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レニングラード封鎖: 飢餓と非情の都市1941-44 [ロシア]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

マイケル・ジョーンズ著の「レニングラード封鎖」を読破しました。

2月に白水社から出たばかりの440ページの本書。
過去には「攻防900日-包囲されたレニングラード-」に
ドキュメント 封鎖・飢餓・人間 -1941→1944年のレニングラード-」と読んでいますが、
スターリングラード、レニングラードと聞くと、黙っていられない性格です。。
原著も2008年と、最新のレニングラードもの・・楽しみですね。

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「序論」では、解放されたレニングラードについてのソ連政府の態度に言及します。
1946年に開館した「レニングラード防衛博物館」は、その生々しい展示内容が
あまりにも悲惨すぎると見なされ、収蔵物はちりぢりになった挙句、館長は投獄・・。
現在の「封鎖博物館」は、1989年になってようやく開設されたものだそうです。

そして封鎖解除の25周年にあたる1969年に出版された「攻防900日」は
プラウダが「英雄的行為を冒涜し、共産党の役割を矮小化している」と全面攻撃。
しかし2002年に公開された秘密警察の記録は、ソールスベリーが描いたものよりも
はるかに恐ろしく、例えばカニバリズムのかどで処刑されたのが少なくとも300人・・。

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第1章は1941年6月22日から始まったドイツ軍の進撃の様子がかなり詳細に・・。
特に60歳の第18軍司令官、フォン・キュヒラーが献身的なナチ党員で、
ヒトラーはポーランド戦西方戦に重要な役割を彼に与え、
今回のバルバロッサ作戦ではレニングラード攻撃の先頭に当てたと紹介します。
同じく、熱狂的なナチ党員のブッシュ率いる第16軍も
フォン・レープの北方軍集団に組み込み、
ボルシェヴィキ革命の地であるレニングラードの陥落の決定的重要性を強調します。

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ヘプナーの第4装甲集団もこの軍集団には重要です。
バルト三国を蹂躙し、レニングラードを目指す2個軍団は、
ラインハルトの第41軍団と、マンシュタインの第56軍団。
さらに武装SS トーテンコップ に、シュターレッカーのアインザッツグルッペAまでが
ユダヤ人とコミッサールを銃殺しながら追随。
こうして9月18日にレニングラードはドイツ軍によって包囲され、
いまだ分散貯蔵されていなかったバダーエフの食糧倉庫が爆撃されて、
ヒトラーの狙う、住民餓死作戦が始まるのでした。

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この70ページの第1章は、独ソ戦記といった展開で、良い意味で予想を裏切られましたが、
続く第2章は「赤軍随一の能無し」として、主役になるのはヴォロシーロフ元帥です。
革命の英雄としてスターリンの側近となり、国防人民委員(国防大臣)だった彼ですが、
1939年のフィンランドとの戦争で醜態を晒して罷免されていたものの、
この祖国の危機にレニングラード方面の総司令官に抜擢されてしまいます。
1936年の赤軍大粛清にもページを割き、トハチェフスキーの処刑の原因は
彼が愚かなヴォロシーロフをバカにし続けたことによるもの・・といった解釈ですね。

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そんなヴォロシーロフとコンビを組んで防衛戦に当たるのは
レニングラードの党第1書記、ジダーノフです。
しかしこの窮地にあって政治的生残りしか考えない彼らは
スターリンへの印象を良くすることが第一であり、弾薬や食料不足が問題となっている中、
支離滅裂な命令を繰り返し、迫りくるマンシュタインの装甲部隊に対して、
8月20日、女性や10代の若者を含む、義勇兵大隊の創設を決めて次のように宣言します。
「義勇軍は猟銃、手製爆発物、各博物館所蔵のサーベルと短剣で武装される」。

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9月11日には突然、前線に姿を現し、ピストルを振りかざして、兵士たちを戦闘に狩り立て
共にドイツ軍陣地に向かって前進するヴォロシーロフ。
しかし悲しいかな、途中で息が切れて取り残されると、
砲撃の音と共に兵士たちは逃げ戻ってくるのでした。
そんな勇ましい元帥に堪忍袋の緒が切れたスターリンは、ジューコフを送り込むのです。

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レニングラード市民の様子はというと、
7月から女性も塹壕掘りに駆り出され、夏物のワンピースにサンダルという姿で
1日12時間、休みなしで18日間つるはしを振るい続けます。
また、当局は個人所有のラジオを没収。
これは外部のニュースを遮断するためのもので、代わりにスピーカーが据えつけられ
党による公式のニュースとプロパガンダのみを聞くシステムです。
8月に数千人の児童疎開が始まりますが、その方向には意気上がるマンシュタインが接近中・・。
結局、250万人が閉じ込められ、その中の50万人は子供たちです。

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ヴォロシーロフより15歳も年下のジューコフは早速、前任者の決定を取り消して、
防衛体制を猛烈に推し進めますが、ドイツ軍が長期包囲のために腰を落ち着けている・・
という山のような情報を信じず、ちっぽけな橋頭堡からの攻撃命令を繰り返します。
旅団単位で全滅が続き、現大統領プーチンのお父さんも、なんとか九死に一生を得ます。
そして10月、スターリンから状況について尋ねられたジューコフは、
ドイツ軍が2週間も前に独自の判断で攻勢を中止していたにも関わらず、
「我々は任務を遂行し、ナチス軍の攻勢を停止させた」と語り、
今度は危機の迫ったモスクワの防衛に向かうのでした。

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包囲網の前線におけるドイツ軍兵士たちの話も紹介されます。
彼らもこの兵糧攻めの方針を理解していますが、
実際に懸念された問題は、敵側が婦女子を我が方に送る決定をしたとき、
「そのような絶望した大量の非武装民間人を撃ち殺すのは想像すらできない」。
もちろん無神経な兵士たちもいて、夜間に敵軍陣地に潜入し、
掩蔽壕にカバンを放り込みながら「ほら、お前たちのパンだ!」
しかしその中には1㌔のダイナマイト。

200ページから、いよいよ包囲下のレニングラードの恐怖が始まります。
10月には事務員と扶養家族へのパンの配給量は、一日200gに引き下げられ、
それは125gにまで減っていくわけですが、
あらゆる種類の屑とわずかな小麦粉が含まれたパンは「ベタベタして湿気を帯びていた」。
10歳の少年ワシリーは日記に書きます。
「猫のフライを食べた。とてもおいしかった」。

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やがて犬や猫も姿を消し、大量飢餓が市内で始まると人々は他人には無関心に・・。
「倒れた人の懇願の声が聞こえる。人々はまたいで通り過ぎ振り向こうとしない。
まだ死んでいないこの人から衣服を剥ぎ取り始め、パン配給権を盗む者も出てくる」。
気温は氷点下20℃にも下がり、毎日、決まった時間にドイツ軍の砲撃。
窓ガラスも吹き飛び、寒さとの戦いも余儀なくされます。

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その一方、飢えで衰弱した息子を3時間かけて病院に連れて行ったエレーナは
院長の健康そうな息子が、ハムとチーズのサンドウィッチをムシャムシャ食べているという
悪夢のような光景を目にするのでした。
権力者・・、特に共産党役員の家族のためには特別に飛行機で搬入され、
米や小麦粉は10㌧単位で、バター5㌧、200本の燻製ハム、キャビアでさえ2㌧です。
ジダーノフの本部では、内密の食事施設があり、充分なパンにメンチカツ、
一口パイなどを提供しているのでした。
もちろん肥えたジダーノフは市民からは「豚」と呼ばれています。

まぁ、本書も先月の「戦争と飢餓」と同様、読んでいてお腹が減ってきます。
特に「メンチカツ」の話が多いので、ついつい大量に作ってしまいました。

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飢餓はもう拷問のよう・・。タマーラは回想します。
「私たちは本を食べ始めた。母がページを水に浸し、私たちはその液体を飲んだ。
父はベルトを切り、その小片を毎日くれた。味は酷かったが、
それを噛むことによって飢えを忘れることができた」。

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1942年1月には人肉食の事件が77件報告され、すでに22人が銃殺刑に。。
人々はそのことを公然と口にします。
「○○通りのある女が、自分の死んだ息子の一部を切り取ってメンチカツを作ったそうよ」。
この1月から2月はレニングラード包囲のなかでも最悪の時期です。
民警署では12人の人肉食容疑の女性が拘留。
「夫が失神した時、夫の足の一部を切り取り、自分と子供たちのためにスープを作った」。

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子沢山なはずの母親の家にはなぜか2人しか子供がいません。
「ストーブの上の鍋のなかのスープをお玉ですくってみると、人間の手が出てきた」。
こんなホラー映画のような話は頻繁に出てくるようになりますが、
20人からなる組織された「人食い団」も登場。
こういった連中は飢えて痩せ衰えた人間ではなく、健康な人間がターゲット。
レニングラードに入って来る軍事郵便輸送員が待ち伏せされて、殺されているのです。
もうイメージ的にはゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」ですね。。

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娘が行方不明になったと民警署へ届け出た母親。
係員は保管室の箱から娘さんの衣類を探すように指示します。
「もし見つけたら、連中がどこで娘さんを殺し、そして食べたかをお話しできます」。

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ラドガ湖が凍りつくと「生の道」として、トラックが行き来できるようになります。
しかし誰でもここを通って疎開できるわけではありません。
腐敗が蔓延り、食糧か品物による「袖の下」を渡さなければ・・。

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ドキュメント 封鎖・飢餓・人間」の時に、2009年の英/ロ合作映画、
「レニングラード 900日の大包囲戦」について触れましたが、
その後、しっかりDVDを購入して観賞しています。
本書などの想像を絶するほどの悲惨さはないものの、
包囲下のレニングラードをカラーでイメージできますから、
今回は、より市民たちの状況を理解しやすかった気がしますね。

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3月、最悪の冬が終わろうとしていますが、新たな脅威・・、赤痢です。
1月末に市内の下水道システムが故障したあと、
排泄物は通りや中庭に捨てられ、川の水も汚染するようになっていたのです。
飢餓に苦しむ市民たちに、もはや赤痢の猛攻に耐える力はありません。
女性や子供たちは建物から死体を運びだし、通りに転がっている死体の始末を始めますが、
切断された脚は肉が切り取られ、体の断片がゴミ箱から、地下室からは
胸部を切り取られた女性の死体、自分の臀部を切り取って食べている者・・。

それでも広場ではジャガイモやキャベツの植え付けが行われ、
5月になると菜園が至る所に出現してきます。

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そんな希望の芽生えたバルト艦隊の港でもあるレニングラードですが、、
黒海艦隊の本拠地であり、特別な絆を感じているセヴァストポリ港が心配です。
そしてそこを封鎖し、今や勝利を目前にしているのは、あの恐ろしいマンシュタイン・・。
更迭されたホージン中将に代わって、レオニード・ゴヴォロフ中将がレニングラード方面軍の
新司令官となり、封鎖に穴を開けるために「イスクラ作戦」に取り掛かります。

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そこへやり残した仕事に決着をつけるべく、クリミア戦線から再びマンシュタインが戻ってきます。
独ソ双方の第2ラウンドが詳しく書かれますが、マンシュタインは結局、
スターリングラードの救援へと向かい、翌年、クルスクの戦い以降、
盛り返す赤軍と敗走するドイツ軍の構図まで・・、
1944年1月15日、ゴヴォロフは戦争中最大の集中砲火となる50万発以上の
砲弾とロケット弾をドイツ軍陣地にぶち込み、遂にレニングラードは勝利するのでした。

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包囲下の市民の様子だけでなく、独ソ戦記とも言えるほど
双方の軍事的な部分までなかなか良く書かれていました。
レニングラードが主役とはいえ、ソ連軍が善、ドイツ軍が悪というわけではなく、
公正に書かれている印象を持ちましたし、
特にマンシュタインってこんなレニングラードに絡んでたんだっけ・・と、
いろいろと読み返したくなる本が出てきましたね。

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著者は英国の歴史家で、戦闘の心理状態と絶望的状況下での士気の
死活的役割の研究が専門だそうで、本書の1年前には
「スターリングラード -赤軍はいかにして勝利したか-」を書き、
2009年にはモスクワ攻防戦を描いた「退却 -ヒトラー最初の敗北-」を、
2011年には「総力戦 -スターリングラードからベルリンへ-」と連発しています。

本書のスタイルを考えると、これらも単なる戦記ではなく、
独ソ両軍の兵士たちの心理状況に重きを置いた内容に思いますし、
この機会に白水社からは著者の作品を、ぜひ立て続けに出版して欲しいですね。









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赤軍ゲリラ・マニュアル [ロシア]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

レスター・グラウ, マイケル・グレス編の「赤軍ゲリラ・マニュアル」を読破しました。

ちょっと面白そうな本を偶然発見しました。
「第2次大戦中、ドイツに侵攻されたソ連がゲリラ兵を使って対抗しようと作成した手引きの復刻版」
ということで、去年の5月に1995円で発刊された245ページの本書ですが、
戦闘方法、武器、進軍の仕方、応急処置の仕方までを図版も再現しているものです。
この手の本としては珍しく上下2段組なので、見た目よりボリュームがありますね。

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「序文」では本書が、いわゆる「大祖国戦争」におけるゲリラ兵を訓練するために用いられ、
前の2版を経て実戦で試された1943年の最終版であり、
そのナチスとの戦争中、110万人の男女が6000のパルチザン分遣隊として
任務に就いていたことが紹介されます。

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さらにその歴史、特に1930年代初めにはパルチザン戦はソ連防衛計画の主要素であり、
赤軍防諜部トップのベルジンやNKVDは、プロのパルチザン部隊を組織します。
しかし防衛計画論争はトハチェフスキー元帥による「侵略された場合にはただちに
応戦して攻撃し、敵の領地に侵略する」といった全滅派の戦略が勝利し、
「敵を誘い入れて防衛し、パルチザン戦で弱体を図る」という消耗戦派は敗北。
防衛人民委員ヴォロシーロフが「ソ連領土は不可侵である」と宣言すると、
その結果は「敗北主義者」のレッテルを貼られたパルチザン幹部と擁護派は
追放、あるいは拘束されて殺害。。そしてマニュアルも破棄されるのでした。

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1942年5月になって「パルチザン参謀本部」が組織され、その活動も活発化。
パルチザンの増加に伴い、本書「パルチザンのためのハンドブック」が出版されて、
100万人もの敵に損害を与え、ドイツ兵力の10%を釘づけにした彼らですが、
ほとんどの領土が解放され、勝利の見えた1944年1月には参謀本部が解散。
これはウクライナやバルト諸国のパルチザン勢力を放っておくと、
モスクワに対する脅威となることを予期していたためです。
そしてドイツ敗北後には赤軍が今度はパルチザンを根こそぎにするわけです。

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本文はまず1942年11月6日のスターリンによる「10月革命25周年記念演説」からです。
前年6月からの戦争の経緯を振り返りつつ、
「ドイツ・ファシストの略奪者たちとその同盟国の凶暴集団による、このような襲撃に
耐えられる国は、わがソヴィエト国家とソ連赤軍だけである(割れるような拍手喝采)」。
と、こんな感じで10ページほど・・。
この演説の直後にスターリングラード包囲の「天王星作戦」が始まるわけですから、
それを考えると、なかなか意味深な演説内容にも感じました。

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以上のように独ソ戦(大祖国戦争)とパルチザンの歴史について学んだ35ページから
ようやく、第1章「パルチザンの基本戦術」が始まります。
「前線の突っ切り方」では、地元民と遭遇しても「引き留めて徹底的に尋問し、
ファシスト警察や関連機関などに属していないか見極めなければならない」。
同郷の農民でも密告者となる可能性がありますからね。

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広大な森に「戦場施設」を設置する場合も詳しく書かれています。
「ファシストは森に入りたがらない」とか、「半地下小屋に住む際は・・」など、
007ことダニエル・クレイグ主演の「ディファイアンス」という白ロシア・パルチザンの映画と
その原作を以前に紹介していますが、まさに同じイメージですね。
バルチザンの実態を知るにはちょうど良い映画だと思います。

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第2章「ファシストの対パルチザン戦法」に続き、第3章は「爆発物と破壊工作」です。
「TNT」といった爆発物の種類から、「導火線」の種類、地雷の設置場所などが
2ページに1枚程度の割合で、詳細な図が出てきてわかりやすく解説します。

「覚えておこう。ファシストは地雷をありとあらゆる策略を用いて使用する。
何の変哲もないさまざまな囮を置き、それに地雷を繋いでいるのだ。用心しよう」。
このブービートラップの話は具体的に、ドイツ軍の残していったライフルは拾わないとか、
ドイツ軍が自軍の兵士や将校の死体にまで地雷を設置することを挙げています。
ノルマンディー上陸作戦1944(上)」でも、このテクニックが書かれていました。

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ここまでの本書の「読み方」として、軍事マニア的な目線ではなく、
「新米パルチザン」になりきって読むのが、正しい読み方だと思いました。
ですから、「偵察」において、「自分が収集した情報を正確に持ち帰るのが大事である」
というような、ワリと当たり前のようなことが書かれていても、
初めて偵察任務に就いた若造が、その報告において、
さも自分の偵察の成果が大きいかのように話を膨らませてしまったりするのも
理解できるんですね。そしてそのような間違った情報によって、結局、大損害を喫する・・。

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第4章「戦闘用武器」では、武器の使い方に手入れ方法を学びます。
モデル1891/30ライフルから短機関銃と、当然、赤軍の武器が紹介されますが、
迫撃砲や対戦車ライフルといった馴染みのないものまで詳しく書かれて勉強になりました。
特に対戦車ライフルは「14.5㎜の徹甲焼夷弾を用いて、戦車に対し、
150~200mの距離で撃ったとき最も成果が出る」。
また、その戦術もいくつか挙げ、例えば、
「塹壕に身を隠し、戦車が通過した直後にすばやくエンジン室のある後部を撃つ」。

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第5章は「リヴォルヴァーとピストル」。
赤軍の拳銃にはまったく知識がありませんでしたが、
回転式拳銃はリヴォルヴァー・モデル1895、自動拳銃はピストル・モデル1930だそうで、
調べてみると前者は「ナガンM1895」、後者は「トカレフTT-1930」という名前なんですね。
共産主義はナガンとかトカレフとか呼ぶのはNGなんでしょうか??

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続く第6章「敵の武器を使う」では、
「敵の武器の使い方を覚えて、ファシストを彼ら自身の装備で倒すのだ」と気合を入れます。
モーゼル、カービン銃、MP40短機関銃。
MG34機関銃にドライゼMG13軽機関銃。
ゾロターン S-18という対戦車ライフル・・と、ドイツ軍の装備も図解で解説。
まだまだルガー・ピストルにM24型柄付手榴弾、卵型擲弾モデル1939など
赤軍の装備より断然種類が多いところが、独ソ両国の兵器生産の考え方の違いを
如実に表している気がしますね。

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「偵察」の章では密かに歩くために柔らかい土や堅い地面、草の上などの
音の立てない歩き方から、「偵察中にくしゃみをしたくなったら、鼻柱を強くつまむ」と解説。。
各種部隊の移動する列の長さから、敵の戦力を見極めるとして、
歩兵隊の場合は、中隊だと200mに及び、大隊なら1㎞、連隊なら3㎞。
砲兵中隊は300~400m、機甲化砲兵連隊の場合は12㎞にもなるそうです。

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急襲によって捕虜を捕える場合には、「暗い夜間に密かに敵に近づき・・」と
その方法が述べられますが、とっても大事な注意点がありました。
「『ウラー』とは叫ばずに敵に飛びかかる」。

「ウラー」って?? てことは省略しますが、今度読もうと思っている「世界軍歌全集」では
「ロシアのウラー」という曲(軍歌?)が掲載されているようで、とても気になっています。
いったい、どんな歌詞なんだろう・・と悶々としますね。。

どうしても「ウラー」と雄叫びをあげたければ、第11章の「白兵戦」が最適です。
銃剣の突き方に始まって、ライフルの床尾で攻撃、シャベルで切り付ける、
ナイフで突く、敵から武器を奪い取る・・と、これらも図で具体的に解説。

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本書でも「ゲリラ」だったり、「パルチザン」だったりするこのような抵抗組織。
以前から気になっていたのでちょっと調べてみました。
すると「ゲリラ(guerrilla)」とは、不正規戦闘を行う民兵もしくはその組織のことであり、
語源はスペイン独立戦争時のゲリーリャ(guerrilla)「小さな戦争」だということで、
「パルチザン(Partisan)」は同じ党派に属するものを意味するイタリア語、
「パルティジャーノ(partigiano)」が語源だそうです。
まるでチーズみたいですが、ゲリラもパルチザンも現在では同義で使われているみたいですね。

ちなみに「レジスタンス(Résistance)」というのもありますが、
こちらは抵抗運動を指すフランス語。
一応、「独破戦線」では、ドイツから見て東部のゲリラを「パルチザン」、
西部のゲリラを「レジスタンス」で統一しているつもりです。

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後半は、「応急手当」の章に、「行軍と野営」、「食料の保存方法」、「雪中生活」。
暑い日の行軍で熱射病を防ぐために「塩分の多いパンを食べる」とか、
焚火の仕方、毒キノコの見分け方、スキーやスノー・ゴーグルの作り方・・と、
ゲリラ戦術というより、冬のソ連を生き抜くサバイバル教本のような趣でした。
ただし、シイタケすら食べられないヴィトゲンシュタインですから、
「赤いベニテングタケ」などという毒々しいキノコは死んでも食べません。。

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本書の大きな特徴としては、この手の本にありがちな編集者による下世話な「解説」もなく、
逆にソレが「新米パルチザン」になりきって読めるところです。
せいぜい訳注で2箇所「電線の切断」と、「沼を渡る」でやっちゃダメよ的な注意書き程度で、
確かに、男子としては武器とキノコ以外のことなら試してみたくなるもんですね。。







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ベリヤ -スターリンに仕えた死刑執行人 ある出世主義者の末路- [ロシア]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヴラジーミル・F. ネクラーソフ編の「ベリヤ」を読破しました。

9月の「スターリン―赤い皇帝と廷臣たち」で、スターリンに負けず劣らずのベリヤの強烈さを知り、
ベリヤ本を物色していたところ、神保町の古書店で本書を1800円で発見。
1997年発刊で、ソフトカバーながら上下2段組、365ページ、定価3000円の大作です。
amazonでは、なんと9500円という値段が付いていますが、レア本なんですかねぇ。

ロシア語の原著は1991年、本書は翌年のドイツ語の翻訳で、
ネクラーソフ編となっているように、編者はモスクワ大学の歴史学教授で、
本書には様々な人物の書いたベリヤに関する回想、論文、記録が収められています。

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第1部は「出世の道程-ベリヤの横顔・素描」と題して、ベリヤの生い立ちから死までを
エジョフ時代に父を粛清され、その後任、ベリヤによって1943年に逮捕された経験を持つ、
オフセーエンコという人物が紹介します。

スターリンと同じグルジアの出身であるベリヤがスフーミ市内の学校で起きた盗み、
密告の類で係わらなかったものは1件もなく、子供の頃から
「下劣さと卑劣さが彼の身上であった」と書かれているほどです。
例えば、生徒の成績簿が入った鞄を盗み、、担当教師を解雇に追い込む・・。
もちろん、代理人を通して、成績簿を売りつけようと、ちゃっかり図ったり・・。

第1次大戦中の1917年に軍に招集されますが、半年後には健康上の理由という
公の認定をもらってうまく除隊。1919年、20歳のときにボルシェヴィキ党に入党しますが、
後に彼はこの記録を1917年に繰り上げます。
特に何年生まれという記述はありませんでしたが、1899年生まれなんですね。
よく比較されるヒムラーの1つ年上です。
ともあれバクーにあった党のカフカス支部の書記という地位から、彼の出世街道がスタートします。
翌年には秘密警察チェーカーの副議長となり、1923年にはグルジア・チェーカーの
秘密工作部隊を指揮する立場に・・。
そしてアゼルバイジャンとアルメニアを含めた南カフカス・チェーカーの最高位に就き、
モスクワへの飛躍の踏み台のために必要な、この地方の党委員会第1書記の地位も狙うのでした。

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1936年アルメニアの中央委員会書記のハンジャンを自分の執務室で射殺し、自殺したと発表。
大粛清」が始まると、人望の高かったアブハジア自治共和国人民委員部議長のラコバが
ベリヤ宅で食事をした後に急死。。ラコバ未亡人は拷問の末、死亡。。
このスターリンの地元での活躍により、スターリンの憶えもめでたく、
スターリンが各地の別荘で休暇を過ごす際には同伴者、または警護者として過ごすことに・・。

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湖を目指す高速艇が湖畔に辿り着けば、一発の銃声が鳴り響きます。
さっと立ち上がり、スターリンの身をかばったベリヤ。
しかしこのようないくつかの暗殺未遂事件は、ベリヤの演出によるものですが、
もちろん大いに点数を稼ぎ、スターリンの信頼は不動のものになるのです。

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1938年、スターリンの執務室でベリヤはNKVD長官の粛清マシーンであるエジョフと会談。
エジョフは「君が裏切り者であることを暴露する証拠を所持している。
だから職務に従って、君を告発しなければならない」を宣言しますが、
調停役の仮面をつけたスターリンは、「いろいろあるが、同志ベリヤを信用している。
内務人民委員の第1代理に推薦したい」と語り、
ジェルジンスキー、ヤーゴダ、エジョフなどは結局のところみなアマチュアであり、
内務人民委員部にはプロが必要であると考えているのです。

Lavrenty Beria, Nikolai Yezhov and Anastas Mikoyan.JPG

ハサン湖事件(張鼓峰事件)で日本軍と戦ったばかりのブリュヘル元帥を日本のスパイとし、
シベリア東部を日本に併合すると画策しているとして、逮捕。
ベリヤ直々の監督を受けた4人の取調官によって16日間に渡り、拷問が繰り返され、
自白を強要されます。
その姿は「何度もトラクターに轢かれたような感じ」であり、
ブリュヘルは「なんでこんなことまでするんだ」と眼球のなくなった目を指さします。

Vasily Konstantinovich Blucher.jpg

1940年、ヒトラーの対ソ攻撃準備が始まりますが、参謀本部の偵察総局長のゴリコフは、
「英国の謀略」であるとスターリンに報告します。
しかし、この事態を憂慮した情報部長のノヴォブラネツは客観的な情勢報告を作成し、
赤軍幹部全員に送付。
ヒトラーの友好的な確約があるときに戦争の危機を吹聴するとは何事か・・と、
メレツコフ参謀総長が解任され、「ベリヤの保養地」と呼ばれる特殊拘置所送りに・・。

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「誤った情報を流す有害な諜報員どもは、ドイツとの仲違いを企む、国際的挑発者の共犯者として、
強制収容所に入れて、無害化しなければならない・・」と、1941年6月21日に書き込むベリヤ。
スターリンに届けられた情報はルビヤンカを経由していたことから本書では、
「ヒトラーの意図を見抜けないまま、誤った情報解釈に耽った最大の責任者は、
スターリンの寵児、ベリヤだったのである」としています。
そしてスターリンに承知させて、英雄的行為を行ったゾルゲが日本で処刑されるのを
救おうとはせず、ゾルゲの近親者も弾圧します。

Lavrentij Berija afgiver sin stemme ved valget i Georgien i 1938.jpg

ドイツ軍の攻撃を喰らったパヴロフ将軍とクリモフスキフ将軍は銃殺。
航空偵察長ズブイトフがモスクワへ敵が接近していると説明すると、
ベリヤは彼を「挑発者」と呼んで、他の偵察将校らと一緒くたに逮捕。
戦々恐々となったソ連の将軍たちがこんな悪条件の中で、どのようにして
戦闘を遂行できたかは永遠の謎として残るだろう・・として、
著者は、「大量の自国民を粛清した後、スターリンとその手下たち・・
モロトフ、ベリヤ、マレンコフ、ジダーノフなど・・は、
全軍団を確実な死に追いやった」としています。

Kalinin_beria_molotov.jpg

本書の例でも何人もが発狂する刑務所の「独房」の様子に、強制収容所にも触れています。
ひとつ紹介すると、プロの泥棒が一家の財産すっかり盗んでも、最高1年の禁固刑だったこの時期、
国家財産の窃盗は、ささいな窃盗でも5年です。空腹の子供のために
コルホーズからトウモロコシを数本盗んだ母親が5年の収容所行きになるわけですね。

Kolkhoz 1934.jpg

やがて戦争も終わり、スターリンも死を迎え、後継者を自負するベリヤ。
しかし過小評価していたフルシチョフに出し抜かれて逮捕され、
特別法廷によって死刑判決を受けるのです。
そこではベリヤに凌辱された女性たち長いリストが・・。
そしてここに載っている2/3の女性は、いまの政府官僚の妻たちなのでした。

Лаврентий Павлович с женой Ниной Теймуразовной.JPG

と、ここまで130ページがラヴレンチー・ベリヤ伝です。
写真も一切なしで上下2段組みですから、なかなかのボリュームで
これだけで1冊の本として成り立ちますね。
次は第2部「スターリンの犯罪を執行した男」として、数ページ毎に、
さまざまな証言者によって語られます。

そのうちの一人はベリヤによって暗殺されたラコバの孫です。
部下のベリヤに食事に招かれ、その後、「あの陰険なベリヤのヘビ野郎に一服盛られた・・」と
何度も語り、心臓発作により享年43歳で死亡と発表されますが、胃や肝臓、脳髄など
すべての内臓はベリヤの医師によってすべて摘出され、喉仏さえ切り取られていたそうです。

Stalin Beria Lakoba.jpg

それから、メキシコでトロツキーを暗殺したモルナールの弟、ルイ・メルカデールのインタビュー。
そして「カティンの森」でのベリヤの関与。
また、スターリンの死後、ベリヤと共に「悪党2人組」と呼ばれていたマレンコフを
閣僚会議議長に推薦し、自分はマレンコフによって
第1副議長に任命される・・という戦略なども詳しく解説してくれます。

1953 Beria,  Malenkov & Voroshilov.jpg

第3部「犠牲者と同時代人の回想」では、サッカー好きのベリヤの話が出てきました。
スパルタク・モスクワの名選手が語るところでは、1939年のソ連邦杯、準決勝で
ディナモ・トビリシを撃破し、決勝でもザーリャ・レニングラードを破って優勝したものの、
その1ヵ月後、党中央委員会からディナモ・トビリシとの準決勝をやり直すことを命ぜられます。
「決勝の後で準決勝をやり直すだなんて、一体、どこの世界にそんなこがあるのです」と抗議するも、
「ディナモ」は内務省のチームであり、「トビリシ」はグルジアの首都ですから、
この世界ではあり得るのです。
そしてその結果はまたしてもスパルタクの勝利に終わり、憤懣やる方なく椅子を放り投げて
競技場を去っていくベリアに、この名選手は逮捕されるのでした。

ちなみにこのグルジアはトビリシ出身の有名なスポーツ選手と言えば、
この人・・200kgの巨体で空中戦を挑む、「臥牙丸」でこざいます。

臥牙丸-日馬富士.jpg

第4部は「逮捕」です。
この件についてまず書くのはフルシチョフ。
ベリヤを危惧して、そのベリヤと仲の良いマレンコフに、ブルガーニン、
モロトフにヴォロシーロフ、カガノーヴィチに、個別に計画を打ち明けるフルシチョフの策謀と、
逮捕の瞬間、そしてベリヤが「自分は誠実な人間です」と慈悲を乞う手紙を紹介します。

続いての証言者はベリヤを逮捕したジューコフ元帥です。
興奮気味の国防相のブルガーニンにいきなり呼びつけられ、「これからクレムリンに来てもらう」
というシーンから始まり、隣室で刻一刻とその時を待つ緊張感・・。
これは1990年に改訂された彼の回想録からの抜粋のようですね。

Khrushchev Bulganin  Zhukov.jpg

最後の第5部は「法廷」です。
1953年12月18日から23日まで非公開で行われた裁判の記録と、
調書からもベリヤとのやり取りを紹介します。
裁判長はコーネフ元帥で、ベリヤの長年の部下である、
メルクーロフ、コブロフ、ゴグリーゼ、そしてあのデカノゾフも裁かれます。
もちろん彼らは自らの罪をボスであるベリヤに着せようと、その発言は辛辣です。
そして全員に死刑の判決が下されるわけですが、その罪状の中には
1941年秋、スターリンの命を受けたベリヤが、ヒトラーに戦争終結の条件を打診しようと試みたとか、
ドイツ軍の南カフカス侵攻を可能にするため、カフカス山脈の防衛体制を弱めさせた・・
というものまであるそうです。

Ivan Konev.jpg

逮捕を実行したモスクワ地区空軍防衛司令官のモスカレンコ将軍の回想では
クレムリン内の警備員に合図を送ろうと何度もトイレに行かせてくれとせがむベリヤが実に厄介で、
日が暮れてから、数台の自動車で軍刑務所へ連行することが出来たという、
ナチス・ドイツでいえば、SS警備兵がいる中で国防軍がヒムラーを逮捕したようなものだと
その危険極まる状況も理解できました。

非常に面白い構成の本でした。
ベリヤの生涯は第1部で理解でき、それ以降は時系列でエピソードを紹介するといった感じですが、
部分的に重複箇所はあるものの、ベリヤの全てを網羅している気がしました。

beria-1.jpg

結局のところ、このベリヤという人間は、権力に憑かれた人間であり、
のし上がるためには、自分を引き立ててくれた義理のある人物だろうが、
謀略を働いてあの世送りですし、共産主義者としてのプライドもなく、
あくまでスターリンの庇護を受けたNo.2の座を求めた人間で、
ヒムラーと比較するとすれば、彼が個人ではなく、SSという自分の率いる組織の地位を
上げようとしたのに対し、人々の虐殺についても、ベリヤが自らの手を下し、
好みの女性は少女から拉致して強姦、拒めば殺害・・という
ヒムラーが聞いたら卒倒しかねない人物です。
あえて言うならヒムラーよりも、ゲーリング、ゲッベルス、ボルマンにハイドリヒ、
さらにシュトライヒャーの変なところを足したような恐るべき人間ですね。

もう1冊のベリヤ本である「ベリヤ―革命の粛清者」も読むつもりでしたが、
結構お腹いっぱいになってしまいました。





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スターリン -赤い皇帝と廷臣たち-〈下〉 [ロシア]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

サイモン・セバーグ モンテフィオーリ著の「スターリン〈下〉」を読破しました。

635ページの上巻の最後は、スターリンの信じない「バルバロッサ作戦」準備完了でしたが、
170ページの出典を除くと528ページのこの下巻は、1941年6月22日、参謀総長ジューコフによる
戦線の状況報告とドイツ軍に対する反撃許可をスターリンに電話で求めるところから始まります。
全員が集まって会議が始まっても青ざめていたスターリンは、
「一部のドイツ軍人による挑発行為かも知れない・・」。
そして「ヒトラーはこの事態を知らないのだ」と、宣戦布告があるまで反撃は命じません。

スターリン下.jpg

やがて被害が大きくなると、南西部方面軍への前線視察にブジョンヌイにクリークといった
元帥が派遣されますが、敗走する第10軍の混乱に巻き込まれたクリークは孤立し、
捕虜になりかけます。元帥服と身分証も焼き捨てて、農民に変装して逃走・・。
前参謀総長シャポシニコフ元帥もストレスに耐えかねてへたり込み、
司令部との連絡が途絶してしまいます。
こうして消えた元帥たちを見つけるため、今度はヴォロシーロフを派遣するスターリン。
西部方面軍司令官のパヴロフの失策を激しく叱責するヴォロシーロフの
その長靴に口づけをして、許しを求めるパヴロフ。
ヴォロシーロフはかつてスターリンに自分を密告したパヴロフに対する恨みもあります。

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ミンスクの状況を確認するため、ティモシェンコとジューコフの司令部に乗り込んだスターリン。
まるで仕事の邪魔だと言わんばかりのジューコフの生意気な態度に爆発します。
「開戦初日から自分の部隊との連絡を失うような総司令部と参謀総長とはいったい何者なのだ?」
普段は石のような冷静な表情のジューコフが激しい非難に堪えかねて、わっと泣き出し、
女のようにすすり上げながら、部屋から走り出ていくと、モロトフが慰めに後を追います。

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しかし堪えられなかったのはスターリンです。
それから2日間、引き籠り、姿も見せなければ電話にも出ないという衰弱状態に陥ります。
ヒトラーを見誤り、祖国を危機に陥れた国家元首として、いつ逮捕されてもおかしくありません。
それでもやって来たモロトフやベリヤ、ヴォロシーロフによって励まされて、
「新スターリン」として新設の国家防衛委員長に就任。このスターリンの衰弱には諸説ありますが、
本書では「一時的に権力から身を引き、再任されるための演技だった」
という説も間違いとは言えないとしています。

フォン・クライストグデーリアンの装甲集団が迫るキエフではフルシチョフが退却の許可を求めます。
「自分が恥ずかしくないのか!何が何でも頑張るのだ。
さもないと君自身が始末されることになるぞ!」と電話で恫喝するスターリン。
司令官のブジョンヌイを解任し、ティモシェンコを送りますが、結局は45万名が包囲されるのでした。

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包囲され始めたのはレニングラードも同じです。
ジダーノフの元にヴォロシーロフを送りますが、塹壕に隠れてばかりのヴォロシーロフをさっさと解任。
スターリンは参謀総長を解任したばかりのジューコフを送り込みます。
レニングラードを立て直したジューコフは、今度は危機迫るモスクワ防衛のために呼び戻されますが
赤い首都モスクワでは空爆が始まり、工場も疎開を開始。
防空壕が作られていないクレムリン・・。
ドイツ軍の空襲が始まると、スターリンは地下鉄のホームへ避難しなければなりません。

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ドイツ軍の攻勢をなんとか耐えきったスターリン。
銃殺の恐怖に脅えるのはキエフを失い、命からがら脱出していたティモシェンコとフルシチョフです。
しかし彼らを気に入っていたスターリンからはお咎めなし。
そしてこのコンビは1942年の夏にスターリングラードで復帰を果たすのでした。

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重臣のなかでは武器弾薬の調達に医薬品、糧食の配給、連合軍との武器貸与交渉などを
担当する貿易人民委員のミコヤン、強制収容所の囚人170万人を奴隷労働者として、
兵器生産と鉄道建設に動員し、そのうち93万人を死亡させたNKVD長官のベリヤの働きが
大きくものを言っています。

1943年2月、スターリングラード戦に勝利し、ジューコフを元帥に昇進させたスターリンは、
「全知全能のアマチュア軍人」として自らも元帥と名乗るようになります。
そしてベリヤの絶大な権力を制限するため、赤軍防諜部と恐怖の赤軍特務機関を統合し、
自分の直属機関に組み入れます。
「スパイに死を」というスローガンの頭文字をとって「スメルシュ」と名付けられたこの機関の責任者に
べリアの側近を勤めていた35歳の冷酷残忍な秘密警察幹部、アバクーモフが任命。
いや~。スメルシュ出ましたねぇ。名前だけで怖いです。

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3月、ドイツ軍の誇るマンシュタイン元帥の反撃によってハリコフが奪還され、
スターリングラード戦での勝利が台無しになりかねない状況の中、
スターリンは別の問題で怒りに震えています。
それは16歳になった娘スヴェトラーナの中年作家との恋・・。
「国中が戦争しているというのに、この堕落した娘の頭の中には男と寝ることしかない!」
と、かな切り声をあげてスヴェトラーナに生まれて初めてのビンタをお見舞いするのでした。。

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それでも夏には「クルスクの大戦車戦」にも勝利して意気揚々となるスターリン。
共産主義の国際組織、コミンテルンを廃止し、国民に満足感と自信を回復させるため、
「インターナショナル」に代わる新しい国歌を制定することを決定します。
ソ連邦全域から曲を募集し、作詞にも関与するスターリンと重臣たち。
国歌好きのヴィトゲンシュタインは、実はこの今のロシア国歌も大好きなんですねぇ。
東欧の国歌は旧ユーゴ、ウクライナ、クロアチアなど重厚で寒々しいメロディが多いですが、
この系統では、後半、厳粛に盛り上がるロシア国歌がNo.1なのは間違いありません。



三巨頭の集まったテヘラン会談でスターリンは、自分は決して間違いを起こさない
偉大な人間であることを確信します。
しかし勝利の代償は大きく、死亡者の数は2600万人にも達し、飢餓が猛威をふるって
ウクライナでは民族主義の軍事組織と赤軍による内戦も始まっています。
さらにカフカスでも少数民族がドイツ側に寝返っている情報が入ると、
イスラム教徒であるチェチェン民族とイングーシ民族の強制移住を決定し、
ベリヤは10万人のNKVD部隊を率いて、チェチェンの首都グローズヌイに乗り込みます。

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1944年3月までにチェチェン人50万人の東部への移送が完了。
その他、対独協力者とされたクリミアのタタール人16万人なども次々と・・。
そして移送の途中、または強制収容所に着いた時点で53万人が餓死などで死亡するという
ホロコーストに劣らぬ大惨事が繰り広げられます。。
こういう歴史を知らないと、いまのロシア、チェチェン問題などは理解できないですね。

スターリンがその後のヤルタ会談でルーズヴェルト大統領に
「我が国のヒムラーです」とベリヤを紹介するだけのことがあります。
本書を読む限り、ベリヤはヒムラーを完全に超えていますね。
ヒムラーとハイドリヒ、そしてボルマンを足して3で割らないくらいの強烈さです。。
このベリヤ主役の本が2冊出ているので、今度、読んでみようと思いました。

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ワルシャワ蜂起」の赤軍の停止に触れ、ロコソフスキー将軍なども登場しながら、
西へと進むスターリン。
この時期、フランス自由軍のドゴール将軍がクレムリンを訪れた話は興味深かったですね。
気難しいドゴールが立ち去ろうとするとスターリンはドゴールの通訳を呼び止めます。
「君は多くを知り過ぎている。シベリア送りにしたほうがよさそうだ!」
もちろんコレはスターリン流のジョークなんですが、このようなのは度々出てきて、
尋ねてきた政治局員に向かって、「あぁ、君はまだ逮捕されていなかったのか・・」
と、当人からしてみれば、これほど恐怖に打ち震えるようなジョークは存在しません。。

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本書では「拷問」についても所々で登場します。
殴り過ぎて眼球が飛び出す・・なんてのは当たり前。
基本は「フランス式レスリング」という床技で始まります。
後半には映画「マラソンマン」でダスティン・ホフマンが歯科拷問されたより凄い、
手術室のような拷問部屋も・・。
ヴィトゲンシュタインなら、この部屋に入っただけで、何でもかんでも自白するでしょう。。

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東プロイセンに達した赤軍。狂乱の復讐が始まります。
数ヵ月間で200万人のドイツ人女性が強姦されたばかりでなく、収容所から解放された
ロシア人女性にも赤軍兵士は襲い掛かります。
報告を聞いたスターリンは、「愛する家族を失った兵士たちがスターリングラードから
祖国の惨状を数千㌔に渡って眼にし、恐ろしい体験をした後で、
少しばかり楽しみたいと思っても不思議ではない」。

そして4月、ゼーロウ高地で防戦するドイツ軍に手こずり、
3万人の大損害を受けながらもベルリンを占領したジューコフと赤軍。
ヒトラーの焼け焦げた遺体はスメルシュによってさっさと持ち去られ、それをジューコフ知らせずに
遺体の行方について質問を蒸し返してはジューコフを困らせて楽しむスターリン。

Georgy Zhukov and Konstantin Rokossovsky 1945.jpg

6月にはモスクワで勝利の軍事パレードが豪雨のなか行われ、
白馬に乗ったジューコフに始まり、200人の復員兵がナチスの軍旗を投げ捨てるのでした。

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「大元帥」の称号と「ソ連邦英雄勲章」が重臣たちによって送られることになったスターリン。
「戦場で連隊も指揮したことのない私には、この勲章を受ける資格がない」と語り、
大元帥の称号も拒否します。
しかしゲーリング風の白の上着と、黒と赤の縞模様のズボンという
ホテルのドアマンを思わせる大元帥服を試着してモロトフに語ります。
「どうしてこんなものを受け入れてしまったのだろう・・」。

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8月、広島に原爆が投下されると、獲物を取り逃すことを恐れたスターリンは
即座に対日参戦に踏み切ります。
しかし広島の惨状に衝撃を受け、「戦争は野蛮だが、原爆は度を越えて野蛮だ。
しかも日本の敗北は決まっていて、原爆を使用する必要などなかったのだ!」として、
トルーマン大統領の狙いが、日本ではなく、自分にあると確信します。
この「原爆による脅迫」に対して、すぐさまベリヤを長とする原爆開発プロジェクトを発足させ、
科学者が集められます。

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1万人の技術者と40万人の職員をもって、膨大な量の仕事に打ち込むベリヤですが、
時間を見つけては、その絶大な権力にモノを言わせ、数十人の女優や
大好きな女子スポーツ選手などを拉致しては強姦。
自分の内務省のサッカー・チーム「ディナモ・モスクワ」が労働組合連合のライバルチーム、
「スパルタク・モスクワ」と優勝争いを繰り広げると、スパルタクの監督を逮捕して、
流刑にしてしまうなど、やりたい放題です。

Stalin,Mikoyan, Berija,Malenkov.jpg

最初の原子炉臨界実験に立ち会ったベリヤですが、見たところで到底理解はできません。
科学者たちに騙されていると思った彼は、
「これで終わりか?原子炉の中に入って見てもいいかな?」と
人類にとって願ってもないことを申し出ますが、
良心的な科学者たちは彼を思いとどまらせるのでした。。

ベリヤの政治的野心に気づいたスターリンは内相の座を罷免し、国家保安相に
スメルシュの「下等動物に等しい出世主義者」のアバクーモフを抜擢します。
まずターゲットとなるのは戦後の軍人たち。
特に西側にスターリンの後継者と持て囃されていたジューコフが大量の戦利品を略奪したカドで
逮捕されますが、すでに1937年ではないことを悟っていたスターリンは
オデッサ軍管区司令官に降格し、後にはウラル軍管区司令官へと再度、降格させるのでした。
古株のクリーク元帥が密かに銃殺されたのに比べれば、これでもまだマシな方ですね。

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イスラエル国家が誕生し、それを米国が支援する状況になると、
国内でのユダヤ人への弾圧が激しくなります。
「邪悪なシオニスト狩り」が政府内でも始まり、モロトフのユダヤ人の奥さんまでが逮捕され、
モロトフ自身も最高権力集団から排除。
1949年にはカザフスタンの平原で遂に原爆実験が成功し、ベリヤの株が再び上昇。
毛沢東がスターリンの元を訪れると、北朝鮮の若き指導者、金日成もモスクワを訪問し、
韓国侵攻の許可をスターリンに求めます。

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そんな「鋼鉄の男」スターリンも老いには勝てません。
重臣のひとり、ブルガーニンの名前すら思い出すことが出来ず、
「ところで、君の名前はなんだったかな?」
しかし、実際には耄碌しつつも、今まで以上に頑固で危険な存在であり、
あらゆる方向に攻撃の手を伸ばします。
歯の悪い彼のために食卓に出されたバナナが熟れていないと激怒したスターリンは
バナナの輸送船の関係者を逮捕し、貿易相の解任まで命じる始末・・。
これは命じた・・という笑い話ではなく、本当に貿易相が解任されているところが凄いですね。

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自身の後継者問題についても、どこかの国のように息子に継がせる気などサラサラなく、
本書でも最初の息子、ヤコフがドイツ軍の捕虜となっても、交換には応じず、
小スターリンであるワシリーもモスクワの空軍司令官というポジションは与えますが、
相変わらずの我がままで、アル中・・という役立たず。。
そしてソ連はグルジア人ではなく、ロシア人が治める方が良いと考えているのでした。

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そして遂に倒れるスターリン。
動脈硬化症に起因する左脳の内出血ですが、高名なユダヤ人医師たち全員が逮捕されており、
駆け付けたベリヤを筆頭とした重臣たちが呼んだ医師たちも、手術を行う勇気などありません。
回復の見込みがないことがハッキリすると、ベリヤはスターリンへの憎悪を公然と吐き出しますが、
スターリンの目玉や口が動いたりする度に、回復するかも・・という恐怖に駆られ、
慌てて跪き、スターリンの手に接吻を・・。
その他の重臣たちはスターリンが死ぬという事実を前に、安堵のため息をつきながらも
欠点はあっても、長年の親友であり、指導者であったスターリンのために涙を流すのでした。

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「エピローグ」では後継者となったベリヤの新しい政策、特に東ドイツを開放するという提案が
重臣たちの不安を掻き立て、ベリヤ打倒を決意したフルシチョフによって策謀が・・。
そして部屋の外で待機していたジューコフ元帥が突入!して、ベリヤを逮捕。
「殺さないでくれ!」と大声でわめき、暴れ続けるベリヤの額が
死刑執行人のバチスキー将軍によって撃ち抜かれます。
アバクーモフも銃殺されて、スターリン時代の犯罪の多くがこの2人の責任に帰されるのでした。

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本書にはマレンコフにミコヤンなど、重要な重臣たちも多く登場し、
モロトフの味方に付いたり、ベリヤ側に付いたり、時には全員で共同戦線を張ったり・・と
後半はいったい誰が生き残るのか・・? 
というフィクションのサスペンスのような雰囲気すらありました。
戦後のソ連は詳しくないので、ヴォロシーロフが大統領になっていたり、
ブジョンヌイも生き残って、切手になっていたりして良かったですね。

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まぁ、大変なボリュームがありましたけど、中だるみもなく、とても面白かったです。
知らないことが多かったので、集中力もありましたし、ちょっとした衝撃も受けたりと。。
この上下巻を読んでいた1週間で、二晩ほどは「ソ連の夢」も見ました・・。
独ソ戦の部分は250ページ程度で、思っていたほどではありませんでしたが、
これはスターリンがヒトラーほどは作戦に関与していなかったためでしょうね。

もし、原爆が使われなくて、日米本土決戦になっていたら、長引く戦争によって、
ソ連が北方領土だけではなく、北海道から東北まで攻め込んで、
戦後は東西ドイツや、今のお隣の国のような、分割された国になっていたかも・・
など、変なことも頭をよぎりました。
そんな意味でもこれまでに読んだソ連モノのなかでは、間違いなく最高の一冊でした。

また、スターリンの前半生を描いた「スターリン―青春と革命の時代」という
本書の第2弾もありますし、「ベリヤ本」の他にも、
「スターリン時代―元ソヴィエト諜​報機関長の記録」という本も気になりますね。
まだまだ、ソ連モノも読んでみるつもりです。













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スターリン -赤い皇帝と廷臣たち-〈上〉 [ロシア]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

サイモン・セバーグ モンテフィオーリ著の「スターリン〈上〉」を読破しました。

ヒトラーと第三帝国の歴史についてはかなり読んできたつもりですが、
その彼らの宿敵、スターリンと取り巻きたちについてはほとんど知りません。
最近、少しずつソ連の体制にも興味が出てきましたので、
2年前に発刊された最新のスターリン伝である本書を上下巻セット5000円で購入。
原著は2003年で、英国文学賞「歴史部門」受賞したということで、
この上巻が635ページという、とても分厚く重い大作ですが、
40年前の上下2段組で文字も小さい本なら400ページ程度でしょう。
これぐらいのボリュームは今まで、尽く撃破してきているので、4日くらいのミッションですね。

スターリン上.jpg

「序言」では本書の目的をスターリンをヒトラーと比べて、どちらが「世界最悪の独裁者」であったか、
その犠牲者の数の多さを基準にして論ずるような、おぞましくも無意味な「悪魔学」ではなく、
また、スターリンの内政外交史や軍事作戦史でもない、スターリンとその20人ほどの重臣たちと
家族の肖像を描きだした「宮廷劇の年代記」であるとしています。
むむ・・。これだけ読んだだけでテンションが上がりますね。
スターリン個人の生涯よりも、モロトフやベリヤなどを含めた・・ナチスで言えば
ゲーリングやゲッペルス、ヒムラーと同じような取り巻きたちを知りたかったので、
当たりの予感がします。

プロローグでは1932年、22歳年下の妻、ナージャの拳銃自殺、
それに呆然とするスターリンという、まるで映画のようなショッキングなシーンから始まります。
これにはヒトラーとゲリとの関係も思い出しました。
そして第1章からは1878年、後のスターリン、ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリの
生まれたグルジア、両親や彼の少年時代が紹介されます。
続いて政治活動に目覚め、革命家として7回流刑、6回脱走、レーニンを熱烈に支持し、
最初の結婚と息子ヤコフの誕生、妻エカテリーナの病死と、前半生はサクサク進みます。

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1912年、真面目で面白みのない22歳のボルシェヴィキ同志と共同の下宿暮らしを始めます。
この同志スクリャービンは工業労働者らしい「革命家の仮名」を名乗り、
それは「金槌」を意味するモロトフです。
そこでジュガシヴィリも「鋼鉄の男」を意味するスターリンを名乗って、
尊敬するレーニンからも「素晴らしいグルジア人」と評されることになります。
1917年、レーニンのボルシェヴィキ革命が始ると、インテリのユダヤ人トロツキーが赤軍を創立し、
粗野な田舎者スターリンも政策決定の最高機関「政治局」の5人のメンバーに選ばれます。

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派遣されたツァリーツィンでは赤軍を率いて反革命の疑いがある者を無慈悲に根こそぎ射殺し、
ヴォロシーロフブジョンヌイと知り合い、親しくなります。
あ~、このツァリーツィンが改名されて「スターリングラード」になるんですね。
1924年にはレーニンが心臓発作で死亡すると、後継者と目されるトロツキーとの戦いが・・。
そして反トロツキー派とともに失脚に追い込み、書記長スターリンが誕生するのでした。

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ここからクレムリン宮殿に暮らす、スターリンと新しい妻ナージャ、二人の子供に、
取り巻きである重臣たち家族との生活の様子が・・。
面白いのはナージャを含めて、奥様連中も強烈なボルシェヴィキで、
結構、政治にも口うるさいんですね。
1929年には西欧の辱めを受けない強大国になるための工業化「五ヵ年計画」のために、
国内の敵、富農階級(クラーク)撲滅を目論みます。
しかしこの撲滅計画開始から数ヵ月で80万人が蜂起。
これに対し、装甲列車で乗り込み、モロトフによって「直ちに処刑する農民」、
「収容所に送る農民」、「強制移住させる農民」の3つに分類された農民、
500万人から700万人が姿を消すのでした。

Armoured train.jpg

1930年には、10年前のポーランド戦争以来の仇敵だった参謀総長トハチェフスキー
陥れようとスターリンは画策します。
この傲慢な司令官が「大げさな作戦」を振り回して、将官連中を馬鹿者扱いしている
との証言を強迫によって引き出し、トハチェフスキーの作戦が「空想的」であり、
ほとんど「反革命的」であると非難します。
しかし当時はまだ独裁者ではなかった書記長スターリンは誰からの支持も得られずに敗北。。
その「空想的」な戦略が実は驚嘆に値するほどの近代的なモノであったことを理解すると
「私の結論が全面的に間違っていた」と謝罪までするハメに・・。

Mikhail Tukhachevsky.jpg

当時のクレムリン宮殿でややこしいのは、長老格の国家元首(大統領)としてカリーニンがおり、
首相としてもルイコフがいることですね。
そして彼らはスターリンの警告によって、逆らう力を無くし、ルイコフはモロトフに取って代わられます。
ウクライナからは大飢饉という「明らかでたらめ」な情報がもたらされ始めますが、
「流血の上に新しい社会システムを構築する」という信念の元、
死者500万人から1000万人という人類史上類例のない悲劇を受け入れるのでした。
この「大飢饉」についての本、「悲しみの収穫―ウクライナ大飢饉」という
638ページの大作があるのを発見しました。読んでみようかなぁ。

Malenkov, Kaganovich, Stalin,  Kalinin, Molotov,  Voroshilov . 1930-е.jpg

そんな時に起こった妻ナージャの突然の死。
農民が何百万人飢え死にしようが、妻の死からは生涯立ち直れなかったスターリン。
盟友カガノーヴィチは語ります。
「1932年を境にスターリンは別の人間になってしまった」。
その分、愛娘のスヴェトラーナにはたっぷりの愛情を注ぐことになり、
以前に紹介した「女主人」から、「秘書スターリン」に宛てた手紙(指令)もいくつか紹介。

Nadezhda.jpg

しかし「小スターリン」である息子のワシリーの非行は悩みの種・・。
学校教師から「ワシリーが自殺をほのめかして脅迫する」という苦情の手紙を
受け取ったスターリンは返信します。
「ワシリーは甘やかされた子供で、野蛮人で、嘘つきの常習犯です。
弱みに付け込んでは大人を強迫し、弱い者には生意気な言動に及びます。
私の希望はもっと厳しく扱い、自殺などという、まやかしの脅迫を恐れることはありません・・。」

t_stalin_s_vasilijem_a_sv_tlanou.jpg

地方の実力者たちの間ではスターリンの乱暴な党運営に心痛め、
スターリン排除計画も密かに練られます。
対抗馬として名が挙がるのはスターリンの親友でもあるレニングラードのトップ、キーロフです。
党大会での中央委員の選出では、代議員によるキーロフへの反対票が3票だったのに対し、
モロトフ、カガノーヴィチ、そしてスターリンへの反対票は100票を超える事態に・・。

Kirov.jpg

そしてドイツからは、ある事件のニュースが・・。
それはSAと反対派を一挙に殺害した「長いナイフの夜」。
スターリンは感銘を受けます。
「あのヒトラーという男はたいしたものだ!実に鮮やかな手口だ!」

チェーカーと呼ばれた秘密警察からOGPU(統合国家政治保安部)の長官を務めていた
メンジンスキーが死去するとOGPUは解体され、新設のNKVD(内務人民委員部)に吸収されて
新長官にはヤーゴダが就任します。
さらには以前からスターリンから絶大な信頼を得ているグルジア出身の
ベリヤも絡んでくる展開になるとだいぶキナ臭くなってきますね。
すると早速、キーロフが銃弾に倒れます。
知らせを受けたスターリンは「非常事態法」に署名。
これはテロリストとして告発された者を10日以内に裁判に付し、一切の控訴を認めず、
直ちに処刑ができるという、ほとんどヒトラーの「全権委任法」のようなもので、
この政令によって3年間で200万人に死刑が宣告されることになるのでした。

Lavrentij Pavlovich Berija.jpg

なお、ボルシェヴィキの世界における「テロリズム」とは、
スターリンの政策や人格に少しでも疑問を挟むことであり、
政治的反対派であることは、それ自体が「暗殺者」を意味します。

スターリンは友人である古参ボルシェヴィキを排除し、
有望で信頼のおける若手を登用したいと考えます。
そこで登場するのは半分文盲の労働者だったフルシチョフに、
キーロフ事件の捜査を担当した、身長151㎝のエジョフです。
また、41歳の死刑執行人で、20世紀を通じて最も多くの囚人を銃殺・・その数、数千人・・・
という怪物ブロヒンも紹介されます。

jezov.jpg

エジョフは上司である長官のヤーゴダを「高慢で消極的な自惚れ屋」と攻撃し、
NKVD長官の座を射止めると、いよいよ「大粛清」の幕が切って落とされます。
「無実の人間10人を犠牲にしてでも、一人のスパイを逃してはならない」と語るエジョフ。
ブハーリンとルイコフという古株は妻と娘共々逮捕され、粛清。
ヤーゴダの息のかかったNKVD職員3000名も処刑。
そしてヤーゴダ本人もエジョフの毒殺を図った容疑で逮捕。
彼はトハチェフスキー元帥らによるクーデター計画まで白状してしまいます。

Genrikh Yagoda.jpg

いまだに装甲列車と騎兵突撃の思い出に生きるスターリン配下の政治家将軍である
ヴォロシーロフとブジョンヌイも、飛行機と戦車の機械化の時代を予想するカリスマ将軍とは
以前から対立しています。
そしてトハチェフスキーも拷問によって打ち砕かれ、ドイツのスパイとされ、
「機械化軍団の創設を迫るという破壊活動を行った罪」で銃殺。
その自白調書を鑑定したところ、人間の肉体から発散した血液のシミで汚れていることが
わかったそうです・・。

Mikhail Tukhachevsky, Semyon Budyonny, Kliment Voroshilov, Vasily Blyukher, Aleksandr Yegorov.jpg

さらに国防人民委員(国防相)ヴォロシーロフは自らNKVDに告発状を送って
300人以上の将校の逮捕を要求し、最終的に元帥の3/5、司令官の15/16、軍団長の60/67、
軍コミッサールは17人全員が銃殺。。
エスカレートする粛清は、容疑者を特定せず、地方ごと数千人の数字を割り当てて、
逮捕処刑せよという命令へ・・。これは以前に「グラーグ」で読んだ恐るべきヤツですね。
ナチスが対象をユダヤ人やジプシーと限定していたのに対し、この「挽肉システム」は
昔の言葉や反対派と付き合った過去、仕事や隣人の妻への妬み、個人的な復讐・・と
理由は何でも構いません。

Stalin_berija.jpg

そして「不十分であるより、行き過ぎの方がマシ」と割り当てを超過し、
追加割当てまでもらって、数万人単位で銃殺が続きます。
この「割当てシステム」によって70万人が処刑されたということですが、
割当て地域の責任者が数の多さを競うように頑張るところは
アインザッツグルッペンとなにも変わらないですね。

部下が容疑者リストに載っているとしてスターリンに苦情を述べるブジョンヌイ。
「これらの連中が敵だとしたら、一体だれが革命を起こしたと言うのか!
これじゃ、我々自身が投獄されるぞ!」
しかし殺人鬼エジョフは働き続け、モロトフにも告発の危機が迫ります。
そしてブジョンヌイの妻でボリショイ劇場の歌手だったオリガが逮捕され、
禁固8年が言い渡されます。
すすり泣くことしかできないブジョンヌイ・・。
妻は独房の孤独に耐えきれず発狂するのでした。

German poster_Winniza.jpg

狂乱は続きます。
モスクワの書記38人中、35人の逮捕を指示したのはフルシチョフ。
その処刑リストを見せられたスターリンは叫びます。「これは多すぎるのではないか?」
やがて酒を呑んで囚人を拷問するのが日課だったエジョフでさえ、
仕事の重圧により身を滅ぼしつつあります。
スターリンはいまや酒浸りのエジョフの退廃に気が付くと、
36歳の秘蔵っ子であるベリヤを補佐役に送り込みます。

Nikolai Ivanovich Yezhov.jpg

1939年3月、ようやく党大会で「殺戮の終焉」が宣言されます。
「狂乱したエジョフの行き過ぎによって多少の間違いが生じたが、
殺戮そのものは成功だった」と総括され、
モロトフからジダーノフに至るまでの生き残りはそのまま、フルシチョフは昇進し、
全責任を負わされ、自らが作った処刑場で銃殺されたエジョフに代わったNKVD長官はベリヤです。
写真からも公式に抹殺された「消えたエジュフ」という写真も有名ですね。
これじゃ、まるで心霊写真です。。

This is Nikolay Ezhov - Head of NKVD, personally responsible for most of Great Purge.jpg

このように、この上巻では「大粛清」が中心となっていますが、
赤軍だけではなく、各地の政治委員らも徹底的に粛清されていく様子を
クレムリン内部から目撃する・・という、その歯止めのない恐ろしさを知ることができました。

最後の100ページは、ヒトラーとの独ソ不可侵条約から、
その後に起こる独ソ戦の開戦までをスターリン側から観察します。
なにも聞かされていなかったフルシチョフは「なぜリッベントロップが来るのですか?」と
驚きを隠せません。再度、スターリンに尋ねます。「ロシアに亡命でもするのですか?」

Stalin_Khrushchev.jpg

国防担当人民副委員クリークとメフリスがポーランド侵攻作戦を指揮し、
キエフ軍管区司令官のティモシェンコとウクライナ第一書記のフルシチョフが
ドイツ軍によって降伏間際のポーランドに東から侵攻します。
逮捕されていたポーランド将校の処刑が決定し、モスクワから「カティンの森」へ
怪物ブロヒンが出向してきます。
一晩に250人を銃殺する計画通り、28夜で見事、7000人を処刑。

Grigory Kulik.jpg

バルト三国も強迫によって手中に収め、言うことの聞かない生意気なフィンランドには実力行使
しかし神出鬼没のフィンランド兵によって森には赤軍兵の死体が
凍ったピラミッドのように積み重なります。
1940年4月、ソフィン戦争の失態を反省するため、「最高軍事委員会」を設立。
司令官の一人は「フィンランドに森があることを知って驚いた」と発言すると、
メフリスは「フィンランド軍は我が軍の午後の昼寝の時間を狙って攻撃してきた」と報告。
もちろんスターリンは「いったい、何のことだ?」と激怒。。

Lev Mekhlis.jpg

ヒトラーが電撃戦でフランスに勝利するのを目の当たりにし、赤軍の立て直しを急ぐスターリン。
ヴォロシーロフとシュポシニコフという国防人民委員と参謀総長を解任し、
ティモシェンコとジューコフを登用。
しかし馬の引く大砲こそが今でも最も重要な武器だとするクリーク元帥が邪魔します。
そして世界中から送られてくる「バルバロッサ作戦」の情報・・。
読書家のスターリンはビスマルクも良く知っています。
「英国が降伏していない以上、ロシアを攻撃することはあり得ない。
ヒトラーも2正面戦争をするほどの馬鹿ではない」。





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