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九人の乙女 一瞬の夏―「終戦悲話」樺太・真岡郵便局電話交換手の自決 [日本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

川嶋 康男 著の「九人の乙女 一瞬の夏」を読破しました。

4月に訪れた靖国神社の「遊就館」で、特攻機「桜花」、人間機雷「伏龍」と並んで
印象的だったもの。それが本書の「真岡郵便電信局事件」です。
以来、ちょこちょこと、この事件をWebで調べていましたが、
何冊か本も出てるし、映画やTVドラマになっているのにまったく知りませんでした。
先月、「妻と飛んだ特攻兵 8・19 満州、最後の特攻」を紹介しましたが、
偶然にも本書はその翌日、「8・20」がその時です。
季節感の無い独破戦線としては大変珍しいですね。。
今回は1989年に出た「「九人の乙女」はなぜ死んだか」の改題増補された
2003年発刊で259ページの本書を選んでみました。

九人の乙女.jpg

第1章「悪魔の朝」では、昭和20(1945)年8月19日の朝の真岡郵便局の状況。
8月8日に対日宣戦を布告し、樺太(サハリン)の北緯50度の国境を突破したソ連軍。
日本が無条件降伏した翌8月16日には艦砲射撃を行って西海岸に上陸してきます。
本書には真岡郵便局庁舎の写真など、所々に白黒写真が掲載されていますが、
樺太の地図は掲載されておらず、その歴史にも触れられていません。
ですから多少なりとも地理関係など、事前の予習があった方が良いですね。
そもそもどれだけの人が「樺太」を「からふと」と速読出来るのかも疑問です。


樺太_サハリン.jpg

そして本書の舞台である真岡町(現ホルムスク)でも8月16日から緊急疎開が始まり、
65歳以上の老人に14歳以下の児童と婦女子が引揚げ対象となって、
40名からの職員がいる郵便局の「電話交換室」の女子職員も引揚者が続出。
この19日の晩からは「非常態勢」となり、夜間勤務は高石班の11名。
班長である高石ミキが最年長で24歳。その他、17歳2人を含む乙女たちです。
また「電信課」でも3名の男性職員と4名の女性職員が宿直に・・。

真岡郵便電信局.jpg

迎えた翌8月20日の朝、交換室に「ソ連軍艦4,5隻が真岡方面に向かっている」
との緊急連絡が入り、すぐさま200mほど離れた宿舎にいる
郵便局長の上田に連絡する班長の高石ミキ。
1時間後の午前6時半にはソ連艦隊の姿が窓辺からも見え、威嚇の空砲が響き渡ります。
戦争終結宣言したものの、樺太では戦闘態勢は解除されておらず、
歩兵25連隊第1大隊が駐屯しています。
ここからは空砲がいつの間にか実砲に替わり、上陸するソ連軍とそれに応戦した日本側。
また日本軍が派遣した停戦軍使をソ連軍が射殺する・・といった複雑な展開に・・。

真岡局1Fの「電信課」には上陸したソ連兵による弾丸が断続的に飛び込み、
防空壕に避難すべく飛び出す男性職員が2人。
16歳から20歳の乙女は宿直室の押し入れで震えるばかり・・。
それでも残っていた男性職員がシーツで白旗を作って、なんとか窓から差出すのでした。

真岡郵便局.jpg

第2章は、いよいよ別棟2Fの「交換室の悲劇」です。
艦砲射撃の音が地響きとともに腹に伝わるなか、監督席にいた班長の高石ミキが
いきなり「青酸カリ」を飲み下します。
もんどりうって床に倒れ、胸を掻きむしりながら転げまわり、母親の名を叫ぶ姿・・。
彼女の後を追うかのように、序列で2番目、23歳の可香谷シゲも紙包みを取り出して
口に入れ、湯呑みの水を一気に飲み干すのでした。

樺太1945年夏 氷雪の門2.jpg

こうして先輩交換手2人が続けざまに自決して、混乱する残された乙女たち・・。
泊居郵便局と交信し、ソ連軍が迫っている現状を報告しますが、
「私も心細いから死にます・・。もうじき露助も上がってくるわ」

同じころ豊原郵便局の電話交換室も真岡局と交信します。
「ソ連が攻めてきました。もうだめです。みんな青酸カリを飲んで静かになったんです」
モニターしていた交換手の誰もが叫びます。
「真岡さん、逃げるのよ!飲まないで逃げなさい。どうか逃げて!」
「もうみなさん死んでいます。私も乙女のまま潔く死にます。みなさん、さようなら・・」。
樺太1945年夏 氷雪の門.jpg
青酸カリがどのように持ち込まれたのか・・? を本書では検証しています。
樺太の通信局の女子職員には、ソ連軍から凌辱されそうになった場合、
「大和撫子」としての誇りを守るため、潔く命を絶つように教育していたそうです。
ソ連軍による占領地では女性が強姦などの被害を受けており、
防止策として頭を丸坊主にし、顔にスミを塗り、胸にさらしを巻いて男装する・・といった
防衛方法があったということですが、ベルリンでもまったく同じことやってますね。。

1974年には「樺太1945年夏 氷雪の門」という映画が製作されています。
丹波哲郎、黒沢年男、佐原健二、赤木春恵、岸田森まで出演している大作ですが、
ソ連との関係を考慮して配給元の東宝が公開を中止という曰くつき・・。
DVDも出ていませんが、予告編を見つけました。



そして2008年には日本テレビでドラマ「霧の火 樺太・真岡郵便局に散った九人の乙女たち」
が放送。こちらは白石美帆が出てますね。。

霧の火 樺太・真岡郵便局に散った九人の乙女たち.jpg

第3章は「修羅場からの生還」。
「交換手9名が亡くなった」との電話を受け、2Fの交換室に向かう通信室の男性職員。
そこには18歳と19歳の2名の交換手が床に座って泣きじゃくり、
いまさかんに胸元を掻きむしり、凄まじい形相でもがき苦しむ22歳の交換手の姿・・。
9名が自決し、3名はこのようにして九死に一生を得ます。
このソ連の上陸により真岡の死者・行方不明者は届け出があったものだけでも477人。
そして遂に3人組のソ連兵が正面玄関から入って来るのでした。
樺太1945年夏 氷雪の門4.jpg
中盤を過ぎた第4章は「死を招いた残留命令」で、
局からわずか200mの場所にいたにもかかわらず結局、姿を見せずに生きながらえた
上田局長の戦後の手記を掲載しつつ、残留命令を出したのは誰か・・を検証します。
また、「女子通信戦士」の誇りを持って本土決戦に備えるというその扇動と
電信電話の職場に身を置く乙女たちの気概についても言及。
避難民を満載した「小笠原丸」が国籍不明の潜水艦によって沈没したという話も
興味深いものでした。グストロフ号を思い出しますね。

小笠原丸.jpg

「エピローグ」では、映画「樺太1945年夏 氷雪の門」についても詳しく紹介。
昭和38年に旧樺太島民の慰霊碑、「九人の乙女の碑」が建立され、
昭和48年には戦没者叙勲として叶えられ、9人に「勲八等宝冠章」が・・。

九人の乙女の像.jpg

「あとがき」ではマスコミが生き残った岡田恵美子(当時17歳)に対し、
「なぜ死ななかったのか」と質問するという、「死の美学」と、「敵前逃亡の生き恥じ」について
怒りを持って語ります。いわゆる「特攻崩れ」も同じでしょうか。

9ninnootome.jpg

半分ほど読み進めて思いましたが、本書は「8・20の自決」そのものをストーリー性を持って
読ませるのではなく、以前から知られていたこの事件の、
知られざる真相に迫ろうとするものです。
ですから、自決シーンは前半に描かれ、後半は疑問追及といった展開になっています。

著者は1995年に「死なないで!―一九四五年真岡郵便局「九人の乙女」」 という
児童向けノンフィクションとしても出しています。
どのような内容なのか、ちょっと気になりますね。
しかし、10年にも及ぶシベリア抑留となった捕虜の方々についても当然ですが、
1945年8月15日で日本にとっての戦争が終わったわけではないことを
改めて理解できる一冊でした。







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妻と飛んだ特攻兵 8・19 満州、最後の特攻 [日本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

豊田 正義 著の「妻と飛んだ特攻兵」を読破しました。

6月に出たばかりの333ページの本書は、特攻関係の本を探していた際に見つけました。
終戦直後の満州で、ソ連軍に向かって夫婦共々特攻した・・という話ですが、
写真でみる女性と戦争」のコメントで教えていただいた、ソ連の自走砲に
夫婦で搭乗して戦ったというヴェーラ・オルロヴァ中尉の件や、家族をドイツ軍に殺され、
「復讐の女戦車長」として散ったマリア・オクチャブリスカヤなどもありますので、
なんだか妙に気になって、早速、読んでみました。

妻と飛んだ特攻兵.jpg

主人公は大正12年生まれの谷藤徹夫。
勇猛果敢な会津藩士の家系ながらも、美しい顔立ちで体格も華奢と母親似です。
一方、2学年後輩には二瓶秀典という会津藩士の名家の少年もおり、
こちらは徹夫と違って運動能力と武道の力量は抜群といった具合。
昭和15(1940)年には東京の中央大学に進学したエリートの徹夫。
戦前の大学進学率は、わずか1%だったそうです。
本書は並行してドイツ、イタリアとの三国同盟や、
東条英機内閣が開戦に向かって行った経緯などがかなりシッカリと書かれています。

Cabinet of Hideki Tojo.jpg

そんな情勢の中、右翼学生だった徹夫は徴兵検査に臨みますが、
身長159㎝、体重48㌔と痩せ細っていた彼は「第二乙種」にランクされて
不合格という屈辱を味わうのでした。
幼馴染みの二瓶秀典が13歳で仙台陸軍幼年学校に入学し、
エリートコースを歩んでいたのとは対照的。

徴兵検査.jpg

しかしガダルカナル島などで惨敗した大本営は、航空戦力の拡充を図り始め、
陸軍の伝統である地上戦を指揮することに憧れ、士官学校での猛訓練を耐えてきた二瓶は
新たに創設された「陸軍航空士官学校」に転向させられてしまうのでした。

さらに東条の思想によって大学卒業生を飛行学校に入学させ、
短期間で徹底的に訓練することで高度な操縦技術と指揮能力を教え込める・・
ということから「陸軍特別操縦見習士官(特操)」が創設され、
新聞には「学鷲」、「陸鷲」といった勇ましい言葉が躍り、
合格しただけで曹長、1年後には航空将校になれる夢のような制度に、徹夫は合格。
一期生として福岡の飛行学校へ240名の同期生と共に入校するのでした。

陸軍航空士官学校.jpg

そしてこの地で2つ年上の従姉弟ながらも、血の繋がりはない朝子と出会い、
卒業前の昭和19年7月に結婚。
この時の写真が、表紙の写真ですね。
B29による本土空襲が激しくなったことから、空襲のない満州国の飛行場が
飛行兵の拠点となり、新婚の徹夫は教官として、ひとり満州へ旅立ちます。

ここからは満州国の歴史・・といった趣で、中盤の100ページを割いています。
溥儀が満州国皇帝に即位する件など、映画「ラスト・エンペラー」を思い出しますね。
ちなみに溥儀を演じたジョン・ローンは好きな俳優でしたが、
その前に「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」という映画が公開された時には、
友達から「お前に似てるな」と言われました。。へっへ・・。

Year of the Dragon.jpg

それから満州といえば「関東軍」です。
犬養首相暗殺の「5.15事件」、ソ連軍と激突した「ノモンハン事件」、
松岡外相がスターリンと結んだ「日ソ中立条約」、ソ連のスパイ「ゾルゲ」など、
様々なエピソードで当時の日本、ソ連、満州の状況を解説。
詳しい方にはこの100ページはウットオシイかも知れませんが、
これはこれでなかなか勉強になりますし、「関東軍」の名称が日本の関東地方のことではなく、
関東州(満州)のことなど、親切丁寧だと思いました。

関東軍司令部全景.jpg

そんな満州に降り立った徹夫。
昭和20(1945)年の正月を迎えても満州国は天下泰平を謳歌していて、
豪華な食料はたっぷり、ウィスキーにブランデーもたらふく用意されています。
しかし飢餓に見舞われている南方では、遂に「特攻作戦」が始まります。
12月7日にはマニラから「勤皇隊」の特攻9機が出撃。
駆逐艦「マハン」を見事、轟沈したのは、幼馴染みの二瓶秀典だったのです。享年20歳。

USS Mahan, DD-364.jpg

関東軍もメンツにかけて最強精鋭の飛行隊5部隊を特攻隊としてフィリピンに送り出しますが、
4月にもなると「軍神」として神格化された特攻隊が、さらに13隊割り当てられます。
熟練飛行士をこれ以上失いたくない関東軍は、半年前に来たばかりの
「特操一期生」を隊長に選出します。隊員には2期生、3期生、そして少年兵・・。
特攻機も陸軍が誇る一式戦闘機「隼」ではなく、
オレンジ色の複葉機「九三式中間練習機」、通称「赤トンボ」です。

九三式中間練習機.jpg

「特操一期生」の徹夫は人選から漏れるものの、同期生と教え子たちを見送らねばなりません。
「自分も必ず後から行くからな」と固く約束し、苦悩するのみ・・。
故郷では新妻の朝子が日の丸鉢巻にモンペ姿で、「エイ、ヤァー」と竹槍訓練に励んでいます。
そして再編成で大虎山飛行場に移動した徹夫に、隊長は朝子を呼び寄せることを勧めます。

竹槍訓練.jpg

この時期、奇跡的に海を渡れた朝子と9か月ぶりに再会し、
将校用の一軒家で新婚生活を送り始める徹夫と朝子。朝の見送りは「投げキッス」。。
そんな蜜月も束の間、8月9日にスターリンの戦車5500両が満州国境を越えます。
恐怖に駆られた開拓民はその後の数日間で集団自決を繰り返します。
421人が自決した「麻山事件」以外にも、72人、43人と女性と子供が・・。
関東軍が降伏してからも、ソ連軍はやりたい放題の虐殺、暴行、略奪の限りを尽すのです。

男性はシベリア送り、女性は少女から70歳近いおばあさんも強姦・・。
妻が連れて行かれるのを見た夫が、「止めてくれ・・」と立ち上がった途端、「ズドーン」。
まさにベルリンと同じ惨劇が起こっていますね。。

こちらは ↓ 溥儀の玉座でポーズを決めるソ連兵の図です。

Маньчжоу–Го Пу И, 1945.jpg

さらに大半が女性と子供の避難民2000名にソ連戦車14両が襲い掛かり、
2時間に渡って逃げまどう避難民を次々と轢き殺すという「葛根廟事件」を偵察機が目撃。
これを聞いた徹夫たちは「かならず露助の戦車隊を叩き潰す!」と激高。
しかし「赤トンボ」や、九七式戦闘機など稼働機は11機のみで、爆弾そのものすらありません。
T-34戦車を破壊することは無理でも、敵機の体当たりを受ければ心理的ダメージは大きいはず、
そして進軍を遅らせることができれば、慰留民が帰還する時間が稼げる・・。

妻と飛んだ特攻兵2.jpg

こうして11機による特攻機「神州不滅特攻隊」が整列し、エンジンを始動。
すると突然、見送りのフリをしていた白いワンピースの2人の女性、
大倉少尉の恋人スミ子と、徹夫の妻朝子が日傘を捨てて、サッと乗り込みます。
群衆も気がつき、「女が乗っているぞ!」、「軍紀違反だ。飛行機を止めろ!」
非難の声が上がるなか、特攻機は積乱雲の中に消えて行ったのでした。

九七式戦闘機.jpg

ノンフィクション作家の著者が2年半の取材の後に完成させたという本書。
元軍幹部は、「あれは命令による特攻ではないから、単なる自爆行為だ」と蔑み、
女性を同乗させたことは「軍紀違反」と非難。
そんなこともあってか、なかなか取材にも苦労したそうです。
情報や資料、当事者も少ないことから、徹夫と朝子の思いについては
著者の推測が多くなっている感は否めませんが、
白いワンピースも「白装束」をイメージさせますし、
個人的には納得のいくもので、特別、ロマンチックに展開させていることはないでしょう。
映画化されてもおかしくないストーリーですね。





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人間機雷「伏龍」特攻隊 [日本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

瀬口 晴義 著の「人間機雷「伏龍」特攻隊」を読破しました。

桜花―極限の特攻機」の時にも書いた4月の「遊就館」見学の話。
「桜花」自体を知らなかったのもそうですが、特攻ってゼロ戦と回天だけだと思っていました。
その遊就館でも目撃した緑色の「伏龍」についても実は気になっていて、
今回、2005年に出た 229ページの本書を読んでみました。
著者は中日新聞(東京新聞)の記者で、隊員名簿もなく、存在自体がほとんど知られていない
伏龍部隊の元隊員を探り当て、直接取材を申し込み、新聞に連載を書き、
最終的に本書になったということです。

人間機雷「伏龍」特攻隊.jpg

この伏龍の各部隊が正式に編成されたのは1945年(昭和20年)8月5日。
まさに終戦直前ですね。
しかし、訓練は3月ごろから始まっていたようで、横須賀の久里浜・野比を中心に、
呉や佐世保といった場所で、終戦時には3000名の若者が潜水訓練を受けていたそうです。
指令や大隊長を除けば海軍兵学校卒の士官は少なく、予備学生出身者が大半で、
実際に人間機雷と化す兵の主力は海軍飛行予科練習生(予科練)の
10代の少年飛行兵と10代の志願兵です。
大空を飛翔することを夢見ていた少年たちが搭乗できる飛行機は、
すでに日本にはないのでした。

この特攻隊の戦術は、懸念される米軍の日本本土上陸作戦を水際で「死守」するために
上陸前の激しい艦砲射撃を奥行200mにもなる「洞窟陣地」で凌ぎ、
上陸用舟艇が押し寄せる前に潜水服を着た兵隊たちが海の中に進んで
3m足らずの竹竿の先に付けた重さ15㎏の撃雷で、やって来た舟艇の底を突き上げ、
自爆する・・というものです。

Fukuryu.jpg

本書ではそんな自爆攻撃の訓練を受けた元隊員の証言をいろいろと紹介。
重さ80㎏にもなる潜水服を着ての訓練は、まず呼吸法などの基礎訓練が必要ですが、
そんなことさえまともに教えてもらえず、重い潜水具を付けて、
浜辺から歩いて海に入れという無謀な命令が・・。
17、18歳の2人の少年兵は「怖い」、「嫌だ」と泣き叫び、テントの細い柱にしがみつきますが、
「命令だ」、「すぐに潜らせろ」と怒声。
しかし2人は抱き合うようにして、石のように動かず・・。

「特攻」に志願したこのような少年兵も、「伏龍」のような特攻はもちろん知らされておらず、
航空機特攻で華々しく散ることを望んでいます。
何で空から海の中へ・・というわけで、まだ爆装モーターボートである「震洋」を
希望する者も多く、騙されたと憤慨する者も。。
「「震洋」は音ばかりデカくてスピードも遅い。ロクなもんじゃないことは分かっていたけど、
どうせ死ぬならまだそっちの方がいいと思った」。
まぁ、気持ちはわかりますね。最後の最後になって原始的な「竹槍作戦」。
しかも水中での竹竿特攻は地味すぎますからね。。

Shinyo Type1.jpg

実験では最長5時間も潜り続けたこの潜水具は、海上からの送気装置を必要とせず、
無気泡で敵にバレないのがウリ。
「あまちゃん」の南部ダイバーとは根本的に違います。

あまちゃん.jpg

そのため背中に酸素ボンベ2本の他に、苛性ソーダの入った空気清浄缶を背負い、
鼻で吸って口から排出された炭酸ガス混じりの呼気を清浄するする仕組みです。
しかし、鼻から口という呼吸法を間違えて、炭酸ガス中毒になったり、
清浄缶に水が入って逆流してきた沸騰した苛性ソーダが肺や胃に入ったら
まず助からないという非常に危険な潜水具であり、訓練中の事故も度々発生します。

Fukuryu _1.jpg

また50m間隔で隊員を配して敵舟艇を討ち漏らさないようにという発想も、
1人が自爆したら周りの隊員も水圧でやられる・・といった意見も相次ぎ、
2人乗りの特殊潜航艇「海龍」と連携したり・・と議論も交わされます。

Kairyu-class submarine at Yokosuka Naval Base.jpg

この伏龍部隊というのは潜水兵と呼ばれ、各国でも「フロッグマン」として存在。
もちろん特攻のフロッグマンは日本ならではであるわけですが、
以前に紹介したイタリアのフロッグマンの活躍も本書では紹介しています。

pirelliWWII.jpg

そして話は伏龍構想の立案者や、「桜花」を含めた特攻作戦全般の推移、
本土決戦に備え、飛行訓練まで辿り着けなかった「パイロットの卵」たちが
人間機雷要員に回されていった経緯へと移ります。
軍令部第2部長の職にあり、一億玉砕を唱えていた黒島亀人の責任にも言及しますが、
神風特攻での戦死者2524名のうち、佐官以上は神雷部隊の野口五郎少佐ただ一人・・
といった件や、「お前たちだけを殺すことはしない。必ず俺たちも後に続く」と送り出した
指揮官のうち、敗戦時に自らの命を絶った将官・佐官は「特攻の父」と
祭り上げられた大西中将だけ・・という件は興味深かったですね。

黒島亀人少将.jpg

訓練中の伏龍部隊には鈴木貫太郎首相も見学にやってきます。
「鈴木首相はすぐに帰ってしまいましたよ。あの訓練を見れば本土決戦はダメだと
思ったんじゃないですか。がっかりしただろうと思いますよ」。

Yushukan Tokyo war museum depicting a Fukuryu.jpg

海軍軍令部第1部企画班が6月12日付で示した「決戦作戦に於ける海軍作戦計画大綱(案)」も
簡単に噛み砕いて解説します。
「初動約10日間で約半数を海上で撃沈破し、残敵は地上で掃滅する。
すべての戦闘は特攻を基調として遂行する」。

まずは本土決戦用に温存されていた虎の子の「特攻機」が出撃。
続いて爆装モーターボートである「震洋」、人間魚雷「回天」、特殊潜航艇「蛟龍」、
小型潜水艦「海龍」からなる特攻戦隊が岩陰などに構築された基地から殺到。
「伏龍」は海の中での最後の砦・・。

蛟龍.jpg

陸上では上陸してきた敵戦車に対して、歩兵部隊が「特攻」です。
蛸壺に潜んだ陸軍部隊や海軍の陸戦隊が地雷や爆雷を背負って、
次々に敵戦車の下に飛び込んで自爆する「一人一台」を合言葉にした「人間地雷」です。
またの名を「もぐら特攻」・・、海軍のもぐら特攻には「土竜」という名称もあったそうです。
う~ん。ソ連の「地雷犬」は知っていましたが、「地雷人間」とは恐ろしい・・。
ショッカーのもぐらベースの怪人のようです。。「爆裂!もぐら男」。
米軍上陸の可能性がある全国各地で行われていたという訓練の様子も書かれていました。

地雷犬.jpg

しかし最終的には本土決戦にはならずに日本は降伏し、雑音交じりの「玉音放送」が・・。
16歳の少年兵は思わず口から言葉を漏らします。
「もう死ななくてもいいのかな・・」。

そして復員命令。
「急いで郷里に帰れ。米軍が上陸すると特攻隊員は銃殺か、全員、金玉を抜かれる」。

最後にはやくざ映画でお馴染み、元安藤組組長だった安藤昇が登場し、
19歳の伏龍隊員として、死ぬことが当たり前と覚悟したと話します。

実録安藤組.jpg

中盤では特攻全般の話にもなった本書ですが、その道に詳しい方なら
邪魔くさいと思われるかも知れません。
逆に特攻に明るくない読者には親切な作りとなっています。
穿った見方をすれば、伏龍だけでそれほど書けるネタが無かったと言えるかも。。

しかし、なんですね。実戦投入されることはなかったにしても
こうして読んでみて、とても戦果を挙げられたとは思えません。
その竹槍戦術をバカにすることは簡単ですが、
それを本気で実行しようとした軍令部と、
訓練で事故死した少年兵数十人を笑うことは出来ません。

個人的には「震洋」、「蛟龍」、「海龍」といった特攻兵器を知ることが出来たのは
良かったですね。
また、「人間地雷」はインパクト大でしたから、何か探してみようと思ってます。



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最悪の戦場に奇蹟はなかった -ガダルカナル・インパール戦記- [日本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

高崎 伝 著の「最悪の戦場に奇蹟はなかった」を読破しました。

5月の「桜花―極限の特攻機」に続く、日本戦記モノ第2弾ですが、
本書を購入したのは2009年3月ですから、4年間もず~と本棚の隅っこに眠っていました。
う~む。一体全体、ナゼ本書を読んでみたいと思ったのか・・、まったく覚えていませんが、
まぁ、最近、日本軍に興味が湧いてきましたので、初版は1974年、
1999年に再刊され、2007年には文庫にもなっている329ページの本書に挑んでみます。

最悪の戦場に奇蹟はなかった.jpg

「私の部隊は、「菊の御紋章」からいただいた部隊号「菊部隊」という名と、
124代、今上天皇にちなんだ「歩兵第124連隊」という名を持つ、
帝国陸軍でもNo.1を誇る部隊であり、菊部隊敗るるときは日本敗るるときなり・・、
と自負していた精強部隊であった。」で本書は始まります。

原隊は北九州は博多の連隊で、硫黄島や沖縄戦といった「守備」はやらず、
緒戦から終戦まで攻撃専門で東南アジアを駆け回り、
中国戦線では「情け無用の残虐部隊」として、18師団中でも「ゴロツキ連隊」の異名を取り、
著者の知る限り、1人の捕虜も生かしておかず、敵国地では老若男女の容赦なく、
少しでもおかしい奴と思えば、日本的武士道の処置としてバッサリ・・。
部隊全員が戦犯者にもなりかねない猛者揃い・・という、強烈な自己紹介です。。

昭和17年(1942年)9月1日、完全軍装で大発艇に移乗し、ガダルカナル島を目指しますが
上陸直前、敵戦闘機6機の襲撃を受け、80名とすし詰めの艇内は阿鼻叫喚、
一瞬にして、阿修羅の地獄と化し、生き残ったのは著者を含め20余名・・。
この出だしも強烈で、イメージ的には「プライベート・ライアン」の血のオマハ・ビーチです。

Daihatsu-class landing craft.jpg

そして9月13日、オーステン山からルンガ飛行場(ヘンダーソン飛行場)への総攻撃を開始。
しかし真っ暗闇のジャングルの中で第2大隊は米軍迫撃砲の集中砲火にあい、
第1大隊も「大隊長以下全滅!」と、完全な失敗に・・。
博多時代からの仲の良い戦友は著者の顔を見て泣きながら言います。
「高崎っ! 自動小銃が欲しい! 三八(三八式歩兵銃)じゃだめだ。
自動小銃があったら、メリケン野郎に負けるもんか・・」。
こうしてその戦友は泣きながら死んでいくのでした。

Japanese dead after the failed attack on Henderson Field.jpg

翌月の第2次総攻撃も失敗に終わると、ガ島全体に飢えが迫り始めます。
そんなある日、米軍の若いパイロットが捕虜になっているのに出くわします。
過酷な拷問にも口を割らず、「殺せ!」と自ら言う姿に岡連隊長も感心して、
「敵ながら天晴れ!」と褒め称えます。
さらに「このアメリカの一青年の立派な態度に、皆も学ぶように・・」と訓示まで。
しかし、日が暮れて、兵隊たちの話すところによれば、
この天晴れなパイロットは文字通り「料理」されてしまったとのこと・・。
肝は栄養剤になるといって某隊長自らが、そして肉は兵隊たちが。。

著者は「戦後のガ島戦記では、日本兵が同胞の人肉を常食にしたように書かれているが・・」、
これについては完全否定しています。その一方で、敵兵の場合、
「米兵の人肉なら食ってやるという兵隊が多かったのは、それも戦闘の一つ・・
と思ったからだろう。憎き敵に噛みついて、ついでに喰ってやるというのも、
敵愾心の表れであったろうと思う。」としています。
あ~「戦争と飢餓」でも、同胞の死体は食べてはならないって命令がありましたね。

United States Marines.jpg

11月の終わりになると、部隊から離れ、勝手にエサを求めてガ島内を徘徊する
ガリガリに痩せ細った「ガ島ルンペン」が多く出没し始めます。
回虫性腸閉塞で倒れていた著者の元へ、牛肉といわれる肉が・・。
「こりゃきっと人肉だよ。いまごろガ島に牛なんかいるはずがない」と訝しがるも、
初年兵が「うまい、うまい」と言って食べるスープの肉を見ては、
遂に辛抱たまらず食べだします。
15㎝ほどのトカゲに至っては、一日に飯盒2杯も食べるほど美味。。

Japanese soldier throwing a Type 91 grenade, Guadalcanal,.jpg

12月、戦況がどうなっているかなどには無頓着となり、ただエサ拾いに懸命。
ジャングル内には無数の餓死したミイラのような死体が散乱し、昼間でも不気味です。
吉井上等兵が「飯盒のおかゆを食べるか」と言って持ってきますが、
その正体は「死体にわいたウジ虫」です。
「おも湯の中にシラミをたっぷり入れた」ものは食べていた著者ですが、
まだウジ虫はムリ・・。

A dead Japanese soldier on Guadalcanal.jpg

初年兵の森下一等兵はマラリアで脳症になり気が狂ってしまいます。
「高崎上等兵殿ッ、バスが出発しますから、森下はこれで失礼します」。
敬礼して、ジャングルの奥に向かって走り出すものの、泣きじゃくりながら戻ってくると、
「上等兵殿ッ、バスは出てしまいました。この次の稲築行きは何時ですか?」
あまりに哀れなその姿・・。
「高崎上等兵殿ッ、きょうは、おっ母ちゃんが御馳走こしらえて待っちょりますけん、
この次のバスで帰してつかさい」と何度も繰り返すのでした。

japanese prisoners guadalcanal.jpg

いよいよ撤退の日。
その時、藪の中から1メートル以上もあろうかというオオトカゲが突如姿を現します。
「ご馳走だ!」とぱかりに追い掛け回し、三八銃を棍棒代わりに大格闘。
ガ島最後のデラックスな食事を満喫します。
また連隊旗がとても重要で、撤退する際に必ず持ち帰らねばならず
このために命を落とす兵士が多かった・・など、興味深い話も多くありました。

歩兵第124連隊旗.jpg

こうして地獄のガ島から生還し、ブーゲンビル島で静養。
しかしガ島帰りは、かたい飯を食ったら胃拡張で死ぬと言われて、
スズメの涙ほどのおかゆに、梅干し一個が出されるだけ。。
実際、将校たちはわがままが利くためか、
食べ過ぎで死んだ例がいくつも見られたそうですが、
ヨーロッパの解放された街々でも良くあった話ですね。

Bougainville.jpg

そこからマニラのケソン病院へと搬送された著者。
綺麗な看護婦さんに、食べきれないほどのマンゴーとモンキーバナナ。
まさに「天国」です。
そして避暑地ルソンの療養所へと向かう汽車の中で、買ったゆで卵を割ってみると、
中身はなんと、血の付いた死んだヒヨコの姿が・・。
「ピリピン野郎に騙された!」と思っていると、現地人がこうして食べるんだとヒヨコをペロリ。。
ガ島でのゲテモノ食いで鳴らした著者も挑戦しますが、
2.3回噛むうちに「茹でヒヨコ」の腸がネチャネチャと飛び出してきて・・、敗北。

ヒヨコ入り茹で卵.jpg

130ページからは続いて向かったインドのインパール戦記です。
と言ってもガダルカナル戦記すら初めて読んだヴィトゲンシュタインですから、
インパール戦もなんとなく聞いたことがある程度です。。
まず著者はこの作戦を簡単に振り返り、
「愚将牟田口将軍のもとに、万骨枯れた英霊の無念さを思えば、
故人となった将軍の死屍にムチ打っても、なおあまりある
痛恨限りなき地獄の戦場であったといえる。」と、凄い憎しみを感じます。

Renya_Mutaguchi.jpg

まずはやっぱり食事です。
「久しぶりに犬のすき焼きでもやろうか」。
若い下士官たちは驚いて、「高崎古兵殿、犬はおいしいですか?」
「犬料理は白犬が最高だ。一白、二赤、三半黒と覚えておくんだな」と、
愛用の三八銃で白犬をズドンと一発。。

すき焼き味.jpg

そして前線での斥候任務から一転、いつ果てるともない撤退作戦へ。
一日に20回も30回も小川の中を靴ごと歩くため、足首に入った砂で、
歩くたびに大根おろしにかけられたように皮膚が剥け、赤くただれます。
歩くことにかけては世界一を自負する日本の歩兵でも、この苦しさには根を上げ、
初年兵は泣きながら、あるいはうめき声を上げながら、やがて行き倒れてしまうのです。
オマケに重たい三八歩兵銃は「菊の御紋」の入っているばっかりに捨てるに捨てられず、
それが多くの兵隊たちの命取りとなったのです。

三八歩兵銃.jpg

「白骨街道」と呼ばれるほどの日本兵の行き倒れた哀れな死体が・・。
その死体を辿って先発部隊を求め、ひたすら歩き続けます。
幅2~3mの浅いせせらぎには200ではきかないほどの日本兵の死体だらけ。
白髪と見間違うほどに、ウジ虫が全身にわきながらも、まだ生きている兵士も・・。
もはや生きた屍となったその兵士が、瞬きをしながら、こちらをジっと見つめ、
「私を殺してください。お願いします」と、かすかな声で訴えます。

インパール作戦2.jpg

第3部は「イラワジ会戦」です。
インパール白骨街道を命からがら連隊駐屯地へと辿り着いた著者。
このビルマにおける日本軍最後の決戦は勝てないのを百も承知で、
ただ帝国陸軍、日本人としての名誉を守るための生死を度外視した大戦闘。
しかし多くの兵士が馬鹿デッカイ三八歩兵銃を捨て、敵の戦利品である自動小銃を使ったことが
日本軍が奮戦した理由であり、数は少なくとも、敵と同じ武器を使ったら、
日本軍がいかに強かったかを如実に物語っているとしています。

インパール作戦.jpg

しかし英軍機だけでなく、米軍のP38ライトニングまで現れると、
「双胴の悪魔」の姿を初めて見た若い兵士は驚きを隠せません。
そして124連隊の古参兵を無視した言動で反感を買っていた連隊長が、
敵機の爆撃によって戦死すると、みんな小躍りして大喜びです。
「連公が死んだ!連公が死んだぞ!ざまぁ見やがれっ!」
「天誅だ!連公を殺した敵のパイロットに乾杯!」と水筒を掲げてはしゃぐ始末。

p38-lightning.jpg

敵の連合軍の将校は中隊長や大隊長、連隊長でさえ、自動小銃を携帯しているのに、
日本軍の将校はどこの戦場でも土壇場まで、五月人形の如く、軍刀を吊ったまま。
そんな文句を随所に挟みつつ、5月初旬、敵戦闘機から陣中新聞がばら撒かれます。
「ドイツ無条件降伏! 日本軍将兵のみなさん!
ヨーロッパ戦線は終了しました。
近々のうちに、ヨーロッパの連合軍が見参いたします。ご期待ください!」

高崎伝.jpg

この後、捕虜となり、やがて帰国するまでが描かれていますが、この辺りで・・。
綺麗ごとは一切なしで、良いも悪いも著者が経験し、思ったままを熱く語った
とても印象的な回想録でした。
食べ物の話を多く書いてしまいましたが、本書はソレがメインではなく、
軍部への批判も含んだ一冊ですが、読み終えてみて、
過去に紹介した「戦争と飢餓」や「レニングラード封鎖」と同様、
戦場での飢餓について知りたいというのが、本書を購入した経緯・・
だったと改めて思いました。





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戦う広告 -雑誌広告に見るアジア太平洋戦争- [日本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

若林 宣 著の「戦う広告」を読破しました。

この「独破戦線」では第三帝国を中心に、ソ連、英米などのプロパガンダ・ポスターも
たまにUPしていますが、基本的にああいうのが好きなんですね。
当時のスローガン、国ごとのデザイン・センス・・、見るべきところが豊富です。
今年3月、九段下の「昭和館」で見た、戦時中のポスターは印象的で、
先日、偶然に本書を発見し、早速、読んでみました。
本書は日本の雑誌広告に限定した2008年発刊、159ページ、B5サイズの一冊で、
1937年から1945年までの戦時中の広告を時系列で紹介しています。

戦う広告.jpg

第1章は「1937年~1941年(昭和12年~16年)」の広告で、
「日中戦争の勃発から総動員体制へ」といった章タイトルです。
5年間の年表と、近衛内閣の発足に盧溝橋事件などの政治と戦況、
また、1939年、軍用米確保のための「白米禁止令」、
そして配給制といった国民生活の概要が2ページで解説。

そして1ページあたり3枚程度の割合で広告が登場します。
友邦伊太利で作られた オリヂナル ボルサリノ帽子」が一発目ですね。
コレは「週刊朝日」の広告ですが、同じ号では
銀座のマロミ美粧院の「パァマネントウェブ」も印象的です。

ボルサリノ帽子.jpg

しかし「日本人なら贅沢は出来ない筈だ!」というスローガンが、
東京市内の目抜き通りに1500本も立てられると、
マロミ美粧院も「パーマネント」という言葉を言い換えた「淑髪」で対抗。。

マロミ.jpg

「防空壕」の広告もインパクトあります。
まだまだ昭和16年ですから、「平時は耐震・耐火の土蔵」ということです。
どんなモンなのか、一度、見てみたい・・。

防空壕.jpg

関西ペイントからは、「空襲恐るるに足らず!!」
凡ゆる建築物・造営物の迷彩と偽装に完璧を期せ」と
防空用塗料「仏陀青 ブターブルー」が発売中です。

佛陀青.jpg

クラウン万年筆の「ムッソリーニペン」も笑えます・・。
軍の航空のみならず、国策遂行の重要な手段として本土と植民地や占領地を
連絡していた民間航空も・・と説明がありますが、
そのような題材に便乗した「売らんかな」の姿勢だそうです。

ムッソリーニペン.jpg

第2章は1942年(昭和17年)、「太平洋戦争と緒戦の勝利」です。
松下無線のナショナル受信機。
戦況ニュースは良いラジオでハッキリと!
定価61円70銭ってのは、果たして高いのか、安いのか・・。

ナショナル.jpg

「慰問袋」関連の広告も多くなってきました。
「酷寒の北から、酷熱の南まで、どこの戦線でも文句なしに喜ばれて居るものは・・
慰問袋のサロメチールです」。

左ページでは三越も慰問袋を販売していますが、トンボ鉛筆も強烈です。
職場は戦場だ! 机上は陣地だ! 鉛筆は兵器だ!
ムリヤリ過ぎますなぁ。。

トンボ.jpg

わかもと本舗からは「必殺の照準視力 エーデー」。
戦場だけでなく、「必見の防空監視に健全な視力の緊要な時」ということです。
ちなみに関西弁の「え~で~」ではなく、ビタミンAとDの「エーデー」です。

エーデー.jpg

本書の真ん中にはカラーも使ったグラビアの特集が・・。
戦時下の映画では、「戦う軍楽隊」に「シンガポール総攻撃」、
「愛国の花」といった銃後の婦人の献身ぶりを強調したメロドラマなどがポスターで紹介されます。

映画.jpg

また、昭和17年からは郵便切手も教化や意識の高揚に一役買うことに。
図案が一般公募され、普通切手として発行。
「女子工員」、「旭日と三式戦闘機(飛燕)」、「少年航空兵」、「靖国神社」などなど・・。
基本的にはナチス・ドイツの切手と変わらないですねぇ。

1銭_女子工員 5銭_飛燕 15銭_少年航空兵 27銭 靖国神社.jpg

「総出陣、女子挺身の時」では、内閣情報局のプロパガンダ雑誌といわれる
「写真週報」の写真も登場します。
「『写真週報』に見る戦時下の日本」という本も出ているので、かなり気になりますね。

写真週報 292号.jpg

第3章は「1943年(昭和18年) 悪化する戦局」です。
青果や鮮魚などの生鮮食料品の不足が続き、ガダルカナル島からの撤退、
そして「学徒出陣」・・というのがこの年です。

大日本飛行協会は「諸君の友達を射殺したアメリカの飛行機をたたき落とすために」。
陸海軍の少年飛行兵らの募集広告ですが、
警戒の目を盗んで飛びまわるあの憎い敵米英の、最後の一機を
大東亜の空からたたき落とした時、輝かしい勝利がくるのだ。
そのためには、よい飛行機と秀れた飛行士が必要だ。沢山必要だ。
英米が千機造れば日本でも千機造ろう。英米が千人持てば、日本でも千人の飛行士を持とう。
日本の運命がここで決せられるのだ。
今度卒業する諸君
諸君はもう日本を背負って立つ国民の一人だ。
諸君の魂と腕と力を、進んで御国のために捧げてもらいたい」。

大日本飛行協会.jpg

う~ん。。すでに「特攻」を想定してると思うのは気のせいでしょうか・・??

そんな重々しいのもあったかと思えば、相変わらずの商法も・・。
勝つために 先づ鼻病撃滅」。しかも「ミナト式」。

ミナト式.jpg

宝塚歌劇も、ズバリ「海軍」を雪組が公演しています。
「海軍省後援」というので本気度がわかりますが、戦時中はこのようなのが多く、
満州への慰問なども行っていたようですね。

昭和十九(1944)年3月の雪組公演.jpg

「着剣した鉛筆」は、またまたトンボ鉛筆です。
敵性語撃滅に率先着剣して敢然! 突撃をしたトンボ鉛筆!」。
攻撃的だなぁ。。だけど、意味不明・・。

着剣した鉛筆.jpg

出たっ! 「ヒロポン」!
戦後を舞台としたヤクザ映画でもいっぱい出てくるポン中のアレですね。
メタンフェタミンという強い中核神経興奮作用を持つ科学物質の商品名で、
覚醒(眠気覚まし)や疲労が無くなる感覚をもたらすことで、
勤労者を「ハイな気持ち」にさせ、生産効率を落とさずに、
長時間労働をさせようとした・・と、本書では詳しく書かれていました。

ヒロポン.jpg

西宮航空園の広告では、「アメリカの新標識」。
「憎むべきアメリカ空軍は、時々飛行機に描き入れたマークを改めて
不意打ちをかけようとしている。
各家庭でも配布されている、敵機記号を直しておくがよい。
アメリカでは最近青字に白星で、今迄の赤玉をつけていない」。

アメリカの新標識.jpg

じぇじぇっ! これは知らなかった!
確かに1942年までは「赤玉」付いてますなぁ。。

F4_Wildcat.Note that the red centers have been removed from the national insignia as of 15 May 1942 in order to avoid confusion with the Japanese red rising-sun markings..jpg

いよいよ最終章、「1944年~1945年(昭和19年~20年) 戦局の絶望化と敗戦」。
「コロムビア」改め、「ニッチクレコード」からの、「大航空の歌」。
仇敵米英を殲滅せん 一億必唱の大航空歌」。
思わずYouTubeで聞いてしまいました。「一億必唱」ってのが好き。。

大航空の歌.jpg

「これがB29だ!!!」とか、「B29 現る」なんて、なんの広告かと思いきや、
大阪模型とツバサヤ本店の広告でした。
頭に叩き込もう この正體!
防空の要訣は先づ敵機を識ることだ! 今! 直ぐ 敵機模型を作れ!」って、
昭和19年9月に正しい広告なんでしょうか・・??

B29.jpg

「ここに銀が要る!!」と、銀の供出呼びかける広告。
勝利の翼を送れ!敵を叩くのには飛行機だ!! 飛行機だ!!」と悲壮感が漂いますが、
「戦時女性」に載ったこの広告の主は「オバホルモン」です。

オバホルモン.jpg

昭和20年3月の「アサヒグラフ」の広告。
またもやB29を中心に「決死増産! 全機撃墜!」と謳ってますが、 
なんのこっちゃ「一家に一函 食栄素」です。
これはナニか申しますと、配給の醤油一升と水一升、そして本品を混ぜると
あら不思議・・即座に二升の美味しい醤油が出来る・・というものです。

食栄素.jpg

終戦間際の6月にもなると「特攻」の文字が目につきますね。
「一機一鑑!」とか、「生産特攻」、「国民総特攻!」。
もはや広告のコピーといった枠を超え、単なるスローガンと化したのでした。
「七生報国」は三島由紀夫のハチマキを彷彿とさせます。

一機一鑑.jpg

個人的にとても楽しみながら、勉強にもなりました。
嘘八百 -明治大正昭和変態広告大全-」はもっと笑える本でしたが、
本書は戦時中の広告が対象なだけに、茶化したものではありません。
小学館の発行だけあってか、戦争に詳しくない若い人向けのようにも思いました。
割愛しましたが「徴兵保険」など、知らないことがいくつもありましたし、
分厚い本を読んだり、プロパガンダ写真を見るよりも、
銃後の生活と、その変化の様子が違った視点で理解できますね。





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