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世界戦争犯罪事典 <第1部> [世界の・・]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

常石 敬一 監修の「世界戦争犯罪事典」を読破しました。

過去に紹介した「辞典」としては、「ナチス第三帝国辞典」がありますが、
今回はさらにグレードアップした独破戦線辞典シリーズの第2弾です。
2002年発刊の本書は、文藝春秋80周年記念出版の一冊であるそうで、
704ページで定価19440円という犯罪的な一冊です。
この値段に躊躇していましたが、まぁ庶民の味方、図書館は助けてくれますね。
関係ないですけど、「詳解 武装SS興亡史」と「映画大臣 -ゲッベルスとナチ時代の映画-」が
図書館カウンターの予約棚に陳列してあって、思わず笑っちゃいました。。

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最初にグローバルな視点で近現代の戦争犯罪群を整理し、記録しようという意図から生まれたと
本辞典誕生の経緯と、260の項目の、その「戦争犯罪」の範囲について解説します。
1907年の「ハーグ陸戦規則」を基本に、ニュルンベルク裁判東京裁判で規定された
「平和に対する罪」と、「人道に対する罪」、そして反乱、抑圧などを包含する「内戦と大量虐殺」。
また大きく2部に分かれる本辞典は、アジア・太平洋・米大陸を日本人著者が、
ヨーロッパ・中近東・アフリカを担当するのがドイツ人執筆グループであり、
各40名ほどの執筆者が選定されたということです。

その第1部 アジア・太平洋・米大陸は、第1章「1893-1941年期」からです。
日清戦争における「旅順虐殺事件」がトップバッターで、
日本側の史料によると、清国軍2000人と非戦闘員500人を殺害したとされますが、
中国人研究家は、この事件の死者を10倍の2万人としています。
上下2段組みで4ページ、ビッチリと書かれていますが、なかなかわかりやすい。

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やっぱりこのような事件は、「旅順虐殺事件」という本にもなってるんですね。



朝鮮の義勇闘争」、「閔妃殺害事件」と続いた後、「ハワイ王国の乗っ取り」が・・。
1887年、ハワイを牛耳ろうと目論む米国は王権を剥奪し、併せて貧しいハワイ島民から
参政権を奪おうと、軍艦ボストンの砲口をイオラニ宮殿に向けさせ、
海兵隊を上陸させてホノルル市街を武力制圧します。
このような行為は特に国際的な物議を招かず、それは他国に先んじて、
第三世界の領土を領有することは強国の権利であった時代だからです。
テキサス共和国をつくった後、合衆国へ併合したのと同じ手を駆使する横暴な米国・・。
しかしハワイ王国と親交の深かった日本は、日本人移民の安全確保の名目で、
軍艦「浪速」を急派し、艦長、東郷平八郎は、共和国臨時政府を徹底的に無視するのでした。

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フィリピン独立闘争と米軍の鎮圧」でも、一般市民20万人が飢餓や虐殺によって死んだとされ、
続くオーストラリアの「アボリジニ狩り」では先住民が殺戮され続け、
数百万人だったアボリジニの人口は、今では30万人に過ぎません。

以前に紹介した「関東大震災と朝鮮人虐殺」も出てきました。
被害者は2613人とも、6433人とも云われていますが、本辞典でも「正確な数は不明」とします。

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自警団は朝鮮人らしい人物をを見つけると、「15円55銭」と言ってみろと強要。
「ジュ」の発音が苦手な朝鮮人が、「チューゴエンゴチューゴセン」と発音してしまうと、
その場で叩きのめされたり、刺殺されてしまうのです。
訛りの強い東北人も間違えられた・・と以前の本にも書かれていましたが、
これじゃ具志堅用高だって負けてしまいそうですね。。

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1930年、日本の植民地である台湾の霧社でタイヤル人が武装蜂起し、これを鎮圧した事件。
640人が死亡し、婦女子を中心に自殺者300名に及びます。
そして投降して収容された560人を当局に協力するタイヤル人である「味方番」が襲撃し、
210人を殺害してしまうのです。
本辞典では所々で、以下のような写真も掲載。

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1930年代における「モンゴルの粛清」は興味深かったですね。
親ソ・社会主義路線をとっていたモンゴルにも、スターリンの「大粛清」の波が押し寄せ、
1937年、国防次官スミルノフ、NKVDフリノフスキーらソ連代表団がウランバートルへ・・。
そして日本のスパイ容疑者115人のリストを手渡したことをきっかけに、
まず69名の高官が逮捕されて14名が処刑。その後、2万人以上が逮捕されます。
翌年末、NKVDトップのエジョフが処刑されると、今度は粛清期に政府を指導した人々が
逮捕され、元首相らがソ連に連行されて処刑されてしまうのです。

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南京虐殺事件」は10ページほどタップリ。
現在でも虐殺否定論から30万人虐殺まで諸説あるこの事件。
否定論者の言う、捕虜や便衣兵を殺したのは、交戦の延長としての戦闘行為であり、
軍服を脱ぎ、民服で潜んでいた便衣兵は、ハーグ条約違反で捕虜の資格はなく、
それゆえ不法殺害とはならず、したがって「虐殺」ではないという論理については、
武装解除して管理下に入れておきながら、その後、連行して殺害するのは
戦闘の延長とはいえず、また、第一線部隊には捕虜を処断する権限はないとします。
一方の大虐殺派は、敗残兵に対する追撃、砲撃も虐殺に相当するとしてカウントしており、
このような降伏の意思表示をせずに逃げている敵兵の射殺は、
ハーグ条約の禁止事項に当てはまらない、すなわち戦闘行為と定義しています。

そしてこの戦争が宣戦布告されず、国際法上の戦争ではなく「事変」だったことを挙げ、
結果的に捕虜の取り扱いが部隊によりまちまちであり、明確な方針を示さなかった
日本軍の大失策であり、首脳部の責任は重大であったと分析。
蒋介石を含む、南京防衛司令官や市長、警察署長らが民衆保護の処置をすることなく、
南京から脱出したことが、混乱と悲劇を生む要因となったとも・・。

別項目として、戦後の南京軍事裁判で死刑判決を受けた「百人斬りと2人の少尉」の話。
現在の日本で「百人斬り」といえば、単なるスケコマシ野郎とされますが、
敵兵百人斬りをどちらが先に達成するかを競争し、東京日日新聞に報道された件です。
25人から始まって4回報道され、共に百人超えで、150人を目指して延長戦へ・・。
この2人は大隊副官と歩兵砲小隊長であり、その職務と軍刀の物理的性能などから、
有名になりたい願望と、記者の暴走、陸軍の戦意高揚という思惑が一致した、
事実とかけ離れた誇大宣伝とします。
東京裁判では採用されなかったこの新聞記事が、決定的証拠とされた南京裁判。
両少尉の遺書にも、「口は禍のもと」と書かれて・・。

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主に日本海軍航空部隊が行った「重慶の戦略爆撃」。
月に数回、首都である重慶市街地と軍事施設、政府機関、工場に対する爆撃ですが、
国際法上、砲爆撃は軍事目標に限定されなければならず、
このような一般市民も巻き込む位置に目標がある場合は、爆撃してはいけません。
よって、この重慶大爆撃も国際法違反となるのです。

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細菌兵器と日本軍731部隊」。
いや~、子供のころ読んだ、森村誠一の「悪魔の飽食」を思い出しますねぇ。
石井四郎中将の写真付きで紹介されるこの項目は、
人体実験やコレラ、ペスト、赤痢、天然痘といった細菌類についても一覧で表し、
1942年以降、飛行機によって病原体をばら撒いた作戦にも言及。
コレラ菌作戦では1万人以上の被害者を出し、1700名が死亡します。
しかし、その生物兵器攻撃を行った場所に踏み込んで行ったのは日本軍であり、
当然、この犠牲者は全員日本兵という、自爆攻撃に終わったのでした・・。
戦後、石井機関の戦犯免責を条件にデータを入手した米国の責任にも触れられます。

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慰安婦と日本軍の慰安所」では、現在の国際的論争に主眼を置いています。
朝日新聞を筆頭とする日本のマスコミが大キャンペーンを張り、
慰安婦たちの悲惨な「身の上話」を裏付けなしに流した・・という論調です。

第2章は「1941-1945年(太平洋戦争期)」。
最初の項目は、やっぱりの「真珠湾の奇襲攻撃」で、これが戦争犯罪なのは、
開戦通告が間に合わなかった・・ということであり、「国際法違反は否定できないが、
日本は最初から無通告の奇襲を企図していたわけではなかった」と・・。

1942年2月、シンガポールからヴィナー・ブルック号で脱出した豪州陸軍の看護婦65人。
日本機の爆弾が命中して沈没・・。なんとかバンカ島に泳ぎ着いたものの、
そこには上陸したばかりの日本軍第229連隊が・・。
投降した男性は射殺され、赤十字マークの制服を着用していた看護婦22人を
海中に追い込み射撃を加えます。
看護婦のうち、12人が溺死、21人が殺され、32人が捕虜となるのでした。

Vivian Bullwinkel at Puckapunyal Army Camp, Victoria, before she left for Singapore, 1941.jpg

バターン死の行進」は去年に読んだ「ゴースト・ソルジャーズ」とほぼ同じ解釈です。
しかし、「ジョン・トーランドは意図的、組織的に行われたものではないと述べているが、
英米通だった本間司令官が実情に適した処置を工夫する余地がなかったか・・、
との思いは捨てきれない」とします。

ドーリットル空襲と米飛行士の処刑」も結構、有名な事件ですね。
日本本土を初空襲したものの、不時着して捕らわれの身となった8名の爆撃隊員。
東條陸相は捕虜として扱うべきだと主張しますが、杉山参謀総長は厳罰の方針で対立。
彼らは民家を爆撃したばかりか、小学校の児童を死亡させたとして、
国際法に違反した無差別爆撃であり、「戦争犯罪人」と断定します。
全員に死刑判決が下りますが、米国内で拘留中の邦人への悪影響を考慮して、
銃殺されたのは機長と機銃手の3人。5人は無期監禁となるのです。

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このエピソード、1944年に米国で映画化されています。
「パープル・ハート」という映画ですが、なかなか強烈なプロパガンダ映画のようですね。



ちなみにタイトルの「パープル・ハート」とは、作戦によって死傷した米国兵士に与えられるもので、
ワシントンの胸像がデザインされた、いわゆる米国の戦傷章です。
戦死者や行方不明者にも与えられるというのが特徴です。

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そして映画といえば、こちらは御存じの方は多いでしょう。
泰緬鉄道-戦場にかける橋」。
泰緬(タイ-ビルマ)鉄道の完成を急ぐ大本営の工期短縮命令によって、
英豪軍の捕虜はわずかな食料で、一日14時間労働を強いられ、
高温多雨の密林のなか、マラリア、赤痢などによってその死亡率は20%にも達するのです。

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日本潜水艦による捕虜の洋上処分」では、1942年1月にヒトラーが大島大使に対し、
「英米は船をいくらでも造るから、潜水艦戦においては商船を撃沈するだけではなく、
乗員を皆殺しにすべきで、ドイツと同様、日本もそうしたらよかろう」と勧告したとします。
そして1943年以降、10数件のヒトラー式事件が発生。
興味深かったのは「深海の使者」で登場した「伊8」が1944年、
オランダ船を撃沈後、生存者98名を艦上で殺害。
また、米船を撃沈後、96名を放置して急速潜航したとして戦後、公判が行われます。
事件当時の艦長が、あの自決した有泉指令だったというのがなんとも・・。

米兵に向かって厭戦気分を起こさせることを目的としたラジオ「ゼロ・アワー」。
特徴的な声で米兵の人気を博したのが「東京ローズ」こと、アイバ・戸栗郁子です。
LA生まれの日系2世の彼女は、戦後、国家反逆罪の嫌疑で巣鴨プリズンに1年収監され、
釈放後、米国に帰国するもFBIによって逮捕。
1949年、女性として米国史上2人目となる反逆罪の判決を受けて、
市民権はく奪、罰金1万ドル、懲役10年を言い渡されるのでした。

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病院船ぶえのすあいれす丸の撃沈」は、「従軍看護婦たちの大東亜戦争」ですね。
パラワン島の米捕虜殺害」も以前に紹介しました。

そしてコレも有名な事件、「父島の人肉食事件」です。
小笠原諸島の父島で、第109師団長の立花中将と的場少佐が捕虜を刺殺したうえ、
将校らの宴会を開き、米飛行士の肝臓と大腿部の肉を食したという・・。
しかも一度だけでなく、数回行われ、戦後のグアム軍事法廷で審理されます。
飢餓の末のカニバリズムではなく、敵愾心の高揚のために企てられたというのは、
最悪の戦場に奇跡はなかった」にあった話と同じ感覚でしょうか。
「これはうまい。お代わりだ」と当番兵に要求したという立花中将ら、5人が死刑。
それでも人肉食は法的には「死体損壊」として特別な刑の加重はありません。

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アンジェリーナ・ジョリーの最新作「アンブロークン」が日本の捕虜収容所を舞台にし、
卑劣な看守の虐待やら、人肉食があるとか・・。
原作に書かれているのか、映画にもそのシーンがあるのかはわかりませんが、
日本公開するんでしょうか??

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10万人の死者を出したとされる「東京大空襲」はもちろん戦争犯罪。
1万人以上と推定される「沖縄戦における米兵のレイプ」では、
ガマと呼ばれる洞窟にいた避難民の女漁りに毎週やって来る黒人兵にたまりかね、
3人の黒人兵を殺して投げ捨てたという「クロンボガマ」という事件も紹介。
当然、「広島・長崎の原爆投下」にも8ページ割いています。
さらにはポツダム宣言受諾後に「占守島」などに侵攻したソ連軍そのものが犯罪扱いです。

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第3章は「1945年-2002年期」。
まだ戦後とは言えない、「ソ連兵の満州・朝鮮における暴行」から・・。
ソ連軍は日本軍の早期撃破を目的としたため、当初、戦闘部隊だけを投入し、
停戦後も憲兵の進駐が遅れたことで、治安維持の面が疎かになったとします。
満州では掠奪が横行し、日本人は言語に絶する迫害を蒙り、
特に婦女子への暴行、強姦は酷く、日本人だけでなく、朝鮮人、中国人女性に対しても
見境なく行われた・・と、引き揚げまでの悲惨な状況が。。

別項目では「妻と飛んだ特攻兵」で紹介した事件、
ソ連戦車によって婦女子1000名が惨殺された「葛根廟の惨劇」を取り上げており、
北朝鮮での死没者は3万5千人、満州では24万5千人、
北朝鮮では10人に1人、満州では6人に1人が亡くなった計算になるそうです。
「満州帝国崩壊 〜ソビエト進軍1945〜」という1982年のソ連映画を見つけました。
コレは多分、いけないやつだなぁ。。

満州帝国崩壊 〜ソビエト進軍1945〜.jpg

そして生き残った日本兵は「シベリア抑留」されて、強制労働に従事。
軍民あわせて2000万人以上という、最大の死者を出したソ連は、
「早期に捕虜を本国に送還する」というポツダム宣言を完全に無視して、
ドイツ兵を中心に412万人、日本人60万人を捕虜として抑留します。
女性も従軍看護婦など5000人がシベリア送りです。
4月に新宿の「平和記念展示資料館」に行ったばかりですから、生々しく感じますね。

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1950年代、日本が経済発展によって復興しているころ、
中国では毛沢東の「大躍進政策」が失敗して、数千万人が命を落とします。
「15年以内に重要な生産物の生産量において、米国に追いつき、追い越す」
というフルシチョフの発言に触発されたのか、
「15年以内に鉄鋼などの工業製品の生産量で、英国に追いつき、追い越す」
と言ってしまった毛沢東。
男子労働力が製鉄運動に動員された結果、収穫期に人手不足が生じてしまうのです。
1959年~61年までの3年間、飢餓などによって1500万人~4000万人が死亡しますが、
公式には「ひどい自然災害に見舞われた」と発表されるのでした。
「毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災」を読んでみたくなりますね。



ベトナム戦争からは「戦争の記憶 記憶の戦争」で紹介した、
米軍が行った「ソンミ(ミライ)の虐殺事件」と、韓国軍が行った「住民虐殺事件」を詳しく。
2000年にソウルで開かれたシンポジウムで当時の指揮官たちは、
「韓国の資本がベトナムへ入って感謝されている。
不幸な過去を取り上げるのは国益に反する。
ベトナムから補償要求が出たらどうするのか。新聞・雑誌は2度と記事にするな」
と反発し、新聞社が退役軍人の集団に襲撃、放火され、社員に怪我人まで・・。

そしてベトコンの隠れ家であるジャングルを破壊する目的で使用された「枯葉剤」では、
国際法違反ではないとして、10年間でドラム缶にして40万本を空からばら撒いた米軍。
そこには人体に有害なダイオキシンが含まれており、
「ベトとドク」のような2重胎児が増加するのです。

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カンボジアの「ポル・ポト政権の大虐殺」は8ページ割かれていました。
1975年からの4年間の死者は、最も新しい数字で170万人。
当時のカンボジアの人口の20%だそうです。。
首都プノンペンなどの都市住民200万人が地方の農業生産の労働力とされ、
劣悪な環境での強制移住させられてしまいます。
共産主義者からしてみれば、彼らは中産階級、知識階級、西欧文化の温床であり、
革命への脅威、すなわち「敵」とみなされたというわけです。

家族は引き離されて、自由な恋愛や結婚は禁止。
クメール・ル-ジュ(カンプチア共産党)幹部の決定した組み合わせで集団結婚が・・。
外国語ができれば「スパイ」とされて処刑・・。

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1990年代には北朝鮮で「飢餓と300万人の餓死者」がでます。
食料配給が途絶するという未曾有の食糧危機に直面しますが、
金正日は1999年の「労働新聞」でこのように語っています。
「ミサイル開発の資金を人民生活に振り向けたらどれほどよいだろうと思ったが、
私は人民がまともに食べることができないと知りつつも、
明日の富強祖国を建設するために、その部門への資金投入を許諾した」。

最後は「アル・カーイダによる対米同時多発テロ」。
さて、ここまでで360ページ、ちょうど真ん中、半分来たところです。
もうだいぶ書きましたねぇ。
いくら辞典だといえ、複数説のあるものには明確な答えがなかったりもしますが、
まぁ、それをやると「反対派」に喰いつかれるのでしょうがないところでしょう。
ヴィトゲンシュタインもここに書いたような件を無条件で信じるほどナイーブではなく、
あくまで「戦争犯罪とされている事件」として、それぞれを興味深く読みましたが、
ちょっと疲れてしまいました・・。
やっとこれからヨーロッパ戦線、ナチスの蛮行なんかが出てくるわけですが、
この第1部が予想以上に興味深い項目が多くて、ちょっと整理が必要です。
ですので今回に限っては、2回に分けさせてください。










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劇画ヒットラー [戦争まんが]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

水木 しげる著の「劇画ヒットラー」を読破しました。

1年数ヵ月ぶりとなる「独破戦線まんが」の第5弾は、
以前からコメントでもちょくちょく話題になっていた本書になりました。
水木 しげるといえば、子供の頃に家にあった「墓場の鬼太郎」と、「悪魔くん」ですね。
特に悪魔くんのオドロオドロシイ感じは何とも言えない世界でした。
この「劇画ヒットラー」は1971年に『週刊漫画サンデー』に連載され、
1972年以降、「ヒットラー 世紀の独裁者」など、タイトルも変えながら出版。
今回選んだのは1990年の276ページ、ちくま文庫です。

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1908年のオーストリア・リンツ。
親友ヒトラーの下宿先に一緒に住むことになったクビチェク くん。
しかしヒトラーは美術学校にスベッていて、自尊心だけは強い彼に翻弄されてしまいます。
やがて宝くじが当たることを夢見てアレコレと語るヒトラーですが、
アドルフ・ヒトラー 五つの肖像」にあった、こんなエピソードまであるんですねぇ。
でも個人的には夢破れて半狂乱に陥り、自己憐憫に耽るところまで欲しかった・・。

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浮浪者同然の生活から、絵を描いて多少の収入も・・。
第1次大戦が始まると熱狂的に志願して、1級鉄十字章を貰うほど・・。
ヒトラー1人で15人ものフランス兵を捕えた逸話が挿入されていますが、
15人は盛り過ぎじゃないかなぁ・・。
それでもカルダンという名のフランス兵がモロにねずみ男なのが笑えます。。

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1919年、「ドイツ労働者党」に潜入するヒトラー。
このナチ党の最初期主要メンバーが何人か登場しますが、
ディートリヒ・エッカートは、「モルヒネ中毒で精神病院にも入っていたこともある・・」と
化け物のようなアホ面で登場・・。

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また、変人経済学者と紹介されるゴットフリート・フェーダーの口髭を見たヒトラーが、
「カッコいいなあ・・」と真似したと、多くの歴史家は見ている・・という説は初めて知りました。
それにしても、このフェーダーの顔も口髭以外は酷いですね。
1971年当時には、フェーダーの顔写真なんて手に入らなかったのかも知れません。

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念のため、ヒトラーの口髭ビフォーアフターはこんな感じ。。

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党首のドレクスラーも出てきた後には、後の副総裁ルドルフ・ヘスが・・。
コレは激似です・・。まぁ、前から薄々思っていましたが、まんが顔なんですね。

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1923年の「ミュンヘン一揆」はタップリと描かれていて、ルーデンドルフを筆頭に
エーベルト大統領に首相のシュトレーゼマン、バイエルン州の総督カールに
陸軍司令官のフォン・ロッソウ、警察長官フォン・ザイサーらまで登場。

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ランツベルク刑務所出所後、ナチ党の立て直しを図るヒトラーですが、
強力なライバルであるグレゴール・シュトラッサーと対立が起きます。
秘書をやめて本業の養鶏に精を出したい・・と言いだすヒムラーに、
その後任の秘書となったゲッベルス
ゲッベルスはほとんどマッドサイエンティストの風貌です。

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そしてベルヒテスガーデンの山荘にやって来た姪のゲリ
かなり可愛い女の子に描かれていて、ヒトラーは隙を見ては「チューッ」と溺愛・・。
そんなタイミングで「総統、用意ができました」と入って来る気の利かないヘス。
「ヘスくん。開けるときはノックをしたまえ、ノックを・・」。

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全部で17章から成る本書。
その章扉の絵はなかなか印象的なもので、
例えば第9章は有名な写真がモチーフです。
シルクハットのヒトラーとフォン・パーペン、それからブロムベルクです。

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ゲリが自殺し、半狂乱となったヒトラー。
そんなときに首相になるかならないか・・という大事な問題が・・。
ヒンデンブルク大統領と面会し、陰謀家と紹介されるフォン・シュライヒャー
シュライヒャー将軍・・、ほとんど妖怪ですね。。

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遂に首相となったヒトラーですが、レームとSAの粛清「長いナイフの夜」へと進みます。
"お前と俺"の仲であるレームに苦言を呈するヒトラー。
「お前はSAを野放ししすぎやしないか。苦情が絶えないじゃないか。
それとホモもやめてくれ。
いやしくも一国の大臣がホモなんて話、聞いたこともない」。

「量より質」がモットーのSS指導者ヒムラーに、ゲシュタポを創設したゲーリング
この2人が首謀者なわけですが、ゲーリングも怪人だな、こりゃ。。

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ドゥーチェ(親方)と称されるムッソリーニの出番も多くなってきました。
典型的なまんが顔なのか、先生の筆もノッテル感じすらします。

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そしてチェンバレンの活躍する「ミュンヘン会談」から、チェコの併合へ・・。
呼び出したハーハ大統領を恐喝し過ぎて、失神させてしまうと、
「気絶してる。モレル、強心剤を・・」と、ヤブ医者が「はい」と登場です。
いや~、この話はいろいろな本に書かれていますが、思わず吹き出しました。

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西方電撃戦は実にあっさりと過ぎると、降伏しない英国首相チャーチルの出番です。
「われわれは最後の勝利を確信している。サインはV!」。
ここで2回目の爆笑・・。
TVドラマの放送が1969年からですから、コレは間違いなく意図的でしょう。

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不可侵条約を結んでいる友好国であるソ連との会談の様子も・・。
リッベントロップはいまいち似ていませんが、モロトフは強烈です。
まさにキャラが立っています。

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そのソ連に対して「バルバロッサ作戦」を開始。
モスクワで立ち往生すると陸軍総司令官ブラウヒッチュを解任し、自らが総司令官に。
劇画調に描かれたヨードルカイテル

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元ネタの写真はコレかな?

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スターリングラード戦では「一歩も引くな」と言うスターリンに、陣頭指揮をとるフルシチョフ
一方、文句の多い参謀総長のハルダーは「クビだ! 後任はツァイツラーを任命する」。

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幽閉されていたムッソリーニをスコルツェニーが救出したころ、
出てこないと思っていたボルマンが姿を現します。
「ナチ党の権力を一手に握ろうという、妖怪ボルマン。
こいつがヒトラーが喜ぶようなことしか報告しなかった」。

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1945年となりベルリンの総統ブンカーから指揮を執り続けるヒトラー。
ゲーリングがボルマンの計略によって失脚し、空軍総司令官に任命されたフォン・グライム
ハンナ・ライチュがやって来ます。
ちょっと残念なナチ女という扱いでしょうか・・。

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こうして最期のときが近づいてきます。
エヴァと結婚をし、秘書のユンゲに遺言を口述・・。
「運転手がヒトラーの遺体を焼いた」とまで書かれていますが、
残念ながら、好きなケンプカは描かれていませんでした。。

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いや~、コレはまったく馬鹿に出来ない一冊でした。
とても子供向けのまんがではありませんし、ほとんどが事実でしよう。
多少驚きだったのは、思っていたより青年時代のヒトラー、
ナチ党創成期のヒトラーについて詳しく描かれていることです。

個人的にはヒトラー伝となると、大きく3部に分かれると思っていて、
1900年代~1910年代の青年時代と1920年代にのし上がろうとするヒトラー、
1930年代のナチ党政権奪取~ドイツ国民のアイドルたる総統時代、
最後に1940年代の戦争指導者としてのヒトラーです。

戦記マニアなら1940年代のヒトラーの軍事的関与に興味があるでしょうし、
ドイツ国民のナチ化やヒトラーの外交政策に興味があるなら1930年代、
しかしヒトラーの人間性を知りたいなら、やはり1900年代~1920年代でしょう。
人格形成は少年~青年期にかけて成されるものであり、
その当時の出来事や、総統に上り詰めるまでに重点が置かれた本書は
ヒトラーがどんな悪いことをしたか?? ではなく、
なぜヒトラーのような人間が誕生したか?? がテーマのように思いました。

gekiga hitler.jpg

その意味では、ヨアヒム・フェスト著の超大作「ヒトラー」に通じるものがありますね。
実は「ヒトラー 最期の12日間」でも知られるドイツ歴史界の重鎮が書いた、
この1975年の函入りの上下巻、計1100ページを読破したのが1年前のこと・・。
何度もレビューを書こう・・と思いつつも、いつも挫けていました。

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第一にジョン・トーランドの「アドルフ・ヒトラー」を先に読んでしまいましたし、
本書の上下2段組み、小さい文字でビッチリ・・を見る度に、
どう考えたって、トーランドのより文字数多いだろ。。文庫にしたら6冊分はカタい・・、
と、読む前から気合が削がれてしまったほどです。

このヒトラーの生涯をトーランドの「アドルフ・ヒトラー」と比較すれば、
当時のドイツ(ワイマール共和国)の状況・・、政治だけでなく、人々の考え方など、
米国人のトーランドとは別の視点、ドイツ人がドイツ人向けにヒトラー伝を書いている・・
といった印象を持ちました。
そういう意味で奥深さは感じるものの、現在の日本人が率直に理解できるかというのは
別の話であり、ややもすれば冗長すぎると考える読者もいるでしょう。

結局、1年悩んでこの有名な超大作ヒトラー伝のレビューを書くことは諦めました。
悪い本ということではなく、トーランドが書いたヒトラーの人生とは、
基本的には変わらないということです。
こちらの方が出版は早いですし、もしヒトラーの人生が全然違って書かれていたら、
どちらかがペテン師ということになって、それはそれで大問題ですね。

1925 München.jpg

もう一冊、つい最近に出版されたヒトラー本も楽しめましたのでご紹介。
タイトルは「ヒトラー サラリーマンがそのまま使える自己PRとマネジメント術」。
表紙を見るとなんとなく、日本を舞台にした「帰ってきたヒトラー」みたいな印象がありますね。
面白いのはちゃんとしたビジネス書なのに、ヒトラーの戦略を参考にする・・という視点です。
例えば「ミュンヘン一揆」の失敗で裁判にかけられたヒトラーが、「責任は私一人で負う」として、
徐々に人気が上がっていった件を紹介したうえで、
プロジェクトの失敗もこのようにチャンスに変えるのだ・・といった展開で、
その他、アルゲマイネSSの黒の制服・・などのイメージ戦略からも、
第一印象は大事ですから清潔で、ある程度上等のスーツを着て、靴も磨きましょう・・と解説。
レームやヒムラー、ゲッベルスのような部下を持ったときにどうすべきか・・など、
ヒトラー戦略は関係なくてもヴィトゲンシュタインが共感する部分も多く、
逆にその関連性に思わず何度か笑ってしまいました。

ナチス関連の写真も掲載された176ページの本書は一日でも読破できるボリュームですが、
カバーもせずに通勤電車で読むのには、それなりの度胸が必要でしょう。
ナチス好きのサラリーマンなら、昼休みに自席でコッソリ読んで、ニヤつける一冊です。



最後に「劇画ヒットラー」に戻りますが、巻末には参考文献が挙げられており、
ヒトラー伝としてはヴェルナー・マーザーの「ヒトラー」と、
アラン・ブロックの「アドルフ・ヒトラー」など。
独破戦線で紹介したものなら、「ヒトラー最後の戦闘」、「第三帝国の興亡」、
ゲシュタポ -恐怖の秘密警察とナチ親衛隊-」、「ゲシュタポ・狂気の歴史」、「国防軍とヒトラー」、
ナチス狂気の内幕」、「バルバロッサ作戦」、「砂漠のキツネ」、「Uボート作戦」です。

水木 しげるの最高傑作との評判もある、「総員玉砕せよ! 」もつい買ってしまいました。










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