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資料が語る戦時下の暮らし -太平洋戦争下の日本:昭和16年~20年- [日本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

羽島 知之 編著の「資料が語る戦時下の暮らし」を読破しました。

去年に「遊就館」に行った影響で、日本についても勉強しているところですが、
膨大な数の書籍の存在する日本軍戦記の前に二の足を踏みつつも、
銃後の生活にも大変興味があります。
6月の「戦う広告 -雑誌広告に見るアジア太平洋戦争-」なんかもその一つですし、
ナチス・ドイツで言えば、「写真で見る ヒトラー政権下の人びとと日常」や、
健康帝国ナチス」、「戦時下のベルリン: 空襲と窮乏の生活1939-45」、
ヒトラーを支持したドイツ国民」などがソレに該当すると思います。
本書は2004年発刊で、165ページながらも大判のオールカラー。
銃後の写真やグッズが盛りだくさんの一冊です。

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昭和16(1941)年の太平洋戦争勃発から始まります。
最初の「出征」というテーマでは、まず「臨時招集令状」の実物が・・、いわゆる「赤紙」です。
続いて「千人針」。
コレは千人の女性が一針ずつ縫った布を身に付けていると、敵の弾丸に当らない・・
と言われているもので、「昭和館」でブロ友のIZMさんに教えていただきました。
本書は資料の解説だけでなく、このテーマごとの概説がわかりやすくて良いですね。

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「食料」では、調味料にお菓子、そして燃料も配給制となります。
「家庭用豆腐菓子購入券」や、「家庭用品燃料通帳」といった類が登場。
非常時に備え、食用野草や、調理設備のない場合の工夫を知っておくよう教育され、
コレを教える「決戦食講習会」の受講券というのは強烈です。

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綿花や羊毛の輸入量激減のため、「衣料品」も切符制の配給に・・。
1人に割り当てられた点数は、農村部(甲種)で80点、都市部(乙種)は100点で、
1年間有効です。
掲載されている衣料切符を見ると、1点の「手編み糸1オンス」に始まり、
最高点である63点の「背広三つ揃い、男子外套」まで詳しく書かれています。
ネクタイにハンカチーフなら2点、猿股、パンツ、褌、ブルマー、ズロースが5点、
ワイシャツ、スカートなら15点、婦人ツーピース上下揃一式だと35点、
国民服、訓練服、学生服が40点って結構、高いですね。
10点の「シゴキ」ってのはいったいなんでしょう??

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こんな時代の女性にオススメだったのが、決戦服と呼ばれた「もんぺ」です。
簡素で動きやすい活動着として普及したものの、その不恰好さに不評の声も。。
名古屋市主催の「決戦型婦人服装展」の案内は確かに微妙ですね。
なんでもかんでも「決戦」って付ければいいってもんじゃないでしょう。

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「供出」では以前に「ここに銀が要る!!」という広告がありましたが、
今回は研磨や切削加工に必要な物質である「ダイヤモンド」が対象です。
「隣組回報」(回覧板)では、「贅沢は敵だ!!! ダイヤモンドを売りませう」と書かれ、
「ダイヤモンド工具は航空機、電波兵器等の生産上なくてはならないものだ。
個人が死蔵しているよりも国家に捧げ、米英撃滅の為に役立たせた方が、
はるかに有益であろう」。
買い取り価格は1カラットに付、1500円となっております。

白金(プラチナ)も同様で、
もし白金に心があるのだったら、この決戦に自分の本来の使命を果たすために、
箪笥から飛び出してでも戦列に加わるでしょう。
米英撃滅のメスとして天晴れお役に立ちたいことでしょう」。

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「防空」、「慰問」と続いて、「娯楽」です。
軍歌や愛国歌のレコードが次々と発売され、ラジオからも流れてきます。
ビクターから出た「撃て!米英」という愛国歌は、歌詞が素晴らしいので紹介しましょう。

断乎と打ち斃せ 邪悪の國を
アメリカ イギリス われ等の敵ぞ
幾百年の長きにわたり
摂取謀略 飽く無き敵を
われ等の血をもて うち斃せ

と激熱です。一度聞いてみたいですね。

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相撲も食料事情の悪化で壊滅状態、
敵国に由来した野球も中止に追い込まれますが、
昭和17年の雑誌「野球界」の表紙は、全員軍服で銃を担いだ写真。
なかも「巨人部隊の猛訓練」で、捧げ銃などを猛訓練しています。
また、競馬も金銀を使った優勝杯もなくなり、騎手も減少、
競馬場も閉鎖を余儀なくされるのでした。

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「子どもの教育」では各種児童雑誌が紹介されています。
機械化」という国防科学雑誌で専門的な兵器研究を・・。

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少年兵の憧れ「航空少年」からは本文を抜粋。
「真珠湾、アメリカの水兵たちが、一撃にして米太平洋艦隊の全滅と、
みにくい残骸をさらした飛行機を目の前に見た時の
阿呆づらが見たかったと思います。
僕もきっときっと少年飛行兵になって、
あの憎い憎いヤンキー共をやっつけて見せるぞ」。

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他にも「週刊少国民」という兵士に憧れるような雑誌に、
戦争映画の与える影響も・・。
4年生男子「日本の兵隊さんがあんなに強いことがよくわかった」

6年生女子「戦いというものがどんなに大変であるかということを
聞かされていた以上にわかりました」

5年生女子「日本は本当に強い国だと思いました。
なんとも言えないほどうれしい気持ちになりました」

やっぱりゲッベルスのように映像、プロパガンダ映画の影響は強いですね。

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「子どもの遊び」にも戦争が浸透します。
おもちゃは戦闘機に兵隊人形、「紙工作の防毒マスク」までありました。
大東亜共栄圏を一巡する「すごろく」に、軍隊を模した「戦争将棋」。
この将棋は「主都」を中心に、「国民」に「海軍」、「斥候隊」、「工作隊」、
「騎乗隊」、「機化隊」、「衛生隊」などの駒があり、
「動き方が実戦に即しているので、興味津々、やめられぬ位面白い。」
というのがうたい文句です。

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子どもの次は「女性」。
昭和19年の「女子挺身勤労令」によって12歳から40歳までの女性に
1年の勤労が義務付けられ、工場、通信、交通関係の職場に
多くの女性が動員されて、真剣に労働に打ち込む姿が雑誌の表紙を飾ります。
写真でみる女性と戦争」を思い起こさせますね。

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しかし女性は子を産み育てることによって、国に尽くすことも期待され、
前線から帰還した傷病兵と結婚することも奨励されます。
このように若い女性を労働力とすべきか、
家庭に入り、人口の再生産とすべきかという問題は、
軍や政府の間で意見の一致を見なかったということです。
前者はソ連的考え方で、後者はナチス的考え方のように思いますね。

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「健康」。
戦時中に結核死亡率は過去最高に達したうえに、食料にも事欠くこの時代。
栄養補助剤を摂取しなければなりません。
となれば、やっぱり胃腸と栄養に・・の「わかもと」に、
充実した気力と旺盛な体力を盛上る・・「仁丹」。
鼻病は増産の敵だ・・の「ミナト式」も定番の広告ですね。

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「国の宝」という名の妊産婦用の通帳には、特別配給券が綴られていて、
妊娠5ヵ月目から、毎月1回「菓子パン3個」が、
出産予定月になった者は「石鹸」が購入できたそうです。
石鹸って・・。

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国民健康であれば「増産」も可能です。
昭和20年に「国民勤労動員令」によって中学生以上の学生や
40歳未満の未婚女子が根こそぎ徴用されます。
白紙」と呼ばれた徴用告知書は初めて見ました。
拒否すれば1年以下の懲役か、1000円以下の罰金です。

「産業報国新聞」には過労死が美談として掲載。
学徒報国隊」の腕章も印象的です。

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そして戦局は悪化の一途を辿り、遂に「学徒出陣」、「学童疎開」と続きます。
「本土空襲」が始まると、伝単と呼ばれる米軍の「宣伝ビラ」が・・。

日本国民諸氏 
アメリカ合衆国大統領 ハリー・エス・ツルーマンより一書を呈す。
ナチス独逸は壊滅せり、日本国民諸氏も我米国陸海空軍の
絶大なる攻撃力を認識せしならむ・・・と、電話をしている写真付きで。

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またある時は、青森、西ノ宮、久留米などの都市名が書かれたビラを撒き、
裏面には以下のような文章が・・。

数日の内に四つか五つの都市にある軍事施設を米空軍は爆撃します。
御承知の様に人道主義のアメリカは、罪のない人達を傷つけたくありません。
ですから裏に書いてある都市から避難してください。

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そして「原爆」が投下されると、8月11日発行の「新聞共同特報」において
新型爆弾に対する心得16か条が発表。

一機でも油断は禁物だとか、壕内退避が有効であるなどの他に、
「軍服程度の衣類を着用していれば火傷の心配はない」やら、
「防空頭巾、手袋を併用すれば完全に護れる」、
「白い下着類は火傷を防ぐために有効である」など、
広島、長崎の実際の被害状況は隠されているのでした。

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いや~、ホント面白かった。こういう本大好きですね。
小学生の子どもたちが戦争映画を観て、聞いていた話が具体的になったように、
第2次世界大戦について、いくら聞いたり、読んだりして知っていたとしても、
実物のカラー写真が持つ印象は圧倒的です。
「独破戦線」でも写真を多用しているのは同じ理由からでもありますが、
本書で一番興味深かった写真は、表紙下の「笑顔で小銃訓練する女性」です。
本文に載っていなかったのが残念ですが、私服のままだし、
まるでお祭りの射的をやっているかのような、不思議な写真です。

本書に続いて、
「神国日本のトンデモ決戦生活―広告チラシや雑誌は戦争にどれだけ奉仕したか」を
読みましたが、こちらはタイトルからも想像できるように、おチャラけた雰囲気です。

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靖国神社にまつわる章では、「靖国システム」や、「靖国フェチ」といった表現を用い、
当時の小学生なら「ハナタレたち」といった具合です。
「一年生のブルマーを上級生のお姉様たちが縫っていたのだ。これには激しく驚愕した」
と、表現もかなりオーバー。

「標準支那語早学」から抜粋した日本軍標準会話、
「お前は人夫に変装して軍状を偵察に偵察に来たのだらう」
「早く白状しろ」
「でないと銃殺するぞ!」
といった尋問の会話シナリオが書かれた興味深いページもあったかと思えば、
「写真週報」の3人娘、
ベルトーニ伊太利大使館附陸軍武官の愛嬢フランチェスカさん、
荒木十畝画伯の愛孫明子さん
オット独大使の愛嬢ウルズラさんを取り上げ、その後の消息を追うものの、
結局はわからずじまい・・。惜しいなぁ。

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全体的に「写真週報」と「主婦の友」からの記事引用が多く、
それらに対してハシャギながら大袈裟に突っ込んでる・・といった内容で、
読んでる方は、当時の生活を冷静に分析するのは至難の技となっています。
笑える人とイラっとする人、極端に分かれるでしょうね。
最近も「ひと目でわかる「戦前日本」の真実 1936-1945」という本が出て、
コレまた気になったり・・。



最後に「資料が語る戦時下の暮らし」に戻りますが、
戦場というのは体験したことがないので理解するのは難しいですが、
銃後の生活はわりと簡単に置き換えてみることが出来ます。
ですから、壮絶な戦記に劣らず、戦争を理解するのに
申し分のない書籍ではないかと思います。





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東京裁判 〈下〉 [日本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

児島 襄 著の「東京裁判 〈下〉」を読破しました。

251ページの下巻は昭和22(1947)年の新春から始まります。
元旦こそ、法廷はお休みですが、欧米らしく1月2日からは開廷です。
監房の小窓が大破していたものの、一向に修理されず、寒風にさらされていた
66歳の元軍令部総長、永野修身元帥はこの日、寒気を覚えて入院しますが、
5日に急死してしまいます。

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米人弁護人は上巻でも登場したような「熱心組」がいる一方で、
怠け者のアル中にしか見えない「スパイ組」と呼ばれる弁護人も多く、
被告たちも「米人弁護人に本当のことを話して差し支えないか」と心配です。
そこで三文字弁護人は、米人弁護人の心構えを直し、日本側に引き付けるため、
天皇の弟である高松宮臨席のもと、お座敷洋食店で飲めや歌えやの宴会を開催。
米本国では皇室廃止の声も高いなかでのギャンブルですが、
玄関に慣れぬ正座をして高松宮を迎える米人弁護人軍団。
数日後には千葉御料地の鴨猟にも招待する、「洗脳作戦」が続きます。

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巣鴨プリズンでの被告の生活は、ゲーリングの自殺の一件が大きく影響し、
夜も電灯をつけたままで就寝。
監視兵は靴音を立てて終夜、廊下を歩き、数回は目が覚めます。 
法廷から帰ってきて獄舎用衣服に着替える際には、
検査官に肛門まで調べられる屈辱に毎日、耐えねばなりません。
そして粗暴な米兵たちは転任が決まると、戦犯No.1である東條にサインをねだるのでした。

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2月、8ヶ月に渡った検事側の苛烈な論告に対する、弁護団の冒頭陳述が始まります。
「満州事変、支那事変、太平洋戦争は原因も別なら、当事者も別であり、
一貫した世界征服計画によるものではないことは容易に証明される」。
盧溝橋事件は事前の中国側の激しい挑発行為によるもので責任は中国側にある。
ノモンハン事件は「協定済」の事件であり、ソ連侵攻の意図はなかった。
逆にソ連は「日ソ中立条約」を無視して対日参戦する、明らかな中立条約違反ではないか。
太平洋戦争の開戦は米国の経済圧迫、英、蘭、中国と連結した日本包囲体制から
免れんとする自衛のあがきにほかならなかった・・。と熱く語る清瀬弁護人。

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「南京虐殺事件」の反証も始まり、中国側は第6師団による市民殺害23万人、
第16師団によるものが14万人、その他が6万人の、計43万人と主張していますが、
著者は「正確な数字は確かめようもないが、43万人は拡張であろう」としています。
しかし、南京警備司令官を命ぜられた中島中将が第16師団に
峻烈な残敵掃討を命じたこと、一部の兵による、掠奪、放火、強姦が行われたのは
間違いなく、12月17日に方面軍司令官の松井大将が南京城に入って、
初めて虐殺行為を知り、不心得者の処罰、被害者に対する補償などを下命したということで、
日本軍以外の、中国側敗残兵、一部市民の蛮行も推測されるそうです。

IJA_tanks_attacked_Nanking_Chonghua_gate.jpg

この事件は20年位前から興味があるんですよね。
個人的な感覚では本書の見解は正しく思います。
すなわち、日本兵による蛮行は少なからずあった。
あまり言いたくありませんけれど、11月のフィリピン・レイテ島の台風被害で
市民が略奪に走っている姿を見ると、火事場泥棒じゃありませんが、
混乱に乗じて盗みや強姦を犯す現地人がいないと考える方がおかしいと思いますね。
「松井石根と南京事件の真実」という本があるので読んでみようかな。。

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そして中国側は、すでに第6師団長の谷寿夫中将を南京法廷で裁き、
第6師団が攻略した南京城外で両腕を押さえて跪かせ、
後頭部に銃弾を叩き込んで処刑済み・・。

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一見残酷に感じる谷中将の公開処刑ですが、判決はともかくとして、
当時の中国の基準からすれば、人道的な処刑方法だと思います。
ズラッと並んだ銃殺隊による銃殺では即死せずに、トドメの一発が必要な場合もあり、
後頭部から脳髄を狙う一発は、確実に即死します。
また、ヨーロッパでは一般的な犯罪者に適用され、死亡するまでに数10分もかかる
絞首刑ではなく、貴族や軍人に対しては名誉ある銃殺刑が適用されており、
ニュルンベルクではカイテル元帥が銃殺を希望したものの拒否されて、
全員絞首刑・・という経緯もありました。
まぁ、「図説 死刑全書」や、最近、「図説 公開処刑の歴史」をコッソリ読んだ限りですが・・。

東條大将と同等の「大物」被告とされているのが、天皇の側近第一人者である木戸内大臣です。
天皇の意志を誰よりも良く知っており、上巻でも宮中、軍部、政府の各最高首脳の動きを
緻密に描いた克明な「日記」を提出しています。コレ、本として出てるんですね。

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そしてこの日記と口供書は、陸軍関係の被告にとってはそれまでの立証を吹き飛ばす
まことに厄介なものであり、武藤、佐藤両中将は、往復のバスの中で木戸内大臣を指さします。
「笹川くん、こんな嘘つき野郎はいないよ。
『戦時中、国民の戦意を破砕することに努力してきました』とは、
なんということを言うヤツだ。この大馬鹿野郎が・・」。

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証人訊問のために、この大物被告のケンカに巻き込まれてしまった笹川くんとは、
「世界は一家、人類は皆兄弟」でお馴染みの、笹川良一です。。
A級未起訴組だったということしか書かれていない、エキストラ・レベルの脇役ですが、
気になったので、ちょっと調べてみると、国粋大衆党の総裁として
イタリア、ファシスト党に似せた黒シャツを私兵に着せ、
崇拝するムッソリーニとも会見してるんですねぇ。

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11月までかかって、被告たちの個人反証が続き、ついに東條の出番です。
日本文の口供書は220ページに達する大作で、弁護人の朗読には3日を要します。
イヤホーンを付け、証言台に座る東條大将。

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その姿を見つめる米主席検事のキーナンは、すでに「東條工作」の手を打っているのです。
それは米政府、およびマッカーサーは天皇の起訴は望んでいない・・というもの。
占領政策の成功と日本の赤化防止、日本の団結の為に、天皇は必要であり、
弁護人を通じて、「この戦争は陛下の命令に背いて始めたものだ」と証言するよう頼むのです。
しかし、「それは無理な注文ですよ。陛下の御裁可があったからこそ開戦した」と答える東條。。
それでも「陛下は嫌々ながら開戦をご承認になった」と証言することを了承します。

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また年も明けて2月になり、検察側の論告文が読み上げられます。
その次に待っているのは「判決」ですが、その判決文が英文で1200ページ超えであり、
8月から26人体制で行われている翻訳作業に時間がかかっているのです。
11月になって、やっとウェッブ裁判長のよる判決文の朗読が・・。
オーストラリア人裁判長が読み終わるのは、1週間後と推測され、
その間には、誰が助かって、誰が死刑かの憶測が飛び交うのです。

そんな被告たちに家族らの最後の面会。
死刑を悟っている東條は夫人に語ります。
「日本で処刑されることは日本の土になるのだからうれしい。
特に敵である米人の手で処刑されるのがうれしい。
自分も戦死者の列に加わることができるであろう」。

武藤中将も極刑を悟り、夫人と令嬢に語りかけます。
「千代子は早晩結婚しなければならぬが・・、検事だとか、判事だとかは避けるが良い。
今度の経験で彼らは人間の屑だということが判った・・」。

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こうしていよいよ判決の時。
被告席のドアから一人づつ姿を現し、ウェッブ裁判長が宣告文を読み上げます。
「被告荒木貞夫・・、被告を終身の懲役刑に処する」。
続く土肥原賢二大将は、「デス・バイ・ハンギング(絞首刑)」。
広田弘毅元総理、東條大将ら、7人に死刑判決が下るのでした。



この結果は、ニュルンベルク裁判以上の過酷さ・・と評価されます。
「平和に対する罪」、「殺人に対する罪」など、起訴内容の大部分が立証不十分とみなされ、
死刑はせいぜい2~3人に留まり、無罪者も出ると見込まれていたものの、全員が有罪。
弁護人らは怒りをぶちまけます。
「法廷は愛国心を頭から退け、有罪とみなした。
愛国者を処罰する国際法があってはたまらないではないか」。

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不満をあらわにするのはキーナン検事も同様です。
「なんという馬鹿げた判決か。重光は平和主義者だ。無罪が当然だ。
松井、広田が死刑などとは、まったく考えられない」。
またオランダ、インドなど、少数派ながら死刑反対の判事も存在します。
「落日燃ゆ」って聞いたことがありましたが、広田弘毅の生涯を描いたものだったんですね。

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12月23日早朝に巣鴨プリズンにおいて死刑執行が行われることが決定。
まず土居原、松井、東條、武藤の4人が手錠をかけられて登場します。
武藤中将は万歳を三唱しようということで、松井大将が音頭を・・。
「大日本帝国バンザイ、天皇陛下バンザイ、バンザイ、バンザイ・・」。
そして黒のフードが被せられ、ロープが首に、
フェルプス大佐の号令と共に瞬時に落下する4人。
死亡が確認されると、第2組の板垣、広田、木村の番です。

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著者は、生死も不明なウェッブ裁判長にオーストラリアで会うことができ、
米国でも関係者から取材したことを「あとがき」で語ります。
新たな調査・研究によって出版される第2次大戦関連本も悪くはありませんが、
戦後、これだけの時間が経ってしまうと、
どうしても過去の文献からの抽出作業になってしまいます。
ヴィトゲンシュタインが古い本を好きなのは、本書のような著者の実体験や
当事者への直接インタビューなど、より生々しい記述に惹かれるからなんですね。

天皇陛下が裁かれることだけは、なんとしても避けなければ・・という被告たち。
一方、ドイツではほとんどの被告が、責任をヒトラーに押し付けています。
この違いはなんなのか?? 国民性の違い?? 君主制度と歴史の違いなのか??
もしヒトラーではなく、皇帝ヴィルヘルム2世であってもそうしたのか??
或いはヒトラーと天皇、自殺したのが逆でも、彼らは同じことを言ったのでしょうか??

Emperor Hirohito_TIME May 21, 1945.jpg

本書を読む前に自分の知識でもって「ニュルンベルク裁判」と比較したい・・と
思っていましたが、予想以上に本書でも比較がなされ、
また、裁判当時も法廷や被告、関係者が意識していたのは驚きでした。
映画「東京裁判」も観てみたくなりました。

そしてA級戦犯に関連した、いわゆる「靖国問題」とは何なのか・・?? ということでも、
本書で裁かれた被告たちをもっと知らなければ語れないことだと改めて思いました。












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東京裁判 〈上〉 [日本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

児島 襄 著の「東京裁判 〈上〉」を読破しました。

「ニュルンベルク裁判」モノは3冊やっつけて、そろそろ「東京裁判」モノを・・と
考えていたところ、本書をオススメされましたので、早速、購入しました。
著者は「第二次世界大戦 ヒトラーの戦い」の児島氏なので安心感があります。
本書は1971年初版が出た後、最近では2007年に改訂版が出ています。
しかしヴィトゲンシュタインはなぜか間を取って、1982年の文庫を選んでみました。

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この285ページの上巻を読む前に、どれだけこの裁判の予備知識があるかというと、
恐ろしいことに「東條英機が死刑になった」ことだけです・・。
かなりの冒険のような気もしますが、個人的な基準はニュルンベルク裁判であって、
アレと比較してどのような違いがあるか??
または日本人として特別に感じることはあるのか??
ということを楽しみにして読んでみたいと思います。

Hideki Tojo.jpg

昭和20年8月30日、厚木の日本海軍飛行場に到着したマッカーサー元帥
コーンパイプを手にしたその姿は、カラーのニュース映像でもお馴染みですが、
その専用機の名前は「バターン」。は~、あのバターンでしょうね。。
そんな彼の最初の命令は「トウジョウ将軍を逮捕して監禁しろ」。

The nose of Bataan.jpg

米官憲の接近を予感した当の東條英機大将は、
「生きて虜囚の辱を受けず」との戦陣訓を制定したのは自分であり、
召還を受ければ自決する・・という決意。
訪ねてきたAP通信記者から、「マッカーサー将軍をどう思いますか?」と質問されると、
「フィリピンで部下を置き去りにして豪州へ逃げた。指揮官としてあるまじき行為だ」。
占領軍司令官を批判する発言に慌てる通訳・・。
とりあえず「立派な政治手腕を持つ軍人だと思う」と誤訳して一同、満足げです。

しかし、逮捕の為に2個分隊がやってくると、一発の銃声が・・。
自らを撃った弾丸は左肺を貫通したものの、辛うじて心臓は外れ、
野戦病院で手術が行われて、一命を取り留めるのでした。

Tōjō had shot himself in the chest with a pistol.jpg

「トウジョウ・ショック」はご免・・とするマッカーサーですが、自決者が続きます。
杉山元帥は胸に四発もの弾丸を撃ち込み、夫人も短刀で胸を突きます。
小泉親彦中将は軍刀で自刃。橋田邦彦元文相は服毒自殺・・。

General Hajime Sugiyama Saluting.jpg

敗戦処理皇族内閣である東久邇宮政府は
「戦争犯罪人には日本側で審理・判定したうえで引き渡そう」としますが、
この自主裁判構想には天皇が反対。
天皇の名で戦争をして、今度は天皇の名で裁く・・というのは、不可能なのです。
そして9月27日、「挨拶に来い」という態度のマッカーサーを訪問する天皇。
ツーショット写真は新聞にも掲載された有名なものですが、
ノータイで腰に手を当てたマッカーサーの態度を「無礼」と感ずる国民もいただろうが、
共通していたのは「敗けた」という想いであったに違いない・・と、
占領軍司令官の日本国民に対する「心理作戦」の成果にも言及しています。

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12月、健康を取り戻した東條ら戦犯が、大森捕虜収容所から巣鴨拘置所へ移されます。
監房のドアに書かれた番号を見た東條は眉をしかめます。
「四四」・・。「死死」とも読める縁起の悪さです。「東條は二度死ぬ」みたいな・・。

Sugamo Prison.jpg

貴族院議員を中心に新たに9人の逮捕命令が出され、そのなかには大島元駐ドイツ大使の名も。
三度も総理を務めた近衛侯爵は出頭することに怒り心頭。
「戦勝国が何でもでき、誰でも逮捕できるというなら、
ヒューマニズムも法律もあったものじゃない」。
そして青酸カリで自殺した姿を夫人が発見するのでした。

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年も明けた昭和21年1月22日、「極東国際軍事裁判所」条例が布告されます。
すでに始まっていた「ニュルンベルク裁判」との唯一、かつ最大の相違は、
「裁判が完全にマッカーサー元帥の管理下に置かれた」点にあります。
裁判には米、英、ソ、中国、蘭、ニュージーランド、加、豪、後に印、比が参加し、
それぞれに判・検事を送ってきますが、各国の戦犯、
特に天皇に対する態度は一致していません。
しかし米国はすでに、天皇を戦犯法廷に引き出さない方針を定めていたのです。

その対策として、首席検察官は米国のキーナン検事としたものの、
裁判長も米国人にしたのでは、あまりにも「米国色」が強すぎます。

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そこで連合国の裁判という体裁の為、オーストラリア代表判事のウェッブを裁判長に・・。

人選が決まれば、次は場所です。
法廷は戦争末期に陸軍省、参謀本部となった市ヶ谷の旧陸軍士官学校大講堂に定められ、
ニュルンベルク裁判の写真を見せられた「鴻池組」が突貫工事・・。

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4月になってようやくソ連巡洋艦が東京港にやって来ます。
ソ連判事ザリヤノフ少将、ゴルンスキー検事ら46名ですが、
歓迎しようと愛想良く話しかけるマッカーサーにもぶっきらぼうな態度。
そして、起訴状の準備がすでに完了しているにも関わらず、
如何にも強情そうな名前のソ連検事は、改めて容疑者を審問し、
被告の選別をやると言い出して、米国のキーナン検事と対立するのです。
いやいや、このような図式はニュルンベルクでもありましたね。。
マッカーサーも怒気をあらわに「ソ連の馴染みのやり方だ。
対日参戦もそうだったが、ギリギリの時に出てきて、獲物を欲しがる」。

Gen. Douglas MacArthur roars orders.jpg

起訴状には昭和3(1928)年~昭和20(1945)年9月2日という満州事変前から
降伏文書調印の日までに、いかに日本が国際的非道の限りを尽くしたか・・が述べられ、
28人が起訴されます。
日本人弁護団に加え、米国からも6人の弁護団がやって来ますが、あまりに非力。。
しかしファーネス大尉は公正を尊ぶ弁護士精神にあふれた人物で、
バターン 死の行進」の責任を問うた本間裁判では、
その時の敗者が、いまや勝者となり、かつての勝者を裁くということに、
「偏見を抜きにした裁判は不可能であり、ゆえに裁判は無効だ」と主張。
マッカーサーが負けた戦いという表現に上官が慌てて訂正を命じたほど。。

Defense Counsels with Japanese General Homma.jpg

5月3日、ようやく開廷です。
しかし大川周明被告の様子がおかしく、前に座る東條の禿げ頭を叩いたり、
ケラケラ笑い出す始末。

Ōkawa_Tojo.jpg

東大病院神経科などで診断を受けた結果、脳梅毒。
免訴となって裁判から除外されますが、この発狂には偽装説も根強いそうです。
こんな話は、まさに日本版ルドルフ・ヘスですね。



清瀬弁護人は法廷に与えられた裁判管轄権の非理を1時間半に渡って指摘します。
すなわち「ポツダム宣言」を受諾して降伏した以上、その条約に明言してある
「我等の俘虜を虐待した者を含む戦争犯罪人」だけが対象となるべきであり、
「平和に対する罪」や、「人道に対する罪」など、ポツダム宣言後に考え出された戦争犯罪は、
ヒトラーも死に首都ベルリンも占領されて
無条件降伏したドイツには適用できても、日本には適用できない筈である・・。

Kiyose-Keenan.jpg

米人弁護人のブレイクニー少佐も「戦争に伴う人命殺傷は犯罪者の殺人とは違う」と発言。
「検事側はあたかも、戦勝国の殺人は合法的だが、敗戦国の場合は非合法だというに等しい」。
さらに現在でも議論となっていることまで強調します。
「もし真珠湾空襲による被害が殺人行為であるならば、
我々はヒロシマ上空に原爆を投下した人物、この投下を計画した人物の名前を知っている。
彼らも殺人者ではないか?」

Ben Blakeney an American Defense Lawyer in Japan.jpg

5月10日には陸軍参謀総長となっていたアイゼンハワーが来日していました。
マッカーサーはキーナン検事に語ります。
「彼はフィリピン時代に私の副官だったが、なにか計画をやらせると全然使い物にならなかった」。
ほほう、コレは知りませんでした。当時は少佐でしょうかねぇ。

mac and ike.jpg

さらにマッカーサーの欧州連合軍最高司令官アイゼンハワー評は続きます。
「彼は国王や女王とお茶は飲んだが、ヨーロッパでは戦ったことがない。
ただ連合軍のとりもちをしただけだよ」。
こうして、かつての上官の占領業績を褒めてサッサと帰って行くアイゼンハワー。

MacArthur Eisenhower_spent time in Japan 1946.jpg

衰弱しつつも無理して出席していた松岡元外相が肺結核によって死亡。
また広田弘毅元総理の妻、静子が薬物によって自決・・というのは切ないシーンです。

8月16日、ソ連側の証人として、元満州国皇帝、溥儀が姿を現します。
「満州国なるものは私も含めて全然自由がなく、日本の支配下に置かれていた」と、
日本非難を展開。しかも明らかなウソも多いといった具合です。
しかし弁護人のしつこい反対尋問攻撃の前に、悲鳴に似た叫び声をあげて撃沈。。
ウェッブ裁判長にも検事団にも、皇帝溥儀が法廷に残していったものは、
ただ「不快」と、「無駄」という印象でしかありません。

Puyi at the International Military Tribunal for the Far East in Tokyo, Japan, mid-Aug 1946.jpg

溥儀は1963年に「わが半生」という回想録を書いているようで、
そのなかで、東京裁判における偽証についても告白しているそうです。
う~む。。やっぱり「ラストエンペラー」のジョン・ローンはカッコ良すぎだな。。

the-last-emperor.jpg

抑留されていたハバロフスク収容所から遥々東京までやって来たソ連側の証人、
第4軍司令官の草場辰巳中将は証言台に立つことなく自決してしまいます。
詳細は不明ですが、溥儀の「狂態」に続き、中将の「謎の死」と、
ソ連側の証人の異常さが際立ちます。

しかし今度の問題児はフランス検事です。
東京裁判での公用語は「日英語」と定められているにも関わらず、
堂々とフランス語で論告を始めるオネト検事。
弁護側が理解できないのは問題だとして、英語で話すよう求めるウェッブ裁判長。
それでも負けない頑固で知られるフランス人。
「世界で最も美しく、かつ文化的であるフランス語を話すのは、フランス国民の義務である」。
「休廷します」と金切り声を上げる裁判長。
「明らかに侮辱である。偉大なるフランス国家の名誉を守る措置を・・うんぬん」。

Webb presiding over the International Military Tribunal for the Far East in 1946.jpg

また、法廷通訳の能力には格差があります。
和英両速記録を対照しても、日本人証人の発言はしばしば大雑把に意訳され、
BC級裁判では「捕虜にゴボウを食わした」という証言が、
「木の根を食わした」と通訳されて虐待の証拠とされたり、
わざわざ英語でRICE(ライス)と言ったら、
発音の悪さゆえ「LICE(シラミ)」を食べさせたと解釈され、
やっぱり虐殺行為の自白とみなされたという例も・・。

そんなこんなで10月を迎えると、ニュルンベルク裁判での死刑執行が伝わってきます。
外相リッベントロップに始まり、シュトライヒャーらが次々に・・。
その直前に見事、看守の目を欺いて青酸カリを飲んだゲーリング

死刑判決を受けたゲーリングが獄中に妻子を迎え、6歳のエッダが
指で算術をして見せる姿に泣いた・・という新聞記事に感銘していた重光元外相は、
手向けの句を捧げます。

六歳の 娘の顔をゲーリング 母とみくらべ 顔をそむけぬ
男泣く 淋しき秋や ゲーリング

Hermann Goering consults with his lawyer.jpg

ま~、面白い本ですね。
ドキュメンタリーですが、部分的には短編小説のような雰囲気も見せ、
さすが、「ヒトラーの戦い」を10巻立て続けに飽きることなく読ませるだけのことはあります。
また、日本側だけでなく、連合国側についても詳しく書かれているのも好感が持てますし、
古今東西、「裁判」というテーマは良質なドラマになり得るということを立証しているかのようです。
パーシコ著の「ニュルンベルク軍事裁判」に似ているようにも思いました。

「まえがき」では旧制高校3年生当時の著者が、週に2、3回も
この東京裁判を傍聴したことなどが書かれています。
ふ~ん。。すごい学生ですね。
しかし、そのような著者が「生」で感じた体験が、そのまま迫力となっていることも確かです。












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写真 太平洋戦争〈第1巻〉 [日本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

雑誌「丸」編集部 編の「写真 太平洋戦争〈第1巻〉」を読破しました。

太平洋戦争、大東亜戦争と呼び名は様々あれど、まぁ、恥ずかしいほどに知りません。
コメントでもいろいろな本も紹介していただきましたが、何から手をつければ良いのやら・・。
そんな先日、神保町の軍事書籍コーナーで、本書の文庫版を見つけました。
まるで「ヒトラーの戦い」のような10巻モノ。
帰ってきてから調べてみると、もともと1988年に大判の5巻モノで出ていることに気づき、
図書館にもありましたのでとりあえず借りてみることに。
写真メインだったら、大きい方が良いですからねぇ。
そして偶然にも、明日は"太平洋戦争開戦記念日"です。

写真 太平洋戦争①.jpg

まずは「ハワイ作戦」からです。
昭和16年12月8日の「真珠湾攻撃」を前に、飛行訓練に励む九七艦攻の写真。
真珠湾は小高い山に囲まれた天然の要塞であるために、鹿児島湾を中心に
「軍港奇襲」というまったく新しい訓練を行った・・とキャプションに書かれています。
いきなりの真珠湾ですが、この有名な開戦の戦記も読んだことがなく、
映画「トラ・トラ・トラ!」も、ちゃんと観たことがないダメ人間で、
オマケにやっと昭和16年が1941年だと即答できるようになった程度・・。
「九七艦攻」ですら、「九七式艦上攻撃機」の略かな?? と疑心暗鬼です。。

Nakajima B5N.jpg

そんな白黒写真とキャプションだけでは到底、理解不能なヴィトゲンシュタインでも、
82ページの「ハワイ作戦」だけで、9人のライターによる解説が挟まれているので、
なんとかなりますね。
諜報作戦から補給問題、浅沈魚雷の開発、潜水艦戦など、地味ながらも勉強になります。
連合艦隊司令長官の山本五十六も登場しますが、
第1航空艦隊司令長官の南雲忠一中将が印象に残りました。

Chūichi Nagumo.jpg

攻撃直前に海が荒れ、航空参謀が雷撃機の発進中止を進言しますが、
「お前たち、このローリングでも魚雷を抱えたまま、見事発艦できるか」と
雷撃隊員に一言訊く南雲中将。
それに「やれます!」と答える雷撃隊員たち。恰好良いなぁ。
発艦ミスはほとんどなかったようですが、この一大作戦ですから、
当然、精鋭揃いだったんですね。
俄然、「トラ・トラ・トラ!」、観たくなってきました。

tora_tora_tora.jpg

空母赤城の飛行甲板にズラリと並んでプロペラを回す攻撃直前の艦上機。
凄い写真です。
たまにグレーの塗装で目立つ、数少ない零戦の姿も印象的です。

akagi-1941.jpg

特に本書はほとんど「日本軍」と言わず、「わが軍」と言いますから、
中立的とか、客観的に読み進むことはできません。
「敵軍」を殲滅するのみです。

そんな敵軍の写真も出てきます。
爆沈した戦艦アリゾナに、大爆発を起こす駆逐艦ショーなどなど。

USS Arizona burning after the Japanese attack on Pearl Harbor,.jpg

次は「南方攻略作戦」です。
真珠湾攻撃と並行して、マレー方面作戦を実施した日本軍。
有名な「マレー沖海戦」では、わが海軍第1航空部隊の九六式陸攻と一式陸攻が出撃し、
英艦隊に勝利します。キタなぁ。今度は「陸攻」。。
そもそも陸海空3軍のあるドイツ軍、しかもゲーリングによって「飛ぶものは全て空軍である」
という傲慢な論理が沁み込んでいるヴィトゲンシュタインとしては、
このわが軍の航空機が陸軍機なのか、はたまた海軍機なのかが良くわかりません。

ですから「陸攻」の陸は、陸軍の陸なのかと一瞬思ったりもしますが、
ここでは海軍の「陸攻」ということで、「陸上攻撃機」という名前がやっと浮かぶ始末。。
しかしドイツ空軍にはない「攻撃機」とは何なのか?? という問題にもいちいち苦しみます。
本文に野中五郎の名前も出てきて、やっと、あ~、あの桜花を運んだヤツが「陸攻」だ・・と。
ふぇ~・・、脳みそフル回転ですよ。。疲れる・・。

一式陸上攻撃機.jpg

それでも撃沈した敵戦艦、「プリンス・オブ・ウェールズ」は知っています。
ドイツ海軍の誇る戦艦「ビスマルク」がフッドを撃沈したときに一緒にいた相手です。
ドイツ海軍戦記には必ずと言っていいほど出てきますね。

HMS Prince of Wales were sunk off Kuantan in Malaya by Japanese bombers.jpg

また「プリンス・オブ・ウェールズ」という艦名は、ウェールズ公という意味で、
英国の皇太子の称号として、あのダイアナ妃もチャールズ皇太子の奥さんということで
「プリンセス・オブ・ウェールズ」と呼ばれていたのを覚えています。
1941年に就役したこの戦艦の英国皇太子はエドワード8世を指していて、
彼は王冠を賭けた恋によって、ウィンザー公になった人でした。
シェレンベルクが誘拐しようとしたり・・と、このBlogでもお馴染みなのが不思議ですね。

HMS Prince of Wales.jpg

ちなみに新型空母クイーン・エリザベスの2番艦として
現在、空母プリンス・オブ・ウェールズが建造中のようです。

QE_class_carrier HMS Prince of Wales.jpg

フィリピン攻略作戦ではマッカーサーが2ページ渡って登場。
魚雷艇PTボートでの間一髪の脱出劇が詳細です。へ~、知らなかったなぁ。
写真ではミンダナオ島などに上陸する海軍陸戦隊の姿が・・。
この陸戦隊っていうのもよくわからないんですが、海兵隊みたいなものなんでしょうかね。

続いて「中部南部太平洋方面攻略作戦」。
「ラバウル攻撃」が始まりますが、真珠湾攻撃から帰ってきた機動部隊による
アルバイト的な作戦で、世界一の機動部隊がわざわざ出て行くほどの目標ではなかった・・
と書かれています。
空母瑞鶴から発進する零戦の写真も美しい・・。

Zuikaku-zero.jpg

その後、暫くは「ラバウル航空隊」の写真が続きます。
「大空のサムライ」坂井三郎も登場しながら、台南航空隊と第3航空隊は
精鋭の戦闘機隊であるといったことや、九七式大型飛行艇の写真も・・。
は~、こんな四発の飛行艇があったんですねぇ。

97_yusoutei.jpg

しかし、「ラバウル」って本当に書きにくいんです。
何故かと言うと、ヒトラーの姪「ゲリ・ラウバル」って散々、書いてきたからです。。
今も書いてて間違えました。どっちがどっちだかわからなくなるんですよねぇ。

最後は「蘭印攻略作戦/インド洋作戦」です。
セレベス島の中心、メナド市への日本軍初の空挺作戦は燃えます。
1500人のオランダ守備隊と小さな飛行場があるだけにもかかわらず、
旧式な双発爆撃機B-10を、最新のB-24リベレーターと見誤ったことから、
俄然、このメナド市の実力が過大評価されてしまいます。
そして3空の零戦54機が護衛に付き、九六式輸送機27機に分乗した空挺部隊。
彼らはパラシュート部隊という名は秘密につき、横須賀第1特別陸戦隊と呼ばれます。
ところが瑞鶴の零式水上観測機が敵と誤認して、輸送機一機を撃墜・・。
降下後のオランダ兵との戦いも書かれていますが、
コレはもっと詳しく知りたいと思いました。「クレタ島」を思い出して興奮しますね。

横須賀第1特別陸戦隊.jpg

スラバヤ沖海戦では、英海軍の重巡「エクセター」が登場。
1939年、ラプラタ沖でドイツ海軍のポケット戦艦「グラーフ・シュペー」と戦った相手です。
いや~、本書のような未知の戦記を読んでいる時にこういうの出てくると、ホッとします。
知り合いの出席していない飲み会で、旧友に偶然出会ったような感じですね。
なのに酔い潰れたかのように、あっさり撃沈されてしまうエクセター。。

exeter.jpg

その他、重巡愛宕の4番砲塔の横にキャンパス風呂を設けて、
「総員入浴」の写真が良いですね。こんな風にして風呂入るんだ。
それからインド洋上における金剛、 榛名、霧島、比叡の4戦艦が一斉回頭している写真も見事。
ドイツ海軍じゃ、やりたくても無理だし。。

金剛、 榛名、霧島、比叡.jpg

文庫版は1995年に、そして新装版が2003年に・・ということで、
328ページの本書は文庫版の2巻分が収められています。
文庫版は立ち読み程度で、読み比べをしたわけではありませんが、
やっぱり写真を眺めるには、本書の大きい写真が良いですね。
ただ既に廃刊ですから、新品を求めるなら文庫版になります。

第2巻以降は、本書で気になった戦記を読んでからになりそうですねぇ。
まずは、「マレー沖海戦」かなぁ??
それともいきなり児島 襄の「東京裁判」に行く可能性も・・。













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軍艦武藏〈上、下〉 [日本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

手塚 正己 著の「軍艦武藏」を読破しました。

日本海軍の戦艦モノとしては子供の頃から好きだった「武蔵」を読んでみようと思っていましたが、
いろいろコメントをいただいた結果、本書を選んでみました。
2003年にハードカバー、2009年に文庫で再刊された本書は、上下巻で1300ページ。
武蔵が好き・・とはいっても、No.2が好きとか、プラモを作ったことがある(けど途中で挫折・・)
なんてレベルですから、初めて武蔵を詳しく知ることになります。

軍艦武蔵.jpg

第1章は「三菱長崎造船所」です。
昭和12(1937)年、世界の海軍史上例のない最強の攻撃力と、最高の防御力を兼ね備えた
戦艦の建造がスタート。「第一号艦(大和)」、「第二号艦(武蔵)」です。
全長は263m、基準排水量64000㌧、46cm砲3連装3基という数字が挙げられていますが、
それまでの連合艦隊旗艦であった戦艦「長門」の数字も比較しています。
まぁ、二回りは大きい感じですね。
ちなみにドイツの誇る戦艦ビスマルクは全長241m、基準排水量41700㌧、
38.1cm連装砲4基ですから、これでも20mは大きいんですね。

建造計画から完成に至るまでの過程が細かく書かれているわけではなく、
「兵隊に遊郭は付き物である」なんていう話が多くて楽しめます。
重巡「鳥海」が竣工して、長崎から母港の横須賀へ去ると、しばらくしてから
赤ん坊をおぶった若い女が横須賀に大勢やって来て、
「この子の父親は鳥海に乗っているのですが・・」。
そんなわけで鳥海太郎とか、鳥海花子なんていうのが沢山出来てしまったため、
武蔵の艤装員も「この子の父親は『第二号艦』」ということのないように
気を付けなければなりません。

重巡「鳥海」.jpg

公試運転が始まるとミッドウェー海戦で沈没した空母「赤城」の生残りらも乗り込んできます。
そして新兵に対する「制裁」も詳しく紹介。
その日の反省で分隊士から注意を受けた下士官は、最古参の兵長にひとあたり説教。
すると今度は若い兵長、上等兵、一等兵が集合をかけられて、
古参兵長からアゴに拳骨、もしくは突き出した尻に「バッタ」・・。早い話が「男気注入」。
古参がさっぱりして出ていくと若い兵長と上等兵が「てめえらのおかげで、この野郎っ!」と
一等兵に制裁が・・。そして最下級の一等兵は憤懣をブリキ缶や給水ポンプにぶつけるのでした。

連合艦隊旗艦となった「武蔵」には山本五十六長官が乗り込むことになります。
そんな艦上で行われた運動会。盛り上がるのは、
封筒の中に書かれた「宝」を見つけてゴールを目指す「宝探しゲーム」です。
ソロバンやメガネは良くある品物ですが、「長官」と悪戯で書かれた紙が・・。
その時、1人の選手が「長官っ!」と叫ぶや、山本長官に向かってまっしぐら。。
それまで腹を抱えて笑っていた観衆も、思わず息を呑むのでした。

山本五十六.jpg

そんな長官が数ヵ月後の昭和18年4月18日に戦死。
武蔵が横須賀に辿り着くと御召艇に乗った天皇一行が乗船します。
トラック島に入泊すると、乗員たちの渇望していた上陸と、ムクムクと湧き起こる性欲。
「突撃一番」と勇ましい名前の付いたコンドーム2個と消毒クリームを持っていざ上陸。
抜き身で合戦を挑んだら、十中八九病気を貰うのが当たり前。
そんな慰安所に列を作る彼らの15分1本勝負も具体的に・・。
なかなか出番の巡ってこない大和と武蔵の興味深いエピソードが続きます。

Hiro-Hito_on_Musashi.jpg

昭和19(1944)年3月には山本長官に続き、その後任の古賀峯一長官も失い、
「マリアナ沖海戦」も惨敗・・と、戦局も悪くなる一方です。
7月には呉軍港から大和と共に南方へ向けて出航。
南方へ輸送される4000名の陸軍兵も分散して乗り込んできます。
少将である朝倉艦長を追い抜きざまに兵員がヒョイと敬礼を行い、
それに「おう、おう」と軽く答礼する艦長の姿をを見て、呆然とする陸軍兵。。
陸軍で少将といえば「旅団長」クラス。そんな将官の尊大さは微塵も見えません。

陸軍のお客さんが向かう先は全滅が相次ぐビルマ方面。
インパール作戦に投入されるのか。そうしたらあいつらは生きて還れるのか・・」。
居住区では煙草に羊羹、キャラメル、缶詰、石鹸といった類が小山の程に集められ、
水兵長が「集めた物は陸軍さんに差し上げろ」。
そして「死ぬなよ」と硬い握手を交わすのでした。

武蔵.jpg

8月12日には「武蔵」最後の艦長となる猪口大佐が着任。
武蔵4人目の艦長ですが、艦長ってのは結構頻繁に変わりますね。
ドイツ海軍でもそうですが、戦艦だと基本が大佐で、昇進するといなくなっちゃうんでしょう。

猪口敏平.jpg

10月、遂に出撃。
「シブヤン海」での海戦ですが、栗田艦隊の第一戦隊として大和、長門と行動を共にします。
そして敵急降下爆撃機と雷撃機が武蔵に迫り・・・、といったところで上巻は終了。

from left to right  Musashi, Yamato, a cruiser and Nagato.jpg

下巻は海戦の続きですが、、この「シブヤン海」の海戦ってのは、
いわゆる「レイテ沖海戦」なんですね。
日本側に直衛の戦闘機がいないのをいいことに、敵機は執拗に反復攻撃。
3本の魚雷を受けて速力の低下をきたし、脱落しつつあります。
腕を吹き飛ばされた者など、重傷者が続発する武蔵。
一番主砲横の単装機銃の射手は、爆風によって被服を一枚残らず剥ぎ取られ、
機銃の架台から腰に巻かれたバンドに体を預け、天を仰いだままの姿勢で絶命。
防空指揮所も大きな被害に遭い、士官2名、下士官11名が戦死し、
猪口艦長も右肩甲部に鉄板が食い込んでいます。

SB2C Helldiver.jpg

貫通した爆弾の爆発によって艦の中核である第一艦橋が壊滅。
小林2曹は椅子に腰掛け、両手で双眼鏡を掴んだまま事切れていますが、
その頭部は見つからず。。
黒く焼けた死体、腸がはみ出して悶絶している負傷者があちこちに・・、まさに修羅場です。
そして傾いた武蔵は遂に沈没の時・・。艦長も艦と共に沈むことを選択します。

Musashi under attack in Sibuyan Sea.jpg

2隻の駆逐艦、「清霜」と「濱風」が微速で近づき、
海に飛び込んだ武蔵の生存者を救出します。
しかし日も暮れ、重油の漂う波間で沈んでいく者も・・。
それにしても海軍兵なのに「泳げないんです」っていうのが結構、居るんですね。
結局、2400名の乗員のうち、約1000名が戦死。

主役である「武蔵」はこの下巻の前半で沈没してしまいますが、本書はまだまだ続きます。
姉妹艦「大和」の海上特攻による最期、また彼らを救った駆逐艦「清霜」と「濱風」のその後。
そして武蔵の生残りたちの終戦まで。
コレヒドール島に上陸した生残りたちのうち、420名が帰還組に選ばれて
「さんとす丸」で出航しますが、米潜水艦アトゥールに雷撃されて沈没・・。

駆逐艦 浜風.jpg

年が明け、昭和20(1945)年になっても武蔵の生残り、700名はフィリピンの地に残留。
そこへ米軍が上陸したことで、少ない食糧で行軍を強いられます。
しかし米兵が入らない山の中で行方不明になる者が出始めます。
フィリピン・ゲリラの仕業と考えたものの、死体が見つからないことから
「ジャパン・ゲリラ」の仕業であると悟るのです。
所属部隊から離脱した一匹狼の陸軍兵で、単独で行動している日本兵を襲い、
殺害して食料を奪うだけではなく、身体を切り取って食用にしている・・。

武蔵乗員だった川口兵曹も臀部から太腿にかけての肉がゴッソリと切り取られた姿で発見され、
ある日、森の中から血色の良い陸軍上等兵が突然姿を現します。
「人間の肉っていうのは、うまいものですよ。ちょうど鶏肉みたいな味がするんですよ」。
眼を細めてそう語る「ジャパン・ゲリラ」。人間ではなく、すでに獣です。

またあるときに出会った「ジャパン・ゲリラ」は、悪びれる様子もなく
「兵隊を殺して、その肉を喰ってます。でも病人はやりません。病気が怖いから・・」。
さらに追い打ち・・。
「男ばかりで、女を喰ったことないから、今度いっぺん喰ってみたい・・」。
いや~、恐ろしいですね。。ほとんど「ゾンビ自衛隊」です。

ゾンビ自衛隊.jpg

ちなみにナチスでもゾンビ化するのは定番のキャラクターですが、
「ナチス・ゾンビ 吸血機甲師団」が最高です。。もちろん、観てません。

ナチス・ゾンビ 吸血機甲師団.jpg

最後には著者の「覚書」の章で、本書の完成までの経緯が書かれています。
もともとは武蔵の元乗組員のインタビューを中心としたドキュメンタリー映画として製作され、
平成3年に公開されていたそうです。DVDも出てますね。
その後、本書の執筆を勧められて数年の歳月をかけてようやく完成。

チラシ 軍艦武蔵.jpg

本書は「軍艦武蔵」というハードウェアよりも、それにまつわるエピソードに
主眼が置かれていたように感じました。
ヴィトゲンシュタインのように日本海軍について全くのシロウトでも楽しく読めましたし、
端折りましたが、「第三号艦」で空母となった「信濃」についても触れています。
あの「桜花」を乗せて・・って話ですね。
やっぱり「空母「信濃」の生涯―巨大空母悲​劇の終焉」も読んでみたくなりました。













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