ニセドイツ〈3〉 ≒ヴェスタルギー的西ドイツ [ドイツの都市と歴史]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
伸井 太一 著の「ニセドイツ〈3〉」を読破しました。
スッカリ個人的お気に入りとなってしまったこのシリーズ。
去年の2月に出た3作目は共産趣味の東ドイツではなく、資本趣味の西ドイツ。
よくよく考えてみれば、「西ドイツ」という国名も今はなく、
子供の頃にTVで観たオリンピックやワールドカップを思い起こさせます。
表紙の自動車も「ニセドイツ〈1〉」のトラビではなく、
黄金のフォルクスワーゲンなのも意味深な感じですね。
まずは西ドイツが誕生した歴史から・・。
1944年には連合軍によってナチス・ドイツの分割管理が検討され、
米財務長官モーゲンソーによる有名な「モーゲンソー・プラン」が提案されます。
これは第1次大戦の敗戦からたった20年で復活を遂げたドイツの高い工業力を懸念し、
ルール工業地帯も非工業化して、ドイツを農業国家にしようとするもので、
このユダヤ系米国人の評判はドイツでは相当に悪いそうです。
本書に掲載されている、雑誌シュピーゲルのモーゲンソーの写真も実に悪そうな顔で、
パッと見、NKVD長官のベリヤと勘違いするほどです。
そして彼のプランは米国の世論の反対などもあり、"もう幻想"になるのでした。
トラビなど自動車の話から始まった東ドイツの「ニセドイツ〈1〉」でしたが、
本書も早々に戦後、西ドイツで生まれた自動車をいろいろと紹介します。
最初は戦闘機製造が禁止されていたメッサーシュミットの3人乗り、3輪カー「KR200」。
戦闘機の流線型に、当時の最高水準の技術を投入して、10馬力で時速90㌔を実現します。
昔はメッサーシュミットって自動車も作ってんだ・・なんて思っていたものです。
BMWも同様に「イセッタ」という小型車を製造してなんとか生き延びます。
フォルクスワーゲンにも6ページを割いて、ビートルからゴルフへと変貌を遂げた歴史に、
ヒトラー時代の1935年頃に製造されたプロトタイプ車の写真も載っていました。
高級車のベンツは8ページ。メルセデス・ベンツの由来となった女の子、
メルセデスちゃんの写真に、当時のポスターなど見ているだけで楽しいですね。
そしてナチス・ファンにも知られたポルシェはというと、やっぱり自動車製造が禁じられ
1951年に亡くなったポルシェ博士の最後の作品は「赤いトラクター」です。
「完成されたフォルム、農作業用なのになぜか赤い。」と書かれたこのトラクター。
メッサーシュミットの「KR200」にも通じるところがあるようにも思いますが、
トラクターって普通、赤じゃない・・? と思って調べてみると、緑なんかが多いんですね。。
日本では1960年代に「ヰセキ」が、ポルシェ・トラクターを輸入販売し、
1970年代には小林旭がヤンマーの「赤いトラクター」をヒットさせたり・・と、
日本でトラクターが赤い・・というイメージは、実はポルシェが起源なのかも知れません。
飛行機の話では、東ドイツにある「西ベルリン」への交通が興味深かったですね。
飛び地のような顔をした西ベルリンは、本当の意味での西ドイツ領にはあらず、
連合国による分割占領状態であり、そこへ向かう航空路線も、
パンナム、ブリティッシュ・エアウェイズ、エール・フランスの3社だけで、
復活したルフトハンザの参入は認められていなかったそうです。
「ニセドイツ〈2〉≒東ドイツ製生活用品」の西ドイツ版のようなキッチン用品も紹介。
1920年代に発展したオーブン、コンロ、換気扇、棚などが一体化したシステムキッチン。
これを見ると去年の6月に出た「ナチスのキッチン」を読んでみたくなります。
続いて刃物といえば「ゾーリンゲン」。
ヴィトゲンシュタインもいつかはゾーリンゲンの包丁が欲しい・・。
と思っていたら、amazonでも結構安く売ってました。。
ドイツでは1840年頃から発達した缶詰技術。
最初に詰められたのはアスパラガスで、以降、あらゆる種類の野菜缶が誕生したものの、
「やってはいけないコトもある。」と缶詰パスタには著者はお怒りの様子です。
「茹でられたパスタを缶詰に入れるとは、神とイタリア人をも恐れぬ所業だ」として、
この ↓ 缶詰が開けられた写真が掲載されています。コレは確かにいけません。。
日本の誇る「ポッキー」はドイツを含む欧米では「MIKADO(ミカド)」として販売され、
マクドナルドの話では、ファストはドイツ語では、「かろうじて」などの意味のため、
ファスト・フードは「ギリギリ食べ物と呼べる物」と馬鹿にされる始末・・。
ビールから飲み物に進むと、やっぱり出ました「ファンタ」の話。
そして1930年以来の歴史を持つというドイツ・オリジナルの「アフリ・コーラ」。
こんなコーラは初めて知りましたが、ドイツ軍ファンから見ると
どうしても「アフリカ軍団(アフリカ・コーア)を連想とさせます。
音楽の章へ行くと、デビュー当時、ハンブルク巡業に行っていたビートルズの話も。
現在もビートルズ広場や博物館があるそうですが、
そういえば「抱きしめたい」とか、「シー・ラヴズ・ユー」のドイツ語バージョン・・、
なんてのもありましたね。初めて聞いたときはショックだったなぁ。。
「Komm, Gib Mir Deine Hand」か、「Sie Liebt Dich」でググってみるか、
「パスト・マスターズ」にも入っていますので、気になる方はど~ぞ。。
しかし本書は西ドイツがテーマですから、ビートルズなどといった英国バンドは写真もなし。
大きく取り上げられるのはポップグループ「ジンギスカン」です。。
彼らの曲はモンゴルの「ジンギスカン」以外にもイカしたものばかりだそうで、
「めざせモスクワ」、「栄光のローマ」、「さらばマダガスカル」、「前人未到のヒマラヤ」などがあり、
人名タイトルでも「ツタンカーメン」に、「サムライ」もアツい・・そうです。
ヴィトゲンシュタインの好きなスポーツの章。
1949年の西ドイツ建国からわずか5年後、1954年のワールドカップで優勝します。
この「ベルンの奇蹟」というのは映画にもなっている有名な話ですね。
1974年の自国開催では、偶然にも東ドイツと同組になり・・。
2006年の統一後の開催については、マスコットの「ゴレオ6世」を取り上げています。
あまりの不人気ゆえ、ぬいぐるみを製造していたバイエルンの会社は
ワールドカップ開催の前月に破産宣告をするハメに。。
ドイツ人サッカーファンによれば、「ゴレオ6世」の失敗の原因は、
「下半身丸出し」によるものだそうです。
靴職人ダスラー兄弟の不仲から始まった「アディダス」と「プーマ」の話も
彼らがナチ党員であったとか、なかったとか、密告したとか面白いですね。
「アルプスの少女ハイジ」は1977年に放映され、ドイツ中に広まり、
アメコミ調のギャル風・ハイジや、アフロ気味なハイジなど、いろいろと漫画化されてます。
後半は初代首相アデナウアーから、歴代の西ドイツ首相を写真と共に詳しく紹介。
1980年~90年代には、ナチス時代の外務次官ヴァイツゼッカーの息子である、
リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領に、巨漢のヘルムート・コール首相。
あの「ゲーレン機関」や、西ドイツの「共産党」の運命に、新右翼の「ネオナチ」、
テロ組織「赤軍派(RAF)」、通称「バーダー=マインホフ」などなど・・。
ウルリケ・マインホフの変貌した写真はインパクト充分ですね。
西ドイツ国歌が誕生するまでの話も聞いたことがないもので、
アデナウアー首相がシカゴを訪問した際には、まだ現在の国歌が制定されてなく、
ケルン訛りのバリバリのカーニバル行進曲「ハイデヴィツカ船長!」というコミカルな曲が
流されたそうです。
また、ナチス・ドイツではお馴染みの建物である「国会議事堂(ライヒスターク)」は、
現在、連邦議会場として綺麗に修復されていました。
東ドイツを扱った「ニセドイツ〈1〉」と「ニセドイツ〈2〉」は各々169ページでしたが、
本書は222ページとボリュームアップしたものの、お値段据え置きで、
西ドイツの工業製品、生活用品、そして政治・・と、実に幅広く紹介しています。
確かに後半の政治部分はニセドイツ〈1〉、〈2〉には無かった展開でしたが、
これは意図したもののようで、個人的には大変勉強になりました。
また、音楽でも「ジャーマンメタル」がマニアックに書かれていて、
パワーメタルにスラッシュメタル、デスメタルにブラックメタルといったジャンルにまで言及。。
メタルには疎いんですが、「メタラー」という言葉もあるんですね・・。
相変わらず、実にいろんなことを楽しく教えてくれる一冊でした。
この「ニセドイツ」シリーズはコレにて終了なんでしょうが、
ファンとしてはスター・ウォーズ・サーガのように、ニセドイツの前の物語、
「ナチドイツ」もぜひやってもらいたいですね。。
特に生活用品のカラー写真なんて面白そう・・。
伸井 太一 著の「ニセドイツ〈3〉」を読破しました。
スッカリ個人的お気に入りとなってしまったこのシリーズ。
去年の2月に出た3作目は共産趣味の東ドイツではなく、資本趣味の西ドイツ。
よくよく考えてみれば、「西ドイツ」という国名も今はなく、
子供の頃にTVで観たオリンピックやワールドカップを思い起こさせます。
表紙の自動車も「ニセドイツ〈1〉」のトラビではなく、
黄金のフォルクスワーゲンなのも意味深な感じですね。
まずは西ドイツが誕生した歴史から・・。
1944年には連合軍によってナチス・ドイツの分割管理が検討され、
米財務長官モーゲンソーによる有名な「モーゲンソー・プラン」が提案されます。
これは第1次大戦の敗戦からたった20年で復活を遂げたドイツの高い工業力を懸念し、
ルール工業地帯も非工業化して、ドイツを農業国家にしようとするもので、
このユダヤ系米国人の評判はドイツでは相当に悪いそうです。
本書に掲載されている、雑誌シュピーゲルのモーゲンソーの写真も実に悪そうな顔で、
パッと見、NKVD長官のベリヤと勘違いするほどです。
そして彼のプランは米国の世論の反対などもあり、"もう幻想"になるのでした。
トラビなど自動車の話から始まった東ドイツの「ニセドイツ〈1〉」でしたが、
本書も早々に戦後、西ドイツで生まれた自動車をいろいろと紹介します。
最初は戦闘機製造が禁止されていたメッサーシュミットの3人乗り、3輪カー「KR200」。
戦闘機の流線型に、当時の最高水準の技術を投入して、10馬力で時速90㌔を実現します。
昔はメッサーシュミットって自動車も作ってんだ・・なんて思っていたものです。
BMWも同様に「イセッタ」という小型車を製造してなんとか生き延びます。
フォルクスワーゲンにも6ページを割いて、ビートルからゴルフへと変貌を遂げた歴史に、
ヒトラー時代の1935年頃に製造されたプロトタイプ車の写真も載っていました。
高級車のベンツは8ページ。メルセデス・ベンツの由来となった女の子、
メルセデスちゃんの写真に、当時のポスターなど見ているだけで楽しいですね。
そしてナチス・ファンにも知られたポルシェはというと、やっぱり自動車製造が禁じられ
1951年に亡くなったポルシェ博士の最後の作品は「赤いトラクター」です。
「完成されたフォルム、農作業用なのになぜか赤い。」と書かれたこのトラクター。
メッサーシュミットの「KR200」にも通じるところがあるようにも思いますが、
トラクターって普通、赤じゃない・・? と思って調べてみると、緑なんかが多いんですね。。
日本では1960年代に「ヰセキ」が、ポルシェ・トラクターを輸入販売し、
1970年代には小林旭がヤンマーの「赤いトラクター」をヒットさせたり・・と、
日本でトラクターが赤い・・というイメージは、実はポルシェが起源なのかも知れません。
飛行機の話では、東ドイツにある「西ベルリン」への交通が興味深かったですね。
飛び地のような顔をした西ベルリンは、本当の意味での西ドイツ領にはあらず、
連合国による分割占領状態であり、そこへ向かう航空路線も、
パンナム、ブリティッシュ・エアウェイズ、エール・フランスの3社だけで、
復活したルフトハンザの参入は認められていなかったそうです。
「ニセドイツ〈2〉≒東ドイツ製生活用品」の西ドイツ版のようなキッチン用品も紹介。
1920年代に発展したオーブン、コンロ、換気扇、棚などが一体化したシステムキッチン。
これを見ると去年の6月に出た「ナチスのキッチン」を読んでみたくなります。
続いて刃物といえば「ゾーリンゲン」。
ヴィトゲンシュタインもいつかはゾーリンゲンの包丁が欲しい・・。
と思っていたら、amazonでも結構安く売ってました。。
ドイツでは1840年頃から発達した缶詰技術。
最初に詰められたのはアスパラガスで、以降、あらゆる種類の野菜缶が誕生したものの、
「やってはいけないコトもある。」と缶詰パスタには著者はお怒りの様子です。
「茹でられたパスタを缶詰に入れるとは、神とイタリア人をも恐れぬ所業だ」として、
この ↓ 缶詰が開けられた写真が掲載されています。コレは確かにいけません。。
日本の誇る「ポッキー」はドイツを含む欧米では「MIKADO(ミカド)」として販売され、
マクドナルドの話では、ファストはドイツ語では、「かろうじて」などの意味のため、
ファスト・フードは「ギリギリ食べ物と呼べる物」と馬鹿にされる始末・・。
ビールから飲み物に進むと、やっぱり出ました「ファンタ」の話。
そして1930年以来の歴史を持つというドイツ・オリジナルの「アフリ・コーラ」。
こんなコーラは初めて知りましたが、ドイツ軍ファンから見ると
どうしても「アフリカ軍団(アフリカ・コーア)を連想とさせます。
音楽の章へ行くと、デビュー当時、ハンブルク巡業に行っていたビートルズの話も。
現在もビートルズ広場や博物館があるそうですが、
そういえば「抱きしめたい」とか、「シー・ラヴズ・ユー」のドイツ語バージョン・・、
なんてのもありましたね。初めて聞いたときはショックだったなぁ。。
「Komm, Gib Mir Deine Hand」か、「Sie Liebt Dich」でググってみるか、
「パスト・マスターズ」にも入っていますので、気になる方はど~ぞ。。
しかし本書は西ドイツがテーマですから、ビートルズなどといった英国バンドは写真もなし。
大きく取り上げられるのはポップグループ「ジンギスカン」です。。
彼らの曲はモンゴルの「ジンギスカン」以外にもイカしたものばかりだそうで、
「めざせモスクワ」、「栄光のローマ」、「さらばマダガスカル」、「前人未到のヒマラヤ」などがあり、
人名タイトルでも「ツタンカーメン」に、「サムライ」もアツい・・そうです。
ヴィトゲンシュタインの好きなスポーツの章。
1949年の西ドイツ建国からわずか5年後、1954年のワールドカップで優勝します。
この「ベルンの奇蹟」というのは映画にもなっている有名な話ですね。
1974年の自国開催では、偶然にも東ドイツと同組になり・・。
2006年の統一後の開催については、マスコットの「ゴレオ6世」を取り上げています。
あまりの不人気ゆえ、ぬいぐるみを製造していたバイエルンの会社は
ワールドカップ開催の前月に破産宣告をするハメに。。
ドイツ人サッカーファンによれば、「ゴレオ6世」の失敗の原因は、
「下半身丸出し」によるものだそうです。
靴職人ダスラー兄弟の不仲から始まった「アディダス」と「プーマ」の話も
彼らがナチ党員であったとか、なかったとか、密告したとか面白いですね。
「アルプスの少女ハイジ」は1977年に放映され、ドイツ中に広まり、
アメコミ調のギャル風・ハイジや、アフロ気味なハイジなど、いろいろと漫画化されてます。
後半は初代首相アデナウアーから、歴代の西ドイツ首相を写真と共に詳しく紹介。
1980年~90年代には、ナチス時代の外務次官ヴァイツゼッカーの息子である、
リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領に、巨漢のヘルムート・コール首相。
あの「ゲーレン機関」や、西ドイツの「共産党」の運命に、新右翼の「ネオナチ」、
テロ組織「赤軍派(RAF)」、通称「バーダー=マインホフ」などなど・・。
ウルリケ・マインホフの変貌した写真はインパクト充分ですね。
西ドイツ国歌が誕生するまでの話も聞いたことがないもので、
アデナウアー首相がシカゴを訪問した際には、まだ現在の国歌が制定されてなく、
ケルン訛りのバリバリのカーニバル行進曲「ハイデヴィツカ船長!」というコミカルな曲が
流されたそうです。
また、ナチス・ドイツではお馴染みの建物である「国会議事堂(ライヒスターク)」は、
現在、連邦議会場として綺麗に修復されていました。
東ドイツを扱った「ニセドイツ〈1〉」と「ニセドイツ〈2〉」は各々169ページでしたが、
本書は222ページとボリュームアップしたものの、お値段据え置きで、
西ドイツの工業製品、生活用品、そして政治・・と、実に幅広く紹介しています。
確かに後半の政治部分はニセドイツ〈1〉、〈2〉には無かった展開でしたが、
これは意図したもののようで、個人的には大変勉強になりました。
また、音楽でも「ジャーマンメタル」がマニアックに書かれていて、
パワーメタルにスラッシュメタル、デスメタルにブラックメタルといったジャンルにまで言及。。
メタルには疎いんですが、「メタラー」という言葉もあるんですね・・。
相変わらず、実にいろんなことを楽しく教えてくれる一冊でした。
この「ニセドイツ」シリーズはコレにて終了なんでしょうが、
ファンとしてはスター・ウォーズ・サーガのように、ニセドイツの前の物語、
「ナチドイツ」もぜひやってもらいたいですね。。
特に生活用品のカラー写真なんて面白そう・・。
戦時下のベルリン: 空襲と窮乏の生活1939-45 [ドイツの都市と歴史]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
ロジャー・ムーアハウス著の「戦時下のベルリン」を読破しました。
11月に白水社から出たばかりの本書。
謳い文句は「アントニー・ビーヴァー推薦! 」という最近の定番ですが、
彼の「ベルリン陥落1945」も大変、面白かったですね。
本書は「首都陥落の危機に瀕した、市民の暮らしに光を当て、防空壕、配給、疎開から
ユダヤ人の惨状、赤軍の蛮行まで、日記や回想録、体験者への貴重なインタビューにより、
極限の「生と死」を活写する」といったように、戦争よりも一般市民の考え方や行動について
530ページも書かれた大作です。
先日このために読み返した著者の「ヒトラー暗殺」もなかなか良かったですから、
ヴィトゲンシュタインの好きなテーマである本書は期待が持てます。
「総統日和」と題されたプロローグから本書は始まります。
この日は1939年4月20日、火曜日ですが公休日となり、一日中晴天。
そしてヒトラー総統50回目の誕生日。
5万人の軍人がパレードを行うベルリンでは、第1次大戦の古参兵が誇らしげに勲章を胸に付け、
女性や子供たちも催しを見ようと家を出ます。
ヒトラーの元には美術品から高価な品々がプレゼントとして贈られ、
数多くの祝いの電報のなかには英国王ジョージ6世や、ヘンリー・フォードからのものも・・。
第1章はそんな「総統に対する信頼」として、4ヵ月が過ぎた1939年9月1日。
ベルリン市民はクロール・オペラハウスでの総統の演説をラジオで聞くことになります。
「我々は本日5時45分以降、敵の砲火に対し、砲火で応戦している」。
このポーランドとの戦争が始まったことを知らされた市民の様子は様々です。
無感動だった者も多く、1914年の時のような熱意も歓喜も喝采もありません。
その理由は、オーストリア、チェコを平和に併合してきたように、
今回も単なる小競り合いであり、偉大な総統は戦争には巻き込まないと見ているのです。
次は早速始まった灯火管制に関する章です。
広告、鉄道、レストランから家庭に至るまで、夜間は電灯を消すか、シャッターやカーテンを用いて
500m上空からどんな光も見えないようにしなければなりません。
防空壕への道順を示す矢印が発光塗料で壁に描かれ、
完全な暗闇が徹底され、夜空の星の美しさに感動する市民も。
「ドイツを焼いた戦略爆撃」で紹介した、有名な爆撃機と骸骨のグロテスクなポスターも登場。
「敵はあなたの光を見る。電気を消せ!」
しかし、この灯火管制の影響によって交通事故が82%も増加し、
闇を迷惑なものではなく、好機と見る「犯罪者」が暗躍。。
ここではベルリン市民を恐怖に陥れた連続殺人事件も紹介されますが、
これじゃあ、ヒトラーが怒るのも無理はありません。
本書では当時、米CBSの記者だったウィリアム・シャイラーの日記も多く抜粋しています。
「ベルリン日記―1934ー40」もなかなか面白そうですね。
大衆の楽観論は「有名人マニア」という奇妙な形で一層、強められます。
その最初の一人は、Uボート艦長のギュンター・プリーンであり、
西方戦で名を挙げた、メルダースやガーランドといったパイロット。
有名人候補はまず、記者会見で自分の英雄的行為を記者と大衆に話し、
昇進に位の高い勲章を貰って、総統との個人的会見へと招かれるのがパターンです。
やがて順応性があり、写真写りが良いとわかると、最高の有名人の部類に入れられて
全ての最高の行事にその顔が見受けられることになるのでした。
もちろんテレビのないこの時代、写真と絵葉書を作ることも大事です。
女の子たちはパイロットの絵葉書を寝室の壁に花綱のように飾り、
少年たちは熱心に蒐集し、学校や遊び場で交換したりと、その宣伝価値は計り知れません。
まあ、子供時代の仮面ライダー・カード蒐集と変わらないでしょうね。
「腹が減っては戦はできぬ」と題された章では、1940年の冬がこの100年でも例外的に寒く、
特にジャガイモの損失は30%以上であり、ただでさえそのような食糧難に加え、
始まった配給制度も確立されておらず、ベルリン市民は飢えにも苦しむことに・・。
そしてこの配給制度の複雑さ・・「ドイツ人は考え得る限り最も複雑な制度を考案する」と
当時の記録にも書かれた制度を詳しく紹介します。
成人だけとってみても肉体労働の程度によって3つのカテゴリーに分けられ、
さらに7色の「マルケン」と呼ばれる小さなクーポン券のような配給カード・・、
青色は肉用、黄色は脂肪とチーズ用、オレンジはパンなどなど。。
しかしこの割当量は建前に過ぎず、実際には質の悪い代替物を買うために
長い行列に並ばなくてはなりません。
ベルリンの商店では並んだところで何列もの空の棚があるだけ・・。
クーポンとお金があっても買いたい物が買えません。
「健康的で活力を与え、味が良く、本物と区別がつかない」と宣伝され、
焙った麦芽から作った、最も不人気な「代用コーヒー」に、
貴重な石鹸は、皿洗いから洗濯、身だしなみにに至るまで全ての要求に応えるという
石鹸を月に1回、1個買うことが許されています。その名もズバリ「統一石鹸」。。
1943年秋にベルリン動物園が爆撃されると、束の間の恩恵が市民にもたらされます。
「私たちは肉を飽食した。特に味が良かったのはワニの尻尾だった。
大きな鍋で煮て柔らかくすると、太った鶏のような味がした。
死んだ鹿、水牛は数百回分の食事になった。
その後食べた、熊ハムと熊ソーセージはとりわけ美味だった」。
第5章は1937年にヒトラーによって建築総監に任命されたシュペーアと
世界首都「ゲルマニア」計画についてです。
対ソ戦が好調だった1941年11月の時点でシュペーアは、3万人のソ連捕虜を
「新ベルリン」建設に使う許可をヒトラーに求め、再建計画に必要な石と煉瓦の大半は、
各地の強制収容所から運ばれてきます。
ダッハウ、ブッヘンヴァルト、マウトハウゼンなどは石切り場に近いところに作られており、
ザクセンハウゼンには世界最大の煉瓦工場があって、
ゲルマニア計画は、強制収容所組織網の確立と維持という、
SSの利害とも完全に合致していたとしています。
続いてヨーロッパ各地からベルリンにやって来た数十万人の外国人労働者。
ソ連占領地域から10万人、占領下のフランスから6万人、
ベルギー、オランダ、ポーランドから3万人づつ。そしてその1/3が女性です。
西欧の労働者には賃金も支払われ、ドイツの社会保険制度に加入し、
ドイツ人労働者とほぼ同じ配給を受けることが出来ますが、
ポーランドやウクライナ、その他ソ連邦からの東方労働者は
捕虜に似た地位しか与えられません。
各国の労働者の様々なエピソードが紹介されていますが、
肉屋の手伝いとなった21歳のフランス人のマルセルは、灯火管制下のなか、
女主人の手が伸びてきたことを語ります。
「協力するほかなかった。彼女はベッドで私をもてなしてくれた」と、
5か月間にも及んだ天国のようなアヴァンチュール・・。
いよいよ「ベルリン空襲」の章へ。
1940年の9月だけでベルリンは19回も爆撃され、
ゲッベルスの宣伝省、ヘンシェルやアラドの工場、ダイムラー=ベンツなどが標的に。
屋根に「USA」とペンキで大きく書いてあったにも関わらず、米大使館も爆撃されますが、
英空軍の夜間爆撃機にはそれが見えなかったのか、狙ったのか・・? は不明です。
まだ3基の巨大な高射砲塔が建設される前のこの時期ですが、
ベルリン各地の29の高射砲台は猛烈な勢いで弾幕砲撃したことで、
市民には非常に信頼されています。
11月14日にはベルリンに辿り着いた25機のうち、10機を撃墜するといった大勝利も。
しかし、市民にとって危険だったのは英空軍の爆弾ではなく、
長さが10㎝もある高射砲弾のギザギザの破片なのでした。
中盤は「ベルリンのユダヤ人」について詳しく書かれています。
国内のユダヤ人は殲滅せず、ゲットーに住まわせて労働させる・・という方針にも関わらず、
国外退去によって1941年11月にリトアニアに辿り着いた2000人のユダヤ人は
この地のSSの責任者であるイェッケルンによって全員殺害されてしまいます。
そして最近のある研究では、ベルリン市民の28%が「大量殺戮について何らかの形で知っていた」
と結論付けているそうですが、著者は但し書きが必要であるとします。
それは「噂を耳にするのは、噂を信じるというのと異なる。
そうした恐ろしい話を敵のプロパガンダだとして一蹴するのは、ごく簡単だった」。
さらにホロコーストに対する「想像力のギャップ」が信じることを難しくしたとして、
「ある人種が『工業規模』で組織的に殺されるというのは、大方の人間の想像力を超えていた」。
そんなベルリン市民たちが目の前で連行されるユダヤ人の姿や、
地下に潜伏しようとするユダヤ人に対してどのような行動を取ったのか・・?
反ユダヤ主義者たちは彼らの身の上に降りかかった不幸を嬉しそうな表情で見つめ、
逆に彼らを助け、匿う者も存在しますが、それらは少数派であり、
大多数の市民たちは、すっかり公的生活から締め出されていたユダヤ人には「無関心」なのでした。
第10章は「民衆の友」。
どんな友達かといえば、1933年から「国民受信機」として6年間で700万台を売ったラジオです。
1938年には、より小型で値段も半額以下の35マルクという世界一安いラジオ
「DKE(ドイツ小型受信機)」が発売。
今で言うところの「スマホ」ブームのようなもんなんでしょうか・・?
市民はラジオから流れる政府のプロパガンダ作戦を理解しており、
彼らはこのラジオを「ゲッベルスの口」と呼んだそうですが、
毛布をかぶって、コッソリ英BBCのドイツ語放送も聞くわけですね。
しかし実際のところ、ラジオ放送は宣伝番組ばかりではなく、音楽番組も非常に多かったようです。
クラシックよりもポピュラー音楽は放送時間も長く、大衆にも人気があり、
有名な「リリー・マルレーン」が大ヒット。
それでもこの歌を「非英雄的」だとみなしたゲッベルスは、
歌手のララ・アンデルセンを逮捕するという暴挙に出るものの、
前線兵士からの放送リクエストの多さに屈服・・。
ちなみにヒトラーでさえこの歌のファンで、
「この歌はドイツ兵を感激させるだけではなく、我々の誰よりも長く残る」と語ったとか・・。
「監視する者とされる者」というタイトルの章は、想像通りのゲシュタポです。。
450万人の大都市にいた工作員とスパイの数はピーク時でも789人であり、
その数は驚くほど少なかったとしています。
最も、過去のゲシュタポ物を読んでいればわかるとおり、ゲシュタポに密告する組織網が
市民の末端にまで張り巡らされているわけですね。
本書ではその組織から拷問方法、「女ユダたち」に描かれていたような告発、
それから「密告者ステラ」まで幅広く紹介しています。
「国賊」と呼ばれる反ナチ・グループが登場する章では、
共産主義者スパイ「赤いオーケストラ」のシュルツェ・ボイゼンや
クライザウ・グループのヘルムート・フォン・モルトケ、
シュタウフェンベルクの「ワルキューレ作戦」が発動された時のベルリン市民の様子に触れます。
「ベルリン市民はナチ体制にどんな懸念を抱いていたにせよ、自分たちが何の意見も言えない、
旧いエリートによる宮廷クーデターに夢中になれなかった」。
1941年の春以降、2年間ほとんどなかったベルリンへの空爆が再開します。
しかも爆弾搭載量の増えたランカスター爆撃機が何百機という編隊を組み、
高性能爆弾・・ブロックバスターや無数の焼夷弾・・を連日連夜投下します。
ましてや3月1日は「ドイツ空軍の日」であり、爆撃のあった昼間には
市内で盛大な行進と式典が行われたばかりという屈辱を味わった空軍は、
国民の共感を失い始めます。
ティーアガルテンなどに完成していた巨大な高射砲塔や、サーチライトに88㎜高射砲、
そしてそれらを操作する大勢の人員は高射砲助手と呼ばれる15歳から16歳の少年が中心です。
それでも戦争の最後の1年を通し、ベルリンは150回以上も爆撃され、
夜間だけではなく、日中も米軍の爆撃機が姿を現すのです。
高射砲塔など公共掩蔽壕に入ろうと長い列を作る市民。
そこに爆弾が落ちてくると、パニックになった人々によって踏み潰される者も。。
廃墟からは隣人や兵士、強制労働者によってバラバラになった遺体が運び出され、
身元不明の遺体は学校の講堂や体育館に安置されます。
しかしベルリンの広い並木道や石造りの大通りという特性によって、
ハンブルクやケルンで起こったようなファイヤーストームによる壊滅的被害は起こらず、
戦争の全期間で空襲での死者は5万人に留まります。
こうして1944年、東ではソ連軍がポーランド国境へと迫り、
西では連合軍がノルマンディに上陸すると、ゲッベルスは演説で「総力戦」を訴えます。
本書ではメインとなるナチ指導者はヒトラーというより、宣伝大臣であり、
ベルリン大管区指導者であるゲッベルスが中心で、彼の「日記」からも抜粋しています。
そんな状況で市民は「小声のジョーク」に喜びを見出しているかのようで、
最もネタとなったゲッベルスの旺盛な性欲をからかって、
「戦勝記念塔の天使だけが首都に残された処女だ。
なぜなら彼女は小男の宣伝相の手の届かない所にいる唯一の女だから・・」。
11月には数万人が集まって、新兵の集団宣誓式が行われます。
この新兵とは16歳から60歳までの男性市民から成る「国民突撃隊」。
「大ドイツ帝国総統アドルフ・ヒトラーに対し、無条件に忠誠で従順である」ことを誓い、
「我が国民の自由と未来を捨てるよりは死を選ぶ」と締め括ります。
白髪交じりで時代遅れの武器を担いだ彼らは小雨の中を
ブランデンブルク門を目指し行進するのでした。
14歳のエーリヒは母のために医者を見つけようと家を出ると、
急ごしらえの小隊に強制的に入れられてしまい、
武装SSヴィーキング師団のデンマーク人兵士は、
デンマーク大使館の掩蔽壕に入れてもらおうと懇願して追い返されるという最終戦。
高射砲塔では3万人の市民が剥き出しのコンクリートのホールと階段吹き抜けに体を寄せ合い、
屋根の高射砲がソ連軍戦車に向かって発射される度に建物が揺らぎ、
雷鳴のような音が高射砲塔内にこだまします。
1945年4月だけでも4000人が自殺したと報じられたベルリン。
牧師は妻と娘を射殺して自殺、H夫人は娘の喉を切り、2人の息子と自分を撃った・・、
ナチだったミスKは首を吊り、ミセスNは毒を仰いだ・・。
それ以外の無数の自殺者は記録されておらず、総数は不明のようです。
この恐怖のもとになったのは、ボルシェヴィキのソ連兵です。
人間狩りのような強姦が幾例か紹介され、強姦された女性の1割が自殺し、
1946年にベルリンで生まれた子供の5%が「ルッセンキンダー(ロシア人の子)」と呼ばれたなど、
あの強烈だった「1945年・ベルリン解放の真実 戦争・強姦・子ども」をも彷彿とさせます。
いやはや、実に濃い内容の一冊でした。
全17章から成る本書は、基本的には時系列で進みますが、
章ごとにテーマが異なるために、章によっては1937年から1943年、1945年まで
書かれていることもありますが、むしろ理解しやすく整理されていました。
また、450万人というベルリン市民がみな同じ考え方と行動をしていたと
無理やり結論付けることもなく、様々なケースとエピソードを紹介し、
現実味のある、ただし、1章読み終える度に疲れの出る良書でした。
戦時下のドイツ市民に興味のある方は、必ず読むべき本です。
ロジャー・ムーアハウス著の「戦時下のベルリン」を読破しました。
11月に白水社から出たばかりの本書。
謳い文句は「アントニー・ビーヴァー推薦! 」という最近の定番ですが、
彼の「ベルリン陥落1945」も大変、面白かったですね。
本書は「首都陥落の危機に瀕した、市民の暮らしに光を当て、防空壕、配給、疎開から
ユダヤ人の惨状、赤軍の蛮行まで、日記や回想録、体験者への貴重なインタビューにより、
極限の「生と死」を活写する」といったように、戦争よりも一般市民の考え方や行動について
530ページも書かれた大作です。
先日このために読み返した著者の「ヒトラー暗殺」もなかなか良かったですから、
ヴィトゲンシュタインの好きなテーマである本書は期待が持てます。
「総統日和」と題されたプロローグから本書は始まります。
この日は1939年4月20日、火曜日ですが公休日となり、一日中晴天。
そしてヒトラー総統50回目の誕生日。
5万人の軍人がパレードを行うベルリンでは、第1次大戦の古参兵が誇らしげに勲章を胸に付け、
女性や子供たちも催しを見ようと家を出ます。
ヒトラーの元には美術品から高価な品々がプレゼントとして贈られ、
数多くの祝いの電報のなかには英国王ジョージ6世や、ヘンリー・フォードからのものも・・。
第1章はそんな「総統に対する信頼」として、4ヵ月が過ぎた1939年9月1日。
ベルリン市民はクロール・オペラハウスでの総統の演説をラジオで聞くことになります。
「我々は本日5時45分以降、敵の砲火に対し、砲火で応戦している」。
このポーランドとの戦争が始まったことを知らされた市民の様子は様々です。
無感動だった者も多く、1914年の時のような熱意も歓喜も喝采もありません。
その理由は、オーストリア、チェコを平和に併合してきたように、
今回も単なる小競り合いであり、偉大な総統は戦争には巻き込まないと見ているのです。
次は早速始まった灯火管制に関する章です。
広告、鉄道、レストランから家庭に至るまで、夜間は電灯を消すか、シャッターやカーテンを用いて
500m上空からどんな光も見えないようにしなければなりません。
防空壕への道順を示す矢印が発光塗料で壁に描かれ、
完全な暗闇が徹底され、夜空の星の美しさに感動する市民も。
「ドイツを焼いた戦略爆撃」で紹介した、有名な爆撃機と骸骨のグロテスクなポスターも登場。
「敵はあなたの光を見る。電気を消せ!」
しかし、この灯火管制の影響によって交通事故が82%も増加し、
闇を迷惑なものではなく、好機と見る「犯罪者」が暗躍。。
ここではベルリン市民を恐怖に陥れた連続殺人事件も紹介されますが、
これじゃあ、ヒトラーが怒るのも無理はありません。
本書では当時、米CBSの記者だったウィリアム・シャイラーの日記も多く抜粋しています。
「ベルリン日記―1934ー40」もなかなか面白そうですね。
大衆の楽観論は「有名人マニア」という奇妙な形で一層、強められます。
その最初の一人は、Uボート艦長のギュンター・プリーンであり、
西方戦で名を挙げた、メルダースやガーランドといったパイロット。
有名人候補はまず、記者会見で自分の英雄的行為を記者と大衆に話し、
昇進に位の高い勲章を貰って、総統との個人的会見へと招かれるのがパターンです。
やがて順応性があり、写真写りが良いとわかると、最高の有名人の部類に入れられて
全ての最高の行事にその顔が見受けられることになるのでした。
もちろんテレビのないこの時代、写真と絵葉書を作ることも大事です。
女の子たちはパイロットの絵葉書を寝室の壁に花綱のように飾り、
少年たちは熱心に蒐集し、学校や遊び場で交換したりと、その宣伝価値は計り知れません。
まあ、子供時代の仮面ライダー・カード蒐集と変わらないでしょうね。
「腹が減っては戦はできぬ」と題された章では、1940年の冬がこの100年でも例外的に寒く、
特にジャガイモの損失は30%以上であり、ただでさえそのような食糧難に加え、
始まった配給制度も確立されておらず、ベルリン市民は飢えにも苦しむことに・・。
そしてこの配給制度の複雑さ・・「ドイツ人は考え得る限り最も複雑な制度を考案する」と
当時の記録にも書かれた制度を詳しく紹介します。
成人だけとってみても肉体労働の程度によって3つのカテゴリーに分けられ、
さらに7色の「マルケン」と呼ばれる小さなクーポン券のような配給カード・・、
青色は肉用、黄色は脂肪とチーズ用、オレンジはパンなどなど。。
しかしこの割当量は建前に過ぎず、実際には質の悪い代替物を買うために
長い行列に並ばなくてはなりません。
ベルリンの商店では並んだところで何列もの空の棚があるだけ・・。
クーポンとお金があっても買いたい物が買えません。
「健康的で活力を与え、味が良く、本物と区別がつかない」と宣伝され、
焙った麦芽から作った、最も不人気な「代用コーヒー」に、
貴重な石鹸は、皿洗いから洗濯、身だしなみにに至るまで全ての要求に応えるという
石鹸を月に1回、1個買うことが許されています。その名もズバリ「統一石鹸」。。
1943年秋にベルリン動物園が爆撃されると、束の間の恩恵が市民にもたらされます。
「私たちは肉を飽食した。特に味が良かったのはワニの尻尾だった。
大きな鍋で煮て柔らかくすると、太った鶏のような味がした。
死んだ鹿、水牛は数百回分の食事になった。
その後食べた、熊ハムと熊ソーセージはとりわけ美味だった」。
第5章は1937年にヒトラーによって建築総監に任命されたシュペーアと
世界首都「ゲルマニア」計画についてです。
対ソ戦が好調だった1941年11月の時点でシュペーアは、3万人のソ連捕虜を
「新ベルリン」建設に使う許可をヒトラーに求め、再建計画に必要な石と煉瓦の大半は、
各地の強制収容所から運ばれてきます。
ダッハウ、ブッヘンヴァルト、マウトハウゼンなどは石切り場に近いところに作られており、
ザクセンハウゼンには世界最大の煉瓦工場があって、
ゲルマニア計画は、強制収容所組織網の確立と維持という、
SSの利害とも完全に合致していたとしています。
続いてヨーロッパ各地からベルリンにやって来た数十万人の外国人労働者。
ソ連占領地域から10万人、占領下のフランスから6万人、
ベルギー、オランダ、ポーランドから3万人づつ。そしてその1/3が女性です。
西欧の労働者には賃金も支払われ、ドイツの社会保険制度に加入し、
ドイツ人労働者とほぼ同じ配給を受けることが出来ますが、
ポーランドやウクライナ、その他ソ連邦からの東方労働者は
捕虜に似た地位しか与えられません。
各国の労働者の様々なエピソードが紹介されていますが、
肉屋の手伝いとなった21歳のフランス人のマルセルは、灯火管制下のなか、
女主人の手が伸びてきたことを語ります。
「協力するほかなかった。彼女はベッドで私をもてなしてくれた」と、
5か月間にも及んだ天国のようなアヴァンチュール・・。
いよいよ「ベルリン空襲」の章へ。
1940年の9月だけでベルリンは19回も爆撃され、
ゲッベルスの宣伝省、ヘンシェルやアラドの工場、ダイムラー=ベンツなどが標的に。
屋根に「USA」とペンキで大きく書いてあったにも関わらず、米大使館も爆撃されますが、
英空軍の夜間爆撃機にはそれが見えなかったのか、狙ったのか・・? は不明です。
まだ3基の巨大な高射砲塔が建設される前のこの時期ですが、
ベルリン各地の29の高射砲台は猛烈な勢いで弾幕砲撃したことで、
市民には非常に信頼されています。
11月14日にはベルリンに辿り着いた25機のうち、10機を撃墜するといった大勝利も。
しかし、市民にとって危険だったのは英空軍の爆弾ではなく、
長さが10㎝もある高射砲弾のギザギザの破片なのでした。
中盤は「ベルリンのユダヤ人」について詳しく書かれています。
国内のユダヤ人は殲滅せず、ゲットーに住まわせて労働させる・・という方針にも関わらず、
国外退去によって1941年11月にリトアニアに辿り着いた2000人のユダヤ人は
この地のSSの責任者であるイェッケルンによって全員殺害されてしまいます。
そして最近のある研究では、ベルリン市民の28%が「大量殺戮について何らかの形で知っていた」
と結論付けているそうですが、著者は但し書きが必要であるとします。
それは「噂を耳にするのは、噂を信じるというのと異なる。
そうした恐ろしい話を敵のプロパガンダだとして一蹴するのは、ごく簡単だった」。
さらにホロコーストに対する「想像力のギャップ」が信じることを難しくしたとして、
「ある人種が『工業規模』で組織的に殺されるというのは、大方の人間の想像力を超えていた」。
そんなベルリン市民たちが目の前で連行されるユダヤ人の姿や、
地下に潜伏しようとするユダヤ人に対してどのような行動を取ったのか・・?
反ユダヤ主義者たちは彼らの身の上に降りかかった不幸を嬉しそうな表情で見つめ、
逆に彼らを助け、匿う者も存在しますが、それらは少数派であり、
大多数の市民たちは、すっかり公的生活から締め出されていたユダヤ人には「無関心」なのでした。
第10章は「民衆の友」。
どんな友達かといえば、1933年から「国民受信機」として6年間で700万台を売ったラジオです。
1938年には、より小型で値段も半額以下の35マルクという世界一安いラジオ
「DKE(ドイツ小型受信機)」が発売。
今で言うところの「スマホ」ブームのようなもんなんでしょうか・・?
市民はラジオから流れる政府のプロパガンダ作戦を理解しており、
彼らはこのラジオを「ゲッベルスの口」と呼んだそうですが、
毛布をかぶって、コッソリ英BBCのドイツ語放送も聞くわけですね。
しかし実際のところ、ラジオ放送は宣伝番組ばかりではなく、音楽番組も非常に多かったようです。
クラシックよりもポピュラー音楽は放送時間も長く、大衆にも人気があり、
有名な「リリー・マルレーン」が大ヒット。
それでもこの歌を「非英雄的」だとみなしたゲッベルスは、
歌手のララ・アンデルセンを逮捕するという暴挙に出るものの、
前線兵士からの放送リクエストの多さに屈服・・。
ちなみにヒトラーでさえこの歌のファンで、
「この歌はドイツ兵を感激させるだけではなく、我々の誰よりも長く残る」と語ったとか・・。
「監視する者とされる者」というタイトルの章は、想像通りのゲシュタポです。。
450万人の大都市にいた工作員とスパイの数はピーク時でも789人であり、
その数は驚くほど少なかったとしています。
最も、過去のゲシュタポ物を読んでいればわかるとおり、ゲシュタポに密告する組織網が
市民の末端にまで張り巡らされているわけですね。
本書ではその組織から拷問方法、「女ユダたち」に描かれていたような告発、
それから「密告者ステラ」まで幅広く紹介しています。
「国賊」と呼ばれる反ナチ・グループが登場する章では、
共産主義者スパイ「赤いオーケストラ」のシュルツェ・ボイゼンや
クライザウ・グループのヘルムート・フォン・モルトケ、
シュタウフェンベルクの「ワルキューレ作戦」が発動された時のベルリン市民の様子に触れます。
「ベルリン市民はナチ体制にどんな懸念を抱いていたにせよ、自分たちが何の意見も言えない、
旧いエリートによる宮廷クーデターに夢中になれなかった」。
1941年の春以降、2年間ほとんどなかったベルリンへの空爆が再開します。
しかも爆弾搭載量の増えたランカスター爆撃機が何百機という編隊を組み、
高性能爆弾・・ブロックバスターや無数の焼夷弾・・を連日連夜投下します。
ましてや3月1日は「ドイツ空軍の日」であり、爆撃のあった昼間には
市内で盛大な行進と式典が行われたばかりという屈辱を味わった空軍は、
国民の共感を失い始めます。
ティーアガルテンなどに完成していた巨大な高射砲塔や、サーチライトに88㎜高射砲、
そしてそれらを操作する大勢の人員は高射砲助手と呼ばれる15歳から16歳の少年が中心です。
それでも戦争の最後の1年を通し、ベルリンは150回以上も爆撃され、
夜間だけではなく、日中も米軍の爆撃機が姿を現すのです。
高射砲塔など公共掩蔽壕に入ろうと長い列を作る市民。
そこに爆弾が落ちてくると、パニックになった人々によって踏み潰される者も。。
廃墟からは隣人や兵士、強制労働者によってバラバラになった遺体が運び出され、
身元不明の遺体は学校の講堂や体育館に安置されます。
しかしベルリンの広い並木道や石造りの大通りという特性によって、
ハンブルクやケルンで起こったようなファイヤーストームによる壊滅的被害は起こらず、
戦争の全期間で空襲での死者は5万人に留まります。
こうして1944年、東ではソ連軍がポーランド国境へと迫り、
西では連合軍がノルマンディに上陸すると、ゲッベルスは演説で「総力戦」を訴えます。
本書ではメインとなるナチ指導者はヒトラーというより、宣伝大臣であり、
ベルリン大管区指導者であるゲッベルスが中心で、彼の「日記」からも抜粋しています。
そんな状況で市民は「小声のジョーク」に喜びを見出しているかのようで、
最もネタとなったゲッベルスの旺盛な性欲をからかって、
「戦勝記念塔の天使だけが首都に残された処女だ。
なぜなら彼女は小男の宣伝相の手の届かない所にいる唯一の女だから・・」。
11月には数万人が集まって、新兵の集団宣誓式が行われます。
この新兵とは16歳から60歳までの男性市民から成る「国民突撃隊」。
「大ドイツ帝国総統アドルフ・ヒトラーに対し、無条件に忠誠で従順である」ことを誓い、
「我が国民の自由と未来を捨てるよりは死を選ぶ」と締め括ります。
白髪交じりで時代遅れの武器を担いだ彼らは小雨の中を
ブランデンブルク門を目指し行進するのでした。
14歳のエーリヒは母のために医者を見つけようと家を出ると、
急ごしらえの小隊に強制的に入れられてしまい、
武装SSヴィーキング師団のデンマーク人兵士は、
デンマーク大使館の掩蔽壕に入れてもらおうと懇願して追い返されるという最終戦。
高射砲塔では3万人の市民が剥き出しのコンクリートのホールと階段吹き抜けに体を寄せ合い、
屋根の高射砲がソ連軍戦車に向かって発射される度に建物が揺らぎ、
雷鳴のような音が高射砲塔内にこだまします。
1945年4月だけでも4000人が自殺したと報じられたベルリン。
牧師は妻と娘を射殺して自殺、H夫人は娘の喉を切り、2人の息子と自分を撃った・・、
ナチだったミスKは首を吊り、ミセスNは毒を仰いだ・・。
それ以外の無数の自殺者は記録されておらず、総数は不明のようです。
この恐怖のもとになったのは、ボルシェヴィキのソ連兵です。
人間狩りのような強姦が幾例か紹介され、強姦された女性の1割が自殺し、
1946年にベルリンで生まれた子供の5%が「ルッセンキンダー(ロシア人の子)」と呼ばれたなど、
あの強烈だった「1945年・ベルリン解放の真実 戦争・強姦・子ども」をも彷彿とさせます。
いやはや、実に濃い内容の一冊でした。
全17章から成る本書は、基本的には時系列で進みますが、
章ごとにテーマが異なるために、章によっては1937年から1943年、1945年まで
書かれていることもありますが、むしろ理解しやすく整理されていました。
また、450万人というベルリン市民がみな同じ考え方と行動をしていたと
無理やり結論付けることもなく、様々なケースとエピソードを紹介し、
現実味のある、ただし、1章読み終える度に疲れの出る良書でした。
戦時下のドイツ市民に興味のある方は、必ず読むべき本です。
ニセドイツ〈2〉≒東ドイツ製生活用品 [ドイツの都市と歴史]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
伸井 太一 著の「ニセドイツ〈2〉」を読破しました。
去年の10月に紹介した「ニセドイツ〈1〉 ≒東ドイツ製工業品」のレビューが意外なほど好評で、
その〈1〉と同時に2009年に発刊された159ページで個人的にも楽しみにしていた一冊です。
可能な限りカラー写真を使用したカタログ形式のようなこのシリーズ。
著者やダジャレなど、本書の特徴は〈1〉のレビューを読んでいただくとして、
早速、内容を紹介してみましょう。
「生活用品」がテーマの本書。まず最初に登場するのは買い物するための
国営スーパー「HO(ハーオー)」です。
1948年から東ドイツ政府の管理下として組織された商業組織であるこの「HO」。
1958年には全国統一価格が導入されたため、大安売りセールなどといったものもなく、
「ちょっと奥さん、あそこのスーパーのじゃがいも安いわよー」と盛り上がることもない社会。。
続いては、そのスーパーなスーパーで買える品々。
パンとケーキでは「小麦粉」に「バウムクーヘン」、
チョコレートも「代用コーヒー」と同様、不足するカカオ豆の代わりに麦芽や大豆が混ぜられて
ショコラーデとは言わず、公式には「ヴィタラーデ」と呼ぶ代用チョコレートです。
ちなみにハンバーガーも東ドイツでは「グリレッタ」と呼ばれたそうですが、
これは「ハンバーガー」があまりにもアメリカ的過ぎる・・という理由のようです。
食べ物に付き物なのは、もちろん飲み物です。
1941年の米国の参戦までは、第三帝国でも人気のあった「コカコーラ」の話と、
その後のドイツの発明品である「ファンタ」の話も以前に紹介していますが、
1958年に東ドイツ初のコーラ、「ヴィタ・コーラ」が発売されます。
特許申請から4年を要したこのコーラ製造の会社名は「ミルティッツ化学工場」。。
現在でも販売されているこの「ヴィタ・コーラ」ですが、
当時の味を知る人は、「まったくの別物」であるとして、
東ドイツに子供連れて旅行したことのある西ドイツのヘルガさんによると
「コーラが不味くて、子供が旅行を嫌がった」というほど、恐るべきコーラだったそうです。
ヴィトゲンシュタインも日々の生活には欠かせないビール。
ドイツビールも大好きで、その製法「ビールは麦芽、ホップ、水、酵母のみを原料とする」
ということをキッチリ守って国産ビールを呑んでいます。
日本の伝統的な製法である「米」や「コーンスターチ」が入っているものは好きじゃなく、
「モルツ」と「ヱビス」専門です。発泡酒とか第3の・・とかいう怪しい飲み物は一切ダメで、
いくら檀れいさんが好きでも「金麦」を買ったことすらありません。檀さん、ゴメンね・・。
そして原料不足でも昔ながらの製造法にこだわり続けた東ドイツのビール醸造所もあり、
特に東ドイツの「レーベンブロイ」は気になりました。
日本でライセンス生産されている「レーベンブロイ」は西ドイツはバイエルンのビールですが、
このレーベンブロイは「ニセドイツ〈1〉」に出てきたような戦争による分割といったことではなく、
ライオン(レーベ:Lowe)はザクセン州の由緒正しき紋章であり、
それにブロイ(醸造所)をくっつけただけの東ドイツの「本家」だということですね。
洗剤、石鹸、歯磨き粉と続いた後に出てきたのは、トイレット・ペーパーです。
「拷問道具」とダジャレで紹介され、「私は出来る限りトイレに行きたくなかった」と
当時の思い出を語る人・・。
新聞をクシャクシャに柔らかくしてから使った方がマシという証言もあるほどで
東ドイツのトイレット・ペーパー・ジョークもあります。
「どうして東ドイツのトイレット・ペーパーは堅いんだい?」
「それはケツの先まで真っ赤にするためさ。」
東ドイツのファッションは当時の綺麗なモデルさんのカラー写真も何枚か、
アンチ・アメリカの代名詞ジーンズの章では、
19世紀にバイエルンから米国に移住した「レヴィ・シュトラウス(Levi Strauss)」が
ジーンズを発明し、英語読みするとリーヴァイ・ストラウスとなる彼のブランド名が
「リーヴァイス(Levi's 」であることを紹介します。
そしてそんな西側の「本物」のジーンズに憧れる、東ドイツの若者たち・・。
スポーツの章も興味深かったですねぇ。
あの「コマネチ」が活躍した1976年のモントリオール五輪では、メダル獲得数で
3位の米国、4位の西ドイツを押さえ、1位の親分ソ連に次ぐ、第2位と躍進した東ドイツ。
ドーピングなんかは当たり前で、練習中の筋肉作りに多量の薬物が用いられたと言われ、
選手たちは引退後にその副作用に悩まされます。。
「カティ」という愛称で親しまれ、ホーネッカー書記長のお気に入りでもあったカタリナ・ヴィット。
2大会連続金メダルという1980年代のスケート界の女王です。
世界を飛び回る彼女は秘密警察シュタージから要請を受け、各国での情報収集をさせられます。
また、亡命を危険視されて、家族は人質として国内に留まらなければなりません。
フィギア・スケートって良くTVで観ますが、最近、あまりにもジャンプ偏重じゃないですかね?
もちろん「要素」として必要なことはわかりますが、いったいどれだけの観客が
トウループ、ルッツ、フリップ、サルコウ、ループ、アクセルといったジャンプの違いを
解説なしでわかるというんでしょう。。
トリプル・アクセル飛ぶとか、飛ばないとかが話題になっていますが、特に女子の場合は、
もっとプログラムのオリジナリティや美しさをアピールして欲しいですね。
トリノ五輪の荒川静香なんて、観てる途中で泣きそうになったほど綺麗でしたよ。
ロック、宝くじ、たばこと続いて、「共産主義エロス」の章へ・・。
東ドイツ刑法では「ポルノを広めた者は罰金、執行猶予、もしくは2年以下の禁固刑に処す」と
共産主義にとってポルノは「労働者を堕落させる悪」と考えられていたそうです。
そんな国で、「ダス・マガツィーン」、訳すと「ザ・雑誌」という名の月刊娯楽誌が
50万部を売り上げます。主に文化や生活が書かれたお上品なものですが、
「芸術作品」として女性や男性の裸体写真が数枚程度付いているのがミソ・・。
このあたりは「愛と欲望のナチズム」と似た感じがしますね。
テレビゲームの章も面白い。
西側に遅れること10年。1980年に家庭用ゲーム機「BSS01」を発表しますが、
お値段500マルクと超高価。しかし世界広しと言えども自国製のゲーム機を開発している国は
米国、日本、そして東ドイツだけです。
ですが、西ドイツの若者が「スペース・インベーダー」で地球を守っていた時に、
東では白い棒を動かして球を打ち合う「ポン(Pong)」が人気となっています。
いや~、懐かしいですねぇ。子供の頃、家で良くやりました。
ゲーセンまでも政府によって認可されていたそうですが、
唯一にして伝説の東ドイツ製アーケードゲーム機「ポリプレイ」が誕生。
そして最高の人気を誇ったゲームが「ウサギとオオカミ」で、
超有名ゲーム「パックマン」のパクリである・・。
ディズニーとナチスの関係といった本を紹介したことがありますが、
やはり東ドイツにもミッキーらしきキャラクターが存在していました。
しかし色は黄色だったり、青かったりとちょっと不気味・・。
まるで隣のデカい国における「ドラえもん」モドキの泣けるデザインを彷彿とさせます。
その他のキャラクター、それから家具の章と続いて、東ドイツをテーマにした映画。
2003年製作の「グッバイ・レーニン!」には本書で紹介されたモノも登場する良作として
最初に紹介。一度TVで観た記憶があるんですが、今見直したら、確かに面白そう。
2006年の「善き人のためのソナタ」はシュタージの監視体制がテーマになっているそうで、
コレはビックリしました。こんな邦題じゃストーリーわからんよ。。
「ニセドイツ〈1〉」でコメントいただいた1991年の「ゴー・トラビ・ゴー」も登場。
「ザクセン人が行く」という副題が良いですねぇ。
1992年には2作目も作られ、ゲーム化もされて、爆音響かせながらトラビで「ゆっくり」と走る、
謎のレースゲームということです。
いま調べたら「体験版」がダウンロードできるようですよ。
最後は東ドイツの博物館を紹介。
ベルリンの「シュタージ博物館」は行ってみたい。。
ホテルやレストランも紹介し、まるで旧東ドイツの観光ガイドです。
日本にある東ドイツ雑貨店も紹介していて、東京の「マルクト」というお店はワリと近いので
一度、覗きに行こうと思っています。
〈1〉が「工業品」、〈2〉が「生活用品」と分けられた2冊ですが、
このように通して読み終えてみると、〈1〉を読破したときと若干、印象が違いますね。
〈1〉では共産主義国家「東ドイツ」の歴史も含めた全体像を知ることができ、
本書ではそのような国で、共産主義者に成りきれない国民の生活を知ることになります。
その意味では、東ドイツに特別詳しくない一般の日本人に向けては、
この順番と構成が絶妙だと思いました。
なので、〈1〉と〈2〉のどっちが面白かったか・・?? と聞かれても、答えはありません。
〈1〉と〈2〉のセットで一冊というか、本として完成しているわけで、
同時発売の意味もわかりました。
過去の共産主義国家を眼でも楽しく学べる・・という、まず他に類を見ない本であり、
写真とダジャレ満載で、一見、軽く見えそうな2冊ですが、
実はシッカリとした目的を持ち、巧妙に編集された、とても優れた2冊ですね。
ちなみに本書は副題??が「共産趣味インターナショナル VOL 3」となっていて、
実は「アルバニアインターナショナル―鎖国・無神論・ネズミ講だけじゃなかった国を・・」
というさらにマニアックな、というか、ほとんど変態的な本がVOL 1としてありました。。
う~む。。アルバニア・・。気になるなぁ。。
「ニセドイツ〈3〉ヴェスタルギー的西ドイツ」を次に読むつもりでいますが、
こちらは西ドイツですから、ちゃんと「資本趣味インターナショナル」になっているトコが笑えます。
伸井 太一 著の「ニセドイツ〈2〉」を読破しました。
去年の10月に紹介した「ニセドイツ〈1〉 ≒東ドイツ製工業品」のレビューが意外なほど好評で、
その〈1〉と同時に2009年に発刊された159ページで個人的にも楽しみにしていた一冊です。
可能な限りカラー写真を使用したカタログ形式のようなこのシリーズ。
著者やダジャレなど、本書の特徴は〈1〉のレビューを読んでいただくとして、
早速、内容を紹介してみましょう。
「生活用品」がテーマの本書。まず最初に登場するのは買い物するための
国営スーパー「HO(ハーオー)」です。
1948年から東ドイツ政府の管理下として組織された商業組織であるこの「HO」。
1958年には全国統一価格が導入されたため、大安売りセールなどといったものもなく、
「ちょっと奥さん、あそこのスーパーのじゃがいも安いわよー」と盛り上がることもない社会。。
続いては、そのスーパーなスーパーで買える品々。
パンとケーキでは「小麦粉」に「バウムクーヘン」、
チョコレートも「代用コーヒー」と同様、不足するカカオ豆の代わりに麦芽や大豆が混ぜられて
ショコラーデとは言わず、公式には「ヴィタラーデ」と呼ぶ代用チョコレートです。
ちなみにハンバーガーも東ドイツでは「グリレッタ」と呼ばれたそうですが、
これは「ハンバーガー」があまりにもアメリカ的過ぎる・・という理由のようです。
食べ物に付き物なのは、もちろん飲み物です。
1941年の米国の参戦までは、第三帝国でも人気のあった「コカコーラ」の話と、
その後のドイツの発明品である「ファンタ」の話も以前に紹介していますが、
1958年に東ドイツ初のコーラ、「ヴィタ・コーラ」が発売されます。
特許申請から4年を要したこのコーラ製造の会社名は「ミルティッツ化学工場」。。
現在でも販売されているこの「ヴィタ・コーラ」ですが、
当時の味を知る人は、「まったくの別物」であるとして、
東ドイツに子供連れて旅行したことのある西ドイツのヘルガさんによると
「コーラが不味くて、子供が旅行を嫌がった」というほど、恐るべきコーラだったそうです。
ヴィトゲンシュタインも日々の生活には欠かせないビール。
ドイツビールも大好きで、その製法「ビールは麦芽、ホップ、水、酵母のみを原料とする」
ということをキッチリ守って国産ビールを呑んでいます。
日本の伝統的な製法である「米」や「コーンスターチ」が入っているものは好きじゃなく、
「モルツ」と「ヱビス」専門です。発泡酒とか第3の・・とかいう怪しい飲み物は一切ダメで、
いくら檀れいさんが好きでも「金麦」を買ったことすらありません。檀さん、ゴメンね・・。
そして原料不足でも昔ながらの製造法にこだわり続けた東ドイツのビール醸造所もあり、
特に東ドイツの「レーベンブロイ」は気になりました。
日本でライセンス生産されている「レーベンブロイ」は西ドイツはバイエルンのビールですが、
このレーベンブロイは「ニセドイツ〈1〉」に出てきたような戦争による分割といったことではなく、
ライオン(レーベ:Lowe)はザクセン州の由緒正しき紋章であり、
それにブロイ(醸造所)をくっつけただけの東ドイツの「本家」だということですね。
洗剤、石鹸、歯磨き粉と続いた後に出てきたのは、トイレット・ペーパーです。
「拷問道具」とダジャレで紹介され、「私は出来る限りトイレに行きたくなかった」と
当時の思い出を語る人・・。
新聞をクシャクシャに柔らかくしてから使った方がマシという証言もあるほどで
東ドイツのトイレット・ペーパー・ジョークもあります。
「どうして東ドイツのトイレット・ペーパーは堅いんだい?」
「それはケツの先まで真っ赤にするためさ。」
東ドイツのファッションは当時の綺麗なモデルさんのカラー写真も何枚か、
アンチ・アメリカの代名詞ジーンズの章では、
19世紀にバイエルンから米国に移住した「レヴィ・シュトラウス(Levi Strauss)」が
ジーンズを発明し、英語読みするとリーヴァイ・ストラウスとなる彼のブランド名が
「リーヴァイス(Levi's 」であることを紹介します。
そしてそんな西側の「本物」のジーンズに憧れる、東ドイツの若者たち・・。
スポーツの章も興味深かったですねぇ。
あの「コマネチ」が活躍した1976年のモントリオール五輪では、メダル獲得数で
3位の米国、4位の西ドイツを押さえ、1位の親分ソ連に次ぐ、第2位と躍進した東ドイツ。
ドーピングなんかは当たり前で、練習中の筋肉作りに多量の薬物が用いられたと言われ、
選手たちは引退後にその副作用に悩まされます。。
「カティ」という愛称で親しまれ、ホーネッカー書記長のお気に入りでもあったカタリナ・ヴィット。
2大会連続金メダルという1980年代のスケート界の女王です。
世界を飛び回る彼女は秘密警察シュタージから要請を受け、各国での情報収集をさせられます。
また、亡命を危険視されて、家族は人質として国内に留まらなければなりません。
フィギア・スケートって良くTVで観ますが、最近、あまりにもジャンプ偏重じゃないですかね?
もちろん「要素」として必要なことはわかりますが、いったいどれだけの観客が
トウループ、ルッツ、フリップ、サルコウ、ループ、アクセルといったジャンプの違いを
解説なしでわかるというんでしょう。。
トリプル・アクセル飛ぶとか、飛ばないとかが話題になっていますが、特に女子の場合は、
もっとプログラムのオリジナリティや美しさをアピールして欲しいですね。
トリノ五輪の荒川静香なんて、観てる途中で泣きそうになったほど綺麗でしたよ。
ロック、宝くじ、たばこと続いて、「共産主義エロス」の章へ・・。
東ドイツ刑法では「ポルノを広めた者は罰金、執行猶予、もしくは2年以下の禁固刑に処す」と
共産主義にとってポルノは「労働者を堕落させる悪」と考えられていたそうです。
そんな国で、「ダス・マガツィーン」、訳すと「ザ・雑誌」という名の月刊娯楽誌が
50万部を売り上げます。主に文化や生活が書かれたお上品なものですが、
「芸術作品」として女性や男性の裸体写真が数枚程度付いているのがミソ・・。
このあたりは「愛と欲望のナチズム」と似た感じがしますね。
テレビゲームの章も面白い。
西側に遅れること10年。1980年に家庭用ゲーム機「BSS01」を発表しますが、
お値段500マルクと超高価。しかし世界広しと言えども自国製のゲーム機を開発している国は
米国、日本、そして東ドイツだけです。
ですが、西ドイツの若者が「スペース・インベーダー」で地球を守っていた時に、
東では白い棒を動かして球を打ち合う「ポン(Pong)」が人気となっています。
いや~、懐かしいですねぇ。子供の頃、家で良くやりました。
ゲーセンまでも政府によって認可されていたそうですが、
唯一にして伝説の東ドイツ製アーケードゲーム機「ポリプレイ」が誕生。
そして最高の人気を誇ったゲームが「ウサギとオオカミ」で、
超有名ゲーム「パックマン」のパクリである・・。
ディズニーとナチスの関係といった本を紹介したことがありますが、
やはり東ドイツにもミッキーらしきキャラクターが存在していました。
しかし色は黄色だったり、青かったりとちょっと不気味・・。
まるで隣のデカい国における「ドラえもん」モドキの泣けるデザインを彷彿とさせます。
その他のキャラクター、それから家具の章と続いて、東ドイツをテーマにした映画。
2003年製作の「グッバイ・レーニン!」には本書で紹介されたモノも登場する良作として
最初に紹介。一度TVで観た記憶があるんですが、今見直したら、確かに面白そう。
2006年の「善き人のためのソナタ」はシュタージの監視体制がテーマになっているそうで、
コレはビックリしました。こんな邦題じゃストーリーわからんよ。。
「ニセドイツ〈1〉」でコメントいただいた1991年の「ゴー・トラビ・ゴー」も登場。
「ザクセン人が行く」という副題が良いですねぇ。
1992年には2作目も作られ、ゲーム化もされて、爆音響かせながらトラビで「ゆっくり」と走る、
謎のレースゲームということです。
いま調べたら「体験版」がダウンロードできるようですよ。
最後は東ドイツの博物館を紹介。
ベルリンの「シュタージ博物館」は行ってみたい。。
ホテルやレストランも紹介し、まるで旧東ドイツの観光ガイドです。
日本にある東ドイツ雑貨店も紹介していて、東京の「マルクト」というお店はワリと近いので
一度、覗きに行こうと思っています。
〈1〉が「工業品」、〈2〉が「生活用品」と分けられた2冊ですが、
このように通して読み終えてみると、〈1〉を読破したときと若干、印象が違いますね。
〈1〉では共産主義国家「東ドイツ」の歴史も含めた全体像を知ることができ、
本書ではそのような国で、共産主義者に成りきれない国民の生活を知ることになります。
その意味では、東ドイツに特別詳しくない一般の日本人に向けては、
この順番と構成が絶妙だと思いました。
なので、〈1〉と〈2〉のどっちが面白かったか・・?? と聞かれても、答えはありません。
〈1〉と〈2〉のセットで一冊というか、本として完成しているわけで、
同時発売の意味もわかりました。
過去の共産主義国家を眼でも楽しく学べる・・という、まず他に類を見ない本であり、
写真とダジャレ満載で、一見、軽く見えそうな2冊ですが、
実はシッカリとした目的を持ち、巧妙に編集された、とても優れた2冊ですね。
ちなみに本書は副題??が「共産趣味インターナショナル VOL 3」となっていて、
実は「アルバニアインターナショナル―鎖国・無神論・ネズミ講だけじゃなかった国を・・」
というさらにマニアックな、というか、ほとんど変態的な本がVOL 1としてありました。。
う~む。。アルバニア・・。気になるなぁ。。
「ニセドイツ〈3〉ヴェスタルギー的西ドイツ」を次に読むつもりでいますが、
こちらは西ドイツですから、ちゃんと「資本趣味インターナショナル」になっているトコが笑えます。
ドレスデン逍遥 -華麗な文化都市の破壊と再生の物語- [ドイツの都市と歴史]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
川口 マーン惠美 著の「ドレスデン逍遥」を読破しました。
何度かこの「独破戦線」では、1945年2月の「ドレスデン爆撃」について触れています。
「ドイツを焼いた戦略爆撃 1940-1945」も強烈な一冊でしたが、
以前から「ドレスデン爆撃」に特化した本を読みたいと思っていました。
本書を見つけたのもそんな経緯からですが、
シュトゥットガルトに20年来住んでいる著者が復興したドレスデンを訪れ、
無差別爆撃で廃虚となったこの街の歴史をカラー写真も交えて紹介してくれるものです。
序文では、1871年までいくつもの邦国に分かれていたドイツと、
そのひとつであるザクセン国の首都として繁栄したドレスデンの歴史を紹介。
著者は交通博物館で、空襲直後のドレスデン市内の様子をフィルムで見て、
大きな衝撃を受けます。
そして宿に選んだペンションの老夫人から、空爆の体験談を聞くことに・・。
老夫人は1945年当時、11歳の双子の姉妹。
歳の離れた2人の姉は子供も生まれたばかりで市の中心街に住んでいます。
そんな大好きな姉のところへ遊びに行き、「また明日」と別れた晩、
英国からは四発爆撃機ランカスター243機が飛び立ちます。
二波に分かれ、ドルトムントなどへの陽動攻撃も含めると、合計1180機が投入された大作戦。
午後10時、ドレスデン市内に空襲警報が鳴り響くと、寝入りばなを母親起こされた姉妹は
リュックサックを背負って地下室へ・・。
ドイツ本土はルール地方やベルリン、ケルン、ハンブルクと執拗な爆撃によって
半身不随の状態であったにも関わらず、
ドレスデンといえば、これまでわずか2回の爆撃があっただけ。
戦後、連合軍司令部が置かれる予定だ・・、とか、
チェコに割譲される予定になっているからだ・・とか、
チャーチル首相の叔母さんが住んでいるからだ・・とか、
バロック建築の文化的価値が高いから・・、という噂が、
爆撃されない理由とされています。
実際、重工業や軍需産業は存在せず、煙草やチョコレート、ガラスに陶磁器といった軽工業だけで、
せいぜい、近郊にレンズやレーダーを作る精密機械工場が存在しているのみ。
数週間前にはいくつかの高射砲は取り外されて、ライプツィヒやベルリンなどの
多くの危機に晒されている都市に移され、88㎜砲も対戦車用に東部戦線へと送られています。
そんなこともあって、今夜の空襲警報を本気にしない市民も・・。
そして大編隊による空爆が始まります。高性能爆弾で屋根を破壊してから、焼夷弾の雨・・。
あちこちで巨大なファイヤーストームが発生すると、地表では物凄い真空状態となり、
その強風と、凄まじい火力のため、たとえ火中に吸い込まれなかったとしても、
一瞬のうちに皮膚が乾燥し、血液と体液が蒸発して即死します。
さらに酸素欠乏で窒息したり、熱風を吸い込んで肺が溶けたり、破裂したり・・。
3時間後の第二波は倍以上の大編隊、529機で襲来。
この時間差攻撃は、すでに始まっている消火活動を妨害し、被害を拡大しようという意図が
あるわけですが、予想以上の大火災のため、目標を中心部から周辺地域に変更するのでした。
このようにして、第一波のあと、疎開の子供たちを乗せて発車を待っていた列車は
瞬く間に火に包まれ、子供たちは全員丸焼きに。
地下に避難していた人々も、すでに外は火の海で脱出は叶わず、地下室がそのまま棺桶に・・。
川に辿り着いた人たちは、水の上を舐めるように走る業火に晒されて、一瞬のうちに焼け死にます。
ようやく一夜が明けると、お昼には米軍による第三波である昼間爆撃が・・。
500㌧の爆弾と300㌧の焼夷弾。
これでもか・・とばかりに、エルベ河畔にいた被災者を機銃掃射で狙い撃ちします。
この第1章では、11歳の双子の姉妹の姉たちが命を落とした話だけではなく、
ドレスデン空襲という地獄から生き残った数人の回想録や
英空軍の通信記録まで掲載して、なかなか迫力あるものに仕上がっています。
興味のある方は映画「ドレスデン-運命の日」をご覧なっても良いんじゃないでしょうか。
ヴィトゲンシュタインは未見ながら有名な「スローターハウス5」、
映画よりも、小説の方を読んでみたくなりました。
63ページからは第2章、「アウグスト強王とコーゼル伯爵夫人」と題して、
ドレスデンの歴史上、最も有名な人物であるアウグスト強王と側室女性の運命を中心に、
1700年代からのザクセンの繁栄、そしてこのザクセン王がポーランド王にもなったり、
スウェーデンとの戦争、また宮殿などもカラー写真で紹介します。
第3章は「磁器」のお話。
ヴィトゲンシュタインも「なんでも鑑定団」を見ていたおかげで、
ドレスデンといえば「マイセン」であるくらいの知識はありました。
本書ではヨーロッパでは18世紀に入っても磁器を製造することが出来ず、
そのため、王侯貴族は中国や日本からの輸入品を宝石のように扱っていたという歴史から、
アウグスト強王の執念も手伝って、初めて磁器の製造に成功して、マイセンに・・。
ふ~ん。コレも面白いですね。勉強になりました。
次の章「ドレスデン美術館めぐり」では、1939年、ドレスデン美術館館長ポッセが
「総統の特別全権大使」に任命され、ヒトラーが故郷のリンツに建築しようとしていた
「総統美術館」のための芸術作品を選ぶことや、新しい作品を集め、またはユダヤ人から没収し、
ウィーンに保管してある作品を鑑定し、目録作りをする・・という話も興味深かったですね。
実はこの手の本を探しているんでけどねぇ・・。
ドレスデンの音楽の章と続き、最後の章は「聖母教会の奇跡」です。
著者が最初に訪れた時に目にした、復元工事中の聖母教会。
1743年に完成したこの教会は第1章の大空襲によって崩壊してしまいます。
そして翌月から始まった瓦礫の片づけ作業がすべて終了したのは20年後・・。
戦後、東ドイツとなったドレスデン。政府はスターリン好みの巨大な多目的ホールや、
巨大高層住宅といった東ベルリンのような復興を意図しますが、
市民はバロック建築の復元を望みます。
多くの寄付が集められ、聖母教会の瓦礫の山から使えそうな石が回収されます。
「宗教はアヘン」として教会を憎むウルブリヒトは、やはり廃墟となっていたソフィア教会を爆破し、
ドイツで最も古い教会のひとつ、ライプツィヒの大学教会も爆破するという人物です。
しかし予算不足で聖母教会の瓦礫の撤去は行われないまま、やがて東西ドイツ統一へ。。
復元にはコンピュータが使われ、使える石も同じ場所にという徹底ぶり。
2005年現在で、世界中からの寄付金は1億ユーロにもなり、
丸屋根のてっぺんには高さ7.6メートルの金色の十字架が取り付けられますが、
これを寄贈したのは、1945年にドレスデンを火の海にした英国です。
さらにこの「平和の十字架」を鋳造した人物の父親が、あの爆撃に参加していたという
とんでもない偶然も・・。
最初のドレスデン空爆以降は、18世紀からの歴史や、マイセンの陶器といった文化、
そして最後は聖母教会の修復と、第2次大戦に特化したものではありませんが、
とてもわかりやすく、かつ、勉強にもなりました。
261ページですから、1日で読んでしまいましたが、特に最後の聖母教会の件は、
以前にNHKの番組である程度、知っていたにもかかわらず、ちょっと感動してしまいました。
豪華絢爛な生活を送るドイツの王族や貴族たちですが、
その料理といえば、フランスやイタリアから料理人を連れてきて・・。
ということで、ドイツでは独自の料理が発達しなかったということです。
コレは面白いですね。
確かに「高級ドイツ料理」、「ドイツ宮廷料理」とかって聞いたことがありません。
実は「アイスバイン」も食べたことないですし、
上野のとんかつ御三家を食べて育ったヴィトゲンシュタインは、
「ウィンナーシュニッツェル」は大好きなんですが、コレ実はオーストリア料理なんですね。。
しかも、もともとは「ミラノ風カツレツ」をウィーン持ち込んだものだとか・・。
著者は「ドイツ料理万歳!」という本も書いているので、
ちょっと読んでみようか・・という気になりました。
川口 マーン惠美 著の「ドレスデン逍遥」を読破しました。
何度かこの「独破戦線」では、1945年2月の「ドレスデン爆撃」について触れています。
「ドイツを焼いた戦略爆撃 1940-1945」も強烈な一冊でしたが、
以前から「ドレスデン爆撃」に特化した本を読みたいと思っていました。
本書を見つけたのもそんな経緯からですが、
シュトゥットガルトに20年来住んでいる著者が復興したドレスデンを訪れ、
無差別爆撃で廃虚となったこの街の歴史をカラー写真も交えて紹介してくれるものです。
序文では、1871年までいくつもの邦国に分かれていたドイツと、
そのひとつであるザクセン国の首都として繁栄したドレスデンの歴史を紹介。
著者は交通博物館で、空襲直後のドレスデン市内の様子をフィルムで見て、
大きな衝撃を受けます。
そして宿に選んだペンションの老夫人から、空爆の体験談を聞くことに・・。
老夫人は1945年当時、11歳の双子の姉妹。
歳の離れた2人の姉は子供も生まれたばかりで市の中心街に住んでいます。
そんな大好きな姉のところへ遊びに行き、「また明日」と別れた晩、
英国からは四発爆撃機ランカスター243機が飛び立ちます。
二波に分かれ、ドルトムントなどへの陽動攻撃も含めると、合計1180機が投入された大作戦。
午後10時、ドレスデン市内に空襲警報が鳴り響くと、寝入りばなを母親起こされた姉妹は
リュックサックを背負って地下室へ・・。
ドイツ本土はルール地方やベルリン、ケルン、ハンブルクと執拗な爆撃によって
半身不随の状態であったにも関わらず、
ドレスデンといえば、これまでわずか2回の爆撃があっただけ。
戦後、連合軍司令部が置かれる予定だ・・、とか、
チェコに割譲される予定になっているからだ・・とか、
チャーチル首相の叔母さんが住んでいるからだ・・とか、
バロック建築の文化的価値が高いから・・、という噂が、
爆撃されない理由とされています。
実際、重工業や軍需産業は存在せず、煙草やチョコレート、ガラスに陶磁器といった軽工業だけで、
せいぜい、近郊にレンズやレーダーを作る精密機械工場が存在しているのみ。
数週間前にはいくつかの高射砲は取り外されて、ライプツィヒやベルリンなどの
多くの危機に晒されている都市に移され、88㎜砲も対戦車用に東部戦線へと送られています。
そんなこともあって、今夜の空襲警報を本気にしない市民も・・。
そして大編隊による空爆が始まります。高性能爆弾で屋根を破壊してから、焼夷弾の雨・・。
あちこちで巨大なファイヤーストームが発生すると、地表では物凄い真空状態となり、
その強風と、凄まじい火力のため、たとえ火中に吸い込まれなかったとしても、
一瞬のうちに皮膚が乾燥し、血液と体液が蒸発して即死します。
さらに酸素欠乏で窒息したり、熱風を吸い込んで肺が溶けたり、破裂したり・・。
3時間後の第二波は倍以上の大編隊、529機で襲来。
この時間差攻撃は、すでに始まっている消火活動を妨害し、被害を拡大しようという意図が
あるわけですが、予想以上の大火災のため、目標を中心部から周辺地域に変更するのでした。
このようにして、第一波のあと、疎開の子供たちを乗せて発車を待っていた列車は
瞬く間に火に包まれ、子供たちは全員丸焼きに。
地下に避難していた人々も、すでに外は火の海で脱出は叶わず、地下室がそのまま棺桶に・・。
川に辿り着いた人たちは、水の上を舐めるように走る業火に晒されて、一瞬のうちに焼け死にます。
ようやく一夜が明けると、お昼には米軍による第三波である昼間爆撃が・・。
500㌧の爆弾と300㌧の焼夷弾。
これでもか・・とばかりに、エルベ河畔にいた被災者を機銃掃射で狙い撃ちします。
この第1章では、11歳の双子の姉妹の姉たちが命を落とした話だけではなく、
ドレスデン空襲という地獄から生き残った数人の回想録や
英空軍の通信記録まで掲載して、なかなか迫力あるものに仕上がっています。
興味のある方は映画「ドレスデン-運命の日」をご覧なっても良いんじゃないでしょうか。
ヴィトゲンシュタインは未見ながら有名な「スローターハウス5」、
映画よりも、小説の方を読んでみたくなりました。
63ページからは第2章、「アウグスト強王とコーゼル伯爵夫人」と題して、
ドレスデンの歴史上、最も有名な人物であるアウグスト強王と側室女性の運命を中心に、
1700年代からのザクセンの繁栄、そしてこのザクセン王がポーランド王にもなったり、
スウェーデンとの戦争、また宮殿などもカラー写真で紹介します。
第3章は「磁器」のお話。
ヴィトゲンシュタインも「なんでも鑑定団」を見ていたおかげで、
ドレスデンといえば「マイセン」であるくらいの知識はありました。
本書ではヨーロッパでは18世紀に入っても磁器を製造することが出来ず、
そのため、王侯貴族は中国や日本からの輸入品を宝石のように扱っていたという歴史から、
アウグスト強王の執念も手伝って、初めて磁器の製造に成功して、マイセンに・・。
ふ~ん。コレも面白いですね。勉強になりました。
次の章「ドレスデン美術館めぐり」では、1939年、ドレスデン美術館館長ポッセが
「総統の特別全権大使」に任命され、ヒトラーが故郷のリンツに建築しようとしていた
「総統美術館」のための芸術作品を選ぶことや、新しい作品を集め、またはユダヤ人から没収し、
ウィーンに保管してある作品を鑑定し、目録作りをする・・という話も興味深かったですね。
実はこの手の本を探しているんでけどねぇ・・。
ドレスデンの音楽の章と続き、最後の章は「聖母教会の奇跡」です。
著者が最初に訪れた時に目にした、復元工事中の聖母教会。
1743年に完成したこの教会は第1章の大空襲によって崩壊してしまいます。
そして翌月から始まった瓦礫の片づけ作業がすべて終了したのは20年後・・。
戦後、東ドイツとなったドレスデン。政府はスターリン好みの巨大な多目的ホールや、
巨大高層住宅といった東ベルリンのような復興を意図しますが、
市民はバロック建築の復元を望みます。
多くの寄付が集められ、聖母教会の瓦礫の山から使えそうな石が回収されます。
「宗教はアヘン」として教会を憎むウルブリヒトは、やはり廃墟となっていたソフィア教会を爆破し、
ドイツで最も古い教会のひとつ、ライプツィヒの大学教会も爆破するという人物です。
しかし予算不足で聖母教会の瓦礫の撤去は行われないまま、やがて東西ドイツ統一へ。。
復元にはコンピュータが使われ、使える石も同じ場所にという徹底ぶり。
2005年現在で、世界中からの寄付金は1億ユーロにもなり、
丸屋根のてっぺんには高さ7.6メートルの金色の十字架が取り付けられますが、
これを寄贈したのは、1945年にドレスデンを火の海にした英国です。
さらにこの「平和の十字架」を鋳造した人物の父親が、あの爆撃に参加していたという
とんでもない偶然も・・。
最初のドレスデン空爆以降は、18世紀からの歴史や、マイセンの陶器といった文化、
そして最後は聖母教会の修復と、第2次大戦に特化したものではありませんが、
とてもわかりやすく、かつ、勉強にもなりました。
261ページですから、1日で読んでしまいましたが、特に最後の聖母教会の件は、
以前にNHKの番組である程度、知っていたにもかかわらず、ちょっと感動してしまいました。
豪華絢爛な生活を送るドイツの王族や貴族たちですが、
その料理といえば、フランスやイタリアから料理人を連れてきて・・。
ということで、ドイツでは独自の料理が発達しなかったということです。
コレは面白いですね。
確かに「高級ドイツ料理」、「ドイツ宮廷料理」とかって聞いたことがありません。
実は「アイスバイン」も食べたことないですし、
上野のとんかつ御三家を食べて育ったヴィトゲンシュタインは、
「ウィンナーシュニッツェル」は大好きなんですが、コレ実はオーストリア料理なんですね。。
しかも、もともとは「ミラノ風カツレツ」をウィーン持ち込んだものだとか・・。
著者は「ドイツ料理万歳!」という本も書いているので、
ちょっと読んでみようか・・という気になりました。
ニセドイツ〈1〉 ≒東ドイツ製工業品 [ドイツの都市と歴史]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
伸井 太一 著の「ニセドイツ〈1〉」を読破しました。
先日の「スターリン・ジョーク」にいくつか出てきた、東ドイツ・ジョークから
ちょっと気になっていた2009年発刊で159ページの本書に流れてきました。
タイトルの「ニセドイツ」とは「贋」ではなく、「西ドイツ」のシャレのようで、
「似せ」とか「2世」にも引っ掛けてるようです。
「ゲルマン職人魂+ボリシェヴィズム=ニシモノっぽい!」ということになるようですが、
いったい、どんな本かを簡潔に説明するのは難しいので、早速、内容を紹介してみましょう。
まずは「トラビ」という愛称の自動車、「トラバント」からです。
ヴィトゲンシュタインは車には疎いので、なんとなく聞いたことのある名前・・という程度ですが、
そういえば、TVで見たことありますねぇ。
ドイツ人マニアが何台かで集まって街中を走るってヤツでした。
1950年代に東ドイツの化学工業が生み出した熱硬化性プラスチックのボディ。
しかし80年代に物資が不足すると、紙繊維が混ぜられて「走るダンボール」のニックネームが・・。
そんな「スターリン・ジョーク」ならぬ、「トラビ・ジョーク」もいくつか紹介されます。
「トラビが最高時速になるのはいつ?」
「それはレッカー車に引かれている時だよ」。
続いては高級車、ヴァルトブルクが登場しますが、この会社の歴史が面白いですね。
アイゼナハ市の工場は戦後、ソ連占領地となりますが、戦前から関係のあった
「BMW」の商標をそのまま使って車を製造し、
西ドイツの「BMW」が敗戦によって自動車生産がストップされているのを尻目に、
オランダ、ベルギー、そして西ドイツにまで輸出。
しかし復活したバイエルン州の本家の前に、東ドイツの国営企業となっていたアイゼナハ社は
「Eisenach」の頭文字を使って「EMW」へ。。
本書にもエンブレムのカラー写真が掲載されていますが、
比較するとこんな感じ・・。赤というところが、さすが「共産主義車」です。
その他、東ドイツのワゴンにトラクター、バイクにスクーターなどもカラー写真たっぷりで紹介。
自転車の項では「自転車発祥の国であるドイツは・・」というのに驚きました。
そ~ですか。。知りませんでした。。
続いては「鉄道」です。
ベルリンの高速鉄道(Sバーン)の環状線が東京の山手線の元になっているという説に始まり、
東西ベルリンを隔てる壁が構築されても、地下には壁が存在しません。
そこで壁を越えた西ベルリン側の地下鉄は東ベルリンの駅には停車せず、
「幽霊駅」となったそれらの駅には国境警察の見張りつき。。
1926年に設立された「ルフトハンザ」も、戦後、東ドイツが民間航空会社として復活させますが、
惜しくも3か月前に、西ドイツで公式な「ルフトハンザ」が誕生しています。
ここでも結局、「BMW」と同様に敗北する「オスト・ルフトハンザ」。。
ラジオとラジカセといった電気製品。そして1952年に発売された最初のテレビ受信機は、
その名前の凄さにぶっ飛びます。その名も「レニングラード」。。
1950年代後半から、東ドイツのプロパガンダ番組を批判する
西ドイツのTV番組「赤いレンズ」が放送を開始すると、
負けじと東ドイツも、西ドイツの殺人、暴力事件、汚職、ネオナチなどのスキャンダルを扱った
日本のワイドショー的番組「黒いチャンネル」を放送します。
カメラやミシン、タイプライターと続き、70年代から進められていたコンピュータ開発。
その会社名は「ロボトロン」です。
この項でも、この「ロボトロン・ジョーク」が楽しめます。
「どうしてシュタージがロボトロン内臓の盗聴器を仕掛けたって気づいたんだ?」
「部屋にタンスがひとつ増えていて、家の入口に簡易小屋が建っていたんだよ・・」。
そして「ロボトロンこそが、世界最大の"マイクロ"・コンピュータだ!」
後半は「集合住宅」などの建築物が紹介されますが、
東ドイツの人民議会堂も兼ねた「共和国宮殿」は興味深かったですね。
ココはもともとは「ベルリン王宮」があった場所ですが
1945年、連合軍の攻撃によってこの王宮は廃墟と化し、
東ドイツ政府の意向によって取り壊されて、やがて「共和国宮殿」が建築されます。
しかし、ドイツ統一後、今度はコレが閉鎖、解体され、
現在、「ベルリン王宮」の再建工事が始まっているそうです。
東ドイツ当時の彫像、銅像といった類も、巨大なレーニン像にマルクスなど
統一後は、撤去されたものもあれば、残されているものもあるそうで、
特にヒトラー台頭時代のドイツ共産党党首テールマンの銅像の写真では
「小さく"ファイト"って感じの手がかわいい」というキャプションが絶妙です。
東ドイツ軍というのは、ほとんど何も知らなかったんですが、
「国家人民軍」というそうで、軍服などは「ドイツ国防軍」を踏襲しているそうです。
本書の写真ではよくわからなかったので、いろいろと調べてみましたが、
襟章はそのままで、軍服の色は陸軍、型は空軍って感じですか・・?
「勝手に東ドイツ国営企業カタログ!!」とも紹介されているとおり、
写真たっぷりのオールカラーで、見ているだけでも楽しい一冊でした。
159ページですから、1日2日で読み終わってしまいますが、
お値段1995円というのは最初、高いかな?とも思いましたが、この内容なら妥当ですね。
最後は現在でも旧東ドイツの諸都市には必ずあるという
1945年にヒトラーからドイツを開放してくれた「ソ連兵の顕彰と慰霊碑」が印象に残りました。
掲載された写真は「ゼーロウにあるソ連兵顕彰碑」で、
この場所は「最終戦」で有名な、あのゼーロウ高地のようですね。
コレは一度、実物を見てみたくなりました。
タイトルからしてそうですが、本文もダジャレが満載で、
人によっては少々、鼻に付くかもしれませんが、個人的には許容範囲でした。
著者は2006年から3年間、ベルリンに住んでいたこともあるようで、
単に登場する製品を専門的に分析したり、そのダメさ加減をうんぬんするだけではなく、
逆に出来の悪い物に対する愛・・も感じましたし、
戦前から東西分割、そして1989年の統一後までの関連する歴史にも言及していて、
そのような大きな歴史の中での人々の変化の過程も理解することができました。
本書と同時に発刊されたらしい「ニセドイツ〈2〉≒東ドイツ製生活用品」は
コックの料理本、ロック、宝くじ、ファミコン、エロ本、カフェ、ファッション、家具、キャラクター、
といった雑貨が中心のようで、ひょっとしたら、個人的にはコッチの方が
面白かもしれぬ・・と思っています。
また、今年の2月には、懐かしい西ドイツ製品を紹介する
「ニセドイツ〈3〉ヴェスタルギー的西ドイツ」も出ていて、コッチも気になりますね。
伸井 太一 著の「ニセドイツ〈1〉」を読破しました。
先日の「スターリン・ジョーク」にいくつか出てきた、東ドイツ・ジョークから
ちょっと気になっていた2009年発刊で159ページの本書に流れてきました。
タイトルの「ニセドイツ」とは「贋」ではなく、「西ドイツ」のシャレのようで、
「似せ」とか「2世」にも引っ掛けてるようです。
「ゲルマン職人魂+ボリシェヴィズム=ニシモノっぽい!」ということになるようですが、
いったい、どんな本かを簡潔に説明するのは難しいので、早速、内容を紹介してみましょう。
まずは「トラビ」という愛称の自動車、「トラバント」からです。
ヴィトゲンシュタインは車には疎いので、なんとなく聞いたことのある名前・・という程度ですが、
そういえば、TVで見たことありますねぇ。
ドイツ人マニアが何台かで集まって街中を走るってヤツでした。
1950年代に東ドイツの化学工業が生み出した熱硬化性プラスチックのボディ。
しかし80年代に物資が不足すると、紙繊維が混ぜられて「走るダンボール」のニックネームが・・。
そんな「スターリン・ジョーク」ならぬ、「トラビ・ジョーク」もいくつか紹介されます。
「トラビが最高時速になるのはいつ?」
「それはレッカー車に引かれている時だよ」。
続いては高級車、ヴァルトブルクが登場しますが、この会社の歴史が面白いですね。
アイゼナハ市の工場は戦後、ソ連占領地となりますが、戦前から関係のあった
「BMW」の商標をそのまま使って車を製造し、
西ドイツの「BMW」が敗戦によって自動車生産がストップされているのを尻目に、
オランダ、ベルギー、そして西ドイツにまで輸出。
しかし復活したバイエルン州の本家の前に、東ドイツの国営企業となっていたアイゼナハ社は
「Eisenach」の頭文字を使って「EMW」へ。。
本書にもエンブレムのカラー写真が掲載されていますが、
比較するとこんな感じ・・。赤というところが、さすが「共産主義車」です。
その他、東ドイツのワゴンにトラクター、バイクにスクーターなどもカラー写真たっぷりで紹介。
自転車の項では「自転車発祥の国であるドイツは・・」というのに驚きました。
そ~ですか。。知りませんでした。。
続いては「鉄道」です。
ベルリンの高速鉄道(Sバーン)の環状線が東京の山手線の元になっているという説に始まり、
東西ベルリンを隔てる壁が構築されても、地下には壁が存在しません。
そこで壁を越えた西ベルリン側の地下鉄は東ベルリンの駅には停車せず、
「幽霊駅」となったそれらの駅には国境警察の見張りつき。。
1926年に設立された「ルフトハンザ」も、戦後、東ドイツが民間航空会社として復活させますが、
惜しくも3か月前に、西ドイツで公式な「ルフトハンザ」が誕生しています。
ここでも結局、「BMW」と同様に敗北する「オスト・ルフトハンザ」。。
ラジオとラジカセといった電気製品。そして1952年に発売された最初のテレビ受信機は、
その名前の凄さにぶっ飛びます。その名も「レニングラード」。。
1950年代後半から、東ドイツのプロパガンダ番組を批判する
西ドイツのTV番組「赤いレンズ」が放送を開始すると、
負けじと東ドイツも、西ドイツの殺人、暴力事件、汚職、ネオナチなどのスキャンダルを扱った
日本のワイドショー的番組「黒いチャンネル」を放送します。
カメラやミシン、タイプライターと続き、70年代から進められていたコンピュータ開発。
その会社名は「ロボトロン」です。
この項でも、この「ロボトロン・ジョーク」が楽しめます。
「どうしてシュタージがロボトロン内臓の盗聴器を仕掛けたって気づいたんだ?」
「部屋にタンスがひとつ増えていて、家の入口に簡易小屋が建っていたんだよ・・」。
そして「ロボトロンこそが、世界最大の"マイクロ"・コンピュータだ!」
後半は「集合住宅」などの建築物が紹介されますが、
東ドイツの人民議会堂も兼ねた「共和国宮殿」は興味深かったですね。
ココはもともとは「ベルリン王宮」があった場所ですが
1945年、連合軍の攻撃によってこの王宮は廃墟と化し、
東ドイツ政府の意向によって取り壊されて、やがて「共和国宮殿」が建築されます。
しかし、ドイツ統一後、今度はコレが閉鎖、解体され、
現在、「ベルリン王宮」の再建工事が始まっているそうです。
東ドイツ当時の彫像、銅像といった類も、巨大なレーニン像にマルクスなど
統一後は、撤去されたものもあれば、残されているものもあるそうで、
特にヒトラー台頭時代のドイツ共産党党首テールマンの銅像の写真では
「小さく"ファイト"って感じの手がかわいい」というキャプションが絶妙です。
東ドイツ軍というのは、ほとんど何も知らなかったんですが、
「国家人民軍」というそうで、軍服などは「ドイツ国防軍」を踏襲しているそうです。
本書の写真ではよくわからなかったので、いろいろと調べてみましたが、
襟章はそのままで、軍服の色は陸軍、型は空軍って感じですか・・?
「勝手に東ドイツ国営企業カタログ!!」とも紹介されているとおり、
写真たっぷりのオールカラーで、見ているだけでも楽しい一冊でした。
159ページですから、1日2日で読み終わってしまいますが、
お値段1995円というのは最初、高いかな?とも思いましたが、この内容なら妥当ですね。
最後は現在でも旧東ドイツの諸都市には必ずあるという
1945年にヒトラーからドイツを開放してくれた「ソ連兵の顕彰と慰霊碑」が印象に残りました。
掲載された写真は「ゼーロウにあるソ連兵顕彰碑」で、
この場所は「最終戦」で有名な、あのゼーロウ高地のようですね。
コレは一度、実物を見てみたくなりました。
タイトルからしてそうですが、本文もダジャレが満載で、
人によっては少々、鼻に付くかもしれませんが、個人的には許容範囲でした。
著者は2006年から3年間、ベルリンに住んでいたこともあるようで、
単に登場する製品を専門的に分析したり、そのダメさ加減をうんぬんするだけではなく、
逆に出来の悪い物に対する愛・・も感じましたし、
戦前から東西分割、そして1989年の統一後までの関連する歴史にも言及していて、
そのような大きな歴史の中での人々の変化の過程も理解することができました。
本書と同時に発刊されたらしい「ニセドイツ〈2〉≒東ドイツ製生活用品」は
コックの料理本、ロック、宝くじ、ファミコン、エロ本、カフェ、ファッション、家具、キャラクター、
といった雑貨が中心のようで、ひょっとしたら、個人的にはコッチの方が
面白かもしれぬ・・と思っています。
また、今年の2月には、懐かしい西ドイツ製品を紹介する
「ニセドイツ〈3〉ヴェスタルギー的西ドイツ」も出ていて、コッチも気になりますね。