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ノルマンディー上陸作戦1944(下) [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アントニー・ビーヴァー著の「ノルマンディー上陸作戦1944(下)」を読破しました。

この分厚い上下巻も492ページの後半に突入しました。
上巻までの印象は、この大作戦をバランスよく書かれていると思いました。
すなわち、アイゼンハワーを筆頭とした連合国遠征軍最高司令部(SHAEF)内のゴタゴタに、
モントゴメリー、ブラッドレーの軍集団指揮官の戦術、彼らの隷下で部隊の指揮を執る師団長。
そして前線での激しい戦いで気がふれてしまう新米兵士まで・・。
一方のドイツ軍もヒトラーに始まり、ロンメルのような軍集団司令官の発言、
陸軍、空軍降下猟兵軍団、武装SSの師団長たちの軋轢と共同作戦。
ロシアやポーランドから来た、やる気ゼロのヒーヴィに、
血みどろになりながらも鬼神の如く戦い続けるヒトラーユーゲント師団の少年兵まで。。

ノルマンディー上陸作戦1944(下).jpg

第18章「サン=ロー攻略へ」から始まるこの下巻は、ドイツ軍が最も恐れるパットン将軍
遂に正真正銘、米第3軍の指揮を取り、大陸への上陸を果たすところからです。
しかし、すでにD-デイから1ヶ月を過ぎたこの時期、戦闘は各地で苛烈さを増しており、
捕虜の殺害などの報復合戦だけでなく、赤十字のマークも役には立たず、
連合軍では「医療チームが一人残らずドイツ軍に残忍に殺された」と報告すると、
ドイツ軍側も、「連合軍戦闘機は赤十字を付けた救急車を空から攻撃した」と報告します。

German Convoy Attack.JPG

それでもシェルブールで身動きの取れなくなったドイツの従軍看護婦の扱いをめぐり、
米第1歩兵師団とドイツ第2装甲師団の間で一時休戦がまとまり、引き渡し式が挙行されます。
この騎士道的な話を聞いたB軍集団司令官ロンメルは、
ヒトラーがこのまま戦争終結を拒むようなら、密かに米側と接触して休戦交渉に入ることを決意。

drk.jpg

武装SSのヒトラーユーゲント師団を率いるマイヤーSS大佐に出頭を命じ、
間近に迫る英軍の「グッドウッド作戦」について「貴官の所見を訊きたい」と質問。
「兵士たちは引き続き戦い、それぞれの陣地において死に続けるでしょう。そして彼らは、
英軍の戦車が自分たちの死体を踏み潰し、パリへと進軍するのを阻止できないでしょう」
と答えます。OKWを非難し、「私がなんとかせねば・・」と熱く語るロンメル。。

一方の連合軍では「なんと、あの"モンティ"が遂に突破攻撃に出るそうだ」と聞いて、
すべての上級司令官が神に感謝するのでした。

THE VISIT OF THE PRIME MINISTER, WINSTON CHURCHILL TO CAEN, NORMANDY, 22 JULY 1944.jpg

爆撃機2600機でドイツ軍陣地を叩くという地上軍支援の航空兵力としては空前の規模で始まり、
その2時間半も続く、人間が作り出した大地震の前に、ドイツ兵も気が挫け、
気が触れた兵士たちのあげる絶叫、爆風によって重戦車ティーガーさえひっくり返り、
ゆれる地面に耐えきれず、おのが銃で命を絶つ者も・・。
しかし、地雷原で手こずった英軍は、またしても大きな損害を出し、作戦は失敗。

Panzer Lehr Panther XXX destroyed by Operation Cobra bombs.jpg

第20章は「ヒトラー暗殺計画」です。
トレスコウシュタウフェンベルクといった首謀者に触れながら、西部戦線の関係者である
ロンメルに参謀長のシュパイデルクルーゲシュテルプナーゲルらの動きに加え、
カーンが陥落する直前、SSの重鎮ゼップ・ディートリッヒまでがロンメルの元へやってきて
「迫りくる崩壊」に関し、どのようにお考えか?と尋ねます。
ゼップは「SS部隊は私が完全に掌握している」と請け負ったものの、
シュパイデルにどこまで暗殺計画を教えてもらえたかは定かではないとしています。
髑髏の結社 SSの歴史(下)」でもこの件について少し触れられていましたが、
このシュパイデルの回想録「戦力なき戦い」は一度、読んでみたいんですよね。

LangRugeSpeidelRommel_May1944Webd.jpg

街を瓦礫にして占領したサン=ローから、米軍は「コブラ作戦」を発動します。
英軍のしくじった「グッドウッド作戦」と同様、まず爆撃機によって敵陣を叩き、
そのショックから立ち直らないうちに突破を図ろうとするこの作戦ですが、
2日間に渡って自軍の上に爆弾を投下するといった、有名な大失態が起こります。
そんなことにもめげず、作戦は順調に進み、ドイツ軍は大混乱に陥ります。

Saint-Lô 1944.jpg

「モルタン反撃」、ドイツ側では「リュティヒ作戦」と呼ぶ、ヒトラーの反撃の章は
とても興味深かったですね。
この作戦を直接指揮するのは第47装甲軍団司令官の男爵ハンス・フォン・フンク大将ですが、
隷下の第116装甲師団の伯爵フォン・シュヴェーリン中将と積年の確執があり、
かなり仲が悪いんですね。
さらに作戦開始の前日になって、フンクがかつての陸軍総司令官フリッチュ
個人参謀であったことから、ヒトラーによって「エーベルバッハと交代させよ」と
西方軍司令官のクルーゲに命令が・・。
結局、うやむやの内に始まった作戦ですが、年上で階級も上の男爵によって
反ナチ的な45歳の若き伯爵師団長は解任。。それにしてもこの人、いい顔してますねぇ。

Hans von Funck_Gerhard Graf von Schwerin.JPG

ファレーズに向けた「トータライズ作戦」が始まると、
算を乱して退却してくる第89師団の兵士たちの前に、
"パンツァー"マイヤーがカービン銃をもって立ちはだかり「喝」を入れます。
「貴様ら、恥を知れ、恥を。さっさと戻って、ソントーを防衛せんか!」
そして頼りになる部下に指示を与えるマイヤー。
ティーガー戦車長のヴィットマンは、このまま死地へと赴くのでした。
う~ん。本書では"パンツァー"マイヤー目立ちますね。「擲弾兵」再読したくなってきました。

このカーン~ファレーズ街道をめぐる戦いでは、カナダ第2軍団は1327名を捕虜としますが、
憎っくき「ヒトラーユーゲント師団」の兵士はわずかに8名のみ・・。
確かに狂信的な戦士といわれ、包囲されても降伏する可能性は低い彼らですが、
「この8名という数字は衝撃的である」としています。もちろん「報復」の結果も含めてですね。

This nazi POS was lucky.jpg

面白い話では、ドゴールの思惑により、パリ解放一番乗りを目指す「ルクレール師団」が
前進するにつれ600名近い死傷者を出しますが、自分も参加したいと言うフランスの若者は
片っ端から採用し、そのなかの1名は武装SS「ライプシュタンダルテ」に所属していた
アルザス出身の兵士だったそうです。

General Jacques Phillippe Leclerc directing French action in Paris from his half-track.jpg

解放された町々のフランス人たちは、道端で倒れた連合軍兵士に花を供える一方、
レジスタンス組織や「FFI(フランス国内軍)」が逃亡を図るドイツ人を捕えては、
捕虜として、自慢げに正規軍に引き渡します。
もっとも、ゲシュタポやSS関係者だった場合には、彼らが生き延びるチャンスはほとんどありません。
あ~、本書には書かれていませんでしたが、"パンツァー"マイヤーも確かこんな風にして
捕虜になってしまいましたね。まぁ、ラッキーな人です。

French townspeople lay flowers on the body of an American soldier..jpg

また、ドイツ軍兵士との「協力」があったフランス人女性たちは、公衆の面前で
髪の毛を刈られる辱めを受けた後、そのまま「市中引き回し」の目に遭います。
この有名な件も著者は次のように解釈します。
「そうした若い女たちは、特にレジスタンス運動に参加したと、自ら胸を張れない男たちにとって、
ごく手近にいる、最も血祭りにあげやすい恰好の標的だったのである」。

france woman 1944.jpg

ファレーズ包囲網」が閉じられようとするころ、西方軍司令官クルーゲが
ヒトラーの疑心暗鬼の犠牲者となって、モーデル元帥と交代。
ベルリンへと向かう途中で青酸カリを呷るクルーゲ・・。
ファレーズの街道ではドイツ兵の死体の上を連合軍の戦車が通り過ぎ、
死んだ軍馬に破壊された装甲車が散乱。
真夏の8月の最中、蠅がたかり、ガスで膨らんだ死体、黒焦げで炭化した死体。

falaise-road.jpg

ノルマンディの戦いで奮戦した後、「大パリ司令官」となったコルティッツ将軍ですが、
パットンの第3軍に対処するために次々と部隊を持って行かれ、
いまや老兵からなる保安連隊に自転車で移動する2個歩兵中隊、
若干の対空砲、フランス製装甲車17両、戦車4両が手元に残っただけ。
この土壇場で新たに招集された部隊は、
パリ在住のドイツ国籍の民間人から成る「通訳翻訳大隊」です。。

Panther_Paris_1944.jpg

こうして8月24日、フランス第2機甲師団、通称「ルクレール師団」がパリ市内に進軍します。
パリ市民が大歓声共に殺到し、兵士はキスやアルコールが振る舞われつつも前進を続けますが
1両のシャーマン戦車に両手を挙げて近づいてきた美しい娘が車体によじ登ろうとしたとき、
ドイツ軍の機関銃が火を噴きます。
そして地面へと滑り落ちた娘がシャーマンのキャタピラに巻き込まれるという事件も・・。

M-8 Howitzer Motor Carriage from the French Army taking part in the liberation of Paris, August 1944.jpg

また、フレーヌ刑務所の外では88㎜対戦車砲を操る部隊の姿・・。
彼らはそれまで刑務所に収監されていた「札付きドイツ兵」であり、
ズックの囚人服を着たままです。
2両のシャーマンを葬るものの、やがて残りの戦車によって粉砕されるのでした。
こんな彼らの話はそのうちに「ラスト・オブ・カンプフグルッペ」に登場するのかも・・?
なんてこと言ってないで、早く「Ⅲ 」を読まないと・・。。

「大パリ司令官」のコルティッツも「パリを燃やす」ことなく、降伏文書にサイン。
司令部のあったオテル・マジェスティックの前には人々が集まり、
捕虜が建物から引き出される度に歓声をあげます。
しかし若い兵士4名がいきなりその場で射殺されたり、
ドイツ軍捕虜を満載したトラックに手榴弾を投げ込もうとする輩がいたりと大混乱ですね。。

prison_captured_german_mihiel_1944.jpg

やって来た米軍と言えば、この「華の都パリ」で存分に贅沢を味わうべく、
最高級のホテルを残らず接収するという暴挙に及び、フランス人でさえ立ち入り禁止。
問題は溜まりに溜まった給料をこのほどまとめて支給されたことであり、
前線であれだけキツイ目に遭ったのだから、
今こそ好き勝手に振る舞う権利があると信じていることで、
ヴァンドーム広場の歩道で米兵が酔って寝ていることにフランス人もショックを受けます。
それは非番の時でさえ、咥え煙草で歩くのは禁じられていたドイツ兵との差があり過ぎる・・。
フランス共産党はそんな米軍を「解放軍」ではなく、「新たな占領勢力」というレッテルを貼るほど。

Crowds line the street to greet American soldiers after the liberation of Paris by Allied forces.jpg

最後には連合軍、ドイツ軍双方の損害等を数字であげながら、
連合軍の上陸からノルマンディ解放までに殺されたフランスの民間人が2万人。
上陸前の準備爆撃での被害が15000人。
戦争の全期間を通じ、連合軍の手によって命を落としたフランス人の数は7万人に膨れ上がり、
この数字は、ドイツ軍の爆撃によって殺された英国人を上回っている・・としています。

An A-20 from the 416th Bomb Group making a bomb run on D-Day.jpg

ふぇ~。。いやいや凄いボリュームでしたが、最後まで楽しく読みました。
美味いとんかつ屋さんで、ヒレと海老フライとあじフライの乗ったミックスフライを
ご飯とキャベツと味噌汁もおかわりして、腹一杯で動けなくなったような状況ですね。。

StuG.jpg

上下巻を通して読むと、上巻で思った連合軍内の対立の構図は必要最低限に留まり、
基本は前線での師団、大隊、中隊、戦闘団の激烈極まる戦いの様子、
そして開放されたノルマンディからパリに至るまでのフランス人との知られざるエピソードなど、
米英加独仏の軍人たちが入れ替わり立ち代り登場する展開です。
ただ、それゆえこの戦いにおける大局的な全体像が掴みにくいとも思います。

Pair of French women and a little girl pose w. a group of American soldiers after German troops were driven from the area..jpg

初めて「ノルマンディ上陸作戦」から「パリ開放」ものを読まれる方には、ちょっとどうかなぁ・・
とも思いますが、「史上最大の作戦」や、「パリは燃えているか」がまた、楽しめるでしょうし、
ドイツ軍の奮戦するシーンでは、パウル・カレルの「彼らは来た」を思い出しました。
この次は8月に出た560ページの「パリ解放 1944-49」も読まなくてはなりませんね。

















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ノルマンディー上陸作戦1944(上) [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アントニー・ビーヴァー著の「ノルマンディー上陸作戦1944(上)」を読破しました。

ノルマンディー上陸作戦を描いたものは、言わずと知れた「史上最大の作戦」や、
ドイツ軍視点なら「彼らは来た」、「ノルマンディのロンメル」など、独破してきましたし、
関連書籍を全部挙げたらキリがないほどです。
そして去年の7月に出た個人的に好きな著者の上下2巻組みの大作。
夏に古書で4000円で購入しましたので、気合を入れて挑戦です。
原題は「D-ディ:ノルマンディーの戦い」というものですが、なぜかビーヴァーの和本のタイトルは
スターリングラード―運命の攻囲戦 1942‐1943」、「ベルリン陥落 1945」、
赤軍記者グロースマン―独ソ戦取材ノート1941‐45 」、「スペイン内戦―1936-1939」
今年の8月にコッソリ出た最新刊も「パリ解放 1944-49」と、西暦が付くのがお約束なんですね。

ノルマンディー上陸作戦1944(上).jpg

本書の始まりは1944年の6月を迎えたアイゼンハワーを筆頭とした連合軍の様子から・・。
「プラン・フォーティテュード」と呼ばれる一大欺瞞作戦を展開し、
そのなかにはドイツ軍が最も恐れる野戦指揮官、パットン将軍の「架空の第1軍集団」をでっち上げ、
この軍集団は隷下に11個師団という触れ込みですが、当のパットンは問題が多くて干されたまま。。
西側連合軍による大陸侵攻が近いうちに始まるのは、敵にとっても周知の事実であり、
そこに絶対的に必要な奇襲の効果をもたらすには、如何にして上陸地点を悟られないようにするか。
それがノルマンディだと悟られた場合でも、実はそれは「陽動作戦」なのであり、
「連合軍は7月に別の地点に上陸するつもりなのだ。騙されるか!」と、
ドイツ側に信じ込ませることが目的です。

patton getting out of car.jpg

しかし、まず敵は身内に・・ではありませんが、司令官アイゼンハワーの頭を悩ますのは
有力な将軍たちの政治的ライバル関係や、個人的対抗意識へのバランスを配慮しつつ、
最高司令官たる自らの権威を如何に保つかも苦心しなければなりません。
早速、英側のブルック参謀総長に連合軍の地上軍を統括するモントゴメリー
同じく航空部隊を統括するリー=マロリーなどとの確執を紹介します。
また、上陸の日時を最終的に決定する気象情報は最も大事な問題です。

Omar Bradley, Bertram Ramsay, Arthur Tedder, Dwight Eisenhower, Bernard Montgomery, Trafford Leigh-Mallory, and Walter Bedell Smith meeting in England.jpg

この侵攻作戦直前のヒトラーとドイツ軍の様子といえば、6月3日の土曜日、
ヒトラーの山荘「ベルクホーフ」において、盛大な結婚式が催されています。
新郎はヒムラーの名代でSS中将のフェーゲライン、新婦はエヴァ・ブラウンの妹グレートル
新婦の父親役を引き受けたヒトラーですが、同時に連合軍の侵攻も待ち望んでいます。
それは「わたしが築かせた"大西洋の壁"によって、必ずや粉砕される」という自信からくるもの。
「西側連合軍を頓挫させれば、この戦争における英米問題は解決を見るであろう。
そうなれば全軍をスターリン相手の東部戦線に集中できる」という戦略です。

Gretl und Fegelein Wedding.jpg

しかしフランスとベネルクス三国を統括する西方総軍司令官たる、ルントシュテット元帥
この"大西洋の壁"について、「安手のはったり」と見なしています。
彼によれば「不愉快極まる、あの長靴の国」を放棄して、アルプス山脈を横断する線を
防衛ラインとすべき・・というのが持論であり、ノルウェーについてもあれほど多くの兵員を置き、
その戦略的重要性を言い立てるのは「海軍の連中だけだ」と思っています。

Rundstedt,Mussolini,hitler.jpg

また、その海岸の防衛線の改善に取り組むB軍集団のロンメル元帥も、
「フランス防衛には全軍一丸となって当たるべきであり、この地に駐留する空軍、海軍も
統一指令部のもとに集約したい」という、まるで連合軍のような体制を要望するものの、
空軍のゲーリング、海軍のデーニッツの強い働きかけもあり、ヒトラーは却下。
100万名の要員のうち、1/3以上が空軍の支配下にある西部戦線ですが、
高射砲部隊を陸軍に融通するのをゲーリングに拒否されて、ロンメルは怒り心頭です。

Rommel_ST-Freies_Indien_Legion_France.jpg

ここまで80ページほど読んで思いましたが、本書はあまりにボリュームがあるゆえ、
このノルマンディー上陸作戦を、攻守共々理解するのが逆に難しい気がしました。
良い意味でアイゼンハワーが総司令官に任命された経緯などには触れられませんし、
大局的なことよりも著者らしい、細かいエピソードの積み重ねで進んでいきます。
ですから、初めてD-Dayものを読まれる方にはちょっと不向きで、
ひょっとしたら著者は「史上最大の作戦」や「将軍たちの戦い」くらいは読んで、
ある程度理解している読者をターゲットにしているようにも思います。
そういうわけで、あまりに細かくて面白いエピソードが盛りだくさんなので、
ヴィトゲンシュタインも基本的な話は端折ってみたいと思います。

Normandy-supply-effort_1944.jpg

「決して"ドゴール主義者"ではなかった」と書かれるフランス国内のレジスタンス組織。
彼らの支援には米軍のブラッドレー将軍が「破壊活動の高度訓練を受けたパラシュート屋」と呼ぶ、
英陸軍の「SAS(特殊空挺部隊)や、米将校もしくは英将校1名、フランス将校1名と
無線士の3名一組で構成される「ジェドバラ」も紹介。
「特殊部隊 ジェドバラ」という本が去年出ていて気になっていたんですよねぇ。

jedburgh.jpg

日付が6月6日に変わった深夜、空挺部隊によって大陸への侵攻が開始。
英第6空挺師団が「メルヴィル砲台」の無力化に挑み、
米軍の2つの空挺部隊「第82空挺部隊」と「第101空挺部隊」もC-47輸送機で飛び立ちます。
死地へ向かうことを理解している部隊員たちは、エンジンの咆哮と振動にひたすら耐えつつも、
襲いくる吐き気に胃の中身を床にぶちまけ、肝心の時にひどく滑りやすくなってしまいます。
テイラー少将の「断じて一人も機内に残すな」の命令は、
最後に飛び降りる軍曹たちによって遂行され、高射砲によって重傷を負った10数名を除けば、
例外はわずかに2名。1人は機内で緊急用パラシュートが開いてしまった者、
もう1人は、心臓発作に見舞われたある少佐です。。

Soldiers waiting to be parachuted in France.jpg

しかし高度の低すぎる輸送機から飛び降りたケースでは、脚や背骨を折ってしまう者も・・。
18人全員がパラシュートが開かぬまま落ちてきたのを目撃した兵士は、
肉体が地面に激突する音を、「トラックの荷台から落ちたスイカ」に例え、
やはり低すぎる高度から橋を目指して飛び降りた一団は、長い1列縦隊で
全員がハーネスを装着したまま死んでいるのを発見されるのでした。

101ST AIRBORNE DIVISION LANDINGS.jpg

陰部を切断され、それを口に突っ込まれた空挺隊員の死体に
結婚指輪を取るために指ごと切断されたドイツ軍将校の死体が発見され、
大破したグライダーではジープの下でグライダー兵が押し潰され、
農家のかみさんたちがシルクで出来たパラシュートに先を争うように殺到するという
大混乱が夜通し続いたころ、遂に史上最大の大艦隊が海を渡ります。

D-Day_glider_casulties.jpg

そしてこちらでも多くの上陸部隊の兵士たちが左右上下に揺さぶられてグロッキー・・。
最後の晩餐のような「心よりの朝食」をうかうか食べてしまった我が身を呪い、
サンドウィッチに挟んであったコンビーフの塊を吐き出しながら、「オマハ・ビーチ」の章を迎えます。
通称「ビッグ・レッド・ワン」と呼ばれる米陸軍の第1歩兵師団と第29歩兵師団。

Omaha Beach on D-Day, 6 June 1944.jpg

第8航空軍のB-17とB-24の落とした爆弾13000発は一発もオマハ・ビーチには落ちません。
また、ドイツの守備隊が必殺の88㎜砲を装備していたというのは「神話」であり、
それに比べてはるかに命中精度の劣る、チェコ製の100㎜砲だったとしています。
さらに彼らを援護する第741戦車大隊は、水陸両用の「DDシャーマン戦車」を発進させます。
しかし32両のうち、実に27両が荒れる海で沈没・・。33名が命を落とします。

Sherman Duplex Drive tanks on an amphibious exercise.jpg

この「血のオマハ・ビーチ」だけで50ページ程度。その後、ユタ、ゴールド、ジュノーの
各ビーチの章と続き、ソード・ビーチでは、「砲兵出身で戦車戦の経験が皆無であった」という
フォイヒティンガー少将率いる第21装甲師団が反撃部隊の筆頭として登場。
しかしヤーボの前に戦車連隊長のオッペルン=ブロニコフスキー大佐も右往左往し、
前大戦で片目を失い、今次大戦において片足を失いながらもノルマンディ地方全体を統括し、
第84軍団を率いる「昔気質のプロイセン軍人」エーリッヒ・マルクス大将も、この状況に唖然。。

Erich Marcks.JPG

海岸堡を固めようとする連合軍にあっさり投降するドイツ軍歩兵。
チャンスとあれば喜んで投降する兵たちにはポーランド人やロシア人からなる
東方兵部隊も少なくありません。捕虜となった彼らに対し、
「こいつら2名はドイツ人だ」となると、その2名の後頭部を撃ち抜く米兵の姿も。
米第90師団もユタ・ビーチに上陸した際、引率されたドイツ人捕虜と偶然行き会うと、
この新米兵士たちはありったけの武器を用いて、捕虜たちに攻撃を加えるのでした。

西部戦線で戦うロシア兵となると、名作「幻影 -ヒトラーの側で戦った赤軍兵たちの物語-」を
思い出しますねぇ。

Some German prisoners are being moved in after capture by the relieving forces.jpg

カランタンをめぐる戦いでは、珍しく第17SS装甲擲弾兵師団「ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン」が・・。
60%が10代で編成された若い武装SS師団ですが、精鋭の第12SS「ヒトラー・ユーゲント」とは
錬度の点でも、装備の面でも比べものにならず、火力としては1個突撃砲連隊があるのみ。

Officier de la 17e panzerdivision Gotz Von Berlichingen.jpg

ここにマインドル空軍大将率いる第2降下猟兵軍団とリヒャルト・シンプフ中将の第3降下猟兵師団が
共同作戦を展開しますが、「ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン」師団長のオステンドルフSS少将が
「今から、この私が指揮を取る」と宣言すると、有名な空挺部隊指揮官で、
口だけの上官に何の敬意を示さない男、フォン・デア・ハイデと激論に・・。
カランタンを失った責任をめぐり、「勇気の欠如」なる罪状で告発されるハイデですが、
柏葉付き騎士十字章を持つこの英雄が軍法会議にかけられることはありません。

von der Heydte.jpg

一方、カーン周辺の英軍を海へと叩き落とすため、ゼップ・ディートリッヒの第1SS装甲軍団に、
陸軍の精鋭中の精鋭であり、バイエルライン中将が指揮する装甲(戦車)教導師団と
第21装甲師団、第716歩兵師団が組み込まれます。
ここでは第21装甲師団司令部を訪れたゼップに参謀長が進言するシーンが面白かったですね。
この参謀長の名は、フォン・ベルリッヒンゲン男爵。
あのSS師団の由来となった「鉄拳の騎士」の末裔です。

17. SS-Panzergrenadier-Division  Götz von Berlichingen.jpg

南からレジスタンスの妨害をはね飛ばし、村々で虐殺を行いながらノルマンディを目指す、
第2SS装甲師団「ダス・ライヒ」の姿、そしてフリッツ・ヴィット師団長の「ヒトラーユーゲント」が
カーンに到着すると血なまぐさい激戦が展開され、その中心にいるのは
連隊長のクルト・マイヤーSS大佐です。
ここでは彼らに対するカナダ軍との報復に次ぐ、報復、が繰り返されます。

Kurt Meyer & Sepp Dietrich.JPG

そして第13章「ヴィレル・ボカージュ」とくれば、あの男の登場です。
モントゴメリーの虎の子師団であり、北アフリカで「砂漠のネズミ」と呼ばれた
精鋭の第7機甲師団を相手に、「我々の合言葉はただひとつ『復讐』だ!」と部下にハッパをかけ、
ドイツ諸都市を見舞った連合軍の空爆に怒りをたぎらせたSS中尉、
第101SS重戦車大隊ヴィットマン
クロムウェル戦車1個大隊を道路上で次々に撃破し、
轟音と共にヴィレル・ヴォカージュへ突進するヴィットマン・ティーガー。
やっぱり、このシーンは血湧き肉踊りますね。
「ヴィレル‐ボカージュ―ノルマンディ戦場写真集」買い忘れてました。。

Wittmann_drink.jpg

本書ではちょこちょこ出てくるロンメルですが、それよりも頻繁に登場するのは
西方装甲軍司令官のガイル・フォン・シュヴァッペンブルクです。
ヤーボの襲来によって幕僚たちを失い、自身も怪我を負った彼ですが、
「ベルヒテスガーデンの戦略家ども」を批判し、OKWの作戦部長であるヨードルに対しても、
「あの砲兵あがりが・・」と全面否定。
「OKWは常に状況を極度に楽観視し、その決定は常に間違っているうえに、伝達が遅すぎる」
という報告書をロンメルの支持を得たうえでOKWに送り付けます。
そしてその結果は、当然、シュヴァッペンブルクの解任。
後任にはエーベルバッハ装甲兵大将というヒトラーの決定です。
また、芋づる式にルントシュテットも解任され、クルーゲに席を譲ることに。。

Geyr von Schweppenburg.JPG

この際、ロンメルも一緒に・・と考えるヒトラーですが、「ロンメル元帥の解任は、
前線だけでなく、ドイツ全土の士気低下に繋がり、対外的にも逆効果」という
エーベルバッハの進言もあって見送りに。。
それでも先輩元帥クルーゲの挑戦的な所信表明にロンメルとの激しい口論が始まります。
そして前線を視察したクルーゲは自分の不明を恥じ、ロンメルに謝罪して、
彼の大局観を受け入れるのでした。

von kluge_Eberbach.jpg

その頃、激戦の続く米軍の前線では、ドイツ軍の巧者ぶりを改めて認識せざるを得ません。
恐怖心からドイツ軍の戦車はすべて「ティーガー」であり、
すべての火砲は「ハチハチ」であるとみなされ、
東部戦線で赤軍を相手に闘い続けてきたベテラン兵士はあらゆる戦場テクニックを駆使します。
地面に穴を掘るのが遅い連合軍兵士は、しばしばドイツ側が掘ったタコツボを流用。
するとそこには多くの場合、ブービートラップが仕掛けられており、対人地雷の餌食に。。
また、手榴弾1箱をさりげなく残しておき、何発かはピンを抜いた瞬間に爆発するよう手を加え・・。

Bodies of U.S. soldiers are attended to in the French countryside, Summer 1944..jpg

カルピケ飛行場をめぐる壮絶な戦いも細かい映写で印象的です。
復讐に燃えるカナダ軍と、彼らを援護する戦艦ロドニーの艦砲射撃。
村と飛行場を守る「ヒトラーユーゲント師団」の残余の若き擲弾兵たちに、
Ⅳ号戦車5両、88㎜砲を擁する砲兵中隊、そしてその発射音から連合軍兵士たちから
「キーキー・ミニー」と呼ばれていたネーベルヴェルファー多連装ロケット砲の数個中隊です。
「狂戦士」と化したカナダ兵は、瀕死の重傷を負った武装SS兵士を見つけると、
その喉を尽くかき切っていったとされ、「この日は双方とも一人の捕虜も取らなかった」。

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この上巻の最後には、6月末の時点で米英軍それぞれの損害が34000人、25000人であり、
同じくドイツ軍が80000人という数字がとても印象的です。
確かにこの数字だけ見ると、ここまで互角ですねぇ。
東部戦線に比べて西部戦線は・・という話も良く聞きますが、
本書ではソコはやっぱり戦争です。

ドイツ軍は武装SSを中心に確かに荒っぽいですが、
デビュー戦となった米軍兵士は、ビビっては敵かどうかを判断する前に
とにかく撃ちまくってしまいますし、KレーションやCレーションに飽きては、
ノルマンディの農家で略奪を働いて、捕獲した豚に「ヘルマン・ゲーリング」と名付けて
撲殺を図り、めでたく丸焼きにするといった連中も出てくる始末です。
まさに「誰にも書けなかった戦争の現実」を彷彿とさせますね。。







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ヒトラーの作戦指令書 -電撃戦の恐怖- [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヒュー・トレヴァー=ローパー著の「ヒトラーの作戦指令書」を読破しました。

2000年発刊で350ページの本書は、あのヒトラーものの第一人者トレヴァ=ローパー著
ということもあって、「ヒトラー最期の日」を読んで以来、目に付けていた一冊です。
しかし、内容はタイトルそのまま、ヒトラーの作戦指令書が掲載されているだけ・・?
との理由から見送っていましたが、まぁ、戦記もいろいろ読んできましたし、
戦局の推移によるヒトラーの作戦指令の変化や、大隊レベルにまで言及したといわれている細かさ、
陸戦専門のヒトラーの海軍に対する命令の度合い・・など、
果たしてどれくらい理解できて、かつ楽しめるのか・・を一度試してみたくなりました。

ヒトラーの作戦指令書.jpg

「序論」では、第2次世界大戦は多くの意味でヒトラー個人の戦争であり、戦争を意図し、
そのための準備を行い、開戦の時を選んだのは、いずれも彼である・・と始まります。
そしてヒトラーが戦争指揮のために創設した「国防軍最高司令部(OKW)」に触れて、
個性のない軍人カイテルを長に据え、作戦部長に豊富な軍事知識を有していたヨードル
次長にヴァーリモントという三羽ガラスを紹介します。

A.jodl.jpg

そしてヒトラーの作戦指令は1938年のオーストリア占領を目的とした<指令第1号>に
オーストリア無血進駐の<指令第2号>、そしてチェコ占領の指令と出されていたものの、
本書では1939年のポーランド侵攻から始まり、1943年まで続いた一連の番号付きシリーズを
取り上げているということです。
ということで第1部の「攻勢作戦」の始まりです。

Fall_Grun_Anschluss.jpg

「発国防軍最高司令官」、「1939年8月31日」、「宛上級指揮官限定」、「複写部数 8部」と
ヘッダー部分に書かれた作戦指令書。
「ファル・ヴァイス」という、日本では「白作戦」とか、「白の場合」とか訳される
ポーランド侵攻作戦の秘匿名ですが、本書では「事例白」と訳されています。
出だしは「1 ドイツ東部国境域はこれ以上容認できぬ状況となり、平和的解決を目指す、
政治手段が尽き果てるに至り、余はここに武力による解決を決意せり」。

Fall of Warsaw, 1939.jpg

そして英仏に宣戦布告されてもヒトラーは慎重で、続く作戦指令でも
英仏それぞれの陸海空戦闘方針を出し、英国については通商破壊戦の準備を、
フランスについては「敵の第一撃によって交戦状態突入とする」と扱いが違うのが面白いですね。
しかしポーランドが片付いた9月25日にはフランスに対しても通商破壊戦を開始し、
フランス海軍と商船への攻撃の規制を解除しますが、
「客船、あるいは相当数の人員を輸送中の大型船舶の攻撃はまだ禁止される」と気を使っています。

Adolf Hitler visits Hamburg.jpg

作戦指令書と次の指令書の間には、その間の戦局(または前回の作戦指令の結果)を
著者トレヴァ=ローパーが簡単に解説しているので、
ドイツ軍の戦争全般の推移を暗記していない方でも理解できる編集となっているのが親切ですね。

<指令第8号>となる、11月20日の「西部正面攻撃準備に関する追加指示」では、
中立国のオランダ軍の態度が予測できないとして、
「抵抗が無ければ、わが方の侵攻は平和的進駐の性格を帯びる」というのも
基本的にヒトラーはオランダとは極力、武力衝突したくないという願望のようにも感じました。

German soldiers examine damage after bombardment Rotterdam on the 14th of May 1940..jpg

ノルウェー侵攻の「ヴェーザー演習」作戦、西方攻撃もいくつかの作戦指令も掲載され、
ほぼ、作戦通り完了。
ただし、突破進撃を続けるグデーリアン装甲部隊の停止命令・・といった細かい命令はありません。
その代わり、ヨードルや陸軍参謀総長ハルダーによると・・と、
「ヒトラーが南翼側を不可解なほど心配していた」という話を紹介していました。

Column of PzKpfw 35(t)s at a stop in a French town-1940.jpg

<指令第16号>は、「英国は絶望的な軍事状況下にありながら、
折り合いをつけても良いという徴候を全然示さない。よって余は、英本土上陸作戦を準備し、
必要であればそれを実行する決意を固めた」。
その指令文のなかで「上陸作戦は"あしか"の暗号名で呼ぶものとする」と丁寧ですね。
次の<指令第17号>は「バトル・オブ・ブリテン」の指令です。

battle_of_britain.jpg

「アッティラ作戦」というフランス南部の非占領地域に反乱が起きた際の指令も
12月10日に出てました。面白いのは最後の一文です。
「我々の意図、準備に関する情報は、イタリア側には一切漏らさない」。

その8日後には<指令第21号>、「事例バルバロッサ」が発令されます。
さすがに5ページというボリュームある作戦指令となっていて、その目標は次の通りです。
「南・・重要軍需産業地帯であるドネツ盆地の早期占領」
「北・・モスクワへの迅速な進撃。モスクワ占領は政治、経済上、決定的勝利となる」。
う~む。やっぱり最初はモスクワ行く気、マンマンだったんですね。。

nazi-germany-rare-color.JPG

1941年3月の<指令第24号>は「対日協力」です。
「三国協定の目的は可及的速やかに日本を極東の戦いに誘い込むことであり、
それによって英米は多数の兵力を拘束される。
日本の攻撃が早ければ早いほど虚を突かれる度合いが強く、成功の確率が大きくなり、
バルバロッサ作戦は、そのための政治上、軍事上の好条件を作り出す」。
さらに3軍司令官は情報提供のほか、日本から経済、軍事援助があったら、
積極的に応じるように指示しています。

Ribbentrop mit Botschafter Oshima.jpg

一方、同じ三国同盟のイタリアが北アフリカギリシャで苦戦し、
ドイツ軍部隊を援助として派遣することが決定すると、
「友軍に対し、侮辱するような横柄な態度を取ってはならない」と
ムッソリーニに気を使った全般指示を出していたということです。

musso_fuehrer.jpg

空挺部隊を中心としたクレタ島占領の「メルクール作戦」と、
失敗に終わったイラク介入の指令と続き、ようやくバルバロッサ作戦の開始。
指令書はまず、軍集団南(南方軍集団)、軍集団中央(中央軍集団)、軍集団北(北方軍集団)、
そして空軍、海軍の順番で作戦が書かれますが、
7月22日の「追加指示」になると第1装甲集団や第2、第3装甲集団、第4装甲集団を
名指しで動かし始めます。

Hitler,Brauchitsch&Keitel.jpg

これらが結局、南でのキエフ大包囲やら、北でのレニングラード、中央のモスクワといった
成功失敗に繋がっていくわけですが、作戦の結果はほとんど書かれていないので、
過去に読んだ戦記を思い出しつつ、その指令によって起こったことを推測していきます。

しかし装甲集団司令官の名前まで指令にはありませんから、
第1~第4装甲集団の司令官がそれぞれフォン・クライストグデーリアンホトヘプナー
であり、顔くらい思い出さないと、ちょっとボ~としてしまいます・・。

Panzer III of 3. Panzer-Division.jpg

また、ノルウェーについても結構細かい指示を出し始めます。例えば、
「第2山岳師団指揮下のSS第9連隊は、ノルウェー人とフィンランド人で構成されるSS一個連隊を
オーストリアSS一個連隊で増強し(ヴィーキングのこと??)、これを交代せしめると共に、
SS戦闘集団北(ノルト??)を山岳一個旅団に改編する」。

<指令第41号>となるのは1942年4月の大攻勢です。
目標は「コーカサス占領」ですが、「あらゆる努力を払ってスターリングラードへ到達し、
少なくとも重砲の射程まで進出して、産業、交通の中心としての役割を果たせなくする」。
その後はA軍集団の装甲師団をスターリングラードへ向かうB軍集団に編入したり、
グロースドイッチュランド師団の停止命令など、細かい指示が怪しい展開を予感させます。

Großdeutschland division.jpg

「東部正面の匪賊取締りの強化」指令。
いわゆるドイツ軍が占領した後方地のおけるパルチザン活動に頭を痛めたヒトラー。
「ギャング一味やその支援者すべてを相手にした過酷な手段が必要であり、
対匪賊戦においては、住民の協力が不可欠である。
賞賛に値する人間をけち臭く扱ってはならず、ちゃんとした褒賞を与えるべきである」。

この任務には当然、SSのヒムラーが指名されていましたが、
解放の闘士であるパルチザンは占領軍側からしてみれば、ヒトラーの言うギャングや
テロリストですから、現代の中東やアフリカ諸国で起こっている問題も
どちら側の視線で見るかによって大きく違うんですね。。
米国と国連が支持した政府は正義ですから、その国のパルチザンはテロリストですし、
逆に見放された政府は悪の独裁者扱いで、パルチザンは英雄扱いに・・。

Sowjetische Partisanen.jpg

残念ながら「クルスク戦」についての指令はありませんでしたが、
1943年の11月になると<指令第51号>で、西部の「アングロ・サクソン上陸作戦」について
これまでとはかなり印象の違った指令を出すヒトラー。
新設の武装SS装甲師団ヒトラー・ユーゲント第21装甲師団の戦力充実を迅速に行うよう指示し、
その他新編部隊には11月、12月に40型や43型対戦車砲100門が支給される・・など、
師団だけではなく、装備に関しても注文を付け始めたようです。
そしてこの作戦指令をもって1939年から続いてきた番号付きのシリーズは終わり、
第2部「防御作戦」の章に・・。

12 SS Panzerdivision Hitlerjugend.jpg

1944年3月の<総統命令>は、悪名高い「要塞」指令です。
ヒトラーによって「要塞」と認定された拠点は、それが防御に適した要塞陣地でなくとも
包囲されようが絶対に死守しなければならない・・という恐るべきヤツてす。
要塞地帯指令には特に選別した百戦錬磨の武人がふさわしく、将官級が適当であり、
武人としての名誉にかけて、その任務を最後まで遂行することを宣誓する」。
また「降伏命令は、当該域の軍集団司令官のみができる」としていて、
一瞬「えっ?」と思いましたが、すぐその後、「ただし、余の承認を必要とする」とあるので、
やっぱり事実上、降伏は許されないわけですね。。

4月2日の東部戦線に対する作戦指示では、
フーベの第1装甲軍が包囲されながら突破を図っている状況で
南方軍集団司令官のマンシュタインの名が登場しています。
「全体的に見て、余はフォン・マンシュタイン元帥の構想に賛成である」。
作戦指令に個人名はほとんど出てこない(個人名のついた部隊名は別として)ので、印象的です。
しかもこのあと、すぐにマンシュタインは罷免されるわけですから、なおさらですね。

Field Marshal von Manstein with Hitler, September 1943.jpg

報復兵器「V1」が5月、ロンドンに向け発射されるという指令に、イタリア戦線にも防御の指令を出し、
7月20日の暗殺事件を乗り越えて、3日後には東部の北方軍集団司令官にシェルナーを任命。
英米軍がドイツ本土へ進撃する西部に対しては、この期に及んで軍と党の協力が必要とされ、
「軍司令官は活動域の軍事情勢に関する要請は、作戦域のガウライター(ナチ党大管区指導者)に
申し入れる」ことが必要になります。
コレはヒトラーが、軍より党を信頼するようになった証しとも言えるかもしれません。

Adolf Hitler making radio broadcast from bunker HQ Wolfschanze, aka the Wolf's Lair, hours after he survived an assassination attempt by members of his own military, 20 July 1944.jpg

アルデンヌ攻勢」はさすが極秘中の極秘だからか、作戦指令はありません。
遂に1945年を迎えると、すでに東部戦線に投入されていた「国民突撃隊」ついての指示が・・。
「国民突撃隊が独自に戦闘する場合、戦闘力が殆どなく、すぐに潰滅してしまうことが判明している」
と、今後は正規部隊との混成戦闘団として編成することを希望していました。。

Volkssturmbataillon_an_der_Oder.jpg

「帝国領の破壊に関する件」という、いわゆる焦土命令や、
ドイツ北部はデーニッツ海軍元帥が最高司令官となる・・などの指揮統制の命令。
そして4月15日、「東部戦線の兵士に告ぐ」という最後の総統命令。
「不倶戴天の敵ユダヤ・ボルシェヴィキは大兵力をもって最後の決戦を挑んできた。
老人、子供はすべて虐殺され、婦人、女子は淫売婦として、兵隊の慰みものとなる。
残りはシベリア送りである」。
という出だしで始まり、最後には「運命の女神が史上最大の戦争犯罪者を地上から抹殺した」と
直前のルーズベルト米大統領の死を表現し、我々の未来を守れと鼓舞しています。

Zivile Bombenopfer.jpg

前半こそは結果も作戦指令どおりですから、お勉強というか、
20ページも読むとちょっと眠くなる・・という感じでしたが、
中盤のバルバロッサ作戦あたりから、徐々に面白くなり、
後半は作戦指令名を見るだけで、「お~、アレか!」と中断するタイミングが難しかったほどです。

基本的には全軍に対する総統命令という大きな作戦指令ですから、個別のケース、
陸軍参謀本部のハルダーや、各軍の司令部が出していたと思われる
アフリカ軍団に対する指令やUボート戦ブレスト艦隊のドーヴァー海峡突破などは
ありませんでしたし、読まれる人によっては、アレは無いのか?と思われるかもしれません。

しかし、それを踏まえてもなんの命令が出てくるのかというのは楽しめますし、
戦記にちょくちょく書かれている総統命令が指令書という形で出てくるというのも
なんとなく、本物を見たというような満足感にも浸れました。
第2次大戦のヒトラー、ドイツ軍の戦い、独ソ戦などを研究されている方なら、
古書価格も安いですし、読んで損はない一冊です。



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第二次世界大戦〈下〉 リデル・ハート [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

リデル・ハート著の「第二次世界大戦〈下〉」を遂に読破しました。

ヨーロッパにおける戦いだけでも陸海空それぞれに分かれているものが普通の
第二次世界大戦記。それらを一緒にして、かつ太平洋戦争までも網羅している本書・・。
1999年再刊のこの下巻は、上巻よりも100ページ以上も薄いですが、それでも519ページ・・。
同じ中央公論社の「砂漠のキツネ」が488ページ、「呪われた海」が572ページですから、
まったく「薄い」という気はしませんね。。

第二次世界大戦下.jpg

1943年から始まる下巻は、連合軍がすでに上陸した北アフリカの掃討戦からです。
ロンメルに代わってアルニムバイエルラインが奮戦し、戦力も「アフリカ軍集団」に
増強されて、再び、ロンメルもこの地に上陸します。
しかし、ロンメルにとってはアルニムとの指揮系統の確執だけではなく、
上官のケッセルリンク、イタリア軍、ヒトラーらの意見と命令の前に、またもや挫折・・。
遂に降伏したアフリカ軍集団の捕虜の数は10万人を超える膨大なものとなり、
これら枢軸軍の歴戦の兵士たちが次の連合軍のシシリー島上陸に投入されていたら
連合軍を早い段階で挫折させていたかも知れないとしています。

Tunisia 1943 250.jpg

そしてシシリー島上陸のハスキー作戦へと続いていくわけですが、
ヒトラーがもともとロンメルに対し、勝利を可能とするような戦力を送らなかったのに、
最後の最後になって、大部隊を送り込み、それが結局、
「ヨーロッパ防衛の見込みを失ったのは最大の皮肉」とする解釈は納得のいくものでした。
通常、北アフリカ戦史とシシリー・イタリア戦史は別々ですから、この一連の流れと
それらの関連性がとても良くわかります。

1943 Britische und amerikanische Truppen landen auf Sizilien.jpg

そのヒトラーが連合軍の上陸はシシリー島ではなく、サルディーニャ島だと推測していた話では、
スペイン海岸に漂流してきた「英軍将校の死体」にあった書類が決定的となり、
連合軍がまんまと成功させたこの有名な「欺瞞工作」にも触れていますが、
去年の10月に「ナチを欺いた死体 - 英国の奇策・ミンスミート作戦の真実」という本が
出てますので、今度、読んでみようと思っています。

Mussolini_Hitler_Ciano.jpg

チュニスでの二の舞は避けて、さっさとイタリア本土へと撤退したドイツ軍。
盟友ムッソリーニが失脚すると、寝返ったイタリア軍兵士を「全員捕虜にすべし」との
ヒトラー命令が・・。しかし南方のC軍集団司令官のケッセルリンクは
イタリアの降伏を受け入れ、ローマを無防備都市とすることも了解します。
そして彼の言う「モントゴメリーの極めて用心深い進撃」にも助けられて、
ゆっくりと、徐々に北へと撤退する遅延戦術を駆使して、最小限の損害にとどめつつ、
悪魔の旅団」にも書かれていた、2か月間の山岳地帯での防衛戦で
米軍だけでも5万人の損害を与え、舞台はモンテ・カッシーノへ・・。

Monte Cassino.jpg

一方、東部戦線の1943年の状況は、ドイツ第6軍がスターリングラードで包囲され、
カフカスから慌てて撤退するクライストのA軍集団と、ソ連軍のロストフへの競争が・・。
ソ連軍より3倍も遠いクライスト軍の側面を援護する、新設されたマンシュタイン
ドン軍集団の活躍もあって、退却軍の勝利・・。なんとか罠から抜け出すことに成功します。
そして本書ではパウルスの第6軍が1月末まで降伏しなかったことによって、
ドイツ軍は更なる崩壊から大いに救われたとしています。

Helmets of the Germans.jpg

「太平洋における日本軍の退潮」の章は、マーシャル諸島などの島々での戦いがメインですが、
B-29が登場したり、キング提督やスプルーアンス提督が出てきたりして、
「はぁはぁ、聞いたことがある名前だナァ・・」なんて感じで読んでいました。
スプルーアンスは軍事古書店に行くと「提督スプルーアンス」という分厚い本が必ず
置いてあるので知っていたんですね。
片や日本軍では山本五十六連合艦隊司令長官が戦死すると、
後任の古賀峯一について触れられていますが、この人すら始めて知りました・・。

Nimitz-King-Spruance.jpg

ノルマンディに上陸した連合軍とドイツ軍の戦い、そして並行して語られる英米の「ののしり合い」。
英軍と肩を並べて進撃するパットンは電話でがなり立てます。
ファレーズまで行かせてくれ。そうすりゃダンケルクのように英軍を海へ突き落してやるから」。
相変わらず、パットンは楽しいですね。。
このあたりの連合軍の作戦については、当時のドイツ西方軍参謀長だったブルーメントリット
後任のヴェストファールの戦後のインタビューを多用して、ダメ出しする展開です。

東部戦線でもドイツ軍はソ連の攻勢の前に退却を続けます。
チェルカッシィ包囲」、「ワルシャワ蜂起」と続き、ヒトラー暗殺未遂事件に将校団の粛清。。
罷免したマンシュタインの毒舌よりも、粗削りな性格で渡り合う勇気を持った54歳の若い将軍、
モーデルを好み、大抜擢するヒトラー。

generalfeldmarschall_walter_model_with_general_der_panzertruppe_erhard.jpg

対ドイツ戦略爆撃」は個別に1章設けています。
1942年から始まった英爆撃機司令官ハリスによる「1000機爆撃」は、
まず「ケルン」を瓦礫の山にし、1945年にはドレスデンを壊滅させます。
そしてハリスの言う、「爆撃によってドイツ国民の士気を挫いて戦争を早期に終結させる」
この戦略について「戦略上の誤りと基本的モラルの無視にもかかわらず、重要な役割を果たした」
としながらも、「ドイツ市民の士気は萎えることがなく、
戦争末期まで理由もなく地域爆撃を続けたことは問題であり、
製油工場と後方連絡路の攻撃に的を絞っていれば、
戦争を少なくとも数ヵ月は短縮させることができたことは明らかである」と結論付けています。

Homeless refugee German woman sitting w. all her worldly possesions on the side of a muddy street amid ruins of Köln, Germany 1945.jpg

「レイテ沖海戦」というのはかなり有名ですが、コレの詳細も本書が初めてです。
戦艦「武蔵」の最期にも触れられていますが、この「武蔵」っていうのは
小学生の頃、プラモデルを作った思い出があるんですねぇ・・。
おそらく、1/700スケールだったんじゃないかと思うんですが、
あまりのデカさと細かさに挫折したような苦い記憶が甦ります。。

武蔵700_1 タミヤ.jpg

また「大和」ではなく、なぜ二番艦の「武蔵」が良かったのか・・というと、
ヴィトゲンシュタインは三男坊でしたから、「一番」ていうのに抵抗があったんでしょう・・。
例えば「なんとかレンジャー戦隊」でも赤レンジャーじゃなくて「青レンジャー」が好き。
「新撰組」なら近藤勇じゃなく、鬼の副長「土方歳三」が好き、
男組」なら流全次郎よりも「高柳秀次郎」が好き・・といった具合で
表舞台に立つNo.1ではなく、日陰で補佐する実力あるNo.2に惹かれるんですね。

「硫黄島の戦い」は、さすがに栗林"渡辺謙"中将の「硫黄島からの手紙」を
ロードショーに観に行っているので、本書の太平洋戦争の章で唯一、
「お~、そうそう・・」なんて上から目線で読めました。。

Iwo Jima.jpg

「沖縄の戦い」も双方の兵力が細かく記載されて進みますが、
戦艦大和の海上特攻も、ドイツ海軍の誇る戦艦ティルピッツと同様に、
敵戦艦に向かってその巨砲を放つことなく沈んだ・・という記述が印象的でした。
特に注釈で、この日独の巨大戦艦の比較があり、
ティルピッツの排水量43000㌧、38cm砲8門に比べ、64000㌧に46cm砲9門というのは、
素人が見た数字としても、ちょっと格が違う?と思わせるものがありますね。

それから「特攻隊」・・。
米海軍の艦艇34隻を撃沈し、368隻に被害を与えた、その主なるものが「神風機」であったとして、
「その苦い経験が、日本本土進攻に強い警戒心を生み、原爆投下の決断を即したといえる」

KAMIKAZE! A Japanese Zero kamikaze fighter about to crash into the battleship Missouri off Okinawa,.jpg

しかしB-29による「東京大空襲」から「原爆投下」という話になってくると、
なかなか客観的に読むのが難しくなりました。
もともと太平洋戦争ではなく、ヨーロッパの戦争を勉強しようと思ったのは、
日本人である自分に直接、関係がないことで、客観的に戦争を知りたかったからです。
東京下町の人間として、このような「焼夷弾の雨」の必要性を連合軍サイドになりきって
「まぁ、戦術として妥当だナァ・・」などと解釈するのは大変なんですね。。

b_29_bomber.jpg

1000ページ超えの上下巻を読み終わって、やっぱり太平洋戦争が印象的でした。
ほとんど知らなかったのもありますが、ドイツ降伏後のクライマックスに、
日本に歴史的な大きな山場が来るのも印象に残った理由のひとつだとは思います。

それに比べて、ヨーロッパの終結はワリとあっさり・・。
バルジの戦い」と「レマゲン鉄橋」まではドイツ軍も奮闘していますが、
ベルリン掃討戦ヒトラーの自殺なんてのはチョロチョロです。
しかしこれは本書の一貫した取り上げ方であるようにも感じました。
すなわち、戦局において「決定的な出来事」を戦略的、戦術的に分析するという姿勢です。
1945年4月の1ヵ月間は、ドイツ軍が軍事的に頑張ろうが、ヒトラーがどんな命令を出そうが、
東西連合軍がどのように攻めようが、ドイツの降伏は時間の問題であって、
それらをいちいち分析する必要がないという意味ですね。

Battle of Berlin.jpg

また、戦役ごとに双方の戦死者などの損害も検証しますが、
特に日本の場合はその比率が高く、戦艦と運命を共にする艦長に対しては、
日本海軍の伝統としながらも、生き残って、別の艦を指揮したほうが
よっぽど自軍のためになる・・という考え方ですし、
陸軍でも「バンザイ突撃」や司令官の自決、そして「カミカゼ特攻」と続くと
都度、「日本人らしく・・」とあきらめ顔のようにも感じました。

これらについても軍事評論家からしてみれば、無益な死であり、
彼らが命を捨てても戦局は変わらなかったということのようですね。
そしてそれは最後の「原爆投下の必要性は存在しなかった」にも繋がっていきます。

Sailors in Pearl Harbor,  Japan surrender_A Japanese soldier walks through a completely leveled area of Hiroshima.jpg

「この戦争で勝利をしたのは中央ヨーロッパへ進出をしたソ連である」
と締めくくられた本書。
公平に客観的に書かれているのは間違いありません。
その意味では、自分が今まで「独破戦線」を続けてきて、本書の見解とほぼ同じだったことに
逆に疑問を持ちましたが、40年前の本書が第2次大戦における底本となっているからなのかも
知れません。読んでいなかったものの、さまざまな書物で間接的に読んでいた・・ということです。
今回、太平洋戦争も含めて、第2次大戦全体を振り返るという経験をしたことで、
なにかしら自分の中で、一区切りついたような気もしています。
第2次大戦について勉強されている方なら、これは決して外してはならない1冊だと思います。













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第二次世界大戦〈上〉 リデル・ハート [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

リデル・ハート著の「第二次世界大戦〈上〉」を遂に読破しました。

本書を知ったのはもう何年前になるでしょうか・・。
この「独破戦線」をはじめる何年か前、第二次大戦と第三帝国モノを読み始めたときから、
古書店で良く見かけていたフジ出版の函入りの分厚い旧版が気になっていました。
以来、その1978年の旧版と1999年に分冊で再刊された本書のどちらを買おうかと
悩み抜いた末、この再刊の方の綺麗な古書を上下巻あわせて4300円で購入。
しかし、それからは未読本棚の主役として飾りっぱなしにしていました。
いま確認してみたら、購入したのはおととしの誕生日・・。自分へのプレゼントだったのかな・・?
なんとなく、憧れだった本書を1ヶ月ほど前からそろそろ・・と考えていましたが、
それなりに勉強してきましたし、いい加減、読んでもバチは当たらないでしょう。

第二次世界大戦上.jpg

著者リデル・ハートをいまさら紹介することもないかと思いますが、簡単に・・。
1895年生まれで、第一次大戦勃発により、19歳で英陸軍に志願。
大尉で退役後は、軍事評論家として活躍し、その戦術理論にはグデーリアンなど
ドイツの新進気鋭の軍人たちも影響を受けたと云われています。
第二次大戦後は捕虜となった彼らとも面会し、「ナチス・ドイツ軍の内幕(ヒットラーと国防軍)」など、
以前ココでも紹介した著作も・・。

1970年に本書の第一稿を仕上げて亡くなったリデル・ハートを支えた奥さんが
彼の代わりに序文を書いています。
ドキュメント ロンメル戦記」が故ロンメル元帥の奥さんの方から依頼された件など、
興味深い話でテンションも上がってきます。

Sir Basil Henry Liddell-Hart.jpg

第1章はいきなり1939年、ドイツ軍のポーランド侵攻に伴う、英仏の宣戦布告からです。
2ページ目には「大戦の勃発と拡大の原因をすべてヒトラーの侵略に帰するのは
あまりにも単純であり、浅薄である。
そもそもヒトラーは2度目の大戦を引き起こすことなど願ってもいなかった」
この出だしを読んだだけで、本書がどのような展開になるのか・・若干、想像できました。
そして「いったい何故ヒトラーはあれほど避けたがっていた大戦争に巻き込まれたのか。
答えは、ヒトラーの侵略性のみではなく、長期に渡るその"従順さ"で彼を増長させていた
西側列強が、1939年春、突然彼を"裏切った"ということに見出せる」

Hitler receives the salute of the columns, Nuremberg 1938.jpg

第3章の「ポーランド侵攻」の戦記部分は、2ページぶち抜きの戦況図付きですが、
10ページ程度と割とあっさり・・。
これは騎兵を主体としたポーランド側の軍事思想が
「80年遅れていたと言っても過言ではない」と、一刀両断にしてますので、
著者にとってはこの戦役を細かく分析する必要が無いようにも思います。

germany-invades-poland-1939-polish-cavalry-01.jpg

宣戦布告はしたものの、ドイツに対して一向に攻撃してこない英仏・・。
連合国首脳たちは、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドからドイツの背後を叩き、
ベルギーからルール地方も叩きつつ、ギリシャとバルカン諸国から東側に攻撃を加えるといった
「まことに驚くべき"白日夢の寄せ集め"の大計画を冬の間中、練っていたのである」
一方のドイツ軍は、ご存じのとおり、マンシュタイン・プランから
グデーリアンの装甲部隊まで準備は着々・・。

panzer1.jpg

西方「電撃戦」の前に、ソ連によるフィンランド侵攻が・・。
ここでは最初の攻撃で敗れたソ連について、「一大攻勢の充分な準備をせず、
不人気な政府に対するフィンランド国民の蜂起が起これば事足りると考えていた」としています。
確かに、前線の兵には「我々は解放軍だ」と教え込んでいたという話もありましたからねぇ。

Finländska soldater.jpg

ノルウェーでの独英との戦いの様子は、海戦も含め、かなりしっかりと書かれています。
それでも細かい戦記よりも、著者独特の表現が良いですね・・。例えば
「しかしドイツ軍のほうが終盤の追い込みが素早く、強力だった。
ほとんど写真判定と言っていい、"鼻の差"の勝利だった」
そして最後にはディートル将軍の「巧妙な用兵」にも触れて、
「肝心の場では兵力の劣勢を補ってあまりある迅速性と勇敢さを発揮したのである」

Ferdinand Schörner , Colonel General Eduard Dietl and General Georg Ritter von Hengl.jpg

国土のほとんどがドイツ軍に蹂躙されたベルギーではレオポルド国王が休戦を決意しますが、
ダンケルクからの脱出を図って退却中の英首相チャーチルから
「なんとか持ちこたえて欲しい」と訴えられます。
これは即ち「我々のために犠牲になって欲しいという頼み」に他なりません。
そして若き国王は飛行機での脱出という忠告も聞き入れず「軍と国民とともに留まる」という
名誉ある選択を選ぶのでした。

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フランスでの「現代史に例を見ないドイツ軍大勝利」については40ページほどを割いていますが、
その要因は”一にも二にも”「グデーリアンと装甲部隊」にあるようです。
「グデーリアンの早すぎる突進という"違法行為"がなければ、この侵攻作戦は
おそらく失敗に終わっただろう。そして世界史の流れも今とは違った方向を・・」

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続く「バトル・オブ・ブリテン」も40ページほど。
イタリアがエジプトの英軍と戦い出すと、ロンメルがトリポリへと飛び立ちます。
ドイツ軍の輸送船からは偵察大隊などわずか2個大隊が到着しただけ・・。
そこでフォルクスワーゲンに急造の張りぼてをかぶせたニセ戦車で兵力の水増しを図ります。。
英第8軍が「張りぼて戦車」をたくさん作ったというのは知っていましたが、
先にロンメルがやってたんですねぇ。
本書ではこの国民車ならぬ"国民戦車"の写真も掲載されていました。

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イタリア軍の戦いということでは「エチオピアの戦い」も出てきますが、
コレは初めて読んだ気がします。「ムッソリーニの戦い」に出てたかな??
その次は「今次大戦における勇猛果敢な"離れ業"として際立った光を放っている」
ドイツ降下猟兵による「クレタ島占領作戦」です。

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そして「主として状況の産物であった西部制圧」から、
「ヒトラーの脳裏から常に離れることのなかったソ連撃滅の願望」へと移って行きます。
第13章「ソ連侵攻」の出だしでは、「独ソ戦における戦闘の成否は戦略や戦術よりも、
国土の広さ、兵站の問題、部隊の機械化の程度いかんにかかっていたと言える」

始まった「バルバロッサ作戦」も各軍集団の戦闘の様子が分析され、
南方軍集団司令官ルントシュテットの頼みとするところは、
「奇襲、スピード、空間、および敵司令官の無能ぶりだけだった」として、
その敵対するロシア革命当時に偉功を立てた老将軍ブジョンヌイについて
「途方もなく大きな口髭を生やした、ちっぽけな脳ミソの持ち主」という
部下の極めて適切な評言を借用・・。

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グデーリアンは成すべきことを明確に認識し、全速力でモスクワへ突進すべき・・
と考えていたのに対し、ヒトラーとドイツ軍統帥部は、貴重な8月の一ヶ月間を
次に打つべき手の議論に空費します。その結果は
「ヒトラーのソ連侵攻失敗の根本的原因は、スターリンが広大な領土の深みから
どれだけの予備軍を生み出すことが出来るのか、その予測を誤った点にあった」

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北アフリカ戦線については、東部戦線より、具体的に書かれている気がしました。
「バトルアクス作戦」から「クルセイダー作戦」と、双方の将軍から戦車の台数、
ドイツの88㎜砲だけではなく、50㎜砲の存在の重要性も挙げていますが、
これは、著者が英国人であり、特に興味深かった、或いは英独双方の資料収集と
インタビューが可能だったことが理由なのかも知れません。
また度々、ロンメルが何を考えていたかを「ドキュメント ロンメル戦記」から抜粋しています。
東部戦線はその戦線の大きさから、いちいち細かい作戦にまで言及していたら
キリがないことなども要因なのかも知れませんね。

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日本軍がメインとなった「太平洋戦争」の部分も知らないことばかりで逆に楽しめました。
中国大陸に進出していた日本が、なぜ「真珠湾攻撃」を実行するに至ったか・・から、
「マレーの虎」こと山下奉文中将も登場。
「ガダルカナル島の戦い」も詳しいことは初めて知りました。
何年も前に「最悪の戦場に奇蹟はなかった―ガダルカナル、インパール戦記」
という本を買ったんですけど、完全に放置プレーですから。。

マレーの虎 山下奉文.jpg

そして海戦では「マレー沖海戦」で「プリンス・オブ・ウェールズ」を撃沈。
この戦艦はビスマルクと一戦交えたことで知っていましたが、こんな運命だったんですねぇ。
さらに「ミッドウェー海戦」。
「世界のミフネ」が山本 五十六を演じた映画「ミッドウェイ」をなんとなく観た程度の
知識しかないヴィトゲンシュタインも、本書は楽しめました。
だいたい「大和」が参加していたことも知らなかったくらいですから、
「そんな非国民が語るな」と怒られそうですが、
この海戦において大鑑巨砲の時代は終わって、空母の時代となったことを
本書を読んだ印象として持ちました。果たして正しいのか・・?

他にも「比叡」や「霧島」が撃沈されたり、コレくらい有名な戦艦の名前くらいは知っていますが、
その最期について読んだのは初めてですし、大型艦以外の駆逐艦なども
なかなか格好良い名前がついているなぁ・・とつくづく思いました。

霧島_赤城.jpg

また、太平洋戦争ということで米軍のマッカーサーとニミッツ提督との確執も興味深かったですし、
戦力の少ない英連邦軍がヨーロッパや北アフリカだけでなく、
東南アジアにも戦力を割かざるを得ない状況などは、チャーチルの回顧録も含めて
いままで読んできた本では、なかなか理解仕切れなかった部分でもありました。

Roosevelt, MacArthur,Nimitz.jpg

1942年、東部戦線では「ブラウ作戦」が発動され、カフカスの油田奪取を目論むヒトラー。
やがて吸い寄せられるように副次的な戦場であるスターリングラードで第6軍が壊滅。
北アフリカでもロンメルの絶頂期から、次第に暗雲が立ち込めてきます。
しかし非常に面白かったのが、連合軍の北アフリカ上陸の「トーチ作戦」です。
以前チャーチルの「第二次世界大戦〈3〉」でも、フランス側のドロドロぶりが印象的で
「これはちょっと何かの本で勉強したいですねぇ。」なんて書いていましたが、
本書でやっと詳しく知ることができました。

EISENHOWER , DARLAN, General Clark.jpg

米軍側はアイゼンハワーにマーク・クラーク。
フランス側は連合国寄りのドゴール、ジローの両将軍に、
ヴィシー政府のペタン元帥、ダルラン提督、さらにその他、北アフリカの現地の司令官たち・・。
彼らが個人の思惑と、米国、ドイツ双方の顔色を伺いながら作戦が進みます。
1回読んだだけでは複雑すぎて、ちょっと理解できませんでしたが・・。

元々「ジムナスト(体育家)作戦」と命名されていたこのトーチ作戦ですが、
その後、一旦「スーパー・ジムナスト」に改名していたようです。
「超体育家」って感じなんでしょうか?まったく意味不明ですね・・。
チュニスではネーリングが少数の部隊と"秘密兵器"ティーガー戦車で連合軍を苦しめ、
フォン・アルニムも派遣され、戦力を増強して、北アフリカに踏みとどまります。

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最後は「大西洋戦争」です。
気がつけば、ここまでドイツ海軍による「通商破壊戦」には触れられず・・でしたが、
1939年、U-47のプリーン艦長によるスカパフローでの戦艦ロイヤル・オーク撃沈から、
グラーフ・シュペーアドミラル・シェアといったポケット戦艦、
巨大な戦艦ビスマルクにティルピッツの最期、
そしてデーニッツのUボートによる狼群作戦とアメリカ東海岸での「パウケンシュラーク作戦」、
シュノーケルの発明に新時代のエレクトロ・ボート「XXI型」の登場・・といった
1945年の終戦までの主だったドイツ海軍の興亡がそれぞれ概要程度ですが、
しっかりと書かれています。
Uボート好きにとってはちょっと物足らなくもありますが、まぁ、しょうがないでしょう。
コレを詳しく書いていたら、300ページ増量となってしまいますからね。。

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628ページの上巻はココまでです。
1970年に、この第一稿を仕上げたリデル・ハートが他界したことで、
多少の間違いやその後に新事実が出てきたり・・ということもあるようですが、
それらに対しては各ページの下段に注釈がありますし、
各国の将軍連やティーガーなどの戦車の写真も掲載されています。
戦記部分も読み応えがありますが、なによりも本書の一番の特徴は
章ごとに簡潔に整理するリデル・ハート独自の戦略的、または戦術的解釈の部分でしょう。







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