たのしいプロパガンダ [世界の・・]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
辻田真佐憲 著の「たのしいプロパガンダ」を読破しました。
先月に出た224ページの新書。
「本当に恐ろしい大衆扇動は、 娯楽(エンタメ)の顔をしてやってくる! 」
という謳い文句で、表紙のセンスもなかなか・・、と気になったところ、
著者は「世界軍歌全集―歌詞で読むナショナリズムとイデオロギーの時代」の方で、
この謳い文句と世界軍歌全集を足して考えれば、「コリャ面白そうだ・・」と購入しました。
大日本帝国、ナチス、ソ連といった大戦期から、中国、北朝鮮などの東アジア、
そして現代のイスラム国(ISIL)によって行われているプロパガンダまでを広く解説しています。
「はじめに」では本来、「宣伝」という意味である言葉、「プロパガンダ」が、
「政治的な意図に基づき、相手の思考や行動に影響を与えようとする組織的な宣伝活動」
という、一般的な解釈を説明しながら、本書の目的を解説します。
そして第1章は「大日本帝国の思想戦」。
陸軍のプロパガンダの関心は、明治以来モデルにし、あれほど強かったドイツが
どうして大戦で負けてしまったのか。
陸軍の結論はプロパガンダの戦いに敗北し、内部から崩壊してしまったのだ・・。
総力戦では国民の戦争協力を欠かすことができず、やる気を無くさせようものなら
工場も鉄道も止まり、戦争どころではない。ドイツもロシアもそのようにして敗れたと・・。
ということで、1938年に陸軍省新聞班の清水盛明中佐による説明を紹介。
「由来宣伝というものは強制的ではいけないのでありまして、楽しみながら知らず知らずのうちに
自然に啓発教化されて行くということにならなければいけないのであります」。
そして人気コメディアン古川ロッパの舞台の合間に、5分ほど「支那事変」の解説をさせ、
笑いながら楽しんだ客は「支那事変」の真意義を聞かされて帰る・・という戦略です。
一方の海軍では海軍省軍事普及部のエリート将校、松島慶三が宣伝を研究し、
数多くの軍歌の作詞を手掛け、あの宝塚歌劇団のレビューの原作にも手を伸ばします。
「太平洋行進曲」に始まり、「軍艦旗に栄光あれ」、「少年航空兵」、「南京爆撃隊」といった
「軍国レビュー」を次々と繰り出すのでした。
そういえば「戦う広告」にも宝塚の軍国レビュー広告が載ってましたねぇ。
有名な「写真週報」にも触れ、その第二号に掲載された一文を紹介。
「映画を宣伝戦の機関銃とするならば、写真は短刀よく人の心に直入する銃剣でもあり、
何十万何百万と印刷されて撤布される毒ガスでもある」。
確かにこのBlogのコメントでもたま~にありますが、頑張って2000文字のレビューを書いても、
オマケで貼りつけた一枚の写真に喰いつかれる方もいるので、その効用はよくわかります。
そういえば「『写真週報』に見る戦時下の日本」を読むのを忘れてました。
その機関銃たる映画、円谷英二が特撮を手掛けた1942年の「ハワイ・マレー沖海戦」など
軍の後援を受けた迫力ある映画は大ヒットし、志願制であった飛行兵の募集にも貢献。
1943年には「桃太郎の海鷲」というアニメも公開。
桃太郎率いる空母機動部隊が鬼ヶ島を空襲する血なまぐさいストーリーで、
「ハワイこそ! 悪鬼米英の根拠地鬼ヶ島ではないか!」
1945年4月という時期には続編「桃太郎 海の神兵」も公開され、大東亜共栄圏の諸民族を現す
動物たちに桃太郎がアジア解放の大義を教えるシーンもあるなど、より生々しいそうな・・。
本書では白黒で小さいながらも所々に写真も掲載されています。
第2章は「欧米のプロパガンダ百年戦争」。
まずはプロパガンダ国家というソ連からで、水兵の反乱と革命を描いた「戦艦ポチョムキン」を
共産主義のプロパガンダ映画の代表格として紹介。
この1920年代のソ連では国立映画学校が設立され、アニメにも力を入れており、
「惑星間革命」というSFアニメの内容は、赤軍の闘士「コミンテルノフ」が宇宙船で火星に向かい、
プロレタリア革命を起こして資本家たちを打倒する・・というもの。。
大祖国戦争真っ只中の1942年に製作された短編アニメ「キノ・サーカス」は、
ヒトラーとファシスト軍をを徹底的に茶化した3本立てで、
犬の姿をしたムッソリーニ、ホルティ、アントネスクをヒトラーが調教したり、
ナポレオンの墓を訪れたヒトラーが世界征服のアドバイスを求めるも・・。
4分ほどの短編ですから、ちょっと覗いてみてください。
1930年代に刊行された対外宣伝グラフ誌、「ソ連邦建設」というのは初めて知りました。
ロシア語だけでなく、英語、仏語、独語といった様々なバージョンがあり、
見上げるように撮影された雄々しい兵士や、合成された巨大なスターリンの写真。
神の如き偉大な指導者を演出しているのです。
続いてはナチス・ドイツ。
「戦艦ポチョムキン」を褒め称えたゲッベルスが主役で、映画、音楽を統制します。
ベルリン・オリンピックは反ユダヤ色を廃し、ギリシャからの聖火リレーも発明。
「意志の勝利」のレニ・リーフェンシュタール監督による記録映画「オリンピア」も好評・・と、
やや駆け足ながらサクサクと進みます。
そしてやっぱりソ連の対外宣伝グラフ誌、「ソ連邦建設」と同様の「ジグナル」についても解説。
1940年の創刊で、1945年3月まで刊行され、最大250万部を発行した有名グラフ誌です。
今年の1月に「ヒトラーの宣伝兵器―プロパガンダ誌『シグナル』と第2次世界大戦」という
大型本が出ましたが、実は休止中にコッソリ読みました。気になる方は図書館へGO!
米国ではディズニーが1943年に「総統の顔」を製作します。
ドナルド・ダックが「ハイル・ヒトラー! ハイル・ヒロヒト! ハイル・ムッソリーニ!」と挨拶させられ、
「わが闘争」の独破を強要され、軍需工場へ駆り出されるというお話。
その年のアカデミー短編アニメ賞に輝きますが、調べてみるとネタが枢軸だからなのか、
日本で発売されているDVD-BOXには未収録なんだそうです。
第3章は「戦場化する東アジア」。
最初は現代のプロパガンダ国家の鑑・・とでも言えそうな北朝鮮です。
そのキーマンは第2代の「将軍様」、金正日で、彼は1964年に大学を卒業後、
党の宣伝扇動部でそのキャリアをスタートさせ、25歳で文化芸術指導課長に、
1973年に党書記(党組織および宣伝扇動担当)に選出されるという、
一貫したプロパガンダ畑を歩み続けて出世した人物であり、
TVアナのおばちゃんが勇ましくアナウンスするのも、「戦闘的で革命的な」という
金正日の1971年の指示によるものだそうです。
そしてやっぱり映画好き。ハリウッド・コレクションに「寅さんシリーズ」の全フィルムも所有。
抗日武装闘争がテーマの映画には、予算からシナリオ、撮影にも口を出すなど、
まさに北朝鮮のゲッベルスですね。
1985年には怪獣映画「プルガサリ」の製作のため、東宝のスタッフも招かれるのです。
音楽の面でも大衆が楽しめなければ・・という考えのもと、「ポチョンボ電子楽団」を1985年に、
3代目の金正恩も亡き父の教えを受け継ぎ、ガールズユニット「モランボン楽団」を立ち上げ
ミッキーやプーさんらしき着ぐるみと共にディズニー・メドレーを披露。
コレはニュースにもなりましたね。
対する休戦国家、韓国は・・というと、若者の徴兵制への不満もあるなか、
国防部は2012年になって軍隊生活のイメージ・アップを図るため、
既存の軍歌を今風にアレンジして、有名歌手や芸能人が歌い、
人気作曲家に依頼してバラード風の軍歌「自分を超える」を製作し、
兵役中の歌手、パク・ヒョシンが歌って、ミュージックビデオを全部隊に配布・・。
これを「K-POP新軍歌」と言うんだそうです。
中国では抗日映画がTVドラマへ変化するも、日本兵はさながらハリウッドにおけるナチスであり、
中国人が弓矢、刀で絶対悪の日本軍をいくら打ち倒しても問題なし。
決まりきったストーリーで、予算もかからず、一定の視聴率も稼げるということで、
まぁ、「遠山の金さん」とか、「桃太郎侍」みたいなモンなんでしょう。
しかし2013年まで放映された「抗日奇侠」、カンフーで日本兵を真っ二つにする過剰演出が
物議を醸して、中国政府が抗日ドラマの規制に乗り出したそうな・・。
どう真っ二つかを見たい方は、「抗日奇侠 真っ二つ」でググると出てくるかも・・。
モデルガンで日本兵をやっつけることの出来る抗日体験アトラクションが充実したテーマパーク
「八露軍文化園」も紹介。
2014年には党機関紙「人民日報」の傘下のWEBサイトに「打鬼子」というゲームが公開。
「鬼畜を打て」という意味のこのゲームは、 東條英機を筆頭とする「A級戦犯」を選び、
その顔を描いた看板を射撃して点数を競うというもの・・。エゲツないなぁ。。
第4章はちょっと雰囲気が変わり、「宗教組織のハイテク・プロパガンダ」と題して、
「オウム真理教」のプロパガンダ手法について詳しく振り返り、
インターネットとSNSを大いに活用した最近のイスラム国(ISIL)のプロパガンダを警戒します。
そして彼らが同じ黒い服を着て、黒い旗を掲げ、指を立てるポーズは、
ナチスに良く似ている・・という指摘もあるんだとか・・。
こうして最後の第5章で現在の日本にはプロパガンダが浸透しているのか? を検証。
「右傾エンタメ」とされる「艦これ」や、特に百田尚樹著「永遠の0」について大いに私見を述べ、
同じ時期に公開された宮崎駿の「風立ちぬ」と比較します。
個人的にはどちらも未見なので、何とも意見のしようがありませんが・・。
最後に「自衛隊」のプロパガンダ。
防衛庁の1962年の要領には、「映画会社に対しては、防衛意識を高めるようなもの、
ないし自衛隊を正しく興味深く取り扱うものを製作するよう誘導する」と書かれ、さらに
「自衛隊色を表面に出さず、観客に自然と防衛の必要性、自衛隊の任務等が理解されるよう・・」。
原則、自衛隊は無償で映画製作に協力しているわけですが、
要は「悪く書くなら協力しないよ」であるとも言え、このようなことは、「レマゲン鉄橋」でも
GIがドイツ兵の死体から双眼鏡と腕時計を外す場面をカットしなければ撮影に協力しないと
言い出したり、ナチス映画「最後の一兵まで」でも、国防大臣ブロムベルクが
「艦隊が激しい攻撃を受ける場面を取り除いてほしい」との要望を出したのと同様ですね。
確か「野性の証明」は内容的に問題が多くて、自衛隊は協力しなかったと・・。
仁義なき風の松方弘樹が、ヘリから機関銃を狂ったように撃ちまくるんではねぇ。。
そして昨今の「自衛官募集ポスター」にはアニメ風に描かれた絵の採用が増え、
このような若者をターゲットにした「萌えミリ」効果は、少なからず見られるそうです。
大戦中の米国「婦人補助部隊」募集ポスターは綺麗でキリっとしたおねぇちゃんだったなぁ。。
その他、自衛隊の歌姫や、「ガルパン」への協力姿勢にも言及していました。
224ページの新書なので、ゆっくり読んでも2日も持ちませんでしたが、
時代と文化の異なる国々を広範囲に、非常に巧くまとめていました。
その理由としては、自国民に対するプロパガンダとは、楽しくなければならない・・、
という論理が歴史的にどこの国でも繰り返されているわけで、
新聞、ラジオといった媒体から、映画、TV、インターネット、ゲームと変化した娯楽コンテンツに
組み込まれる・・というだけの違いしかないのでしょう。
著者の主観が強すぎるような記述もありましたが、このような本では許容範囲で
気軽に読める「プロパガンダ入門」として最適だと思います。
各国のプロパガンダをより細かく知りたい人には、巻末の参考文献が役立ちそうです。
辻田真佐憲 著の「たのしいプロパガンダ」を読破しました。
先月に出た224ページの新書。
「本当に恐ろしい大衆扇動は、 娯楽(エンタメ)の顔をしてやってくる! 」
という謳い文句で、表紙のセンスもなかなか・・、と気になったところ、
著者は「世界軍歌全集―歌詞で読むナショナリズムとイデオロギーの時代」の方で、
この謳い文句と世界軍歌全集を足して考えれば、「コリャ面白そうだ・・」と購入しました。
大日本帝国、ナチス、ソ連といった大戦期から、中国、北朝鮮などの東アジア、
そして現代のイスラム国(ISIL)によって行われているプロパガンダまでを広く解説しています。
「はじめに」では本来、「宣伝」という意味である言葉、「プロパガンダ」が、
「政治的な意図に基づき、相手の思考や行動に影響を与えようとする組織的な宣伝活動」
という、一般的な解釈を説明しながら、本書の目的を解説します。
そして第1章は「大日本帝国の思想戦」。
陸軍のプロパガンダの関心は、明治以来モデルにし、あれほど強かったドイツが
どうして大戦で負けてしまったのか。
陸軍の結論はプロパガンダの戦いに敗北し、内部から崩壊してしまったのだ・・。
総力戦では国民の戦争協力を欠かすことができず、やる気を無くさせようものなら
工場も鉄道も止まり、戦争どころではない。ドイツもロシアもそのようにして敗れたと・・。
ということで、1938年に陸軍省新聞班の清水盛明中佐による説明を紹介。
「由来宣伝というものは強制的ではいけないのでありまして、楽しみながら知らず知らずのうちに
自然に啓発教化されて行くということにならなければいけないのであります」。
そして人気コメディアン古川ロッパの舞台の合間に、5分ほど「支那事変」の解説をさせ、
笑いながら楽しんだ客は「支那事変」の真意義を聞かされて帰る・・という戦略です。
一方の海軍では海軍省軍事普及部のエリート将校、松島慶三が宣伝を研究し、
数多くの軍歌の作詞を手掛け、あの宝塚歌劇団のレビューの原作にも手を伸ばします。
「太平洋行進曲」に始まり、「軍艦旗に栄光あれ」、「少年航空兵」、「南京爆撃隊」といった
「軍国レビュー」を次々と繰り出すのでした。
そういえば「戦う広告」にも宝塚の軍国レビュー広告が載ってましたねぇ。
有名な「写真週報」にも触れ、その第二号に掲載された一文を紹介。
「映画を宣伝戦の機関銃とするならば、写真は短刀よく人の心に直入する銃剣でもあり、
何十万何百万と印刷されて撤布される毒ガスでもある」。
確かにこのBlogのコメントでもたま~にありますが、頑張って2000文字のレビューを書いても、
オマケで貼りつけた一枚の写真に喰いつかれる方もいるので、その効用はよくわかります。
そういえば「『写真週報』に見る戦時下の日本」を読むのを忘れてました。
その機関銃たる映画、円谷英二が特撮を手掛けた1942年の「ハワイ・マレー沖海戦」など
軍の後援を受けた迫力ある映画は大ヒットし、志願制であった飛行兵の募集にも貢献。
1943年には「桃太郎の海鷲」というアニメも公開。
桃太郎率いる空母機動部隊が鬼ヶ島を空襲する血なまぐさいストーリーで、
「ハワイこそ! 悪鬼米英の根拠地鬼ヶ島ではないか!」
1945年4月という時期には続編「桃太郎 海の神兵」も公開され、大東亜共栄圏の諸民族を現す
動物たちに桃太郎がアジア解放の大義を教えるシーンもあるなど、より生々しいそうな・・。
本書では白黒で小さいながらも所々に写真も掲載されています。
第2章は「欧米のプロパガンダ百年戦争」。
まずはプロパガンダ国家というソ連からで、水兵の反乱と革命を描いた「戦艦ポチョムキン」を
共産主義のプロパガンダ映画の代表格として紹介。
この1920年代のソ連では国立映画学校が設立され、アニメにも力を入れており、
「惑星間革命」というSFアニメの内容は、赤軍の闘士「コミンテルノフ」が宇宙船で火星に向かい、
プロレタリア革命を起こして資本家たちを打倒する・・というもの。。
大祖国戦争真っ只中の1942年に製作された短編アニメ「キノ・サーカス」は、
ヒトラーとファシスト軍をを徹底的に茶化した3本立てで、
犬の姿をしたムッソリーニ、ホルティ、アントネスクをヒトラーが調教したり、
ナポレオンの墓を訪れたヒトラーが世界征服のアドバイスを求めるも・・。
4分ほどの短編ですから、ちょっと覗いてみてください。
1930年代に刊行された対外宣伝グラフ誌、「ソ連邦建設」というのは初めて知りました。
ロシア語だけでなく、英語、仏語、独語といった様々なバージョンがあり、
見上げるように撮影された雄々しい兵士や、合成された巨大なスターリンの写真。
神の如き偉大な指導者を演出しているのです。
続いてはナチス・ドイツ。
「戦艦ポチョムキン」を褒め称えたゲッベルスが主役で、映画、音楽を統制します。
ベルリン・オリンピックは反ユダヤ色を廃し、ギリシャからの聖火リレーも発明。
「意志の勝利」のレニ・リーフェンシュタール監督による記録映画「オリンピア」も好評・・と、
やや駆け足ながらサクサクと進みます。
そしてやっぱりソ連の対外宣伝グラフ誌、「ソ連邦建設」と同様の「ジグナル」についても解説。
1940年の創刊で、1945年3月まで刊行され、最大250万部を発行した有名グラフ誌です。
今年の1月に「ヒトラーの宣伝兵器―プロパガンダ誌『シグナル』と第2次世界大戦」という
大型本が出ましたが、実は休止中にコッソリ読みました。気になる方は図書館へGO!
米国ではディズニーが1943年に「総統の顔」を製作します。
ドナルド・ダックが「ハイル・ヒトラー! ハイル・ヒロヒト! ハイル・ムッソリーニ!」と挨拶させられ、
「わが闘争」の独破を強要され、軍需工場へ駆り出されるというお話。
その年のアカデミー短編アニメ賞に輝きますが、調べてみるとネタが枢軸だからなのか、
日本で発売されているDVD-BOXには未収録なんだそうです。
第3章は「戦場化する東アジア」。
最初は現代のプロパガンダ国家の鑑・・とでも言えそうな北朝鮮です。
そのキーマンは第2代の「将軍様」、金正日で、彼は1964年に大学を卒業後、
党の宣伝扇動部でそのキャリアをスタートさせ、25歳で文化芸術指導課長に、
1973年に党書記(党組織および宣伝扇動担当)に選出されるという、
一貫したプロパガンダ畑を歩み続けて出世した人物であり、
TVアナのおばちゃんが勇ましくアナウンスするのも、「戦闘的で革命的な」という
金正日の1971年の指示によるものだそうです。
そしてやっぱり映画好き。ハリウッド・コレクションに「寅さんシリーズ」の全フィルムも所有。
抗日武装闘争がテーマの映画には、予算からシナリオ、撮影にも口を出すなど、
まさに北朝鮮のゲッベルスですね。
1985年には怪獣映画「プルガサリ」の製作のため、東宝のスタッフも招かれるのです。
音楽の面でも大衆が楽しめなければ・・という考えのもと、「ポチョンボ電子楽団」を1985年に、
3代目の金正恩も亡き父の教えを受け継ぎ、ガールズユニット「モランボン楽団」を立ち上げ
ミッキーやプーさんらしき着ぐるみと共にディズニー・メドレーを披露。
コレはニュースにもなりましたね。
対する休戦国家、韓国は・・というと、若者の徴兵制への不満もあるなか、
国防部は2012年になって軍隊生活のイメージ・アップを図るため、
既存の軍歌を今風にアレンジして、有名歌手や芸能人が歌い、
人気作曲家に依頼してバラード風の軍歌「自分を超える」を製作し、
兵役中の歌手、パク・ヒョシンが歌って、ミュージックビデオを全部隊に配布・・。
これを「K-POP新軍歌」と言うんだそうです。
中国では抗日映画がTVドラマへ変化するも、日本兵はさながらハリウッドにおけるナチスであり、
中国人が弓矢、刀で絶対悪の日本軍をいくら打ち倒しても問題なし。
決まりきったストーリーで、予算もかからず、一定の視聴率も稼げるということで、
まぁ、「遠山の金さん」とか、「桃太郎侍」みたいなモンなんでしょう。
しかし2013年まで放映された「抗日奇侠」、カンフーで日本兵を真っ二つにする過剰演出が
物議を醸して、中国政府が抗日ドラマの規制に乗り出したそうな・・。
どう真っ二つかを見たい方は、「抗日奇侠 真っ二つ」でググると出てくるかも・・。
モデルガンで日本兵をやっつけることの出来る抗日体験アトラクションが充実したテーマパーク
「八露軍文化園」も紹介。
2014年には党機関紙「人民日報」の傘下のWEBサイトに「打鬼子」というゲームが公開。
「鬼畜を打て」という意味のこのゲームは、 東條英機を筆頭とする「A級戦犯」を選び、
その顔を描いた看板を射撃して点数を競うというもの・・。エゲツないなぁ。。
第4章はちょっと雰囲気が変わり、「宗教組織のハイテク・プロパガンダ」と題して、
「オウム真理教」のプロパガンダ手法について詳しく振り返り、
インターネットとSNSを大いに活用した最近のイスラム国(ISIL)のプロパガンダを警戒します。
そして彼らが同じ黒い服を着て、黒い旗を掲げ、指を立てるポーズは、
ナチスに良く似ている・・という指摘もあるんだとか・・。
こうして最後の第5章で現在の日本にはプロパガンダが浸透しているのか? を検証。
「右傾エンタメ」とされる「艦これ」や、特に百田尚樹著「永遠の0」について大いに私見を述べ、
同じ時期に公開された宮崎駿の「風立ちぬ」と比較します。
個人的にはどちらも未見なので、何とも意見のしようがありませんが・・。
最後に「自衛隊」のプロパガンダ。
防衛庁の1962年の要領には、「映画会社に対しては、防衛意識を高めるようなもの、
ないし自衛隊を正しく興味深く取り扱うものを製作するよう誘導する」と書かれ、さらに
「自衛隊色を表面に出さず、観客に自然と防衛の必要性、自衛隊の任務等が理解されるよう・・」。
原則、自衛隊は無償で映画製作に協力しているわけですが、
要は「悪く書くなら協力しないよ」であるとも言え、このようなことは、「レマゲン鉄橋」でも
GIがドイツ兵の死体から双眼鏡と腕時計を外す場面をカットしなければ撮影に協力しないと
言い出したり、ナチス映画「最後の一兵まで」でも、国防大臣ブロムベルクが
「艦隊が激しい攻撃を受ける場面を取り除いてほしい」との要望を出したのと同様ですね。
確か「野性の証明」は内容的に問題が多くて、自衛隊は協力しなかったと・・。
仁義なき風の松方弘樹が、ヘリから機関銃を狂ったように撃ちまくるんではねぇ。。
そして昨今の「自衛官募集ポスター」にはアニメ風に描かれた絵の採用が増え、
このような若者をターゲットにした「萌えミリ」効果は、少なからず見られるそうです。
大戦中の米国「婦人補助部隊」募集ポスターは綺麗でキリっとしたおねぇちゃんだったなぁ。。
その他、自衛隊の歌姫や、「ガルパン」への協力姿勢にも言及していました。
224ページの新書なので、ゆっくり読んでも2日も持ちませんでしたが、
時代と文化の異なる国々を広範囲に、非常に巧くまとめていました。
その理由としては、自国民に対するプロパガンダとは、楽しくなければならない・・、
という論理が歴史的にどこの国でも繰り返されているわけで、
新聞、ラジオといった媒体から、映画、TV、インターネット、ゲームと変化した娯楽コンテンツに
組み込まれる・・というだけの違いしかないのでしょう。
著者の主観が強すぎるような記述もありましたが、このような本では許容範囲で
気軽に読める「プロパガンダ入門」として最適だと思います。
各国のプロパガンダをより細かく知りたい人には、巻末の参考文献が役立ちそうです。
世界戦争犯罪事典 <第2部> [世界の・・]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
常石 敬一 監修の「世界戦争犯罪事典」を読破しました。
文藝春秋80周年記念出版の一冊である2002年発刊の本書。
704ページで定価19440円という犯罪的な一冊だということは前回も書きましたが、
前半の「第1部 アジア・太平洋・米大陸」を読んで、妥当かも知れない・・と思い始めました。
その前半の記事が長くなりすぎましたので、本書に限っては2回に分けてお送りします。
いよいよ、ナチス・ドイツの登場する後半戦です。
ちょうど真ん中あたり、361ページから第2部の「ヨーロッパ・中近東・アフリカ」。
第1章は「1899-1939年期」です。
今年、100周年を迎えた第1次大戦の「ベルギー市民軍とドイツ占領軍」は勉強になりました。
交戦国のなかではベルギーにだけ、内務省管轄下の「市民軍」が存在し、
平服でドイツ兵を相手に戦闘行為を繰り広げたそうですが、
このような行為はれっきとした国際法違反なのです。まぁ、パルチザンですね。
そしてそんな「市民」を銃撃すれば、多くの市民を虐殺したと言われてしまうドイツ軍。
英国の調査ではドイツ軍による掠奪、乳房の切り取り、子供の手の切り落とし・・といった
非道の数々が証言として集められ、なかには「妊婦の腹を切り裂いて、胎児を取り出し、
代わりに切断された夫の首を血だらけの腹部に詰めん込んだ」というものも。。
しかし、1930年になってベルギー政府もそのような事例はまったくなかったと認めますが、
1964年に発表され、ピュリッツァー賞を受賞した「八月の砲声」でさえ、
このような英国のずさんで意図的な報告に基づいているのでした。
なるほど。。1940年の電撃戦で、フランス市民が「子供の手を切り落とされる」と
ドイツ兵士を恐れおののいていたという理由が良くわかりました。
そんな英国の「対ドイツ海上封鎖」も、そのやり方はドイツ国民の飢餓が狙い。
少なくとも70万人が、この飢餓封鎖の影響で死亡したそうです。
また、第1次大戦ではヒトラーが一時的に失明したと言われているように
「毒ガス」が大量に使用された戦争であるわけですが、これも当時からNGです。
塩素ガスなどさまざまな種類のガスが交戦国同士で使われますが、
よくTVでも特殊部隊が使っている「催涙ガス」も戦争犯罪なのです。
敵国に使用するのは国際法違反であって、国内のテロ鎮圧に使用するのはOKなんですね。
「偽装商船(Qシップ)対Uボート」もお互い戦争犯罪を行ったり来たりといくつか事例を挙げます。
「ゲルニカ爆撃の悲劇」は意図的なテロ攻撃ではないという解釈。
「ナチスの『安楽死』計画」でカール・ブラントが処刑されて、この章は終了します。
第2章は「1939-1945年(第二次大戦期)」ですが、まずは「一般項目」となっています。
簡単に言うと特定の事件ではなく、各国の戦略そのものが犯罪的であるとして、
最初に英国、ドイツ、米国の「空軍戦略理論」、すなわち「戦略爆撃思想」について分析。
次に「ナチスによる文化財収奪」として、ローゼンベルク率いるチームがユダヤ人が所有していた
膨大な美術品を押収すると、ヒトラーは新設のリンツ美術館のコレクションのため、
ゲーリングは個人的趣味による押収済みの退廃芸術品との交換に勤しみます。
1941年以降、ソ連の文化財は東方相に任命されたローゼンベルクが全権を握りますが、
こちらにはヒムラーの「先祖遺産(アーネンエルベ)」が乗り込んで
ウクライナとクリミアで掠奪を続ける・・といった、てんやわんやが4ページに・・。
「慰安婦とドイツ軍の慰安所」も性病対策における、徹底した慰安婦管理の実態、
毎週の検診、客となった将校全員を慰安所カルテに記入することとされ、
国防軍は無認可の売春宿への出入りは禁止、1942年には慰安所は500に上ります。
この件は「ナチズムと強制売春 強制収容所特別棟の女性たち」にもありましたね。
「アウシュヴィッツ」と絶滅収容所についてもかなりページを割いています。
ガス室で殺害された人数は「少なくとも110万」という数字を推奨していますね。
その90%がユダヤ人であり、ホロコースト犠牲者の総数は390万~580万の範囲とします。
「コマンド作戦の違法行動」では、ドイツのブランデンブルク部隊や、
英国のコマンドによるサン・ナゼール奇襲などが紹介されます。
正規軍人による行動であっても、コマンド行動はゲリラ戦の形態のひとつであり、
ハーグ条約で許されている「奇計」には入らない戦争犯罪です。
よって、ヒトラーは「最後の一兵まで殲滅せよ」という、「コマンド命令」を発するのです。
基本的には敵国の軍服を着て潜入するのはOKですが、
戦闘時にはそれを脱ぎ捨てないと、戦争犯罪になるそうなので、
ポーランド空挺部隊の軍服から、ドイツ降下猟兵に変身して死んでいった
「鷲は舞い降りた」は正しい行動になるんですね。
ヒトラーの命令といえば、「コミッサール命令」も有名です。
ソ連の人民委員は捕虜にせずに射殺しろ・・というこの命令ですが、
兵士ではない人民委員は、国際法が兵士に与えている保護の対象外という認識。
赤軍の人民委員の見分け方は「槌と鎌が縫い込まれた赤星」の徽章ですが、
ほとんどは捕えられる前に自身の徽章を捨ててしまい、ドイツ軍も識別は困難です。
「アインザッツグルッペン」の項目も出てきました。
ハイドリヒを中心に6ページ、しっかりと書かれていますね。
「パルチザン戦争の諸相」もなかなか勉強になります。
ソ連やポーランドのパルチザン、フランスのレジスタンスは国民的英雄になる一方、
占領軍からみれば、「不正規兵」であり、テロリストとして射殺して良いのです。
そして占領地の住民は、立法権の移行した占領軍に服従する義務を負っているのです。
ドイツが行った「強制労働のための民間人連行」の次には、「ソ連によるドイツ人の抑留」。
数字だけを見れば前者が760万人、後者は280万人・・。
女子の割合は前者が190万人で、後者は5%・・、14万人ですね。。
ソ連に抑留された女性は逃げ遅れた軍の衛生要員やドイツ赤十字の看護婦などですが、
その1/3が抑留中に死んだと見られているそうです。
ちなみにドイツの強制労働については「ナチス・ドイツの外国人―強制労働の社会史」
という本が以前から気になっています。
「ノルマンディ上陸後の米兵による緒犯罪」は、ほとんどが武装SS隊員に対するもの。
従軍記者だったヘミングウェイは「SS野郎」を殺したことを自慢し、
モントゴメリーは捕虜となったマックス・ヴュンシェに言い放ちます。
「SS兵士にはジュネーヴ条約は適用されない。なぜならば、
彼らは政治の害虫であり、政治の汚物であるからだ」。
う~ん、まるでソ連の政治委員と同じような扱いですね。
そして米軍に投降した「トーテンコップ」は行進がソ連軍に向かっていることに気づき、
次々に逃亡を始めると、大量虐殺が始まります。
米軍第11戦車隊の指揮官は3万4千人をソ連軍に引き渡したと報告していますが、
ソ連の収容所に到着したのは2千人のみ・・。
この件はいまだにハッキリしていないそうです。へ~、知らなかったなぁ。
515ページからは第3章として「個別事件」を取り扱います。
最初は1939年のレンプ艦長(U-30)による、「アセニア号(英客船)の沈没」事件です。
続く「ワルシャワ爆撃」は、完全包囲されているにもかかわらず、明け渡しを拒否した
12万のワルシャワ守備隊に対する地上支援のための戦略爆撃であり、
防守された都市への攻撃は合法だという見解です。
「カティンの森」、「ロッテルダム空爆」、そして「英軍捕虜の銃殺」は、あのクネヒラインの件。
「コヴェントリーの大爆撃」は一般市民の568人が死亡したものの、
英国の歴史家たちは「ドイツ空軍は実際に工場を狙った」と認めており、
結果的にコヴェントリー大聖堂が焼け落ちても、合法的な戦争行為という認識のようです。
「クレタ島」を制圧したドイツ空挺部隊と山岳部隊。
しかしギリシャ人である島民はパルチザン戦争を実行します。
発見されたドイツ兵の遺体は性器切除、両手切断と非人道的虐殺行為の跡が・・。
耳が切断されているケースも多く、鼻が切り取られていたり、両目がえぐりとられていたり。。
シュトゥーデント将軍も報復措置を命令しなければなりません。
重傷を負った降下猟兵が目を覚ますと、公開リンチをしようとする島民に向けて、
英軍兵士2人が銃を向けて守っている・・という状況です。
「バービ・ヤールにおけるユダヤ人虐殺」もタップリと書かれ、
「クラグエヴァツ(ユーゴ)における人質処刑」は、パルチザンとの戦闘で、
ドイツ国防軍兵士10名が死亡、26名の負傷者が出てしまいます。
ヒトラーはセルビア方面軍司令官フランツ・ベーメに「人質命令」を発します。
それは死者1名に対して人質100人、1名の負傷者なら50人を射殺せよというもの。
この命令に従い、2300人を駆り集めて、12歳の少年まで射殺するのでした。
「クロアチアのヤセノヴァツの集団虐殺」になると、更に刺激は強くなります。
ドイツに占領されたユーゴスラヴィアは、クロアチアがナチス傀儡政権として独立。
パヴェリッチを首班とするファシスト組織「ウスタシャ」は、純粋なクロアチア国家を目指します。
そして全人口の1/3に当たる200万人のセルビア人が殺害、追放されていく、
「ユーゴスラヴィアのホロコースト」へと発展していくのです。
この虐殺の中心地となったのがヤセノヴァツの絶滅収容所であり、
数十万のセルビア人を筆頭に、ユダヤ人やロマなど、30万~70万人が殺されます。
その殺害方法は特殊な形状をしたナイフ、そして斧などです。
もちろん1945年にナチス・ドイツの降伏と同時に崩壊したクロアチア独立国。
復讐に燃えるパルチザンの手によって、今度は数万人のウスタシャが処刑されるのです。
それにしてもウスタシャ関連本ってホント無いんですよ。勉強になりました。
まぁ、このように「刃物」を好むバルカンの処刑方法。
西欧と比べて残酷なように感じますが、単なる文化の違いのようにも思います。
西欧でも中世からエゲツナイ処刑方法がたくさんあり、ギロチンも流行、
銃殺は近代になって軍人にとっての名誉とされる処刑方法であり、
犯罪者に対してはニュルンベルクでもそうだったように「絞首刑」が一般的です。
日本軍でも「軍刀」で一刀両断や「銃剣」による刺殺をよく聞くのは、刀文化に由来し、
同様にバルカンでも高価な銃より、慣れ親しんだ刃物を使った・・ということでは??
まだまだ「ハイドリヒ暗殺に対するリディツェ村の報復破壊」に、
U-156のハルテンシュタイン艦長の「ラコニア号事件」、
U-852のエック艦長の「ペリュース号事件」と、このBlogで紹介した戦争犯罪が目白押し。
西暦529年に建てられた「モンテ・カッシーノ僧院を破壊した米空軍機」では、
膨大な美術品がヘルマン・ゲーリング戦車師団によってヴァチカンへと搬送され、
ケッセルリンクも修道院周辺を中立区域としてドイツ兵の立ち入りを禁止。
連合軍側も空爆の対象から外すと約束します。
しかし、ドイツ軍に手を焼く連合軍は約束を反故にして大爆撃を実施。
朝の礼拝の時間帯であり、修道僧と難民ら400人が死亡します。
「国家記念建造物」を目標としたこの爆撃。ニュージーランド軍団を率いる、
フライバーグ中将の進言で行われた愚行として断罪しています。
今年の5月に行われたジロ・デ・イタリア第6ステージのゴールがこのモンテ・カッシーノで、
戦後に再建された僧院の空撮シーンでは、こんな風に紹介。
「1944年2月に『枢軸側』によって破壊されました」。
用意された紹介文を読んだだけでしょうけど、ありゃないぜ、Sascha。。ドイツ人だろ・・。
「カプラー司令官による大量人質処刑」は、ローマの事件。
「チュル(テュール)におけるドイツ軍の報復行動」はフランスでの事件です。
前者はドイツ側の死者33名と負傷者67名が出たことで、イタリア人人質を
1対10で射殺せよとのヒトラー命令によって、330人を射殺することに・・。
後者は64名のドイツ兵が「マキ」に殺されたことで、報復として92人が街頭に吊るされます。
しかしパルチザンの攻撃自体が違法であり、占領軍には当時の戦時国際法で
報復する権利・・人質を1対10で処刑すると威嚇する権利があったそうです。
ですから、ローマのカプラーの場合、330人を処刑したことでなく、
数え間違いにより5人多く殺してしまったことで戦後、終身刑を受けてしまうのです。
「武装SSのオラドゥール村における虐殺」は、完全にダス・ライヒの戦争犯罪。
1名の将校が「マキ」の捕虜となり、その後、処刑されたにしても、
197人の男子を銃殺し、445人の婦女子を教会に閉じ込めて焼き殺す・・というのは、
報復の度を越え過ぎているというわけです。
「アルデンヌ戦で殺害された米兵捕虜」はいわゆる「マルメディの虐殺」です。
ダッハウ強制収容所で開かれた戦後の裁判では、ドイツ兵75人が起訴され、
フライムート軍曹は、拷問を受けてニセの自白を強要されたと何度も叫び、
挙句の果てに、首を吊って死んでしまいます。
そんな署名もない彼の自白を有益な証拠と認めた法廷は、全員有罪で
ヨーヘン・パイパー、ゼップ・ディートリッヒら43名に死刑判決を下します。
しかし拷問による自白が問題となり、米占領当局が調査を実施すると、
骨を砕き、睾丸を潰すといった悪質な手口が明らかとなって大騒ぎに・・。
アイゼンハワーの後任であるクレイ将軍の即刻死刑の意図は失敗に終わるのです。
東部戦線では「東プロイセンにおけるソ連軍の住民虐殺」に始まり、
「難民輸送船グストロフ号の悲劇」へと進みます。
このソ連潜水艦によるグストロフ号の撃沈が戦争犯罪なのかというと、
5000人の難民の他、負傷者を含む1100人の兵員が乗船しており、
航海灯を消していただけではなく、赤十字の標識も付けていなかったことから、
戦争犯罪とは認められないとしています。う~ん。難しいなぁ。
「ドレスデン壊滅の日」もガッチリ書かれていますね。
1945年2月という時期になって、ドイツの芸術文化都市を無差別に爆撃した英空軍。
ハンブルク爆撃と並ぶ、第2次大戦における最大級の「戦争犯罪」と表現。
行政機関や交通施設、兵舎は合法的な爆撃目標であるものの、
病院や文化財建造物は爆撃してはいけません。
当日、英爆撃機隊員に発せられた指示では、
「ソ連のコーネフ元帥はその前線突破に全力を傾けているので、
ドレスデンに到達するソ連軍に、英爆撃機集団の実力の程を見せつけねばならぬ」。
日本でも一歩間違えれば京都や奈良が、東京のようになったのかも知れません。
やっと第4章、「1945年-2002年期」に辿り着きました。
まずは「ダッハウ解放後の米兵による収容所員処刑」。
医学的人体実験など「人道に対する罪」が行われたダッハウ強制収容所ですが、
パットンの米第7軍によって解放された当初、この収容所の警備兵だけでなく、
衛生部員、炊事要員らが銃殺されています。
520人の人員が武装解除され、壁に向かって立たされて射殺。
しかも彼らは、元の多くの看守が前線行きとなったため、
急遽、駆り集められた傷病兵たちで、数日しか経っていない新米看守だったのです。
また、SS隊員の多くが元の収容者によって撲殺されるのです。
生き残った人員は戦争犯罪人として取り扱われることに・・。
フランス軍のルクレール将軍は、ベルヒテスガーデン攻撃準備の最中、
米軍から捕虜を引き渡されます。
それは武装SSシャルルマーニュの12名。すなわち、同じフランス人の同胞なのです。
そしてドイツ降伏の数時間前、12名は銃殺されてしまうのでした。
これと同じようなパターンが「ソ連へ引き渡された非ドイツ人捕虜の運命」です。
ドイツ軍に協力したコサックやウクライナ人、タタール人やカフカス人、
「幻影」でも有名なウラソフの「ロシア解放軍(ROA)」などの運命です。
捕虜となったソ連軍兵士は、スターリンによって「卑怯者と脱走兵」と定義されており、
祖国への帰還は、そのまま処刑ないしは、収容所送りなのです。
ユーゴにチェコ、ポーランドなどの「ソ連占領軍による住民追放」では、
ソ連軍将兵による大量婦女暴行を取り上げ、
強姦された婦女子の総数は200万人と推定され、18万人がその際に死亡と・・。
「ソ連によるドイツ兵捕虜の抑留と強制労働」は、その過酷な労働の実態を・・。
スターリンの威信かけた巨大建築物に世界最大の水力発電所、鉄道道路に
モスクワの地下鉄など大型の建築計画にはドイツ人捕虜が多数参加。
モスクワのディナモ・スタジアムの建築(増築??)にも彼らが関わっているそうです。
西側のドイツ人捕虜も運命は悲惨です。
「消えた百万人」でも詳しく書かれていた野外の収容所で泥の中、餓死していきます。
さらにデンマークとフランスでは、「大西洋の壁」の建築時に埋設された
「地雷の除去」を命ずるのです。
このような作業はジュネーヴ捕虜条約で禁止されている「危険な労働」に該当。
フランスでは4万人の捕虜が従事し、毎月、2000件の死亡事故が起こるのです。
パウル・カレルの「捕虜」を再読したくなりますが、精神的にキツイからやっぱりやめた。。
後半は「イスラエルvsパレスチナ」、「アルジェリアにおけるフランス軍の暴行」、
これは昔、「アルジェの戦い」という映画を観て知りましたねぇ。
1979年にウラル地方の「ソ連生物兵器施設で起こった炭疽菌事故」。
66人~105人が死亡したこの事故が西側に漏れ伝わると、
ソ連は自国民に対してもこの事故を隠すため、汚染肉が原因だとして、
肉の闇商人まで逮捕してしまいます。
そしてこの隠蔽工作を指揮したのは、当時、この地区の共産党書記だったエリツィン・・。
「湾岸戦争」は主に空爆が米軍の戦争犯罪であり、
「ルワンダ共和国の大虐殺」、「ユーゴの内戦」で終了します。
そういえば「最愛の大地」という映画、観てみたいんですよねぇ。
あのアンジェリーナ・ジョリーの初監督作品で、ストーリーは
「ボスニア女性アイラはセルビア軍に捕えられ収容所に収監される。
収容所では日々レイプや拷問が行われていた・・。」という恐ろしいもの。
しかし彼女は<第1部>で紹介した最新作「アンブロークン」といい、
なかなか意欲的な作品に挑戦していますね。
実は40ページほどの第3部があり、「参考項目」と題して、各国の戦後補償や、
戦争犯罪関係の国際条約等一覧が掲載されています。
このように本書は、特にナチス・ドイツに関わる戦争犯罪は知っていたものも多いですが
単なる犯罪行為の紹介ではなく、当時の国際法と照らし合わせて、
どこがどのように犯罪行為なのか、あるいは犯罪とは認められないのか・・
に言及しているものです。
SSやゲシュタポがロシアのパルチザンや、フランスのレジスタンスの親玉を捕え、
冷酷に処刑してしまうなんて、犯罪行為のように思えますが、
国際法上は愛国者のパルチザン、レジスタンスはテロリストなのであり、犯罪人なのです。
近年で言えば、ビン・ラディンを殺した米軍とCIAが正義なのと一緒なんですね。
本書は素晴らしいと思います。
2回に分けてお送りしましたが、とても全項目は紹介できませんので、
その他、どんな項目があるのか興味のある方は、コチラをど~ぞ。
ただし、定価19440円では一般人は購入できません。モッタイナイ話ですね。
「日本の古本屋」で検索しても、最安値で5000円。
少なくともアジアの第1部、ヨーロッパの第2部に分けて、分冊にするとか、
もっと細かく、国ごと、あるいは第2次大戦と、それ以外など4分冊くらいになれば、
1巻あたりが安くなって、興味のある巻から購入してみることもできるでしょう。
文春文庫で全8巻ででも出れば、迷わずまとめ買いします。
常石 敬一 監修の「世界戦争犯罪事典」を読破しました。
文藝春秋80周年記念出版の一冊である2002年発刊の本書。
704ページで定価19440円という犯罪的な一冊だということは前回も書きましたが、
前半の「第1部 アジア・太平洋・米大陸」を読んで、妥当かも知れない・・と思い始めました。
その前半の記事が長くなりすぎましたので、本書に限っては2回に分けてお送りします。
いよいよ、ナチス・ドイツの登場する後半戦です。
ちょうど真ん中あたり、361ページから第2部の「ヨーロッパ・中近東・アフリカ」。
第1章は「1899-1939年期」です。
今年、100周年を迎えた第1次大戦の「ベルギー市民軍とドイツ占領軍」は勉強になりました。
交戦国のなかではベルギーにだけ、内務省管轄下の「市民軍」が存在し、
平服でドイツ兵を相手に戦闘行為を繰り広げたそうですが、
このような行為はれっきとした国際法違反なのです。まぁ、パルチザンですね。
そしてそんな「市民」を銃撃すれば、多くの市民を虐殺したと言われてしまうドイツ軍。
英国の調査ではドイツ軍による掠奪、乳房の切り取り、子供の手の切り落とし・・といった
非道の数々が証言として集められ、なかには「妊婦の腹を切り裂いて、胎児を取り出し、
代わりに切断された夫の首を血だらけの腹部に詰めん込んだ」というものも。。
しかし、1930年になってベルギー政府もそのような事例はまったくなかったと認めますが、
1964年に発表され、ピュリッツァー賞を受賞した「八月の砲声」でさえ、
このような英国のずさんで意図的な報告に基づいているのでした。
なるほど。。1940年の電撃戦で、フランス市民が「子供の手を切り落とされる」と
ドイツ兵士を恐れおののいていたという理由が良くわかりました。
そんな英国の「対ドイツ海上封鎖」も、そのやり方はドイツ国民の飢餓が狙い。
少なくとも70万人が、この飢餓封鎖の影響で死亡したそうです。
また、第1次大戦ではヒトラーが一時的に失明したと言われているように
「毒ガス」が大量に使用された戦争であるわけですが、これも当時からNGです。
塩素ガスなどさまざまな種類のガスが交戦国同士で使われますが、
よくTVでも特殊部隊が使っている「催涙ガス」も戦争犯罪なのです。
敵国に使用するのは国際法違反であって、国内のテロ鎮圧に使用するのはOKなんですね。
「偽装商船(Qシップ)対Uボート」もお互い戦争犯罪を行ったり来たりといくつか事例を挙げます。
「ゲルニカ爆撃の悲劇」は意図的なテロ攻撃ではないという解釈。
「ナチスの『安楽死』計画」でカール・ブラントが処刑されて、この章は終了します。
第2章は「1939-1945年(第二次大戦期)」ですが、まずは「一般項目」となっています。
簡単に言うと特定の事件ではなく、各国の戦略そのものが犯罪的であるとして、
最初に英国、ドイツ、米国の「空軍戦略理論」、すなわち「戦略爆撃思想」について分析。
次に「ナチスによる文化財収奪」として、ローゼンベルク率いるチームがユダヤ人が所有していた
膨大な美術品を押収すると、ヒトラーは新設のリンツ美術館のコレクションのため、
ゲーリングは個人的趣味による押収済みの退廃芸術品との交換に勤しみます。
1941年以降、ソ連の文化財は東方相に任命されたローゼンベルクが全権を握りますが、
こちらにはヒムラーの「先祖遺産(アーネンエルベ)」が乗り込んで
ウクライナとクリミアで掠奪を続ける・・といった、てんやわんやが4ページに・・。
「慰安婦とドイツ軍の慰安所」も性病対策における、徹底した慰安婦管理の実態、
毎週の検診、客となった将校全員を慰安所カルテに記入することとされ、
国防軍は無認可の売春宿への出入りは禁止、1942年には慰安所は500に上ります。
この件は「ナチズムと強制売春 強制収容所特別棟の女性たち」にもありましたね。
「アウシュヴィッツ」と絶滅収容所についてもかなりページを割いています。
ガス室で殺害された人数は「少なくとも110万」という数字を推奨していますね。
その90%がユダヤ人であり、ホロコースト犠牲者の総数は390万~580万の範囲とします。
「コマンド作戦の違法行動」では、ドイツのブランデンブルク部隊や、
英国のコマンドによるサン・ナゼール奇襲などが紹介されます。
正規軍人による行動であっても、コマンド行動はゲリラ戦の形態のひとつであり、
ハーグ条約で許されている「奇計」には入らない戦争犯罪です。
よって、ヒトラーは「最後の一兵まで殲滅せよ」という、「コマンド命令」を発するのです。
基本的には敵国の軍服を着て潜入するのはOKですが、
戦闘時にはそれを脱ぎ捨てないと、戦争犯罪になるそうなので、
ポーランド空挺部隊の軍服から、ドイツ降下猟兵に変身して死んでいった
「鷲は舞い降りた」は正しい行動になるんですね。
ヒトラーの命令といえば、「コミッサール命令」も有名です。
ソ連の人民委員は捕虜にせずに射殺しろ・・というこの命令ですが、
兵士ではない人民委員は、国際法が兵士に与えている保護の対象外という認識。
赤軍の人民委員の見分け方は「槌と鎌が縫い込まれた赤星」の徽章ですが、
ほとんどは捕えられる前に自身の徽章を捨ててしまい、ドイツ軍も識別は困難です。
「アインザッツグルッペン」の項目も出てきました。
ハイドリヒを中心に6ページ、しっかりと書かれていますね。
「パルチザン戦争の諸相」もなかなか勉強になります。
ソ連やポーランドのパルチザン、フランスのレジスタンスは国民的英雄になる一方、
占領軍からみれば、「不正規兵」であり、テロリストとして射殺して良いのです。
そして占領地の住民は、立法権の移行した占領軍に服従する義務を負っているのです。
ドイツが行った「強制労働のための民間人連行」の次には、「ソ連によるドイツ人の抑留」。
数字だけを見れば前者が760万人、後者は280万人・・。
女子の割合は前者が190万人で、後者は5%・・、14万人ですね。。
ソ連に抑留された女性は逃げ遅れた軍の衛生要員やドイツ赤十字の看護婦などですが、
その1/3が抑留中に死んだと見られているそうです。
ちなみにドイツの強制労働については「ナチス・ドイツの外国人―強制労働の社会史」
という本が以前から気になっています。
「ノルマンディ上陸後の米兵による緒犯罪」は、ほとんどが武装SS隊員に対するもの。
従軍記者だったヘミングウェイは「SS野郎」を殺したことを自慢し、
モントゴメリーは捕虜となったマックス・ヴュンシェに言い放ちます。
「SS兵士にはジュネーヴ条約は適用されない。なぜならば、
彼らは政治の害虫であり、政治の汚物であるからだ」。
う~ん、まるでソ連の政治委員と同じような扱いですね。
そして米軍に投降した「トーテンコップ」は行進がソ連軍に向かっていることに気づき、
次々に逃亡を始めると、大量虐殺が始まります。
米軍第11戦車隊の指揮官は3万4千人をソ連軍に引き渡したと報告していますが、
ソ連の収容所に到着したのは2千人のみ・・。
この件はいまだにハッキリしていないそうです。へ~、知らなかったなぁ。
515ページからは第3章として「個別事件」を取り扱います。
最初は1939年のレンプ艦長(U-30)による、「アセニア号(英客船)の沈没」事件です。
続く「ワルシャワ爆撃」は、完全包囲されているにもかかわらず、明け渡しを拒否した
12万のワルシャワ守備隊に対する地上支援のための戦略爆撃であり、
防守された都市への攻撃は合法だという見解です。
「カティンの森」、「ロッテルダム空爆」、そして「英軍捕虜の銃殺」は、あのクネヒラインの件。
「コヴェントリーの大爆撃」は一般市民の568人が死亡したものの、
英国の歴史家たちは「ドイツ空軍は実際に工場を狙った」と認めており、
結果的にコヴェントリー大聖堂が焼け落ちても、合法的な戦争行為という認識のようです。
「クレタ島」を制圧したドイツ空挺部隊と山岳部隊。
しかしギリシャ人である島民はパルチザン戦争を実行します。
発見されたドイツ兵の遺体は性器切除、両手切断と非人道的虐殺行為の跡が・・。
耳が切断されているケースも多く、鼻が切り取られていたり、両目がえぐりとられていたり。。
シュトゥーデント将軍も報復措置を命令しなければなりません。
重傷を負った降下猟兵が目を覚ますと、公開リンチをしようとする島民に向けて、
英軍兵士2人が銃を向けて守っている・・という状況です。
「バービ・ヤールにおけるユダヤ人虐殺」もタップリと書かれ、
「クラグエヴァツ(ユーゴ)における人質処刑」は、パルチザンとの戦闘で、
ドイツ国防軍兵士10名が死亡、26名の負傷者が出てしまいます。
ヒトラーはセルビア方面軍司令官フランツ・ベーメに「人質命令」を発します。
それは死者1名に対して人質100人、1名の負傷者なら50人を射殺せよというもの。
この命令に従い、2300人を駆り集めて、12歳の少年まで射殺するのでした。
「クロアチアのヤセノヴァツの集団虐殺」になると、更に刺激は強くなります。
ドイツに占領されたユーゴスラヴィアは、クロアチアがナチス傀儡政権として独立。
パヴェリッチを首班とするファシスト組織「ウスタシャ」は、純粋なクロアチア国家を目指します。
そして全人口の1/3に当たる200万人のセルビア人が殺害、追放されていく、
「ユーゴスラヴィアのホロコースト」へと発展していくのです。
この虐殺の中心地となったのがヤセノヴァツの絶滅収容所であり、
数十万のセルビア人を筆頭に、ユダヤ人やロマなど、30万~70万人が殺されます。
その殺害方法は特殊な形状をしたナイフ、そして斧などです。
もちろん1945年にナチス・ドイツの降伏と同時に崩壊したクロアチア独立国。
復讐に燃えるパルチザンの手によって、今度は数万人のウスタシャが処刑されるのです。
それにしてもウスタシャ関連本ってホント無いんですよ。勉強になりました。
まぁ、このように「刃物」を好むバルカンの処刑方法。
西欧と比べて残酷なように感じますが、単なる文化の違いのようにも思います。
西欧でも中世からエゲツナイ処刑方法がたくさんあり、ギロチンも流行、
銃殺は近代になって軍人にとっての名誉とされる処刑方法であり、
犯罪者に対してはニュルンベルクでもそうだったように「絞首刑」が一般的です。
日本軍でも「軍刀」で一刀両断や「銃剣」による刺殺をよく聞くのは、刀文化に由来し、
同様にバルカンでも高価な銃より、慣れ親しんだ刃物を使った・・ということでは??
まだまだ「ハイドリヒ暗殺に対するリディツェ村の報復破壊」に、
U-156のハルテンシュタイン艦長の「ラコニア号事件」、
U-852のエック艦長の「ペリュース号事件」と、このBlogで紹介した戦争犯罪が目白押し。
西暦529年に建てられた「モンテ・カッシーノ僧院を破壊した米空軍機」では、
膨大な美術品がヘルマン・ゲーリング戦車師団によってヴァチカンへと搬送され、
ケッセルリンクも修道院周辺を中立区域としてドイツ兵の立ち入りを禁止。
連合軍側も空爆の対象から外すと約束します。
しかし、ドイツ軍に手を焼く連合軍は約束を反故にして大爆撃を実施。
朝の礼拝の時間帯であり、修道僧と難民ら400人が死亡します。
「国家記念建造物」を目標としたこの爆撃。ニュージーランド軍団を率いる、
フライバーグ中将の進言で行われた愚行として断罪しています。
今年の5月に行われたジロ・デ・イタリア第6ステージのゴールがこのモンテ・カッシーノで、
戦後に再建された僧院の空撮シーンでは、こんな風に紹介。
「1944年2月に『枢軸側』によって破壊されました」。
用意された紹介文を読んだだけでしょうけど、ありゃないぜ、Sascha。。ドイツ人だろ・・。
「カプラー司令官による大量人質処刑」は、ローマの事件。
「チュル(テュール)におけるドイツ軍の報復行動」はフランスでの事件です。
前者はドイツ側の死者33名と負傷者67名が出たことで、イタリア人人質を
1対10で射殺せよとのヒトラー命令によって、330人を射殺することに・・。
後者は64名のドイツ兵が「マキ」に殺されたことで、報復として92人が街頭に吊るされます。
しかしパルチザンの攻撃自体が違法であり、占領軍には当時の戦時国際法で
報復する権利・・人質を1対10で処刑すると威嚇する権利があったそうです。
ですから、ローマのカプラーの場合、330人を処刑したことでなく、
数え間違いにより5人多く殺してしまったことで戦後、終身刑を受けてしまうのです。
「武装SSのオラドゥール村における虐殺」は、完全にダス・ライヒの戦争犯罪。
1名の将校が「マキ」の捕虜となり、その後、処刑されたにしても、
197人の男子を銃殺し、445人の婦女子を教会に閉じ込めて焼き殺す・・というのは、
報復の度を越え過ぎているというわけです。
「アルデンヌ戦で殺害された米兵捕虜」はいわゆる「マルメディの虐殺」です。
ダッハウ強制収容所で開かれた戦後の裁判では、ドイツ兵75人が起訴され、
フライムート軍曹は、拷問を受けてニセの自白を強要されたと何度も叫び、
挙句の果てに、首を吊って死んでしまいます。
そんな署名もない彼の自白を有益な証拠と認めた法廷は、全員有罪で
ヨーヘン・パイパー、ゼップ・ディートリッヒら43名に死刑判決を下します。
しかし拷問による自白が問題となり、米占領当局が調査を実施すると、
骨を砕き、睾丸を潰すといった悪質な手口が明らかとなって大騒ぎに・・。
アイゼンハワーの後任であるクレイ将軍の即刻死刑の意図は失敗に終わるのです。
東部戦線では「東プロイセンにおけるソ連軍の住民虐殺」に始まり、
「難民輸送船グストロフ号の悲劇」へと進みます。
このソ連潜水艦によるグストロフ号の撃沈が戦争犯罪なのかというと、
5000人の難民の他、負傷者を含む1100人の兵員が乗船しており、
航海灯を消していただけではなく、赤十字の標識も付けていなかったことから、
戦争犯罪とは認められないとしています。う~ん。難しいなぁ。
「ドレスデン壊滅の日」もガッチリ書かれていますね。
1945年2月という時期になって、ドイツの芸術文化都市を無差別に爆撃した英空軍。
ハンブルク爆撃と並ぶ、第2次大戦における最大級の「戦争犯罪」と表現。
行政機関や交通施設、兵舎は合法的な爆撃目標であるものの、
病院や文化財建造物は爆撃してはいけません。
当日、英爆撃機隊員に発せられた指示では、
「ソ連のコーネフ元帥はその前線突破に全力を傾けているので、
ドレスデンに到達するソ連軍に、英爆撃機集団の実力の程を見せつけねばならぬ」。
日本でも一歩間違えれば京都や奈良が、東京のようになったのかも知れません。
やっと第4章、「1945年-2002年期」に辿り着きました。
まずは「ダッハウ解放後の米兵による収容所員処刑」。
医学的人体実験など「人道に対する罪」が行われたダッハウ強制収容所ですが、
パットンの米第7軍によって解放された当初、この収容所の警備兵だけでなく、
衛生部員、炊事要員らが銃殺されています。
520人の人員が武装解除され、壁に向かって立たされて射殺。
しかも彼らは、元の多くの看守が前線行きとなったため、
急遽、駆り集められた傷病兵たちで、数日しか経っていない新米看守だったのです。
また、SS隊員の多くが元の収容者によって撲殺されるのです。
生き残った人員は戦争犯罪人として取り扱われることに・・。
フランス軍のルクレール将軍は、ベルヒテスガーデン攻撃準備の最中、
米軍から捕虜を引き渡されます。
それは武装SSシャルルマーニュの12名。すなわち、同じフランス人の同胞なのです。
そしてドイツ降伏の数時間前、12名は銃殺されてしまうのでした。
これと同じようなパターンが「ソ連へ引き渡された非ドイツ人捕虜の運命」です。
ドイツ軍に協力したコサックやウクライナ人、タタール人やカフカス人、
「幻影」でも有名なウラソフの「ロシア解放軍(ROA)」などの運命です。
捕虜となったソ連軍兵士は、スターリンによって「卑怯者と脱走兵」と定義されており、
祖国への帰還は、そのまま処刑ないしは、収容所送りなのです。
ユーゴにチェコ、ポーランドなどの「ソ連占領軍による住民追放」では、
ソ連軍将兵による大量婦女暴行を取り上げ、
強姦された婦女子の総数は200万人と推定され、18万人がその際に死亡と・・。
「ソ連によるドイツ兵捕虜の抑留と強制労働」は、その過酷な労働の実態を・・。
スターリンの威信かけた巨大建築物に世界最大の水力発電所、鉄道道路に
モスクワの地下鉄など大型の建築計画にはドイツ人捕虜が多数参加。
モスクワのディナモ・スタジアムの建築(増築??)にも彼らが関わっているそうです。
西側のドイツ人捕虜も運命は悲惨です。
「消えた百万人」でも詳しく書かれていた野外の収容所で泥の中、餓死していきます。
さらにデンマークとフランスでは、「大西洋の壁」の建築時に埋設された
「地雷の除去」を命ずるのです。
このような作業はジュネーヴ捕虜条約で禁止されている「危険な労働」に該当。
フランスでは4万人の捕虜が従事し、毎月、2000件の死亡事故が起こるのです。
パウル・カレルの「捕虜」を再読したくなりますが、精神的にキツイからやっぱりやめた。。
後半は「イスラエルvsパレスチナ」、「アルジェリアにおけるフランス軍の暴行」、
これは昔、「アルジェの戦い」という映画を観て知りましたねぇ。
1979年にウラル地方の「ソ連生物兵器施設で起こった炭疽菌事故」。
66人~105人が死亡したこの事故が西側に漏れ伝わると、
ソ連は自国民に対してもこの事故を隠すため、汚染肉が原因だとして、
肉の闇商人まで逮捕してしまいます。
そしてこの隠蔽工作を指揮したのは、当時、この地区の共産党書記だったエリツィン・・。
「湾岸戦争」は主に空爆が米軍の戦争犯罪であり、
「ルワンダ共和国の大虐殺」、「ユーゴの内戦」で終了します。
そういえば「最愛の大地」という映画、観てみたいんですよねぇ。
あのアンジェリーナ・ジョリーの初監督作品で、ストーリーは
「ボスニア女性アイラはセルビア軍に捕えられ収容所に収監される。
収容所では日々レイプや拷問が行われていた・・。」という恐ろしいもの。
しかし彼女は<第1部>で紹介した最新作「アンブロークン」といい、
なかなか意欲的な作品に挑戦していますね。
実は40ページほどの第3部があり、「参考項目」と題して、各国の戦後補償や、
戦争犯罪関係の国際条約等一覧が掲載されています。
このように本書は、特にナチス・ドイツに関わる戦争犯罪は知っていたものも多いですが
単なる犯罪行為の紹介ではなく、当時の国際法と照らし合わせて、
どこがどのように犯罪行為なのか、あるいは犯罪とは認められないのか・・
に言及しているものです。
SSやゲシュタポがロシアのパルチザンや、フランスのレジスタンスの親玉を捕え、
冷酷に処刑してしまうなんて、犯罪行為のように思えますが、
国際法上は愛国者のパルチザン、レジスタンスはテロリストなのであり、犯罪人なのです。
近年で言えば、ビン・ラディンを殺した米軍とCIAが正義なのと一緒なんですね。
本書は素晴らしいと思います。
2回に分けてお送りしましたが、とても全項目は紹介できませんので、
その他、どんな項目があるのか興味のある方は、コチラをど~ぞ。
ただし、定価19440円では一般人は購入できません。モッタイナイ話ですね。
「日本の古本屋」で検索しても、最安値で5000円。
少なくともアジアの第1部、ヨーロッパの第2部に分けて、分冊にするとか、
もっと細かく、国ごと、あるいは第2次大戦と、それ以外など4分冊くらいになれば、
1巻あたりが安くなって、興味のある巻から購入してみることもできるでしょう。
文春文庫で全8巻ででも出れば、迷わずまとめ買いします。
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世界戦争犯罪事典 <第1部> [世界の・・]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
常石 敬一 監修の「世界戦争犯罪事典」を読破しました。
過去に紹介した「辞典」としては、「ナチス第三帝国辞典」がありますが、
今回はさらにグレードアップした独破戦線辞典シリーズの第2弾です。
2002年発刊の本書は、文藝春秋80周年記念出版の一冊であるそうで、
704ページで定価19440円という犯罪的な一冊です。
この値段に躊躇していましたが、まぁ庶民の味方、図書館は助けてくれますね。
関係ないですけど、「詳解 武装SS興亡史」と「映画大臣 -ゲッベルスとナチ時代の映画-」が
図書館カウンターの予約棚に陳列してあって、思わず笑っちゃいました。。
最初にグローバルな視点で近現代の戦争犯罪群を整理し、記録しようという意図から生まれたと
本辞典誕生の経緯と、260の項目の、その「戦争犯罪」の範囲について解説します。
1907年の「ハーグ陸戦規則」を基本に、ニュルンベルク裁判や東京裁判で規定された
「平和に対する罪」と、「人道に対する罪」、そして反乱、抑圧などを包含する「内戦と大量虐殺」。
また大きく2部に分かれる本辞典は、アジア・太平洋・米大陸を日本人著者が、
ヨーロッパ・中近東・アフリカを担当するのがドイツ人執筆グループであり、
各40名ほどの執筆者が選定されたということです。
その第1部 アジア・太平洋・米大陸は、第1章「1893-1941年期」からです。
日清戦争における「旅順虐殺事件」がトップバッターで、
日本側の史料によると、清国軍2000人と非戦闘員500人を殺害したとされますが、
中国人研究家は、この事件の死者を10倍の2万人としています。
上下2段組みで4ページ、ビッチリと書かれていますが、なかなかわかりやすい。
やっぱりこのような事件は、「旅順虐殺事件」という本にもなってるんですね。
「朝鮮の義勇闘争」、「閔妃殺害事件」と続いた後、「ハワイ王国の乗っ取り」が・・。
1887年、ハワイを牛耳ろうと目論む米国は王権を剥奪し、併せて貧しいハワイ島民から
参政権を奪おうと、軍艦ボストンの砲口をイオラニ宮殿に向けさせ、
海兵隊を上陸させてホノルル市街を武力制圧します。
このような行為は特に国際的な物議を招かず、それは他国に先んじて、
第三世界の領土を領有することは強国の権利であった時代だからです。
テキサス共和国をつくった後、合衆国へ併合したのと同じ手を駆使する横暴な米国・・。
しかしハワイ王国と親交の深かった日本は、日本人移民の安全確保の名目で、
軍艦「浪速」を急派し、艦長、東郷平八郎は、共和国臨時政府を徹底的に無視するのでした。
「フィリピン独立闘争と米軍の鎮圧」でも、一般市民20万人が飢餓や虐殺によって死んだとされ、
続くオーストラリアの「アボリジニ狩り」では先住民が殺戮され続け、
数百万人だったアボリジニの人口は、今では30万人に過ぎません。
以前に紹介した「関東大震災と朝鮮人虐殺」も出てきました。
被害者は2613人とも、6433人とも云われていますが、本辞典でも「正確な数は不明」とします。
自警団は朝鮮人らしい人物をを見つけると、「15円55銭」と言ってみろと強要。
「ジュ」の発音が苦手な朝鮮人が、「チューゴエンゴチューゴセン」と発音してしまうと、
その場で叩きのめされたり、刺殺されてしまうのです。
訛りの強い東北人も間違えられた・・と以前の本にも書かれていましたが、
これじゃ具志堅用高だって負けてしまいそうですね。。
1930年、日本の植民地である台湾の霧社でタイヤル人が武装蜂起し、これを鎮圧した事件。
640人が死亡し、婦女子を中心に自殺者300名に及びます。
そして投降して収容された560人を当局に協力するタイヤル人である「味方番」が襲撃し、
210人を殺害してしまうのです。
本辞典では所々で、以下のような写真も掲載。
1930年代における「モンゴルの粛清」は興味深かったですね。
親ソ・社会主義路線をとっていたモンゴルにも、スターリンの「大粛清」の波が押し寄せ、
1937年、国防次官スミルノフ、NKVDフリノフスキーらソ連代表団がウランバートルへ・・。
そして日本のスパイ容疑者115人のリストを手渡したことをきっかけに、
まず69名の高官が逮捕されて14名が処刑。その後、2万人以上が逮捕されます。
翌年末、NKVDトップのエジョフが処刑されると、今度は粛清期に政府を指導した人々が
逮捕され、元首相らがソ連に連行されて処刑されてしまうのです。
「南京虐殺事件」は10ページほどタップリ。
現在でも虐殺否定論から30万人虐殺まで諸説あるこの事件。
否定論者の言う、捕虜や便衣兵を殺したのは、交戦の延長としての戦闘行為であり、
軍服を脱ぎ、民服で潜んでいた便衣兵は、ハーグ条約違反で捕虜の資格はなく、
それゆえ不法殺害とはならず、したがって「虐殺」ではないという論理については、
武装解除して管理下に入れておきながら、その後、連行して殺害するのは
戦闘の延長とはいえず、また、第一線部隊には捕虜を処断する権限はないとします。
一方の大虐殺派は、敗残兵に対する追撃、砲撃も虐殺に相当するとしてカウントしており、
このような降伏の意思表示をせずに逃げている敵兵の射殺は、
ハーグ条約の禁止事項に当てはまらない、すなわち戦闘行為と定義しています。
そしてこの戦争が宣戦布告されず、国際法上の戦争ではなく「事変」だったことを挙げ、
結果的に捕虜の取り扱いが部隊によりまちまちであり、明確な方針を示さなかった
日本軍の大失策であり、首脳部の責任は重大であったと分析。
蒋介石を含む、南京防衛司令官や市長、警察署長らが民衆保護の処置をすることなく、
南京から脱出したことが、混乱と悲劇を生む要因となったとも・・。
別項目として、戦後の南京軍事裁判で死刑判決を受けた「百人斬りと2人の少尉」の話。
現在の日本で「百人斬り」といえば、単なるスケコマシ野郎とされますが、
敵兵百人斬りをどちらが先に達成するかを競争し、東京日日新聞に報道された件です。
25人から始まって4回報道され、共に百人超えで、150人を目指して延長戦へ・・。
この2人は大隊副官と歩兵砲小隊長であり、その職務と軍刀の物理的性能などから、
有名になりたい願望と、記者の暴走、陸軍の戦意高揚という思惑が一致した、
事実とかけ離れた誇大宣伝とします。
東京裁判では採用されなかったこの新聞記事が、決定的証拠とされた南京裁判。
両少尉の遺書にも、「口は禍のもと」と書かれて・・。
主に日本海軍航空部隊が行った「重慶の戦略爆撃」。
月に数回、首都である重慶市街地と軍事施設、政府機関、工場に対する爆撃ですが、
国際法上、砲爆撃は軍事目標に限定されなければならず、
このような一般市民も巻き込む位置に目標がある場合は、爆撃してはいけません。
よって、この重慶大爆撃も国際法違反となるのです。
「細菌兵器と日本軍731部隊」。
いや~、子供のころ読んだ、森村誠一の「悪魔の飽食」を思い出しますねぇ。
石井四郎中将の写真付きで紹介されるこの項目は、
人体実験やコレラ、ペスト、赤痢、天然痘といった細菌類についても一覧で表し、
1942年以降、飛行機によって病原体をばら撒いた作戦にも言及。
コレラ菌作戦では1万人以上の被害者を出し、1700名が死亡します。
しかし、その生物兵器攻撃を行った場所に踏み込んで行ったのは日本軍であり、
当然、この犠牲者は全員日本兵という、自爆攻撃に終わったのでした・・。
戦後、石井機関の戦犯免責を条件にデータを入手した米国の責任にも触れられます。
「慰安婦と日本軍の慰安所」では、現在の国際的論争に主眼を置いています。
朝日新聞を筆頭とする日本のマスコミが大キャンペーンを張り、
慰安婦たちの悲惨な「身の上話」を裏付けなしに流した・・という論調です。
第2章は「1941-1945年(太平洋戦争期)」。
最初の項目は、やっぱりの「真珠湾の奇襲攻撃」で、これが戦争犯罪なのは、
開戦通告が間に合わなかった・・ということであり、「国際法違反は否定できないが、
日本は最初から無通告の奇襲を企図していたわけではなかった」と・・。
1942年2月、シンガポールからヴィナー・ブルック号で脱出した豪州陸軍の看護婦65人。
日本機の爆弾が命中して沈没・・。なんとかバンカ島に泳ぎ着いたものの、
そこには上陸したばかりの日本軍第229連隊が・・。
投降した男性は射殺され、赤十字マークの制服を着用していた看護婦22人を
海中に追い込み射撃を加えます。
看護婦のうち、12人が溺死、21人が殺され、32人が捕虜となるのでした。
「バターン死の行進」は去年に読んだ「ゴースト・ソルジャーズ」とほぼ同じ解釈です。
しかし、「ジョン・トーランドは意図的、組織的に行われたものではないと述べているが、
英米通だった本間司令官が実情に適した処置を工夫する余地がなかったか・・、
との思いは捨てきれない」とします。
「ドーリットル空襲と米飛行士の処刑」も結構、有名な事件ですね。
日本本土を初空襲したものの、不時着して捕らわれの身となった8名の爆撃隊員。
東條陸相は捕虜として扱うべきだと主張しますが、杉山参謀総長は厳罰の方針で対立。
彼らは民家を爆撃したばかりか、小学校の児童を死亡させたとして、
国際法に違反した無差別爆撃であり、「戦争犯罪人」と断定します。
全員に死刑判決が下りますが、米国内で拘留中の邦人への悪影響を考慮して、
銃殺されたのは機長と機銃手の3人。5人は無期監禁となるのです。
このエピソード、1944年に米国で映画化されています。
「パープル・ハート」という映画ですが、なかなか強烈なプロパガンダ映画のようですね。
ちなみにタイトルの「パープル・ハート」とは、作戦によって死傷した米国兵士に与えられるもので、
ワシントンの胸像がデザインされた、いわゆる米国の戦傷章です。
戦死者や行方不明者にも与えられるというのが特徴です。
そして映画といえば、こちらは御存じの方は多いでしょう。
「泰緬鉄道-戦場にかける橋」。
泰緬(タイ-ビルマ)鉄道の完成を急ぐ大本営の工期短縮命令によって、
英豪軍の捕虜はわずかな食料で、一日14時間労働を強いられ、
高温多雨の密林のなか、マラリア、赤痢などによってその死亡率は20%にも達するのです。
「日本潜水艦による捕虜の洋上処分」では、1942年1月にヒトラーが大島大使に対し、
「英米は船をいくらでも造るから、潜水艦戦においては商船を撃沈するだけではなく、
乗員を皆殺しにすべきで、ドイツと同様、日本もそうしたらよかろう」と勧告したとします。
そして1943年以降、10数件のヒトラー式事件が発生。
興味深かったのは「深海の使者」で登場した「伊8」が1944年、
オランダ船を撃沈後、生存者98名を艦上で殺害。
また、米船を撃沈後、96名を放置して急速潜航したとして戦後、公判が行われます。
事件当時の艦長が、あの自決した有泉指令だったというのがなんとも・・。
米兵に向かって厭戦気分を起こさせることを目的としたラジオ「ゼロ・アワー」。
特徴的な声で米兵の人気を博したのが「東京ローズ」こと、アイバ・戸栗郁子です。
LA生まれの日系2世の彼女は、戦後、国家反逆罪の嫌疑で巣鴨プリズンに1年収監され、
釈放後、米国に帰国するもFBIによって逮捕。
1949年、女性として米国史上2人目となる反逆罪の判決を受けて、
市民権はく奪、罰金1万ドル、懲役10年を言い渡されるのでした。
「病院船ぶえのすあいれす丸の撃沈」は、「従軍看護婦たちの大東亜戦争」ですね。
「パラワン島の米捕虜殺害」も以前に紹介しました。
そしてコレも有名な事件、「父島の人肉食事件」です。
小笠原諸島の父島で、第109師団長の立花中将と的場少佐が捕虜を刺殺したうえ、
将校らの宴会を開き、米飛行士の肝臓と大腿部の肉を食したという・・。
しかも一度だけでなく、数回行われ、戦後のグアム軍事法廷で審理されます。
飢餓の末のカニバリズムではなく、敵愾心の高揚のために企てられたというのは、
「最悪の戦場に奇跡はなかった」にあった話と同じ感覚でしょうか。
「これはうまい。お代わりだ」と当番兵に要求したという立花中将ら、5人が死刑。
それでも人肉食は法的には「死体損壊」として特別な刑の加重はありません。
アンジェリーナ・ジョリーの最新作「アンブロークン」が日本の捕虜収容所を舞台にし、
卑劣な看守の虐待やら、人肉食があるとか・・。
原作に書かれているのか、映画にもそのシーンがあるのかはわかりませんが、
日本公開するんでしょうか??
10万人の死者を出したとされる「東京大空襲」はもちろん戦争犯罪。
1万人以上と推定される「沖縄戦における米兵のレイプ」では、
ガマと呼ばれる洞窟にいた避難民の女漁りに毎週やって来る黒人兵にたまりかね、
3人の黒人兵を殺して投げ捨てたという「クロンボガマ」という事件も紹介。
当然、「広島・長崎の原爆投下」にも8ページ割いています。
さらにはポツダム宣言受諾後に「占守島」などに侵攻したソ連軍そのものが犯罪扱いです。
第3章は「1945年-2002年期」。
まだ戦後とは言えない、「ソ連兵の満州・朝鮮における暴行」から・・。
ソ連軍は日本軍の早期撃破を目的としたため、当初、戦闘部隊だけを投入し、
停戦後も憲兵の進駐が遅れたことで、治安維持の面が疎かになったとします。
満州では掠奪が横行し、日本人は言語に絶する迫害を蒙り、
特に婦女子への暴行、強姦は酷く、日本人だけでなく、朝鮮人、中国人女性に対しても
見境なく行われた・・と、引き揚げまでの悲惨な状況が。。
別項目では「妻と飛んだ特攻兵」で紹介した事件、
ソ連戦車によって婦女子1000名が惨殺された「葛根廟の惨劇」を取り上げており、
北朝鮮での死没者は3万5千人、満州では24万5千人、
北朝鮮では10人に1人、満州では6人に1人が亡くなった計算になるそうです。
「満州帝国崩壊 〜ソビエト進軍1945〜」という1982年のソ連映画を見つけました。
コレは多分、いけないやつだなぁ。。
そして生き残った日本兵は「シベリア抑留」されて、強制労働に従事。
軍民あわせて2000万人以上という、最大の死者を出したソ連は、
「早期に捕虜を本国に送還する」というポツダム宣言を完全に無視して、
ドイツ兵を中心に412万人、日本人60万人を捕虜として抑留します。
女性も従軍看護婦など5000人がシベリア送りです。
4月に新宿の「平和記念展示資料館」に行ったばかりですから、生々しく感じますね。
1950年代、日本が経済発展によって復興しているころ、
中国では毛沢東の「大躍進政策」が失敗して、数千万人が命を落とします。
「15年以内に重要な生産物の生産量において、米国に追いつき、追い越す」
というフルシチョフの発言に触発されたのか、
「15年以内に鉄鋼などの工業製品の生産量で、英国に追いつき、追い越す」
と言ってしまった毛沢東。
男子労働力が製鉄運動に動員された結果、収穫期に人手不足が生じてしまうのです。
1959年~61年までの3年間、飢餓などによって1500万人~4000万人が死亡しますが、
公式には「ひどい自然災害に見舞われた」と発表されるのでした。
「毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災」を読んでみたくなりますね。
ベトナム戦争からは「戦争の記憶 記憶の戦争」で紹介した、
米軍が行った「ソンミ(ミライ)の虐殺事件」と、韓国軍が行った「住民虐殺事件」を詳しく。
2000年にソウルで開かれたシンポジウムで当時の指揮官たちは、
「韓国の資本がベトナムへ入って感謝されている。
不幸な過去を取り上げるのは国益に反する。
ベトナムから補償要求が出たらどうするのか。新聞・雑誌は2度と記事にするな」
と反発し、新聞社が退役軍人の集団に襲撃、放火され、社員に怪我人まで・・。
そしてベトコンの隠れ家であるジャングルを破壊する目的で使用された「枯葉剤」では、
国際法違反ではないとして、10年間でドラム缶にして40万本を空からばら撒いた米軍。
そこには人体に有害なダイオキシンが含まれており、
「ベトとドク」のような2重胎児が増加するのです。
カンボジアの「ポル・ポト政権の大虐殺」は8ページ割かれていました。
1975年からの4年間の死者は、最も新しい数字で170万人。
当時のカンボジアの人口の20%だそうです。。
首都プノンペンなどの都市住民200万人が地方の農業生産の労働力とされ、
劣悪な環境での強制移住させられてしまいます。
共産主義者からしてみれば、彼らは中産階級、知識階級、西欧文化の温床であり、
革命への脅威、すなわち「敵」とみなされたというわけです。
家族は引き離されて、自由な恋愛や結婚は禁止。
クメール・ル-ジュ(カンプチア共産党)幹部の決定した組み合わせで集団結婚が・・。
外国語ができれば「スパイ」とされて処刑・・。
1990年代には北朝鮮で「飢餓と300万人の餓死者」がでます。
食料配給が途絶するという未曾有の食糧危機に直面しますが、
金正日は1999年の「労働新聞」でこのように語っています。
「ミサイル開発の資金を人民生活に振り向けたらどれほどよいだろうと思ったが、
私は人民がまともに食べることができないと知りつつも、
明日の富強祖国を建設するために、その部門への資金投入を許諾した」。
最後は「アル・カーイダによる対米同時多発テロ」。
さて、ここまでで360ページ、ちょうど真ん中、半分来たところです。
もうだいぶ書きましたねぇ。
いくら辞典だといえ、複数説のあるものには明確な答えがなかったりもしますが、
まぁ、それをやると「反対派」に喰いつかれるのでしょうがないところでしょう。
ヴィトゲンシュタインもここに書いたような件を無条件で信じるほどナイーブではなく、
あくまで「戦争犯罪とされている事件」として、それぞれを興味深く読みましたが、
ちょっと疲れてしまいました・・。
やっとこれからヨーロッパ戦線、ナチスの蛮行なんかが出てくるわけですが、
この第1部が予想以上に興味深い項目が多くて、ちょっと整理が必要です。
ですので今回に限っては、2回に分けさせてください。
ng
常石 敬一 監修の「世界戦争犯罪事典」を読破しました。
過去に紹介した「辞典」としては、「ナチス第三帝国辞典」がありますが、
今回はさらにグレードアップした独破戦線辞典シリーズの第2弾です。
2002年発刊の本書は、文藝春秋80周年記念出版の一冊であるそうで、
704ページで定価19440円という犯罪的な一冊です。
この値段に躊躇していましたが、まぁ庶民の味方、図書館は助けてくれますね。
関係ないですけど、「詳解 武装SS興亡史」と「映画大臣 -ゲッベルスとナチ時代の映画-」が
図書館カウンターの予約棚に陳列してあって、思わず笑っちゃいました。。
最初にグローバルな視点で近現代の戦争犯罪群を整理し、記録しようという意図から生まれたと
本辞典誕生の経緯と、260の項目の、その「戦争犯罪」の範囲について解説します。
1907年の「ハーグ陸戦規則」を基本に、ニュルンベルク裁判や東京裁判で規定された
「平和に対する罪」と、「人道に対する罪」、そして反乱、抑圧などを包含する「内戦と大量虐殺」。
また大きく2部に分かれる本辞典は、アジア・太平洋・米大陸を日本人著者が、
ヨーロッパ・中近東・アフリカを担当するのがドイツ人執筆グループであり、
各40名ほどの執筆者が選定されたということです。
その第1部 アジア・太平洋・米大陸は、第1章「1893-1941年期」からです。
日清戦争における「旅順虐殺事件」がトップバッターで、
日本側の史料によると、清国軍2000人と非戦闘員500人を殺害したとされますが、
中国人研究家は、この事件の死者を10倍の2万人としています。
上下2段組みで4ページ、ビッチリと書かれていますが、なかなかわかりやすい。
やっぱりこのような事件は、「旅順虐殺事件」という本にもなってるんですね。
「朝鮮の義勇闘争」、「閔妃殺害事件」と続いた後、「ハワイ王国の乗っ取り」が・・。
1887年、ハワイを牛耳ろうと目論む米国は王権を剥奪し、併せて貧しいハワイ島民から
参政権を奪おうと、軍艦ボストンの砲口をイオラニ宮殿に向けさせ、
海兵隊を上陸させてホノルル市街を武力制圧します。
このような行為は特に国際的な物議を招かず、それは他国に先んじて、
第三世界の領土を領有することは強国の権利であった時代だからです。
テキサス共和国をつくった後、合衆国へ併合したのと同じ手を駆使する横暴な米国・・。
しかしハワイ王国と親交の深かった日本は、日本人移民の安全確保の名目で、
軍艦「浪速」を急派し、艦長、東郷平八郎は、共和国臨時政府を徹底的に無視するのでした。
「フィリピン独立闘争と米軍の鎮圧」でも、一般市民20万人が飢餓や虐殺によって死んだとされ、
続くオーストラリアの「アボリジニ狩り」では先住民が殺戮され続け、
数百万人だったアボリジニの人口は、今では30万人に過ぎません。
以前に紹介した「関東大震災と朝鮮人虐殺」も出てきました。
被害者は2613人とも、6433人とも云われていますが、本辞典でも「正確な数は不明」とします。
自警団は朝鮮人らしい人物をを見つけると、「15円55銭」と言ってみろと強要。
「ジュ」の発音が苦手な朝鮮人が、「チューゴエンゴチューゴセン」と発音してしまうと、
その場で叩きのめされたり、刺殺されてしまうのです。
訛りの強い東北人も間違えられた・・と以前の本にも書かれていましたが、
これじゃ具志堅用高だって負けてしまいそうですね。。
1930年、日本の植民地である台湾の霧社でタイヤル人が武装蜂起し、これを鎮圧した事件。
640人が死亡し、婦女子を中心に自殺者300名に及びます。
そして投降して収容された560人を当局に協力するタイヤル人である「味方番」が襲撃し、
210人を殺害してしまうのです。
本辞典では所々で、以下のような写真も掲載。
1930年代における「モンゴルの粛清」は興味深かったですね。
親ソ・社会主義路線をとっていたモンゴルにも、スターリンの「大粛清」の波が押し寄せ、
1937年、国防次官スミルノフ、NKVDフリノフスキーらソ連代表団がウランバートルへ・・。
そして日本のスパイ容疑者115人のリストを手渡したことをきっかけに、
まず69名の高官が逮捕されて14名が処刑。その後、2万人以上が逮捕されます。
翌年末、NKVDトップのエジョフが処刑されると、今度は粛清期に政府を指導した人々が
逮捕され、元首相らがソ連に連行されて処刑されてしまうのです。
「南京虐殺事件」は10ページほどタップリ。
現在でも虐殺否定論から30万人虐殺まで諸説あるこの事件。
否定論者の言う、捕虜や便衣兵を殺したのは、交戦の延長としての戦闘行為であり、
軍服を脱ぎ、民服で潜んでいた便衣兵は、ハーグ条約違反で捕虜の資格はなく、
それゆえ不法殺害とはならず、したがって「虐殺」ではないという論理については、
武装解除して管理下に入れておきながら、その後、連行して殺害するのは
戦闘の延長とはいえず、また、第一線部隊には捕虜を処断する権限はないとします。
一方の大虐殺派は、敗残兵に対する追撃、砲撃も虐殺に相当するとしてカウントしており、
このような降伏の意思表示をせずに逃げている敵兵の射殺は、
ハーグ条約の禁止事項に当てはまらない、すなわち戦闘行為と定義しています。
そしてこの戦争が宣戦布告されず、国際法上の戦争ではなく「事変」だったことを挙げ、
結果的に捕虜の取り扱いが部隊によりまちまちであり、明確な方針を示さなかった
日本軍の大失策であり、首脳部の責任は重大であったと分析。
蒋介石を含む、南京防衛司令官や市長、警察署長らが民衆保護の処置をすることなく、
南京から脱出したことが、混乱と悲劇を生む要因となったとも・・。
別項目として、戦後の南京軍事裁判で死刑判決を受けた「百人斬りと2人の少尉」の話。
現在の日本で「百人斬り」といえば、単なるスケコマシ野郎とされますが、
敵兵百人斬りをどちらが先に達成するかを競争し、東京日日新聞に報道された件です。
25人から始まって4回報道され、共に百人超えで、150人を目指して延長戦へ・・。
この2人は大隊副官と歩兵砲小隊長であり、その職務と軍刀の物理的性能などから、
有名になりたい願望と、記者の暴走、陸軍の戦意高揚という思惑が一致した、
事実とかけ離れた誇大宣伝とします。
東京裁判では採用されなかったこの新聞記事が、決定的証拠とされた南京裁判。
両少尉の遺書にも、「口は禍のもと」と書かれて・・。
主に日本海軍航空部隊が行った「重慶の戦略爆撃」。
月に数回、首都である重慶市街地と軍事施設、政府機関、工場に対する爆撃ですが、
国際法上、砲爆撃は軍事目標に限定されなければならず、
このような一般市民も巻き込む位置に目標がある場合は、爆撃してはいけません。
よって、この重慶大爆撃も国際法違反となるのです。
「細菌兵器と日本軍731部隊」。
いや~、子供のころ読んだ、森村誠一の「悪魔の飽食」を思い出しますねぇ。
石井四郎中将の写真付きで紹介されるこの項目は、
人体実験やコレラ、ペスト、赤痢、天然痘といった細菌類についても一覧で表し、
1942年以降、飛行機によって病原体をばら撒いた作戦にも言及。
コレラ菌作戦では1万人以上の被害者を出し、1700名が死亡します。
しかし、その生物兵器攻撃を行った場所に踏み込んで行ったのは日本軍であり、
当然、この犠牲者は全員日本兵という、自爆攻撃に終わったのでした・・。
戦後、石井機関の戦犯免責を条件にデータを入手した米国の責任にも触れられます。
「慰安婦と日本軍の慰安所」では、現在の国際的論争に主眼を置いています。
朝日新聞を筆頭とする日本のマスコミが大キャンペーンを張り、
慰安婦たちの悲惨な「身の上話」を裏付けなしに流した・・という論調です。
第2章は「1941-1945年(太平洋戦争期)」。
最初の項目は、やっぱりの「真珠湾の奇襲攻撃」で、これが戦争犯罪なのは、
開戦通告が間に合わなかった・・ということであり、「国際法違反は否定できないが、
日本は最初から無通告の奇襲を企図していたわけではなかった」と・・。
1942年2月、シンガポールからヴィナー・ブルック号で脱出した豪州陸軍の看護婦65人。
日本機の爆弾が命中して沈没・・。なんとかバンカ島に泳ぎ着いたものの、
そこには上陸したばかりの日本軍第229連隊が・・。
投降した男性は射殺され、赤十字マークの制服を着用していた看護婦22人を
海中に追い込み射撃を加えます。
看護婦のうち、12人が溺死、21人が殺され、32人が捕虜となるのでした。
「バターン死の行進」は去年に読んだ「ゴースト・ソルジャーズ」とほぼ同じ解釈です。
しかし、「ジョン・トーランドは意図的、組織的に行われたものではないと述べているが、
英米通だった本間司令官が実情に適した処置を工夫する余地がなかったか・・、
との思いは捨てきれない」とします。
「ドーリットル空襲と米飛行士の処刑」も結構、有名な事件ですね。
日本本土を初空襲したものの、不時着して捕らわれの身となった8名の爆撃隊員。
東條陸相は捕虜として扱うべきだと主張しますが、杉山参謀総長は厳罰の方針で対立。
彼らは民家を爆撃したばかりか、小学校の児童を死亡させたとして、
国際法に違反した無差別爆撃であり、「戦争犯罪人」と断定します。
全員に死刑判決が下りますが、米国内で拘留中の邦人への悪影響を考慮して、
銃殺されたのは機長と機銃手の3人。5人は無期監禁となるのです。
このエピソード、1944年に米国で映画化されています。
「パープル・ハート」という映画ですが、なかなか強烈なプロパガンダ映画のようですね。
ちなみにタイトルの「パープル・ハート」とは、作戦によって死傷した米国兵士に与えられるもので、
ワシントンの胸像がデザインされた、いわゆる米国の戦傷章です。
戦死者や行方不明者にも与えられるというのが特徴です。
そして映画といえば、こちらは御存じの方は多いでしょう。
「泰緬鉄道-戦場にかける橋」。
泰緬(タイ-ビルマ)鉄道の完成を急ぐ大本営の工期短縮命令によって、
英豪軍の捕虜はわずかな食料で、一日14時間労働を強いられ、
高温多雨の密林のなか、マラリア、赤痢などによってその死亡率は20%にも達するのです。
「日本潜水艦による捕虜の洋上処分」では、1942年1月にヒトラーが大島大使に対し、
「英米は船をいくらでも造るから、潜水艦戦においては商船を撃沈するだけではなく、
乗員を皆殺しにすべきで、ドイツと同様、日本もそうしたらよかろう」と勧告したとします。
そして1943年以降、10数件のヒトラー式事件が発生。
興味深かったのは「深海の使者」で登場した「伊8」が1944年、
オランダ船を撃沈後、生存者98名を艦上で殺害。
また、米船を撃沈後、96名を放置して急速潜航したとして戦後、公判が行われます。
事件当時の艦長が、あの自決した有泉指令だったというのがなんとも・・。
米兵に向かって厭戦気分を起こさせることを目的としたラジオ「ゼロ・アワー」。
特徴的な声で米兵の人気を博したのが「東京ローズ」こと、アイバ・戸栗郁子です。
LA生まれの日系2世の彼女は、戦後、国家反逆罪の嫌疑で巣鴨プリズンに1年収監され、
釈放後、米国に帰国するもFBIによって逮捕。
1949年、女性として米国史上2人目となる反逆罪の判決を受けて、
市民権はく奪、罰金1万ドル、懲役10年を言い渡されるのでした。
「病院船ぶえのすあいれす丸の撃沈」は、「従軍看護婦たちの大東亜戦争」ですね。
「パラワン島の米捕虜殺害」も以前に紹介しました。
そしてコレも有名な事件、「父島の人肉食事件」です。
小笠原諸島の父島で、第109師団長の立花中将と的場少佐が捕虜を刺殺したうえ、
将校らの宴会を開き、米飛行士の肝臓と大腿部の肉を食したという・・。
しかも一度だけでなく、数回行われ、戦後のグアム軍事法廷で審理されます。
飢餓の末のカニバリズムではなく、敵愾心の高揚のために企てられたというのは、
「最悪の戦場に奇跡はなかった」にあった話と同じ感覚でしょうか。
「これはうまい。お代わりだ」と当番兵に要求したという立花中将ら、5人が死刑。
それでも人肉食は法的には「死体損壊」として特別な刑の加重はありません。
アンジェリーナ・ジョリーの最新作「アンブロークン」が日本の捕虜収容所を舞台にし、
卑劣な看守の虐待やら、人肉食があるとか・・。
原作に書かれているのか、映画にもそのシーンがあるのかはわかりませんが、
日本公開するんでしょうか??
10万人の死者を出したとされる「東京大空襲」はもちろん戦争犯罪。
1万人以上と推定される「沖縄戦における米兵のレイプ」では、
ガマと呼ばれる洞窟にいた避難民の女漁りに毎週やって来る黒人兵にたまりかね、
3人の黒人兵を殺して投げ捨てたという「クロンボガマ」という事件も紹介。
当然、「広島・長崎の原爆投下」にも8ページ割いています。
さらにはポツダム宣言受諾後に「占守島」などに侵攻したソ連軍そのものが犯罪扱いです。
第3章は「1945年-2002年期」。
まだ戦後とは言えない、「ソ連兵の満州・朝鮮における暴行」から・・。
ソ連軍は日本軍の早期撃破を目的としたため、当初、戦闘部隊だけを投入し、
停戦後も憲兵の進駐が遅れたことで、治安維持の面が疎かになったとします。
満州では掠奪が横行し、日本人は言語に絶する迫害を蒙り、
特に婦女子への暴行、強姦は酷く、日本人だけでなく、朝鮮人、中国人女性に対しても
見境なく行われた・・と、引き揚げまでの悲惨な状況が。。
別項目では「妻と飛んだ特攻兵」で紹介した事件、
ソ連戦車によって婦女子1000名が惨殺された「葛根廟の惨劇」を取り上げており、
北朝鮮での死没者は3万5千人、満州では24万5千人、
北朝鮮では10人に1人、満州では6人に1人が亡くなった計算になるそうです。
「満州帝国崩壊 〜ソビエト進軍1945〜」という1982年のソ連映画を見つけました。
コレは多分、いけないやつだなぁ。。
そして生き残った日本兵は「シベリア抑留」されて、強制労働に従事。
軍民あわせて2000万人以上という、最大の死者を出したソ連は、
「早期に捕虜を本国に送還する」というポツダム宣言を完全に無視して、
ドイツ兵を中心に412万人、日本人60万人を捕虜として抑留します。
女性も従軍看護婦など5000人がシベリア送りです。
4月に新宿の「平和記念展示資料館」に行ったばかりですから、生々しく感じますね。
1950年代、日本が経済発展によって復興しているころ、
中国では毛沢東の「大躍進政策」が失敗して、数千万人が命を落とします。
「15年以内に重要な生産物の生産量において、米国に追いつき、追い越す」
というフルシチョフの発言に触発されたのか、
「15年以内に鉄鋼などの工業製品の生産量で、英国に追いつき、追い越す」
と言ってしまった毛沢東。
男子労働力が製鉄運動に動員された結果、収穫期に人手不足が生じてしまうのです。
1959年~61年までの3年間、飢餓などによって1500万人~4000万人が死亡しますが、
公式には「ひどい自然災害に見舞われた」と発表されるのでした。
「毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災」を読んでみたくなりますね。
ベトナム戦争からは「戦争の記憶 記憶の戦争」で紹介した、
米軍が行った「ソンミ(ミライ)の虐殺事件」と、韓国軍が行った「住民虐殺事件」を詳しく。
2000年にソウルで開かれたシンポジウムで当時の指揮官たちは、
「韓国の資本がベトナムへ入って感謝されている。
不幸な過去を取り上げるのは国益に反する。
ベトナムから補償要求が出たらどうするのか。新聞・雑誌は2度と記事にするな」
と反発し、新聞社が退役軍人の集団に襲撃、放火され、社員に怪我人まで・・。
そしてベトコンの隠れ家であるジャングルを破壊する目的で使用された「枯葉剤」では、
国際法違反ではないとして、10年間でドラム缶にして40万本を空からばら撒いた米軍。
そこには人体に有害なダイオキシンが含まれており、
「ベトとドク」のような2重胎児が増加するのです。
カンボジアの「ポル・ポト政権の大虐殺」は8ページ割かれていました。
1975年からの4年間の死者は、最も新しい数字で170万人。
当時のカンボジアの人口の20%だそうです。。
首都プノンペンなどの都市住民200万人が地方の農業生産の労働力とされ、
劣悪な環境での強制移住させられてしまいます。
共産主義者からしてみれば、彼らは中産階級、知識階級、西欧文化の温床であり、
革命への脅威、すなわち「敵」とみなされたというわけです。
家族は引き離されて、自由な恋愛や結婚は禁止。
クメール・ル-ジュ(カンプチア共産党)幹部の決定した組み合わせで集団結婚が・・。
外国語ができれば「スパイ」とされて処刑・・。
1990年代には北朝鮮で「飢餓と300万人の餓死者」がでます。
食料配給が途絶するという未曾有の食糧危機に直面しますが、
金正日は1999年の「労働新聞」でこのように語っています。
「ミサイル開発の資金を人民生活に振り向けたらどれほどよいだろうと思ったが、
私は人民がまともに食べることができないと知りつつも、
明日の富強祖国を建設するために、その部門への資金投入を許諾した」。
最後は「アル・カーイダによる対米同時多発テロ」。
さて、ここまでで360ページ、ちょうど真ん中、半分来たところです。
もうだいぶ書きましたねぇ。
いくら辞典だといえ、複数説のあるものには明確な答えがなかったりもしますが、
まぁ、それをやると「反対派」に喰いつかれるのでしょうがないところでしょう。
ヴィトゲンシュタインもここに書いたような件を無条件で信じるほどナイーブではなく、
あくまで「戦争犯罪とされている事件」として、それぞれを興味深く読みましたが、
ちょっと疲れてしまいました・・。
やっとこれからヨーロッパ戦線、ナチスの蛮行なんかが出てくるわけですが、
この第1部が予想以上に興味深い項目が多くて、ちょっと整理が必要です。
ですので今回に限っては、2回に分けさせてください。
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戦争の記憶 記憶の戦争 -韓国人のベトナム戦争 [世界の・・]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
金 賢娥 著の「戦争の記憶 記憶の戦争」を読破しました。
今回は独破戦線初となるベトナム戦争モノです。
この戦争については、「狩りのとき」など、小説はいくつか読んできましたし、
「地獄の黙示録」に、「プラトーン」といった映画もロードショーで観てきました。
そういうわけで、大まかな知識はあったものの、深入りするのはなかなか難しい・・。
泥沼のベトナム戦争全般ではなく、なにか興味深いテーマの本を探していたところ、
2009年、375ページの本書に辿り着いた・・という経緯です。
米軍に次ぐ戦力、最盛期には5万人もの兵を送り込んだ韓国軍。
一般的には5000名もの死者を出したとされる一方、
数千人の民間人虐殺を行ったと云われており、
なかには、ベトナム市民の結婚式を襲撃し、花嫁を含め7人の女性を強姦。
ついでに宝石を奪った挙句、女性たちを川に投げ込んで殺害・・なんてメチャクチャな話も・・。
著者は韓国人女性ですが、果たしてどこまでこの問題に切り込んでいるのでしょうか・・。
1998年、韓国の市民団体「ナワウリ(私と私たち)」が創設され、その代表である著者は、
交流のあった日本の市民団体を介して、「ベトナム戦争での韓国軍民間人虐殺」を知ります。
早速、現地調査に着手しますが、まずはその準備としてベトナム戦争そのものの勉強を・・。
読者も10ページほど、この戦争の概要を学ぶことになります。
植民地だったベトナムがフランスを追い出し、ホー・チミンによって共産化。
1965年、米国は北ベトナムへの攻撃を開始します。
「ベトナム戦争の国際化」という大義名分を確保するために、25か国に参戦を要請する米国。
しかし、それに応じたのはオーストラリア、ニュージーランド、台湾、フィリピン、タイ、英国、
そして韓国のたった7か国だけ・・。
しかも韓国以外は砲兵隊や工兵隊を派遣するだけであり、英国に至っては米国のしつこい要請に
サイゴンの空港に6名の儀仗兵を派遣し、辛うじて体面を保ったのです。
それに比べ1965年~73年まで、延べ32万人もの兵力を派遣した韓国軍。
朝鮮戦争で米国の世話になったことから、断れずに決定されたと云われているそうです。
日本の植民地から解放されたものの、南北に分断されて戦争になった朝鮮半島。
ベトナムもまさにフランスから解放された後、南北に分かれて戦い、
しかも北には社会主義政権、南は資本主義政権と、あまりに似通っています。
こうして、現地の村々で35年前の当時を知る生存者からインタビュー。
住民50名ほどのブンタオ村に突然姿を現した韓国軍。
隠れていると「ベトコン」に勘違いされるため、赤ん坊を抱いて全員が広場に集まると、
いきなり銃撃を始めます。命乞いをする村人に照準を合わせ、
赤ん坊から妊婦、老人たちが虐殺され、死んだふりして生き残ったのはわずか3名です。
5つの集落、100余名が同様にして殺され、
また別の村では、行軍してきた南朝鮮青龍部隊によって36人が殺されて、
翌日も別の村で273名が様々な武器によって残虐に殺されます。
派遣された韓国軍は主に3つの師団で、この青龍部隊は「海兵隊第2海兵師団」、
猛虎部隊と呼ばれた「陸軍首都師団」、そして白馬部隊こと「陸軍第9師団」です。
韓国軍司令部が発行した戦訓集には「部落はすべて敵の活動根拠地」と書かれ、
「ベトコンの下部構造の基盤は部落と住民である」と強調されます。
韓国軍の将校でさえ、ベトナムとは特別な縁があるわけでもなく、敵愾心もない。
兵士たちには「国際共産化」を防ごう、と精神訓話をするだけ・・。
朝鮮戦争を経て、彼らは「アカは殺してもいい」、「殺さねばならない」という意識が、
彼らの身体に内在化していったと著者は語ります。
なんだかもう、「アインザッツグルッペン」の精神ですね。
また、ある兵士はこう語ります。
「一度だけでも、民間人を殺してはならない。子供や老人、女性を殺してはならない。
強姦してはならない。と聞いていたら、こんなことまでしなかっただろう。
ベトナム行きの船で聞いたのは、捕まれば両手両足を裂かれて殺されるとか、
子供もベトコンだから殺さねばならない。強姦後は殺さねばならない。
そんな話ばかり聞きました。
実際、私が体を張って戦う理由がどこにありますか。
生き残らなければならないと考えるようになると、婦女子もベトコンに見えるのです」。
う~ん。ゲリラ戦の怖さですね。
武装SSの「プリンツ・オイゲン」も残虐部隊だったとして知られていますが、
主にユーゴでパルチザン相手に戦ってたわけですから、しょうがないと思うんですよね。。
ベトナム人は、ベトナム戦争を「抗米戦争」と呼び、
ベトコンを「南ベトナム解放民族戦線」と呼びます。
青龍、猛虎、白馬部隊を「韓国軍」とは呼ばずに、
大統領だった「朴正煕(パク・チョンヒ)の軍隊」と呼びます。
そして彼らは「朴正煕の軍隊」は、米国の傭兵であると記憶しているのです。
1968年1月、北ベトナム軍による「テト攻勢」に対抗した「怪龍一号作戦」を展開します。
旅団規模の青龍部隊がベトコン捜索掃討作戦を開始したのです。
米海兵隊と連携した「安全な村」であるフォンニィ村から射撃を受けた部隊は、
村の住民69名を虐殺。
その数時間後、フォンニィ村が韓国軍に攻撃されたことを知った米海兵隊が
負傷者救援のためにカメラ持参でやってきます。
この偶然によって、「胸をえぐられても生きている女性」、
「至近距離で撃たれた女性と子供」、「池で溺死した子供」などの写真が撮影され、
後に、報告書としてまとめられるのでした。ただし、本書に写真は未掲載・・。
ヴィトゲンシュタインが調べた限り、韓国軍の蛮行を示す写真は、この報告書の写真のみです。
そしてベトナム派遣軍司令官ウェストモーランドは報告書を韓国軍に送り、調査を求めますが、
韓国軍司令官は「ベトコンが仕組んだ邪悪な陰謀である」と否定するのでした。
韓国軍が関わった最大の虐殺事件は1966年1月の猛虎部隊3個中隊によって行われます。
ゴーザイ(ゴダイ)ではわずか2時間のうちに住民320が射殺され、
15の地点で1200名以上が虐殺されるという「タイヴィン虐殺」も・・。
身元の分かった公式な死者だけでも728名。
子供166名、女性231名、60歳以上の老人88名、家族皆殺しが8家族に及びます。
2011年の調査では参戦軍人もベトナムへ同行します。
「私は当時、新兵でした。捕えた男性1名と女性2名を木に縛り付けると、
分隊長が肝力をつけてやるから、着剣して刺し殺せ、と言われました。
とてもできませんと言うと、頭に銃を当てられました。命令不服従だと。
私は太ももを刺しました。次の人は腹部を刺しました。すぐに戻って吐きました。
少しして「バーン」という音がしました」。
旧日本軍でも似たような話を読んだ記憶があります。
参戦軍人は戦争終結の翌年に建てられ、遺品や写真が収められたミライ博物館を訪れ、
ひどい気分も味わうのでした。
米軍が「ミライ」と呼ぶ、ソンミ村。
ここは1968年に米軍が起こした最大の虐殺地で、「ソンミ村虐殺事件」として知られています。
この事件が知られるようになったのも、やっぱり写真。
従軍写真家が同行しており、白黒フィルムだけでなく、カラーでも撮影されたことから、
後に米国だけでなく、全世界に衝撃を与えることになるのです。
動く者はベトコンであり、動かない者は老練なベトコン。
黑いベトナム服を着た15歳ほどの少女を引きずり出し、ブラウスを脱がせ始め、
「この娘の出来をみようぜ」と笑う米兵たち。
その時、少女の母とおぼしき老婆が狂ったように止めに入ります。
少女が母の後ろに隠れてブラウスのボタンを留めているところをカラー写真に収めますが、
暫くして聞こえた銃声に振り返ると、全員が殺されていたのです。
504名が犠牲となったこの事件。女性182名のうち、17名が妊婦、
173名の子供のうち、5か月未満の赤ちゃんが56名・・。
黒人兵カーターはこの野蛮な虐殺行為に耐えられなくなり、自らの足の甲を撃ち抜きます。
命令を下したのは「狂犬」の綽名を持った中隊長メディナ大尉。
そして第1小隊長のキャリー中尉も狂ったようにベトナム人を殺します。
1年後、米国メディアはこのニュースを書き立て、ニクソン大統領も
「明白な虐殺」として裁判が始まりますが、将校たちは赦免され、
キャリー中尉だけが軍隊から除名されただけ。しかもすぐに仮釈放です。
1968年、ハミ村も韓国軍の虐殺の被害に遭います。
数日前から村へやって来ては、パンを配っていた韓国軍。
その日も、当然のように子供も一緒に集まってくると、手榴弾を投げてきたのです。
135名が死亡し、20名が生き残ったものの、死体が散らばった現場をブルドーザーで踏み潰し、
散らばった肉片と折れた骨を拾い集めることになった生き残りの人々。。
そして2001年には韓国軍の参戦軍人の支援より、慰霊碑が立てられます。
著者は所々で「元日本軍慰安婦」の語った話を挿入して比較します。
また、最後には韓国の教授の言葉を引用します。
ドイツは自分たちの蛮行が人類犯罪だと告白し、実践したため、
世界国家に生まれ変わることができた。
一方、アジアの世界国家を自認する日本は、先の犯罪行為を力の論理で包み込んで
美化することに忙しい。罪責感と責任感は眼中にもない。
日本は理解しなければならない。過去の克服は「ともに記憶すること」であって、
「ひとりで埋めてしまうこと」ではないことを。
そして著者は「日本の替わりに韓国を代入してもこの文章は成り立つ」とします。
原著は2002年に韓国で発表されたようですが、執筆中に金大中大統領が、
公式謝罪をしたそうです。
「私たちが不幸な戦争に参与し、ベトナム国民に苦痛を与えたことを申し訳なく思う」。
それでも、民間人虐殺などの件については認めていないようですね。
いろいろと調べてみると、以前の大統領である全斗煥、盧泰愚が
ベトナム戦争で武勲を挙げた軍人であったということも、ハッキリできない要因であるんでしょう。
訳者あとがきによると、この戦争を描いた「ホワイト・バッジ」という韓国映画が作られ、
1992年の東京国際映画祭でグランプリを受賞したそうです。知らなかったなぁ。
映画に登場するのは白馬部隊だそうで、戦争映画好きとしては気になりますね。
こうして韓国軍が行った蛮行の数々を書いていて少し危惧するのは、
その部分だけがどこかに転載されて、ネトウヨと呼ばれる方々の楽しいネタになるのでは??
ということです。
実際、2chの軍事スレに独破戦線の記事の一文がそのまま掲載されたりしたこともあります。
「それ、独破戦線のコピペじゃね~か」と指摘されていたのは面白かったですけどね。。
戦争の世界史という観点から、ベトナム戦争における韓国軍の蛮行に興味があるのであって、
韓国のアラ探しをして喜ぼうという趣旨は毛頭ありませんし、
このような件についてはドイツ、ロシア、米国、とやってきてるので、ご存知とは思いますが。。
また、韓国軍による虐殺を知り、それを公に認めない韓国政府に対して、
「日本に謝罪を求めるより、まず、自分たちが謝れよ」という意見も聞こえそうです。
しかし、それは議論のすり替えであって、日本がどうこう言う話ではありません。
いずれにしても、最近の嫌韓の傾向からして、
「従軍慰安婦を支援する韓国人が書いた本なんぞ読めるか」と考える向きの方は、
今回のレビューはキレイさっぱり忘れてください。
えで⹃
金 賢娥 著の「戦争の記憶 記憶の戦争」を読破しました。
今回は独破戦線初となるベトナム戦争モノです。
この戦争については、「狩りのとき」など、小説はいくつか読んできましたし、
「地獄の黙示録」に、「プラトーン」といった映画もロードショーで観てきました。
そういうわけで、大まかな知識はあったものの、深入りするのはなかなか難しい・・。
泥沼のベトナム戦争全般ではなく、なにか興味深いテーマの本を探していたところ、
2009年、375ページの本書に辿り着いた・・という経緯です。
米軍に次ぐ戦力、最盛期には5万人もの兵を送り込んだ韓国軍。
一般的には5000名もの死者を出したとされる一方、
数千人の民間人虐殺を行ったと云われており、
なかには、ベトナム市民の結婚式を襲撃し、花嫁を含め7人の女性を強姦。
ついでに宝石を奪った挙句、女性たちを川に投げ込んで殺害・・なんてメチャクチャな話も・・。
著者は韓国人女性ですが、果たしてどこまでこの問題に切り込んでいるのでしょうか・・。
1998年、韓国の市民団体「ナワウリ(私と私たち)」が創設され、その代表である著者は、
交流のあった日本の市民団体を介して、「ベトナム戦争での韓国軍民間人虐殺」を知ります。
早速、現地調査に着手しますが、まずはその準備としてベトナム戦争そのものの勉強を・・。
読者も10ページほど、この戦争の概要を学ぶことになります。
植民地だったベトナムがフランスを追い出し、ホー・チミンによって共産化。
1965年、米国は北ベトナムへの攻撃を開始します。
「ベトナム戦争の国際化」という大義名分を確保するために、25か国に参戦を要請する米国。
しかし、それに応じたのはオーストラリア、ニュージーランド、台湾、フィリピン、タイ、英国、
そして韓国のたった7か国だけ・・。
しかも韓国以外は砲兵隊や工兵隊を派遣するだけであり、英国に至っては米国のしつこい要請に
サイゴンの空港に6名の儀仗兵を派遣し、辛うじて体面を保ったのです。
それに比べ1965年~73年まで、延べ32万人もの兵力を派遣した韓国軍。
朝鮮戦争で米国の世話になったことから、断れずに決定されたと云われているそうです。
日本の植民地から解放されたものの、南北に分断されて戦争になった朝鮮半島。
ベトナムもまさにフランスから解放された後、南北に分かれて戦い、
しかも北には社会主義政権、南は資本主義政権と、あまりに似通っています。
こうして、現地の村々で35年前の当時を知る生存者からインタビュー。
住民50名ほどのブンタオ村に突然姿を現した韓国軍。
隠れていると「ベトコン」に勘違いされるため、赤ん坊を抱いて全員が広場に集まると、
いきなり銃撃を始めます。命乞いをする村人に照準を合わせ、
赤ん坊から妊婦、老人たちが虐殺され、死んだふりして生き残ったのはわずか3名です。
5つの集落、100余名が同様にして殺され、
また別の村では、行軍してきた南朝鮮青龍部隊によって36人が殺されて、
翌日も別の村で273名が様々な武器によって残虐に殺されます。
派遣された韓国軍は主に3つの師団で、この青龍部隊は「海兵隊第2海兵師団」、
猛虎部隊と呼ばれた「陸軍首都師団」、そして白馬部隊こと「陸軍第9師団」です。
韓国軍司令部が発行した戦訓集には「部落はすべて敵の活動根拠地」と書かれ、
「ベトコンの下部構造の基盤は部落と住民である」と強調されます。
韓国軍の将校でさえ、ベトナムとは特別な縁があるわけでもなく、敵愾心もない。
兵士たちには「国際共産化」を防ごう、と精神訓話をするだけ・・。
朝鮮戦争を経て、彼らは「アカは殺してもいい」、「殺さねばならない」という意識が、
彼らの身体に内在化していったと著者は語ります。
なんだかもう、「アインザッツグルッペン」の精神ですね。
また、ある兵士はこう語ります。
「一度だけでも、民間人を殺してはならない。子供や老人、女性を殺してはならない。
強姦してはならない。と聞いていたら、こんなことまでしなかっただろう。
ベトナム行きの船で聞いたのは、捕まれば両手両足を裂かれて殺されるとか、
子供もベトコンだから殺さねばならない。強姦後は殺さねばならない。
そんな話ばかり聞きました。
実際、私が体を張って戦う理由がどこにありますか。
生き残らなければならないと考えるようになると、婦女子もベトコンに見えるのです」。
う~ん。ゲリラ戦の怖さですね。
武装SSの「プリンツ・オイゲン」も残虐部隊だったとして知られていますが、
主にユーゴでパルチザン相手に戦ってたわけですから、しょうがないと思うんですよね。。
ベトナム人は、ベトナム戦争を「抗米戦争」と呼び、
ベトコンを「南ベトナム解放民族戦線」と呼びます。
青龍、猛虎、白馬部隊を「韓国軍」とは呼ばずに、
大統領だった「朴正煕(パク・チョンヒ)の軍隊」と呼びます。
そして彼らは「朴正煕の軍隊」は、米国の傭兵であると記憶しているのです。
1968年1月、北ベトナム軍による「テト攻勢」に対抗した「怪龍一号作戦」を展開します。
旅団規模の青龍部隊がベトコン捜索掃討作戦を開始したのです。
米海兵隊と連携した「安全な村」であるフォンニィ村から射撃を受けた部隊は、
村の住民69名を虐殺。
その数時間後、フォンニィ村が韓国軍に攻撃されたことを知った米海兵隊が
負傷者救援のためにカメラ持参でやってきます。
この偶然によって、「胸をえぐられても生きている女性」、
「至近距離で撃たれた女性と子供」、「池で溺死した子供」などの写真が撮影され、
後に、報告書としてまとめられるのでした。ただし、本書に写真は未掲載・・。
ヴィトゲンシュタインが調べた限り、韓国軍の蛮行を示す写真は、この報告書の写真のみです。
そしてベトナム派遣軍司令官ウェストモーランドは報告書を韓国軍に送り、調査を求めますが、
韓国軍司令官は「ベトコンが仕組んだ邪悪な陰謀である」と否定するのでした。
韓国軍が関わった最大の虐殺事件は1966年1月の猛虎部隊3個中隊によって行われます。
ゴーザイ(ゴダイ)ではわずか2時間のうちに住民320が射殺され、
15の地点で1200名以上が虐殺されるという「タイヴィン虐殺」も・・。
身元の分かった公式な死者だけでも728名。
子供166名、女性231名、60歳以上の老人88名、家族皆殺しが8家族に及びます。
2011年の調査では参戦軍人もベトナムへ同行します。
「私は当時、新兵でした。捕えた男性1名と女性2名を木に縛り付けると、
分隊長が肝力をつけてやるから、着剣して刺し殺せ、と言われました。
とてもできませんと言うと、頭に銃を当てられました。命令不服従だと。
私は太ももを刺しました。次の人は腹部を刺しました。すぐに戻って吐きました。
少しして「バーン」という音がしました」。
旧日本軍でも似たような話を読んだ記憶があります。
参戦軍人は戦争終結の翌年に建てられ、遺品や写真が収められたミライ博物館を訪れ、
ひどい気分も味わうのでした。
米軍が「ミライ」と呼ぶ、ソンミ村。
ここは1968年に米軍が起こした最大の虐殺地で、「ソンミ村虐殺事件」として知られています。
この事件が知られるようになったのも、やっぱり写真。
従軍写真家が同行しており、白黒フィルムだけでなく、カラーでも撮影されたことから、
後に米国だけでなく、全世界に衝撃を与えることになるのです。
動く者はベトコンであり、動かない者は老練なベトコン。
黑いベトナム服を着た15歳ほどの少女を引きずり出し、ブラウスを脱がせ始め、
「この娘の出来をみようぜ」と笑う米兵たち。
その時、少女の母とおぼしき老婆が狂ったように止めに入ります。
少女が母の後ろに隠れてブラウスのボタンを留めているところをカラー写真に収めますが、
暫くして聞こえた銃声に振り返ると、全員が殺されていたのです。
504名が犠牲となったこの事件。女性182名のうち、17名が妊婦、
173名の子供のうち、5か月未満の赤ちゃんが56名・・。
黒人兵カーターはこの野蛮な虐殺行為に耐えられなくなり、自らの足の甲を撃ち抜きます。
命令を下したのは「狂犬」の綽名を持った中隊長メディナ大尉。
そして第1小隊長のキャリー中尉も狂ったようにベトナム人を殺します。
1年後、米国メディアはこのニュースを書き立て、ニクソン大統領も
「明白な虐殺」として裁判が始まりますが、将校たちは赦免され、
キャリー中尉だけが軍隊から除名されただけ。しかもすぐに仮釈放です。
1968年、ハミ村も韓国軍の虐殺の被害に遭います。
数日前から村へやって来ては、パンを配っていた韓国軍。
その日も、当然のように子供も一緒に集まってくると、手榴弾を投げてきたのです。
135名が死亡し、20名が生き残ったものの、死体が散らばった現場をブルドーザーで踏み潰し、
散らばった肉片と折れた骨を拾い集めることになった生き残りの人々。。
そして2001年には韓国軍の参戦軍人の支援より、慰霊碑が立てられます。
著者は所々で「元日本軍慰安婦」の語った話を挿入して比較します。
また、最後には韓国の教授の言葉を引用します。
ドイツは自分たちの蛮行が人類犯罪だと告白し、実践したため、
世界国家に生まれ変わることができた。
一方、アジアの世界国家を自認する日本は、先の犯罪行為を力の論理で包み込んで
美化することに忙しい。罪責感と責任感は眼中にもない。
日本は理解しなければならない。過去の克服は「ともに記憶すること」であって、
「ひとりで埋めてしまうこと」ではないことを。
そして著者は「日本の替わりに韓国を代入してもこの文章は成り立つ」とします。
原著は2002年に韓国で発表されたようですが、執筆中に金大中大統領が、
公式謝罪をしたそうです。
「私たちが不幸な戦争に参与し、ベトナム国民に苦痛を与えたことを申し訳なく思う」。
それでも、民間人虐殺などの件については認めていないようですね。
いろいろと調べてみると、以前の大統領である全斗煥、盧泰愚が
ベトナム戦争で武勲を挙げた軍人であったということも、ハッキリできない要因であるんでしょう。
訳者あとがきによると、この戦争を描いた「ホワイト・バッジ」という韓国映画が作られ、
1992年の東京国際映画祭でグランプリを受賞したそうです。知らなかったなぁ。
映画に登場するのは白馬部隊だそうで、戦争映画好きとしては気になりますね。
こうして韓国軍が行った蛮行の数々を書いていて少し危惧するのは、
その部分だけがどこかに転載されて、ネトウヨと呼ばれる方々の楽しいネタになるのでは??
ということです。
実際、2chの軍事スレに独破戦線の記事の一文がそのまま掲載されたりしたこともあります。
「それ、独破戦線のコピペじゃね~か」と指摘されていたのは面白かったですけどね。。
戦争の世界史という観点から、ベトナム戦争における韓国軍の蛮行に興味があるのであって、
韓国のアラ探しをして喜ぼうという趣旨は毛頭ありませんし、
このような件についてはドイツ、ロシア、米国、とやってきてるので、ご存知とは思いますが。。
また、韓国軍による虐殺を知り、それを公に認めない韓国政府に対して、
「日本に謝罪を求めるより、まず、自分たちが謝れよ」という意見も聞こえそうです。
しかし、それは議論のすり替えであって、日本がどうこう言う話ではありません。
いずれにしても、最近の嫌韓の傾向からして、
「従軍慰安婦を支援する韓国人が書いた本なんぞ読めるか」と考える向きの方は、
今回のレビューはキレイさっぱり忘れてください。
えで⹃
タグ:ベトナム戦争
消滅した国々 -第二次世界大戦以降崩壊した183ヵ国- [世界の・・]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
吉田 一郎 著の「消滅した国々」を読破しました。
去年、「世界軍歌全集」の際にコメントでもオススメいただいた本書。
本屋さんで手に取ったこともありましたが、711ページという分厚さにたじろいでいました。
まぁ、それでもず~と気になっていましたし、社会評論社の「ニセドイツ」ファンでもあります。
ソ連や東ドイツなど、今や存在しない183ヵ国を気楽に勉強してみましょう。
巻頭の8ページは本書の国々の国旗がカラーで掲載されています。
ソ連、東ドイツ、チェコスロバキア、ユーゴスラビアなど有名な国旗もありますが、
ほとんどは初めて見る国旗の数々・・。
一般人よりは国旗には詳しいつもりですが、コリャ参ったな。。
ちなみに次の3つ国旗、上からマリ連邦、東カプリビ、そしてミゾラムです。
たまにTVで国旗マニアの小学生が登場したりしますが、あの子たちでも全部は判らないでしょう。
1年前に出た、「国旗 その“隠された意味"に驚く本」が本文に入る前に欲しくなってきました。
「まえがき」では、国連加盟国の数は2012年時点で193。
国連に加盟していないものの、日本と国交がある国がバチカン、コソボ、クック諸島で、
国連加盟国なのに日本が承認していない北朝鮮・・ということで、
日本政府の公式見解は、「世界には195ヵ国ある」。
しかし、台湾やソマリランドなど、存在していながらも世界の大半が承認していない国に、
パレスチナのように世界の大半が承認していても、
日本や西側主要国が承認していない国があるなど、世界の国の数はかなり曖昧だと解説します。
最初の国は「南ベトナム」です。
1954年にフランスから独立し、ベトナム戦争の結果、首都サイゴンが陥落・・。
簡単な年譜に地図などが掲載され、ホー・チミンの写真も登場しながら10ページ。
1国のボリュームとしてはちょうど良いですね。
続いては「マラヤ連邦」。。もう、聞いたこともない国が出てきました。
1957年に英国から独立したこのマラヤ連邦の首都はクアラルンプールで、
1965年にシンガポールが分離独立したという経緯です。
こんな調子で5番目には来ました、「ソ連」です。
ソヴィエト社会主義共和国連邦の「ソヴィエト」は、「労農兵評議会」という意味であり、
社会主義共和国の集まった連邦で、構成するのはウクライナ、ベラルーシなど15の共和国、
ロシア自体も連邦であり、国内に18の「自治共和国」があった・・と、解説します。
レーニン、スターリン、ゴルバチョフの写真も掲載しながら、ソ連における社会主義の意味、
そしてペレストロイカにグラスノスチによってソ連が消滅するまでを簡潔ながらわかりやすく・・。
6番目は「東ドイツ」。
1953年に生産性向上を狙って労働者のノルマの引き上げを発表すると、各地で暴動が起こり、
この年だけで33万人がベルリン経由で西ドイツへ逃げ出し、
49年~60年まででは、東ドイツの人口の1/4にあたる250万人が亡命。
そのような危機に建設されたのが「ベルリンの壁」です。
しかし1987年、ホーネッカー書記長が東西ドイツの平和共存をアピールして西ドイツを訪問し、
フランス国境に近い生まれ故郷のノインキルヒェンに里帰りしたことがTV中継されると、
「一番エライ人が西ドイツに行ってるんだから、俺たちにも行かせろよ!」と不満が爆発。
出国申請者が急増するのでした・・。そして2年後の壁の崩壊へ。
「チェコスロバキア」の歴史では、ヒトラーによるズデーテンラントの併合などにもシッカリと触れ、
戦後の「プラハの春」や、チェコ人とスロバキア人の関係も説明しています。
「協議離婚」と例えられるほどに平和裏に解体し、連邦大統領だったハヴェルが
新生チェコの初代大統領に就任します。おぉ・・あの金髪若奥さんジョークの人。。
面白いのは、"CZECHO"の"O"は、"SLOVAKIA"に続くための接続助詞で、
単独なら、"CZECH"であり、「チェック共和国」となるはずなのが、外務省もそう呼んでおらず、
「チェコ」はあくまでチェコスロバキアの略であるというのが正しいようですね。
「ユーゴスラビア」は旧と新に分かれて登場しています。
まず「旧ユーゴスラビア」は、いわゆるチトーのユーゴスラビアであり、
クロアチア、スロヴェニア、マケドニア、ボスニアが独立して消滅。
「新ユーゴスラビア」は残った、セルビアとモンテネグロによって誕生した連邦で、
後に「セルビア・モンテネグロ」と改称されますが、結局、モンテネグロが独立して消滅します。
この当時、ユーゴのサッカー好きでしたから、このような独立の推移は興味深く見守っていました。
要は、代表選手の誰がセルビア人で、誰がモンテネグロ人なのかを知っていないと、
ただでさえクロアチア人がいなくなり、どっちがどう弱くなるのかが心配だった・・ということです。
セルビア・モンテネグロサッカー協会の会長に就任したのはセルビア人のストイコヴィッチで、
代表監督がモンテネグロ人のサビチェヴィッチという構図でもありましたから・・。
本書を読んでいると、そんなことを思い出しました。
「パレスチナ」や、「チベット」といった国々が紹介された後、気になったのは「ブガンダ王国」です。
1962年、英国から独立した「ウガンダ」。ブガンダはウガンダ内の王国ですが、
1966年5月20日に、そのウガンダからの独立を宣言します。
しかし5日後、アミン大佐に率いられた部隊が宮殿を急襲。
国王ムサテ2世は英国へと亡命し、ブガンダ王国は独立からわずか5日で消滅します。
こんな話だけでも十分面白いですが、このアミン大佐は、あの「アミン」なんです。
そう、日本でも1984年に封切られた「食人大統領アミン」です。
本書では彼がボクシングのヘビー級(東アフリカ)チャンピオンで、
アントニオ猪木と異種格闘技戦を開催する予定だったという話から、
30万~40万人を粛清したと云われ、気にくわない裁判官を公開処刑にしたり、
囚人に他の囚人をハンマーで撲殺させ、死んだ囚人の肉を食事に出したり・・といった
食人大統領っぷりも紹介します。「食人族」はパスしましたけど、この映画、観たなぁ。。
フォレスト・ウィテカー主演の「ラストキング・オブ・スコットランド」もアミンでした。知らなかった。。
「スコットランドの黒い王様」という原作もあるんですね。
「ソ連崩壊で生まれた国」という章も興味深いですね。
まずは「クリミア共和国」。
独ソ戦好きなら「知らなきゃモグリ」と言われちゃう、セヴァストポリのあるクリミア半島です。
もともとソ連時代はロシアの一部だったクリミアは、
1954年に地続きのウクライナへ所属替えとなり、1991年にウクライナが独立すると、
翌年、クリミア議会がウクライナからの独立を宣言します。
クリミアではロシア人が半数以上を占めているのも要因の一つですが、
黒海艦隊の母港もあり、支援したいロシア自身もチェチェンの独立を阻止すべく、軍事弾圧中・・。
クリミアに独立をそそのかすのでは立場が矛盾するために、正式承認できず。。
それにしても国旗も限りなく、ロシア風ですね。
その後、セヴァストポリだけはロシアが租借している形ですが、
現在のウクライナ情勢を鑑みると、再度の「独立」に発展するかも知れません。
特にプーチンが「ロシア国民、ロシア軍の要員の安全を守るため」という理由で、
軍事介入しようとしているのは、まさに「ドイツ人が脅かされている・・」と言って
ヒトラーがズデーテンラントの併合と、その後にチェコスロバキアに侵攻したことや、
ドイツから切り離された飛び地となっていた「ダンツィヒ」の帰属を求めるヒトラーによって、
ポーランド侵攻が行われたこととソックリの展開な気がします。。
そしてプーチンを非難しているオバマは、それこそチェンバレンとダラディエですね。
そんな「チェチェン」も当然、出てきます。
ロシア軍による首都グロズヌイへの爆撃に、チェチェン側が起こしたテロ事件も紹介。
2002年のモスクワ劇場占領事件(死者130人)、
2004年のモスクワ地下鉄爆破事件(死者240人)、
ロシア旅客機同時墜落事件(死者90人)、北オセチア学校占領事件(死者386人)。
特に占領事件は検証したTVも見ましたが、人質の死者の数はハンパじゃないですよね。
「オマーン・イマーム国」もなかなか楽しめました。
英国の力でオマーンを再統一したものの、サイード王は首都から遠く離れた離宮に、
黒人奴隷500人とハーレム女性150人とともに引き籠り、暗殺事件が起きると、
生きているのか、死んでいるのかさえ「国家機密」にしてしまいます。
徹底した鎖国政策で、議会も存在せず、国内に学校は3ヵ所、病院は1ヵ所、
新聞、TV、ラジオもなく、国民の文盲率は95%・・と中世さながら。。
英国が援助したロケット砲などの兵器類も、「軍隊に渡したら反乱に使われる」と恐れて、
離宮の奥に隠され、英国で訓練を受けた皇太子まで離宮に幽閉してしまいます。
1970年、呆れ果てた英国の支援で皇太子がクーデターを起こし、サイード王を追放・・。
第2次大戦後、南北に分かれる前の、統一「朝鮮人民共和国」も勉強になります。
1945年9月6日に建国を宣言するも、南朝鮮に上陸した米軍には認められず・・。
最後に紹介したいのは「マーチャゾ共和国」です。
ルワンダとその隣のブルンジという国名は知っていますが、
このマーチャゾは1972年5月1日にブルンジから独立した国です。
フツとツチという民族の殺し合いの歴史がここでは詳しく描かれ、
フツだけの独立国を築こうと、ツチを殺して建国したものの、8日後には、
ツチ主体のブルンジ軍によって制圧されて消滅。8月までに25万人のフツが殺されます。
そして1994年、今度はルワンダでフツが大虐殺を行い、
3ヵ月間で人口の一割、80万~100万人を殺害するという「ルワンダ大虐殺」が起こるのでした。
ひゃ~、しかし、大変な労作ですね。
印象としてはアフリカ大陸と東南アジア、アラブ諸国で半分以上を占めていると思いますが、
それらの国も、もとは西欧列強国の植民地だったり、第2次大戦の結果による独立や消滅、
一ヵ国の問題、民族対立や近隣諸国との問題だけではない、世界規模の影響を感じました。
近代の世界史は大国を中心にして、もっと言えば、
第2次大戦の勝利国側から語られるものとすれば、
本書のように歴史に名を留めないような消滅した国々から見た世界史という意味で、
大変、面白かったですね。「ふたつの戦争を生きて」で書かれていたように、
歴史家が書いた戦記や将軍が書いた回想録ではなく、
兵士たち、パルチザン、テロリストから見た戦記のようなイメージでしょうか。
著者は「世界飛び地大全―不思議な国境線の舞台裏」や、
「国マニア 世界の珍国、奇妙な地域へ!」といった本も書いている、
完全な国フェチの方のようです。
「世界飛び地領土研究会」というサイトも運営する、さいたま市議でもあるそうで、
この2冊も気になりますね。
pat
吉田 一郎 著の「消滅した国々」を読破しました。
去年、「世界軍歌全集」の際にコメントでもオススメいただいた本書。
本屋さんで手に取ったこともありましたが、711ページという分厚さにたじろいでいました。
まぁ、それでもず~と気になっていましたし、社会評論社の「ニセドイツ」ファンでもあります。
ソ連や東ドイツなど、今や存在しない183ヵ国を気楽に勉強してみましょう。
巻頭の8ページは本書の国々の国旗がカラーで掲載されています。
ソ連、東ドイツ、チェコスロバキア、ユーゴスラビアなど有名な国旗もありますが、
ほとんどは初めて見る国旗の数々・・。
一般人よりは国旗には詳しいつもりですが、コリャ参ったな。。
ちなみに次の3つ国旗、上からマリ連邦、東カプリビ、そしてミゾラムです。
たまにTVで国旗マニアの小学生が登場したりしますが、あの子たちでも全部は判らないでしょう。
1年前に出た、「国旗 その“隠された意味"に驚く本」が本文に入る前に欲しくなってきました。
「まえがき」では、国連加盟国の数は2012年時点で193。
国連に加盟していないものの、日本と国交がある国がバチカン、コソボ、クック諸島で、
国連加盟国なのに日本が承認していない北朝鮮・・ということで、
日本政府の公式見解は、「世界には195ヵ国ある」。
しかし、台湾やソマリランドなど、存在していながらも世界の大半が承認していない国に、
パレスチナのように世界の大半が承認していても、
日本や西側主要国が承認していない国があるなど、世界の国の数はかなり曖昧だと解説します。
最初の国は「南ベトナム」です。
1954年にフランスから独立し、ベトナム戦争の結果、首都サイゴンが陥落・・。
簡単な年譜に地図などが掲載され、ホー・チミンの写真も登場しながら10ページ。
1国のボリュームとしてはちょうど良いですね。
続いては「マラヤ連邦」。。もう、聞いたこともない国が出てきました。
1957年に英国から独立したこのマラヤ連邦の首都はクアラルンプールで、
1965年にシンガポールが分離独立したという経緯です。
こんな調子で5番目には来ました、「ソ連」です。
ソヴィエト社会主義共和国連邦の「ソヴィエト」は、「労農兵評議会」という意味であり、
社会主義共和国の集まった連邦で、構成するのはウクライナ、ベラルーシなど15の共和国、
ロシア自体も連邦であり、国内に18の「自治共和国」があった・・と、解説します。
レーニン、スターリン、ゴルバチョフの写真も掲載しながら、ソ連における社会主義の意味、
そしてペレストロイカにグラスノスチによってソ連が消滅するまでを簡潔ながらわかりやすく・・。
6番目は「東ドイツ」。
1953年に生産性向上を狙って労働者のノルマの引き上げを発表すると、各地で暴動が起こり、
この年だけで33万人がベルリン経由で西ドイツへ逃げ出し、
49年~60年まででは、東ドイツの人口の1/4にあたる250万人が亡命。
そのような危機に建設されたのが「ベルリンの壁」です。
しかし1987年、ホーネッカー書記長が東西ドイツの平和共存をアピールして西ドイツを訪問し、
フランス国境に近い生まれ故郷のノインキルヒェンに里帰りしたことがTV中継されると、
「一番エライ人が西ドイツに行ってるんだから、俺たちにも行かせろよ!」と不満が爆発。
出国申請者が急増するのでした・・。そして2年後の壁の崩壊へ。
「チェコスロバキア」の歴史では、ヒトラーによるズデーテンラントの併合などにもシッカリと触れ、
戦後の「プラハの春」や、チェコ人とスロバキア人の関係も説明しています。
「協議離婚」と例えられるほどに平和裏に解体し、連邦大統領だったハヴェルが
新生チェコの初代大統領に就任します。おぉ・・あの金髪若奥さんジョークの人。。
面白いのは、"CZECHO"の"O"は、"SLOVAKIA"に続くための接続助詞で、
単独なら、"CZECH"であり、「チェック共和国」となるはずなのが、外務省もそう呼んでおらず、
「チェコ」はあくまでチェコスロバキアの略であるというのが正しいようですね。
「ユーゴスラビア」は旧と新に分かれて登場しています。
まず「旧ユーゴスラビア」は、いわゆるチトーのユーゴスラビアであり、
クロアチア、スロヴェニア、マケドニア、ボスニアが独立して消滅。
「新ユーゴスラビア」は残った、セルビアとモンテネグロによって誕生した連邦で、
後に「セルビア・モンテネグロ」と改称されますが、結局、モンテネグロが独立して消滅します。
この当時、ユーゴのサッカー好きでしたから、このような独立の推移は興味深く見守っていました。
要は、代表選手の誰がセルビア人で、誰がモンテネグロ人なのかを知っていないと、
ただでさえクロアチア人がいなくなり、どっちがどう弱くなるのかが心配だった・・ということです。
セルビア・モンテネグロサッカー協会の会長に就任したのはセルビア人のストイコヴィッチで、
代表監督がモンテネグロ人のサビチェヴィッチという構図でもありましたから・・。
本書を読んでいると、そんなことを思い出しました。
「パレスチナ」や、「チベット」といった国々が紹介された後、気になったのは「ブガンダ王国」です。
1962年、英国から独立した「ウガンダ」。ブガンダはウガンダ内の王国ですが、
1966年5月20日に、そのウガンダからの独立を宣言します。
しかし5日後、アミン大佐に率いられた部隊が宮殿を急襲。
国王ムサテ2世は英国へと亡命し、ブガンダ王国は独立からわずか5日で消滅します。
こんな話だけでも十分面白いですが、このアミン大佐は、あの「アミン」なんです。
そう、日本でも1984年に封切られた「食人大統領アミン」です。
本書では彼がボクシングのヘビー級(東アフリカ)チャンピオンで、
アントニオ猪木と異種格闘技戦を開催する予定だったという話から、
30万~40万人を粛清したと云われ、気にくわない裁判官を公開処刑にしたり、
囚人に他の囚人をハンマーで撲殺させ、死んだ囚人の肉を食事に出したり・・といった
食人大統領っぷりも紹介します。「食人族」はパスしましたけど、この映画、観たなぁ。。
フォレスト・ウィテカー主演の「ラストキング・オブ・スコットランド」もアミンでした。知らなかった。。
「スコットランドの黒い王様」という原作もあるんですね。
「ソ連崩壊で生まれた国」という章も興味深いですね。
まずは「クリミア共和国」。
独ソ戦好きなら「知らなきゃモグリ」と言われちゃう、セヴァストポリのあるクリミア半島です。
もともとソ連時代はロシアの一部だったクリミアは、
1954年に地続きのウクライナへ所属替えとなり、1991年にウクライナが独立すると、
翌年、クリミア議会がウクライナからの独立を宣言します。
クリミアではロシア人が半数以上を占めているのも要因の一つですが、
黒海艦隊の母港もあり、支援したいロシア自身もチェチェンの独立を阻止すべく、軍事弾圧中・・。
クリミアに独立をそそのかすのでは立場が矛盾するために、正式承認できず。。
それにしても国旗も限りなく、ロシア風ですね。
その後、セヴァストポリだけはロシアが租借している形ですが、
現在のウクライナ情勢を鑑みると、再度の「独立」に発展するかも知れません。
特にプーチンが「ロシア国民、ロシア軍の要員の安全を守るため」という理由で、
軍事介入しようとしているのは、まさに「ドイツ人が脅かされている・・」と言って
ヒトラーがズデーテンラントの併合と、その後にチェコスロバキアに侵攻したことや、
ドイツから切り離された飛び地となっていた「ダンツィヒ」の帰属を求めるヒトラーによって、
ポーランド侵攻が行われたこととソックリの展開な気がします。。
そしてプーチンを非難しているオバマは、それこそチェンバレンとダラディエですね。
そんな「チェチェン」も当然、出てきます。
ロシア軍による首都グロズヌイへの爆撃に、チェチェン側が起こしたテロ事件も紹介。
2002年のモスクワ劇場占領事件(死者130人)、
2004年のモスクワ地下鉄爆破事件(死者240人)、
ロシア旅客機同時墜落事件(死者90人)、北オセチア学校占領事件(死者386人)。
特に占領事件は検証したTVも見ましたが、人質の死者の数はハンパじゃないですよね。
「オマーン・イマーム国」もなかなか楽しめました。
英国の力でオマーンを再統一したものの、サイード王は首都から遠く離れた離宮に、
黒人奴隷500人とハーレム女性150人とともに引き籠り、暗殺事件が起きると、
生きているのか、死んでいるのかさえ「国家機密」にしてしまいます。
徹底した鎖国政策で、議会も存在せず、国内に学校は3ヵ所、病院は1ヵ所、
新聞、TV、ラジオもなく、国民の文盲率は95%・・と中世さながら。。
英国が援助したロケット砲などの兵器類も、「軍隊に渡したら反乱に使われる」と恐れて、
離宮の奥に隠され、英国で訓練を受けた皇太子まで離宮に幽閉してしまいます。
1970年、呆れ果てた英国の支援で皇太子がクーデターを起こし、サイード王を追放・・。
第2次大戦後、南北に分かれる前の、統一「朝鮮人民共和国」も勉強になります。
1945年9月6日に建国を宣言するも、南朝鮮に上陸した米軍には認められず・・。
最後に紹介したいのは「マーチャゾ共和国」です。
ルワンダとその隣のブルンジという国名は知っていますが、
このマーチャゾは1972年5月1日にブルンジから独立した国です。
フツとツチという民族の殺し合いの歴史がここでは詳しく描かれ、
フツだけの独立国を築こうと、ツチを殺して建国したものの、8日後には、
ツチ主体のブルンジ軍によって制圧されて消滅。8月までに25万人のフツが殺されます。
そして1994年、今度はルワンダでフツが大虐殺を行い、
3ヵ月間で人口の一割、80万~100万人を殺害するという「ルワンダ大虐殺」が起こるのでした。
ひゃ~、しかし、大変な労作ですね。
印象としてはアフリカ大陸と東南アジア、アラブ諸国で半分以上を占めていると思いますが、
それらの国も、もとは西欧列強国の植民地だったり、第2次大戦の結果による独立や消滅、
一ヵ国の問題、民族対立や近隣諸国との問題だけではない、世界規模の影響を感じました。
近代の世界史は大国を中心にして、もっと言えば、
第2次大戦の勝利国側から語られるものとすれば、
本書のように歴史に名を留めないような消滅した国々から見た世界史という意味で、
大変、面白かったですね。「ふたつの戦争を生きて」で書かれていたように、
歴史家が書いた戦記や将軍が書いた回想録ではなく、
兵士たち、パルチザン、テロリストから見た戦記のようなイメージでしょうか。
著者は「世界飛び地大全―不思議な国境線の舞台裏」や、
「国マニア 世界の珍国、奇妙な地域へ!」といった本も書いている、
完全な国フェチの方のようです。
「世界飛び地領土研究会」というサイトも運営する、さいたま市議でもあるそうで、
この2冊も気になりますね。
pat