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炎と闇の帝国 ゲッベルスとその妻マクダ [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

前川 道介 著の「炎と闇の帝国」を読破しました。

小復活と同時にTwitterを始めまして、「第三帝国~今日は何の日~」というのを
フォローしているんですが、4月20日以降、総統ブンカーの最期の日が細かく呟かれました。
当然、そこにはゲッベルス夫妻と可哀そうな子供たちのツイートも・・。
本書はすでに読んだことのある気がしていましたが、「ヒトラーをめぐる女性たち」と、 
「ナチスの女たち -秘められた愛-」の2回で、読んでみたい・・と書いていただけでした。
そこで今回、1995年、302ページの綺麗な古書をゲットして、
久しぶりのナチ幹部モノを楽しんでみたいと思います。

炎と闇の帝国2.jpg

第1章は「ヨーゼフ・ゲッベルス・・暗い青春」から。。
1897年生まれで、10歳の時の手術の結果、右脚が左脚より10㎝ほども短くなり、一生義足。
勉強のできる優等生になったものの、ダンスで知り合った少女たちの噂話に興じている
同級生たちに煮えたぎるような嫉妬美貌を覚え、自分を見下し、仲間外れにした悪童たちの
一挙一動を観察して、チャンスがあれば、その弱点を徹底的かつ執拗にあげつらい、
教室の晒し者にするか、教師にその生徒の校則違反をチクって、処罰させるという、
まあ、ドコの学校に必ず一人は居そうなヒネクレ少年ですね。
本書は所々に、「12歳のゲッベルス」といった具合で写真が掲載されています。

Joseph Goebbels in 1910.jpg

第2章は「マクダ・リッチェル」の章で、彼女は1901年生まれ。
わざわざ「ゲッベルスも彼女もさそり座の生まれである」と書かれてますが、
コレはどういう意味でしょう??
ヴィトゲンシュタインも「さそり座」ですから、軽くdisられてるような気分になりました・・。

3歳のときに両親は離婚、若い母は富裕な革皮卸商のユダヤ人と再婚。
彼女はお嬢さん学校で成長していきます。
この後、ゲッベルスとマグダの章が交互に出てくることに。
ちなみに"Magda" は本書では「マクダ」ですが、このBlogでは「マグダ」と書いてきましたので、
そのまま継続して「マグダ」で進めたいと思います。

MAGDA GOEBBELS1.jpg

1917年にボン大学に入学し、ドイツ文学を専攻するゲッベルス。
二学期だけでフライブルク大学へと移り、ここでミスに選ばれたアンカの心を射止めることに成功。
他の連中を出し抜いて良家の娘を征服したことは、肉体的コンプレックスの払拭に役立ちますが
ゲッベルスの尋常ではない自己愛、富裕階級に対するヒガミにアンカは耐えきれず・・。

Anka Stalherm.jpg

首尾よく、「ドクトル」の称号を受けることができたゲッベルス。
ジャーナリストを志し、「ベルリン日刊新聞」の名編集長テオドール・ヴォルフに宛てて、
50篇もの投稿を行うも、すべてボツ・・。
この恨みから後年、ユダヤ人ヴォルフの新聞を発行停止にし、
ヴォルフは強制収容所で命を落とすことになるのでした。

Joseph Goebbels with classmates in 1916.jpg

挫折した彼は1924年、ヒトラーがランツベルクの牢に繋がれ、ナチ党が禁止にになったことで
グレゴール・シュトラッサーが隠れ蓑としてつくった「国民自由党」の集会に参加するようになり、
"小男のドクトル"の雄弁ぶりは次第に有名に、論説や演説にも力を入れ出します。

マグダは37歳にして頭の禿げあがった会社社長、ギュンター・クヴァントに言い寄られて結婚。
先妻の2人の男の子の若い母親となり、1921年にはハラルトを出産。
やがて歳の離れた夫との性格の不一致もあって、離婚を選ぶのでした。

G_nther_Quandt.jpg

遂にヒトラーと対面することになったゲッベルス。本書では紹介したのはカール・カウフマンだとし、
また、シュトラッサーが発行していた機関誌「国家社会主義通信」の編集も任せられます。
この機関誌の編集をそれまでやっていたのは、後のSS全国指導者ヒムラーで、
いきなり、新参者のゲッベルスに職場を逐われたわけですね。。 
そして党内派閥争いでヒトラーが主導権を握るようになると、シュトラッサーとは疎遠となり、
ベルリンの大管区指導者に大抜擢されるのでした。時にゲッベルス28歳。

1926 Gregor Strasser, Joseph Goebbels und Viktor Lutze.jpg

1920年代のベルリンは「赤いベルリン」と異名をとるほどに共産党の勢力下にあり、
その党員数は10万人。一方でミュンヘンが本拠のナチ党はココではわずか1000人です。
3マルクの党費を払ってない党員を片っ端からやめさせて、600人ほどの精鋭を残し、
党の存在を知らしめるために突撃隊(SA)を使って共産党に殴り込みをかけ、
乱闘騒ぎで各新聞に大きく取り上げられよう・・というのがゲッベルスの戦術です。
その結果、90名の負傷者を出しますが、3000人の入党希望者がやって来るのでした。

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ゲッベルスの肝いりで発行された「攻撃(デア・アングリフ)」も、当初は全ての面で泥臭く、
活字の詰まった鼻紙といわれるほどですが、徐々に洗練され、朝刊、夕刊を出す大新聞に。
そんな旺盛な足の悪い小男の演説を見たマグダは感銘を受けてしまうのです。
早速入党した上流階級出身で美人の彼女はガウライター・ゲッベルスの秘書に任命され、
自分が「いかに切れる男であるか」を見せることを楽しむゲッベルスに対し、
襟の大きな背広をやめさせ、上等なワイシャツに格好良くオールバックにするよう勧めるマグダ。
こうして、あっと言う間に、2人は同棲することに・・。

Dr.goebbels vor dem radio.jpg

最愛の姪、ゲリを亡くし、女性に興味を失っていたヒトラーも、美人のマグダには一目を置きます。
しかし総統に会わせてくれたお礼にと、マグダの自宅に招待された件をヒトラーに報告する3人。
べろべろに酔っ払ったユリウス・シャウプゼップ・ディートリッヒユリウス・シュレックの前に、
突然、ゲッベルスが姿を現したことで、「なんだ、もうデキてるんじゃないか」。
3人衆の下卑た笑い声に、ヒトラーの顔はこわばるのでした・・。

Joseph Goebbels Geli Raubal adolf hitler.jpg

興味深かった話ではゲッベルスもヒトラー同様に眼が悪く、大きな文字で打ったタイプを
好んでいたそうで、そのヒトラーが眼鏡をかけた写真はあるものの、
ゲッベルスのメガネ姿の写真は一枚も存在しないということです。
確かに見たことないなぁ。グラサン姿ならありますけどね。
逆にメガネ無しのヒムラーも見てみたい。。

Glasses hitler.jpg

1930年代入り、ナチ党が第二党になると、総選挙でゲッベルスも活躍します。
反戦平和主義文学の「西部戦線異状なし」がハリウッド映画として公開されると、
ゲッベルスは映画館へデモをかけ、館内でハツカネズミを放って上映中止に追い込んだり、
逆にヒトラー演説の映画を各市町村で上映させ、有権者へレコードを送り付けたり、
「ドイツの上なるヒトラー」のスローガンを掲げて、Ju-52をチャーターし、
西欧の政治家の誰もがやったことのない飛行機による選挙戦全国遊説も編み出します。

hitler ju52.jpg

そんな働きから自分には国務大臣の椅子が・・と考えていたゲッベルスですが、
ゲーリングが無任所大臣、フリックが内相、かねてから軽蔑していたルストまでが
プロイセン州の文化相に任じられると、スッカリ無視されたことに大激怒。
しかし、新たに「国民啓蒙宣伝省」が誕生してさらに辣腕をふるい、最初に「国民の日」、
ヒンデンブルクとヒトラーが礼拝式に出席し、恭しく握手を交わす壮麗な儀式を演出。

Hindenburg hitler 1933.jpg

その模様は全国に実況中継され、アナウンサーを務めたのはナチ党公認詩人であり、
後のヒトラー・ユーゲント指導者のフォン・シーラッハ
感激屋の彼は放送中にしばしば感極まって絶句し、嗚咽の声を漏らすのでした。。

baldur-von-schirach.jpg

第13章は「第三帝国紳士録」と題して、ゲーリング、ヘス、ヒムラー、リッベントロップボルマン
シュトライヒャーレームハイドリヒコッホと写真付きで紹介します。

Himmler and Goebbels.jpg

基本的にはゲッベルスと彼らの関係・・、もっともほとんど不仲と憎悪の関係であるわけですが、
この男もサディストだった・・として登場するのはロベルト・ライ
『俺の女房の肉体美を拝ませてやる』と言って、綺麗なインゲさんの服をいきなり引き裂いたり、
いつか夫に殺されると脅えていた彼女が、本当にライに撃たれて死んだという酷い話が・・。
まぁ、自殺説もあるんですけど、いずれにしても可哀そうな女性です。

Inga.jpg

1932年、夫妻の間に長女ヘルガが誕生。1年半後には次女ヒルデが・・。
マグダは夫とベッドを共にすると必ず妊娠するとこぼすほど多産な体質ですが、
産めよ殖やせよ」がスローガンですから、宣伝相の妻としては申し分ありません。
1935年には念願の男の子、ヘルムートが生まれて狂喜乱舞するゲッベルス。

Hilde (left), Helmut (center), and Helga (right).jpg

ヒトラーも度々訪れる私邸や別荘の買い増しは国家からの提供という形を良しとしますが、
こと生活費に関してはヒムラーと同様、給料のみで、借金するほど厳格です。
ブルガリア国王のボリス3世や、ウィンザー公が突然訪問・・となると、
慌てたマグダはお菓子でもてなすことしかできず、見栄を傷つけられた旦那さまは、
自分のケチを棚に上げて、ネチネチとマグダを叱るのでした。

The Duke of Windsor chats to Hitler's propaganda chief Joseph Goebbels at a party in Berlin.jpg

そして若い女性がヒトラーに熱狂したように、爬虫類のような顔をしたゲッベルスにもまた、
多くの女性が魅きつけられ、一目見ようと集まってくるのです。
となると、模範的家長を演じるフラストレーションも要因となって、マグダの目を盗んでは、
若い女性の肉体を追い求めることになり、大好きな映画業界も取り仕切った彼は、
いい役を貰おうとする駆け出しの女優を次々に・・。

Joseph Goebbels.jpg

有名なのはチェコ出身のエキゾチックな若手女優リダ・バーロヴァで、その手口は演説直前に
接吻の嵐をお見舞いし、ハンカチで口紅を拭き取りながら、「君にだけ話しかけるからね」。
そして演説中にリダの顔を注視し、先ほどのハンカチで口を拭うという秘密の合図を送るのです。
いや~、イヤラシイやっちゃなぁ・・。変な鳥肌が立ったわ・・!
彼女との関係を赤裸々に、やがて本物の愛だとして、マグダに離婚を求めるまでにエスカレート。

lida baarova Goebbels.jpg

マグダから亭主の乱心の相談を受けたヒトラーは、次の日、問題の亭主を召喚します。
覚悟を決めて現れたゲッベルスは、どれだけ努力してもこれ以上結婚生活は続けられない。
大臣職から身を引き、大使として東京へ転出させて欲しいと訴えます。
しかしヒトラーの答えは「No」。
娼婦と結婚して国防大臣の椅子を棒に振ったブロムベルクの二の舞は許さん!というわけで、
泣く泣くリダに別れの電話をかけることになりますが、その立会人はゲーリング・・。
相談を受けていた彼は、大嫌いな小男を葬る絶好のチャンスとほくそ笑んでいたのでした。

Goebbels,Himmler,Hess,Hitler, Werner von Blomberg.jpg

1938年のこの不倫問題。日本の新聞にも顔写真つきで紹介されたほどのゲッベルスが
駐日ドイツ大使になっていたらと考えると面白いですね。ゾルゲとの関係や如何に・・?

1940年10月、ゲッベルス43歳の誕生日には末っ子の5女ハイデが生まれます。
そういえば本書では触れられていませんが、1938年制定の「母親十字章」の
初受章者はマグダ・・という説があり、その年に四女ヘッダが生まれ、前夫との子を入れると
6人目を産み育てていることへの、ヒトラーなりの賞賛の意味合いが強かったように思います。
もちろん、子だくさんを激励する新しい勲章ですから、
ナチス宣伝大臣の妻に授与することは大いに宣伝効果もありますね。

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男女関係だけではなく、あの「水晶の夜」や「退廃芸術展」などにも触れながら進んでいきます。
ベルリン・オリンピック開催時、ゲッベルス主催の大規模な夏祭に偽造入場券で紛れ込み、
酔っ払って大騒ぎする下級SSとSA隊員を鎮めるよう部下に指示するも、
荒くれ者の彼らが宣伝省の事務屋の叱責に甘んじるわけもなく、逆に修羅場に・・。

しかし徐々にゲッベルスがヒトラーから冷たい扱いを受け始めると、
マグダも取り巻きたちのせいだと考えるようになり、その筆頭はボルマン、そしてDr.モレルなど。
一方の味方といえばシュペーアにシャウプ、ブリュックナーリンゲケンプカです。
レーベンスボルンについて得々と、「ここの子どもたちは国家が育てるのだ」と語るヒトラー。
「そんな残酷な。どんな優れた国家だろうと、親の代わりは務まりません」とマグダは反対も。

Magda Htler Helga Goebbels Bouhler.jpg

戦争が始まっても「全知全能のヒトラー」を宣伝するのは楽しくて仕方がない仕事。
しかしそれはドイツ国民に対してのみゲッベルスが行えることで、
戦局については国防軍総司令部が発表の権限を、国外への宣伝の一部は不倶戴天のライバル
リッベントロップにその権限が与えられていることがゲッベルスには面白くないのです。
あ~、リッベントロップはリッベントロップで、ゲッベルスに先を越された・・と怒ってましたっけ。。

Ribbentrop  Goebbels.jpg

独ソ戦も2年目を迎え、戦局も悪化。と、ここでヒトラー・ジョークがいくつか出てきました。

ヒトラーと太陽はどこが違う?
太陽は東から昇り、ヒトラーは東に沈む

一番短いジョークは?
われわれは勝つ!

ゲッベルス邸には若い女性家庭教師がおり、戦後、彼女が当時のことを唯一語った相手は、
大統領官房長のマイスナーの作家の息子だけであり、彼の書いた「マグダ・ゲッベルス」から
ゲッベルス家の生活の様子と、6人の子供たち各々の性格も紹介。興味深かったですね。

Rommel Magda Goebbels with children.jpg

本土ではケルンに続き、ハンブルクが英爆撃機軍団によって壊滅的な被害を受けると、
捕虜のパイロットを銃殺し、サリンなどの毒ガス使用をヒトラーに進言するゲッベルス。
しかし報復をおそれた空軍高官の反対でうやむやに・・。

女たちの争いも紹介されます。
ヒトラーが囲うエヴァ・ブラウンとは、最初から一触即発の仲・・。
第三帝国の公式なファースト・レディは、No.2ゲーリングの妻エミーです。
しかしエミーが側近婦人や女性秘書たちを招いた際、エヴァを「招き忘れた」ことで
ヒトラーの怒りに触れ、旦那の空軍の不信も手伝って、ヒトラーとの関係は冷えていくのです。
うぇ~、旦那同士がアレだし、奥さん同士の楽しげな視線も妙に不気味に見えます。。

Goebbels Magda with Göring and Emmy.jpg

1944年には「ヒトラー暗殺未遂事件」が起こり、ベルリンではゲッベルスが反乱を鎮圧
1945年1月、5年ぶりにゲッベルス邸へやって来たヒトラー。
子供たちは晴れ着を着て、花束でアドルフおじさんを歓迎します。

次に会ったのは4月22日、ゲッベルス一家は総統ブンカーで過ごすことを決め、
「ベルリンで最後の決戦が行われる。総統は留まられる。私も妻子と共に留まる」とラジオで発表。
ヒトラーは安全な南方に避難するようマグダに勧めますが、彼女の意志は固く、
前夫がスイスに逃げられるよう手はずを整えても、キッパリ断るのです。
あ~、この辺りは「ベルリン戦争」にあったナチス幹部が南部へ逃げたり、自殺したりしているなか
敢然と立ちあがったこの男を皆が見直した・・っていう話ですね。

joseph-goebbels-getty 1.jpg

すでに道連れになることが決定している子供たち。13歳になった長女ヘルガは
「戦争に負けるの?」と質問するほど、その雰囲気を察しているのです。
ここからは映画「ヒトラー 最期の12日間」そのままのような展開で進み、
ハンナ・ライチュが子供たちに冒険談を聞かせ、彼女が去る際には、クレタ島、
モンテ・カッシーノで戦い、捕虜となっている降下猟兵の長男ハラルトに宛てた手紙を託し、
そのゲッベルス夫妻が別々に書いた手紙も全文紹介。

goebbels family.jpg

5月1日、6人の子供を毒殺して、ゲッベルス夫妻は中庭で青酸カリのカプセルを噛み砕くと
同時に命ぜられていたSS兵士が背後から射殺。映画とは違う最期ですね。
そして翌日、黒焦げの遺体をソ連軍が発見。本書もその写真で終わります。

mortgoebbels.jpg

3日かけて独破しましたが、まぁ、率直に言って面白かったですね。
理由はいろいろとあります。まず、著者が日本人であることで理解しやすい点、
過去にココでも紹介した「日記」やナチス本の数々が参考文献として挙がっていること、
もちろん未翻訳文献もありますが、エピソードによっては複数存在する"説"、
"証言"にもキチンと触れ、著者の思い込みによるゲッベルス夫妻像とはなっておらず、
第三帝国の裏表をちょっと覗いてみたい・という女性でも楽しめると感じました。

それにしても、エヴァを筆頭にナチスの女性モノもソコソコ読んできましたが、
熾烈を極めた「第三帝国のファースト・レディ争い」をまとめた本を読んでみたいですねぇ。
「大奥」みたいというか、最近のドラマ「マザー・ゲーム〜彼女たちの階級〜」でもあるような、
主婦たちの友情と葛藤を描いたヒューマンドラマという雰囲気で・・。



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