総員起シ [日本]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
吉村 昭 著の「総員起シ」を読破しました。
先日の「深海の使者」から、スッカリ著者に興味を抱くようになって、数冊まとめ買いしました。
本書は「深海の使者」、「関東大震災」の2年前、1971年に書かれたもので、
何度か文庫化され、今年の1月に「新装版」として発刊された一冊です。
317ページに5つのお話が収められた短編集であり、いずれも太平洋戦争を題材としています。
最初に書いておきますが、今回は「完全ネタバレ」ですので、ご注意を・・。
しかも、可憐な女性の方が深夜に読むには、ちょっと怖いかも知れません。
最初は「海の柩」というお話。
北海道の小漁村に多数の兵士の死体が流れ着きます。
1日目には182体・・。将校の遺体はなく、ほとんどの襟章は一つ星。
村人は総出で遺体を収容しますが、腕のない死体が半数を占めていることを不審に思います。
手首が無い者、上腕から切断されている者・・。
生きて村落に辿り着いた陸軍将校は、沖合で輸送船が潜水艦の雷撃を受けて沈没、
2,3隻の漁船を出して生存者を救助して欲しい・・と語ります。
しかし、沖合は人の群れでとても収容しきれません。
3隻の上陸用舟艇で救助にも行こうとしない将校たちに対し、不満が爆発します。
「この船を出してください」と組合長。
大尉は言います。「すまんが、お前らだけでやってくれ」
300人をなんとか救助しますが、600体近い遺体が漂着。
生き残り将校たちの不信な態度、トラックでやって来た中尉と憲兵は、
多くの兵の死体を目にしたことを決して他言してはならぬ・・と村長らを脅すのでした。
戦後、当事者の将校にインタビューする著者。
すでに沖縄に米軍が上陸し、占守島で編成された補充部隊が
逆上陸するための移動中に米潜水艦に撃沈された状況を語ります。
「舟艇に乗ったのは将校のみですね」
「主にそうです」
「兵士の腕を切りましたか」
「私は切りませんよ。暗号文を抱いてましたから・・」
「切った将校もいたのですね」
「船べりに手が重なってきました。海面は兵の体でうずまり、
乗ってくれば沈むということよりも、船べりを覆った手が恐ろしくてたまりませんでした。
将校が一斉に軍刀を抜きました。手に対する恐怖が軍刀をふるわせたのです。
切っても、切っても、また新たな手がつかまってきました」
「腕を切られた兵士は沈んでいきましたか」
「そうです。しかし、そのまま泳いでいる者もいました」
「兵士たちは何か言いましたか」
「天皇陛下万歳、と叫んでいました」。
この50ページ弱の話の次は、「手首の記憶」です。
去年、「樺太」で起こった「真岡郵便電信局事件」、
「九人の乙女 一瞬の夏―「終戦悲話」樺太・真岡郵便局電話交換手の自決」を紹介しましたが、
本書の話は同時期に同じ「樺太」で起こった、看護婦集団自決です。
太平炭鉱病院に勤務していた23名の看護婦たち。
33歳の看護長が最年長でほとんどが10代と20代、最年少は16歳です。
8月15日の終戦を告げる放送の翌日、上陸してきたソ連軍。
ソ連機が避難民に銃撃を浴びせかけていることから考えても、
ソ連兵たちが自分たちを凌辱し、殺害する可能性が高い・・。
3㌔先までソ連軍が迫っていたことを知ると、重傷患者らは口々に叫びます。
「早く逃げてください。
若い女たちであるあなたたちを犠牲には出来ない。
早く逃げろ、逃げるんだ」。
暗闇のなか、一団となって退避する看護婦たち。
しかし、すでにソ連兵に退路を断たれていることを悟ると、婦長がみんなに告げます。
「これから歩いて行っても、無事に逃げられるかどうかわからない。
むしろ敵につかまって惨めなことになる公算の方が大きい。
私にも、あなた方若い人たちを守っていける自信がなくなった。
あなたたちを綺麗な身体で親御さんにお返しすることは出来そうもない。
日本婦人らしく潔く死のうと決めたが、あなたたちもついてきてくれる?」
一人ひとりに注射器で多量の睡眠薬が注射され、
婦長が手にしたメスで彼女たちの手首の血管を切っていきます。
それでも生き返ってしまった看護婦が数名。
自分でメスを突き立てたり、包帯で首を自分で絞めてみるものの、
絶命したのは婦長と、24歳の副婦長ら6名で、17名が奇跡的にも生存していたのです。
戦火もやみ、同僚の遺体を荼毘に付して、再び、病院で勤務する彼女たち。
彼女たちの自殺事件はソ連軍の知るところにもなりますが、
ソ連兵は手首に白い包帯を巻いた彼女たちに畏怖を感じるらしく、
近づくことも声をかけることもないのでした。
平成4年になって、札幌護国神社内に慰霊碑が建てられたようです。
「烏の浜」は、同じく「九人の乙女」でも触れた、避難民を満載した「小笠原丸」が
国籍不明の潜水艦の雷撃を受けて沈没した話。
4話目の「剃刀」は沖縄戦が舞台です。
沖縄防衛軍司令官の牛島中将と、長参謀長の割腹自決でこの戦いは終了しますが、
米軍司令官バックナー中将も戦死しています。おっと、全然、知らなかった。。
司令部と戦闘の終焉の地である摩文仁を訪れた著者は、
「洞窟壕を出て、近くの巌頭に座り古式に則った切腹をして、部下が首をはねた」
というガイドの説明に疑問を持ちます。
他の書物でも「白衣をつけて月光の下で割腹した」と書かれているなど、
米軍の激しい攻撃のなか、そんな芝居がかったものであるとは考えられないのです。
最終的には、壕の奥でまず参謀長が割腹し、坂口大尉が介錯、
続いて牛島司令官が・・。その他の上官たちはピストル自殺をし、
軍司令官と参謀長の首は、吉野中尉がどこかに埋めたらしい・・という証言を得ます。
そして米軍の資料である、両将軍の遺体が写った写真を思い浮かべる著者。
気になって調べてみましたが、確かにこの写真がありました。
手前が長参謀長で、奥が牛島司令官と云われているそうですが、証拠はありません。
それどころか、この2人ではなく、別の将校の可能性もあるようです。
また頭部も写っており、首を埋めた・・という件でも何も見つかっていないそうな。。
米軍によると青酸カリ自殺ともされており、それはなくても切腹ではなく、
ピストル自殺だった可能性もあるでしょう。
最後は本書のタイトルでもある「総員起シ」。
海軍で言うところの「起床!」っていう意味だそうですね。
昭和17年に竣工された一等潜水艦「伊33」。
完成後、トラック島泊地に入港するも、修理中に沈没・・。
艦名と同じ、33名が殉職します。
沈没位置は水深36mで、なんとか引き上げに成功しますが、
この水深も「33m」とした、恐怖のサンサンの呪いとしている場合があるようです。
その後の昭和19年、急速潜航訓練中に浸水してまたもや沈没。
乗員104名が閉じ込められてしまうのです。
和田艦長が命じる「メインタンク、ブロー」で20mまで浮上しますが、万策尽き、
艦橋へ通じるハッチからの脱出を試みて、遂に2名が成功。
しかし60mの海底に沈んだ「伊33」を引き上げることは技術的に可能でも、
敵機の空襲も激化し、戦局の急迫した今、海軍にその余力はないのでした。
戦後となった昭和28年、戦時中に沈没した艦船を引き上げてスクラップにすることで
かなりの利益を上げられるサルベージ会社が活発となり、「伊33」もその対象に・・。
数ヵ月に及ぶ引き揚げ作業の過程が詳細に書かれ、
潜望鏡が海面まで上がってくると、100名の遺体が残されたままの「伊33」を
多くの新聞社が連日のように報道します。
7月、遂に浮上した「伊33」にカメラを持って乗り込む中国新聞社の白石記者。
作業員がハッチを開けると、噴出した得体の知れぬ強烈な臭気に短い叫び声が。。
「中にはガスが充満しているんだ。危ないから換気するまで待て」という声も聞かず、
懐中電灯とカメラの閃光電球を手に、息を止めて前部兵員室に飛び込んだ白石記者は、
シャッターボタンと同時に光る電球の一瞬の明るさのなかに、多くの男を目撃します。
事故から9年・・、兵員室には遺骨が散乱しているはずなのに、
黒々とした髪に皮膚も筋肉もついた男たちがベッドに横たわっているのです。
まるで「総員起シ」の命令がかかれば、今にも飛び起きそうなその姿。
恐怖と息苦しさから何度も外に出ては再びハッチに潜り込み、写真を撮り続ける白石記者。
そして、直立した男の姿が・・。
白い臀部が見え、引き締まった腿から足首にかけて逞しい線が描かれた、
立ったままの遺体。
上方から鉄鎖が垂れ、それが男の首に深く食い込んだままの首つり遺体なのです。
ずれた褌から隆々と勃起した男根がそのままに。。
その区画の酸素はすべて男たちによって吸い尽くされ、酸素が絶えたことは、
区画内の雑菌の活動も停止させ、さらに海底の低い温度が腐敗作用を妨げていたのです。
そして立っている男は頑強な身体ゆえ、容易に死が訪れず、
その孤独さに耐えかねて、自ら鎖を首に絡ませたと想像されます。
彼らの13名の遺体は棺に納められると、時間と共に急速に腐敗が進んでいくのでした。
いや~、面白かったです。
特に第1話と第5話は、読んでいてゾッとしました。
ちなみに首つり遺体が勃起していた件は、本書でも「生理現象」と推測されていますが、
確かにHの最中に首を絞めると勃起が持続する・・とか、
ドアノブに引っ掛けた紐で首を絞めながらセンズリしてて、死んじゃった・・
なんて話を何度か聞いたことがありますね。
著者について調べてみると、「ノンフィクション小説」という表現が出てきます。
個人的には「小説 = フィクション」と考えていましたので、
「ノンフィクション・フィクション」という意味不明なジャンルになってしまいました。
戦時の出来事を語れる関係者がいなくなってきたことから、
1980年以降は「歴史小説」を書かれたようで、
そういうことでは1970年代の作品は、「ノンフィクション」、または「戦記」で良い気もします。
内容は「ノンフィクション」なのに、「小説風」という意味なんでしょうか??
同じく短編集の「帰艦セズ」、それと「羆嵐」も買いましたので、読んでみます。
吉村 昭 著の「総員起シ」を読破しました。
先日の「深海の使者」から、スッカリ著者に興味を抱くようになって、数冊まとめ買いしました。
本書は「深海の使者」、「関東大震災」の2年前、1971年に書かれたもので、
何度か文庫化され、今年の1月に「新装版」として発刊された一冊です。
317ページに5つのお話が収められた短編集であり、いずれも太平洋戦争を題材としています。
最初に書いておきますが、今回は「完全ネタバレ」ですので、ご注意を・・。
しかも、可憐な女性の方が深夜に読むには、ちょっと怖いかも知れません。
最初は「海の柩」というお話。
北海道の小漁村に多数の兵士の死体が流れ着きます。
1日目には182体・・。将校の遺体はなく、ほとんどの襟章は一つ星。
村人は総出で遺体を収容しますが、腕のない死体が半数を占めていることを不審に思います。
手首が無い者、上腕から切断されている者・・。
生きて村落に辿り着いた陸軍将校は、沖合で輸送船が潜水艦の雷撃を受けて沈没、
2,3隻の漁船を出して生存者を救助して欲しい・・と語ります。
しかし、沖合は人の群れでとても収容しきれません。
3隻の上陸用舟艇で救助にも行こうとしない将校たちに対し、不満が爆発します。
「この船を出してください」と組合長。
大尉は言います。「すまんが、お前らだけでやってくれ」
300人をなんとか救助しますが、600体近い遺体が漂着。
生き残り将校たちの不信な態度、トラックでやって来た中尉と憲兵は、
多くの兵の死体を目にしたことを決して他言してはならぬ・・と村長らを脅すのでした。
戦後、当事者の将校にインタビューする著者。
すでに沖縄に米軍が上陸し、占守島で編成された補充部隊が
逆上陸するための移動中に米潜水艦に撃沈された状況を語ります。
「舟艇に乗ったのは将校のみですね」
「主にそうです」
「兵士の腕を切りましたか」
「私は切りませんよ。暗号文を抱いてましたから・・」
「切った将校もいたのですね」
「船べりに手が重なってきました。海面は兵の体でうずまり、
乗ってくれば沈むということよりも、船べりを覆った手が恐ろしくてたまりませんでした。
将校が一斉に軍刀を抜きました。手に対する恐怖が軍刀をふるわせたのです。
切っても、切っても、また新たな手がつかまってきました」
「腕を切られた兵士は沈んでいきましたか」
「そうです。しかし、そのまま泳いでいる者もいました」
「兵士たちは何か言いましたか」
「天皇陛下万歳、と叫んでいました」。
この50ページ弱の話の次は、「手首の記憶」です。
去年、「樺太」で起こった「真岡郵便電信局事件」、
「九人の乙女 一瞬の夏―「終戦悲話」樺太・真岡郵便局電話交換手の自決」を紹介しましたが、
本書の話は同時期に同じ「樺太」で起こった、看護婦集団自決です。
太平炭鉱病院に勤務していた23名の看護婦たち。
33歳の看護長が最年長でほとんどが10代と20代、最年少は16歳です。
8月15日の終戦を告げる放送の翌日、上陸してきたソ連軍。
ソ連機が避難民に銃撃を浴びせかけていることから考えても、
ソ連兵たちが自分たちを凌辱し、殺害する可能性が高い・・。
3㌔先までソ連軍が迫っていたことを知ると、重傷患者らは口々に叫びます。
「早く逃げてください。
若い女たちであるあなたたちを犠牲には出来ない。
早く逃げろ、逃げるんだ」。
暗闇のなか、一団となって退避する看護婦たち。
しかし、すでにソ連兵に退路を断たれていることを悟ると、婦長がみんなに告げます。
「これから歩いて行っても、無事に逃げられるかどうかわからない。
むしろ敵につかまって惨めなことになる公算の方が大きい。
私にも、あなた方若い人たちを守っていける自信がなくなった。
あなたたちを綺麗な身体で親御さんにお返しすることは出来そうもない。
日本婦人らしく潔く死のうと決めたが、あなたたちもついてきてくれる?」
一人ひとりに注射器で多量の睡眠薬が注射され、
婦長が手にしたメスで彼女たちの手首の血管を切っていきます。
それでも生き返ってしまった看護婦が数名。
自分でメスを突き立てたり、包帯で首を自分で絞めてみるものの、
絶命したのは婦長と、24歳の副婦長ら6名で、17名が奇跡的にも生存していたのです。
戦火もやみ、同僚の遺体を荼毘に付して、再び、病院で勤務する彼女たち。
彼女たちの自殺事件はソ連軍の知るところにもなりますが、
ソ連兵は手首に白い包帯を巻いた彼女たちに畏怖を感じるらしく、
近づくことも声をかけることもないのでした。
平成4年になって、札幌護国神社内に慰霊碑が建てられたようです。
「烏の浜」は、同じく「九人の乙女」でも触れた、避難民を満載した「小笠原丸」が
国籍不明の潜水艦の雷撃を受けて沈没した話。
4話目の「剃刀」は沖縄戦が舞台です。
沖縄防衛軍司令官の牛島中将と、長参謀長の割腹自決でこの戦いは終了しますが、
米軍司令官バックナー中将も戦死しています。おっと、全然、知らなかった。。
司令部と戦闘の終焉の地である摩文仁を訪れた著者は、
「洞窟壕を出て、近くの巌頭に座り古式に則った切腹をして、部下が首をはねた」
というガイドの説明に疑問を持ちます。
他の書物でも「白衣をつけて月光の下で割腹した」と書かれているなど、
米軍の激しい攻撃のなか、そんな芝居がかったものであるとは考えられないのです。
最終的には、壕の奥でまず参謀長が割腹し、坂口大尉が介錯、
続いて牛島司令官が・・。その他の上官たちはピストル自殺をし、
軍司令官と参謀長の首は、吉野中尉がどこかに埋めたらしい・・という証言を得ます。
そして米軍の資料である、両将軍の遺体が写った写真を思い浮かべる著者。
気になって調べてみましたが、確かにこの写真がありました。
手前が長参謀長で、奥が牛島司令官と云われているそうですが、証拠はありません。
それどころか、この2人ではなく、別の将校の可能性もあるようです。
また頭部も写っており、首を埋めた・・という件でも何も見つかっていないそうな。。
米軍によると青酸カリ自殺ともされており、それはなくても切腹ではなく、
ピストル自殺だった可能性もあるでしょう。
最後は本書のタイトルでもある「総員起シ」。
海軍で言うところの「起床!」っていう意味だそうですね。
昭和17年に竣工された一等潜水艦「伊33」。
完成後、トラック島泊地に入港するも、修理中に沈没・・。
艦名と同じ、33名が殉職します。
沈没位置は水深36mで、なんとか引き上げに成功しますが、
この水深も「33m」とした、恐怖のサンサンの呪いとしている場合があるようです。
その後の昭和19年、急速潜航訓練中に浸水してまたもや沈没。
乗員104名が閉じ込められてしまうのです。
和田艦長が命じる「メインタンク、ブロー」で20mまで浮上しますが、万策尽き、
艦橋へ通じるハッチからの脱出を試みて、遂に2名が成功。
しかし60mの海底に沈んだ「伊33」を引き上げることは技術的に可能でも、
敵機の空襲も激化し、戦局の急迫した今、海軍にその余力はないのでした。
戦後となった昭和28年、戦時中に沈没した艦船を引き上げてスクラップにすることで
かなりの利益を上げられるサルベージ会社が活発となり、「伊33」もその対象に・・。
数ヵ月に及ぶ引き揚げ作業の過程が詳細に書かれ、
潜望鏡が海面まで上がってくると、100名の遺体が残されたままの「伊33」を
多くの新聞社が連日のように報道します。
7月、遂に浮上した「伊33」にカメラを持って乗り込む中国新聞社の白石記者。
作業員がハッチを開けると、噴出した得体の知れぬ強烈な臭気に短い叫び声が。。
「中にはガスが充満しているんだ。危ないから換気するまで待て」という声も聞かず、
懐中電灯とカメラの閃光電球を手に、息を止めて前部兵員室に飛び込んだ白石記者は、
シャッターボタンと同時に光る電球の一瞬の明るさのなかに、多くの男を目撃します。
事故から9年・・、兵員室には遺骨が散乱しているはずなのに、
黒々とした髪に皮膚も筋肉もついた男たちがベッドに横たわっているのです。
まるで「総員起シ」の命令がかかれば、今にも飛び起きそうなその姿。
恐怖と息苦しさから何度も外に出ては再びハッチに潜り込み、写真を撮り続ける白石記者。
そして、直立した男の姿が・・。
白い臀部が見え、引き締まった腿から足首にかけて逞しい線が描かれた、
立ったままの遺体。
上方から鉄鎖が垂れ、それが男の首に深く食い込んだままの首つり遺体なのです。
ずれた褌から隆々と勃起した男根がそのままに。。
その区画の酸素はすべて男たちによって吸い尽くされ、酸素が絶えたことは、
区画内の雑菌の活動も停止させ、さらに海底の低い温度が腐敗作用を妨げていたのです。
そして立っている男は頑強な身体ゆえ、容易に死が訪れず、
その孤独さに耐えかねて、自ら鎖を首に絡ませたと想像されます。
彼らの13名の遺体は棺に納められると、時間と共に急速に腐敗が進んでいくのでした。
いや~、面白かったです。
特に第1話と第5話は、読んでいてゾッとしました。
ちなみに首つり遺体が勃起していた件は、本書でも「生理現象」と推測されていますが、
確かにHの最中に首を絞めると勃起が持続する・・とか、
ドアノブに引っ掛けた紐で首を絞めながらセンズリしてて、死んじゃった・・
なんて話を何度か聞いたことがありますね。
著者について調べてみると、「ノンフィクション小説」という表現が出てきます。
個人的には「小説 = フィクション」と考えていましたので、
「ノンフィクション・フィクション」という意味不明なジャンルになってしまいました。
戦時の出来事を語れる関係者がいなくなってきたことから、
1980年以降は「歴史小説」を書かれたようで、
そういうことでは1970年代の作品は、「ノンフィクション」、または「戦記」で良い気もします。
内容は「ノンフィクション」なのに、「小説風」という意味なんでしょうか??
同じく短編集の「帰艦セズ」、それと「羆嵐」も買いましたので、読んでみます。