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誰がキーロフを殺したのか [ロシア]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ロバート・コンクエスト著の「誰がキーロフを殺したのか」を読破しました。

誰がムッソリーニを処刑したか」に続く、「誰が・・」シリーズの第2弾です。
まぁ、そんなシリーズはやっていませんが、レニングラード共産党のボスであり、
スターリンのライバルだったキーロフの暗殺事件を知ったのは、
スターリン -赤い皇帝と廷臣たち-〈上〉」を読んだときです。 
1992年、288ページの著者は、あの恐ろしかった「悲しみの収穫 ウクライナ大飢饉」の方で、
原著の出版は1988年のソ連崩壊前、原題は「スターリンとキーロフ暗殺事件」です。

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最初はまるで小説のような「主な登場人物」です。
ブハーリン、カガノーヴィチ、フルシチョフ、トロツキーといった党の有力政治局員たちに、
ヤーゴダ、エジョフなどのNKVDのトップの名前などが全部で44名。
NKVD内務人民委員代理や、党レニングラード州委員会第一書記といった役職の他に、
1988年時点で存命または死亡年が書かれていますが、
この44名中、30人が1934年~40年の間に銃殺、謀殺、暗殺で死亡・・。
小説だって、登場人物がこんなには死なないですね。。

第1章は「キーロフが暗殺された日」。
1934年12月1日の夕方、レニングラード党本部で銃撃されたキーロフ。
この党本部は、かつて貴族子女の学校だった建物をレーニンが奪取したという壮麗な建物で、
本書にはこの建物も含め、ところどころで写真が掲載されています。
ボリソフというベテラン・ボディガードは建物の中まではついて行かず、
3階の執務室に至るまでに配置されているはずの警備員もいない、怪しいシチュエーション。。

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暗殺者はナガン・リボルバーを手に身を潜め、キーロフの首を背後から撃ち、
自身も気を失って倒れて、駆け付けた係官に逮捕された・・というのがこの暗殺事件です。

犯人はニコラーエフという名の30歳の男で、子供は2人、共産党員ながらも仕事は降格されたり、
党から除名されたりと、大いなる不満を持つ落ちこぼれであったとされています。
そしてこの事件の前、2度も拳銃を持ってキーロフの周辺をうろついてるところを逮捕され、
2度とも上層部の命令によって釈放されているという謎の人物なのです。

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1886年生まれのキーロフの生い立ちにも1章割いた後、「キーロフ対スターリン」の章へ。
1933年の中央委員会総会。あのウクライナを中心とした「飢餓テロ」が最高潮に達し、
ロシア共和国内の諸都市でも国民の栄養失調が問題視され、
スターリンの指導体制に危機感を持つ委員が増えてくると、
農民に対し、ずっと融和的な「キーロフ路線」が脚光を浴びてきます。
そして1934年の党大会では、スターリンに反対票が投じられる一方、
キーロフは300票近くスターリンを上回る票を集め、書記長の座も打診されるのです。
結局はキーロフがコレを辞退するものの、モスクワvsレニングラードの構図が・・。

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こうして9月、NKVDレニングラード支局長のメドベドは、キーロフに問題を報告します。
支局長代理のザポロジェッツがNKVD長官であるヤーゴダのモスクワ本部から、
5人のスタッフを連れてきて、勝手に秘密警察部の要職に就けてしまった・・というもの。
キーロフはスターリンに苦情を述べますが、言いくるめられてしまうのでした。
いわゆる内堀が埋められた・・ってところでしょうか。。

ここまで、キーロフが暗殺され、また暗殺されるまでの政治状況が語られてきましたが、
ここからは暗殺後です。
キーロフ暗殺の報を受けたスターリンは直々に調査を行うべく、レニングラードに乗り込みます。
スターリン派であるヴォロシーロフモロトフジダーノフが調査団の構成メンバー。。
さらにはヤーゴダに、その代理であり国家保安局を担当するアグラーノフ、
後にヤーゴダに変わって「大粛清」を手掛けることになるエジョフ・・といった恐ろしい面々も・・。

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ナチスに例えれば、ヒトラーを筆頭に、ゲッベルス、ボルマン、ヒムラー、ハイドリヒ、
ハインリヒ・ミュラーがひとつの殺人事件の調査に乗り出したようなものですね。
そういえば、1933年の「国会議事堂放火事件」に似てなくもない気が・・。

キーロフのボディガード、ボリソフは、事件の翌日、護送車の追突事故によってただ一人死亡。
実際には3人の係官たちに鉄の棒で殴り殺されていたのです。
スターリンは事件の捜査をアグラーノフ、政治面での責任者にエジョフを据え、
キーロフの柩を佇立して守護するのです。

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事件から3週間が過ぎ、犯人ニコラーエフの共犯者が発表されます。
それは古参ボルシェヴィキで前のレニングラードのボス、ジノヴィエフ派のメンバーたち。
ニコラーエフは単独犯ではなく、巨大な黒幕が存在したというシナリオ・・。
もちろん、ジノヴィエフはスターリンの政敵です。

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NKVDレニングラード支局長のメドベドと支局長代理のザポロジェッツでさえ、
「職務上の刑事過失」を問われて3年の刑を宣告されます。
それでもNKVDの要人警護の過失ということは、スターリン自身も暗殺の標的になりうるわけで、
本来の基準なら「関係者全員、即決処刑」になってもおかしくありません。
この2人の流刑地は、シベリア北東部の酷寒の地、コルイマです。
しかし「白い地獄」と呼ばれるコルイマも、この金鉱地帯が国家にとって重要であったため、
1937年までは食料や衣服を充分に与えられた、非常にな健康的な風土だったそうです。
そして2人は丁寧な扱いを受け、責任あるポストまで与えられるというお客さん扱い。

この死の収容所は「極北 コルィマ物語」という本があるので、読んでみたいところです。



スターリンの「シナリオ」はさらに広がりをみせます。
ジノヴィエフと同じく古参ボルシェヴィキのカーメネフらが、トロツキーと共にテロ活動を計画し、
スターリン、ヴォロシーロフ、カガノーヴィチ、オルジョニキーゼ、ジダーノフ、そしてキーロフら
党幹部を殺害するためのグループを組織し、実際にキーロフを殺害したというもの。
裁判では自白が重要ですが、その裏には拷問と、家族の命といった脅しが行われ、
公開裁判を受ければ命は助けてやる・・という約束も反故にされて全員銃殺・・。

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こうして、あの「大粛清」が始まっていくわけですが、
あまりにも対象者が多いため、本書ではキーロフ派とレニングラードに限定して紹介しています。
例を挙げると、「1937年にレニングラードの各地区で選出された新しい65名の委員ですら、
翌年には、わずか2名しか残っていなかった」。

ブハーリン、ルイコフに続いて、NKVD長官だったヤーゴダまでも逮捕されてしまいます。
これまでNKVDに対しては「キーロフ暗殺の過失」を問われていたわけですが、
単なる過失から積極的な共謀の罪・・、ヤーゴダが暗殺の手引きをしていたとされたのです。
もちろん、NKVDのトップに罪があれば、コルイマの2人の命も風前の灯・・。

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当時、キーロフ暗殺事件から始まった粛清について、ソ連国外で情報が出ています。
亡命していたトロツキーは1935年、「ジノヴィエフ首謀説は、スターリン=ヤーゴダ共謀説の
大掛かりなカモフラージュである」と書き、NKVDといえどもスターリンの示唆なしに、
このような危険な企てを決意するはずもないことは明白であると断言。

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そしてもうひとつ、重要な証言がもたらされたのは日本です。
1938年に日本へ亡命したNKVD極東部門の責任者、リュシコフは、
1939年4月に、日本の総合雑誌「改造」にキーロフ暗殺事件に関する情報を発表します。
彼は1934年~36年にはモスクワのNKVD秘密政治局長代理として捜査を指揮していたそうで、
レニングラード関係者への告発が濡れ衣だったことも明らかにします。

この人が独破戦線で出てくるのは「ゾルゲ」の時以来、2回目だけに、なかなか気になりますねぇ。
「謎の亡命者リュシコフ」と、「粛清―リシュコフ大将亡命記」という2冊を見つけました。

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大粛清が完了すると、キーロフ事件の関係者、および、スターリンの政敵が一掃されて、
この事件は再び闇の中に消えますが、1956年になるとフルシチョフが「秘密報告」を行います。
「キーロフを警護していた男が殺され、次いで彼を殺した者たちも銃殺された。
これは単なる事故ではなく、明らかに計画的な犯罪だろう。
誰がこのような犯罪を行うことができたろうか」。

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「証言」という問題についての考察は、かなり興味深かったですね。
ちょっと長くなりますが抜粋してみましょう。

刑事裁判では関係者による直接証言といえども、常に真実であるとは限らない。
証人が自らの責任を覆い隠すために、まったくの嘘をつくこともあり得る。
或いは、ちょっとした過失を隠したり、自分をよりよく見せようして、
部分的に嘘をつくこともあるかもしれない。
多かれ少なかれ、無意識に歪曲を行ったり、勝手な想像を述べるケースもある。

多くの歴史研究においては、伝聞の証言だけしか入手できないこともしばしばある。
そのような証言は、これらの様々な虚偽や歪曲を免れない。
おまけに伝聞証言者が、もともとの情報提供者の言葉を誤解することもありうる。
それでも、意図的な場合を除けば、これらの欠点があるからといって、
必ずしも特定の証言が無価値になってしまうわけではない。

人が何かを打ち明ける場合、完全に真実であることは、極々稀であり、
少しの偽りや誤りもないなどということは、滅多にあり得ないのである。
従って様々な欠陥のつきまとう証言から真実を引き出すことは、
法廷としては当たり前の仕事であり、歴史家もまた、同じような義務を負っている。
しかし、歴史家というより、門外漢の学者たちの間で、ある種の情報源を
ただ「信頼できない」と決めつけて、それらをあっさり切り捨ててしまう傾向が見られる。

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いかがでしょうか。
ヴィトゲンシュタインは歴史家でもなければ、研究者でもない、単なるノンフィクション好きですが、
複数ある説のナニを信用するか・・?? というジレンマにはしょっちゅう陥ります。
いままでどんな本を読んでも、その内容のすべてを100%信じたことはありませんし、
明らかな間違いや誤字が多い本は、確かに、読んでいてすべてを信用できなくもなります。

特にナチス・ドイツ関連の本の場合、訳者さんを否定するわけではありませんが、
ドイツ語から英語に、または仏語に翻訳されたものが、さらに日本語になったりしているのです。
その過程で、本来の意味(ジョークや嫌味を含め)が変わることもありうるでしょう。

「証言」ということでは、まさしく「回想録」も特定の人物による「証言」だということができますが、
人間は自身に起こった過去の記憶も、自分の都合の良いように解釈してしまいますから、
歴史的視点から見た場合と乖離するのは当然だと思っています。

最近、パウル・カレルが信用できないとして、参考文献から外される本などというのは、
個人的には安直な回避策だと思いますね。
では、ノンフィクション好きとして、どんな本が面白い本なのか・・というと、
新説がある研究書や、日本で紹介されたことのない部隊、あるいは戦役や作戦、
これまで語られたことのなかった体験談が述べられた本です。
そして、それらの内容が完全な真実であるかどうかは、また別問題なのです。

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巻末の「解説」によると本書のタイトルは本文中の一節から取ったそうで、
これは著者コンクエストが世界有数のソ連史研究家というより、
「安楽椅子探偵」として登場しているという、謎解きスタイルを意識したようです。
ただし、本書を好んで読むような人間からしてみれば、
結論を知る前から、「そりゃ犯人はスターリンだろ・・」と思っている訳であり、
ドラマチックな大どんでん返しに驚きを隠せない・・なんてことにはなりません。
それでも一介の暗殺者ニコラーエフが弾いたナガン・リボルバーのトリガーが、
「大粛清」のトリガーでもあったということを教えてくれた一冊でした。

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また、コンクエストの著作紹介では、「悲しみの収穫」のほか、
「スターリンの恐怖政治」がありますが、これは原題が「大粛清」なんですね。
上下巻の大作で、amazonでも2冊揃いで7000円・・とレア本のようです。
ソレと本書を経て結実したのが、「スターリン―ユーラシアの亡霊」であり、
見事に描かれた伝記として、ニューヨーク・タイムズが1991年の推薦図書に挙げたそうな・・。
でも一番読んでみたいのは、「コルイマ -北極の死の強制収容所-」ですが、
残念ながら未翻訳。。得てして無いものネダリなんですよね。













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