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パリ解放 1944-49 [フランス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アントニー・ビーヴァー、アーテミス・クーパー著の「パリ解放 1944-49」を読破しました。

去年の8月に出たアントニー・ビーヴァーの560ページの最新刊です。
ですが、コレ、タイトルが微妙だなぁ・・と思っていました。
パリが開放されたのは確かに1944年ですが、なんで1949年まで・・? と疑問でしたが、
原題は「Paris after the Liberation 1944-1949」。
なるほど・・、「パリ開放"後"」というのが正解なんですね。

パリ解放 1944-49.jpg

いつもの如く「訳者あとがき」を読んでみると、本書は最新刊ではないことがわかりました。
原著の初版は1994年で、ビーヴァーが一躍有名になった「スターリングラード」の4年前。。
ただし、2006年に「改訂版」が出て、本書はそちらの翻訳だということです。
また共著者のアーテミス・クーパーとは、ビーヴァーの奥さんです。

Antony Beevor and Artemis Cooper.JPG

第1章は「元帥と将軍」。1944年から始まるのかと思いきや、
1940年6月のドイツ軍の猛攻の前に降伏寸前のフランス政府の様子からです。
2年ぶりに顔を合わせた84歳の英雄ペタン元帥に、
陸軍最年少准将のひとりである49歳のドゴール
総司令官のウェイガンは休戦を主張するペタン寄りであり、
首相のレイノーはドゴールの予測に感銘を受け、戦争省次官に任命しているという関係です。

英首相チャーチルの提案する「英仏連合」をフランスを自国の領土に組み入れようとする
英国の陰謀と見なし、「ナチの州になった方がマシだ」と激高するペタン派。
結局レイノーは辞任し、もはや閣僚ではなくなったドゴールは後ろ盾を失って、
ひっそりとフランスから脱出することを余儀なくされます。
それは戦争を継続することは命令不服従を意味し、個人的にも政治的にも嫌われていた
ウェイガンによって軍法会議にかけられる恐れがあるためです。
いや~、フランス人の英国嫌いはハンパじゃありませんね。

De Gaulle, Pétain.jpg

このようにして誕生した対独協力政府である、通称「ヴィシー政府」。
ドイツ軍占領下のパリよりもはるかに閉鎖的だったと言われ、
戦前の極右政治結社「火の十字団」の追随者から、最終的には
1943年に「ミリス・ナショナル(国民親独義勇軍)」がヴィシーの政治警察として誕生。
彼らはひとりひとり誓いを立てます。
「私は民主主義、ドゴール派の謀反、ユダヤ人の疫病に対して闘うことを誓います」。

Milice française.jpg

しかし連合軍が北アフリカに上陸すると、ヴィシー政府とペタン元帥は崩壊。
こんな一大作戦も知らされなかった英国のドゴールに、ダルラン提督ジロー将軍も登場し、
フランス国内ではゲシュタポ・ミリス連合vsレジスタンスの戦いも暴力的に・・。
といった1944年8月の「パリ解放」までの経緯が50ページほど簡単に述べられます。
ただし、そこはビーヴァーですから、エピソードの積み重ねの展開であり、
ある程度、知識のある人でないと事態が複雑すぎてついて行けないかも知れません。

A French man and woman fight with captured German weapons as both civilians and members of the French Forces of the Interior took the fight to the Germans, in Paris in August of 1944.jpg

パリ解放の先陣争いに明け暮れるルクレール将軍と、ヒトラーに防衛を任されたコルティッツ将軍
最終的に凱旋門に到着し、熱狂的に迎えられるドゴール。。
この辺りは「ノルマンディ上陸作戦1944」に書かれていたのと同じ記述もあります。
それでも本書の方がさらに細かい展開でしょうか。

de-gaulle.jpg

一方のペタン元帥といえば、9月7日にヒトラーが亡命フランスの首都に指定した
小さな城下町であるジグマリンゲンに到着。
報復を恐れた「ミリス民兵」たちも妻子を連れてドイツへ逃亡を図りますが、
そこでは同盟者として扱われるどころか、最悪の強制収容所のような環境で監禁され、
多くの子供は栄養失調で死亡、体力がない男たちは強制労働に駆り出されます。

残りの2500人は、武装SS「シャルルマーニュ」に編入され、
ベルリン最終戦でノルウェー人やデンマーク人と共に戦い続けます。
そしてソ連装甲車6台を破壊した「元ミリス」のウージェーヌ・ウォロは、
地下鉄の駅での蝋燭の光のもと、クリーケンベルク将軍から騎士十字章を授かるのでした。
う~む。この辺りは「ベルリン陥落1945」を彷彿とさせますが、
ミリスの話、以前から気になっているだけに興味深いですね。

milice.jpg

解放されたパリではフランス人以外の人の姿もあります。
ヘミングウェイにジョージ・オーウェル、ロバート・キャパ、ウィリアム・シャイラー等々。
そんななか「対独協力者」に対してレジンスタンスが粛清を実行します。
ドイツ人と寝たとされる女性から、アパートの隣人や管理による匿名の告発・・。
まぁ最近、日本でも女の子が望んで??丸刈りになったりもしてますがね。。

そして劇的に増加した「ガス爆発」の死者の多さは、発見されたドイツ軍のパリ破壊用の
爆薬によるものだと推測し、年の明けた1月、2月になっても
アルデンヌ攻勢に対する恐怖感の影響で、その殺人件数は再び、膨れ上がるのでした。

A-crowd-jeers-as-a-woman--001.jpg

連合軍は準備してきた「フランス地域ハンドブック」に、パリ娼館案内をコッソリ掲載し、
米兵たちは気前の良い情報を大いに活用・・。
しかし1年もしないうちに兵舎にはポスターが張り出されます。
「家庭を持ちたくないか? 淋病に感染した男性の12%は子供ができなくなる」。
英軍は厳格なモントゴメリーが娼館への立ち入りを禁止し、
赤線地帯に憲兵を配置するものの、野営地近くの野原が利用されることまでは防げません。

また、空っぽのフランスの商店に目を付ける一部の米軍補給将校らは、
帰国前にひと財産作ろうと、コーヒー、煙草、ガソリン、タイヤ、石鹸、薬品、ウイスキーなど、
全ての品々を闇市に転売してぼろ儲け・・。
当初は歓迎していたパリ娘たちも1945年の春になると、高慢な態度の米兵への情熱は消え、
口笛とラッキー・ストライクで呼び止められたある娘は、GIの手から煙草を取って足で踏みつけ、
周りのフランス人から、やんやの喝采を受けるのでした。

americanSoldier_kiss_frenchWoman_parisLiberation_august1944.jpg

ココ・シャネルの話にも触れながら、アウシュヴィッツラーヴェンスブリュックといった
強制収容所から帰ってきた女性たちの話へ・・。
歓迎委員会の前に現れた彼女たちは、骸骨のような想像を絶した姿であり、
かすれ声で「ラ・マルセイエーズ」を唄い始めると、聴衆は激しい衝撃を受けます。

「大裁判」の章では、まずフランス人ゲシュタポについてです。
1940年にドイツ軍によって釈放された犯罪者ラフォンと、その右腕の元警察官ボニーの
悪名高き「ボニー=ラフォン団」は、ゲシュタポの汚れ仕事を引き受け、
逮捕、告発、脅迫、窃盗、密売、拷問、ときには殺害して財産を作ります。
こういう連中がいたのは以前に「ゲシュタポ・狂気の歴史」でもそれとなく書かれていましたねぇ。
続いてヴィシー政府のペタンに、首相のラヴァルらの裁判の様子も・・。
彼らの主張は「二枚舌」を使い、ドイツを騙してフランスを守ろうとした・・というものです。

petain_laval.jpg

と、ここまででも様々なエピソードが語られる本書ですが、実はまだ半分にも達していません。。
中盤からはドゴールと、最大政党であるフランス共産党の対立。
それに介入する米国と、国務長官になったジョージ・マーシャル
有名な「マーシャル・プラン」などの政治情勢が1949年まで続く展開です。

Charles_de_Gaulle & George Marshall.jpg

そして章ごとに、おそらくビーヴァーが書く「政治」の章と、
奥さんが書く「文化」の章が交互に登場しながら最後まで進みます。
例えば、クリスチャン・ディオールのドレスの贅沢さは、
5年間の貧困を経験した人々にとっては我慢ができないものであり、
モンマルトルの市場での写真撮影の際には、モデルに侮辱の言葉をかけながら
女性たちが飛びかかり、モデルを殴り、髪を引っ張り、服をひきちぎろうとします。
巻頭に ↓ の怖い写真が掲載されていましたが、1947年になってもパリは落ち着きません。

1947, when a discontented crowd in the street attacks the first winners of the “New Look,” tearing off their clothes.jpg

他には共産党を中心とした資本主義の象徴との戦いである「コカコーラ戦争」。
コカコーラ輸入が自分たちの生活の糧を破壊すると考えるワイン生産者に、
エッフェル塔にネオンサインを取り付けようとするコカコーラ社。。

Coca-Cola - Liberation Europe - Paris.jpg

また共産党に入党したピカソの話も所々で登場してきます。
この超有名画家の存在はソ連にとっても意味があることですが、
こと絵画という意味では「社会主義リアリズム」が認められている世界で、
ピカソは共産主義の画家ではなく、共産主義者である画家というヤヤコシイ扱い。
そのピカソの描いたスターリンのデッサンも掲載されていましたが、
初めて見ましたねぇ。共産党内でも賛否両論となっています。

Joseph Stalin by Pablo Picasso.jpg

前半は確かに「パリ解放」といった趣のビーヴァーらしい本書でしたが、
後半は、今回、思いっきり端折ったように、戦後のフランス政治と文化について書かれています。
ですから、よっぽどフランスについて興味がある方でないとキビシイと思いますね。
ヴィトゲンシュタインは戦後の東西ドイツの歴史についても、「ニセドイツ」で楽しく勉強している
程度なので、初めて知ったことが多い反面、ちょっと苦労しました。

1944-08-25_montparnasse.JPG

思い起こしてみると、この「独破戦線」のキッカケになったのはビーヴァーの影響が大ですね。
2000年に公開されたジュード・ロウ、エド・ハリスの映画「スターリングラード」が印象に残っていて、
それまで小説専門だったヴィトゲンシュタインが本屋で偶然見つけたのが、
ビーヴァーの「スターリングラード 運命の攻囲戦 1942-1943」でした。
それから第二次大戦のドイツ軍ノンフィクションに走り始めて、
パウル・カレルの「バルバロッサ作戦」と、「焦土作戦」へ・・という経歴でしょうか。

ちなみに2012年6月には「ノルマンディー上陸作戦1944」以来の最新作が出たそうで、
調べてみるとタイトルは「The Second World War」・・まるで集大成のようなタイトルですね。。

Antony Beevor The Second World War.JPG

邦訳は、白水社より刊行予定・・のようで、今年か、来年か、ボリュームにもよるのかなぁと
原著のページ数を確認してみたら、ハードカバーで880ページです。。
「ノルマンディー上陸作戦1944」の原著が632ページですから、
下手をすると、上・中・下の3巻にもなりかねないですな・・。



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仏レジスタンスの真実 -神話・伝説・タブーの終わり- [フランス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アルベール・シャンボン著の「仏レジスタンスの真実」を読破しました。

今回は実に2年ぶりとなる「フランスもの」です。
ナチス・ドイツに占領されたフランスというのは、コレが結構ヤヤコシイんですね。
まず、北フランスはドイツ軍政下になりますが、南部はペタン元帥のヴィシー傀儡政権に・・。
本書の主題である抵抗組織レジスタンスも、有名な「マキ」とか、いろいろな組織があり、
そこにロンドンからドゴールが絡んできて・・と、レジスタンスだけ取ってみても、
名の知れたジャン・ムーランもゲシュタポの手にかかって死んでしまってますし、
いろいろとレジスタンス本は出ていますが、なにかピンと来ない・・。
そこで広い視野でフランス・レジスタンスが如何なるものだったのかを知るにあたって、
1997年発刊で229ページの本書を選んでみました。

仏レジスタンスの真実.jpg

まずは巻頭に写真が20枚ほど掲載されていました。
1940年6月のドイツ軍によるパリ入場から、有名なヒトラーとエッフェル塔
同じくレジスタンスであるジャン・ムーランに、1944年、蜂起したパリ市民
そして捕虜となったドイツ軍将校と、凱旋したドゴールとルクレール将軍・・。
一番、興味深かったのはルーヴル美術館で「ミロのヴィーナス」を見るルントシュテット元帥です。
ちなみに表紙は第二次世界大戦ブックスの「パリ陥落」と同じ写真ですね。。

Paris,Gerd v Rundstedt im Louvre.jpg

本文の前に「訳者まえがき」という形で、フランスの抵抗運動に関わる事柄を年表と小文で辿ります。
コレは本文が編年体ではなく、著者が問題とする項目ごとに記述してあるためで、
日本人読者向けに親切な構成ですね。
なかでも1942年に始まった「リヨン裁判」というのは特に印象的です。
ヴィシー政府のペタンが前政権に敗戦の責任を問うという政治裁判で、
被告となったのはダラディエ、ポール・レイノーら首相に、ガムラン参謀総長ら・・。
しかし、被告らの活発な反論に合い、ヴィシー側に都合の悪い事実が明るみに出て、
2ヵ月で中断・・。この裁判は触れられたくない「占領中のエピソード」であり、
訴訟記録は未だに公開されていないそうです。

続いて本文・・の前に戦後、各国の駐在大使を歴任した著者の「まえがき」。。
「私はいかなる資格で本書を書くか」として、1909年生まれの著者が1939年の総動員に志願し、
「フランスの戦い」に参加、休戦後は地下に潜行して抵抗運動に従事し、ゲシュタポに逮捕されて、
ブッヘンヴァルト強制収容所送りとなったという経歴が紹介されます。

Logo Résistance française _Jean Moulin et Croix de Lorraine.JPG

こうして40ページからようやく第1章「占領」が始まります。
独仏休戦調停を無視して戦い続けた運動家はいくつかの組織に属し、
それらは「P0~P2」の種類に分類できます。

まずP0は、フランス上空で撃墜された連合軍パイッロトを助ける逃走ルートで働くとか、
武器などがパラシュート投下されるのを手伝ったりとかする「臨時の専従」。
それからP1が国鉄職員、警官、市町村職員といった職業を平常通り続けながら、
レジスタンスに目覚ましい貢献をした人々。
そしてゲシュタポに正体を暴かれ、完全に地下に潜り、
姓名身分を偽って生きるフランス人がP2です。
映画「大脱走」で、カフェで寛ぐドイツ軍将校を皆殺しにして、
ジェームズ・コバーン演じるセジウィックの逃走を助けるのが「P0」でしょうかね。

The great Escape_Coburn.jpg

ペタン元帥のヴィシー政府の存在と役割にも言及しています。
特に同政権が存在したおかげで解放まで、さまざまな分野でドイツの要求に
ある程度ブレーキがかかったのは事実であるとし、
「わが国の支配者としてドイツ人ガウライターが任命されるよりも
遥かにマシであったことは、今なお否定できない」。

具体例として、ペタンの下で実権を握っていたラヴァル首相が
フランスSSのトップ、オーベルクSS中将と交わした妥協案によって、
ドイツ側はフランス系ユダヤ人は拉致しないと約束し、その代償として、
外国籍ユダヤ人の引き渡しを承認するという「恐ろしい取引」を紹介。
これによってパリにいた75000名のユダヤ人が助かり、
非占領地域から27000名が引き渡されるのでした。

Philippe_Petain_et_Pierre_Laval.JPG

第2部はメインとなる「抵抗」です。
ロンドンへと亡命したドゴールの「自由フランス」は、「戦うフランス」と改名しますが、
彼に対してはチャーチルでけではなく、ルーズヴェルト大統領も敵意を持っています。
それは憲法上の合法性はヴィシーにあって、ロンドンにはなく、
これは米国のような民主国とってなにより重要です。
さらに「精神的合法性」を主張するドゴールの態度は、好機を待って権力奪取を目論む
個人的野心の表れにしか見えません。

Churchill de_Gaulle.jpg

レジスタンスの諜報活動では、一般的に1944年のノルマンディ上陸作戦に貢献したことが
良く知られていますが、本書では1940年の「バトル・オブ・ブリテン」において、
英空軍が勝利を収めたのはフランス国内の基地から飛び立つ、ルフトヴァッフェの詳細な情報と、
襲撃地点を彼らから事前に知ることができたことが大きかったとしています。
最近、「バトル・オブ・ブリテン」読んでますので、印象的な話ですね。

The French Resistance 1944.JPG

そのノルマンディ上陸作戦でも、南から救援に駆け付けようとする武装SSの「ダス・ライヒ」が
レジスタンスの執拗な攻撃を連日受けた結果、腹立ちまぎれに「オラドゥール村」で
560人の女子供を教会で惨殺してしまう件まで書かれています。

ダス・ライヒ師団長ラマーディングが第58装甲軍団に送った報告書も登場し、
「鉄道網はテロリストによって支離滅裂状態にあり、容赦ない鎮圧を断行しないために
身動きが取れず、まったく腹立たしい」。
部下で百戦錬磨のオットー・ヴァイディンガーSS少佐も次のように書いています。
「ハーグ条約を無視して、兵士一人一人を常時標的にする"マキ"の
予測できない卑劣で卑怯な行動が、部下の士気をひどく低下させている」。

weidinger_otto.jpg

この時期、統合されたレジスタンスの武装勢力は「フランス国内軍(FFI)」となり、
「秘密軍(AS)」、「軍抵抗組織(ORA)」、「義勇兵パルチザン(FTP)」の
3つの勢力で構成されています。
しかし、「義勇兵パルチザン」とは、フランス共産党が指導する「国民戦線」の軍事部門であり、
他のレジスタンスとは大きく立場が違います。
それを理解するにはフランスが占領された1940年6月というのが、
独ソ不可侵条約によってドイツとソ連が、まだ同盟国であったことを思い出す必要があります。

当然、フランス共産党員はドイツ軍に抵抗などしてはならず、
翌年、ドイツ軍が「バルバロッサ作戦」を発動したことによって、フランス国内においても
党として味方の占領軍が、はじめて敵へと変貌を遂げるわけですね。
そして戦後、共産党はこの当初戦わなかった事実を
「欺瞞工作」によって隠ぺいしようとするのでした。

Free French Partisans - members of the Resistance in Paris.JPG

ドゴールの命を受けていたジャン・ムーランが逮捕された後には、
ドゴールの政治顧問を務めていたピエール・ブロソレットもゲシュタポに逮捕されます。
しかし秘密を語るのを恐れた彼はゲシュタポ・ビルの6階から身を投げるのでした。
う~む。。さすがこの人、アンディ・ガルシア似だけのことはあります。。

Pierre-Brossolette.JPG

後半はドゴールのアピールに呼応して抵抗に決起していたのであり、
国内レジスタンスはロンドンから組織され、「戦うフランス」とは解放まで絆で結ばれていた・・
という、いまでもフランスで広く信じられている伝説と神話に挑みます。

DeGaulleBBCSpeech.jpg

1940年6月18日にロンドンBBC放送でドゴールが行った呼びかけを聞いたフランス人は
極めて少数であり、聞いた者も悲劇的な時期に外国から語りかける無名の将軍のアピールには
たいした注意を払わなかった・・ということです。
実際、地下活動をしている国内レジスタンスのことなどロンドンでは1942年にならないと
知ることもできず、情報がもたらされるようになってからも、
その貴重な情報を英国政府に伝え、おのれを売り込む手段としか見ていません。
そして解放されたパリに凱旋し、シャンゼリゼをパレードするドゴールは
レジスタンスの代表ビドーに対し、「一歩、下がってくれたまえ」と言うのでした。

general-de-gaulle-26-aout-1944.JPG

また、レジスタンスによって行われた対独協力者への略式処刑の実態にも触れています。
この数字は諸説ありますが、本書では「占領中の処刑」が5234件。
「解放中、解放後の処刑」が3114件、という数字を支持しています。

French-collaborator-executed.JPG

結局、副題となっている「神話・伝説・タブーの終わり」というのは
ほとんどドゴールに対するものであり、
「レジスタンスはロンドンからドゴールが組織、指導した」という神話に異を唱えるものです。
本書は現代のフランス人向けに書かれたものですから、
ヴィトゲンシュタインのようなレベルの日本人としては、もともと
「ドゴール神話」なるものを知らなかったので、本書の展開はちょっと違和感がありました。
また、そういった意味では、戦時中から戦後のフランスで起こったことの
ある程度の知識がないと、読んでいて苦しいかも知れません。

それに原文なのか、訳に問題があるのかはわかりませんが、
いまひとつ読みにくいハッキリしない表現が多くて、
2行くらいの文章でもナニが言いたいのか良くわからず、読み直すこと18回はありました。。
と、今回はレジスタンスの行動というよりも、ドゴールを中心とした政治的背景、
個人的には共産党と、その背後にいるソ連の存在が大変勉強になりました。

French Resistance Poster_London 1944.JPG

本書にも触れられている「パリ開放」については、アントニー・ビーヴァーの
「パリ解放 1944-49」という560ページの大作が8月末に出ましたが、
フランスといえば「ココ・シャネル」ということで、去年の12月に
戦場のクリスマス -20世紀の謎物語-」のコメントで教えていただいた、
「ココ・シャネルはナチスのスパイだった」という本も8月末に発売されていました。
タイトルは「誰も知らなかったココ・シャネル」というもので、さすがに
原題の「敵と寝て-ココ・シャネルの秘密戦争」とか、「シャネルとナチス・・うんぬん」といった
センセーショナルなタイトルではありませんが、とても気になります。







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ナチ占領下のパリ [フランス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

長谷川公昭 著の「ナチ占領下のパリ」を読破しました。

前に紹介した「脱出 1940夏・パリ」に続く、ナチス/ドイツのパリ占領シリーズ?第2弾です。
著者は元日経新聞記者という経歴で、戦後、レジスタンスによる抵抗しかなかったように云われた
このパリ及びフランスのドイツによる占領下では、その占領軍に対する協力もあったのだ
ということを数々のエピソードを紹介しながら非常にわかりやすく、公平に書き、
また、パリにおけるドイツの組織と多数の人物を紹介して、
単なる占領ドイツ軍対パリ市民といった、短絡的な読み物とはしていません。

ナチ占領下のパリ.JPG

1940年6月14日、「無防備都市」を宣言していたパリに整然と入城したドイツ軍。
このパリでの彼らの振る舞いは「脱出 1940夏・パリ」でも述べられていたように
紳士的で、非常に友好的・・。怯えていたパリ市民も早速、商店を開くと
ドイツ兵たちも略奪はおろか、値切ることもせず、せっせと買い物に勤しみます。

Deutsche Truppen in Paris.jpg

もちろん、このような背景には、不当な為替レートを押し付けたドイツという構図や
ポーランドでの行政が悪評だったこともあって、ナチ党や親衛隊ではなく、
国防軍による行政がフランスでは行われたということがあります。

german soldier paris.jpg

本書では歴代のパリ管区司令官の将軍の名や、その上位に当たるフランス駐留軍最高司令部の
歴代司令官もさりげなく紹介してくれます。
なかでも長くパリ管区司令官を務めたフォン・シャウムブルク将軍は
根っからのフランス人嫌いだったそうで、彼によってパリっ子たちは泣かされたことだろう・・と紹介。

Rue de Rivoli, Paris sometime between 1940-44.jpg

配給制となったパリの食料事情も厳しくなり、それゆえ猫のスープからカラス料理まで登場。 
観測史上最も寒い冬がやってくるも、暖房の燃料も手に入らないため、
結婚率が半減しているのと逆に出生率は増え、
これを寒さしのぎに子作りに励んだ結果としています。

燃料という意味ではガソリンも同様です。パリからは自動車がほとんど消え、
市民の足は自転車や大八車もどきの人力タクシーが流行ります。
フランスの大手自動車メーカー「ルノー」は、この窮地にドイツ軍の軍需物資の生産を請け負い、
軍用トラックや軍事兵器部品の製造で生き残りを図ります。

occupied Paris, 1940.jpg

著名な文化人たちも紹介されます。
ナチ党員だったカラヤンはベルリンとパリを往復しては、指揮棒を振るい、
ココ・シャネルの有名な話、そしてパリ市民が食うや食わずを生活をしているなか、
毎日のようにシャトーブリアンを平らげる、対独協力者の教祖と噂されるパブロ・ピカソの姿も・・。

当初はロスチャイルド家などのメジャー系ユダヤ人は、まだ、優遇されていましたが、
そのユダヤ人に対する政策も、年を追うごとに厳しさを増していきます。
ペタン元帥のヴィシー政府の政策も含め、フランス人である富豪ユダヤ人は
東から逃れてきた外国ユダヤ人に対しては、とても同じユダヤ人としての仲間意識はありません。
しかし、フランス系だろうがポーランド系だろうが、ユダヤ人はユダヤ人と解釈するドイツにより、
メジャー系ユダヤ人にもアウシュヴィッツ行きという危機が迫るのでした。

auschwitz09.jpg

こんな話までも!と嬉しい驚きだったのが、1941年のソ連侵攻作戦に端を発した
反共フランス義勇軍」の創設とその運命です。
このパリの対独協力団体が自主的に発足させた「反共フランス義勇軍」ですが、
現場の最高司令官がなかなか決まりません。
結局、60歳という高齢ながら長い軍歴でもこれといった戦功もあげたこともない、
ラボンヌ大佐という名の無能者が、これをよろこんで引き受けてしまうことに・・。

LVF.jpg

8万~10万人という兵力を見込んだ「反共フランス義勇軍」の指導者たちですが、
なんとか集まったのは、たったの2000名・・。
純粋な反共主義者やナチズム信奉者もわずかにいたものの、ほとんどは
失業者や警察に追われる犯罪者で、ボーナスを手にしたとたんにドロンしてしまいます。

それでもなんとか、義勇兵として東部戦線に投入されますが、
そこはモスクワ前面、零下40℃での独ソ必死の攻防戦の真っ只中・・。
案の定、「戦闘能力なし」の刻印を押された「反共フランス義勇軍」は、
道路の補修や鉄道の監視などの任務が与えられることに・・。

Legión de Voluntarios Franceses.jpg

そんな彼らも1944年には、武装SS「シャルルマーニュ」として防衛戦に駆り出され、
ベルリンで最期まで戦い続けるのでした。。

パリのゲシュタポ、そしてSS部隊の立場や国防軍との対立と権力争いの過程も驚くほど詳細です。
国防軍トップのシュテルプナーゲルとSSトップのオーベルクとの
第1次大戦における上官と部下だったという微妙な関係や、7月20日事件。
ゲシュタポの拷問方法とそれを実行する、雇われ者のベルギー人や犯罪者たち・・。

Karl Oberg_Joseph Darnand, chef de la police française.jpg

ルノーの創設者、ルイ・ルノーはドイツ軍相手に笑いが止まらぬほど大儲けしたものの、
その商売相手であるドイツの戦況が不利になると、材料の入手も困難となり、
従業員もドイツのために働くことを良しとは考えず、
連合軍からは工場を爆撃の標的にされるに至って顔色を失い、
パリ解放後は対独協力者としてかつての収容所にぶち込まれ、
裁判を受けることもなく、獄中死したそうです。。

French Resistance fighters, Paris, 1944.jpg

この4年にも及ぶ、占領下のパリにおいて「対独協力」とはどのような行動を指すのか・・。
大企業でなくても、小さな商店から街の娼婦まで、商売によって生計を経てている以上、
相手がフランス人からドイツ人に変わっただけ・・というのは、至極もっともだと思います。
1944年、「パリは燃えているか?」コルティッツ司令官がバリを破壊することなく明け渡し、
「対独協力者」が一般市民からも弄り者にされたというのは有名な話ですが、
本書でも、連合軍の攻勢の情報を聞き、先を見越して「対独協力者」から
こっそり反ドイツのレジスタンス的な立場へ衣替えしていったという市民の例も出てきます。
そして残念ながら、頭が少しでも働く人間なら、このような行動を取るのも当然だと思うのです。

After France was Liberated 1944 ABUSE OF FRENCH WOMEN.jpg

ゲーリングがパリで収集した美術品・・。「H」と書かれたものはヒトラーへ、「G」は自分用に・・。
これらの大量の絵画などはドイツの4つの古城で保管されたらしく、
そのうちのひとつは、「白鳥城」としても知られる「ノイシュヴァンシュタイン城」です。
ここはヴィトゲンシュタインもちっちゃな頃から知っている好きな城で、
いつかドイツを訪れた際には、ぜひとも立ち寄りたい場所、Best3に入っています。

GermanCastle Schloss Neuschwanstein.jpg

それは中学生の夏休みに挑戦した、「ノイシュヴァンシュタイン城」の
2000ピースのジグソーパズルが完成できなかった・・という苦い過去を克服したい
という思いからでもあります・・。



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脱出 1940夏・パリ [フランス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ハンナ・ダイアモンド著の「脱出 1940夏・パリ 」を読破しました。

フランスがドイツ軍に占領されていた5年間というものは以前から興味があり、
主に一般市民の生活が書かれたものを探していました。
本書はたまたま見つけた一冊で、原書も2007年というわりと新しいもの。
1940年のドイツ軍の電撃戦の前にパリ市民の3/4、、400万人が大脱出を図り、
それによって起こった大混乱と、続くパリへの帰郷までを日記や
インタビューによる調査から検証したものです。

脱出 1940夏.JPG

まずは5月10日のドイツの西方侵攻作戦の衝撃から
6月14日のパリ陥落までがダイジェスト的に語られます。
ベルギー、オランダへ侵攻したというドイツ軍の攻撃については
前大戦と同様の展開(シュリーフェン・プラン)であるとして冷静だったパリ市民も
アルデンヌの森を突破し、猛烈な勢いで西へと爆走する
ドイツ軍機甲部隊の情報が入ると早くも不安に駆られ出します。
いや~、マンシュタイン・プランはパリ市民も驚かせたんですね。

ドイツ軍人に対するパリ市民のイメージは、前大戦での尾ひれの付いた噂・・
女性を強姦し、残虐に殺害、子供の手も容赦なく切断するなどというもので
それに加え、前年のポーランドにおけるワルシャワなどの破壊の様子も新聞などで
伝わっていたことが、極悪非道のイメージを植えつけていたようです。

Paris 1940.jpeg

泡を喰ったフランス政府の様子もポール・レノー首相を中心に
前首相で国防相のダラディエや総司令官のガムランの解任。
代わって前大戦の英雄であるペタン元帥とウェイガンらを後任に据える経緯や
国防政務次官としてドゴールも入閣し、英国のチャーチルの連絡係となります。

パリ市民は取るものも取りあえず、政府や行政機関からの具体的な指示のないまま、
一路南へ、ロワール川を一つの目標として脱出を図ります。
市民の階級差も当然あり、裕福な者は車で、続いて電車で、
更には荷車を押しなから徒歩で、あるいは自転車で・・と混乱の中を進んで行きます。

paris refugee 1940.jpg

しかし既に北からはベルギーを含め、多くの避難民がすでに移動中・・・。
都市の生活に慣れたパリ市民たちは、先々で辿りつく田舎の町や村では
ガソリンやパンなどの食料品が簡単に手に入らないことにやっと気づきます。

1940 paris.jpg

さらに、同様に南に撤退する指揮官を失ったフランス軍の敗残兵たちと合流すると
空からはドイツ空軍が狙って来るという始末。。

ボルドーへと逃げた政府も休戦か降伏かという問題に迫られます。
レノー、ペタンとも意見が合わず、ウェイガン陸軍総司令官も
ダンケルクからとっとと逃げ出した英国派遣軍に対して憤懣やるかたない様子で、
ドーバー海峡を渡った2/3が英国軍であることに苦情を述べ、
逆に英国寄りであり「好ましからざる人物」となったドゴールも慌ててロンドンへ逃れて、
BBC放送でフランス軍人に向けて、戦い続けるよう語ります。

De-Gaulle.jpg

このような状況のなか、既にロワール川も遥か超えてひたすら南へと脱出していた避難民も
その先にすでにドイツ軍が侵攻していることを知り、6月、今度は帰還に向かいます。
しかし歩きつかれた母親が子供を他人に託した事例なども紹介され、
この混乱の中で9万人の子供が迷子となり、そのうち25%がパリっ子だったということです。

French Refugees Flee Paris.jpg

逆走の始まった、このパリへの帰還では車の同乗や食料の提供などにドイツ軍人が
手助けをします。その回想では「皆やさしく紳士的であり、自発的に援助したがっていた」
ことも多くの事実であったようです。
ただし、本書ではヒトラーの命令による、このような友好的な占領を目指し、
ゲリラ戦を回避したということも述べられていて、子供たちにやさしく接する宣伝ポスターでは
「見捨てられた国民よ、ドイツ軍兵士に信頼を!」とやっています。

affiche_all__1940.jpg

6月の終りに帰還を果たしたパリ市民を出迎えたのは、
すでに体制をキッチリ確立したドイツ占領軍です。
当初はカギ十字の大きな旗が翻るパリ市内の光景に意気消沈したものの
綺麗なフランス語を流暢に喋る、丁寧で行儀の良いドイツ軍人たちを賞賛し、
自らの運命を慣れと共に自然と受け入れていったという話も紹介されています。

Paris 1940 Georg Küchler, Fedor von Bock.jpg

もちろん、パリ市民すべてがドイツ軍に対して好意的だったということはないでしょう。
それは特に7月には「市民権剥奪法」が施行されたという、フランス国籍の
ユダヤ人たちに対する扱いや捕虜として連行されていった多くの軍人と男性たち・・・。
その意味では本書での記録は女性による日記や記録、回想が中心で語られていることを
理解しておく必要があるかもしれません。。

最後には脱出から帰還という一連の騒動も落着き、ペタンのヴィシー政府と、
戦い続ける英国とドゴールの存在に揺れる市民感情も紹介します。

Pétain and Hitler.jpg

「独破戦線」的にはドイツ人の名がヒトラーしか出てこなかったのが残念ですが、
公平に客観的に、整理した一冊で、複数の写真から市民の様子も知ることができましたし、
想像以上に書かれていた、当時のフランス政府内の攻防も結果的に勉強になりました。
出だしで「ドイツが宣戦布告した」というのには、ビックリしましたが、
これは「ドイツに・・・」の誤字だと解釈しておきましょう。。


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ワインと戦争 -ヒトラーからワインを守った人々- [フランス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ドン&ペティ・クラドストラップ著の「ワインと戦争」を読破しました。

第二次大戦中のドイツ占領下のフランスにおける、ワイン生産者たちの戦いの記録です。
ボルドーではシャトー・ラフィットやピション・ラランド、
ブルゴーニュではロマネ・コンティやクロ・ドゥ・ヴージョ、
シャンパーニュではランソンやテタンジェ、
ロワールではヴーヴレのユエ家、アルザスのヒューゲル等
ワイン呑みなら全て知ってる有名どころが目白押しです。
逆にドイツ軍はどうかと言うとゲーリングが「陸軍元帥」と書かれていたりと
原書の問題か訳者の知識か、ちょっと扱いはよくありません。

ワインと戦争.JPG

当時のフランスのワイン生産者たちは戦争の匂いを嗅ぎつけると
地下貯蔵庫等にストックされたワインを隠す努力をしますが、
いざ占領されてしまうとアッサリ見破られ、ドイツ将校に呼ばれます。
そして「なぜ隠すのだ?我々を泥棒だとでも思っているのか?」
という、プロイセンの貴族出身のような将校に当たれば幸運ですが
勿論、そればかりではなかったようです。

ラフィット.jpg

アルザス地方もドイツ読みのブドウ品種やワインが多く、
地理的にドイツに近いことから程度にヴィトゲンシュタインは考えていましたが
個人的に好きなワインでもある300年続く名門のヒューゲル家のおじいさんが
普仏戦争でドイツ人、第一次大戦後にフランス人になり、第二次大戦で再びドイツ人、
そして終戦後に再度フランス人として亡くなった・・。と笑い話では済みません。
アルザスの人々が自らをアルザス人と称するのも頷けます。

ヒューゲル.jpg

占領下、ドイツにしか輸出できなくなり、生産者たちは高級ワインのラベルの貼ったボトルに
質の劣るワインを詰めて大量に出荷したり、ドイツ軍が汽車に積み込む前の樽詰めワインの中身を
水に入れ替えたりと、ささやかな抵抗を試みます。
しかし、戦局もドイツが劣勢になってくると、パルチザン運動が活発化してくることも相まって、
ゲシュタポに捕らえられたりとその抵抗も命賭けのものとなっていきます。

ボルドーも港の破壊指令が出されながらも、間一髪救われた所などは
「パリは燃えているか」ばりの話であり、この本によって初めて知ることができました。
終戦時、アメリカ軍を出し抜いたフランス解放軍がベルヒテスガーデンへ一番乗りし、
大量のワインを発見した話や
フランス将校専用の捕虜収容所での生活(ワインパーティを開催!)など
登場人物が多いこともあり、バラエティにとんだ内容です。



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