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ベルリン 地下都市の歴史 [ドイツの都市と歴史]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

D&I.アルノルト、F.ザルム共著の「ベルリン 地下都市の歴史」を読破しました。

去年の9月に発刊された本書は、当時偶然、本屋さんで積まれたものを見つけて
「なんだこりゃ?」と手に取って、パラパラ見てみると、カラー写真も豊富で
オドロオドロシイ雰囲気満載。。しかし、いかんせん3990円という値段が・・。
それ以来、気になっていたのもあって、ちょっと図書館で借りてみました。
ベルリンの地下といえば、ヒトラーの地下壕や、最終戦での舞台になったりと
いろいろありますから、現在の姿にも大変、興味があります。

ベルリン.jpg

そうは言っても、知識が全くないベルリンの地区名や、その地下の歴史・・。
本書は最初に「ベルリン地下世界入門」と題して、そのあたりを解説してくれます。
パリやモスクワのような都市は石灰砂岩層の上に築かれており、
地表で建設するための石をその層から切り出したことでできた空洞が地下墓所となって
都市の地下の歴史が始まったものの、ベルリンは地下水の水位が高いことが要因となって
その歴史が浅いということです。
このような話は、世界首都ゲルマニア建築の際に、地盤が弱くて、ヒトラーが求めたような
巨大な建築物を建てることが難しかった・・といったことを思い出しました。

本書は2ページに一枚の割合で、当時や現在の白黒写真や、19世紀の絵、
20世紀初頭の都市図や地下鉄路線図などが出てきます。
これらを眺めながら、その地下の歴史を学んでいくわけですが、
これがベルリンを地理的にわかっていないと、なかなか厳しいですね。

ベルリン2.jpg

例えば、「今日のベルリン地域でもっとも大規模な地下防衛施設は
シュパンダウ・ツィタデレ(城塞)にあり、これはハーフェル川の渡河地点を守るためなどに
16世紀に建築されたもので、シュパンダウ地区はベルリンとつながりがあったものの、
当時独立した都市だった」。
シュパンダウ・ツィタデレがあの、ナチス戦犯が拘留されたシュパンダウ刑務所あたり・・
というのは想像できますが、シュパンダウ・ツィタデレ(城塞)というは知りませんでしたし、
ハーフェル川もわかりません・・。

SpandauPrison.jpg

そんなこんなで読み進めると、地下の給水施設では、1914年に地下倉庫となった元の貯水場が
1933年には「突撃隊(SA)」が天然の強制収容所として濫用した・・などという話も・・。
また、かつてベルリンには何世紀にも渡り、名高い葡萄栽培地があったり(1740年の厳冬で壊滅)、
ビールの醸造も始まったことから、地下が活用されたという、酒飲みにも興味深い歴史も紹介。
さらに排水溝に地下道と、単に地下といっても、その必要性や活用方法はさまざまで、
本書では各々の歴史を解説しています。

ベルリンの散策路であり、閲兵式も行われるウンター・デン・リンデン通りに完成した
路面電車のリンデントンネルにまつわる話では、街路を横切りたいという鉄道会社の要請に
皇帝ヴィルヘルム2世が「下に通すのだ。上を通過させてはならぬ」と語った逸話があるそうです。

Keizer Wilhelm II paradeert met zijn zes zonen op Unter den Linden 1914.jpg

20世紀の初頭の地下鉄建設工事も第一次大戦や、その後の大恐慌もあって、計画変更や
工事の中断によって使用されなくなった駅や、出口のないトンネルとなってしまうことも・・。
それを引き継いだナチス政権も責任者の建設大臣シュペーアのもとで、
ゲルマニア計画と連携した遠大な目標が立てられますが、結局は再び始まった戦争の前には
「重要ではない」と中止の憂き目に・・。

Albert_Speer winter.jpg

この地下鉄部分は2ヶ月前に観たNHK「ブラタモリ」の地下鉄編で、
銀座線の幻の新橋駅や、一時だけ使用された秋葉原の駅などが詳しく紹介されて、
大喜びしたことを思い出しながら読んでいました。

そして「地下壕と爆弾」の章へ進むと、陸軍総司令部(OKH)の巨大な複合地下壕
マイバッハⅠおよびⅡ」がツォッセンに、空軍もポツダムに、
海軍もベルリン北方のロベタールに秘匿名「サンゴ」を設置します。
市民に対しても地下壕が作られ、「出口なきトンネル」も改装されて
アレキサンダー広場の地下には1万人が退避可能となります。
しかし、物資不足はシュペーアの地下壕計画を再三、行き詰らせ、
建築コストの安い地上防空室に比重が移って行きます。
このあたりの経緯は「ドイツを焼いた戦略爆撃」にも書かれていましたね。

alexanderplatz_bunker.jpg

興味深かったのは1943年に多発した、地下の「爆弾テロ」事件です。
フリードリヒ通り駅、ツォー駅などでも爆弾が炸裂し、数十名の死者を出し、
後に下手人はワルシャワの地下組織「OSA-KOSA」のメンバーによるものだと
判明したそうで、こんな話は初めて知りましたが、これは当局が
市民の士気が下がることを恐れ、ゲシュタポによって怪我人は守秘義務を課されて
厳格な報道管制が敷かれた・・ということです。

Berlin,_gesprengter_S-Bahn-Tunnel.jpg

ベルリン爆撃が激しくなると軍需工場は最優先で地下壕が割り当てられています。
ミュラー通りの地下では、ヘンシェル社が急降下爆撃機の胴体を組み立て、
オリンピア・シュタディオンの観客席の地下構造や、マラソントンネルも活用。
テンペルホーフ空港にはフォッケ・ウルフ社が入居して、FW-190の最終組み立てを行って、
完成した戦闘機は、そのまま滑走路へ・・。

Flughafen Tempelhof, Bau der Ju87 Stuka & FW190.jpg

ベルリン防衛司令官ヘルムート・ライマンや総統官邸の防衛を任されたモーンケSS少将も登場し、
ソ連軍とのベルリン最終戦でアンハルター駅の地下防空壕が前線となった様子なども
数ページに渡って書かれています。

そして総統地下壕・・。その建設の様子から1949年に始まった総統官邸の廃墟の撤去、
地下壕も埋め立てられ、付近一帯は緑地となりますが、ベルリンの壁が出来ると1967年に
東ドイツ保安当局がティーアガルテン公園の地下にトンネルが発見されたのを受けて
東西をつなぐ連絡路があるとの噂から、大々的な発掘調査を実施して
1973年、総統地下壕が再発見されます。

Goebbels' room in the Fuehrer's bunker.jpg

この総統地下壕よりも「運転手地下壕」と呼ばれるものが興味深かったですね。
「アドルフ・ヒトラーの装甲師団の車両を防護するためのもの」だそうですが、
これは「ライプシュタンダルテ」のことなんでしょうかね?
この地下壕は1990年に1945年当時のままの状態で偶然発見されたそうで
SSが書いたと思われる「壁絵」も完全な形で見つかっています。
見たことのある絵ですが、そんないわくつきだったんですねぇ。
「壁絵」なんてなると、もう2000年も前の遺跡発見のような感じですが、
本書ではちゃんとカラー写真で紹介してくれています。裏表紙もソレでした。

ベルリン3.jpg

戦後は瓦礫の山となったベルリンと高射砲塔についての章です。
特に高射砲塔は以前から詳しく知りたいと思っていましたので、勉強になりました。
空襲で焼け出された人々の避難場所となっていた高射砲塔は
連合軍から出された命令によって除去されることに・・。
完全に爆破するか、外壁を15%除去し、非武装化するかの2案のうち
ベルリンは前者が選択されます。

Berlin,_Flakturm_am_Zoo.jpg

ティーアガルテンの有名なツォー高射砲塔のほか、
フリードリヒスハイン、フンボルトハインの高射砲塔の運命も詳しく書かれています。
1946年にフリードリヒスハインがソ連軍によって爆破され、真っ二つになると、
ツォーの高射砲塔はその頑強さに歯が立たず、英軍は失敗・・。
1948年になってやっと「巨象」は崩れ落ちます。
フランス軍が受け持ったフンボルトハインの高射砲塔も厄介極まりないもので、
何度も試みたものの、北側だけは崩れなかったそうです。

Berlin__gesprengter_Bunker_im_Friedrichshain.jpg

最後の章では、現在でもまだまだ埋まったままの不発弾処理の問題、
映画「ヒトラー 最期の12日間」の撮影現場の写真、
社団「ベルリン地下世界」が1997年に発足し、「ベルリン地下世界博物館」を運営するなど、
より広く一般の人々の身近なものになるように活動していることなどが紹介されます。

正直な感想を書くと、やっぱりベルリンという都市にある程度精通していないと、
本書の面白さは理解できないと思いました。
シリーズで「パリ」と「ニューヨーク」も出ていますが、
ヴィトゲンシュタインが地元「東京」の地下に面白さを感じるように
「あそこの地下にはこんなのがあるんだ」という身近にある新たな発見が
本書を楽しめるかどうかだと思います。
それでもカラーも含めて写真が多いのは良かったですし、地下だけではないベルリンの歴史も
知ることが出来ましたし、個人的には高射砲塔が出てきたのが予想外で楽しめました。

ちょうど年末にも「ドイツ高射砲塔―連合軍を迎え撃つドイツ最大の軍事建造物」
という文庫本が出ましたので、購入準備中です・・。





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ヒトラー戦跡紀行 -いまこそ訪ねよう第三帝国の戦争遺跡- [ドイツの都市と歴史]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

齋木 伸生著の「ヒトラー戦跡紀行」を読破しました。

今年の2月に発売された315ページの本書ですが、タイトルのヒトラーうんぬんはともかく、
副題の「いまこそ訪ねよう第三帝国の戦争遺跡」の方が気になっていました。
一度はドイツを訪れてみたい・・と思っているヴィトゲンシュタインですが、その際の参考に、
または、本書を読破することで、その想いが強烈なまでに高まってしまって、
とりあえず今年の夏休みにでも行ってみよう!という気持ちになることも期待しながらの読破です。
なお、著者の齋木氏は「チェルカッシィ包囲突破戦」などの訳者さんでもあるようです。

ヒトラー戦跡紀行.jpg

最初の遺跡は、この「独破戦線」でも何度も登場した、ヒトラーの山荘「ベルヒテスガーデン」です。
この山荘が作られた経緯・・特にマルティン・ボルマンが仕切って・・が解説され、
著者による観光ガイドと続く展開です。
ミュンヘンからより、オーストリアのザルツブルクからの方が遥かに近いなどの情報、
また、ベルヒテスガーデンというのは地名であり、山荘自体は「ベルクホーフ」と呼ばれ、
ここは終戦時に米軍によって破壊され、その後もドイツ政府によってナチスの痕跡を抹消しようと
再開発されているようです。

To deter tourists, sight-seers, and neo-Nazis, the Bavarian government blew up the ruins of the Berghof on 30 April 1952.jpg

博物館もつくられているそうですが、著者によると「いかにも私たちは反省していますよ、という
とってつけたような施設にしか見えない」ということですが、
ボルマンがヒトラー50歳の誕生日にプレゼントとして建てたことで知られる、
ケールシュタインのティーハウス(イーグル・ネスト(鷲の巣)のほうが一般的??)は健在で、
SS副官フェーゲラインエヴァの妹、グレートルの結婚披露宴が行われたこともあるこの場所は、
ヒトラーの城砦のなかでも美しさでは最高傑作としています。

Kehlsteinhaus.jpg

続いては「ゲルマニア建築計画」で、ベルリンを世界首都にしようというヒトラーの野望と
若き建築家シュペーアとの共同計画が解説されますが、結局は戦争の勃発により、
ほとんどが計画倒れなわけですが、いったい、何を紹介するんでしょう??

答えを先に書くと、せいぜい1936年のオリンピック向けに建てられた
オリンピア・シュタディオンくらいです・・。
後はブランデンブルク門に修復された国会議事堂。かつての官邸街は完全に姿を消し、
アパートなどが立ち並んで、有名なプリンツ・アルブレヒト通りのゲシュタポ本部
完全に取り壊されてしまっています。
そんななかで写真だけの紹介ですが、旧陸軍総司令部(OKH)は残っていて、
現在は「抵抗博物館」になっているというのは気になりました。
シュタウフェンベルク大佐の「蝋人形」がお出迎えしそうな感じですが、
個人的にはグデーリアンらの歴代参謀総長が、ソ連とヒトラーを相手に、
ここで苦悶を続けていたということを感じ取りたいですね。

Military demonstration at Hitler's 50th birthday celebration in Berlin. April 20, 1939.jpg

お次は、またまた南に戻ってナチ党の聖地であるニュルンベルクとミュンヘンです。
エヴァ・ブラウンの実家は極々「普通の家」・・。
ミュンヘン一揆」でヒトラーたちが行進した足取りをたどりますが、
あの「ビュルガーブロイケラー」はすでにありません。
最初のナチ党本部「褐色の家(ブラウン・ハウス)」も同様ですが、
その後に建てられた党本部は健在です。

Braunes Haus.jpg

ニュルンベルク党大会の壮大な建築物はいくつか残っていて、シュペーアの手による、
会場となった「ツェッペリンフェルト」も今も原型をとどめ、
「SS兵舎」は1992年まで駐留米軍が使用していたために、綺麗に残っています。

Reichsparteitag der NSDAP in Nürnberg.jpg

読み進めていくと自然に気づくと思いますが、本書はジャンルとしては「フォトエッセイ」のようで、
かなり気楽にいろいろ言いたいことを書いています。
すべて白黒なのが残念ですが、もちろん「フォト」も当時の写真と著者の撮った現在の写真も
多く掲載されています。

対ソ戦の総統大本営で有名な「ヴォルフスシャンツェ」の紹介では、
当時の東プロイセン、ラステンブルクにあったこの地が、現在はポーランドであり、
東プロイセンの中心地であったケーニヒスベルクは、カリーニングラードとして
ロシアの領土となっているという、話は興味深いものでした。

wolfsschanze_hitler_bunker.jpg

カイテルゲーリングらの専用ブンカー、ヒトラーを狙った爆弾の炸裂した軍ブンカーの跡地には
記念碑が建てられ、1992年のセレモニーにはシュタウフェンベルクの息子たちが参列したそうです。
なかなかの観光地となっている「ヴォルフスシャンツェ」に日本から行くには、
アエロフロート・ロシア航空が便利なようですが、
「いまやサービスは社会主義時代に逆戻りしていて、そのレベルは最低にまで転落した」と、
けちょんけちょんにこき下ろしています。。
ヴィトゲンシュタインはまだ乗ったことありませんが、こんな客を馬鹿にした不謹慎な態度かな・・。

Flight attendant Aeroflot.jpg

ただ本書は、どのレベル(第三帝国の知識)の読者をターゲットにしているかが良くわからず、
その「遺跡」にまつわる当時の話、例えばヒトラー暗殺未遂事件の顛末など・・・、
が多いのも気になりました。
本書に興味を持つのは、そうゆうことはある程度知っている人なんじゃないかなぁ。。

相変わらず目次は読まずに本文へと突き進むヴィトゲンシュタインですから、
本書になんの第三帝国の戦争遺跡が登場するのか、知らないまま、
「次はなんだろう・・?アレは出てくるかな?」と期待しながら読み進めましたが
(実は表紙に書いてありましたね・・。すぐにカバーを付けてしまうので。。)
後半は「第三帝国の戦争遺跡」ではなく、まさに「ヒトラー紀行」といった感じでした。

特に「西方電撃戦」からは、ベルギーの総統大本営、「ヴォルフスシュルフト」が出てきたまでは
良かったですが(ここも博物館に・・)、フランスの遺跡としては「ヒトラーの電撃パリ観光」が主題で、
エッフェル塔やら凱旋門やらが紹介されてしまいます。
ベルギーだったら「エーベン・エメール要塞」だったり、フランスなら「大西洋の壁」のトーチカや
Uボート・ブンカーなんかが知りたかったなぁ。。

U-Boot Bunker.jpg

オーストリアへ行くとヒトラーの生まれ故郷であるリンツや、青年時代を過ごしたウィーンが紹介され、
1938年のオーストリア併合までの、ヒトラーの足跡を辿るものとなり
(ヒトラーの両親の墓を探すものの見つからず・・)、チェコでもプラハ城などの紹介程度です。
個人的にはハイドリヒがそのプラハ城への通勤途中で暗殺の襲撃を受けた「トラムの停留所」とか、
リディツェ村」なんかの方がヒトラーが演説したホテルのバルコニーよりも、
「第三帝国の戦争遺跡」と言っても良いのでは?と考えますが、どうでしょう。

Liditz.jpg

最後のページにコッソリ書かれていましたが、本書は書き下ろしではなく、
月刊「丸」 に2009年~2010年にかけて連載されていたものを加筆/訂正したものだそうです。
そういうことであれば、本書のヒトラー好きの気ままな一人旅エッセイというのは、
ある程度納得できますが、本当の旅行ガイドのように「予算」と「現地調査」がしっかりしたものを
イメージするとちょっとガッカリしてしまうかも・・。
ヒトラーが泊まった高級ホテルも「値段が高くて泊まれなかった」という展開なので・・。
ただ、個人旅行の好きな人なら、「なるほど~」とその「エッセイ」部分を楽しめるでしょう。

rodina-mat-volgograd.jpg

読み終えてみて、本書に紹介された遺跡に関わらず、行ってみたいなぁという場所を
初めて真剣に考えてみました。
ベルリンのゲシュタポ本部やヒトラーの地下壕のように、現在は存在していない場合もありますが、
ロシアだったらスターリングラードセヴァストポリ、イタリアではモンテ・カッシーノ
ドレスデンの聖母教会・・ちょっと考えただけでもいろいろありますねぇ。



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