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戦争の記憶 記憶の戦争 -韓国人のベトナム戦争 [世界の・・]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

金 賢娥 著の「戦争の記憶 記憶の戦争」を読破しました。

今回は独破戦線初となるベトナム戦争モノです。
この戦争については、「狩りのとき」など、小説はいくつか読んできましたし、
地獄の黙示録」に、「プラトーン」といった映画もロードショーで観てきました。
そういうわけで、大まかな知識はあったものの、深入りするのはなかなか難しい・・。
泥沼のベトナム戦争全般ではなく、なにか興味深いテーマの本を探していたところ、
2009年、375ページの本書に辿り着いた・・という経緯です。
米軍に次ぐ戦力、最盛期には5万人もの兵を送り込んだ韓国軍。
一般的には5000名もの死者を出したとされる一方、
数千人の民間人虐殺を行ったと云われており、
なかには、ベトナム市民の結婚式を襲撃し、花嫁を含め7人の女性を強姦。
ついでに宝石を奪った挙句、女性たちを川に投げ込んで殺害・・なんてメチャクチャな話も・・。
著者は韓国人女性ですが、果たしてどこまでこの問題に切り込んでいるのでしょうか・・。

戦争の記憶 記憶の戦争.jpg

1998年、韓国の市民団体「ナワウリ(私と私たち)」が創設され、その代表である著者は、
交流のあった日本の市民団体を介して、「ベトナム戦争での韓国軍民間人虐殺」を知ります。
早速、現地調査に着手しますが、まずはその準備としてベトナム戦争そのものの勉強を・・。
読者も10ページほど、この戦争の概要を学ぶことになります。
植民地だったベトナムがフランスを追い出し、ホー・チミンによって共産化。
1965年、米国は北ベトナムへの攻撃を開始します。

apocalypse_now.jpg

「ベトナム戦争の国際化」という大義名分を確保するために、25か国に参戦を要請する米国。
しかし、それに応じたのはオーストラリア、ニュージーランド、台湾、フィリピン、タイ、英国、
そして韓国のたった7か国だけ・・。
しかも韓国以外は砲兵隊や工兵隊を派遣するだけであり、英国に至っては米国のしつこい要請に
サイゴンの空港に6名の儀仗兵を派遣し、辛うじて体面を保ったのです。
それに比べ1965年~73年まで、延べ32万人もの兵力を派遣した韓国軍。
朝鮮戦争で米国の世話になったことから、断れずに決定されたと云われているそうです。

日本の植民地から解放されたものの、南北に分断されて戦争になった朝鮮半島。
ベトナムもまさにフランスから解放された後、南北に分かれて戦い、
しかも北には社会主義政権、南は資本主義政権と、あまりに似通っています。

ROK 9th Infantry Division(White Horse)  in Vietnam.jpg

こうして、現地の村々で35年前の当時を知る生存者からインタビュー。
住民50名ほどのブンタオ村に突然姿を現した韓国軍。
隠れていると「ベトコン」に勘違いされるため、赤ん坊を抱いて全員が広場に集まると、
いきなり銃撃を始めます。命乞いをする村人に照準を合わせ、
赤ん坊から妊婦、老人たちが虐殺され、死んだふりして生き残ったのはわずか3名です。

5つの集落、100余名が同様にして殺され、
また別の村では、行軍してきた南朝鮮青龍部隊によって36人が殺されて、
翌日も別の村で273名が様々な武器によって残虐に殺されます。

派遣された韓国軍は主に3つの師団で、この青龍部隊は「海兵隊第2海兵師団」、
猛虎部隊と呼ばれた「陸軍首都師団」、そして白馬部隊こと「陸軍第9師団」です。

2ndROKMarine.jpg

韓国軍司令部が発行した戦訓集には「部落はすべて敵の活動根拠地」と書かれ、
「ベトコンの下部構造の基盤は部落と住民である」と強調されます。
韓国軍の将校でさえ、ベトナムとは特別な縁があるわけでもなく、敵愾心もない。
兵士たちには「国際共産化」を防ごう、と精神訓話をするだけ・・。
朝鮮戦争を経て、彼らは「アカは殺してもいい」、「殺さねばならない」という意識が、
彼らの身体に内在化していったと著者は語ります。

なんだかもう、「アインザッツグルッペン」の精神ですね。

2ndROKMarine1.jpg

また、ある兵士はこう語ります。
「一度だけでも、民間人を殺してはならない。子供や老人、女性を殺してはならない。
強姦してはならない。と聞いていたら、こんなことまでしなかっただろう。
ベトナム行きの船で聞いたのは、捕まれば両手両足を裂かれて殺されるとか、
子供もベトコンだから殺さねばならない。強姦後は殺さねばならない。
そんな話ばかり聞きました。
実際、私が体を張って戦う理由がどこにありますか。
生き残らなければならないと考えるようになると、婦女子もベトコンに見えるのです」。

う~ん。ゲリラ戦の怖さですね。
武装SSの「プリンツ・オイゲン」も残虐部隊だったとして知られていますが、
主にユーゴでパルチザン相手に戦ってたわけですから、しょうがないと思うんですよね。。

Korean Tiger Division.jpg

ベトナム人は、ベトナム戦争を「抗米戦争」と呼び、
ベトコンを「南ベトナム解放民族戦線」と呼びます。
青龍、猛虎、白馬部隊を「韓国軍」とは呼ばずに、
大統領だった「朴正煕(パク・チョンヒ)の軍隊」と呼びます。
そして彼らは「朴正煕の軍隊」は、米国の傭兵であると記憶しているのです。

1968年1月、北ベトナム軍による「テト攻勢」に対抗した「怪龍一号作戦」を展開します。
旅団規模の青龍部隊がベトコン捜索掃討作戦を開始したのです。
米海兵隊と連携した「安全な村」であるフォンニィ村から射撃を受けた部隊は、
村の住民69名を虐殺。
その数時間後、フォンニィ村が韓国軍に攻撃されたことを知った米海兵隊が
負傷者救援のためにカメラ持参でやってきます。
この偶然によって、「胸をえぐられても生きている女性」、
「至近距離で撃たれた女性と子供」、「池で溺死した子供」などの写真が撮影され、
後に、報告書としてまとめられるのでした。ただし、本書に写真は未掲載・・。

Phong_Nhi_massacre_3.jpg

ヴィトゲンシュタインが調べた限り、韓国軍の蛮行を示す写真は、この報告書の写真のみです。
そしてベトナム派遣軍司令官ウェストモーランドは報告書を韓国軍に送り、調査を求めますが、
韓国軍司令官は「ベトコンが仕組んだ邪悪な陰謀である」と否定するのでした。

Phong Nhị and Phong Nhất massacre.jpg

韓国軍が関わった最大の虐殺事件は1966年1月の猛虎部隊3個中隊によって行われます。
ゴーザイ(ゴダイ)ではわずか2時間のうちに住民320が射殺され、
15の地点で1200名以上が虐殺されるという「タイヴィン虐殺」も・・。
身元の分かった公式な死者だけでも728名。
子供166名、女性231名、60歳以上の老人88名、家族皆殺しが8家族に及びます。

Go Dai massacre.jpg

2011年の調査では参戦軍人もベトナムへ同行します。
「私は当時、新兵でした。捕えた男性1名と女性2名を木に縛り付けると、
分隊長が肝力をつけてやるから、着剣して刺し殺せ、と言われました。
とてもできませんと言うと、頭に銃を当てられました。命令不服従だと。
私は太ももを刺しました。次の人は腹部を刺しました。すぐに戻って吐きました。
少しして「バーン」という音がしました」。

旧日本軍でも似たような話を読んだ記憶があります。

参戦軍人は戦争終結の翌年に建てられ、遺品や写真が収められたミライ博物館を訪れ、
ひどい気分も味わうのでした。

my lai museum.jpg

米軍が「ミライ」と呼ぶ、ソンミ村。
ここは1968年に米軍が起こした最大の虐殺地で、「ソンミ村虐殺事件」として知られています。
この事件が知られるようになったのも、やっぱり写真。
従軍写真家が同行しており、白黒フィルムだけでなく、カラーでも撮影されたことから、
後に米国だけでなく、全世界に衝撃を与えることになるのです。

My_Lai_massacre.jpg

動く者はベトコンであり、動かない者は老練なベトコン。
黑いベトナム服を着た15歳ほどの少女を引きずり出し、ブラウスを脱がせ始め、
「この娘の出来をみようぜ」と笑う米兵たち。
その時、少女の母とおぼしき老婆が狂ったように止めに入ります。
少女が母の後ろに隠れてブラウスのボタンを留めているところをカラー写真に収めますが、
暫くして聞こえた銃声に振り返ると、全員が殺されていたのです。

My_Lai_massacre2.jpg

504名が犠牲となったこの事件。女性182名のうち、17名が妊婦、
173名の子供のうち、5か月未満の赤ちゃんが56名・・。
黒人兵カーターはこの野蛮な虐殺行為に耐えられなくなり、自らの足の甲を撃ち抜きます。

Pfc Carter.jpg

命令を下したのは「狂犬」の綽名を持った中隊長メディナ大尉。
そして第1小隊長のキャリー中尉も狂ったようにベトナム人を殺します。

Ernest Medina.jpg

1年後、米国メディアはこのニュースを書き立て、ニクソン大統領も
「明白な虐殺」として裁判が始まりますが、将校たちは赦免され、
キャリー中尉だけが軍隊から除名されただけ。しかもすぐに仮釈放です。

William Calley.jpg

1968年、ハミ村も韓国軍の虐殺の被害に遭います。
数日前から村へやって来ては、パンを配っていた韓国軍。
その日も、当然のように子供も一緒に集まってくると、手榴弾を投げてきたのです。
135名が死亡し、20名が生き残ったものの、死体が散らばった現場をブルドーザーで踏み潰し、
散らばった肉片と折れた骨を拾い集めることになった生き残りの人々。。
そして2001年には韓国軍の参戦軍人の支援より、慰霊碑が立てられます。

The marble with paintings of lotuses, covering the original memorial statue in Ha My, Vietnam.jpg

著者は所々で「元日本軍慰安婦」の語った話を挿入して比較します。
また、最後には韓国の教授の言葉を引用します。

ドイツは自分たちの蛮行が人類犯罪だと告白し、実践したため、
世界国家に生まれ変わることができた。
一方、アジアの世界国家を自認する日本は、先の犯罪行為を力の論理で包み込んで
美化することに忙しい。罪責感と責任感は眼中にもない。
日本は理解しなければならない。過去の克服は「ともに記憶すること」であって、
「ひとりで埋めてしまうこと」ではないことを。

そして著者は「日本の替わりに韓国を代入してもこの文章は成り立つ」とします。

原著は2002年に韓国で発表されたようですが、執筆中に金大中大統領が、
公式謝罪をしたそうです。
「私たちが不幸な戦争に参与し、ベトナム国民に苦痛を与えたことを申し訳なく思う」。
それでも、民間人虐殺などの件については認めていないようですね。
いろいろと調べてみると、以前の大統領である全斗煥、盧泰愚が
ベトナム戦争で武勲を挙げた軍人であったということも、ハッキリできない要因であるんでしょう。

訳者あとがきによると、この戦争を描いた「ホワイト・バッジ」という韓国映画が作られ、
1992年の東京国際映画祭でグランプリを受賞したそうです。知らなかったなぁ。
映画に登場するのは白馬部隊だそうで、戦争映画好きとしては気になりますね。

White Badge.jpg

こうして韓国軍が行った蛮行の数々を書いていて少し危惧するのは、
その部分だけがどこかに転載されて、ネトウヨと呼ばれる方々の楽しいネタになるのでは??
ということです。
実際、2chの軍事スレに独破戦線の記事の一文がそのまま掲載されたりしたこともあります。
「それ、独破戦線のコピペじゃね~か」と指摘されていたのは面白かったですけどね。。

戦争の世界史という観点から、ベトナム戦争における韓国軍の蛮行に興味があるのであって、
韓国のアラ探しをして喜ぼうという趣旨は毛頭ありませんし、
このような件についてはドイツ、ロシア、米国、とやってきてるので、ご存知とは思いますが。。

また、韓国軍による虐殺を知り、それを公に認めない韓国政府に対して、
「日本に謝罪を求めるより、まず、自分たちが謝れよ」という意見も聞こえそうです。
しかし、それは議論のすり替えであって、日本がどうこう言う話ではありません。

いずれにしても、最近の嫌韓の傾向からして、
「従軍慰安婦を支援する韓国人が書いた本なんぞ読めるか」と考える向きの方は、
今回のレビューはキレイさっぱり忘れてください。




えで⹃
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