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日本本土決戦 知られざる国民義勇戦闘隊の全貌 [日本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

藤田 昌雄 著の「日本本土決戦」を読破しました。

日本軍がメインではない独破戦線ですが、3月に出たばかりの本書は妙に気になりました。
このタイトルと副題の「国民義勇戦闘隊」、思い出すのはベルリン最終戦国民突撃隊です。
何度となく紹介したこの2つに関する悲惨な戦争と同じようなことが日本で行われていたら、
老若男女が根こそぎ戦闘に駆り出されていたら・・。
人間機雷「伏龍」特攻隊」でも、地雷を背負って戦車の下に飛び込む「もぐら特攻」や、
米軍上陸の可能性がある全国各地で行われていたという訓練の様子にも触れられてましたから、
そのような訓練課程と、兵器、戦術について勉強してみたいと思います。

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「プロローグ」では、この馴染みのない国民義勇戦闘隊について簡単に説明します。
昭和19年末に「本土決戦」の準備を始めた日本と、陸海軍の防衛部隊編成。
その後方支援を目的として全国民を組織化した「国民義勇隊」の編制が開始され、
いざ敵上陸となれば、国民義勇隊をベースとした戦闘組織、「国民義勇戦闘隊」が登場。
そして総員2800万名にのぼるというこの国民義勇戦闘隊の編成が始まったところで終戦・・。

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第1部「本土決戦体制」では前途の件を詳細に解説し、
陸海軍の予備人員である在郷軍人から、昭和17年に「防空招集」として近郊の防空部隊へ増員、
しかし昭和19年10月には対象者の枯渇から、招集対象が17歳~45歳と広げられます。
もうひとつ「警備招集」というのもあり、これは正規軍未配備地域と、空襲激化に備えた
主要都市の混乱防止と警備を行う警備隊。
このような部隊と編制が一覧表を用いて細かく紹介されます。

その他の組織として3つの婦人会を統合した「大日本婦人会」や、統合された「大日本青少年団」、
そして女性隊員もいた「防空監視隊」、「満蒙開拓団」の国内版という少年たちによる
「食料増産隊」が写真とともに紹介。250枚の写真を掲載しているとのことです。
下の写真は鈴木貫太郎首相の見つめる中、官邸の中庭まで農地する食料増産隊(東京大隊)。
そういえば後楽園球場や不忍池も、畑になったなんて話を聞きましたね。

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本土決戦の戦闘構想は、敵の爆撃および艦砲射撃に徹底した偽装と築城で被害を避け、
敵輸送船に対する空中、水上、水中からの特攻により、可能な限り、敵兵力を洋上で撃破。
上陸した敵には堅固な沿岸陣地と、挺身斬込による「拘束部隊」が食い止め、
その間に内陸部で待機していた「決戦機動兵団」が上陸地点へ殺到して、水際で撃滅する・・。

う~む。。まるで連合軍のノルマンディ上陸に対するドイツ軍のようですね。

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また陸軍は、これまで僅少な兵力の島々の「守備隊」が、圧倒的な物量を持つ敵に対抗して
玉砕戦闘を行ってきた反面、大規模兵団同士の戦闘はなく、大兵力を擁する本土決戦では
逆に長大な兵站線を保持する敵侵攻軍に対して、逆の立場で有利な戦闘が出来ると判断。

先日、原作を読んで初めて観た映画「日本のいちばん長い日」でも、
世界のミフネ演じる阿南陸軍大臣が海軍大臣と激論を交わし、
「陸軍は小さな島々で戦ってきたに過ぎん。まだ大兵力を用いた決戦を行っておらん!」
と、本土決戦での勝機を訴えるシーンがありましたねぇ。
原作本も映画も、どちらもオススメです。

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第2部は本土決戦の際の国民統制組織として、昭和20年3月に閣議決定された「国民義勇隊」。
主任務は食糧増産、輸送支援、災害復旧、陣地構築など・・。
あわせて既存の国民勤労協力令や、女子勤労挺身令などが統合され、
「国民勤労動員令」が施行されます。
読売新聞、朝日新聞に掲載された記事の他に、
ココでは、昭和20年撮影の「女子挺身隊による戦車製造の状況」写真が何とも言えません。

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国民義勇隊は男女別に編成され、「男子隊」は国民学校初等科修了以上~65歳以下。
「女子隊」の場合は上限が45歳以下で、病弱者や妊婦などは除外、
もちろん非該当者でも志願することは可能ですから、
旦那と息子を失ったお婆ちゃんが「鬼畜米英!」と叫んで志願したかも知れませんね。

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昭和20年3月29日の朝日新聞には、国民義勇隊の編制以前に、民間レベルでの義勇隊が
存在したことが記されていると掲載していますが、まぁ、見出しがヒドいですなぁ。
「合言葉は一人十殺 竹槍なくば唐手で 老幼も起つ沖縄県民」
「討つぞ盲爆の仇 敵百万・引受ける覚悟」

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途中、「在郷軍人会徽章」の写真が出てましたが、本来の金属製ではなく、
「織出」と呼ばれる布製のレア物・・。戦争末期は悲しいほど物資不足ですね。
勲章徽章類好きなので、ちょっと調べてみましたが、
数多く現存する金属製よりも、市場ではレアな布製の方が3倍ほどもお高くなってました。

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第4部はいよいよ昭和20年4月に閣議決定された「国民義勇戦闘隊」です。
義勇兵役法や、施行規則が数ページに渡って詳細に書かれていますが、
「服装規定」を抜粋しましょう。
「隊員各自が私服を着用するとともに、階級章等はなく、唯一、戦闘隊員と一般国民との
識別のために胸右部に『戰』と書かれた縦6センチ、幅7センチの白布製の徽章をつける。
また役職等があるものは腕章を着用する」。

編成形態についても詳しく、最大単位は各都道府県の市や郡の国民義勇隊本部隷下に
「聯合義勇戦闘隊」として編成。「義勇戦闘隊」は1000人規模の大隊、
「義勇戦闘戦隊」は中隊規模、「義勇戦闘区隊」は小隊規模、
10数名の隊員と隊長らで編成された「「義勇戦闘分隊」が最小単位となります。

そして6月、内閣情報局が国民義勇隊の士気高揚を目的とし、「国民義勇隊の歌」を発表。
本書には楽譜と歌詞が掲載されていますが、ちょっくら聴いてみました。
そんなに悪い曲調とメロディーじゃないですね。この末期の歌は悲壮感があったりしますけど・・。



3番の歌詞だけ・・

命下りたり 大八洲
屍越えて われ征かん
撃て おそひ來る宿敵を
怒りに冴ゆる日本刀
われらは國民義勇隊

国民義勇戦闘隊に類似した組織として紹介されるのは、やっぱりドイツの「国民突撃隊」。
招集年齢は男子のみ、16歳~60歳で、総兵力は600万名と写真付き。

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もうひとつの組織は1940年5月に編成された英国の地域防衛義勇隊「ホーム・ガード」です。
こちらはそれほど知られていませんが、フランスが電撃戦で侵攻され、
大陸派遣軍がダンケルクから這う這うの体で帰ってくると、
今にもドイツ軍がドーヴァー海峡を渡ってきたり、パラシュート降下して来るのでは?? と
幻となった「あしか作戦」を恐れて編成されたんですね。

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第5部は「学徒の戦力化と国民闘力錬成」で、学徒義勇戦闘隊のための
戦闘訓練を含んだ体力錬成の要領を紹介し、
女子も含めた国民闘力錬成要領では具体的な運動項目も・・。
女の子でも手榴弾投擲訓練やってたんですねぇ。
このあたりは「帝国日本とスポーツ」を彷彿とさせます。

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第6部はメインとなる「国民義勇戦闘隊のマニュアルと武器」。
竹槍訓練マニュアルは昭和17年に登場したものの、
昭和20年4月には国民義勇戦闘隊専用の本土決戦マニュアルが配布されます。
その名も「国民抗戦必携」です。
新聞にも連載されたこのゲリラ戦マニュアルは表紙もなかなか強烈で、
国民服姿の日本人が米兵の喉元に刃物を突きつける・・というもの。

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本書では配布された冊子版ではなく、新聞掲載版全8回の全文をイラスト共に解説。
しかし第1回が「恐れずに敵戦車に肉薄」っていうのも容赦ないなぁ。
内容はM4中戦車(シャーマン)、M1重戦車(M26のプロトタイプに日本軍が付けた名称)に対し、
爆雷や火炎瓶を用い、天蓋や背面、履帯を攻撃する方法が詳しく述べられています。
終いには「また進行前面へ7㌔の急造爆雷を抱えて飛び込むのも適切な攻撃法である」。
コレ・・早い話、死ねって言ってますよね。。

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第2回の「練磨の挺身攻撃」では、高所から車背目掛けて叩きつける「フトン爆雷」なるものに、
「刺突爆雷」という新兵器も登場。戦車側面に突き刺すと爆発するそうで、
モンロー効果とあるので、構造的には「飛ばないパンツァーファウスト」って感じでしょうか??
ただ「銃剣の如く戦車を串刺しにする意気込みで突っ込め」って書いてあっても、
その瞬間に爆発するから、やっぱり「必死」ですな・・。

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第3回は「われらの必殺戦法」。
「挺身斬込みこそ皇軍が世界に誇る戦闘様式の精華だ」と始まるこの回は、
狙撃と手榴弾に続き、「白兵戦闘、格闘」について述べられます。
「上背のあるヤンキー共には突きが一番だ」と、鎌や出刃包丁でも挑むのです。

と、まあ、こんな感じで8回続きますが、完全に「赤軍ゲリラ・マニュアル」のような展開です。
そして図入り、絵入りの築城マニュアルである「国民築城必携」も全32ページ掲載。

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全国の武道家有志が結成した「振武義勇隊」は斬込訓練を施しただけでなく、
国民義勇戦闘隊の「斬込隊」の中核になる組織でもあったそうで、
その戦闘マニュアルは「米鬼必殺剣-斬込刀法」。。もはや時代劇のタイトルだな・・。
達人たちですから、上背のあるヤンキー共には突きが・・なんて野暮なことは言いません。
「日本刀を用いた斬込は、第一撃でつねに斜め左下から右上に斬り上げ(逆袈裟掛け)、
第二撃で斜め右上から左下に斬り下げ(本袈裟掛け)、
第三撃で斬り下げた力を利用してトドメの突きを心臓に加え、
第四撃で刀を引き抜く動作である」。

米軍もこんな「サムライ」みたいな連中が飛び出して来たらビビるかもしれませんね。
「戦国自衛隊」の千葉ちゃんみたいな・・。

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そして武器の数々・・。
といっても「国民義勇戦闘隊」は被服を含めて原則、自己調達。。
竹槍に私物の日本刀や猟銃、鎌、鍬などの農機具に、スコップなどの土木工具。
ただし、銃身が鉄パイプで、古式銃と同一の簡単な撃発装置が付けられた「簡易国民小銃」や、
「簡易国民拳銃」の開発も始まっていたようです。

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各部隊では「自活兵器」として、急造手榴弾を作成。
しかし物資不足から「陶製手榴弾」も多く作られます。
パイナップル型は京焼と備前焼の陸軍製、丸型は有田焼、信楽焼きの海軍製です。

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続いての武器は「弓矢」。
弓道部員の学徒は引っ張りだこになりそうですが、手作りのボーガン・スタイルもあり、
矢の先端に爆薬を設置した「爆矢」まで作られていますね。

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打撃用兵器としては、各種「打撃棒」シリーズが・・。
打撃効果向上のために鉄パイプで強化した棍棒やら、
バットや木刀には打撃効果向上のために釘を打ちつけると。まさにコレで鬼に金棒。。

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最後の第7部では、沖縄と樺太での義勇隊の戦いの様子を・・。
特に伊江島の戦いでは、断髪して軍服を着用した「婦人協力隊」隊長の大城ハルと、
「女子救護隊」隊長、永山ハルら5名が爆雷を持って米軍戦車へ突入して散華した・・と。

沖縄には少年たちによる「鉄血勤皇隊」なんかもありましたからねぇ。

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335ページの本書は、基本的に一次史料の掲載と、それについての解説という流れであり、
資料を基にした読んで楽しいストーリー展開はありません。
ですから、退屈だと思う方もいれば、事実のみを知りたい方には良いのかもしれません。

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個人的には本土決戦に至らなくて正解だったと思いますけれど、
歴史として見て、どうせ負け戦だとか、物量的にも勝てるわけがないなどと言うのは簡単ですが、
自分の街が占領されそうになったら、それが命令であっても人々は武器を取るんですね。
ドイツの「国民突撃隊」しかり、英国の「ホーム・ガード」しかり、
またドイツの婦人補助部隊に、連合国にも各婦人部隊が存在。
ソ連でも各地で市民が抵抗を示した例が数多くあります。
その一例として「レニングラード封鎖」でもこんな記述がありました。

迫りくるマンシュタインの装甲軍団に対し、レニングラードの党第1書記、ジダーノフは
8月20日、女性や10代の若者を含む、義勇兵大隊の創設を決めて次のように宣言します。
「義勇軍は猟銃、手製爆発物、各博物館所蔵のサーベルと短剣で武装される」。







タグ:国民突撃隊
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