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ヒトラーの絞首人ハイドリヒ [SS/ゲシュタポ]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ロベルト・ゲルヴァルト著の「ヒトラーの絞首人ハイドリヒ」を読破しました。

前回、ホト爺の回顧録を読み終えて、この2年の間にグデーリアンやロンメル、
マンシュタインの本が出版され、次はナニを・・と書きましたが、
独破戦線の休止期間中には第三帝国の軍人だけではなく、
ナチス幹部らに関する本も何冊か出ていました。
例えばローゼンベルクだったり、フライスラーだったり・・。
ですがココは1年半前に出版された、524ページに及ぶハイドリヒ伝を選んでみました。

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まず巻頭には20枚ほどの写真が・・。
ヒムラー、ゲーリング、カール・ヘルマン・フランクらとの有名な写真から、
パパ・ハイドリヒ、姉マリアとの可愛らしさ溢れる2ショットなどです。

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そして第1章は「プラハに死す」。
おっと、主役がいきなり暗殺されてしまうとは。。
この章は20頁に簡潔に書かれており、以前に「暁の七人-ハイドリッヒの暗殺-」や
HHhH -プラハ、1942年-」など、いろいろ紹介してるので割愛します。
そういえば、『ハイドリヒを撃て 「ナチの野獣」暗殺作戦』、まだ観てないですよねぇ。

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第2章は「若きラインハルト」で、父ブルーノの生い立ちから、音楽学校を創設し、
かなりの財力と社会的地位をもった家庭に生まれたラインハルト。
家長として家業を継ぐべく、幼少期からピアノにバイオリンのレッスンを始めます。
しかし1922年、第1次大戦後のインフレ、音楽学校経営の悪化・・という事実の前に
海軍士官の道を歩むことを決意するのでした。。

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1930年には美しい19歳の金髪女性リナ・フォン・オステンとの運命的な出会い。
恋の虜となったラインハルトは早速、リナに手紙を書きます。
「ぼくの最愛の最愛のリナ! 
ぼくはきみに知ってほしかった。ぼくがきみのことばかり考えてるってことを。
ああ、どんなに深く愛していることか、きみを、きみを!」

書いてる方が恥ずかしいのでコレくらいにしますが、
この当時、リナは確信的なナチ党支持者でバリバリの反ユダヤ主義者、
兄のハンスは3年の党歴を持ち、突撃隊(SA)のメンバーなのでした。

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そしてコレまた運命的なベルリンの「女性問題」が発覚します。
本書でも「このベルリンの女性の身元について確実に言えることは、
彼女の父親が海軍上層部に密接なコネクションを持っていたに違いないと
いうことぐらいである」とハッキリしませんね。

ラインハルトの裏切りによって「神経症」になってしまった娘の父親は、
海軍総司令官のレーダーに訴状を提出したことで、軍事名誉法廷で
事情説明を求められたハイドリヒ。
「婚約不履行」は士官の即刻罷免に繋がるほど重大な違法行為ではないものの、
「相手女性が性的関係をリードしたのだ」と主張し、結婚の約束も否認。
自分には何の落ち度もないかのような口ぶりが、3人の海軍軍人の神経を逆なでし、
最終的にはレーダー提督の裁きによって「直ちに罷免」。。

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桧山 良昭 著の「ナチス突撃隊」には、
1931年にヨットに乗りたくて入党したSA船舶隊長、ハイドリヒ・・
という記述があってビックリしましたが、本書でもそのような経緯はなく、
とりあえずSSのヒムラーと面談し、無事、舎弟となったハイドリヒ。
ハンブルクのSSで勤務する新人ハイドリヒは、暴れ加減では経験豊富で、
後に盟友となるシュトレッケンバッハに出会い、
共産党などの演説会場への「殴り込み部隊」のリーダーとして急速に悪名を獲得。
ハンブルクの共産党員からは「金髪の野獣」と呼ばれるように・・。
確かにこの章タイトルは「ハイドリヒ誕生」でした。。

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ヒムラーが「美しいカップル」と呼んだ、新婚のハイドリヒ夫妻は
ミュンヘン郊外に小さな家を借ります。
そんな新生活も若奥さんのリナにとっては新しい環境の中で孤独の日々。
旦那は新設の「SD」の職務に忙殺されて、家にいる時間はごくわずか。
オマケに旦那の上司ヒムラーの奥さん、マルガレーテとちょいちょい顔を合わせるも
「陳腐な、ユーモアのない女性」と評して、好きになれず・・。

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1934年春までにドイツの州のほとんどの政治警察組織を管理下に置いた
ヒムラー&ハイドリヒのコンビですが、最も重要なプロイセン州のゲシュタポ
仕切っているゲーリングをだまくらかしてなんとか掌握。
ハイドリヒはバイエルンの政治警察からハインリヒ・ミュラーヨーゼフ・マイジンガー
といった信頼する部下を呼び寄せます。
こうしてレームとSAの粛清、「長いナイフの夜」へ。

勝利と成功を証明したSSがより強力になることをよく思わない勢力も存在します。
内相のフリックはドイツ警察に対する自分の権威がヒムラーとハイドリヒによって
切り崩されていることに苛立ち、レーム事件で数名の将軍が殺害された軍部も同様。
他方、陸軍保守派をイデオロギー的に信用し難いと考えるヒムラー&ハイドリヒ。
もちろん軍の情報部門アプヴェーアのカナリスとの駆け引きも始まってきます。

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また奥さんリナの戦いは1937年になっても続いています。
それは頻繁にハイドリヒ家を訪れるヒムラー夫妻。
マルガレーテはSS全国指導者の妻としての風を吹かせてリナに説教し、
「リナと離婚するようハイドリヒに言ってほしい」と旦那に迫るほど。。ひぃぃ、コワイ!

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オーストリア併合では、ウィーンに一番乗りした人々の中にヒムラー&ハイドリヒがおり、
一斉逮捕の第一波の指揮と、オーストリア警察の「浄化」に取り組む様子が詳しく。
このあたりは今まで読んだ記憶がなく、興味深かったですね。
続くズデーテンラント問題では、両国政府が全面動員を開始するなか、
ハイドリヒは「アインザッツグルッペン」2個の結成を承認。
次のポーランド戦では、ドイツ軍の侵攻3時間前に書かれたリナ宛ての遺言書が
1ページに渡って掲載されており、コレはかなり印象に残ります。
3回読み直しちゃいました。

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第6章「大量殺戮の実験」は、ポーランド戦での「アインザッツグルッペン」の様子が。
ハイドリヒが視察した部隊はシュトレッケンバッハとウード・フォン・ヴォイルシュ。
抵抗分子には最大限の過酷な手段によって対処すべきだと繰り返し、
ユダヤ人については徹底的に弾圧し、独ソ境界線を越えて東方への逃亡を仕向けるよう
命令するハイドリヒと、そんな任務にうってつけの男であるヴォイルシュ。
数日間で500人のユダヤ人の命を奪い、シナゴークで焼殺、農村部で銃殺と努力を倍加。

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西プロイセンではヒムラーの個人副官ルドルフ・フォン・アルフェンスレーベン指揮のもと
4000人以上のポーランド人を殺害して、特別の悪名を獲得するのでした。

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翌年の「西部戦線」はハイドリヒにとっては敗北の日々。
なぜならポーランド戦でアインザッツグルッペンが過度の暴力を振るったことで
陸軍がSSの参加を拒否。まぁ、武装SSとは別の・・という意味でしょうね。

そんなわけでノルウェー戦線で一時的にドイツ空軍に参加する許可をヒムラーに求めます。
1935年からスポーツパイロットとしての訓練を受けており、ポーランド上空で
射撃手として空戦デビューを果たしていたハイドリヒ。
表向きはどこかの部隊の空軍大尉ということで、4週間、「戦闘機中隊77」に所属して
退却するノルウェー軍を空から襲撃し、同僚士官と酒を酌み交わし、トランプに興じたり。

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「自分は元気です」とヒムラーに報告すると、
「終始、君のことを考えている。元気でいて欲しい。
もう一度、君の健勝と無事を祈る!
できることなら毎日便りをしてもらいたい」
と、直ちに返信を送るヒムラー。変な想像はイケませんぜ。。

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さらに「バトル・オブ・ブリテン」の航空作戦にもハイドリヒは参加するつもりであり、
英国を征服した際には、アインザッツグルッペンの責任者にはジックスを任命。
ゲシュタポ用のハンドブックを作成しているのはシェレンベルクです。
「GB特別捜査リスト」として挙げているのはチャーチルやイーデンといった政治家の他に
H・G・ウェルズの名前まで・・。
もはや「SS-GB」の世界の一歩手前といった感じですね。

翌1941年は再び、ハイドリヒと彼の「アインザッツグルッペン」の出番がやって来ます。
陸軍補給局長エドゥアルド・ヴァーグナーと交渉し、SSと国防軍の協力で合意します。

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ネーベラッシュオーレンドルフが率いる各部隊に、
シュターレッカーのA部隊の17人の指導的将校のうち11人は法律家であり、
9人は博士号取得者で、古参党員も多く、ハイドリヒのSDで昇進してきた
40歳未満の高学歴者が中心。彼らは無慈悲さと実践主義を体現したのです。

6月11日、ヒムラーはヴェーヴェルスブルク城にSSの大物たちを招集します。
ハイドリヒにダリューゲヴォルフ、そして占領下ソ連領を管理するために任命された
SS・警察高級指導者のプリュッツマンバッハ=ツェレウスキイェッケルン
席上、「東ヨーロッパ住民が3000万人は死ぬだろう」と述べるヒムラー。
いや~、スゴイ面子の会議だ。「ヴァンゼー会議」より興味があります。

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バルバロッサが始まり、前線後方でパルチザン活動が勢いを増し始めると
国防軍も虐殺行為に対して寛容になったばかりか、自身も喜んで参加するように。
ハイドリヒがアインザッツグルッペンの視察に訪れれば、上司にイイトコ見せようと
いつもより多く殺してしまうのも理解できます。。

そんなころ、ハイドリヒに衝撃的な決定が・・。
対ソ連終結のあかつきには、占領地域は「東部占領地域大臣」ローゼンベルク
全面的統括下の文民機関によって統治されるというヒトラーの決定です。
SSは新占領地域の治安維持業務に限定されたことで、ハイドリヒはさしずめ
ローゼンベルクとSSの連絡将校というショボイ立場に。。

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ローゼンベルクの新占領地域はいくつかの管区に分けられ、各々に特別委員が任命。
その特別委員を絶対的ライバルと見るハイドリヒ・・。
オストラント帝国管区のヒンリヒ・ローゼ、
ウクライナ帝国管区は肥満漢エーリヒ・コッホ
白ルテニアの行政委員となったヴィルヘルム・クーベは虚栄心が強く腐敗した男で、
1935年にハイドリヒが彼の身辺を捜査した結果、横領で有罪となり、
一時、党の全役職を剥奪されたことでハイドリヒに恨みを抱いている男。
ただナチ党歴が古いというだけで東方での重要な地位に任命されている連中に、
ハイドリヒは嫌悪感を覚えるのでした。

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今度はヒムラーに内緒で、Bf109に乗り込んだハイドリヒ。
この機はウーデットから、夜間の空襲中にベルリンを通行する特別の警察許可を
与えるのと引き換えに借りていたようですが、辿り着いた部隊はまたも「戦闘機中隊77」。
コレは翻訳の問題か、おそらく第77戦闘航空団(JG77)だと思います。

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そしてハイドリヒは対空砲火により被弾し、ロシア軍前線付近に不時着。
数時間後、斥候兵が不時着したパイロットを救出の報告が入ります。
しかしそのパイロットは外傷はないものの、脳に損傷を受けている可能性が・・。
自分のことを「RSHA長官」だと言い続けている。。
この直前に英国へ飛んで行き、「自分はナチ党副総裁だ」と言った人を思い出しますねぇ。

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アルコール依存や精神障害の例が見られるとの報告を頻繁に受け、
銃殺というアインザッツグルッペンの処刑方法に疑念が出始めると、
いよいよアイヒマンだのガス・トラックだのガス室だのという「ホロコースト」が。
「狂信的で陰険なオーストリア人」と紹介されるのはグロボクニクです。

このように、後世にも名を残す極悪非道のアインザッツグルッペンを指揮し、
ユダヤ人問題の最終的解決を目指す「ヴァンゼー会議」も紹介されたあと、
337頁から第8章「保護領の支配者」が始まります。

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ちなみに本書はこれまで語られてきたハイドリヒのイメージ、
すなわちシェレンベルクが「凄まじく野心的」、カール・ヴォルフが「悪魔的」と評した
金髪の野獣ハイドリヒのイメージを踏襲するような伝記ではなく、
あくまで現存する公的な資料、残された手紙、理性的な証言を元に書き起こされており
逆に言えば「ハイドリヒってどんだけ悪い奴やねん・・」という極悪人エピソードの連発に
思わず苦笑いしながら楽しむ本ではありません。
裏の取れないハイドリヒ極悪人伝説は極力排除し、あるいは有名な逸話を紹介した場合でも
「証明されていない」と、あくまで「噂」の域を出ないことを明確にします。

まだバルバロッサとアインザッツグルッペンが進撃中の1941年9月、RSHA長官としての
職はそのままに、ベーメン・メーレン保護領副総督に任命されたハイドリヒ。
総督ノイラートの緩い保護政策を回復させるだけでなく、ベルリン、ウィーンと並び、
プラハが「ユダヤ人ゼロ」とされるべき主要都市の一つとしてヒトラーが選んだことによる
人選であり、それを急速に実行するのにうってつけだったのがハイドリヒ・・というのが
著者の見解です。ふ~ん。なるほどねぇ。。

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この対ソ戦の勝利を目前としてベルリンから離れざるを得ないハイドリヒですが、
SS大将及び警察大将に昇進し、口うるさい占領地行政官やガウライターらとの軋轢もなく、
思いっきり自身のSS政策を実行でき、なにより、保護領総督の地位は「総統直属」であり、
ヒトラーとの直接の接触の道を開いたということになるわけです。

そして保護領内の4つの大管区、ズデーテンラント、オーバードナウ、ニーダードナウ、
バイエリッシュ・オストマルクの外見に加え、知的能力も劣ったガウライターらに
攻撃を開始し、最も頑強な抵抗者ニーダードナウのフーゴ・ユリを名指しして、
自分の計画を混乱させる元凶だと痛罵。
非協力的なナチ党官吏たちも容赦なく解任するのでした。

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抵抗運動の抑え込み以外にも重要な仕事、それは「保護領のゲルマン化」です。
チェコ人は基本的にスラヴ民族とされているわけですが、SS人種専門家の意見では
チェコ住民の相当数は本来ドイツ系であり、ほぼ50%は貴重なゲルマンの血を
保持しているというもの。
本土からの入植によってドイツの血を再獲得し、増大させることが必要なのです。
例えばドイツ人と結婚したチェコ人女性から生まれてきた子供はドイツ人といった具合。
しかし事柄を複雑にしたのはスラヴ人とは何か、ドイツ人とは何かについて、
なんら明確な定義が無いという事実にハイドリヒも悪戦苦闘。。

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1942年3月にはハイドリヒの親密な仲間でありアインザッツグルッペンの指揮官であった
シュターレッカーがパルチザンに殺害されるなど、占領下各地で抵抗運動が激化。
5月、軍政の敷かれたパリでもSSが権力拡大を目指し、ハイドリヒのかつての個人副官
オーベルクを責任者に据えると自身もパリへ飛び、ホテル・リッツで就任式を主宰します。
こうして運命の5月27日の朝をプラハで迎えることになるのでした。

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最後の第9章は「破壊の遺産」
ハイドリヒの国葬の様子が詳細に、そして報復となる「リディツェ村の惨劇」と続き、
デスマスクをあしらった「ハイドリヒ記念切手」が発売。
翌年には米国で「死刑執行人もまた死す」が上映。
また、亭主を失ったリナの生活とその戦後。



今回は初めて本書で知った、または興味深いエピソードを中心に紹介しました。
本書でも途中、触れられていたと思いますが、とにかく警官の経験もなく、
警察の仕事は知らない、あるいは一つの国を統治するなどという行政の経験もない
ハイドリヒが次から次へとそれらをこなしていくというのは、単に能力だけではなく、
膨大な仕事量であり、どれだけのエネルギーが必要だったかは、
社会で仕事をした人なら容易に想像がつくでしょう。

しかも「ヒムラーとヒトラー 氷のユートピア」という本がありましたが、
彼らの夢想を実現する、現実化するのがリアリストであるハイドリヒであり、
その部下をコントロールする手腕と、敵対する官庁への根回しや調整能力といったものも
抜群だったのではないか・・と想像できます。

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ヒムラーのように1900年生まれとか、ハイドリヒのような1904年生まれというのは
ちょっと兄貴の世代、5歳年上、場合によっては1歳年上の人が第1次大戦に従軍しており、
男として、その軍人としての経験を味わうことなく育ったという劣等感がある気がします。
軍の前線に追随し、命の危険もあるアインザッツグルッペンに若いエリートを派遣したり、
今次大戦が続いているうちに、戦闘機パイロットとして活躍しておきたいという願望など
単にSSという組織で出世することだけが目標ではない、
自身の理想とする男としての渇望がハイドリヒを一心不乱に向かわせたのではないか?
そんな風にも感じました。

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例えばプラハで護衛も付けずにオープンカーに乗っていたのも、
私がドイツ国民に襲われるわけがない」と公言し、オープンカーに乗っていた
1930年代のヒトラーを彷彿とさせますし、襲撃された際も、
全速力で逃げればよいものを、わざわざ停車させて拳銃を抜き、自ら暗殺者を
倒そうとする行動は、ここまで成り上がって来た彼の生き様そのものにも思えます。

良くも悪くも、丸々1週間ほどハイドリヒと向き合う生活を送り、
精神的にもグッタリと疲れた1週間となりました。










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秘密警察 ゲシュタポ -ヒトラー帝国の兇手- [SS/ゲシュタポ]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

E.クランクショウ著の「秘密警察 ゲシュタポ」を読破しました。

遂に4冊目となった「ゲシュタポ本」の紹介となります。
原著は「ゲシュタポ・狂気の歴史」よりもさらに古い、1956年というものですが、
あちらの翻訳版が2000年に再刊されたのに対して、1972年発刊で294ページの本書は、
なかなか綺麗な古書が見つからなかったために、お預け状態となっていました。
今回は帯付きの綺麗なものを800円で購入できましたが、
我ながらゲシュタポ好きだなぁ・・と呆れ気味です。。

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第1章で「ゲシュタポの誕生」に4ページ触れた後、「ヒムラーとSS」の章で
本格的に本文が始まります。
簡単にヒムラーの生い立ちを紹介しますが、いきなり
「ヒムラーの人間性を分析しようとする試みはすべて失敗に終わっており、
成功するはずがないと思っている」と、
正常な人間が、狂人を理解することは不可能・・ということのようですね。
ユダヤ=ボルシェヴィキが「人間以下の動物」であるという信念のもとに、
強制収容所で身の毛もよだつ人体実験を行ったとして、ヒムラーの秘蔵っ子である
ダッハウの勇者」ジークムント・ラシャー空軍医師が行った低体温実験なども紹介。

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しかし「単なる動物」に対しては心優しいヒムラーは、狩り愛好家のゲーリングを非難します。
「あの血に飢えた犬の畜生は動物と見れば手当たり次第に殺してる」と
鹿狩りで失われる命を「可哀想に・・」と専属マッサージ師のケルステンに語るのでした。
本書は主にニュルンベルク裁判の公式記録を参考にしていますが、
このようにケルステンや、V2ロケット開発のドルンベルガーの回想録も引用して進みます。

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続く章は「ハイドリヒとSD」です。
ゲシュタポ物では常にヒムラーとセットで登場するハイドリヒ
部下とか右腕とかいう表現では計り知れないこの人物については、
「バイオリン、スキーフェンシング、諜報技術、さらには飛行機の操縦と、
手を出したものすべてを完璧にやり遂げさせたものは、なんとしても他人に負けまいとする
止むことのない野望であり、彼はそのために狂うほど頑張ることが出来た」として、
ハイドリヒがもし暗殺されなければいつかは「総統」になったであろう・・
という話題の現実性を検討し、このように結論付けます。
「彼は総統の地位に必ず挑戦する。しかし、それが成功する前に、
ヒムラーが彼の首をへし折るように手を回すのも、同じように確実である」。

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このようにヒムラーとハイドリヒという2大人物を紹介した後で、
1933年、プロイセン内務大臣となったゲーリングによってプロイセン政治警察が
ゲシュタポとして生まれ変わり、後にヒムラーとハイドリヒの手に渡って完成するといった
いわゆる「ゲシュタポの歴史」へと進んでいきますが、
もちろん過去に紹介したものと大筋は変わりません。
しかし本書はこの歴史の前半戦の攻防が細かくて非常に楽しめました。

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プロイセンの警察長官に任命されたのは若いSS大将ダリューゲですが、
ゲーリングにしてみれば、個人的に必要な「恐喝装置」との間にSSを割り込ませたくありません。
そこでナチ党との関係もなく、プロイセン警察で反共活動担当だった33歳のディールスを抜擢し、
プロイセン内務省の分局として独立させ、ゲシュタポとして大臣官房へ編入。
これによって、ヒムラーの子分のSSどもに干渉されずに
自らの敵を恐喝することが出来るようになります。

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ディールスに率いられた幼いゲシュタポは、当時はまだ犠牲者を逮捕しては
SA(突撃隊)の収容所所長に引き渡すのが仕事。
巨大だった褐色のSAや、黒のSS連中の暴力と残忍さは持っていません。
プロイセンのゲーリングvsバイエルンのヒムラーの警察権力の代理戦争に
巻き込まれたようなディールスはSA、SSに逮捕された人々を救ったり、
SA、SS幹部と口論したりと権力闘争が続きます。
最終的に敗北したディールスは戦後、「悪魔が戸口に来た」という回想録を書いているそうで、
本書は参考にしていますが、コレは面白そうですねぇ。

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「作られた無秩序」と題された第6章も非常にうまく書かれています。
ドイツは西欧の国としては昔から警察権力が強かったそうで、プロイセンでは
ネーベが長官となった刑事警察(クリポ)に、ゲシュタポとなった政治警察の2つの私服部門、
制服組は秩序警察(オルポ)に保護警察(シュポ)。
独立したゲーリングのゲシュタポ以外は警察長官のダリューゲの指揮下にあるわけですが、
SSのヒムラーのベルリンにおける代行者であるダリューゲは、
彼がヒムラーに対して責任を負うのは「ベルリンSS隊長」としてだけであり、
「プロイセン警察長官」としての官職はゲーリングに対して責任があるんですね。

SS-Gruppenfuehrer Kurt Daluege, a commander of the Sipo.jpg

まぁ、相変わらずのナチ国家・・というか、SSはナチ党の組織であり、
ゲシュタポを含む警察は国家の組織。
両方を兼務している人間がこれから多くなると、ヴィトゲンシュタインもいつも混乱しますが、
著者は「もし、読者が名目上の権限と行政の権限の奇妙な重複と分割に閉口したとすれば、
事情通になったと自負してよろしい。著名な法律家が集まったニュルンベルク裁判でさえ、
もつれをほどき、体系の輪郭を明らかにすることは出来なかった。
なぜか?そもそも明確な輪郭が存在しなかったからである」。

これは国家と行政を推進し、改革できる有能な人材が必要なのは当然ながら、
暴力しか取柄の無い古参党員にも、それなりの役職を与えねばならなかったという
ヒトラーの問題もありますし、ゲーリングのようにヒムラーのような小僧をバカにして、
その最期までSS嫌いだったという、幹部のライバル争いも要因だったと改めて感じました。
もし、ヒムラーがゲーリングに「名誉SS元帥」なんていうスーパー名誉職を与えようとしたなら、
ゲーリングは受けたんでしょうかね?

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1935年になってディールスの後任にヒムラーとハイドリヒがやって来ると、
ゲーリングもすべてを手放すことになり、お互いの共通の邪魔者である、
SAとレームの粛清に進むことになります。
そして「国家秘密警察=ゲシュタポ」は、同じハイドリヒ指揮下の「ナチ党保安防諜部=SD」と
ガッチリ手を結び、一体の組織として、恐るべき権力を持ったナチス警察が誕生するのでした。

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1936年にはSS全国指導者ヒムラーがドイツ警察長官となり、
ゲシュタポもハイドリヒを長とする国家保安本部(RSHA)に再編されて、
こうなると、もはやドイツ国内に敵は存在しえません。
彼らの次なる敵は、ユダヤ人であり、「水晶の夜事件」と、併合したオーストリアやチェコ、
そしてポーランドのユダヤ人絶滅へと向かいます。

Himmler_Heydrich_Daluege,Vienna, Austria, March 16, 1938.jpg

本書も半分あたりまで来ると、ゲシュタポ長官のミュラー、ユダヤ人移送の責任者アイヒマン
その移送先でゲシュタポの管轄から離れたクラーマーコッホズーレンヘースといった
名だたる強制収容所の所長たち、彼らの上官であるグリュックスポールといった責任者、
ヴィルトグロボクニクといった悪名高い警察幹部。
さらには「バービイ・ヤール」のブローベルやイェッケルン、オーレンドルフといった
アインザッツグルッペン関係者全員集合・・となりますが、
今回は端折って、ゲシュタポらしい部分を紹介しましょう。

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まずはゲシュタポの「平常業務」である拷問です。。。
もうゲシュタポ、イコール、拷問というくらいの代名詞ですから、
一部のサディストだけが行ったものではなく、彼らが訓練を受けたという拷問が
いくつか紹介されていました。
ソ連の拷問は「自身の罪を告白」させるために行われますが、
ゲシュタポの目的は「別の人物について」口を割らせるために行われます。
腎臓を殴り続けたり、顔が肉塊になるまで蹴り続けたり、
足の爪をひとつひとつ剥がしたりするのはごく当たり前。

Torture devices used by Gestapo.JPG

鞭打ちに、はんだごてを用いて火傷、氷の水槽に投げ込んで窒息。
頭を締め上げる鉄バンドに、後ろ手に手錠をかけて引き上げ、長時間放置
睾丸の捻転は常習的。小型の装置を使って睾丸を押し潰すのでさえ、一般的・・。
直腸とペニスに固定した電極に電流を流すというテクニックもあるそうですが、
コレをされると、ナニがどうなるんでしょうか??
また彼らの得意技は隣りの部屋で女囚を拷問し、その声が自分の妻だと思わせる心理作戦です。

Gestapo behaviour towards women and young girls.JPG

フランスのゲシュタポではオーベルククノッヘンが活躍します。
占領軍に危害を加えた報復として、合計3万名ものフランス人が銃殺され、
1941年10月にナントの軍指揮官を背後から射殺した事件の贖いとして、
人質50名が射殺された件では、名簿を準備したのがヴィシー政府の内相
ピュシューだったということです。
戦後、絞首刑となったとありますが、自分で銃殺隊を指揮した人ですね。

gestapo-paris.jpg

最後にゲシュタポといえば「大脱走」。本書にもこの件が登場します。
ヒトラーの緊急個人命令に基づき、「脱走将校の半数以上は再逮捕後、射殺さるべし」
との命令をハイドリヒ亡き後のRSHA長官、カルテンブルンナーから渡され、
衝撃を受けるのは、ドイツ国外まで及ぶ捜索を担当していた刑事警察長官ネーベです。
すでに軍司令部とゲシュタポのミュラーも同様の命令を受けていたそうですが、
ひょっとしたら映画でバス停に張り込んで、ビッグXとマックを英語で引っ掛けたおっさんは
正確にはゲシュタポじゃなくて、クリポなのかも・・。

MacDonald, having earlier in the film warned a fellow prisoner about inadvertently responding in English, is here caught out by a Gestapo agent using the same trick.jpg

しかしゲシュタポ物っていうのは、やっぱりそれに特化するのが難しいようですね。
まず、SDとの関係、それからRSHAとしての一組織、そして強制収容所・・と、
SSのあらゆる組織とも密接に関係していますし、場合によっては国防軍も。。
早い話、ゲシュタポ単独で成し遂げる仕事というのはほとんどないにも関わらず、
ホロコーストを含めた、あらゆる問題に関与していたと言えるでしょう。

本書では、そういうことを踏まえたうえで、アウシュヴィッツなども取り上げていますが、
あくまで戦後わずか10年のその時代が求める内容だと思いますし、
それらの細かい話は「別の書籍を参照されたい」と最低限に止めて、
極力、ゲシュタポそのものを解明しようと心がけているのが好感が持てるところでした。




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ヒムラーとヒトラー -氷のユートピア- [SS/ゲシュタポ]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

谷 喬夫 著の「ヒムラーとヒトラー」を読破しました。

2000年発刊で250ページの本書は以前から気になっていた一冊です。
それと言うのも、タイトルが「ヒトラーとヒムラー」ではなくて、「ヒムラー」が先・・ということなんです。
だいたい、「ヒトラーなになに・・」という本は世の中に氾濫していて、「独破リスト」でも増殖中・・。
しかし、ヒムラーうんぬん・・というタイトルの本はほとんどありません。
副題の「ユートピア」からイメージされるように、ヒムラーが東方に求めた
オカルト的なユートピアと、その思想について研究しているもののようです。

ヒムラーとヒトラー.jpg

序文では、「本書はナチズムをユートピアとして理解しようとする試みである」と述べ、
その対象はヒトラーとヒムラー、2人の口から語らせようとしています。
すなわち、「わが闘争」や演説など、記録に残っている物を分析していこうという姿勢ですね。

第1章では、彼らのユートピア思想を理解する前に、帝国主義や社会ダーウィン主義、
第1次大戦に参加したドイツ・ユダヤ人10万人、
そのうち1/10以上が戦場に散った・・という話を紹介。
ナチスの反ユダヤ主義が始まる前に、ちょっとお勉強という感じです。
続く第2章では、ヒトラーがナチ党党首となり、1920年頃の演説の反ユダヤ主義に関する部分を
2ページほど抜粋し、「ユダヤ人は国民の血を吸うヒル」、
「国際金融資本とボルシェヴィズムはユダヤ人に操られている・・」という妄想を解説します。

Typical of Nazi propaganda, Der Ewige Jude.jpg

ヒトラーと電話をするときさえ、直立不動の姿勢を取ったというヒムラー
その生い立ちから、8歳年上のマルガレーテとの結婚から別居までを簡単に・・。
そして1931年、30歳以下の社会民主党員の割合が19%だったのに対し、
40万人を越えたナチ党員のその割合は40%であったという、若い世代に魅力があったとする数字。
官僚制支配を嫌うヒトラーによって、ある程度の自由裁量を持った適任者が都度、任命され、
巨大な国家と社会制度の中で、複雑な権限と機関、幹部との競合、
そして混乱をもたらすことになった・・と簡単にわかりやすく記述しています。

Hitler, Heinrich Himmler, Viktor Lutze, Adolf Hühnlein and other Nazi leaders attend a cornerstone ceremony at the Fallersleben Volkswagen Works on 25th June 1938.jpg

詳しく書かれるのはヒムラーの権限です。
ゲシュタポの歴史から武装SSブロムベルクとフリッチュ事件
片腕ハイドリヒも写真付きで登場し、
「われわれの闘争の変還」という1935年に出版された小冊子でハイドリヒが述べた、
SS隊員に向けた心構えともいえる内容を1ページほど掲載。
「敵をあらゆる領域から最終的に駆逐し、壊滅させ、血においても精神においても、
ドイツを敵の侵入から護るために、なお数年の激しい闘争を必要としている」。

Reinhard Heydrich and Werner von Blomberg at party.jpg

レーム率いる巨大で野蛮なSA(突撃隊)を粛清し、黒服に「忠誠こそ我が名誉」という
マゾヒスティックなスローガンで、中世の騎士団風エリート集団を作り上げようとするヒムラー。
さらに怪しげな歴史神秘主義と似非ロマン主義化を試み、敬虔なカトリック家庭で育った彼は、
キリスト教とゲルマン人についても都合の良いように解釈。
自らをハインリヒ一世の生まれ変わりと考え、ヴェーヴェルスブルク城での神秘的な儀式も・・。

Heinrichs-Feier, Heinrich Himmler.jpg

また「その祖先だけを信じている民族がどれほど勇敢か・・。日本を見よ!」と戦士階級であり、
家系を名誉として自決さえためらわないサムライのあり方からもアイデアを得るのでした。
「日本人からサムライの刀を贈られた・・」というシュペーアの回想録での話も思い出しますね。

samurai.jpg

情け容赦ない、非情な絶滅戦争となった独ソ戦については、
もとはアジア由来のチンギス・ハーンによってもたらされた野蛮への防御と考え、
「スターリンは新しいチンギス・ハーンであるとヒトラーは考えていた」・・というのは面白いですね。
そしてチンギス・ハーンの書物を総統からプレゼントされたヒムラーは
このモンゴル帝国の王が戦時に示した残忍さ、皆殺しに徹底的な破壊に魅せられ、
人間の生命をネズミほどにしか考えなかったハーンに
恐れと尊敬の入り混じった感情を持ったということです。

Hitler is presented with a painting of his hero, Frederick the Great, by Heinrich Himmler.jpg

チンギス・ハーンについてはあまり詳しくないんですが、個人的には日本(アジア?)では
反町隆史が演じた「蒼き狼」という映画も作られたりと英雄扱いで、
ヨーロッパでは残忍で野蛮な征服者と、イメージされている気がしますね。
それにヴィトゲンシュタインの世代はどうしてもチンギス・ハーンと言うより、「ジンギスカン」。
となると、まるでテーマ曲のように「ジン、ジン、ジンギスカ~ン。エ~ラカ、ホ~ラカ・・・」と
頭の中で曲が流れてしまいます。。脱線してすいません。ウッ!ハッ!

gengfis khan.jpg

いよいよ東方へのユートピア・・。
長期的には北方人種を含む、1億人のゲルマン人を占領した東方の地に開拓者として入植させ、
ロシア人、その地の劣等民族は教育も受けさせずに奴隷として扱う・・、
このようなヒトラーの考えを「ヒトラーのテーブル・トーク」を抜粋しながら進みます。
ここでは「スターリンのような容赦なき措置によってのみ、目標を達成できる・・」と
ヒトラーが語っているのが印象的です。まさに「グラーグ」を知っていたんでしょうね。

ポーランド戦以降、占領地で絶滅作戦を繰り広げるハイドリヒ指揮するアインザッツグルッペン。。
その一方でポーランド人やチェコ人であってもゲルマン的血を引いていると思われる子供を
ドイツに連れ帰ってゲルマン化したい・・という「生命の泉」にも触れています。

Himmler_Wolff and boy.jpg

ベルリン大学教授でSS大佐でもある、コンラート・マイヤー=ヘトリンクを中として作成された
「東部総合計画」の見取り図も3枚掲載され、具体的なSSのユートピア計画にも言及。
ヒムラーの夢想するユートピアは、彼らしい農業を中心とした世界です。
引退したら、ソコで牧場を営みたい・・なんて語っていたというのも何かで読みましたね。

Planung und Aufbau im Osten_Heß und Himmler,Bouhler, Daluege,Konrad Meyer.jpg

しかし、戦局の悪化やパルチザンの抵抗などによって占領地に入植するどころではありません。
当初、ユダヤ人はマダガスカル島へ強制移住させると計画していたものの、
制海権を掌握する英国に勝利する見通しも喪われ、計画は夢の彼方へ・・。
ウラル山脈の向こう、シベリアやアラスカへユダヤ人を追放しようとする案も、
対ソ戦に手こずっている現状では、やっぱり夢の彼方です。

poland-ghetto-warsaw-persecution-of-jews-nazi-germany.jpg

本書では「ヒトラーがユダヤ人絶滅指令を(おそらく口頭で)出したのは1941年」としています。
そしてこの命令にはさすがのヒムラーも動揺。。
いくらユダヤ人が世界支配の陰謀を企み、ゲルマン民族の血を汚染する寄生虫だと言われても、
多くの無防備なユダヤ人、しかも老人や、必死に子供を守ろうとする母親を
子供もろとも射殺し続けるには、格別の「正当化イデオロギー」が必要になります。
こうしてSS隊員に対し、「ユダヤ人駆除はシラミ駆除と同様であり、
世界観の問題ではなく、衛生上の問題である」と説くヒムラー。

Einsatzgruppen35.jpg

そう言ってはみたものの、大量射殺現場に立ち会って卒倒しそうになったSS全国指導者・・、
忠誠と服従をモットーにした騎士団であるSSは、いかなる非人道的な、
過酷な任務にも耐えられねばならず、耐えがたいほど残酷な命令であればあるほど、
ヒムラーの自虐的ヒロイズムは燃え上がります。

Heinrich Himmler.jpg

中止となった「安楽死計画」に使用されていた「青酸ガス」方式を導入し、
アウシュヴィッツトレブリンカ、ゾビボルなどの絶滅収容所が誕生。
ゾンダーコマンドに選ばれたユダヤ人が死体の処理も行うという、
ユダヤ人によってユダヤ人を絶滅させる、地獄のシステムが完成するのでした。

Death Gate_ auschwitz.jpg

著者の経歴を見ると、あの強烈だった「普通の人びと―ホロコーストと第101警察予備大隊」の
訳者さんなんですね。後半のホロコーストはさすが、詳しく書かれていました。
正直、ヒムラーとヒトラーが東部の生存圏をユートピアとしてどのように考えていたか・・
については知っていたことと、さほど変わりはありませんでしたが、
もともとはヒトラーの思想であった東部のユートピア構想に、ヒムラーのオカルト的な要素が加わり、
戦争が激化する中、そのユートピアの夢は挫折し、とにかくユダヤ人だけでも絶滅させようという
本来の目的とは違う方向に進んでいった・・という面白い視点でよく研究された一冊だと思います。









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ナチスの知識人部隊 [SS/ゲシュタポ]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

クリスティアン・アングラオ著の「ナチスの知識人部隊」を読破しました。

今年の1月に出たばかりの本書。
534ページという素晴らしいボリュームですが、定価3360円。。。
しか~し、早くもヤフオクで半額で落とせました。
アインザッツグルッペンの「SD」を主題にした小説、「慈しみの女神たち」を独破中だったので、
早く読みたい衝動に駆られつつも、その後しばらくガマンしていました。
同じようなタイトルの「ナチ親衛隊知識人の肖像」という本も読んでいますが、
あちらがハイドリヒやオーレンドルフ、ジックスら、5人に絞っていたのに対して、
本書は「約80名の若者たちを詳細に分析した戦慄の研究」だということです。

ナチスの知識人部隊.jpg

本書で言う「知識人」の定義は「大学修了者」のことで、また、それらは
第1次大戦後に大学で学んだ若者たち、1900年から1910年生まれが中心です。
そんな彼らに共通する最初の「トラウマ」とは、当然、少年期の戦争の体験であり、
ドイツ国民の半数が、近親者と死別するという経験をし、
戦時中の食糧難にも苦しめられたとするところから本書は始まります。

この第1部「ドイツの若者たち」では、
ハイドリヒの右腕でRSHA(国家保安本部)の副長官だったヴェルナー・ベストの伝記も抜粋して、
彼が11歳の時に父親が戦死し、気力を失った母親と弟に対する責任を負い、
15歳にして不安、仕事、責任を抱えた暗い青春を送ったことも紹介します。

Disabled_Veteran,_Berlin,_December_1918.jpg

第2部「ナチズムへの加入 -ある政治参加」では、
ナチ党がドイツ国内で躍進し、1933年に政権を奪取するまでの期間に
大学で法科などを学び、国粋主義の学生サークル活動にも参加していた
「戦う愛国者学生たち」に目を付けるナチ党。
後にSDの国内部門を任されたヘルマン・ベーレンズは党の法律顧問となり、
同じくSDで「ドイツ国民の生活問題」の責任者となったラインハルト・ヘーンに、
そのヘーンに誘われたアルフレート・ジックスなどが登場してきます。

Reinhard Höhn.jpg

ハイドリヒが設立したSD(SS保安部)ですが、この機関はナチ党の組織のひとつである
「親衛隊(SS)」のなかの情報部という、当初はとても小さいものです。
SSに詳しい方ならご存知の通り、SS隊員は必ずしもナチ党員である必要はありません。
本書では大学出の彼らがSDに入った経緯を分析し、
当時はナチ党への入党希望者が大きく増えたことから入党を制限し、
その一方で法律の知識のある若者がエリートとして、
SDへと直接リクルートされていたことが良くわかります。
要はSDへ入ることに比べ、SS隊員になったり、ナチ党員になったりすることは
形式程度で大したことではないという感じですね。

heydrich__waldeck_und_pyrmont.jpg

また、ヴェルナー・ベストの意向によって、国家試験後にゲシュタポの地方支部の
トップに採用された若い法律家たちも、一部はSD入りしたという話も紹介されますが、
この「ナチスの知識人部隊」への道は、イデオロギーの証明が重要な要素です。

しかし例外も存在します。その男の名はオットー・オーレンドルフ・・。
彼は1925年、18歳で入党という古参党員であり、大学で法学も学びながらも、
集合住宅の監視をするといった「班指導者」(大管区指導者(ガウライター)等の一番下の階級)も
務めていた経歴も持つ、生粋のナチ党闘士です。

otto-ohlendorf.jpg

やがてSDがRSHA(国家保安本部)として警察業務などと統合されると、
すでにハイドリヒから不興を買っていたベスト、
敵研究の提唱者ジックス、そしてシェレンベルクの三つ巴の論争と対立が・・。
本書では人物だけでなく、SDの組織面にも光を当てています。
ただ、写真やSD、RSHAの組織図などが1枚もないので、
頭のなかを整理したり、なにかで確認しながらでないと、混乱して
人物を間違えたりしてしまいました。

Werner Best 44.jpg

1938年のオーストリア併合では、「敵研究」のジックスによって「特別手配者リスト」が作成され、
エーリヒ・エーアリンガーのアインザッツコマンド(出動部隊)をジックスがベルリンで指揮します。
そしてチェコへの進駐では規模も大きくなり「保安警察とSDのアインザッツグルッペ」として
最初の1週間で1600名を逮捕・・。

こうしてちょうど200ページから第3部「ナチズムと暴力」へ・・。
1939年7月、SD局員、SSの知識人らに警察学校への出頭命令が出され、
そこには武装SSとゲシュタポ、刑事警察(クリポ)の職員たちから成る部隊が集結しています。
軍事訓練を受け、ポーランドの風俗や習慣を学んで、
ついに「オスト・アインザッツ(東部出動」)と呼ばれる任務へと出発・・。

einsatzgruppen-brutal-germans-nazi-death-squads.jpg

実はポーランド戦におけるアインザッツグルッペンの行動についてはあまり書かれていません。
その分、1941年からの「下等民族の暮らす征服すべき処女地」は大変なものです。
このバルバロッサ作戦における国防軍の態度について、第6軍司令官ライヒェナウ
過激なフレーズが掲載されたものもありますが、
本書では同様なフレーズ・・「敵を憐れむことなく事に当たり、とりわけ、
ボリシェヴィキの擁護者に対しては、絶対に容赦してはならない」と訓示するのは、
第4装甲集団司令官のヘプナー将軍です。

Erich Hoepner.jpg

ほとんどの兵士に配られた「敵を知っているか」というチラシは面白かったですね。
「背後から狙撃するために死者や負傷者がそのように装っていると考えなければならない」とか、
「両手を挙げて進んでくる相手も背後から攻撃するための策略であることも多い」、
「見つけたものは一切、食べてはならず、検査していない水を飲んではならない」、
「一般人の落下傘降下員は兵士ではなく、義勇兵であり、そのような者は殺さなければならない」
しかし、これらが強迫観念となり、やがて極度の暴力的行動を生み出すこととなったとしています。

Leibstandarte at artillery post with Russian POW Kursk 1943.jpg

また、ハイドリヒが通達したアインザッツグルッペンの行動時の留意事項・・、
例えば「帝国に敵対するあらゆる人物の逮捕」などという、かなり曖昧で、
隊長たちの幅広い解釈が可能な司令も・・。
そして「処刑」の対象者も「すべての政治家、党の関係者、それらの役職に就いているユダヤ人。
ただし、占領地の経済再建のために支障がない程度に留めること」。

einsatzgruppen-nazi-death-squads12.jpg

シュターレッカーSS少将が率いるアインザッツグルッペA。隷下のアインザッツコマンド3隊長、
イエーガーSS大佐は、労働ユダヤ人の家族を射殺できなかったことで、市当局や国防軍と
激しい論争になったことを述べ、最後には「男の労働ユダヤ人の断種を直ちに始め、
それでも妊娠したユダヤ女は殺すべきである」と語ります。

Karl Jäger EK3.jpg

このアインザッツグルッペAには、マルティン・ザントベルガーが指揮するゾンダーコマンド1aと
エーリヒ・エーアリンガーのゾンダーコマンド1bもあるわけですが、
おおむねゾンダーコマンド(特別部隊)が対パルチザン戦を引き受け、
アインザッツコマンド3がバルト諸国のユダヤ人のジェノサイドを行ったということですが、
その他のアインザッツグルッペB~Dを見ても、そのような決まりごとはなく、
その活動と構成は体系的に見てもかなり自由(司令官の好み??)であったようです。

Erich Ehrlinger.jpg

これら4つのアインザッツグルッペの活動の様子は、「普通の人びと」や「慈しみの女神たち」に
勝るとも劣らないほど詳しく、生々しく、3万人を虐殺した有名な「バービ・ヤール」から、
ユダヤ人の女子供に対するものまで・・。
また、銃殺隊員が故郷の妻や両親に送った手紙と共に紹介されます。

Einsatzgruppen0.jpg

殺害方法も、もともと定められたものがあるわけではなく、
その場でその部隊が思いつくままに考案します。
穴の淵に後ろ向きに立たせて、またはひざまずかせて、あるいは、穴の中にうつぶせに・・。
離れた所から数人で一斉に撃つのもあれば、首筋に一発・・。
アインザッツコマンド5では自動小銃による処刑を行いますが、生存者や怪我人があまりに多く、
結局、穴の中で息の根を止めなければならなくなり、「狙い撃ち」方式に戻ることに・・。

Einsatzgruppen.jpg

そして、そのような虐殺とは別の公開処刑。ミンスクでは二人の女性が見せしめの絞首刑に。。
その理由は子供殺して、遺体を解体し、肉片を町の市場で売った罪です・・。
女子供も無差別に銃殺するのは良いけど、人肉食べるなんて野蛮なことししちゃダメよ・・
ってことのようです。もちろん支配民族目線ですが。。

1941_Execution of Masha Bruskina, Minsk.jpg

また銃殺隊が陥ったトラウマにも言及します。
「血だらけの山積みの死体の中にまだ動くものがあり、その絡み合った死体の山から
いきなり人が立ち上がって、片腕を上げるのです・・」。

Einsatzgruppen-Po-egzekucji.jpg

このような心理的負担を軽減するため、軍隊式の一斉射撃を実施し、
将校の命令で撃った後は回れ右をして10歩後退・・。
コレで自分が殺した人間を見ずに済むのでした。

さらに発明されたガス・トラックも、その汚物にまみれた凄惨な数10体の死体を
引き出すことが、あまりにも心理的負担が大きく中止・・。

wsaw-exec.jpg

休みなく続く虐殺・・。2ヵ月程度で現場から解放されたジックスのような隊長もいれば、
ハイドリヒに志願してアインザッツコマンド9の隊長となったアルベルト・フィルベルトは、
神経障害と重いうつ病によって4ヵ月でベルリンへ・・。
その後は2年近くRSHAの組織図から姿を消し、1943年末になってようやく配属されたのは
汚職撲滅担当の警察部局という下級ポスト・・。
「戦う知識人」が出世への道であるこの世界で、「弱さの告白」をすることは
要職へ就くことを禁じられたのと同じことなのです。

1944年、敗北を意識した「戦う知識人」たちは様々な行動に出ます。
ゲリラ部隊である「人狼部隊」が検討されると、RSHAⅥ局の学校が破壊活動の学校へと変わり、
あのスコルツェニーがトップに就任。
爆発物の取り扱いや尋問、ゲリラ戦のカリキュラムの作成を指揮したのはザントベルガーです。
また、オーレンドルフは1945年、デーニッツ新政府を訪れ、シュペーアの補佐官に・・。

Martin Sandberger.jpg

そして戦後・・。
ハイドリヒと衝突して1940年にRSHAから離れ、デンマークで死刑判決を受けるも
恩赦で釈放されたベストは、元ゲシュタポ局員の裁判での弁護の調整に当たります。
「絶対服従」の論拠を盾にし、「最終的解決」については何も知らなかったと証言するようにと・・。

一方、アインザッツグルッペDの司令官として1年間に行った数万人にも及ぶ殺害行為を
自らの責任と認め、死刑執行されたオーレンドルフ。
しかし、何人かの隊長たちとは違い、彼が自ら手を下した事実は確認されていない・・
ということですが、本書では彼だけは最初から最後まで特殊なケースとして
描かれている気がしました。

Einsatzgruppen Trial.jpg

後半の約100ページが原注なので、本文は436ページです。
もともと博士論文がベースになっていることから、ちょっと専門的で
スラスラと理解できるものではないですが、充分読みごたえがありました。

個人的には個々の「戦う知識人」たちよりも、アインザッツグルッペンとは何か・・?
ということがある程度、確認することが出来ました。
当初は情報部らしいSDの任務として、占領地の敵対者を特定し、
ゲシュタポによって逮捕するといった、ユダヤ人を絶滅することが目的ではなく、
ドイツ国内での任務と変わらなかったアインザッツコマンドが、ソ連侵攻となると、
その規模が大きくなり、イデオロギー的な命令と、戦争に対パルチザン戦、
バルト諸国と白ロシアにウクライナの民族性、A~Dの司令官やコマンド隊長の各々の考え方、
未知の劣等民族への扱いも含めて、徐々に行為がエスカレートし、
後に「アインザッツグルッペ = 絶滅部隊」と呼ばれるようになった・・。

Nebe,Heydrich,with Walter Schellenberg on the far right.jpg

裁判では全体的に、ユダヤ人処刑命令をすでに死んだハイドリヒに押し付けていますが、
やっぱり、もしハイドリヒが暗殺されなかったら、これ以上、何が起こっていたのか・・。
恐ろしすぎて想像が付きませんが、ふと、思ってしまいました。

このようにアインザッツグルッペンという部隊ですら、一括りにすることはできず、
彼らが数万から数十万人を虐殺したことには変わりありませんが、
それを実行するに当たっては様々な要因と部隊ごとの「個性」が存在していたことが、
理解できたつもりです。

原題は「信じることと皆殺しにすること、戦う機関SSの知識人たち」というもので、
著者アングラオは、いま最も期待されるフランスの若手研究家だそうです。
2010年に発表された本書の前著である、
「黒い狩人たち -ディルレヴァンガー旅団-」も、ぜひ翻訳して欲しいところです。



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ヒトラー第四帝国の野望 [SS/ゲシュタポ]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

シドニー・D・カークパトリック著の「ヒトラー第四帝国の野望」を読破しました。

先日の「ナチス第三帝国辞典」で気になった、「アーネンエルベ協会」関連が書かれている
ということで、ついつい買ってしまった本書。タイトルがもう泣けますねぇ・・。
落合信彦が翻訳している「第四帝国」という本を2度挑戦しては、
あまりのツマラなさに尽く挫折しているヴィトゲンシュタインとって、
いまさら「第四帝国」っていう邦題はないだろうよ・・と考えます。。
原題は「ヒトラーの聖遺物」といった感じで、2010年発刊という新しいもの。
「ディスカバリー・チャンネル」や「ヒストリー・チャンネル」に携わる著者によるノンフィクションで、
ナチス・ドイツによってウィーンからニュルンベルクに移された、神聖ローマ帝国の
貴重なお宝を探し出すべく、ドイツ人美術史学者である米陸軍中尉の活躍を描きます。

ヒトラー第四帝国の野望.jpg

パットンの米第3軍の尋問官である36歳のウォルター・ホーン中尉。
彼は1945年2月、ニュルンベルクで徴募され、わずか1ヶ月の訓練でバルジの戦いに投入された
老齢の2等兵の尋問を行い、思いがけない話を聞き出します。
それはニュルンベルク城の地下壕に隠された財宝がある・・というもので、
入口は旧市街の骨董品店に見せかけており、家族がそこに住んで、空調管理などを
行っていることから、噂話ではない、非常に詳細な情報を聞き出すことが出来たのでした。

神聖ローマ皇帝、バルバロッサ王フリードリヒ一世の宝珠や「ロンギヌスの槍」、
「マウリティウス刀」といった伝説的な人工遺物が隠されているとの話に
美術史学者であるホーン中尉も興奮し、早速、報告書をまとめて提出します。
しかし、彼の仕事は尋問であり、5月の終戦後もペンキ屋に化けて逃走していたシュトライヒャー
医師に化けていたカルテンブルンナーといったナチの大物たちの尋問に多忙の日々。。

streicher_kaltenbrunner.jpg

そして7月に突然、呼び出しを受け、MFAA(歴史的建造物・美術・文書)班に配属され、
ホーンの報告書によって発見された地下壕の調査を任命されますが、
極めて重要な遺物である、帝冠、宝珠、笏、皇帝の剣、儀式用の剣が姿を消しているとのこと・・。
さらにこの任務はアイゼンハワー直々の命令というおまけ付きです。
ということで、この消えたお宝を3週間で探し出すこととなったホーン中尉の謎解きと
10年前に亡命した祖国の旅が始まるわけですが、
本書はミステリー小説のような雰囲気なので、細かい展開は割愛します。

Reichsinsignien.jpg

ニュルンベルクの地下壕では「ロンギヌスの槍」と呼ばれる、十字架のキリストの死を確認するため、
わき腹を刺したという「聖槍」も発見しますが、その貴重性をわからず手荒に扱う同僚に対して、
ホーンはそれが如何なる物かを説明します。
本書ではこのような展開で、ヴィトゲンシュタインのように聖遺物に明るくない読者にも
知識を与え、そしてまた、彼のミッションの重要性も理解しながら、クライマックスへ進んでいく・・
ということに成功しています。
「ロンギヌスの槍」ってどこかで聞いたことがあったと思ったら、
「ヒトラーとロンギヌスの槍」という本がありましたね。でもコレは・・?

Angelico_Holy Lance.jpg

そしてニュルンベルクから運び去られた、神聖ローマ帝国の5つの宝物。
元々、帝都ニュルンベルクに皇帝命令により未来永劫保管されるはずであったものの、
ナポレオンの手に落ちるのを恐れて、市の長老たちがウィーンに移したという経緯も語られ、
オーストリアを併合したヒトラーがそれをまた、ニュルンベルクに移したということは、
ヒトラーとニュルンベルク市からしてみれば「奪還」であり、
オーストリアと連合軍からしてみれば「強奪」と解釈も違います。

本書の真ん中には関連する当時の写真が掲載されており、
1938年に聖カタリーナ教会で宝玉を見るヒトラーの写真や
ニュルンベルクの地下壕にはSS警護の詰所、そして彫像の残る保管庫の写真もしっかりと。

Adolf Hitler besichtigt die in Nürnberg ausgestellten Reichskleinodien, hier die Kaiserkrone.jpg

特に「エクステルンシュタイネ」という天文学的な位置関係によって作られた岩の聖地・・、
キリスト教伝来以前からゲルマン人の聖地として信仰されていた場所を視察する
ヒムラー一行の写真やらが印象的でした。
これは後のキリスト教時代にレリーフが彫られ、岩をくりぬいて礼拝堂を作って
修道士が洞窟に住んだりと、ちょっと調べてみましたが、一時、寂れていたこの場所も
ヒムラーが興味を示したおかげで脚光を浴び、今では、有名な観光地なんだそうです。

Externsteine.jpg

5つの宝物の行方を追ううちに、ヒムラーが設立したその「アーネンエルベ協会」も紹介。
ドイツ人の先祖であるアーリア人の偉業を発見し、教育、雑誌、論文、書籍の発行といった
研究結果を大衆に伝えることを目的とする、必要不可欠な仕事であって
軍役を避けたい学者や知識人にとっては実に魅力的だったそうです。
ヒムラーはキリストがアーリア人の血を引いていたことを証明するため、中東まで調査隊を派遣し、
トルコのカッパドキアや、スペインにも聖杯を探すために、
さらにアーリア人の足跡を探すべくチベットに南極まで・・。

Wewelsburg_5.jpg

ヒムラーがSSの聖地にしようとしていたヴェーヴェルスブルク城も訪れることになります。
連合軍が迫るなか、ゲーリングカリンハルと同様に爆破しようとしたヒムラーですが、
爆薬の量が少なすぎて失敗・・。
このヒムラーのお城で起こった逸話もいくつか紹介しながら、城内を案内してくれます。
人工遺跡や複製が並べられていた展示室、結婚式も行われた大会堂、
円棟はがらんとした、だだっ広い部屋で、床には大理石を象嵌した太陽が描かれています。
そしてココに丸い机の12脚の椅子を配して、アーサー王の円卓の騎士を意識していたというのは
なにかで読んだ話ですねぇ。

wewelsburg_3.jpg

また、ヒムラーの金庫も発見しますが、たいしたものはなく、
戦死したSS隊員の髑髏リングをココに入れていたという解説もありました。
この髑髏リングはこの城の近くに埋められたという話もありますが、
いまだに見つかっていないようです。

Totenkopfring.jpg

こうして戦争末期、この城のお宝を含め、膨大な第三帝国の貴重な財宝や金塊などが
各地に隠匿されることになるわけですが、ヒムラーの命令によりこれを首尾よく実行したのが、
RSHA第Ⅱ局長官のヨーゼフ・スパシルという「ヒムラーの金庫番」だそうです。
捕虜収容所で身元がばれて、証言したとおり、彼が隠した金の延べ棒19袋などが見つかりますが、
ジープの操縦をミスった米情報将校が大怪我・・。彼の身体には札束と指輪、
時計にダイヤモンドを散りばめた十字架が・・。
他にも強欲な米兵の例も挙げられていて、ゲーリングの奥さんを騙して国家元帥の
最上の制服一式を預かり、豪華な短剣を売りさばいて、テキサスに土地買ったなど・・。
主人公のホーンは誰も信用できないんですね。

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出だしこそオーストリアを併合後、すぐにウィーンから神聖ローマ帝国の宝物を
ナチ党の聖地であるニュルンベルクに移すなど、ヒトラーが第三帝国の重要なもの・・
と考えていたというのは理解できますが、終戦間際に
これらを隠して連合軍の手に渡らせないようにとヒトラーが指示し、
来るべき「第四帝国」の遺産と考えていたとはとても思えません。

結局のところ、本書でもヒムラーとSS、お宝を守るドイツ騎士団・・といった連中が
金塊に偽札なども含めて、隠そうと奔走した・・というところであり、
まぁ邦題の「ヒトラー第四帝国の野望」などというものではありませんでした。
万が一、このタイトルの内容を期待して読まれた方なら、ちょっと拍子抜けかも知れませんが、
個人的には「違う内容でよかった・・」というのが実感です。

poderesunidos-ahnenerbe.jpg

またアーネンエルベ協会とヴェーヴェルスブルク城についても
最終的には主人公の探すお宝の行方とは関係がなかったりするんですが、
まぁ、この話があるので、読んでいて盛り上がりましたし、
興味のあったこの2つについて、これだけ書かれたものは初めてでした。
ミステリー小説のような展開と、結果的に「聖遺物」についても勉強になったという
拾い物以上に価値ある一冊でした。

・・・これをもって今年は終わりです。
来年もまたお付き合いください。






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