシュタインのごとき我の強い人物が、最終要求を行う際に、
おとなしく引っ込んだりしないしないことは確実であろう」
コレは褒め言葉ですね。。
ちなみにマンシュタインによるホト評は、彼の回想録にタップリと。

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で、このホトのクレームに対して、ヤーコプセン博士も反論。さらにホトも・・と
熱いバトルが展開します。

「戦史の実例にみる、戦隊としての運用された装甲師団の戦闘」と題され、
3つの実例を挙げた論文も非常に興味深いものです。

1939年のポーランド戦は第4装甲師団の戦闘について詳細に記述。
相変わらず「第4装甲師団は・・」とありますが、おそらくラインハルトでしょうね。

翌年のフランス戦役では、ハッキリとロンメルの第7装甲師団と明記。
そして師団長ロンメル少将に直卒された弱体な「尖兵部隊」が川を超えるという
独断専行的決定は、ほとんど一大博打に等しく、第15軍団長はロンメル師団長に
命令を届けることも出来なくなってしまいます。
当然、第15軍団長はホト爺さん。。
「師団長による尖兵部隊の指揮は必要なかった」としつつも、
「ロンメルが突破とアヴェーヌへの進撃に同行したことはまだ正当化し得る」と。

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3つ目の戦闘は「スターリングラード解囲に際しての第6装甲師団の突進」です。
こちらでは師団長自らの指揮ではなく、戦車連隊長の指揮を重視します。
主役の第11戦車連隊長の名は、フォン・ヒューナースドルフ大佐。
おっと、「奮戦!第6戦車師団 スターリングラード包囲環を叩き破れ」を思い出します。
この1942年暮れには、ホト自身「第4装甲軍」司令官として、スターリングラードへ。
ドン軍集団司令官となったマンシュタインと共に、包囲された第6軍救出に挑むのです。

あ~、巻頭に「フォン・ヒューナースドルフ将軍の思い出に。」と書かれてましたねぇ。
彼はホトの第3装甲集団の参謀長~第6装甲師団長として戦死・・ということでした。

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最後は訳者さんによるホトの生い立ちと経歴についての解説が・・。
スターリングラード後、1943年にはクルスクの戦いでも主役を演じたホト。
しかし、ホトの著作は本書のみなんだそうです。残念ですねぇ。
キエフを放棄したことにより、ヒトラーの怒りを買って休職となり、
戦後はニュルンベルク継続裁判の被告となって、15年の禁固刑に。。

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ということで「パンツァー・オペラツィオーネン」、日本語では「装甲部隊の諸作戦」を
楽しみましたが、ブランクが長かったせいか? なかなか苦労しました。。
かなり専門的な内容ですから、全体を理解しながら楽しむには、
少なくともフランス戦~バルバロッサ作戦について書かれた本を
数冊は独破しているくらいの知識が必要でしょう。

それにしても、グデーリアンやロンメル、マンシュタインと出てくると、
必然的に「次は??」という気持ちになってきます。

「戦車に注目せよ グデーリアン著作集」もまだ読んでないし、
「「砂漠の狐」回想録 アフリカ戦線1941~43」も去年の暮れに出ましたし、
「ヒトラーの元帥 マンシュタイン」の上下巻もまだ・・。
しかも最近、「マンシュタイン元帥自伝 一軍人の生涯より」まで翻訳されましたから
ナニから手を付けるか・・実に悩ましいところです。。











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