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フルシチョフ秘密報告「スターリン批判」 [ロシア]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

志水 速雄 全訳解説の「フルシチョフ秘密報告「スターリン批判」」を読破しました。

これまでソ連ものや、スターリンものを読んでいると、必ずと言っていいほど出てくるのが、
戦後のフルシチョフの発言でした。
回想録も知られていますが、有名なのがこのスターリンが死んだ3年後の1956年、
第20回党大会で突如スターリンに対する批判を行った「秘密報告」です。
最近も「共産主婦」、「誰がキーロフを殺したのか」にも出てきましたし、
1977年という古い文庫ですが、218ページとお手頃なボリュームなので、
ちょっくらお勉強してみます。

フルシチョフ秘密報告.jpg

「はしがき」では本書はロシア語テキストからの本邦初訳かつ、全文翻訳であることなどが
簡潔に書かれていますが、フルシチョフについての細かい説明はありません。
昭和52年当時、すでにフルシチョフは死去し、ブレジネフの時代です。
ですから、個人的にもフルシチョフについての印象はまるでありませんが、
ジュード・ロウ主演の映画「スターリングラード」に出てきた"ハゲのおっさん"といえば、
思い出される方も多いのではないでしょうか。

Enemy at the Gates_Bob Hoskins_Jude Law.jpg

「同志の皆さん!」で始まる秘密報告。
続けて、フルシチョフは冒頭でこう語ります。
「ある特定の人物を殊更に持ち上げ、その人物を神にも似た超自然的能力を持つ
超人に仕立て上げることは、マルクス=レーニン主義にとって許しがたいことであり、
また無縁のものであります」。

そして革命以前からレーニンが「党の中央委員会を集団的指導者であると呼んでいた」と述べ、
まずはスターリン批判の目的が、その独裁的指導であることが理解できます。
1922年、レーニンが党大会に宛てた手紙には、
「スターリンはあまりに粗暴である。この欠陥は仲間内の付き合いではまだ我慢できるものの、
書記長という役職にあっては許しがたいものとなる。
そこで私は、スターリンをこの地位から降ろし、他の人物に替えるよう提案する」。
コレは有名な「政治的遺書」と呼ばれるもので、何度か読んだことがあるものです。

Marx,_Engels,_Lenin,_Stalin_(1933).jpg

スターリンが作り出した「人民の敵」という概念。
どんな問題であれ、スターリンと意見が合わなかったり、敵対的行動を起こすと疑われたり、
悪評の立っている人物は「人民の敵」とされて告訴・・。
犯罪を犯したという被告自身の「自白」のみが唯一の証拠とされ、
その「自白」は肉体的拷問によって得られたものであったことも語ります。
こうして1937年~38年の「大粛清」へと進むフルシチョフ。
「第17回党大会で選ばれた中央委員会の委員と候補139名のうち98名、
すなわち70%が逮捕され、銃殺されたということであります(場内、憤激の叫び)」。

stalin.jpg

1934年のキーロフ暗殺の謎についても触れながら、トロツキスト、ジノヴィエフ派、
ブハーリン派が一掃され、党内で完全な統一が達成されると、
スターリンは中央委員や政治局員の意見さえ軽視し、
今や自分は一人ですべてのことを決定できると考えるようになったとします。

また、「大粛清」の中心人物であるNKVD長官だったエジョフの責任について・・。
「エジョフを告発するのは確かに正しいでしょう。しかし、エジョフがスターリンの承諾なしに
優れた党員を逮捕できたり、党員の運命を自分で決定できたでありましょうか。
いいえ、こういう問題を決定したのはスターリンであり、彼の命令と同意がなければ、
成し得なかったということはきわめて明瞭であります」。

voroshilov_starlin_Yezhov.jpg

いよいよフルシチョフは「大祖国戦争」について言及を始めます。
戦争初期の痛ましい結果は、1937年~41年までの「赤軍大粛清」によるものだとして、
「軍隊の規律も緩んだ」と語ります。
「数年間に渡って、党およびコムソモールに属している将校はもとより兵士でさえ、
自分の上官を隠れた敵として、その正体を"暴露"しなければならないと
吹き込まれていたからです(場内騒ぐ)」。

監獄での野蛮な拷問を生き延びた英雄的な愛国者として、ロコソフスキーの名を挙げますが、
「多くの指揮官は収容所や牢獄で死に、軍は再び迎えることができなかったのであります」。

K.K.Рокоссовский перед подъемом в воздух в корзине воздушного шара. 1944.jpg

途中まで読んで、イメージしていた「ソ連の報告書」といった堅苦しいものではなく、
荒っぽそうなフルシチョフのキャラクターが良く出た演説速記録といった趣で、
カッコ書きで「場内憤激」など、その現場に居合わせているかのような雰囲気すらあります。
通常、共産党の党大会の演説といえば、「赤軍ゲリラ・マニュアル」のスターリン演説のように 
「割れるような拍手喝采」というのが定番ですから、
このような党員のリアルなリアクションも楽しめるポイントのひとつです。

khrushchev.jpg

「軍事的天才」スターリンが、1942年のハリコフ攻防戦の時、"地球儀"で作戦を練っていた・・
というエピソードや、戦闘指導の基礎知識を欠いていたにもかかわらず、
絶えざる正面攻撃という自分の戦術実施をすることに固執したことの代償として、
多くの血を流さなければならなかったと熱く語ります。

stalin poster.jpg

大勝利の後、多くの司令官の格下げを始めたスターリンは、
功績を独り占めにしようとしたとして、特にジューコフ元帥の評価を気にします。
あるときフルシチョフに話かけたスターリン。
「君はジューコフを褒めたが、彼はそれに値しない男だ。
ジューコフは作戦を始める前にいつも土を手に取って臭いを嗅ぎ、
『攻撃を開始しようじゃないか』とか、反対に『この作戦は遂行できない』とか言うそうだ」。

Zhukov stalin.jpg

そんな大祖国戦争中には少数民族に対する弾圧が起こり、
チェチェン人やイングーシ人が根こそぎ追放になったことをフルシチョフは語ります。
「ウクライナ人がこのような運命を逃れたのは、ただ彼らの人口が多すぎて、
ウクライナ人を追放しようにも、その場所が無かったからに過ぎません。
そうでなければスターリンはきっとウクライナ人を追放していたでしょう(場内、笑いとざわめき)」。

いや~、(場内、笑い・・)というのが、ウクライナ嫌いを物語っている気がしますね。。

戦後のスターリンは以前よりも気まぐれで怒りっぽくなり、残忍に・・。
猜疑心は一層深く、その被害妄想は信じられないくらいに広がって、
彼の目に多くが敵に映ったところに登場してきたのは、
「低劣な挑発者であり、正真正銘の敵であったベリヤなのです。
彼は何千人というソヴィエト人を殺しました。
様々な噂や会話の形で証拠材料を捏造しましょう、とスターリンに申し出たのが、
このベリヤだったのです」。

Malenkov_beria.jpg

1948年に出版された「スターリン小伝」。
スターリン自身によって承認された「スターリン崇拝」本のようですが、
スターリン本人によって加筆されたとして、その部分をお披露目するフルシチョフ。

「『レーニンが戦列を離れた後、レーニンの遺訓の元に党を団結させ、
人民を工業化と農業の集団化の大道へと導いたのである。
この中核の指導者であり、党と国家の指導力こそ、同志スターリンであった。』
このように書いているのはスターリンその人なのであります!
続いて彼は次のように付け加えております。
『スターリンは、党と人民の統領としての課題を立派に果たし、
全ソヴィエト人民の支持を完全に獲得していたが、反面、自分の活動の中に、
自慢、高慢、自惚れなどの影が少しでも見えるのを許さなかった』」。

starlin poster01.jpg

この「スターリン小伝」、日本でも1953年に出版されているようです。
「天才的な洞察力をもって敵の計画を見抜き・・」と、軍事面の天才ぶりも書かれた
かなり楽しそうな自画自賛本ですが、古書価格5000円といい値段ですね。

スターリン小伝.jpg

1951年にスターリンが巨大な「スターリン像」を建てるという決議に署名し、
33トンの銅を鋳造するよう指示したことを挙げます。
その場所は戦争以来、住民が土小屋に住んでいたというスターリングラード
「レーニンを記念した「ソヴィエト宮殿」の建設はいつも後回しになって、
その案もだんだん忘れ去られてしまいました」。

starlin 24 meters.jpg

このスターリングラードの24mのスターリン像は、この後、レーニン像になったようですね。

largest monument in the world who have actually lived the man Lenin located in Krasnoarmeysk district of Volgograd..jpg

困難な農業の現状についてもスターリンはどこにも出かけず、農民とも会わず、
ただ映画を観て知っていたに過ぎなかったと説明します。
「ところが、その映画たるや、まるで食卓が七面鳥や鵞鳥の重みで壊れてしまいそうな調子で、
コルホーズの生活を美化するという代物だったのです」。
あ~、「スターリンの歌」でも、『コルホーズの野は満たされる』って歌詞が。。

晩年になると、異常な猜疑心のために古い政治局員も取り除こうとするスターリン。
「スターリンは、わが党の最長老のひとり、ヴォロシーロフが英国のスパイではないかという、
馬鹿馬鹿しい笑うべき考えに取りつかれることさえあったのです(場内笑い)。
まったくそうなんです。英国のスパイだと言うんです。
ヴォロシーロフの家には盗聴器さえ仕掛けられていたのであります(場内憤激)」。

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最後に「レーニン主義万歳!」と叫んで、フルシチョフの秘密報告は終了します。
フルシチョフ自身が「スターリン派」ではなかったか。
フルシチョフも「大粛清」に関与していたのではなかったのか。
フルシチョフ以降の最高指導者も、独裁的指導ではなかったか。
といった疑念を読んでいて持ちましたが、
146ページから50ページほど書かれた「解説」がこれらの疑問を解決してくれます。

フルシチョフの簡単な生い立ちと経歴では、彼がスターリンの右腕だった
カガノーヴィチに見込まれ、彼の指揮下で粛清を実行し、
1938年にはウクライナ共和国党第一書記に任命。
戦後は1953年にスターリンが死ぬまでモスクワ州党第一書記の地位にあったなど・・。

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この「秘密報告」は党大会中に行うべきだと、舞台裏の幹部会で議論され、
11人中、ブルガーニンら4人の支持を得、ミコヤン、マレンコフら3人が中立的態度、
ヴォロシーロフ、モロトフ、カガノーヴィチが強硬に反対したと推察しています。

そして1436人の代議員ら聴衆の前で、また、ノートを取ることも禁じられた
秘密報告会にもかかわらず、いずれ、世界中に知れ渡るだろうと読んだスターリン批判を
なぜフルシチョフが行ったのか・・?? については、
「告発者は告発されない」という論理に基づいたものとしています。
スターリンを弾劾することによって、自分は無実であることを証明したかった・・。
このとき、フルシチョフは党のトップですから、誰かに「フルシチョフ批判」をやられる前に、
先手を打ったという感じでしょうか。

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フルシチョフの「秘密報告」演説自体は130ページ。
その後、著者による詳細な解説が50ページという構成ですが、良いバランスですね。

フルシチョフについての本もいくつか出ているようですが、
一番気になった「回想録」がamazonだとプレミア価格で9000円・・。
1972年、 617ページの函入りだそうで、ちょっと悔しいですね。
神保町の古書店で3800円くらいで探してみたいと思います。









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