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秘密機関長の手記 [回想録]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

シェレンベルグ著の「秘密機関長の手記」を読破しました。

昭和35年(1960年)に発刊された、ヴァルター・シェレンベルクSS少将の有名な回想録です。
シェレンベルクは過去に何度もこの「独破戦線」に登場した人物ですが、
さすがのナチSSのスパイのボスだけあってか、本書も姿を消したかのように
今まで実物を見たことがありませんでした。
原著の発刊は1956年のようで、この翻訳版はドイツ語版ではなく、表紙のタイトル通り
フランス語版の翻訳で、持った感じは薄いですが340ページで2段組みにびっしり書かれた1冊です。
また、訳者あとがきによると完訳ではなく、いくつかの章や全体的な「刈り込み」もしているそうです。

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本書がいつ、どのようにして書かれたのかは全く書かれていませんが、
シェレンベルクが終戦とともに米軍に逮捕され、ニュルンベルク裁判の証人や
被告として拘留されていた1951年までの間に書かれたようで、
このような回想録はグデーリアンも同様ですね。
しかしこのような拘留中の回想録というものは、一歩間違えば、
自分にとって「死」を意味するほどの内容となりかねないわけで、
逆に自分にとって有利な内容になるのは必然だと思います。
その意味では、本書の内容は「怪しい・・」とされているようですが、過去に読んだSSモノなどで
頻繁に引用されている本書を、なんとか一度読んでみたいと思っていました。

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7人兄弟の末っ子として1910年に生まれたシェレンベルク。ボン大学で法律を学ぶものの、
実家の財政が不安定となったことから、給費を獲得しやすくするため、
ヒトラー政権が誕生した1933年、ナチ党へ入党し
ビアホールでバカ騒ぎを繰り返すSAとは違い、SSの黒い制服というのも魅力に映った彼は
SS隊員を選択します。

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ここではアイヒマンと同様、軍事訓練に嫌気がさし、大学生の活動として認められていた
講演を行うこととなると、キリスト教の教育を母から受けていた彼ですが、
カトリック教会を攻撃しつつゲルマン法の発展を論じ、これがハイドリヒの目に留まります。
SS隊員の義務から解放される・・ということで躊躇なくSD(親衛隊保安部)入ったシェレンベルクの
周りには局長のヴェルナー・ベストハインリッヒ・ミュラーなどが次々と姿を現します。

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やがてSD本部勤務となると、SD長官ハイドリヒと親密な関係を築き上げていくわけですが、
まず彼のハイドリヒ評が数ページ書かれ、こういうのはとても興味深いですね。
要約すると「絶えず警戒を怠らず、危険に際しては迅速に仮借なく行動する肉食獣の本能を持ち、
異常な野心家であり、あらゆる点で一番すぐれた人間でなければならず、
敵対し合う者がいると、その双方に相手の不利な情報を売りつけて、互いに戦わせる手腕では
達人の域に達していた」。
また、「ヒトラーの気ちがいじみた計画を実現させることで
「薬箱」の中のような必要不可欠な人物となった」としています。

ReinhardHeydrich.jpg

こんなハイドリヒに好かれた理由を、彼がベルリン社交界の知的文化的サークルという
ハイドリヒが入り込むことの出来ない世界に精通していたことも理由のようだと語っています。
ここではハイドリヒ夫人との「不倫疑惑」によって毒を盛られたという例の話が出てきましたが、
「ドライブに行っただけ」という展開で、ハイドリヒも納得したようです。

フリッチュに対する男色容疑トハチェフスキーに対する陰謀なども紹介され、
1939年、RSHA(国家保安本部)が発足し、ポーランド侵攻となると、
IV局 E部(ゲシュタポの国内防諜部)の部長となった若干29歳のシェレンベルクSS少佐は
SS全国指導者ヒムラーの専用列車で働くことになります。

朝から晩までの前線視察に同行するこのポーランド戦の最中、
お腹が減ったと言うヒムラーに、幕僚長カール・ヴォルフはシェレンベルクのサンドウィッチを取り、
2人でパクつきますが、前日の残り物であったそれに「緑色のカビ」が生えているのに気が付くと、
ヒムラーの顔はカビよりも緑色になり・・・。

Rudolf Schmundt_Wolf_himmler.jpg

続くオランダ国境での「フェンロー事件」はさすが当事者だけあって、とても詳細に書かれています。
特に英国諜報員2人の拉致に伴う、SS隊員たちとの銃撃戦に巻き込まれ、右往左往する様子は
「命拾いをした」という感想からもわかるのでないでしょうか。
また「ウィンザー公誘拐」に関する章は、ヒギンスの小説そのままの感じです。
要はアクションシーンが無いだけですね。

Walter Schellenberg5.jpg

戦争も激しくなろうとすると、ハイドリヒから再編した第VI局(国外諜報)の局長に任ぜられます。
しかし、この任務にはカナリス提督の国防軍情報部(アプヴェーア)以外にも
リッベントロップの外務省というライバルとの戦いをも意味します。
そして反ヒトラー派として、徐々にヒトラーの信用を失っていったカナリスよりも
最後までヒトラーの庇護を受けたいと願うリッベントロップが強力に邪魔な存在となっていくのでした。

Müller (front left),Schellenberg (second from left),.jpg

日本とゾルゲに関する章では、最近気になっている人物の一人、
ゲシュタポのマイジンガーが登場しました。
ゲシュタポ長官のミュラーの親友ですが、実はミュラーの後釜を狙う、恐るべき不倶戴天の敵で、
シェレンベルクも弱みを握られ、ハイドリヒに報告すると脅迫されます。
この窮地にアインザッツグルッペンの司令官代理として「ワルシャワの殺人鬼」という異名を持つ、
「この人間以上に獣的な、随落した、非人間的なことがわかる大変な書類を作成した」彼は
これをさりげなくミュラーに回し、報告を受けたヒムラーが「軍法会議に引き出せ」と命じます。
しかし、ここを執成したのはハイドリヒ・・。シェレンベルクでさえもわからないと言う、この展開の末、
日本酒を何升も浴びるように飲むという能力を買われてか、
警察関係の大使館員という資格で東京へ派遣されます。

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ヒムラーが日本に非常に興味を持ち、SS候補生に日本語を学ばせて40名を日本陸軍や
スパイとして送り、同様にこちらも受け入れる・・という計画があった話や、
日本大使館の一人がドイツ娘と結婚を熱望しているという件では、
人種的問題からヒトラーとヒムラーは反対するものの、リッベントロップは賛成・・。
数ヵ月に渡る喧嘩の末、専門家によって人種法の抜け穴が見つけ出されて、
結婚の許可が与えられた・・という初めて聞く話もありました。

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対ソ戦を前に週に数度もカナリスと乗馬談義するシェレンベルクは、参謀本部でさえ
数週間で終わってしまうという楽観論に反対するカナリスの意見を紹介します。
上官であるカイテル元帥がソ連の軍事力を認めず、「カナリス君、きみの所属は海軍なんだから
政治や戦略のことで我々に講義しようとしないでくれ」。

ロシア人捕虜をスパイとして教育し、ロシア領土の真ん中に降下させるという「ツェッペリン作戦」や
ウラソフ将軍と彼の部下を誰の権限下に置くかで紛糾・・。
まず、陸軍、次にローゼンベルクの東方省、そしてヒムラー、
最後には「不思議なことに」リッベントロップまでが主張します。

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1941年の冬、モスクワ面前で立ち往生する夏服のドイツ陸軍。
この物資納入の極度の不足に憤慨するのはハイドリヒです。
「寒さのために死んだ兵士100人ごとに、経理部員を上の方から一人づつ銃殺すべきだ」。
そして翌年、ハイドリヒがベーメン・メーレン保護領の副総督に任命され
(「任命されたよ!」と嬉しそうに報告するハイドリヒを初めて可愛らしく感じました・・)、
その政策が成果を上げると、ヒトラーが彼と二人だけで協議するようになったことで、
ヒムラーの嫉妬やボルマンの陰謀にハイドリヒは困惑し始めます。
そこでヒトラーの側近にシェレンベルクを送り込む・・という案を提示するハイドリヒですが、
その直後、暗殺・・。
シェレンベルクは、この事件に使われた武器が英国製であることを認めたうえで、
我々も入手していたものとし、さらに最上の名医たちにかかる重体のハイドリヒに
ヒムラーの従医が施した治療法が他の医師たちから非難された・・として、
暗にヒムラーによる暗殺説としているようです。

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1942年になると、早くもシェレンベルクはヒムラーの専属マッサージ師ケルステンの後ろ盾を得て、
和平工作の道を探り出そうとします。
しかしヒムラーは「リッベントロップの白痴が総統の耳を奪っている限り、何も出来ない!」。
そこでリッベントロップといつも仲たがいしている「略奪王」ゲーリングを利用しては・・。
まさにハイドリヒ直伝の作戦ような感じがします。

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そしてここでも不気味なのはボルマンです・・。しかしそのボルマンから愛人問題で党の金、
8万マルクを借りてしまうという失態を犯すヒムラーに、納得のいかないシェレンベルクです。
それでも彼はヒトラーの耳と腕となって四六時中張り付くボルマンについて、
「極めて複雑な問題を明瞭で的確な言葉に要約し、簡潔に説明する技術を持っていた」
として、その手際の良さに感心し、自分の報告においてもこの方法を採用しようと決心したそうです。

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側近の中でも最年少ということに気後れしつつも、英国とのパイプラインを維持しながら、
ヒムラーへ和平を説くシェレンベルク・・。「総統の意に反する仕事をするのはもう御免だ。
私は総統と協力したいのだ!」といきり立つSS全国指導者・・。

カルテンブルンナー・・。ハイドリヒの死後、ヒムラーが兼務していたRSHA長官に任命された男。
同郷のオーストリア人という理由でヒトラーが指名したこの人物との戦いがここから始まります。
先日の「ゲシュタポ」に書かれていたのと全く同じ、最低の人物像が語られますが、
とにかく最大の敵、リッベントロップを追い落とすため、やはりオーストリア人の
ザイス=インクヴァルトを外相に・・とご機嫌をとって味方につけようとします。

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いわゆる「最終戦」という状況になってくると、そのリッベントロップから呼び出しを受け、
ヒトラーからの極秘計画を打ち明けられます。
それはドイツを救うために、スターリンとの会談を計画し、その席で殺す・・というものです。

カナリスのアプヴェーアを吸収し、その長官の逮捕に向かうシェレンベルク。
この尊敬する先輩に「逃走」を示唆しますが、カナリスは拒否し、
「君は最後の希望なんだ、さようなら、若い友よ」。そして二人は2度と会うことはありません。

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最後はスウェーデンのベルナドッテ伯爵らとの和平に明け暮れる様子。
ここら辺は、SS興亡史での終焉と同じですが、元ネタは本書ですね。
デーニッツの新政権ではヒムラーはのけ者にされ、結局自殺しますが、
シェレンベルクは、新外相候補のフォン・クロジックとデーニッツの信任を得て、
「特派大使」としてデンマークとスウェーデンへの停戦交渉へと向かいます。

あとがきに書かれている「刈り込み」箇所は次の通りです。
防諜に関する技術的な3章とオットー・シュトラッサー暗殺の使命に関する章、
そして外務省との勢力争いの関する章、の5章です。
また、シェレンベルグが人から与えられた「賞賛」を書いている箇所も
「内容とは無関係に自画自賛を繰り広げられて、訳しながら、
まことに付き合いきれない」ということで「刈り込まれた」ようです。

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これらの「刈り込み」対象になったかとうかは不明ですが、この回想録に書かれている、と
なにかの本に書かれていたココ・シャネルとの話は一切ありませんでした。
原書に書かれているのかどうかもわかりません。
それにしても、ヒムラー、ハイドリヒ、ミュラーにカルテンブルンナーについて、
これほど会話も含め、生々しく書かれたものを読んだことはありませんでした。
また、ボルマンとミュラーについては共産主義者であったとし、ソ連へ逃亡したという認識で、
ある意味、ライバルでもあったゲーレンの回想録と同じような見解ですね。

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その他、海外での諜報活動に関する部分も非常に具体的に書かれていますが、
やはり、この第三帝国における、弱肉強食の争い・・、ライバルや敵を貶めて、
自分がのし上がる・・という油断も隙もない世界であったことが良く伝わってきます。
そして、結構読んだことのある話も多いことからも、逆に本書が如何にネタ本となっているかを
証明していると思います。

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今回、意識的にいつもよりも細かく書いたんですが、それには理由があります。
本書は「独破戦線」で初めて、購入したものではありません(定価は430円!!)。
実は「図書館」から借りたものです。なので、ちょっと読み直し・・というわけにいかないんですね。
この図書館・・、小学生以来利用しましたが、現在のシステムは凄いですねぇ。
この話は長くなりそうなので「独破リスト」で・・。
今まで、全く知らなかったこの図書館システムは、たまに利用してみようと思っています。



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諜報・工作 -ラインハルト・ゲーレン回顧録- [回想録]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ラインハルト・ゲーレン著の「諜報・工作」を読破しました。

以前から読みたいな~と思いつつも、当時の定価¥1200が今では
古書でも¥3000以上はすることで、購入に二の足を踏んでいましたが、
今回、綺麗な本を¥600で購入することが出来ましたので、早速、読破です!
いや~、本に限らず、こういう「良い買い物」が出来ると嬉しいですねぇ。
ちなみにヴィトゲンシュタインは上野の「アメ横」で買い物を覚えたクチですから
良い物を如何に安く買うか・・には執念を燃やします。

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もともとその10代の頃からスパイ小説が大好きで、当時まだ東西冷戦が続いていた時代、
もちろん、多く小説の舞台の中心となるのはベルリンの壁が存在する東西ドイツ・・。
ジョン・ル・カレやレン・デイトン、フリーマントルにラドラムなんかが愛読書でした。

まずは1942年4月1日、ゲーレンがドイツ陸軍参謀本部第12課、
通称「東方外国軍課」の課長に任命された経緯からの回想です。
それまで情報活動とは関係なく、作戦課での勤務や西方作戦では
ブラウヒッチュからホトグデーリアンの装甲軍団の連絡将校を務め、
その後、参謀総長ハルダーの個人副官を務めたということです。

就任後、ゲーレンは「東方外国軍課」と情報参謀の改革を行います。
特に「地球規模でものを考えることが出来る人物」というカナリス提督を尊敬し、
OKWの外国・防諜部(アプヴェーア)の彼との協力関係がはじまります。

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カナリスは宗教的観念から政治的暗殺を拒否し、フランスのジロー将軍や
チャーチル暗殺をヒトラーから命令されたという話が出てきます。
完全に「鷲は舞い降りた」ですねぇ。

しかし、当時カナリスには「RSHA」という敵が存在します。
ヒムラーとハイドリヒのSSがこの防諜の世界に入り込もうとするこの戦いは、
1936年にはカナリスがRSHAのヴェルナー・ベストと接触し
双方の組織の線引きとなるガイドラインを創るものの
1942年6月にシェレンベルクが登場し、新協定を結ぶこととなり、
SDの国外スパイ活動が合法化されてしまいます。

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シェレンベルクについて「彼はとても利口な男だったし、説得力もあった」として
カナリスからは「危険な相手」と警告もされていたそうです。

ゲーレンが東方外国軍課の長に就任してから半年後には
スターリングラードでの危機が訪れます。
翌年のクルスクでの「ツィタデレ作戦」においても、ソ連軍の陣容を調査/報告しますが、
スターリングラードの時と同様にその情報は活かされません。

ハルダー、ツァイツラー、グデーリアンというゲーレンが従えた歴代の陸軍参謀総長は
ゲーレンの作成した報告書がヒトラーから「敗北主義」と一蹴されても庇い、
1945年1月にはヒトラーが「こんなものを書いた奴は精神病院送りにしろ!」と
グデーリアンに怒鳴りつける、有名な話も出てきました。
ちなみにゲーレン自身は4回ほどヒトラーと対面したことがあるようです。

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ヒトラー暗殺未遂事件当時、ゲーレンは病気のため入院していたことも幸いし、
当然のように知っていたこの計画の共犯者とする
ゲシュタポの「魔女狩り」からは見逃してもらえたそうです。
なお、本書にはシュタウフェンベルクと立ち話するゲーレンの珍しい写真も掲載されています。

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しかしカナリス提督は投獄され、アプヴェーアもシェレンベルクのSDに吸収・・。
ゲーレン自身も終戦直前の1945年4月9日に解任されてしまいます。

途中、最も楽しみにしていたマルティン・ボルマンソ連スパイ説が3ページほど語られます。
1943年頃からゲーレンも疑い始め、絶対的な証拠はないもののカナリスも
同様に疑っていたにも関わらず、「総統」の信頼がある秘書のボルマンに対して
逆に信用下降線の一途を辿るカナリスら防諜部が監視をつけたり、
報告するなどということはとても出来る話ではなく、
戦後の調査によって、ボルマンが総統地下壕からソ連に身を預け、
ソ連の顧問として完璧な偽装の元で生活・・やがて死亡したとのことでした。

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この第三帝国におけるゲーレンの回想はこの前半の約1/3程度でおわり、
ここからは投降したアメリカ軍に対して、自分たちのソ連に対する情報提供者としての
価値を認めさせ、近い将来、現実となるであろう、ソ連と西側の戦いと
ドイツが復活した暁には独立した諜報機関になることを目指したゲーレンの戦いが紹介されます。

彼個人としてはこの過程が最も重大、かつ困難な時期であったことが
読んでいて実に良く伝わってきます。

そして1949年、コンラート・アデナウアーが初代西ドイツ首相に就任すると、
既にアメリカとCIAと協力して実績を挙げていた「ゲーレン機関」にも信頼を寄せ、
1956年には正式に政府組織、ドイツ連邦情報局「BND」となって
ゲーレンは1968年まで長官として活躍します。

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現在、既に取り壊された「ベルリンの壁」が徐々に構築されていく様子や、
宿敵となる「SSD」(東ドイツ国家安全保障局)長官、ウォルベーバーとの戦い。
ソ連ではスターリンが死亡し、元NKVDベリヤがモスクワで処刑されるなど
クレムリン内部での権力争いも調査。

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キューバ危機でのケネディとフルシチョフ、そしてカストロらについても語り、
そのフルシチョフも遂に失脚して、ダイナミックな党指導者としてブレジネフが登場します。

またKGB議長アレクサンドル・シェレーピンが「BND」内部にスパイを送り込み、
ゲーレンがその「逆スパイ」の部下を告発するまでの過程も詳細です。

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ベトナム戦争についても諜報の観点というより、かつてのドイツ陸軍作戦参謀的な見方から
アメリカのちまちました戦術にダメだしをして、「かつて我々が行った電撃戦を行っていれば、
ジャングル戦に引き込まれることもなかっただろう」と解説しています。

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後半は、やっぱりかつて読んだスパイ物を彷彿とさせる展開で、
確かに「独破戦線」的ではないにしろ、個人的には非常に楽しめました。
ゲーレン引退後の回想録とはいえ、そのたった3年後に執筆された本書は、
やはりどこまで書くか・・というのには本人も悩んだようです。
当然、現役スパイたちの名やそのスパイ網などを暴露することなどできるハズもなく、
進行形ではない、あくまで、「既にカタがついたこと」の集大成ということがいえるでしょう。



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電撃戦 -グデーリアン回想録- (下) [回想録]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ハインツ・グデーリアン著の「電撃戦(下)」を読破しました。

下巻はスターリングラードの敗北直後にヒトラーにより新設の装甲兵総監に任命され
現場復帰するところから始まり、ここからは原題である「一軍人の回想」のとおり、
電撃戦は過去のものとなり、東部戦線とヒトラーとの戦いの物語です。
そういえばマンシュタインの「失われた勝利」も後半は同じような展開でしたね。

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ソ連戦車、T-34に衝撃を受けたグデーリアンたちは、既に開発中のティーガーに加え、
新たにⅤ号戦車パンターの開発に着手します。
1942年の間にヒトラーの細かい命令と変更の結果、多種多様な戦車を含む兵器が混在し、
生産と修理が滞るといった状況を打破するため、
装甲兵総監としてあちこちの戦線を飛び回る毎日のグデーリアン。
彼は武装SSに対して好意的な印象で、特にこのような時期にティーガーやパンターのような
新型戦車が武装SSのエリート部隊にも配備されたこともあって、
SS戦車兵たちとも接する機会も多かったのでしょう。
1942年の干されていた時に最初に遊びに来てくれたのがゼップ・ディートリッヒだった
ということも書かれていますしね。

Guderian visited the Leibstandarte's Tiger.jpg

しかし、そんなことを尻目にすでにこのときにはヒトラーの希望により、
100㌧を超える超重量戦車マウスの開発が始まっていたそうです。
グデーリアン自身はこのような見掛け倒しの大型兵器には興味なしで、
機銃も付いていないため、敵の肉薄攻撃に弱いフェルディナンドといった大型戦車や
グスタフ列車砲なども、どうでもいいといった感じです。

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そして、1943年の夏季攻勢「ツィタデレ作戦」が検討され始めると、
上巻での因縁、クルーゲ元帥と再会することとなります。
別室に呼ばれて過去の問題を話し合い、気まずく別れた後、
クルーゲはヒトラーを立会人としての「決闘」を申し込んできます。
さすがにヒトラーもこれには困ったのか、グデーリアンに穏便に済ますよう求めてきたそうで、
この意を酌み、下出に出た書簡を送って和解を求めたと述べています。

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それでもクルーゲに対する思いはかなり激しいようで、その後もノルマンディーにおける
ルントシュテット元帥の後任としてクルーゲが任命されたところでも触れています。
曰く「フォン・クルーゲ氏はまことに勤勉な軍人であり、まあまあの小戦術家であった。
機動的指揮による装甲部隊の用法に関して、少しの理解も持ち合わせておらず、
彼が与えた影響といえば、単なる妨害だけだった。
彼は装甲部隊の分散的使用の名人で、西方戦線では、
最悪な状況の根本的な改善策を打つこともなく、
しかも優秀な敵艦砲火力の射程距離内で限られた目標に正面から反攻をかけたのである。
機動兵力が全滅してしまうのは当たり前であった」

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この西方戦線では戦前から面識のあったというロンメルも登場します。
連合軍上陸に備えた装甲部隊の配置について、何度もロンメルを説得したという話や
北アフリカから呼び戻されたロンメルが自分の後任にグデーリアンを推薦していたことなど
なかなか興味深い話も出てきます。


1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件については、わりと早い段階から
その計画(ヒトラーを排除しようとするクーデター)を知っていたようです。
しかし、グデーリアン自身は当時もまったく反対であったとその理由を説明しています。
そしてその事件の直後、今度はツァイツラーに代わって陸軍参謀総長に任命されます。

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軽蔑する国防軍総司令部総長カイテルを最高の頭脳を持つと絶賛するマンシュタインに
交代させるようヒトラーに進言しますが、にべもなく断られます。
それにしてもカイテル元帥はどの本を読んでも酷い言われようですね。
また、これも同じように言われる統帥局長のヨードルとも言い争いは絶えません。
特に西方の作戦を管轄する国防軍司令部と東部が管轄の陸軍総司令部間の
予備師団の奪い合いがその頂点となります。
それでもヨードルに対しては「最後の最後におのれの立場に目覚め、
スターリングラード以降のスランプから脱出した」と評価しています。

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SS全国指導者ヒムラーヴァイクセル軍集団司令官となった際、
部下のヴェンクを補佐に付けようと「頑固親父」ヒトラーにしつこく食い下がり、
ついに大爆発したヒトラーの罵詈雑言を耐え忍んだ結果、
突然ヒトラーが負けを認めるシーンはまさにハイライトで、
これがヒトラーに対する唯一の勝利だったそうです。
ちなみに「ヒムラーのごとき人間がなぜヴァイクセル軍集団を率いることになったかというと
騎士十字章が欲しかったからである」と述べています。

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まったく、とても書ききれないほどの興味深い登場人物とエピソードに溢れた回想録で
パウル・カレルなども大いに参考にしている古典的名著といえるでしょう。
なにか以前に読んだ話もあり、この回想録から抜粋された本がいかに多いか認識しました。
遠回しな表現や参謀らしい神経質さなど微塵もない、下町オヤジ風に思ったことを
ズバズバ言う爽快な回想録で、ぜひ読んでいただきたいものです。





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電撃戦 -グデーリアン回想録- (上) [回想録]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ハインツ・グデーリアン著の「電撃戦(上)」を読破しました。

戦後間もない1950年に西ドイツで発刊された、とてつもなく有名な回想録です。
日本でも2回、発刊されていますが、これがなかなか売っていません。
特に1999年再刊の本著も既に絶版で、売っていたにしてもとんでもない値段が付いています。
今回、なんとかほぼ定価(上下セットで1万円)で購入できました。

電撃戦_上.JPG

早速、回想録に付きものの第一章「家族と生い立ち」からじっくりとグデーリアンの前半生を
確認しようと思いきや、第1次大戦も含め、わずか3ページでこの章は終了。
しかし、これでこの回想録の位置づけとグデーリアンという人物がわかったような気がします。
韋駄天ハインツと呼ばれたように、あまり核心と関係ないことはさっと流して、
本題に突入!といった気合が感じられます。

young Guderian.jpg

そして10万人軍隊のなかで新設の自動車化部隊の運用研究を任ぜられ
他の兵科の妨害や嘲笑、保守的な考えの上司などとの格闘の末、
戦車装甲部隊創設までの苦難の過程を振り返ります。

その結果は時同じくして台頭してきたヒトラーに認められ
オーストリア進軍、ズデーテンラント進駐と第3帝国軍の花形としての地位を
確立して行きます。

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いよいよフランスへの電撃戦。旧友フォン・マンシュタインから有名なプランを聞かされ
装甲部隊の機動は可能であることを請け負ったグデーリアンでしたが、
いざ作戦準備の段階になると、この膨大な装甲集団を一体誰が率いるのか
ということが大問題となりますが、「結局、装甲部隊に好意的ではない
フォン・クライストにお鉢が回ってしまった」と述べています。

そして怒涛の進撃をするクライスト装甲集団の第19軍団を率いるグデーリアンと
第41軍団のラインハルトですが、突然の停止命令に反抗したため、
上官のクライストから暴言の嵐を受け、自ら罷免を願い出ます。
しかしなんとかA軍集団司令官のルントシュテットとリスト上級大将の取り成しによって、
クライストと和解したそうです。

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続く、バルバロッサ作戦ではヒトラーと総司令部の優柔不断な戦略により
氷点下35℃という寒さのなか、モスクワを目前にして
第2装甲軍のグデーリアンも停止してしまいます。
最前線の状況を説明し、退却すべきというヒトラーへの直訴も却下され、
新たな中央軍集団司令官のフォン・クルーゲ元帥とも激論を繰り返した末、
ここでも辞任を申し出ますが、先手を打ってヒトラーに報告したクルーゲにより
罷免されてしまいます。
とにかくクルーゲとは最初から完全にウマが合わないといった印象で、
この事件はグデーリアンが軍法会議へ提訴したりと、恨みにも似た感すらあります。

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このようにして1941年は終わりを告げ、
1942年の攻勢からスターリングラードの戦いに至るまでを
ベルリンでブラブラしながら過ごすことになるのでした。





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10年と20日間 -デーニッツ回想録- [回想録]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

カール・デーニッツ著の「10年と20日間」をやっと読破しました。

1935年の潜水艦隊司令就任から1945年にヒトラーの後継者として
連合軍に降伏するまでの10年間を自ら綴った有名な回想録です。
これ以前の回想は「ドイツ海軍魂」に記されています。

10年と20日間.JPG

1年ほど前に3000円という安い!値段で購入しましたが、なかなか集中して読む時間が取れず、
今回の夏休みに気合を入れて2日間で読破できました。
さすがにUボート戦の大家である教授の授業を受けているような感じで、
丁寧に読み進めましたが、終始一貫した印象をまず2つ挙げたいと思います。
ひとつめは、Uボート部隊の指令として、その最初から最後まで職務を全うしたこと。
これは即ち、この回想録が第2次大戦のUボートの全てを網羅しているということです。
このヒトラー政権において、これだけの地位の軍人がその間、一度も解任されなかった
というのは稀なことであり、デーニッツ以外にはちょっと思い当たりません。

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ふたつめとして、とにかく自身とドイツ海軍の敵は英国(と米国)であって
それは大西洋における通商破壊戦によってのみ勝機があり、
東部戦線や北アフリカ戦線などは邪魔くさい、というかあちらの戦況のために
せっかくのUボートを割かねばならない、または建造がままならない
という苛立ちが、全編を通してひしひしと伝わってきます。

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全23章から成る本書は当然ほとんどがUボート戦について語られ、前半では
スカパフローの牡牛ことギュンター・プリーンについて、その人間性も評価し、
クレッチマーをも含む大エースたちが撃沈され、Uボート戦が変化していく様子、
戦艦ビスマルク仮装巡洋艦アトランティス撃沈に伴う、Uボート部隊の裏話。
アメリカ沿岸でのパウケンシュラーク作戦についても1章書かれています。

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特に印象に残ったのは「ラコニア号事件」の章で、U-156によって撃沈された
英国客船ラコニア号の生存者を救助しはじめたUボート部隊がアメリカ機の爆撃を受け、
この事件よって「今後、生存者の救助すべからず」命令が発せられた顛末が書かれています。

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ハルテンシュタイン艦長のU-156はこのとき、多数のイタリア人捕虜を含む英国人など
260名!を救助/収容したということですが、なるほど、とても騎士十字章を拝領する
Uボート艦長らしからぬ、とても人のよさそうな顔をしています。内藤大助そっくりですね・・。

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西部方面海軍司令部が陸軍の指揮下にあったという話も興味深く、
沿岸防衛について責任者であったロンメルと海軍司令長官のクランケ提督
海岸砲台を構築し、直接砲撃するということで意見は一致していたものの、
結局はルントシュテットと総司令部案の間接砲撃をヒトラーは承認したとあります。
このノルマンディにおけるUボートの戦いも詳しい話は初めて知りました。

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ヒトラーとの関係も客観的に語っている印象で、海軍の作戦/戦術については
ほとんど干渉されたことがなく、「陸のヒトラー」からは信頼されていたとし、
また、ヒトラー暗殺未遂事件にも触れ、短いながらも1章を割き、自身の見解を述べています。

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そして、自殺を選ぶヒトラーから後継者に任命されると国防軍最高司令部長官のカイテルを解任し
隠居生活だったフォン・マンシュタインを後任に据えようとしたということです。
結局、終戦間際のゴタゴタのなかで所在がわからず・・だったようですが、
しかし、いくらマンシュタインでも、この時期では結果的にはなにも変わらなかったでしょう。

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最後の章では終戦の数日後に事故死した、ヴォルフガンク・リュートについて語り、
最も優秀なUボート艦長の一人として、
その棺に別れを告げる光景は象徴的であったと結んでいます。
そこには戦死した全てのUボート戦士が納められているという思いもあったのでしょうか・・。



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