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ナチスと精神分析官 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジャック・エル=ハイ著の「ナチスと精神分析官」を読破しました。

今年の3月に出た340ページの本書の煽り文句はこんな感じです。
「ナチスの心は本当に病んでいたのか? ニュルンベルク裁判に先立ち
ゲーリングなど最高幹部を診断した米軍医が見た「悪の正体」とは? 
戦後70年間埋もれていた記録を発掘した迫真のノンフィクション! 映画化決定」
まぁ、映画化するぞ詐欺は多いのでアレですが、一応、出版社は角川マガジンズ。
主役の精神分析官が、以前に読んだ「ニュルンベルク軍事裁判」でも頻繁登場した
ダグラス・ケリー少佐だということもあって、いざ、4度目のニュルンベルクへ向かいましょう・・。

ナチスと精神分析官.jpg

「その飛行機、パイパーL-4は動かなかった。」という出だしで始まります。
前々日に米軍の捕虜となったものの、このスター捕虜に対する歓迎会が第7軍本部で開かれ、
シャンパンを飲み、写真撮影のポーズを決め、記者会見まで開いていたゲーリングが重すぎて・・
というのが理由であり、より馬力のあるL-5の乗せても、その腹ではシートベルトが締まらず。。

Goering during a press conference after his capture by American troops in May 1945_L4 Grasshopper (Piper Cub.jpg

結局、プール・ル・メリット拝領者でかつてのエース・パイロットにはシートベルトなんぞ問題なし。
辿り着いたアウグスブルクでは特権を剥奪され、希望するアイゼンハワーとの会談も無視。
反ナチの弟、アルベルトと最後の会話を交わすことができますが、金とプラチナ、
そして640個のダイヤモンドが埋め込まれた象牙の元帥杖を取り上げられてしまうのです。

Marschallstab milik Reichsmarschall Hermann Göring.jpg

5月20には再び移送。ルクセンブルクのモンドルフ=レ=バンに米軍が設立した収容所です。
次々とやってくるナチス要人たち。大統領デーニッツに、
捕虜になってから2度の自殺を試みたハンス・フランク
飲食物には興味を示さない一方で、執拗に女を要求するロベルト・ライに、ローゼンベルク
それからシャハトシュトライヒャー、OKW総長カイテルに、「彼の副官」ヨードル・・。

luxembourg-mondorf-les-bains-top-ranking-nazis-in-jail-2.jpg

ちゃちなテーブルと椅子、枕のないベッドがあるだけの部屋。
その椅子はゲーリングが腰掛けるやいなやバラバラに・・。所長のアンドラス大佐は語ります。
「捕虜が上に乗って首を吊らないように壊れやすく作られていた」。
こんな待遇にドイツの最高幹部、かつ元帥として、怒りに震えるほどだと文句を言うゲーリング。
国家元帥の経歴についても簡単に触れ、徐々にヒトラーに対する影響力が減った過程や、
最終的に処刑命令が実行されず、命拾いした理由をこのように・・。
「ゲシュタポ局長、カルテンブルンナーが書面による確認なしで命令を遂行するのを渋ったからだ」

Col. Burton C. Andrus.jpg

薬物依存の治療をゲーリングが受けている頃、ヨーロッパ戦線で米兵の精神医療の責任者だった
ダグラス・ケリー少佐が赴任してきます。若くハンサムな彼の職務は、
ナチ収容者の最終的な処遇が決まるまで、彼らの精神面の健康を維持すること。

Douglas M. Kelley.jpg

1923年のミュンヘン一揆の際、腿に銃弾を受け、モルヒネ中毒となって135㌔まで体重が増加。
グロテスクなほど太ってしまい、妻のカリンも苦しんだゲーリングは、
この時でも1日100錠のパラコディンを服用しており、ケリーは
「あなたは他の人より強いからやめられるはずだ」とおだてると、それに熱心に答えるゲーリング。
自分を国家元首だと考えるゲーリングが指示に従うことで、
専門化としてのプライドがくすぐられるケリー。
どっちがどっちを導いているのかはハッキリしませんが、5ヵ月で27㌔の減量に成功するのです。

また、カリンの死後、豪邸にカリンハルと名付けるなどしたのは、闘争時代に病気の妻を顧みず、
看取ることもできなかった自責の念がさせたもの・・という見解です。

Hermann-och-Carin-Göring.jpg

8月にはまたも移送。今度の行先はニュルンベルクです。
トイレ用のバケツしかないC-47輸送機に乗り込んだナチ高官たちが押し黙るなか、
「コックピットを見せ入て欲しい」と訴えるのは、元ドイツ空軍総司令官です。
しかしニュルンベルクは40回の空襲で壊滅したままであり、
最初に修復が行われたグランド・ホテルにこれから始まる裁判に従事する人々が宿泊。

devastated-Nuremberg_1945.jpg

裁判所も屋根が崩れ、時計塔は崩壊しているものの、倒壊を免れている大きな建物のひとつ。
翼のような形に建てられた19世紀の刑務所の3つの区画に250人の男女の捕虜が収容され、
噂されているナチス・ゲリラの蜂起や、帝国の犠牲者による襲撃から守るため、
武装兵に戦車、高射砲が配置されているのです。

Nuremberg Palace of Justice in Winter 1945-46.jpg

「先生、私はどうしたらいいんですか?どうしたらいいんですか?」とぶつぶつ独り言を言い、
独房の掃除が下手なことで有名だったというリッベントロップに、
逆に軍隊仕込みの徹底さで秀でた存在だったというカイテルも徐々に登場してきます。
ローゼンベルクは、酔っ払って関節を痛め、病院に運ばれたところを捕まります。
自分が罪を犯したとは全く考えておらず、どんな話も民族浄化に変えてしまうローゼンベルク。
ケリーの意見では、彼は「知的には無能で、曖昧模糊とした愚にもつかない哲学の宣伝屋」です。

Nuremberg Trials Ribbentrop_Keitel_Rosenberg.jpg

知的な面でさらに信用が置けないのがシュトライヒャー・・。
話の最後には必ず「ユダヤ人問題」についての独白で締めるサディストで強姦魔、
猥褻雑誌と写真の蒐集家という評判から、群を抜いて仲間から相手にされない存在で、
デーニッツが、「食事の際、皆と同じテーブルにシュトライヒャーをつかせないでほしい」
という嘆願書をアンドラス所長に出すほどの嫌われようです。

Julius Streicher with US Army.jpg

そんな嫌われ者シュトライヒャーの近くにいることを我慢できた唯一の捕虜はロベルト・ライ。
ベルヒテスガーデンに近い山中の小屋に隠れていたところを捕まり、3回も自殺を図ります。
ケリーは何かしらの心理学的な欠陥があることを見抜きます。
「独房での話に興味を持つと、立ち上がり、うろうろと歩き、腕を振り回し、
乱暴なほど身振り手振りが大きくなって、叫び始めることが多かった」。
そしてライが第1次大戦時に乗っていた飛行機が撃墜され、前頭部に怪我を負ったことが
原因ではないかと推測するようになるのです。

Robert Ley, kurz nach seiner Festnahme durch amerikanische Soldaten am 16. Mai 1945 in der Nähe von Berchtesgaden.jpg

恐ろしげな決闘の傷跡が刻まれた、と思いきや交通事故による傷だというカルテンブルンナー。
その外見とは裏腹に臆病な男だとケリーは判断します。
「典型的ないじめっ子で、政権の座にあるときは強面で横柄だが、
負けるとケチな臆病者になり、捕虜生活のプレッシャーに耐えることすらできない」。

Ernst Kaltenbrunner am 10. Dezember 1945 in seiner Zelle in Nürnberg.jpg

しかしケリーが最も興味を抱くのは、捕虜のエースであるゲーリングです。
動物愛護に力を入れる一方で、政敵は容赦なく抹殺する自己中心的な人物。
古い仲間のレームを殺す命令を出したことについては、単に「彼は私の邪魔をした」。
ゲーリングは自分がヒトラーの手下ではなく、総統が誤った判断をしたとき、
それを指摘した数少ない一人だったことをケリーにアピール。

Hitler, Goering and Roehm, 1931.jpg

そんなゲーリングの心配事は、机に写真が飾られた妻エミーと愛娘エッダの行方・・。
ケリーとの面談を心待ちにし、スッカリ信頼関係の出来上がったころ、
ケリーは2人の行方を突き止めてゲーリングの手紙、エミーの返信を届け、
本書ではその内容も詳しく、最後にエッダが書き加えた一文までが書かれています。

Defendant Herman Goering lies in his bunk in jail during the International Military Tribunal trial of war criminals at Nuremberg.jpg

10月、新たな捕虜がニュルンベルクにやって来ます。その名はルドルフ・ヘス
英国に捕らわれていた間に2度の自殺未遂を起こし・・、
1回目は階段の手すりから身を躍らすも、階下に無様に着地して左腿の3ヵ所を骨折。
2回目は胸にパン切りナイフを突き刺し、「見ろ!自分の心臓を刺したぞ」。
しかし、なまくら凶器ではわずかに二針縫う怪我をしただけ・・。

そしてゲーリングと久々の対面を果たしても・・、
ゲーリング:「私を知らないのか?私のことがわからないのか?」
ヘス:「個人的には知りませんが、名前は覚えています」

Rudolf Heß.jpg

こうしてゲーリングは「ヘスは完全に狂ってる」と断言し、
アンドラス所長は「イカサマ野郎」という見解。
そしてケリーは、長い間記憶喪失のフリをしているうちに、自分でもそう信じ込んでしまった・・と。

ケリーが好意的な印象を抱いた捕虜はデーニッツです。
友好的だが、距離を置き、鋭いユーモアのセンスを見せ、鬱の形跡はまったくなし。
英語力の向上に余念がなく、詩を読み、知性で感銘を与えます。
アンドラスに提出した精神分析報告書では、
「もっともバランスのとれた人格で、独創力、想像力、よい精神生活に恵まれた男。
後継者に彼を選ぶとは、ヒトラーはいい判断をした。
デーニッツには間違いなく指導者としての資質があり、適任だった」と断言。

Hermann Göring, Alfred Rosenberg, Baldur von Schirach and Karl Dönitz.jpg

「安楽死の仕事は無理強いされたのだ」と面談でおどおど抗議した内気で小柄なコンティ医師
シャツの袖を首と窓の格子に巻き付けて自殺してしまいます。
続いて恐れていた事態、精神的に不安定だったライも便器に腰掛けたまま窒息死
「脚は伸びたまま硬直し、顔は赤カブのように真っ赤で、眼は飛び出していた」。
この大失態に所長は監視体制を強化します。
各独房に1人の看守を置き、24時間の監視体制です。
そして次に自殺の恐れがあるのはメソメソしているカルテンブルンナー。

Prison cell block, Nuremberg, 1946.jpg

この頃、ケリーの通訳に代わってやって来たのがオーストリア系ユダヤ人のギルバート中尉です。
彼は単なる通訳ではなく、心理学者として勤務することを認められますが、
年下で階級が上のケリーとは合わないのか、1人で収容所内を歩き回り、捕虜と面談も・・。
自分がユダヤ人であることを告げ、故意に敵意を現すギルバートに対し、パーペンは嫌悪を抱き、
ゲーリングもケリーを好みます。そしてケリーとギルバートには意見交換や協調性もありません。

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裁判が近づき、「絞首刑になることは分かっている。準備はできている。
たが、私はなんとしても、偉大な人物としてドイツの歴史に残る。
もし法廷を納得させることができなくても・・・」と語るゲーリング。

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そして195ページから裁判の様子が描かれます。
ジャクソン検事とゲーリングの対決、解放された強制収容所のフィルム上映など、
過去に紹介したエピソードなので割愛しますが、1946年1月、
ケリーは自分の仕事は終わったと考え、カリフォルニアの家族の元へ帰るのでした。
彼の後任でやって来たのは「ニュルンベルク・インタビュー」のゴールデンソーンです。

判決が近づくと、ようやく待ちに待った家族との面会が許可されます。
エミーも娘を連れてやって来て、エッダの姿を見たゲーリングは感極まって泣き出すのです。
「大きくなったな・・」。
東京裁判」にあった重光元外相の手向けの句を思い出しますねぇ。
そして死刑執行前日に、青酸カリを飲み下したゲーリング。。

Goering_fam.jpg

米国で講義の準備をしていたケリーはその前日、報道陣に対して、
「ゲーリングは最期も立派に振る舞うはずだ。絞首台で彼が気弱になることはありえない」
と語っただけに自殺はショックです。
賞賛せずにはいられない指導者、彼にとって重要な患者であり、調査対象であり、
さまざまな形で結びついた友人の死・・。

一足早く帰国していたケリーは、「ニュルンベルクの二十二の独房」という本を書き上げますが、
出版はわずか300ドルでの契約。本で儲からないことがわかると、
その後、精神科医として活躍し、TV番組にも出演。

22 Cells in Nuremberg.jpg

ギルバートも後発で「ニュルンベルク日記」を出版。この本についてシュペーア
「驚くべき客観性で刑務所内の雰囲気を再現しており、彼の診断は概ね正確でフェアなものだ」。

Nuremberg-Diary_Gustave Gilbert.jpg

1952年になってある抗議の手紙を受け取ったケリー。
それは「ニュルンベルクの二十二の独房」に書かれた女性からのもので、
彼女の名はクリスタ・シュレーダー。ヒトラーの元秘書のひとりです。
曰く、ケリーが彼女との対話は出版物には使わないという約束を破ったこと、
「40代後半の未婚女性であり、中背で、ずんぐりとした体形、だらしがなく・・」
という記述は、不正確で、思いやりがない・・というものです。
彼女に言わせれば、「6ヶ月も収監されていて女性が身だしなみを整えるのは不可能だ」。
身長は170㎝、もっとも重要なことは、当時、38歳だったということでしょうか??

Christa Schroeder.jpg

ケリーが45歳のとき、仕事上でのプレッシャー、内面の腹立ちと失望、結婚生活の不和、
いろいろなストレスが重なった結果か、家族の前でゲーリングと同じ行為、
すなわち青酸カリのカプセルを飲み下して絶命・・。
ゲーリングとは彼にとって、彼の心中で、いったいどんな存在だったのか??

Douglas M. Kelley teaching, circa 1955_HG.jpg

本書の主役はあくまでケリーであり、ナチス幹部は研究対象でしかありませんが、
表紙のハーケンクロイツの中がゲーリングであるように、彼らもタップリと書かれています。
ゲーリングを「6」とするなら、ヘスが「2」、ライが「1」、その他「1」といった割合でしょうか。

まぁ、精神分析っていうのも難しいものですね。
本書でもケリーとギルバートでは分析結果に違いが出ますし、対象者の各被告も
話しやすい好きな分析官か、そうでないかによって態度と発言も変わるわけです。
それでも特にゲーリングの当初の楽観的な考え方が徐々に変化していく過程、
現存するナチNo.1だという己のプライドを守るために裁判に挑んでいったという見解は
個人的に納得いくもので、後任の精神分析官ゴールデンソーン少佐の
ニュルンベルク・インタビュー」を再読、比較してみたくなりました。








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