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1945年・ベルリン解放の真実 戦争・強姦・子ども [女性と戦争]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヘルケ・ザンダー/バーバラ・ヨール編著の「1945年・ベルリン解放の真実」を読破しました。

最近、偶然見つけたベルリン終戦時における大量強姦を扱った一冊です。
1996年の発刊で、ハードカバー354ページ、定価は5150円という立派なもの・・。
原題は「解放・する者とされる者」で、1992年の同名の映画(日本未公開)の
書籍版のようです。
女流映画監督ヘルケ・ザンダーがその映画のために調査を行ない、
100人を超える女性たちの証言や、おびただしい数の資料から当時ベルリンで発生した
強姦件数、また、それによってどれだけの子供が生まれたのか・・も追及します。

1945年・ベルリン解放の真実.jpg

2部構成からなる本書。まず「PART Ⅰ」では
戦後、ドイツでは終戦前後の強姦がどのように扱われてきたのかを検証します。
1959年に作者不明のまま出版された「ベルリンの女」以外に、この件がメインテーマとして
書かれたものはなく、タブー視されていたという話・・。
これは以前に紹介した「ベルリン終戦日記 -ある女性の記録-」のことですね。

Eine Frau in Berlin.jpg

1937年生まれの著者で映画監督のヘルケや、人々の意識にどれほど深い影響を与えたのかも
著者の友人が子供の頃、いちばん好きだった遊びが「強姦ごっこ」であり、
これは女の子たちが叫び声をあげて近くの森に駆け込んだり、斜面を転げ下りたりし、
それを追いかけ、ついに捕まえた男の子たちがその上に身を投げ出す・・
という話も紹介します。

rape-german-women-berlin-1945-russian-soldiers.jpg

強姦を逃れるため、ベルリンの女性たちがあみだした「防止戦略」は
屋根裏部屋や洋服ダンスに若い女性を隠したり、
育ちざかりの娘の髪の毛を切り、ズボンを履かせて男の子に変身・・。
食料品調達で出かける際には、髪を振り乱して、煤で顔を汚し、
ボロを身にまとい、老婆のようにブツブツと呟いて、ロシア兵の興味を引かぬように・・。

わずか13歳、14歳で、自分に何が起こったのかまったく理解できず、
誰にも相談できずに自殺したりする者も多かったという当時の女性たち。
さらに多くの妊娠した女性の中絶も、ドイツでは以前から禁止されており、
ロシア兵に強姦されたと証明できれば可能であったものの、強姦されたことを夫や彼、
親からも非難されることを怖れ、申告をためらった女性も多かったようです。

Bund Deutscher Mädel.jpg

そんな女性を守るべきドイツ人男性はというと、妻をかばう代償として命を落とした
ベルリンの男が6人いたことは分かっているそうですが、大半は恐怖に脅え、
妻の背後に隠れていた・・として、
彼らが占領地で行ってきた「強制売春」や組織的な強姦についても触れています。

bicycle.jpg

軍用娼家では、捕えられたユダヤ人やポーランド人、ロシア女性が、
ドイツ軍将兵を満足させるために管理され、
慰安勤務の際には、「微笑を絶やさぬこと」という規定も。。
支配民族のドイツ人が満足しなかったとの「報告」が3回になった場合には、
彼女たちは死刑執行場行き・・という過酷な状況です。

そんなドイツ軍に引用するフリードリヒ大王の作とされる格言は次のとおりです。
「兵士のやったことは非難するな
そこで死ぬことになる奴らだ
彼らが欲しがるものを与えよ
飲むにまかせよ、キスするにまかせよ
命がいつまであるのやら、わからんのだから」

ukrainian-people-women.jpg

まだベルリン掃討戦が行われていたときには、ロシア兵たちは敵意は持っていても
女たちが水を取りに行けるように一時射撃を止めたり、パン屋まで行くのを護衛したり、
瓦礫の下に埋まった人たちの掘り出し作業を手伝ったりとしていたそうですが、
戦争が終わると、酔っ払った連中が女性を地下室から引っ張り出して、
子供の前で暴行し、抵抗する男女を撃ち殺し始めた・・というような
様々な記録を本書では紹介します。

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終戦時の「強姦」は赤軍だけの専売特許ではありません。
フランス軍がシュトゥットガルトに侵攻した際、1200件の強姦があったそうで
警察の報告によれば被害者は14歳~74歳まで・・。
加害者はフランス軍に所属するターバンを巻いたモロッコ兵です。
もちろん、米兵による強姦事件にも触れています。

native Moroccan soldiers in the French Army.jpg

強姦の次に待っていたのは苦痛に満ちた性病と婦人科の手術です。
会陰が肛門まで裂けていた10歳~16歳までの少女たちは縫合を必要とし、
淋病や梅毒をうつされた女性たち・・。
ヴィクトリア学寮では強姦された女性寮長と8人の少女たちが自殺。
ベルリン終戦日記」も数ページ引用しながら、
この最初の、壮絶だった1週間が進みます。

berlin 1945 .jpg

「大量強姦をめぐる数字」の章では、当初、数万から100万までの幅があり、
特定されていなかったベルリンで強姦された女性の数を検証します。
しかし、まず現行法での強姦の定義が調査を難しく・・。
例えば「ソ連の司令官と寝るか、シベリア送りになるか」の選択で、
前者を選択した場合は「強要」であって「強姦」にはならないそうです。

ともあれ、統計学者や病院記録など様々な角度から検証を行った結果は、
1945年ベルリンにいた140万の女性や少女のうち、初夏から秋にかけて
少なくとも11万人(7.1%)が強姦され、1万人以上が妊娠、
そして1000人以上のロシアの子供が生まれたということです。
また、後に梅毒で死んだ女性も220名ということはわかっているそうですが、
強姦による性病患者の数を特定することは、今日では不可能・・としています。

Red Army soldiers distributing bread to Berlin residents after Germany’s surrender in 1945.jpg

ドイツ国防軍と武装SSが占領地で行った「強姦」の数字も検証しますが、
ここでは数多く出てくる公文書が非常に印象的です。
1943年、OKWの総務部が、SS大将ヴォルフ氏に宛てた「極秘司令」・・、
野戦警察が発見した武装SS兵による強姦事件が多い(18件)・・という報告です。
複数の武装SS兵士が14歳の少女を犯した・・や、
70歳の女性とその娘を9人のSS隊員が強姦し、この行為を認めた首謀者2人は転属させられた・・。
また、ここに出てくる部隊はLAHで、本書では「国防扇形線区軍」と、意味不明に訳されていますが、
まぁ、「ライプシュタンダルテ・アドルフ・ヒトラー」でしょうね。。

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「PART Ⅱ」は、本書の同名映画の「シナリオ」という一風変わった構成です。
この映画は日本では未公開ですし、おそらくソフトも発売されていないと思いますが、
インタビュー形式の映画のようで、本書でもそのようなQ&Aで進みます。

AMERICAN-SOLDIERS-GERMAN-GIRLS-BERLIN-1945.jpg

地下室にいたウルスラはモンゴル系の兵士3人に次々に強姦されたと語ります。
それが終わると若くドイツ語の喋れる礼儀正しい将校が一人やってきて、
強姦するのはすまないと思うが、やむを得ないと謝ります。

The Mongoloid Soviet soldiers were let loose on the German women.jpg

どうしても強姦されるのが嫌だったと言うヒルデガルトは、
市街戦に身をさらした方がマシとばかりに男装をして国民突撃隊に配属・・。
手榴弾やピストルももらい、捕虜になっても3ヵ月間、女の子であることを隠し通しますが、
結局はスパイであると判断され、尋問される毎日・・。
この話は長いので割愛しますが、最近流行の男装ドラマにでもなりそうな展開ですね。

Mere boys. Perhaps of Hitler Youth. These were the fighters that were defending Hitler in his last days. Sad.jpg

当時、ロシアの少年兵だったイヴァンは、ドイツの女を強姦してはならないと警告されたと語ります。
「ドイツの女のなかには愛国者がいて、進んで赤軍兵士に性病をうつす」という噂で、
「兵士たちは性病をうつされることで、極東に送られないために女を犯した」
コレはちょっと苦しい言い訳のような気も・・。

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終戦から2~3週間もすると、ドイツ占領軍の最高司令官ジューコフ元帥が厳しい命令を発し、
ロシア兵が強姦現場で捕まったり、たとえ脅迫でも告発されると銃殺刑に処せられた・・と
そのような目撃例を語る人たちも。

Zhukov berlin 1945.jpg

場所は変わってフランスで10万人の「ボッシュの子」が生まれたという話では、
カトリックの国ではどこでも中絶は厳しく禁止されているための結果でもあったようです。
ここではフランスで最後に「ギロチン台」上がったのが中絶を助けた女性だったとして、
1988年の映画「主婦マリーがしたこと」に触れています。
これは以前に「観たい映画」として紹介している1本ですね。
日本版DVDのパッケージはなんとなく不倫ドラマっぽいですが、やっぱり観てみたい。。

Une affaire de femmes.jpg

また、いわゆる「ナチ協力者」と言われるフランス女性について、マダム・アンリは
「ドイツ軍が進駐してきたとき、ドイツ兵はみんなブロンドで日焼けしていて素敵だ」
と思ったそうで、ただドイツ人に恋した女たちが、解放後、
ナチ協力者」としてヒドイ目に遭わされたのだと証言します。

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この解放されたフランス人の怒りは、武装SS師団「ダス・ライヒ」がオラドゥール村で起こした
600人の村民大虐殺の復讐として、そこにに多く配属されていたかつてのフランス領アルザスの
フロイデンシュタット出身者を探し出し、フロイデンシュタットを焼き払ってやると・・。

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他にも、梅毒症で生まれてしまった子供の話・・。
う~、男が読んだり、こうして書いたりするには、かなりシンドイ内容もありました。
訳者さんも女性ですが、その「訳者あとがき」の最後には
「本書が、手にしてくれた女たちに(そして男たちにも)性差別と人種差別を考える
新たなきっかけになってくれることを・・」と結ばれています。

定価も高いですが、すでに廃刊になっているようです。
コレはモッタイないですね。もっと多くの人に読んで欲しい一冊です。
半分程度に巧く編集して、2000円くらいで再出版できないかなぁ。。。
「ベルリン終戦日記」の映画版である、「ベルリン陥落 1945」も観たくなってきました。







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第二次大戦の連合軍婦人部隊 [女性と戦争]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

マーティン・ブレーリー著の「第二次大戦の連合軍婦人部隊」を読破しました。

先日の「オスプレイ・ミリタリー・シリーズ」の1冊、「ドイツ軍婦人補助部隊」が
予想以上にタメになりましたので、有言実行で続編である「連合軍」を早速、読んでみました。
こと女性の問題になると、我ながら動きが機敏です。。
定価2415円は一緒ですが、51ページから55ページへと増量・・?
著者は変わって、軍事写真家であり、長年、軍装品の蒐集もしている方だそうです。

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「序章」では有史以来、19世紀まで戦いに赴く兵士たちは、
従者や妻を引き連れていくのが習わしだった・・という話から、
第1次大戦開戦当初の英国が、軍隊への女人禁制となり、長引く戦いで
甚大な損害を出してから、後方の事務員やコックが女性に取って変わられた・・という話まで。

Auxiliary Territorial Service cook.jpg

紆余曲折を経て英国陸軍の婦人部隊「国防義勇軍補助部隊(ATS)」が1938年に編成され、
いざ開戦となると、対空砲兵隊に女性も配属されます。
しかしATS(アッツと呼ぶそうです)向けの装備は間に合わず、
とりあえずは男性用戦闘服でガマンすることに・・。
チャーチル首相の末娘もこの対空砲部隊に勤務していたことなども写真で紹介。
1942年には女性の徴集が承認されると、翌年に女性兵力は21万名もと膨れ上がります。

ATS AT AN ANTI-AIRCRAFT GUN SITE IN BRITAIN, DECEMBER 1942.jpg

海軍の「英国海軍婦人部隊」、通称WRNS(レンズ)も1939年当初は事務職、
自動車輸送部、調理部、伝令などに配属されていたものの、
最盛期には7万名を超え、水兵として通貨船、沿岸水路警備艇などにも
乗り込んでいたそうですが、これら船舶乗組員はわずか500名強です。

WRNS Sally.jpg

「空軍婦人補助部隊」、通称WAAF(ワフ)も徐々に規模は大きくなり、
終戦時には英国本土の空軍兵力の22%である、18万名にも達したそうです。
職種も75種類にも及び、レーダー地図の標識員から、阻基気球繋留隊員まで・・。
しかし、ここまで写真は多いですが、制服と階級章などにはあまり説明はなく、
「キャプションとイラストを見ろ」といった感じです。

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米国では「陸軍婦人補助部隊」、通称WAAC(ワック)の成立は困難だったようで
ジョージ・C・マーシャルまでもが婦人兵導入構想について激しい非難を浴びますが、
1942年5月、参戦5か月後になってようやく発足。

WAACs UniformFirst3.jpg

翌年には正式に米軍に所属することとなり、名称からも「補助(Auxiliary)」が取れて
「陸軍婦人部隊(WAC)」となります。
職種も150以上に渡り、ヘルメットもかぶり女性用の戦闘服も作られますが、
ロング、レギュラー、ショートの規格サイズだけで、
女性として重要なバストやヒップのサイズは当初、全く考慮されず・・。

Women’s Auxiliary Army Corps.jpg

このWAACについては制服と徽章などがある程度述べられており、
特に士官用の帽子は「モンキーハット」と揶揄された挙句、そのデカイ鷲章も不恰好なことから、
「歩くガチョウ」やら、「歩くアホ鷲」と呼ばれたそうです。
ヴィトゲンシュタインに言わせれば「ペギラ」以外の何者でもないですが。。

Women's Army Auxiliary Corps chocolate brown hobby hat, 1942.jpg

続いて、その他の西側諸国。
カナダやオーストラリア、南アフリカ、インド、ニュージーランド、ビルマと
英連邦軍の婦人部隊が紹介されます。
そういえば「輸送船団を死守せよ」のヒロインは、カナダの女性補助部隊でしたね。

Canadienne des HMCS.jpg

真ん中には「ドイツ軍婦人補助部隊」と同様、表紙のようなカラーイラストが8ページあり、
24人の制服の婦人補助員が登場します。
ちなみに表紙の3名は左から「ハワイ勤務の米国海兵隊婦人予備部隊の伍長」、
「WAAF上等兵」、「カナダ海軍補助部隊の水兵」です。

Pilot trainee Shirley Slade she sits on the wing of her Army trainer at Avenger Field, Sweetwater, Texas, July 19, 1943..jpg

後半には「ソヴィエト連邦」の章がありました。
ソ連において女性が前線で勤務したことは、この「独破戦線」でも何度か紹介していますが、
本書によると、陸軍においては前線の医療部隊のうち、40%が女性で占められ、
1945年には、控えめな概算でも80万名・・、陸軍総兵力の約10%が婦人兵ということです。

soviet women.jpg

そして西側連合軍とは違い、機関銃兵、戦闘工兵、伝令オートバイ兵に
戦車や自走砲の乗員としても活躍。
これらは男女混成部隊であって、男女は完全に平等だったそうです。
また、なんと言っても「狙撃兵」が良く知られていますが、
確認戦果309人のリュドミラ・パヴリチェンコ中尉も紹介されています。
ただし、個人的にこの「戦果」は、眉唾モノだと思っていますが・・。

Lyudmila Pavlichenko_3.jpg

ソ連陸軍航空隊では、「スターリングラードの白薔薇」リディア・リトヴァクも紹介されますが、
「ソヴィエト連邦」の章、全部合わせても2ページだけ・・ちょっと残念でした。

最後は「外国人義勇部隊」。
なんだか武装SSを彷彿とさせる章ですが、これはドイツ軍占領地の亡命軍ですね。
政府が亡命した英国で編成された自由ポーランド軍には
独自の婦人補助部隊(PSK)があり、制服こそATSのものを着用しますが、
「POLAND」の肩章と、ポーランド鷲を襟と帽子に付けています。
そして西側連合軍とは違い、婦人兵の火器携帯を禁止する規則がなく、
歩兵用兵器の操作訓練も受けたそうです。

pomocnicza stuzba kobiet.jpg

フランスも自由フランス軍の婦人義勇兵が存在します。
また、解放されたオランダでも王国陸軍が再編され、婦人補助部隊も。
連合軍に勤務するデンマーク人女性は100名を超え、
200名のノルウェー軍婦人部隊も編成されたそうです。

volontaire feminine.jpg

全体的にはボリュームと比較して範囲が広いことや、著者の違いもありますが、
各々の部隊の創設の歴史などが中心で、制服や徽章などについては
「ドイツ軍婦人補助部隊」の方が詳しかった印象があります。
また、「看護補助部隊」には触れられず、これは著者が別の本で取り上げる予定のため、
割愛した・・ということでした。。

ATS Bagpiper Accompanies Sword Dance.jpg

最後のフランス、オランダ、デンマーク、ノルウェーの女性補助部隊の存在を知って思ったのは、
これらの国々の男性が、数は少なくともドイツの武装SS義勇兵として戦っていただけに
戦前、彼氏と彼女だった2人が、運命のいたずらから一方はドイツ軍として戦い、
一方は連合軍の補助部隊員として・・。そして終戦とともに再会・・なんてストーリー、
なかなかドラマチックで良くないですか?



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第二次大戦のドイツ軍婦人補助部隊 [女性と戦争]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ゴードン・ウィリアムソン著の「第二次大戦のドイツ軍婦人補助部隊」を読破しました。

2007年発刊の「オスプレイ・ミリタリー・シリーズ」の1冊である本書は、
男のなかの男であっても、ついつい興味をソソラレてしまう「女性の制服」モノです。
以前から気にはなっていましたが、定価2415円で、たった51ページ・・。
大いに悩んだ挙句、図書館にありましたのでちょっと借りてみました。
う~む、我ながら実に男らしくありませんね。。

第二次大戦のドイツ軍婦人補助部隊.jpg

最初は「陸軍補助婦隊」からです。
ヴィトゲンシュタインは「補助婦隊」という言葉自体、初めて知りましたが、
第1次大戦前からドイツ陸軍には女性を補助部隊員として採用してきた
長い歴史があったにもかかわらず、
1937年の陸軍の動員令に女性は招集されず、1940年10月になって、
占領地フランスの膨大な事務職などのポストに婦人補助員を充てることになります。

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当初は「通信補助婦隊」だけだったのが「福利厚生補助婦隊」、「本部付補助婦隊」、
「雑役補助婦隊」、さらには「調馬婦隊」も編成され、やがて終戦も近づいた1944年11末には
陸海空3軍すべての補助婦隊が統合されて「国防軍補助婦隊」となったということです。

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このような歴史を紹介した後で、「陸軍通信補助婦隊」の職務や制服が
実際の彼女らの写真とともに詳しく解説。
例えば「ブラウス」では、
「官給品はグレーで、襟の先端はとがり、一番上のボタンまで留めた。
夏季服装や外出服装では白のブラウスに代えられることもあった。」

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「通信補助婦隊」は通信科の兵科色レモンイエローの「電光(ブリッツ)」マークの袖章を付けており
このことから彼女たちは「カミナリ嬢」と呼ばれていたそうですが、
コレにはやっぱり、あ~ゆ~意味も含まれていたんでしょうか?

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そして階級。
階級章のないただの「補助婦」から「上級補助婦」、その上の「指導婦」は4階級あり、
最高が「高級指導婦」です。
しかし1942年には改正されて、トップに君臨するのは「上級本部付指導婦」で
金色の縞織山形章に金色の星章1個、金色のパイピング・・と、全階級を明記しています。
さらに白黒ですが、カフタイトルの写真も4種類紹介。。いやいや、凄いですね。

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続いては「海軍補助婦隊」です。
こちらも陸軍同様、長い歴史があったそうですが、1941年に「海軍対空監視補助婦隊」が編成され、
翌年には大規模な「海軍補助婦隊」となり、1943年には「海軍高射砲補助婦隊」も結成。
彼女たちは、長い哨戒から帰港したUボートを迎える写真が良く知られていますが、
本書によると「海軍補助婦隊」だけではなく、「陸軍補助婦隊」も駆り出されていたそうです。

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「補助婦隊」で一番有名なのは「空軍」ですね。
新たに創設されたルフトヴァッフェには、当初から事務員や電話交換手などが採用されて
その後、「航空通信補助婦隊」、「高射砲補助婦隊」などが誕生します。
制服の色は陸海のフィールドグレーと違って、空軍らしいブルーグレー。

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「対空監視服務隊」のバッジや「通信補助婦隊」のブローチ、「防空警報服務隊」の徽章などの
図柄も細かく書かれていて、大変勉強になります。

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真ん中には表紙のようなカラーイラストが8ページほどあり、
20人ほどの制服の婦人補助員が登場します。
ちなみに表紙の3名は左から「帝国労働奉仕団(RAD) RAD女子高級指導婦」、
「高射砲補助婦隊 上級補助婦」、「海軍補助婦隊 高級指導婦」です。

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軍の補助婦隊が終わると、「民間団体および党の補助婦隊」の章となります。
帝国労働奉仕団(RAD)の女性が工場労働者、病院、郵便局の補助員、
バスや路面電車の車掌といった重要な民間職に就き、
その代わりに、悲しいかな男性は前線送りになるわけですが、
これらの制服といっても、各々の現場での制服なりを着用し、
表紙のような制服は、お偉いおばちゃん専用だったようです。

Heer Nachrichtenhelferinnen.jpg

いよいよ看護婦さんの登場です。
各軍にはドイツ赤十字社(DRK)から看護婦が派遣されており、
白の介護服以外にもグレーの正式な勤務服が存在していました。
どちらも写真と解説で服装を・・。

deutsche rote kreuz.jpg

さらに北アフリカなどの熱帯用も出てきますが、
特に北アフリカ戦役全期間に従軍した古参看護婦、イルゼ・シュルツは
砲火のなかで負傷兵を介護し続けた功により、2級鉄十字章を受章。
写真でも「アフリカ軍団」カフタイトルを付けてます。
さすが修羅場をくぐり抜けて来たような何とも言えない表情ですね。。

Female Uniform Deutsches Rotes Kreuz Afrikakorps.jpg

「ドイツ少女同盟(BdM)」もしっかり書かれており、その階級も
「少女班長」から「婦人大管区連盟長」までの8階級がありますが、
「少女組長」っていうのは、なんとも・・。「男組」じゃないですけど「女番長」みたいですよね。。
そういえばヴィトゲンシュタインが少年時代から好きなソフィー・マルソーが主演した
「レディ・エージェント 第三帝国を滅ぼした女たち」という映画を思い出しました。
そのコスプレっぷりだけは、なかなか印象的な映画でした。

FEMALE AGENTS Sophie Marceau.jpg

「SS補助婦隊」はいくらか知っていましたが、1943年に制定された
本物の銀製の略章の話が楽しめました。
SSルーンに柏葉がちりばめられ「HELFEN(補助)」と書かれたこの代物・・。
2年間の研修期間を模範的な態度で務め、優れた勤務成績を達成した者に与えられたそうですが、
実物は現存しているものの、その受章記録や佩用した写真は見つかっていないそうです。
う~む。初めて知りました。

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占領地出身の女性志願兵が自国の国旗色をあしらった袖パッチをしていた例も紹介され、
これらは男性兵士用に導入されたものだったということですが、
本書全体でも、女性向けの制服が支給されず、男物の制服を着用していた話も多く、
特に戦争後半は物資が足りないのに、改定やら再編成やらで、
おそらく、男性兵士並みにバラバラになっていったのでは・・と思いますね。

Norway  helferinnen.jpg

読み終えてから気が付きましたが、著者は
「鉄十字の騎士―騎士十字章の栄誉を担った勇者たち」の方で、
勲章の受章者など詳しいなぁ、と思ってましたが、かなり専門的でした。
この「オスプレイ・ミリタリー・シリーズ」は初めて読みましたが、
51ページでも、コレは馬鹿に出来ない1冊で、今回、実に多くのことを学びました。
ちゃんと図書館に返しますが、改めて購入しようと思っています。
でもその前に「第二次大戦の連合軍婦人部隊」を借りてみます・・。







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エヴァ・ブラウン -ヒトラーの愛人- [女性と戦争]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ネリン・E.グーン著の「エヴァ・ブラウン」を読破しました。

以前に紹介した「エヴァ・ブラウンの日記」があまりにもXXXXでしたので、
ちゃんとしたエヴァものを読みたいなぁ・・と思っていました。
先日の「アドルフ・ヒトラー」もそれほどでもなく、今回、文華堂で見つけた
1973年発刊の400ページという本書。
1979年には「エヴァの愛・ヒトラーの愛―独裁者を恋した女の生涯」という本も出ているんですが、
こっちの方がページ数もあるし、古書でも安かった・・というのが本書を選んだ理由です。

エヴァ・ブラウン.jpg

やっぱりエヴァ・ブラウンには興味がありますね。
そういう方も多いんじゃないかと思いますが、それでも、ヒトラーが愛した女として見るのか、
なぜ、彼女はヒトラーを愛したのかと見るのか、見方は人それぞれだと思います。
ヴィトゲンシュタインは両方ですね。ヒトラーがエヴァのどこに特別なものを見たのか。
エヴァはヒトラーの男として以外の部分、政治的なことまで知っていたうえで愛したのか。
実はエヴァが強烈な反ユダヤ主義者で、
「あんた、ユダヤ人なんてラインハルトに全部殺させちゃいなさいよ」
なんて言っていたとは、とても想像できないですから・・。

本書には30枚ほどの写真が掲載されていますが、「ヒトラーのお気に入りの写真」と書かれた
19歳のエヴァを見ると、なんとなくゲリに似ているような気もしますね。

Geli_Eva.jpg

著者は中立国の特派員として活躍中に捕えられ、終戦とともにダッハウ強制収容所から解放され、
米国に帰化後、フリー・ジャーナリストとして活動・・という数奇な経歴の持ち主です。
序文では、ヒトラーの専属カメラマンのホフマンや、娘のヘンリエッテ、その旦那である
フォン・シーラッハらの証言と、トレヴァ・ローパーなどの研究者によって
エヴァが甚だしく誤って描かれているとし、ヒトラーの秘書たちやエヴァの唯一の親友だったヘルタ、
20年間、口を閉ざしていたエヴァの家族からもインタビューを行い、本書を書き上げたそうです。

Eva and her sister Ilse (1908 - 1979) in a childhood photo from 1913.jpg

第1章はヒトラーの19歳年下の姪、ゲリの死から始まります。
ここではヒトラーの最初の運転手で、世話好きのヒトラーから「早く妻をめとるように」との
忠告を受け入れ、ゲリと婚約した結果、ヒトラーの逆鱗に触れてクビになったモーリスの
「ヒトラーはゲリに惚れてましたよ」と断言する話を紹介します。
一方、女中で管理人だったアニー婦人の話・・、「ヒトラーの愛は父親の愛情であり、
ゲリはヒトラー夫人になることを望んでいた」という様々な話も・・。
そしてゲリが自殺の直前「親愛なるヒトラー様」と書かれた手紙を発見。。
その最後には「あなたのエヴァより」と書かれていたのでした。

ゲリより4歳若い、1912年生まれのエヴァ。姉のイルゼ、さらに妹グレートルとの3姉妹は
ミュンヘンの学校教師の家庭で育っていきます。
やがて教育の総仕上げに修道院に送り、礼儀作法などを教えるのが一家のしきたりです。

this is supposed to be Eva Braun as a young girl at Simbach Convent.jpg

17歳で修道院をあとにし、就職先を探すふっくらと太ったエヴァ。
求人広告を見てやって来たのは「ハインリヒ・ホフマン美術写真商会」。
近くには「フェルキッシャー・ベオバハター」の印刷所とナチ党幹部が集うイタリア料理店があり、
ナチ党員の店主ホフマンは、ウサギ飼育業者を自称するヒムラー
泥だらけの長靴を履いたボルマン、向かいの薬局に長生きの万能薬を買いに行くヘス
しきりに女たちを怖がらせるシュトライヒャーらの写真を撮り、
3週間後にはヒトラーも遂に姿を現します。

Teenager Eva Braun.jpg

政治に無知な彼女は「ヒトラーってどんな人なの?」と父に尋ねます。
「あいつは自分のことを全能だと思い込んでいて、世界を改造したがっている低能児だよ・・」
しかし23歳年上のヒトラーに度々会っていたエヴァは、
ゲリの自殺に精神錯乱となって悲観に暮れ、姿を現さないヒトラーと、
彼のために命を捨てる女性がいたことに感動し、
このことが、ヒトラーを愛することになった決定的な要因と本書では推測しています。

Die 21-jährige Eva Braun.jpg

そして時は1932年、まさにヒトラーとナチ党にとっては政権奪取に向けて多忙を極める毎日。
20歳の小娘とちょいちょい逢引きしているヒマはありません。
やがて短い便りさえ届かないことにシビレを切らしたエヴァは1年前のゲリと同様、
ピストル自殺を図ります。
2人の関係を決して口外せず、タクシー代も自分が払うと言い張り、
贈り物にも控えめなお返しをするエヴァに「これからは気を付けてやらないと・・」と、
ヒトラーもホフマンに打ち明けます。
ちなみに日本で「ヒトラーの愛人」とされるエヴァですが、別に独身の男女ですから
「愛人」というのも変ですよね。まぁ、昔は「恋人」のことを「愛人」とも言っていたようなので
その名残りなんでしょうか?

Eva Braun in the office of Heinrich Hoffmann.jpg

彼女を特別な存在と認めたものの、政権を握ったヒトラー総統の前には
様々な女性たちが群がってきます。
以前に紹介したレニ・リーフェンシュタールユニティ・ミトフォード・・。
本書ではこのような女性たちにも1章を割いて紹介していますが、個人的には
「うっとりとさせるような金髪のインゲ・ライは、いつもヒトラーの胸をかきたてていた」とされる
ドイツ労働戦線全国指導者ロベルト・ライの奥さんの話が印象的でした。
呑んだくれの旦那との不幸な結婚生活をヒトラーは常に話題にし、やがて彼女は1943年、
窓から飛び降りてしまいます。綺麗な人ですよねぇ。。

Hitler. Inge Ley.jpg

例の「エヴァ・ブラウンの日記」についても書かれていました。
1947年に発表されたこの日記は「ずうずうしいイカサマ」であるとして、一刀両断にしています。。。
しかし1935年の20ページから成る本物の日記が発見され、
姉のイルゼが「本物」と言い切るこの日記が本書には収められていました。
「彼が愛すると言う時、そのことを彼は、しばらくの間は、と考えているに過ぎない。
約束にしても同じこと。彼がそれを守ったためしはないんだもん」

注釈で著者は、のちに世界中の政治家がヒトラーを信じ、そして裏切られたことを
彼女はこの時点で理解していたのだ・・と褒め称えています。。
しかし愛に悩む、23歳の女の子の日記ですから、読んでるコッチが照れくさいですね。。

Eva Braun um 1935.jpg

中盤からは数々の困難とライバルを押しのけ、「ベルヒテスガーデン」の女主人の地位まで
上り詰めたエヴァと、ヒトラーの取り巻きたちとの生活の様子、
副総裁ヘスが英国に飛び立った事件で、ヘス婦人のためにヒトラーに懇願するエヴァ。
さらにその他のナチ党高官婦人との関係が・・。

リッベントロップ夫人はエヴァごときには見向きもしないものの、
「第三帝国のファーストレディー」を自負するエミー・ゲーリング
「エヴァを村八分にしましょう」とスローガンを掲げるナチ政府女性群の総帥格。。
シュペーア婦人とボルマン婦人とは仲が良かったようですが、
互いにヒトラーを征服しようと企むエヴァとボルマンは敵同士です。
また、パパ・ブラウンからは「中年男の妾に成り下がり、結婚のあてもないのに
同棲するとは何たる不真面目!」と、2度と実家に足を踏み入れるなと言い渡されるのでした・・。

Hitler Eva Magarete Speer.jpg

エヴァはヒトラーのことを皆と同じく「マイン・フューラー」と呼び、
使用人にも仲の良い友人であると思わせるために演技を続けます。
ヒトラーも毎朝、階段で出会うごとにうやうやしく挨拶をし、手にキスをするという
礼儀正しい振る舞いを見せ、書斎からエヴァの部屋へ直接入れるにも関わらず、
彼女の部屋をノックしてお伺いを立てます。
「フロイライン・エフィー、着替えはお済ですか、お会いできますか?」
しかし侍従長のリンゲはヒトラーのベッドで抱擁する2人に不意打ちを喰わせてしまったことを
証言しているそうです。

hitler_eva.jpg

豪華なレセプションや紳士淑女の集いに招待してくれと頼むエヴァですが、ヒトラーは答えます。
「エフィー、きみは社交的な生活をするようにできてないんだよ。きみは私の大事な宝・・。
私にはきみの清らかさを守る義務がある。外の世界は汚物の山なんだ」
そんなことで諦めないエヴァは、山荘を訪れるウィンザー公爵夫妻を紹介してくれるよう
ヒトラーに迫り、うんざりさせます。
「だって、あの方は一人の女性のために大英帝国を惜しげもなく捨てたんですもの・・」

The Duke and Duchess of Windsor with Hitler.jpg

さらに映画「風と共に去りぬ」が公開されると、自分をスカーレット・オハラに見立て、
衣装をまとって一場面をパントマイムで演じて見せ、ヒトラーにも映画を鑑賞させて、
口を開けば「クラーク・ゲーブル、なんて素敵な男でしょう」と、自室に写真も飾り、
食卓でも声マネで英語を喋るという大変なのぼせよう・・。
とうとう嫉妬心に掻き立てられたヒトラーはレット・バトラー役になることもなく、
ドイツでの公開許可を取り消す旨を指示・・。
本書では、このようなエヴァの行為を「遠回しに・・」としていますが、
男からしてみれば、十分、直接的です。。。

Mr-Bean-Gone-With-The-Wind.jpg

うっぷん晴らしにベルリンの商店で一番値の張る品物を注文し、
総統官邸に届けさせるという行動で商店主たちを悩ませます。
靴はイタリアから、下着はパリから取り寄せ、ドレスも何十着と注文し、見せびらかします。
当初は「なんて優雅なんだ」と鼻が高かったヒトラーも、「密輸業者からでも買ったのかね?」

Eva Braun.jpg

連合軍がノルマンディに上陸したニュースに起こされて、「ついに来た。これこそ本物の敵だ」と
歓声を上げ、軍事地図を求めて白木綿のナイトシャツのまま、飛び出そうとするヒトラーを
最高司令官にふさわしくないと躍起になって引き留めるエヴァ・・。
この頃になると女主人のモラルも変貌を遂げ、熱烈なナチ党支持者となり、傲慢にもなっていきます。
姉のイルゼがヒトラーの方針に批判を投げかけると
「総統があなたを強制収容所に送ったとしても、わたしは救い出してあげませんからね」と
宣言するほど・・。

Eva Braun with her parents, Friedrich 'Fritz' and Franziska (centre) and her sisters Ilse (left) and Margarethe Gretl (second from right) in 1940.jpg

そうはいっても、女性に関することにはヒトラーに喰ってかかります。
ヒムラーが美容院の閉鎖を命じると、ヒトラーを説得して再開させ、
主婦が闇市で食品を買うことを禁止する法令も撤回・・。
地下鉄で立っている女性を尻目に、のうのうと座っている将校たちを目撃すると、
「軍人は公共の乗り物を利用するにあたって常に騎士道精神に則った振る舞いをすべし」
という布告をヒトラーに出させるといった具合・・。

ヒトラー暗殺未遂事件では、2通の手紙・・。ヒトラーの書いた
「わたしは大丈夫。じきに帰れて、君の腕の中で休むことができれば・・」という手紙と
シュムント将軍はお気の毒に・・。命ある限りあなたを愛します」というエヴァの手紙を紹介します。

eva13.png

ヒトラーのたばこ嫌いは有名ですが、コレにまつわるエピソードが豊富でした。
エヴァの妹グレートルに対し「たばこをやめなさい。そしたらあなたに別荘をあげるから」
それをあっさりと断られると、エヴァを含む20名の女性たちには
「1ヶ月間禁煙したら、スイス製の金の時計と宝石を送るから」
そして、いつかすべてのたばこの箱には「危ない!喫煙はあなたを殺す。危ない!ガンになる!」
と印刷したラベルを張るよう法律で定めると宣言しています。

Eva Braun's Sister, Gretl.jpg

そのグレートルはSS副官のフェーゲラインと1944年に結婚するわけですが、
本書のフェーゲラインの紹介は、「ベルヒテスガーデンの女性を尽くなで斬りにしており、
自分と寝ることを承知しない女を仇敵とみなすという、まことにあっぱれな男性の典型だったのだ」
また、この結婚式の様子も新婦が語ったと思いますが、エヴァの雇ったSS護衛兵の楽団が
軍服もヨレヨレで、その演奏はさらにボロボロだったという話や、
舎弟の結婚に気を良くしたボルマンがシャンパンを飲み過ぎて担架で退場したなど・・。

Fegelein_Gretl_Hitler_Eva.jpg

ベルリンは爆撃によって廃墟となった建物が目立ち始め、エヴァも不安におののき始めます。
著者はカイテル元帥のような人物が「クリスマスのためのとっておきの大勝利」を約束し、
愛する軍事の天才が明けても暮れても「エフィー、これほど勝利の確信が湧いたことは一度もない」
と宣言するに及んでは、彼女がむやみに楽観的になったり、
熱狂的になったりするのは異常なことではなく、
当時のドイツの若い女性はみんな同じように考えていたのだとしています。

Eva with Speer.jpg

1945年になると、ベルリンからの疎開をヒトラーから命じられたエヴァ。
しかし33歳となった彼女はすぐにベルリンの総統のそばに戻ることを決断します。
ダイムラー・ベンツ社を訪れて「総統から大至急ベルリンに来るように命じられているんです」
とウソをつき、以前の運転手がエヴァを運ぶ役目を引き受けます。
そんなエヴァの顔を一目見たヒトラーは叱りつけようとするものの、彼の喜びは傍目にも明らか。。

最後の地下壕の様子は、「私はヒトラーの秘書だった」のユンゲ嬢らの証言で構成されており、
だいたい、過去に読んだ「ヒトラーの最期」本と同じ展開です。
ただし、親友のヘルタや、妹のグレートルに宛てた最後の手紙が印象的でした。

Hitler's mistress Eva Braun.jpg

実に濃くて面白いエヴァ・ブラウン伝でした。原著は1968年と古いものですが、
逆に当時だからこそ、彼女を知る当事者にインタビューが可能だったのも事実ですね。
いくつか知っているエピソードもありましたが、コレは本書がネタ本になっているのかも知れません。
今回はかなり長くなりましたが、これでも結構、端折ったつもりなんですね。
不思議なのは、本書を読んでエヴァという女性を理解できたか・・というと、そうでもないことです。
なぜなら、本書は事実と思われるエピソードの積み重ねであり、
著者がエヴァの人間像を自分なりに作り上げて、それを読者に強制していないからです。
可愛らしいエヴァもいれば、おいおい・・というエヴァも混在しますが、
人間の本性なんて当然、一冊の本で表せられるわけもない複雑なものですからね。





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ボッシュの子 [女性と戦争]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジョジアーヌ・クリュゲール著の「ボッシュの子」を読破しました。

本書は2006年にフランス人の著者が自主出版した半自叙伝で、原題は「戦争の胎児」。
再販では「禁じられた愛から生まれる」というものです。
翻訳版のタイトルである「ボッシュ」とは、フランス語で「ドイツ野郎」という意味のようで、
1940年から1944年の時期にナチス・ドイツに占領されていたフランスで、
敵同士の男と女は愛し合ってはならないにも関わらず、必然のように生まれてしまった
ドイツ軍人を父に持つ、フランス人女性の物語です。

ボッシュの子.jpg

1943年に生まれ、北フランスのソンム県で育った著者の「わたし」。
父はおらず、祖母と母との貧しい生活です。
やがて小学1年生になると、「パパはどこにいるの?」という疑問も芽生えますが、
返事をする祖母は「戦争中にどこかへ行ってしまったんだよ」
そして「ママには言うんじゃないよ」と念を押すのでした。

そんなとき、学校でもいつも一人ぼっちの彼女が、おどおどしながらも友達に近づくと
「ボッシュの子、あっちに行って!」
またライン川の勉強中、ドイツの町の名を書き入れただけで
「ボッシュの町の名前なんか入れなくていい」と先生に怒られる始末。。
これには祖母も真実を話さざるを得ません。
「パパはドイツ兵だったんだよ。お前が生まれた時に、ロシアへ送られたのさ・・」
そして母親は顔を強張らせるばかりです。

父のことを知りたいと願うようになった彼女は、母とその兄である叔父が
仲違いしていることを知ります。
叔父は戦争中レジスタンスの重要なメンバーで、彼にとっては妹がドイツ人と恋に落ちるなど
とても許せないことだったのでした。それでも解放後のドイツ軍に協力したフランス人たちが
彼らの報復の対象となって、女性が髪の毛を切られ、晒し者にされるという恥辱は
叔父の力によって、なんとか免れたのです。

chartres-august-18-1944.jpg


母はいつの間にやらフランス人男性と再婚し、父親の違う妹と弟が生まれます。
そして引っ越し準備のおり、ドイツ兵の色褪せた写真を偶然、発見してしまいます。
そのドイツ兵の士官は実にハンサムで・・。
彼女にとっての空想のヒーローに、初めて姿と顔が与えられたのです。
さらにはドイツから送られてきたと思しき手紙も・・。
そこには父はドイツで再婚し、子供が2人いること、ロシアで大変苦しんだこと、
娘を忘れることがなかったことが書かれていて・・。

その住所に宛て、手紙を書いた彼女。ある日曜日、てんとう虫型の自動車が近づき、
降りてきた白髪の男性が父であることを直感的に気付くのでした。
母は気が失うほど狼狽し、義父は無関心。。。
そんなことを尻目に、父娘は涙を流して抱き合います。

結局、父は3日滞在して帰国し、彼女もその後は恋愛など、青春の真っ只中に。。
新しい家族にもなじめず、家を出て住み込みで働きに出ます。
訪れたパリでは偶然に昔の親友と出会いますが、
「去年、ここで「パリは燃えているか」の撮影が行われたのよ。毎日、ボッシュの行進を見たわ」
と、鳥肌が立つ思いだったと言う彼女に食ってかかります。
「ボッシュってドイツ人のこと?それともナチスのこと?」
Is Paris Burning.jpg
1971年、彼女も子供を身籠ります。
生まれてきた男の子にはシャルルではなく、カールと名付け、
「ドイツ系の名前では?」と尋ねる人にも「私の父はドイツ人でしたから」と開き直った感じの彼女。
飼い犬が誰かに傷つけられたポーランド人のお婆ちゃんは「憎いボッシュめ。可愛い犬を・・」と
ドイツ系の彼女を殺人鬼のような眼差しで責めますが、もはや彼女は一歩も引きません。
「マダム、ナチスは犬ではなく、人間を大量虐殺したのですよ」

それからまた数年が経ち、再び、ドイツにいる父に連絡をつけてみることに・・。
しかし、すでに時は遅く、最愛の父は3年前に他界・・。
それでも会ったこともない異母兄弟たちから、ドイツへ招きたいとの手紙も届きます。
こうして1979年、ドイツへと向かい、彼らと対面。
すでに額の薄くなった男性が一生懸命フランス語で挨拶を・・。
「フランツです!あなたの弟です」

Née d'amours interdites.jpg

その後、彼女たちは年に5回も6回も頻繁に会って、家族としての絆を深めあうこととなり、
戦後60年のタブーを打ち破って、20万人といわれる彼女のような「ボッシュの子」たちも
ドイツ人の父を探し出すことが可能となるのでした。
また、彼女の2つの家族の交流も始まり、フランスの義妹の娘と、ドイツの腹違いの弟の息子が
愛し合うようになって、今ではふたりがドイツで一緒に暮らしているという
彼女の両親の間で起きたことが、60年後にその子孫によって繰り返されているという事実を
エピローグで紹介します。

実は読み進めてみるまで、本書の詳しい内容は知らず、苛められる子供の話だったらイヤだなぁ・・
と思っていましたが、まったくそんなことのない、自分探しの旅のようなもので、
192ページとボリュームもありませんから、1時間半で独破してしまいました。
まぁ、日本でもこのようなことは戦時中ありましたが、このドイツとフランスでは
ほんの最近まで、これほどタブー視されていたとは驚きだった一冊です。



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