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軽駆逐戦車 [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヴァルター・J. シュピールベルガー著の「軽駆逐戦車」を読破しました。

ラスト・オブ・カンプフグルッペ」でお馴染みの高橋慶史さんの新作でも出ないかなぁ・・と、
淡い期待で検索していたら、翻訳されているシュピールベルガーの本書に辿り着きました。
以前に「特殊戦闘車両」を読んでいるこの大型本シリーズですが、すっかり忘れていました。
「重駆逐戦車」という、もっと面白そうなタイトルもありますが、
フェルディナンドにヤークトティーガーについては「第653重戦車駆逐大隊戦闘記録集」、
ヤークトパンターも「第654重戦車駆逐大隊」を読んでいますし、 
1996年、191ページの本書で紹介されるのは、あまり知らない「ヘッツァー」と、
Ⅳ号駆逐戦車」です。
特にⅣ号駆逐戦車は、あの何とも言えないシルエットに妙な魅力を感じているんですね。

軽駆逐戦車.jpg

1ページ目は「著者による序文」ではなく、「訳者から読者へ」です。
高橋さんがシュピールベルガーの「装甲戦闘車両シリーズ」に出会ったのが学生時代であり、
ドイツ留学の際、教科書より先に購入したのが「ティーガー戦車」で、
学生寮の机の上に、誇らしげに置いた・・と、相変わらず楽しいお話から始まります。
そして本書は、その原著の「装甲戦闘車両シリーズ」の14巻目にあたるそうです。




本文はまず「概要」から・・。
ここでは「駆逐戦車」という、恐ろしくややこしい名称についての解説があり、
戦争後期には必然的に防衛を重視することから、攻撃用戦車よりも強力な装甲と火力を持つ、
防御用戦闘車両を造らざるを得ない状況となり、このようにして誕生した戦闘車両は、
砲兵が名付けた場合は「突撃砲」、戦車部隊の場合は「戦車駆逐車」と称し、
さらに旧式な軽装甲の対戦車自走砲である「戦車駆逐車」とは違う、
新式の重装甲戦車駆逐車を「駆逐戦車」と称し、これを本書のタイトルとしたということです。

Panzerjager Marder III.jpg

最初に紹介される軽駆逐戦車は、「駆逐戦車38」です。
一般にチェコ製の38(t)戦車の足回りを流用した「ヘッツァー」として知られていますね。
1943年11月のベルリン大空襲によってアルケット社のⅢ号突撃砲生産が完全に中断され、
チェコのプラハにあるBMM社に生産を移行しようとすることで開発が始まります。
しかし工場では24㌧のⅢ号突撃砲を生産する能力がないことから、
旧新38(t)戦車のコンポーネントから成り立つ、13㌧の新型突撃砲を生産することに・・。

Jagdpanzer 38(t).jpg

本書では様々な角度から撮られた木製モックアップの写真に、
1944年1月7日の「軽戦車駆逐車38(t)型」から、「軽突撃砲38(t)型」など、
1944年11月まで16回くらいの名称変更の推移が掲載され、
最終的には「Jagdpanzer 38(駆逐戦車38)」となります。

前面装甲は60度の傾斜角で60㎜の厚さ、側面は40度~50度で20㎜。
そして48口径7.5cm PaK39は中心部から、かなり右寄りに設置されます。
指揮戦車仕様の最初の1両が工場から出てくる写真に、
試験走行中の写真、詳細な設計図なども含め、かなり細かく解説します。

Jagdpanzer 38_ Hetzer.jpg

ヒトラーは1944年における軍需メーカーの最重要任務として、
「駆逐戦車38」生産の重要性を強調し、すぐに1000両の生産が決定。
4月20日の総統誕生日にはヒトラーの査閲を受け、
計画では1945年3月には、「月産1000両」という極めて野心的な目標が・・。
BMM社だけでなく、シュコダ社も生産を開始しますが、連合軍の爆撃に遭いながらも、
1945年1月には434両を生産するという大奮闘・・。

Hetzer_hitler.jpg

生産開始から3ヵ月後の7月、第731軍直轄戦車猟兵大隊が編成され、
45両を装備した最初の戦闘部隊として北方軍集団に配属されます。
しかし本来、駆逐戦車は敵の突破の際の反撃や、歩兵援護のために投入すべきであり、
大多数は歩兵や国民擲弾兵師団などの戦車猟兵中隊に配備されます。



そんな1944年の西部戦車集団司令部の戦訓報告はとても興味深い内容です。
ちょっと抜粋してみましょう。
「新しく就役した戦車猟兵中隊が残らず潰滅するというケースが発生している。
兵器の特性を考慮せず、また中隊長や戦車猟兵大隊指揮官の提案や、
当然とも言える抗議を受け入れず、出撃命令を下した戦術上の指揮官にも連帯的な責任がある。
特に歩兵大隊の管轄下では、初めから実行不可能な任務を要求される危険性があり、
例えば、局地防衛のために命令された夜間出撃は、明らかに拒否すべきものであった。
砲身の旋回範囲が狭いため、駆逐戦車の出撃準備のためにはエンジンを
動かしておかなければならず、そのため戦車は自らの存在をその騒音で暴露してしまう・・」。

German tank destroyer Hetzer.jpg

いや~、火消し役として無理やり投入させられる駆逐戦車・・。
まさに「続ラスト・オブ・カンプフグルッペ」の世界です。。

その他、1200mの距離でスターリン重戦車(JS-Ⅱ)と戦い、
側面直撃弾を喰らわせて、見事炎上させた話も・・。
また、回収戦車や火炎放射戦車といった改良車両も写真と共に解説しています。
現存数の多いヘッツァーですが、個人的にはこの ↓ ロシアのクビンカの1両が好きですね。

Hetzer_Kubinka.jpg

本書に掲載されている写真はヘッツァー単独か、せいぜい兵士などが一緒に写っているだけ。
表紙の写真なんて、良く見ないとなんだかわかりませんが、
コレはヘッツァーの斜め後姿です。どんな写真なんだか・・。
そこで軽駆逐戦車ってどれくらいの大きさなのか、
ケーニッヒスティーガーと一緒の写真を見つけました。確かに大人と子ども。。

Tigre royal Hetzer_Saumur Museum.jpg

さぁ、続いては「Ⅳ号駆逐戦車(Jagdpanzer IV)」です。
戦車戦におけるⅢ号突撃砲の驚くべき戦果によって、1942年9月には、
Ⅳ号駆逐戦車構想が具体化します。
ヘッツァーと同じ、48口径7.5cm PaK39が搭載できるように改修したⅣ号戦車F型のシャーシを
流用することが計画され、軟鉄製試作型は1943年12月にヒトラーの査閲を受けます。

当初の「新型突撃砲」といった名称はやっぱり何度も変更されて、
特に「突撃砲43とは記載しないこと」という注意もあり、
「総統による紀元年号の禁止と、すべての型式番号43は従来の8.8㎝砲に用いられる」
というのがこの理由のようです。8.8cm PaK43のことかな??
正面からの写真がありましたが、コレも若干、右に寄ってるんですねぇ。

Jagdpanzer_IV.jpg

上部車体は新設計で、前面装甲は50度の傾斜角で厚さ60㎜、側面は30度で40㎜。
フォルマーク社によって1944年1月から生産開始されますが、毎月のように改造が行われ、
例えば、5月には前面装甲の厚さが60㎜から80㎜に増強されます。

最初に「Ⅳ号駆逐戦車」を受領したのは戦車教導師団です。
その他、ヘルマン・ゲーリング装甲師団の3個中隊に10両ずつ、
ヒトラー・ユーゲントやゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン 、ホーエンシュタウフェン、
フルンツベルクといった西部戦線の武装SS師団と、思っていたより広く配備されています。
ノルマンディの戦いだけでなく、バルジの戦いでも投入され、
東部戦線でも陸軍の各装甲師団の他、武装SSもトーテンコップやヴィーキングが・・。

Jagdpanzer IV.jpg

1944年11月の東部戦線における「戦車部隊ニュース」での考察は面白いですね。
「連隊のような小規模の歩兵部隊へ配属された場合、安易に少数車両が個別に投入され易く、
往々にしていらざる損害を招いた。このため、Ⅳ号駆逐戦車の部隊指揮官たる者は、
部隊の集中投入と指揮権を手放すつもりがないことを明確に申し入れることが肝心である。
走行不能の駆逐戦車を固定対戦車砲陣地にせよ、という上官の命令が下されることがあるが、
Ⅳ号駆逐戦車の部隊指揮官たる者は、機動性のない駆逐戦車の投入は無意味であること、
つまり、エンジンが掛からない車両は方向転換が不可能であり、その機動力を奪うことによって
敵に容易に鹵獲される状況に陥る旨、全精力を傾けて上官を説得しなければならない」。

まずは歩兵部隊の中佐や大佐と戦わなければならない、戦車部隊の中尉や大尉という構図・・。
う~む。やはり「ラスト・オブ・カンプフグルッペIII」の世界です。。

Jagdpanzer IV Panzermuseum Thun.jpg

続いては「Ⅳ号戦車/70(V)」です。
第2次大戦の対戦車兵器の中では傑出した存在である「70口径7.5㎝戦車駆逐カノン砲42」を
搭載した「Ⅳ号駆逐戦車」で、70は口径、(V)はフォルマーク社を現します。
そしてヒトラーは1944年7月、この駆逐戦車の名称を「Ⅳ号戦車ラング」とすることを命令。
「ラング」は長砲身という意味ですが、通常のⅣ号戦車にも長砲身が存在し、
名称からも「駆逐」を外すモンですから、余計にややこしくなってしまうのでした。

Panzer IV 70 (V).jpg

そしてこの「Ⅳ号戦車/70(V)」こそが最初に書いたように、
何とも言えない「巨大な虫」のようなシルエットに妙な魅力を感じているわけですが、
1944年4月にこの車両の写真を見たヒトラーが、
「これこそ戦車工学が生んだ究極的形態である」と確信したんだそうです。。
うへ~、総統と趣味が似ているというのはちょっと複雑・・。

本書でも度々「ノーズヘビー」と書かれているⅣ号戦車/70(V)。
ライプシュタンダルテに配属され、バルジの戦いで投入された写真も良い感じです。

View of German soldiers aboard a Jagdpanzer IV-70 tank destroyer from the SS Panzer Division during the Battle of the Bulge.jpg

そんな1944年後半には月産100両を超え、総計では930両が製造。
補助転輪の数が「Ⅳ号戦車の証の4個」から、3個に減らされているのがポイントですね。
そして次々と襲来するT-34/85とSU-85を片っ端から撃破する戦闘日誌に燃えるのです。

Panzer IV/70(V) is in a museum in Ottawa, Canada.jpg

さらに「「Ⅳ号戦車/70(A)」というバリエーションも存在します。
アルケット社によるこのⅣ号戦車/70(A)は、生産を中断せずに転換するために
Ⅳ号戦車シャーシに改修を加えることなく製造されたもので、
様々な理由によって、上部車体の高さがフォルマーク型の620㎜に対し、
1020㎜と背が高くなってしまっています。

Panzer IV 70 (A).jpg

1944年8月~1945年3月までの計画数は510両ですが、製造されたのは278両のみ。
主に突撃砲旅団に配備され、「グロースドイッチュランド」は3個中隊分も受領します。
そして第311突撃砲旅団のハルトマン中尉が騎士十字章を受章した1945年3月の戦いで
ISU-152など13両の敵戦車を撃破するという戦記に再び、燃えるのです。

Panzer IV 70 (A)_Saumur Museum.jpg

ヴィトゲンシュタインは自動車にも乗らないので、エンジン、その他については
あまり興味がありませんが、それでもなかなか楽しめるシリーズです。
特に戦争の末期に向けて、様々な形式の戦車を計画、生産する過程、
そこには防御優先で、敵の重装甲をぶち抜くことが可能な砲を搭載することを基本とし、
各メーカーの思惑と、既存シャーシの流用に生産台数の増加を目指すなか、
連合軍による生産工場への空襲、ヒトラーの細かい口出し・・というドラマがあるのです。

「パンター戦車」、「ティーガー戦車」、「重駆逐戦車」も読んでみたくなりましたが、
一番、興味があるのは「捕獲戦車」ですね。
しかし、その前にやっつける必要のある大日本絵画の大型本は、
「西方電撃戦: フランス侵攻1940」です。まぁ、重いですよ・・。








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