世情を映す昭和のポスター -ポスターに見る戦中・戦後の日本- [切手/ポスター]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
昭和館 監修の「世情を映す昭和のポスター 」を読破しました。
昨年、初めて「昭和館」に行った際に一番惹かれたのが展示されていたポスター類です。
古い割には綺麗で、まさに昭和レトロなデザイン・・。
このBlogでもナチス時代のポスターや、古い映画のポスターを度々紹介しているように、
個人的に大好きなんですね。
本書はその昭和館が秘蔵する1800点のポスターから、昭和10年~30年の200点を厳選し、
テーマ別にカラーで紹介した2011年、96ページの大判の一冊です。
まずはマスメディアがテーマですが、戦前、戦中はラジオ、しかもNHK(日本放送協会)一色です。
そんなポスターで真っ先に気になったのは、昭和25(1950)年頃の「ラジオ日本」のポスター。
「設立準備完了」、「許可を待つばかり」、「待望の民間放送」の文字。
キャプションでは「毎日新聞社によって開局を目指したものの、行政指導によって頓挫した」
と書かれ、詳しく調べてみると、各社と統合されて「ラジオ東京」⇒TBSになっていったようです。
しかし、「聴かされるラジオから聴くラジオへ!」のコピーが良いですね。The 戦後って感じです。
金融では貯蓄が国策として、これまでにも様々な広告を見てきましたが、
「大日本青年団」が団員向けに貯蓄を呼びかけたポスター・・。
「日本中のヨイコドモガ毎日一銭ヅツ貯蓄スレバ、一年四百余機ノセントウ機ガツクレマス」。
昭和19(1944)年のポスターですから、その苦しさは伝わるものの、
「ソノワケハ先生にウカガッテ下サイ」っていうのはズルい気がするなぁ。。
寄付・供出では、朝日新聞社が軍用機献納のための献金を呼びかけます。
「軍用機献納運動強化」として、「全日本号100機、千機!二千機!われらの手で!」
メディアが軍用機を献納するという、現在では考えられないことだったとか・・。
銀にプラチナ、ダイヤモンドが必要だという広告は紹介しましたが、今回は「金製品の売却」です。
「お國の為めに金を政府に賣りませう」金の文字色と、
「金も総動員」が襷がけというデザインが見事です。
昭和20(1945)年の引揚者への衣類寄付を呼びかけたポスター。
木枯らし舞うなか当てもなくさすらう薄着の母子。。
お母さんのスカートボロボロ、女の子の袖も破れて・・の絵はあまりに切な過ぎるじゃないか。。
昭和13(1938)年の「銃後後援強化週間」のポスターは、「名誉の負傷に変わらぬ感謝」です。
胸には「軍人傷痍記章」を付けて・・と書かれているとおり、
この軍人さんは描かれていない手の先や下半身に大怪我をしているのかも知れません。
確か「しょうけい館」でも見た「軍人傷痍記章」について調べてみると、
甲種は戦傷、乙種は公傷の2種類があり、色も金と銀に分けられていたそうですが、
このような件について、wikiでは写真もなく、申し訳程度に3行書かれているだけ・・。
なのにドイツの「戦傷章」だと、日本語版でも写真が4枚も載っています。どういうことなのか??
行政では、「松根油 緊急増産」のポスターがかなりインパクトありますね。
これも昭和19(1944)年という苦しい時期で、この松根油から航空機用ガソリンを製造しようと、
全国の山林で大規模かつ計画的な松根の伐採が行われたそうです。
「埋もれた戦力・松根掘出せ」と、母親と少年が奮闘。双発機に乗っているのは父親かな。。
記念日としては、9月20日が「航空日」になっていたそうです。
1944年のその航空日のポスターは、「米鬼 断じて撃つべし」。
「アメリカ人らしき人物が憎らしげに描かれている」とキャプションにはありますが、
ど~見たってルーズヴェルト大統領でしょう。。
昭和館的にハッキリその人と書けないんでしょうか??
そしてその大統領似の憎らしげなアメリカ人は叫んでいます。
「日本人を殺せ! 日本人を地球から抹殺せよ!」。
募集からは2枚紹介しましょう。
1枚は昭和18(1943)年の「海軍志願兵徴募」です。
市町村役場などにこのようなポスターが掲示されていたようで、
「起て!! 青少年 米英撃滅の為」。そして艦砲射撃・・。
大統領似の憎きアメリカ人を地球から抹殺したくもなるでしょう。
もう1枚は、「陸軍・海軍・航空局の志願者募集」ポスターです。
「空の兵隊にならう」と、スマートな印象です。
陸軍なら、特別幹部候補生と少年飛行兵、
海軍なら、乙種飛行予科練習生、
航空局なら、航空機乗員養成所・・が空への進路となっています。
広告・食品飲料ならやっぱりお酒ですね。
陸海軍将校が乾杯を交わしている昭和13(1938)年の寶焼酎のポスター。
コピーは「朗らかな酔 召し上れ焼酎」。
まだまだ陸海軍は前途洋々といったムードが出ています。
一方、戦後の昭和30(1955)年、ニッポンビールのポスター。
「戦後、10年・・」を、「あれから10年・・」と読ませるのがミソですね。
ニッポンビールは、ラベルの★印でわかるように後のサッポロビールだそうです。
好きなスポーツのポスターが出てきました。
昭和16(1941)年の「日本野球秋季公式仕合」のポスター、沢村栄治に似てますね。
阪急西宮球場でのカードが掲載され、「イーグルス」はすでに「黒鷲」に変更。
若い人には「阪急-南海」って言っても、何のことやらわからないかも・・。
戦後は力道山がスーパースター。
昭和33(1958)年の蔵前国技館に於ける、「プロレス国際大試合」。
「"マットの殺し屋"を迎え世紀の血戦!」と銘打って、憎き米国人レスラーを叩きのめすのです。
小さく書かれていますが、「全国戦争犠牲者後援会基金募集」と
興行収入の一部は、寄付にあてられたようです。
本書で一番気になったポスターはコレです。
昭和18(1943)年の 「敵国アメリカ映画謀略展」。
「大東亜戦争二周年記念」と書かれているように、日米開戦後は敵性映画として
一切の米国映画が上映禁止となりますが、それまで上映されていた映画の35%が米国産。
禁止されても観たことのある日本人は大勢いて、そのような人々に
「米国映画の毒害」について遅ればせながら啓蒙を図った展覧会と思われるそうです。
「撃て 心の米英」と、美しいハリウッド女優に奪われた心を取り戻すことが肝心。。
ほとんどゲッベルスが考えそうな展覧会です。
う~ん。この謀略展・・、詳しいことが不明なだけに、出来ることなら調べ上げて、
売れないノンフィクション作家としてのデビュー作にしたいほど、気になりました。
最後には平成11年に開館した昭和館のポスター・コレクションについての解説が・・。
開館が新しく、収集においても後発組になっているものの、
昭和のポスターならなんでも収集しているわけではなく、
時代の特性を感じさせるようなもの、そして展示に耐えうるコンディションであることが条件で、
痛みの激しいものは修復作業も行っているそうです。
ですから、本書に掲載されたポスターは実に美しく、新品と見紛うほどです。
これまでの白黒の新聞、雑誌広告とは違い、著名な画家によるものもあるなど、
デザイン性、色合い、キャッチコピーを含めて楽しめるのが、このカラーポスターですね。
먔
昭和館 監修の「世情を映す昭和のポスター 」を読破しました。
昨年、初めて「昭和館」に行った際に一番惹かれたのが展示されていたポスター類です。
古い割には綺麗で、まさに昭和レトロなデザイン・・。
このBlogでもナチス時代のポスターや、古い映画のポスターを度々紹介しているように、
個人的に大好きなんですね。
本書はその昭和館が秘蔵する1800点のポスターから、昭和10年~30年の200点を厳選し、
テーマ別にカラーで紹介した2011年、96ページの大判の一冊です。
まずはマスメディアがテーマですが、戦前、戦中はラジオ、しかもNHK(日本放送協会)一色です。
そんなポスターで真っ先に気になったのは、昭和25(1950)年頃の「ラジオ日本」のポスター。
「設立準備完了」、「許可を待つばかり」、「待望の民間放送」の文字。
キャプションでは「毎日新聞社によって開局を目指したものの、行政指導によって頓挫した」
と書かれ、詳しく調べてみると、各社と統合されて「ラジオ東京」⇒TBSになっていったようです。
しかし、「聴かされるラジオから聴くラジオへ!」のコピーが良いですね。The 戦後って感じです。
金融では貯蓄が国策として、これまでにも様々な広告を見てきましたが、
「大日本青年団」が団員向けに貯蓄を呼びかけたポスター・・。
「日本中のヨイコドモガ毎日一銭ヅツ貯蓄スレバ、一年四百余機ノセントウ機ガツクレマス」。
昭和19(1944)年のポスターですから、その苦しさは伝わるものの、
「ソノワケハ先生にウカガッテ下サイ」っていうのはズルい気がするなぁ。。
寄付・供出では、朝日新聞社が軍用機献納のための献金を呼びかけます。
「軍用機献納運動強化」として、「全日本号100機、千機!二千機!われらの手で!」
メディアが軍用機を献納するという、現在では考えられないことだったとか・・。
銀にプラチナ、ダイヤモンドが必要だという広告は紹介しましたが、今回は「金製品の売却」です。
「お國の為めに金を政府に賣りませう」金の文字色と、
「金も総動員」が襷がけというデザインが見事です。
昭和20(1945)年の引揚者への衣類寄付を呼びかけたポスター。
木枯らし舞うなか当てもなくさすらう薄着の母子。。
お母さんのスカートボロボロ、女の子の袖も破れて・・の絵はあまりに切な過ぎるじゃないか。。
昭和13(1938)年の「銃後後援強化週間」のポスターは、「名誉の負傷に変わらぬ感謝」です。
胸には「軍人傷痍記章」を付けて・・と書かれているとおり、
この軍人さんは描かれていない手の先や下半身に大怪我をしているのかも知れません。
確か「しょうけい館」でも見た「軍人傷痍記章」について調べてみると、
甲種は戦傷、乙種は公傷の2種類があり、色も金と銀に分けられていたそうですが、
このような件について、wikiでは写真もなく、申し訳程度に3行書かれているだけ・・。
なのにドイツの「戦傷章」だと、日本語版でも写真が4枚も載っています。どういうことなのか??
行政では、「松根油 緊急増産」のポスターがかなりインパクトありますね。
これも昭和19(1944)年という苦しい時期で、この松根油から航空機用ガソリンを製造しようと、
全国の山林で大規模かつ計画的な松根の伐採が行われたそうです。
「埋もれた戦力・松根掘出せ」と、母親と少年が奮闘。双発機に乗っているのは父親かな。。
記念日としては、9月20日が「航空日」になっていたそうです。
1944年のその航空日のポスターは、「米鬼 断じて撃つべし」。
「アメリカ人らしき人物が憎らしげに描かれている」とキャプションにはありますが、
ど~見たってルーズヴェルト大統領でしょう。。
昭和館的にハッキリその人と書けないんでしょうか??
そしてその大統領似の憎らしげなアメリカ人は叫んでいます。
「日本人を殺せ! 日本人を地球から抹殺せよ!」。
募集からは2枚紹介しましょう。
1枚は昭和18(1943)年の「海軍志願兵徴募」です。
市町村役場などにこのようなポスターが掲示されていたようで、
「起て!! 青少年 米英撃滅の為」。そして艦砲射撃・・。
大統領似の憎きアメリカ人を地球から抹殺したくもなるでしょう。
もう1枚は、「陸軍・海軍・航空局の志願者募集」ポスターです。
「空の兵隊にならう」と、スマートな印象です。
陸軍なら、特別幹部候補生と少年飛行兵、
海軍なら、乙種飛行予科練習生、
航空局なら、航空機乗員養成所・・が空への進路となっています。
広告・食品飲料ならやっぱりお酒ですね。
陸海軍将校が乾杯を交わしている昭和13(1938)年の寶焼酎のポスター。
コピーは「朗らかな酔 召し上れ焼酎」。
まだまだ陸海軍は前途洋々といったムードが出ています。
一方、戦後の昭和30(1955)年、ニッポンビールのポスター。
「戦後、10年・・」を、「あれから10年・・」と読ませるのがミソですね。
ニッポンビールは、ラベルの★印でわかるように後のサッポロビールだそうです。
好きなスポーツのポスターが出てきました。
昭和16(1941)年の「日本野球秋季公式仕合」のポスター、沢村栄治に似てますね。
阪急西宮球場でのカードが掲載され、「イーグルス」はすでに「黒鷲」に変更。
若い人には「阪急-南海」って言っても、何のことやらわからないかも・・。
戦後は力道山がスーパースター。
昭和33(1958)年の蔵前国技館に於ける、「プロレス国際大試合」。
「"マットの殺し屋"を迎え世紀の血戦!」と銘打って、憎き米国人レスラーを叩きのめすのです。
小さく書かれていますが、「全国戦争犠牲者後援会基金募集」と
興行収入の一部は、寄付にあてられたようです。
本書で一番気になったポスターはコレです。
昭和18(1943)年の 「敵国アメリカ映画謀略展」。
「大東亜戦争二周年記念」と書かれているように、日米開戦後は敵性映画として
一切の米国映画が上映禁止となりますが、それまで上映されていた映画の35%が米国産。
禁止されても観たことのある日本人は大勢いて、そのような人々に
「米国映画の毒害」について遅ればせながら啓蒙を図った展覧会と思われるそうです。
「撃て 心の米英」と、美しいハリウッド女優に奪われた心を取り戻すことが肝心。。
ほとんどゲッベルスが考えそうな展覧会です。
う~ん。この謀略展・・、詳しいことが不明なだけに、出来ることなら調べ上げて、
売れないノンフィクション作家としてのデビュー作にしたいほど、気になりました。
最後には平成11年に開館した昭和館のポスター・コレクションについての解説が・・。
開館が新しく、収集においても後発組になっているものの、
昭和のポスターならなんでも収集しているわけではなく、
時代の特性を感じさせるようなもの、そして展示に耐えうるコンディションであることが条件で、
痛みの激しいものは修復作業も行っているそうです。
ですから、本書に掲載されたポスターは実に美しく、新品と見紛うほどです。
これまでの白黒の新聞、雑誌広告とは違い、著名な画家によるものもあるなど、
デザイン性、色合い、キャッチコピーを含めて楽しめるのが、このカラーポスターですね。
먔