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フォト・ドキュメント女性狙撃手 :ソ連最強のスナイパーたち [女性と戦争]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ユーリ・オブラズツォフ著の「フォト・ドキュメント女性狙撃手」を読破しました。

7月に出た本書を見つけたのは、その3週間後のこと・・。
久しぶりに「おおっ」という感じに食いつきました。
109ページと薄い本ですが、「狙撃手」モノを出版させたら右に出る者が無い原書房。
このBlogでも「最強の狙撃手」やら、去年は「戦場の狙撃手」を紹介していますが、
その「戦場の狙撃手」のレビューの最後にこんなことを書いていました。
・・「出撃!魔女飛行隊」のような、ソ連の女スナイパー戦記が読んでみたいところです・・
まさに願いが叶った・・といったトコでしょうか?

フォト・ドキュメント女性狙撃手.jpg

第1章は「大祖国戦争を戦った女性たち」と題して、帝政ロシアが革命によって崩壊し、
女性に選挙権や中絶、様々な文化活動に参加する自由を得た・・という経緯を解説。
1941年にドイツに侵攻されると、国民が総動員され、男性は前線に、
女性は工場や畑仕事に従事しますが、それだけでは満足せず、看護婦、戦車搭乗員、
パイロットとしても活躍することになるのです。
と、ココではあのリディア・リトヴァクがエース・パイロットとして写真付きで登場。
「母なる祖国が呼ぶ」というポスターも掲載しており、ポスター好きにも嬉しいですね。

war-time-posters.jpg

続く第2章はメインの「女性狙撃手たち」。
その一番手として紹介されるのはリーザ・ミロノヴァです。
堂々たる男前の雰囲気で表紙も飾っている彼女。
パッと見、男前女子ゴルファーの筆頭である、成田美寿々似ですね・・。

1941年に高校を卒業したモスクワっ子の彼女はすぐさま志願して、
黒海艦隊第255海軍歩兵旅団に配属され、オデッサとセヴァストポリの戦いに参加。
約100名の敵兵と将校を射殺したものの、1943年9月、肝臓を撃たれて死亡するのでした。

Marine sniper Mironova.jpg

次は・・出ました、309名を狙撃したという伝説のリュドミラ・パヴリチェンコです。
1937年、キエフ大学で勉学に励む一方、グライダーやスポーツ射撃にも興味を持ち、
民間人がパラシュート降下などの軍事訓練が受けられる「オソアヴィアヒム」で
精密射撃を習得したことで、志願後のオデッサの戦いで187人を仕留めるのでした。
セヴァストポリでも72人の敵兵を射殺。
この当時、2等軍曹時の写真は初めて見ましたが、まだ初々しいですね。

Lyudmila Pavlichenko1941.jpg

彼女の「回想」に加え、1942年秋には「北米青年派遣団」の一員に選ばれて、
アメリカ大統領と面会した初めてのソ連市民となるのです。
さすがの有名人だけあって、その全米ツアーの写真も掲載しながら14ページを独占。
そんなパヴリチェンコを主人公にしたロシア=ウクライナ合作映画 『セヴァストポリの戦い』が
作られましたが、公開予定は・・???



ちなみに「オソアヴィアヒム」なるものについても1ページ書かれていて、
正式には「ソ連国防および航空・化学産業支援協会」という名で大都市近郊にあり、
最終的には600万人から900万人の会員を擁したということです。
そしてこの「オソアヴィアヒム」の各種記章や、射手の記章も写真付きで紹介しています。

Voroshilov Marksman Badge_snaiper-OSOAVIAKHIM.jpg

3人目の女性狙撃手はニーナ・ペトロヴァ。
万能のスポーツ選手で1932年には体育教師の免許を取得。その時、39歳・・。
その後、レニングラードの狙撃学校で腕を磨き、そのまま狙撃教官になるのです。
1941年、ドイツ軍が迫ってくると、徴兵指令所に赴くものの、48歳の彼女は不適格・・。
それでも腕に自信のある、このおばちゃんは義勇軍第4師団に加わると、
すぐに軍の教官に抜擢され、狙撃手として下士官では最高の階級である上級曹長に昇進し、
狙撃手グループのリーダーになるのです。

512名もの狙撃手を訓練しつつ、自らも100名の敵兵を狙撃した恐怖の「マンマ」は、
栄誉勲章3級、2級を授与され、1945年2月には1級も推薦されますが、
彼女の乗ったトラックが修復中の橋を渡っている最中に崩壊してしまい・・。

Nina Petrova.jpg

栄誉勲章は下士官、女性兵士、空軍少尉に対し、3級から順に与えられるもので、
戦争の4年間で3級が100万人、2級が5万人、1級になると2672人だけ・・。
女性兵士の1級はニーナを含めて僅か4名であり、狙撃手になると彼女だけということです。
この勲章についても後半に2ページを割いて詳しく書かれていて、具体的な戦功基準も・・。

「個人で敵将校を捕虜にする」、「戦闘において、敵戦車を複数破壊する」
などというのは、ドイツ軍にもありそうなのでわかりますが、
「炎上する戦車に残って、任務を遂行する」というのは、やはりソ連らしいというか・・。

Order of Glory 栄誉勲章.jpg

4番手はアリヤ・モルダグロヴァ。
1925年、カザフスタン生まれのレニングラード育ちの彼女は、1942年になってもまだ17歳。
前線に出るために開校したての「中央女子狙撃訓練学校」に通い、
1943年7月、18歳となって北西戦線へと向かいます。
10月までに戦果、32人。怖いもの知らずのきゃしゃな女の子・・。

しかし翌年1月、ノヴォソコリニキの接近戦でドイツ軍将校と撃ち合い、重傷を負って死亡。
公式には78人を挙げたというアリヤには、レーニン勲章ソ連邦英雄が贈られたそうで、
カザフ人女性としては2人だけ、銅像も建てられ、切手にもなるという英雄です。

Aliya Moldagulova.jpg

第3章は「中央女子狙撃訓練学校」を紹介。
前半で「狙撃数の確定」方法は第3者による証言などが必要・・と書かれていましたが、
この章では戦後の卒業生のインタビューがあり、
負傷させただけなのか、射殺したのかの確認方法を訊ねられ、
「それはわかりません。相手が倒れたら、射殺したことになるんです」。

まぁ、コレを「盛ってる」と判断するかは難しい問題ですね。
本書でも重傷を負い、数日後に死亡した彼女たちのケースがあるように、
同じ射殺でも「即死」かどうかの違いもあり、もちろん撃たれても軽傷の可能性もあるわけです。

例えば戦車の撃破数にしても、行動不能になったら撃破とカウントしても、
その後、後方に牽引して復活するケースもありますし、
Uボート戦でも轟沈とカウントしたのに、実は中破だったり・・。
結局は撃った相手のその後まで見届けなければ、わからないことであって、
その戦闘において、行動不能=排除した・・という意味での戦果数なら問題ないでしょう。

Soviet snipe3.jpg

56ページから第4章「スナイパー・ライフル」で、代表的な「モシン・ナガン」について詳しく解説。
モシンさんと、ナガンさんによる開発競争も書かれ、「カラシニコフ自伝」を思い出しましたね。
写真も集団で敵機銃撃の体勢を披露しているルーニン大尉率いる狙撃手たち・・といった具合。

The infantry air defense, June 1943.jpg

またトカレフの「SVT-40」スナイパー・ライフルとの比較も興味深く、
なぜかドイツ軍の「カラビナー98K」も登場。
この ↓ パヴリチェンコが持っているのが「SVT-40」ですね。

Lyudmila Pavlichenko SVT-40- Soviet sniper.jpg

さて、ここで5人目の女性狙撃者が・・。彼女も有名なローザ・シャニーナです。
1924年生まれで、兄の2人はレニングラードとクリミアで命を落とし、
1943年、保育士だった彼女は「中央女子狙撃訓練学校」に入学。
夜間に動く標的を狙って射撃することが得意だったローザの戦果は75まで上るものの、
1945年1月、東プロイセン近郊で負傷した砲兵将校を守ろうとして胸に重傷を負って、
運ばれた病院で息を引き取るのです。

本来つけることの許されなかった彼女の日記が6ページほど掲載されていますが、
なかなか前線に出してもらえずに、男に生まれたなら思う存分、戦えたのに・・と、
グチも多い一方、若い兵士がやって来て、「キスをさせてください。
もう4年も女の子とキスをしていないんです」と実感のこもったお願いをされたり・・。
映画「戦火のナージャ」の、死ぬ前にオッパイが見たい・・を思い出しました。

Roza Shanina1.jpg

6番目はローザの友人だったイェヴドキヤ・クラスノボロヴァ、
7番目にクラヴティナ・カルギナが女性狙撃手として紹介。
特にクラヴティナちゃんは戦争勃発時にはまだ15歳で、
17歳で狙撃学校に条件付きで入学というエピソードを戦後のインタビューで・・。
初陣で、雪かきしているドイツ兵が丸見えなのに、ついに引金を引くことができなかった・・
という話や、コンビを組むマルーシャが狙撃され、自分の悲鳴が響き渡った話など、
写真どおりの、ごく普通の女の子のプチ戦記です。こういうの好きだなぁ。

Klavdia Kalugina, 1944.jpg

第3章で「相手が倒れたら、射殺したことになるんです」と話をしていたのも彼女でした。
手榴弾は2個を携帯し、1つはドイツ兵に、1つは自爆用・・。
「これは決まりです。捕虜にならないように使うんです。
狙撃手が捕まったら、容赦なしの扱いですからね」。
う~ん。「最強の狙撃手」だったか、ロシア兵の手に落ちたドイツの狙撃兵が
お尻にライフルを突っ込まれて串刺しになっていたなんて話が・・。

こんなロシアン・ジョークもありました。

ずっと森のはずれを気にしているドイツ兵。
「あそこに俺のことをじっと見ている可愛いロシア人の女の子がいるんだよ」
「だったらお前、なぜ隠れてるんだ?」
「あの子、スコープ越しに見つめてるんだよ・・」

Snipers Yevdokia, Russian Female.jpg

8番目はマリア・イヴシュキナ、
9番目は1924年生まれのニーナ・ロブコフスカヤ。
そしてベルリン占領に参加した第3突撃軍の女性狙撃手たちのエピソードと続き、
彼女たちは祖国へと戻っていくのでした。
後半は特に「戦争は女の顔をしていない」を彷彿とさせる展開でした。

Nina Lobkovskaya.jpg

こうして、戦場に向かった女性狙撃手はおよそ2000人。
そのうち生き残ったのは500人程度・・。
最後には、現在3万人の女性がいるロシア軍についても触れており、
さすがにスペツナズといった特殊部隊は女性の受け入れをしていないそうです。

Russian Female Soldiers.jpg

と、109ページながら充実した一冊でした。
知らなかった勲章や狙撃学校も勉強になりましたし、
写真は全て白黒ですが、ざっと150枚~200枚くらいでしょうか?
ロシア語サイトなどで見たことのあるのは30枚程度はありましたが、
ほとんどの場合はキャプションで名前まで明確にされています。
なので今まで見たことのある女性スナイパーの名前を本書でようやくわかった・・なんて。。
とにかく、「ドイツ軍婦人補助部隊」を読んだときのような新鮮さがありました。

またレニングラード包囲戦や、バグラチオン作戦についてもページを割いているので、
独ソ戦には詳しくない若い女性の方でも(独破戦線を読んでる若い女性はいないか・・)、
彼女たちの戦いざまが理解しやすく、オススメできます。



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