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西方電撃戦: フランス侵攻1940 [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジャン・ポール・パリュ著の「西方電撃戦: フランス侵攻1940 」をようやく読破しました。

去年の3月に出た615ページの大判の大作。
定価12600円でビビッてましたが、一年考えて読むしかないと諦めました。。
著者は「バルジの戦い」の方で、当時と現在(Then and Now)の写真を比較したシリーズです。
それにしても重い!
「バルジの戦い」は上下巻でしたが、2冊あわせても542ページです。
それでも今年のGWで丸5年が過ぎ、遂に6年目に突入した独破戦線は立ち向かうのです。

西方電撃戦.jpg

5章から成る本書。まずは「戦火ふたたび」です。
第1次大戦後から、1930年代のドイツとフランスを中心とした政治、軍備が語られ、
1940年5月時点でのフランス軍の軽機械化師団、装甲師団の各々3個が
戦車を160両ずつを装備していたことなどを多数の写真とともに解説。
1939年に第5軍の戦車部隊を指揮していたドゴールとルブラン大統領の写真も・・。

Albert Lebrun_De Gaulle commanded the 4th DCR during the battles.jpg

続いて15ページとタップリ紹介されるのは「マジノ線」。
フランス北東部の国境線全域1500㌔に渡ってそびえたっていた有名な要塞線ですが、
実際のところ、あっさりとドイツ軍に迂回されて、役立たず・・という印象がありますね。
しかし本書に書かれ、また掲載されている強力な防御が施された要塞やトーチカ砲台を知ると、
逆にドイツ軍がコレを避けざるを得なかったことが理解できます。
後にドイツ軍が大西洋防壁として建設した屈強なトーチカ砲台を思わせるものもあれば、
「マジックマッシュルーム」と綽名された小型の砲塔も、現在も残っているようで、
コンクリートの基部に格納されている写真に・・、

la-ligne-maginot-fort-de-schoenenbourg.jpg

怒らせて75㎜榴弾砲や、135㎜迫撃砲で攻撃しようという姿・・。
ほとんど「キノコのゆるキャラ」のような姿ですが、実に手強そうです。
他にも1950年代の宇宙人のような顔をした砲塔もあったり、なかなか勉強になりました。

Maginot.jpg

ドイツに宣戦布告して、「奇妙な戦争」を続けている仏英からしてみれば、
ドイツ軍が西方に攻め込む場合、マジノ線を迂回して中立国であるベルギーに向かうしかない、
と考え、「ディール計画」を策定します。
ベルギーの陸軍総司令官でもある若き国王、レオポルド3世はすでに動員を開始し、
16師団を配置に付けますが、ヒトラーに「中立違反」の口実を与えないように、
動員した部隊の2/3はフランス国境配置するという気の使いよう・・。
そしていざドイツ軍に攻め込まれれば、ベルギー軍が足止めしている間に、
仏英連合軍の快速部隊が駆けつける・・というのがディール計画です。

Léopold III, roi de Belgique 1940.jpg

ソミュアS35オチキスH35、H39ルノーB1bisといったフランス戦車の写真に、
英国欧州遠征軍(BEF)のユニバーサル・キャリア。
もちろんフランス軍最高司令官のガムランと、BEFのトップであるゴート卿の2ショットも。
BEFはフランス軍北東戦域司令官、ジョルジュ将軍の指揮下に入るものの、
想定外の事態やBEFに危機が迫った場合には、ロンドンの指示が優先されます。
いや~、すでに一枚岩ではない雰囲気がプンプンしますね。

Gort_Gamelin.jpg

一方のドイツ軍の戦略については、当初のシュリーフェン・プランの焼き直し案から、
マンシュタイン・プランへと変更されたものの、この変更を承服できない将軍たちのバトル。
ブッシュは「貴官がどこでムーズ川を渡ろうが知ったことではない!」とグデーリアンに吐き捨て、
フォン・ボックは「無防備な側面をさらしたまま300㎞も前進して、
海岸に辿り着こうとしているのか!」と、ハルダーに不満をぶつけるのです。
そんなドイツ軍の第1戦車師団~第10戦車師団までの編制内容も一覧表で紹介され、
主力の35(t)38(t)、そしてⅢ号戦車の写真も登場してきます。
ちなみに本書ではドイツ軍は「戦車師団」、フランス軍は「装甲師団」、英国軍は「機甲師団」
という表記で統一。

19400515_Noordereiland_PzKpfw_III.jpg

当然、フランス軍、BEFの戦闘序列と各種戦車の写真も掲載され、
特にBEF機甲騎兵連隊が28両保有していた、Mk.VI軽戦車に挨拶する
馬車に乗ったじいさんが良い味出してますね。

Light Tank Mk VI.jpg

ベルギー軍はルノーACG-1戦車の他、T-13軽戦車、T-15軽戦車を保有。

T13.jpg

オランダ軍の機甲戦力はスウェーデン製装甲車ですが、
1940年5月になって1ダースほどの国産DAF M39装甲車の配備が始まります。

DAF M39.jpg

各国の航空戦力にまで触れた後、第2章「作戦名:黄色」へ・・。
オランダの橋を確保するべく作戦に挑む特殊部隊ブランデンブルクの珍しい写真に、
ベルギーの「エーベン・エメール要塞」は突撃班ごとに詳細に、10ページ書かれています。

Belgian soldiers surrender to German paratroopers after the Battle of Fort Eben-Emael.jpg

連合軍は予定通り「ディール計画」を発動し、ベルギーに進軍。
市民は「ベルギー万歳! フランス軍に栄光あれ!」と大歓声で迎えますが、
ご存知のように、彼らはドイツ軍の罠に向かって進んでいるのです。
このあたりから、写真は「Then and Now」形式が多くなり、
当時の写真2~3枚に1枚は著者が苦労して探し当てた現在の写真です。
ヨーロッパの街並みはやっぱりあんまり変わらないんですねぇ。

107ページから153ページまでは「オランダを巡る戦い」が集約されています。
ドイツ軍の責任者はB軍集団第18軍司令官のフォン・キュヒラー
しかし主に空挺作戦であり、写真も空挺部隊が中心で、
オランダ人の写真家が自宅から写した第2降下猟兵連隊の降下作戦の様子。

1940_Duitse_parachutisten_Rdam_Delft.jpg

ロッテルダム攻略では空挺将軍シュトゥーデントの計画によって、
3機のJu52がフェイエーノルト・スタジアムへ降下突撃兵を送り込みます。
は~、初めて知った話ですが、サッカー場は良い降下目標になるんでしょうね。

de kuip.jpg

ロッテルダム防衛隊指令のスキャルロー大佐に降伏の最後通牒を発する3人の軍使。
こういう写真でもキャプションには所属と氏名までがハッキリと書かれていて、
第9戦車師団の大尉、通訳の中尉、宣伝中隊の大尉の組み合わせです。

19400514_RHoerst_FPlutzar_Pessendorfer.jpg

「まったく不必要であった」と書かれているロッテルダム空襲については、
ドイツ軍側の連絡網と通信状況の悪さに加え、
オランダ軍が降伏の決定を引き延ばしたことも間接的に影響しているとしています。
そしてこの空襲にショックを受け、降伏文書に調印したスキャルロー大佐・・。

19400514_Kolonel Scharroo (met sigaret).jpg

ちょうど今年の1月にDVDが発売された「ロッテルダム・ブリッツ ~ナチス電撃空爆作戦~ 」
という映画も観てみたくなりますね。



続いては「ドイツ第6軍のベルギー侵攻」。
可能な限り長く、これこそが主攻勢だと信じさせることが目的であり、
ドイツ第6軍といえば、パウルスのスターリングラードを連想しますが、
この時点でのB軍集団第6軍司令官はライヒェナウです。
そして、次の「ムーズ川のドイツ第4軍」がまさに主攻勢。
ルントシュテットのA軍集団隷下となり、司令官はクルーゲ
気になったのは、このようなドイツ軍全体の序列が書かれていないので、
文章を読んで、やっと思い出すことも・・。戦況図が度々あるのが救いです。

wehrmacht_ardennes_1940.jpg

ドイツ国境にほど近いベルギーの都市、サン・ヴィト(ザンクト・フィート)では、
第5戦車師団のⅢ号戦車をハーケンクロイツの旗が迎えます。
もともとドイツ領だったこともあるようですが、、同じベルギーでも市民の反応が違いますね。
そして徐々に第7戦車師団の記述と写真が増えてきますが、理由は簡単。
師団長のロンメルが詳細な戦闘日誌を残していることと、本人が大のカメラ好きだからです。

shock.jpg

自らもオールを手にして、楽しそうにムーズ川を渡るロンメルの姿。
ロンメル自身が撮影した写真も数枚出てきました。
その日誌もかなり引用しながら、ムーズ渡河が進みますが、著者は曰く、
「描写は劇的であるが一面で、自身の活躍を常に話の中心に置こうとするロンメル・・」。

第4軍のお隣は、リストの第12軍です。
というより、クライスト装甲集団と、グデーリアンの装甲軍団と言った方がわかりやすいですね。
ここでグデーリアンの有名な写真が出てきました。
本書によると、架橋工事の進捗を渡河点から確認している図だそうです。

Heinz_Guderian.jpg

239ページからは第3章「突破」。
アルデンヌを抜けてきたロンメルやグデーリアンの攻撃によって、
遂にドイツ軍の戦略意図を悟ったフランス軍。
レイノー首相は「いまやパリへの道は開け放たれたままであり、戦争に敗れた」と、
チャーチル訴えます。
それでもロンメルの前にはフランス軍の誇る重戦車が立ちはだかるのです。
下の写真は機械トラブルで遺棄されたB1bis戦車をドイツ兵がどかそうと試みた結果、
家屋を損傷させてしまった図だそうです。
「あらら、アンタたち、何してくれてんのよ」というオーラを放つおばちゃん。。

A french  Char B1  tank of the 37th battalion with the designation  Bearn II .jpg

クライスト集団に突破されたフランス第9軍は、司令官をアンリ・ジロー将軍に交代。
しかし5月19日、ジロー将軍も捕虜となり、実質的に消滅する第9軍。
その一方、停止命令に激怒して辞任を申し出たグデーリアンをなだめるリスト
再編成と補給により停止していることに我慢ならないロンメルも
軍団長のヘルマン・ホトに夜間攻撃を訴えます。

Rommel_hoth 1940.jpg

やられっぱなしのフランス軍ですが、ドゴール大佐の第4装甲師団が反撃を開始。
R35、S35、B1bis戦車以外にも、ルノーD2戦車を含めた戦車は155両。
20㎜高射機関砲しかないグデーリアンの司令部に、ほんの数㌔の所まで迫ります。
しかしS35とB1bisが同士討ちしたり、空からのシュトゥーカ攻撃に遭って撤退・・。

Renault D2.jpg

ゴート卿のBEFも反撃に出ます。
いわゆる「アラスの戦い」で、ロンメルの第7戦車師団とSSトーテンコップは一時、退却。
「SS兵は慌てふためいて戦場を放棄したが、ロンメルの部隊も同様だった」として、
ドイツ軍の損害は、戦車20両に、多数の装甲車が撃破され、
死者300名、捕虜400名としています。

WW2-Battle of Arras.jpg

こうしてA軍集団のホト、クライストの戦車部隊に「停止命令」が出されますが、
著者はこの有名な「総統命令」について、
「ルントシュテットが下した決定に、ただ同意を与えたに過ぎない」とします。
そしてそのルントシュテットの決定とは、
「近い将来の<赤作戦>に備えて、疲弊した戦車部隊を温存し、休養を取らせる」。

adolf hitler gerd von rundstedt mercedes-benz.jpg

その頃、圧迫され続けていたベルギーのレオポルド国王は降伏に傾きつつあります。
5月28日、ドイツ側代表のライヒェナウとの間で休戦条約を調印。
ピエロ首相はラジオで「ベルギー国民の皆さん」と語りかけます。
「政府と議会を無視して、国王は独自の外交交渉を始め、敵と和平を結んでしまいました。
あきれ返るばかりの愚行にベルギーは直面しましたが・・」
う~ん。レオポルド3世はやっぱり興味深いなぁ。もっと詳しく知りたい人物です。

各国の戦車や装甲車を撃破しながら進むドイツ軍ですから、
当然、使用可能な鹵獲車両は放ってはおきません。
SSトーテンコップはソミュアS35戦車に、しっかりと髑髏マークを書き込みます。
あ~、シュピールベルガーの「捕獲戦車」、欲しい。。

Somua S-35 of the SS-Totenkopf division.jpg

そんなトーテンコップによって行われたロイヤル・ノフォーク連隊の虐殺事件
戦時条約で禁止されていた「ダムダム弾」を使用していないか取り調べるために、
農場のレンガ造りの建物の前に並ばされた英国兵99名は、
中隊長クネヒラインの号令のもと、機関銃で掃射されてしまいます。
鮮明ではないですが、その現場を通りかかったドイツ兵が撮ったといわれる写真も・・。

The Le Paradis Massacre.jpg

リールで包囲されたフランス部隊は激戦の末、降伏。
ドイツ第27軍団のアルフレート・ヴェーガー将軍は、この包囲戦の勝利を称え、
戦勝パレードを行います。
自軍だけでなく、敵軍の北アフリカ師団も弾を抜き取った銃を抱えて行進。
これを聞いた陸軍総司令官ブラウヒッチュは、あまりにも時代遅れだと叱責したそうな・・。
SSと国防軍の比較ではないですけど、同じように降伏した敵に対して、
虐殺したかと思えば、片やパレードに参加・・と、両極端ですね。

Alfred Wager, XXVII. Armeekorps'.jpg

ダンケルク」からドーヴァー海峡を渡って撤退するBEF。
このあたりもガッチリと書かれており、特に興味深かったのは一緒に撤退したフランス兵です。
一部はそのままフランスの別の湾港へと運ばれ、英国に渡った10万名も
間もなくブレストやシェルブールへと送られて、敗者復活戦の如く戦ったということです。

後半、457ページから第4章「作戦名:赤色」。
ソンム川からセーヌ川へ、フランスを全線に渡って南下しようという作戦第2弾です。
「防御拠点となっている街道を避けて、平野部を進み、敵の背後や側面からの奇襲」を
部隊に指示するロンメル。すでに「砂漠のキツネ」らしい戦術を駆使しています。

blitzkrieg.jpg

6月14日には「無防備都市」となっていたパリに第28歩兵師団が入城。
B軍集団司令官フォン・ボックは、すぐさま廃兵院の「ナポレオンの墓所」を訪問します。
ふ~む。ドイツ軍の将軍連中にとっても、ナポレオンはアイドルなんですね。

von Bock_von Küchler_1940 Paris.jpg

セーヌ川からロワール川を目指すB軍集団。
一方、グデーリアンはスイス国境にゴールして、敵3個軍を袋のネズミにしてしまいます。
最後の仕上げとして登場するのがC軍集団です。
開戦当初からスルーしてきた「マジノ線」への攻撃を遂に開始。
ドイツ第1軍は列車砲8個中隊を含む、特殊な重砲部隊が加えられ、
第800重砲大隊には1.5㌧の砲弾を14㌔も飛ばすことが出来るシュコダ製420㎜砲や、
355㎜砲も装備しています。

Eine 42cm Haubitze von Skoda welche im Sektor Haguenau benutzt wurde um die Maginot-Linie zu bombard.jpg

最後の第5章は「フランス敗北」。
頑強に抵抗するマジノ線の各要塞の様子も詳しく書かれ、攻城戦好きにも嬉しい展開。
それから南に向かうように命令されたフランス第51戦車大隊は、
FCM-2Cという重戦車が7両配備されており、コレは70㌧の怪物です。
こんな戦車、初めて知りましたが、75㎜砲で12人乗り、
全長10メートルということは、あの「マウス」と同じ大きさです。
なんとなく、「悪役1号」を思い出しました。

FCM 2C.jpg

「最後の撤退」はダンケルクの再現のような海上からの撤退です。
サン・ナゼールから5000名以上を乗せて出港した兵員輸送船ランカストリア号は、
ルフトヴァッフェに襲われて沈没・・。
2500名が救助されたものの、死者は3000名を越えると云われていて、
西方戦役最大の死者数を記録。
英国空軍の要員を多く含んでいたこともあって、チャーチルは報道禁止にするのでした。

rms_lancastria.jpg

本書もようやく終わりに近づいてきたところで参戦してきたのはムッソリーニ。。
フランス人の著者、そして父親が2等兵として参加していたにも関わらず、
ドイツ軍に対しても公平な記述を続けたものの、さすがにイタリア軍の仕打ちには
我慢ならんという雰囲気が出てしまっています。
まぁ、これだけ時間をかけて読んできて、フランスにも若干、肩入れしていただけに、
この「背後からの一突き」はなんともエゲツなく感じます。

イタリア軍の戦死者631名、捕虜・行方不明616名、負傷者2631名、凍傷2151名に対し、
フランス軍は戦死者40名、負傷者84名、捕虜・行方不明150名という数字を誇らしげに挙げて、
優勢なイタリア軍を叩き伏せたアルプス軍の戦いは一筋の光明だと結んでいます。

seihou_2.jpg

最後の最後は「コンピエーニュの休戦協定」です。
ウィリアム・シャイラーの日記を抜粋しながら、この様子を写真と共に解説。
第1次大戦の記念碑の文言を読むヒトラー、ゲーリングリッベントロップヘス
レーダーカイテル、ブラウヒッチュらの面々。
「1918年11月11日、ここにドイツ帝国の犯罪的な傲慢は、彼らが奴隷化しようとした
自由なる諸国民の手によって屈服し、挫折したのである」
そして調印式が終わった後、この石版は破壊されるのでした。

Compiègne hitler 1940.jpg

もちろんヒトラーが大喜びしている写真も出てきますが、
実は所々でこの電撃戦の最中のヒトラーの姿も掲載されており、
副官エンゲルとのツーショットなど、ほとんど初見のものでした。



端折ったところでは、ラインハルトヘプナーも写真がありました。
あとはマックス・ジーモン、それから・・??
誤解のないように書いておくと、本書の写真はすべて白黒です。
またその枚数は書かれていないようですが、1000枚は超えているでしょう。
個人的な一番のお気に入りの写真は、名のある軍人や戦車ではなく、
ソーヌ川を渡る準備中の第1狙撃旅団の兵士たちです。
この恥ずかしい姿で街中を行軍して欲しい。。

seihou_1.jpg

いやはや・・、強烈な一冊でした。
これだけの細かい記述と写真がありながらも、本書は完全な戦記マニア向けです。
この巨大本ですから、休日に読むしかありませんが、
それでも一日、50ページ程度が集中力が続く限界でした。

著者がフランス人であることから、フランス軍についての記述も実に詳細で、
盟友である英国欧州遠征軍、ベルギー軍、オランダ軍についても同様です。
また、政治的な話は最小限に留められているのも好感が持てました。

西方電撃戦についてさほど詳しくない方なら、本書を手にして筋肉痛になる前に、
まず、レン・デイトンの「電撃戦」で第1次大戦後からのドイツ、フランスの関係を理解したり、
電撃戦という幻」という名著を読んで、西方戦役の概要を予習しておいた方が良いでしょう。
もっとも概要といってもハードカバーの上下巻ですが・・。













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